カンテラテンカ

花通りの戦い 4

 人間相手だったら棍棒はきっと骨を粉々に砕き、肉をひしゃげさせただろう。しかし見た目はガキでもさすがは悪魔といったところか、ハンプティは勢いよくゴムまりみたいに跳ねて階段を転げ落ちてきただけで、意識も失ってはいなかった。
 だがハンプティが階段を落ちている間、俺は迷わず娼婦の手からカミソリを叩き落とし、足を払って床に倒した。ハンプティが階段の下で顔を上げるまで実に十数秒、俺はあっという間に娼婦全員のカミソリを奪い遠くに捨て、突っ立つ娼婦を全員組み伏せていた。
「――やっ、てくれたね……!」
 ハンプティが血反吐を吐いて心底、といった様子で苦い顔をする。
 俺は自分が遠距離攻撃ができると今まで考えたこともなかった。見世物小屋では遠距離攻撃は嫌われていたし、俺も近接戦闘しかしたことがなかった。パーシィと行動するようになってからはなおのこと、遠距離攻撃は任せっぱなしだった。
「俺は……自分で自分の可能性を狭めていたんだな」
 独り言ちた。
 ハンプティはよろよろと立ち上がり、
「アルベーヌ! アノニムを取り押さえて!」
 叫んだ。はっとした。やはりアルベーヌも<魅了>にかかって――
「え……?」
 ――いなかった。
 アルベーヌはベルギアをようやくあやし終えたところだった。戸惑った様子のアルベーヌは、俺とハンプティの顔を交互に見て、それから数歩下がった。むしろ俺から離れるように。
「なんっ……で……効かないの!?」
 駄々を捏ねるようにハンプティが怒鳴る。「そんなことを言われても」と、アルベーヌは遠慮がちに答えた。
「てめぇ、何か……まじないでも受けてるのか?」
「まじない……?」
 アルベーヌは困惑した様子で答えた。
「あたしはそんなもの受けちゃいないよ。でも、ベルギアには、落ち着いてから<祝福>をしてもらったね……」
「<祝福>?」
「あんたの仲間のあの優男にさ」
 パーシィのことだ。あいつ、あのあとベルギアに会っていたのか。
「何なんだ、<祝福>って」
「ミゼリカ教の儀式みたいなもんだよ。主に新生児にかけるもので、魔を払うって言われているんだ」
 それなら、ずっとベルギアを抱きしめていたアルベーヌが無事な理由が分かる。
「しゅ……<祝福>……?」
 ハンプティが呆然と呟いた。
「な……なんでそんなものを……? まさか、ボクの能力を警戒して……!?」
 その言葉に、アルベーヌは何を言っているんだ、という顔を向けた。
「<祝福>は健やかな成長を願うおまじないだよ。我が子のように大事な娘から産まれた子なんだ。<祝福>してもらうのは当然のことだろう?」
 分からないのだ。
 悪魔のハンプティには、分からないのだ。
 ヒトが抱く、ヒトに対するその感情が。俺ですら、少しは分かるというのに。
 もはやこれ以上、戦いを長引かせる理由はなかった。俺はハンプティまで足早に近づく。ハンプティは俺に<魅了>を使ったかもしれない。だが、それが俺の身体のコントロールを、意識を奪うより先に、俺はハンプティの横に転がっていた棍棒を拾って、ハンプティの頭を叩き割っていた。

 ハンプティの身体が靄に包まれて、徐々に縮んでいく。靄が晴れたとき、そこには、一匹のコウモリがいた。
 これが――ハンプティの、本当の姿、か?
 コウモリは動かない。死んでいる。

「や……やったのかい……?」
 アルベーヌが尋ねる。俺は頷いた。
「ああ」
「よ、よかった……ああ、よかった……!」
 アルベーヌがその場にへなへなとへたり込む。
「おい。これから教会に移動だ。そんなところで腰抜かしてんじゃねえ」
「……誰も傷つかずに済んだ。本当によかった……! でも、あの子にはなんだか、可哀想なことをしたね」
 アルベーヌが床に落ちたコウモリに同情的な顔を向けるので、俺は呆れてしまった。
「娼婦たちを人質に取ったのを見ただろうが」
「何も知らないという感じだったじゃないか……。生まれ変わったら、今度は仲良くなりたいもんだね」
 生まれ変わりなんざあるものか。死んだら終わりだ。
 周りの娼婦たちが意識を取り戻して身を起こし始める。何が起きたか分からない、という様子の娼婦たちに説明を――するのは、アルベーヌに任せた。
 アルベーヌに抱きしめられたベルギアは、さっきまでの泣き声はどこへやら、もう機嫌を直して笑っている。
 エリゼリカの遺した誇りが、俺の守りたかったものが、<祝福>を受けて、笑っている。

【花通りの戦い 了】
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