不退転の男 7
目が覚めると、見慣れたタンジェの自室だった。
ぼーっと天井を眺める。鳥の鳴き声が聞こえる。朝?
起き上がろうとすると、全身にびりびりと痛みが走った。
「いってぇ!!」
思わず叫ぶと、横からバッと黒い影が手を伸ばしてきて、起きようとしていたタンジェの肩を押さえつけ、無理やり寝かせた。黒曜だ。
「……、……」
言葉にならない、といった様子の黒曜が、何かを言おうとしては口を閉ざし、を何度か繰り返したのちに、水挿しから水を汲んで、タンジェに飲ませた。明らかにタンジェより黒曜のほうが動揺していて、水を飲んで落ち着くべきは黒曜であった。
それから黒曜はらしくなく、立ったり椅子に座ったりしたあと、
「大丈夫か」
と尋ねた。
「いや、てめぇが大丈夫か? やたら落ち着きがねえぞ」
思わず聞き返すと、
「……記憶がないのか? パーシィに頭を思い切り殴られたようだからな……」
――それで、ハッとした。
タンジェは今度こそ身体をがばりと起こした。また全身は痛んだが、大したことではない。
「生きて帰ったんだな!? ホックラー遺跡から……!!」
黒曜は一瞬だけ目を見開き、それから静かに頷いた。それからタンジェの手を取って握りしめ、
「お前には……深い傷を負わせた。責任を取る」
「あ? 責任?」
青龍刀に腹をぶち抜かれたのは事実で、それは確かに深い傷だが……タンジェにとっては別に大したことではなかった。禍根はない。黒曜の自由意思でぶち抜かれたわけではないし、痛みはするが傷は一応、塞がっているようだ。これはたぶんパーシィが何とかしてくれたのだろう。
それに、タンジェが思うに、
「俺が黒曜より強けりゃ、こさえなかった傷だぜ。責任があるなら、俺の弱さにだろ」
黒曜は無表情のままだったが、頭から生えた黒豹の耳が僅かにぺたりと寝た。
「責任を取らせてはくれないのか」
「だから、てめぇも操られてたんだ。責任はねえよ」
生きてんだからそれでいいだろ、気にすんな、とタンジェが続ける。素直に頷かない黒曜に、なんだよ、と思ってその顔を見れば、前髪に隠れて見えない額にガーゼが貼ってあるのに気付いた。タンジェは突然、居心地が悪くなった。間違いなくタンジェが自身の石頭をぶちあてた位置である。これは……お互い様だ。これ以上、責任の所在をああだこうだ言うのは不毛だろう。
タンジェは話を変えることにした。
「アノニムとパーシィはどうした? そうだ、ハンプティは? あのあとどうなったんだ?」
「俺も気絶していたからはっきりしたことは分からない。ただ、アノニムが……何とかしたようだ」
そうか、とタンジェは言った。勝てないだの負けたら死ぬだの言っていたが、結局、戦ったらしい。
「ハンプティの行き先は分からない。アノニムは、深追いはしなかった、と言っていた」
「ま、そうなるか」
ただでさえあの場から逃げようとしていたアノニムが、わざわざ深追いしてまでハンプティに追い縋るわけはないだろう。これは初めて知ったことだが、タンジェが思っているよりはるかにアノニムは慎重派で、なんと言おうか――"生存主義"なのだ。
「俺は途中から記憶がないのだが」
黒曜はそう先に述べてから、どうやらタンジェが今回の功労者であったことと、それへの感謝を述べ、頭を下げた。
「すまなかった」
「いや、今回は誰も悪くねえだろ……」
パーシィがハンプティを悪魔だと気付けなかった時点で、回避できない危機だっただろう。そのパーシィにだって責任はない。とにかく全員生きて帰ってこられたことを良しとすべきだ。
「しかし、なんで俺とアノニムはやつの<魅了>が効かなかったんだ?」
純粋な疑問を口にする。黒曜に分かるわけがないと思ったが、黒曜はタンジェの顔をじっと見て、少し言い淀むような仕草をした。
答えたのは黒曜ではなく、
「きみのピアスだよ」
サナギだった。いつの間にか部屋の入り口で、救急箱を持って立っている。サナギは続けた。
「バレンタイン以来、きみがしているそのピアスは、<破魔>の力が込められたマジックアイテムだ」
「あ? ……ピアス? マジックアイテム?」
確かにバレンタイン以来、穴を開けてずっとつけている。身につけ始めて間もないのだが、タンジェにとって、このピアスはつけてて当たり前くらいの存在になっていた。これは黒曜から贈られたもので――。タンジェは黒曜を見た。
黒曜はごく無表情で、
「……確かにそのタンジェリンクオーツには、俺の故郷に伝わる破魔のまじないをかけてもらっている」
「なんだそりゃ、初耳だぞ」
「わざわざ言うものではない」
タンジェが変な顔をする。サナギはからから笑った。
「野暮なことを言ったかな?」
「はあ?」
「いやいや。天使の意識すら奪う悪魔の<魅了>を跳ね飛ばすんだから、大したものだよ」
そしてサナギは満面の笑みで、
「実に愛されているじゃないか」
一瞬、ぽかんと口を開けたタンジェは、サナギの顔を見た。それから黒曜の顔を見て、タンジェはそこで、黒曜がまだタンジェの手を握っていることに気付いた。おわ、と大きな声を出して、思わず手を引っ込め、それから慌ててサナギを睨む。まったく効いていないらしく、サナギは実に微笑ましそうににこにこしている。
タンジェから手を離されたタイミングで黒曜は椅子から立ち上がり、サナギにそれを譲った。サナギはタンジェの包帯の交換を始め、タンジェもサナギの指示にしぶしぶ従う。
「じゃあ、アノニムはどうなんだよ」
「実は……よく分からないんだよね。最低限のことしか聞いていないんだ」
「最低限のこと?」
サナギはアノニムから伝え聞いたことを、タンジェに改めて話した。
昨日の夕方にアノニムが意識のないタンジェと黒曜、そしてパーシィをたった一人で抱えて連れて帰ってきたこと。アノニムによれば、ハンプティは逃がしたが、それで正気を取り戻したパーシィがなんとかタンジェの傷を癒して命を繋ぎとめた。が、そのパーシィのほうも燃料切れだ。タンジェの傷を完治させることはできないままぶっ倒れ、今も昏睡しているということ……。
「だから俺がこんな医者の真似事をしているわけだ」
サナギはタンジェに残る傷を丁寧に消毒しながら笑った。塞がり切っていない傷口にしみてびりびりと痛む。痛みなんか耐えられるが、それよりタンジェは病院とか医者の類が嫌いであるから、正直、よい心地ではなかった。しかし黒曜がずっと傍らで眺めているので、好き嫌いで駄々を捏ねるみたいな文句は到底言えない。仕方なく気を紛らわそうと、タンジェは口を開いた。
「俺が生きてるのはパーシィのおかげだろうな。パーシィは大丈夫なのか?」
「ぜんぜん問題ないよ。ただのエネルギー切れ。休めば自然に回復するよ。それより自分の心配をしたほうがいい」
とはいえきみも元気そうだけれどね、とサナギは言った。
「本当にタフだね。こんなタフな盗賊役、他ではちょっとお目にかかれないな」
「ま、それが取り柄みてえなもんだからな」
だから黒曜も、そんな心配そうな顔をするんじゃねえよ、と思う。別に怪我なんか治るのだ。
それに今回のことはいい経験になった。子供相手にも油断しては駄目だ。パーシィにだって察知できない危険はある。悪魔はクソ。短距離と遠距離の波状攻撃はめちゃくちゃ強い。
それから、諦めることはやっぱり最悪の選択だ。
のちにサナギがこう言って笑う。「きみは不退転の男だね」、と。
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