密やかなる羊たちの聖餐 7
順番に入浴を終えて団らんの時間になると、俺はようやく一息ついた。修道院側に用意された寝間着はローブと同じく、修道士全員が同じものである。袖を通して適当に廊下をふらついていると、サナギに出会った。
「お疲れさま」
「ああ……」
「話題になっていたよ。新人は草刈りの達人だってね」
くすくす笑うサナギ。
「そんな噂話みたいなことをすんのか、ここの修道士も」
「中身は人間だからね」
中身は人間、か。俺は昼から今までここで過ごしてみて、得た感想が「牢獄」だというのに、望んでここに来て、この生活を受け入れている人間がこんなに大勢いる……。そしてその「人間」どもの中に、人を死に至らしめる麻薬を取引している外道がいる、かもしれない。
誰が灯したのか、廊下の燭台にあるろうそくの火がゆらめく。廊下は人通りがない。
「何か手がかりはあったか?」
俺が尋ねると、サナギは壁を背に寄りかかって、腕を組んだ。
「使徒職で、ハーブ園に行ったんだよ」
「ハーブ園?」
「うん。そこではいろんな植物が栽培されていて……その中に確かに中毒を引き起こす植物はあったよ」
「なんだと!」
俺は色めき立った。
「それじゃあ……!」
「結論を急いじゃだめ。それらの植物は、どれも薬効ハーブとしてベルティア修道院に認可されているものばかりだ。毒性があるだけあって、採取もかなり厳しくチェックされている。引き続きハーブ園は調査するけど……たぶん本命は表にはない。あのハーブ園にある植物は、どれも健全すぎるよ」
「毒性があるのにか?」
「健全な毒性だよ」
「健全な毒性ってなんだよ」
とにかくさ、とサナギが言う。
「きみは中庭のほうだよね? もしかしたらそっちに麻薬植物が生えてたりするかも」
「見た感じはただの野菜畑だったが……まあ、雑草に見せかけて栽培とか、ありえなくはねえか」
「あはは、だとしたらきみが刈りつくしたわけだけどね」
……さすがに、誰にでも刈れるような場所で栽培してるってことはないだろう。が、確かに、雑草の中にはあまり田舎では見ないタイプの草もあった。
たぶん気候の違いとかで、俺の故郷とは違う雑草が生えるんだろうくらいにしか思わなかったが、今後は雑草も注意深く見るべきだろう。
「明日はもう少し気を付けて見てみる。だが、俺には麻薬植物なんざ、見ても分からねえぞ?」
「来るときに挿絵を見せながら説明したじゃないか」
そういえば、確かに。
「うっすら覚えてんな……」
「まあいいさ、見るのは植物じゃなくて、人さ。もし使徒職の間にこっそり採取してるなら、絶対動きは不審だ」
「……なるほどな」
外回りの仕事を選ぶやつは少ないと聞いた。それでもなお畑仕事を選ぶやつは、俺のような体力馬鹿か、田舎で畑仕事を生業としていたか……いろいろ考えられるが、あるいは何かしらの目的があるのかもしれない。
「チッ、今日の使徒職でよく観察しときゃよかったぜ」
「まだ初日だ、そんなに逸ることはないさ。それにもし、本当に中庭に麻薬植物があるなら……きみが雑草を刈りつくしたのを見て犯人は焦るだろうし、妙な動きをするかもしれないよ」
「そうか……確かに、そうかもしれねえ」
俺は頷いた。確かに、焦るべきは俺じゃねえ、犯人のほうだ。
そこまで会話したところで急に人の気配がして、その一瞬後には「おーい!」と、ドートが俺とサナギの会話に割り込んできていた。聞かれたか? 俺はひやりとしたが、ドートは特に今までと変わりない様子だった。
「何の話してたんだ?」
「初日の感想をお互いに語り合ってたんだ」
サナギが肩を竦めた。
「タンジェが雑草刈りで噂になっていたし」
「あ! 俺もさっき聞いた。みんな褒めてたよ」
「……」
いよいよ言われすぎて面倒くさくなってきたところで、ふと閃いてドートに尋ねてみた。
「俺を疎ましく思っているやつはいねえのか?」
「疎ましく? なんで?」
「修道士どもが数日かける仕事を、半日でやっちまったみたいだからよ」
もちろん、自意識過剰ぶりは意図したものだが、さすがに恥ずかしくなって少しだけ視線を逸らした。
「うーん……? 別に、それが嫌って人はいないと思うけど」
そうか、と俺は答えた。ここで俺の所業を嫌がるやつがいれば、犯人の目星もつきやすいんじゃないかと思ったんだが……。まあ、そうなればこの話題は長く続ける必要はない。俺が話を変えようとすると、その前にドートが話題を移した。
「あ、そういえばレンヤ見なかった?」
「レンヤ? 見てねえが……」
「誰?」
「同室のメガネ」
ドートは首を傾げた。
「さっきまで談話室にいたんだけど見当たらなくてさ」
「便所じゃねえのか」
それならいいんだけど、とドートは、どこか落ち着かない様子で廊下の奥を見るなどした。
サナギが、
「その、レンヤって人に何か用なの?」
と尋ねると、ドートは、うーとかあーとか、しばらく言葉にならない声を上げていたが、急に神妙な顔になってこう言った。
「実はその……心配で」
「心配?」
「夜一人で歩くのは……危ないからさ?」
俺は訝しげな顔をしてみせた。
「何が危ねえんだよ?」
ドートは挙動不審に視線を彷徨わせたあと、俺たちにそっと耳打ちした。
「誰にも言わない?」
「何をだよ」
「これから俺が言うこと……」
「言わない、言わない」
身を乗り出したサナギが、わくわくといった様子で目を輝かせている。神妙な顔のドートを見たあとだと、話を聞く前からそれが不謹慎だということが分かった。俺が咎めようとする前に、サナギはドートを急かす。
「何かあったの?」
「それが……」
すんなりと口を開くドート。もしかしたらそもそも誰かに言いたかったのかもしれない。
「俺、数日前に階段で突き飛ばされたんだよ……!」
俺とサナギは顔を見合わせた。それからサナギが、
「誰に突き飛ばされたのかは分からないんだね?」
うん、とドートは頷く。
「でも階段から落ちたときに左腕を変についちゃったみたいで……左腕痛めちゃってさ」
「それで左腕を……。なんで体調不良なんて隠し方してんだよ」
純粋に疑問で尋ねると、ドートは「それがさあ」と俺に詰め寄る。
「俺、ウワノ修道士に言ったんだよ? 『誰かに突き飛ばされた』ってさぁ……そしたら『みんなを不安がらせるから、誰にも言ってはいけませんよ』って……だから、今日タンジェたちとウワノ修道士に居合わせたとき、すごい困ったんだよ」
ウワノ修道士って誰だ。居合わせたってことは……一番最初に俺たちを案内したあの修道士か?
「ああ、なるほどね。今は巡礼者や、外からの宿泊客はいないんだよね?」
「う、うん……」
「つまり、『きみを突き飛ばした犯人は修道士の中の誰か』」
「!」
俺とドートは同時にサナギを見た。
「そ……それは……外から人は来てないから、そうなっちゃうよね……!? なんで俺、誰に突き飛ばされたんだろ!?」
パニックになっているドートに、声がでかい、と言うと、ドートは胸の前で手を組んで何度か深呼吸しながら「神よ……!」と言った。
「心当たりはないんだね?」
「ないよ! で、でも、犯人は分からないから……! もしかしたら、悪いやつが隠れてるかもしれないし、だから夜にうろつくのはやめたほうがいいって……」
「それで、レンヤを探してたのか」
ようやくいろいろと納得がいった。
理由も動機も分からない加害……。これは手がかりの一つになる、のか? それともまったく関係のない、修道院内のいざこざか?
俺がサナギに視線を向けると、サナギもこちらを見て、また肩を竦めた。たぶん「関係があるかはまだ不明だね」ってところか。
「まあ、心配になる気持ちも分かるがよ……。レンヤを探しててめぇが一人になってちゃ意味がねえだろ」
「……」
ドートが目に見えて落ち込む。俺はため息をついた。
「仕方ねえ。俺も探してやるから、さっさと行くぞ」
ぱっと顔を上げたドートが、目を瞬かせたあと、今度はみるみるうちに明るい顔になった。
「タンジェー! ありがとう!」
ドートが俺に向かって両手を広げてハグを求めてきたが、無視した。
「サナギはどうする」
「俺は談話室とやらに行こうかな。二人とも気を付けてね」
「談話室はそこの角を曲がって、しばらく行ったところだよ! さすがに何もないとは思うけど、サナギさんも気を付けて……」
「うん。また明日ね」
立ち去るサナギを見送る。
さて、じゃあレンヤを探しに行こうかと二人で廊下を歩き出そうとすると、入れ替わるようにして、とうのレンヤが現れた。
「何をしているんだ? タンジェリンさん、ドート」
「レンヤー!」
忙しいことに、ドートは今度はレンヤに飛びつきに行った。慣れているのかレンヤは普通に受け入れて、
「なんなんだ、いったい……」
「急にいなくなるから心配したんだよー」
そうか、とレンヤが言って、「あなたも?」と、俺に顔を向けた。
「俺はたまたま居合わせただけだ」
ひらひらと手を軽く振る。
「もういいな? 俺は部屋に戻る」
「待ちたまえ、どうせ同じ部屋なんだから一緒に行こう。道中でなぜ私を探していたのか聞かせてもらう」
ドートを引きはがしたレンヤが言うので、断る理由もなく、俺はドートとレンヤと連れ立って寄宿舎に戻ることにした。
俺とサナギに事情を話したことで隠す気が失せてしまったのか、ドートは自分が何者かに突き飛ばされたこと、犯人が誰か分からないこと、犯人が誰にせよ、一人でうろつくのは危ないことを、身振り手振りを加えながらレンヤに語った。
レンヤは眼鏡をクイと上げて、なるほどな、と言った。
「そういうことなら、心配してくれてありがとう、と言うべきだろうな」
「そうだよ。レンヤ、どこ行ってたんだよー」
「私たちの部屋のろうそくが切れそうだったので、受け取りに行っていたのだ」
レンヤが懐から新品のろうそくの束を取り出した。
「気付かなかったよ。ありがとー」
「うむ」
二人の会話を聞きながら歩いていると廊下でまたサナギとばったり出会った。といっても、今回は寄宿舎の前で会ったから、たまたま部屋に戻る時間が重なったってだけだろう。
サナギは俺の知らない修道士と一緒にいた。痩せぎすの、茶髪の修道士だ。
「やあタンジェ、よく会うね」
「おう」
サナギはレンヤのほうを見て、愛想よく笑った。
「きみがレンヤ? 怪我もなく見つかったようでよかったよ」
「あなたは……確か、サナギさんか。昼食のときに紹介されていたな」
二人は握手している。サナギの横にいた茶髪の修道士が、それをじっと見つめている。
「彼は、俺と使徒職で一緒のヤン」
「あ、あ、や、や、ヤンです……。よ、よ、よ、よろし……」
ヤンとやらは、何度か言葉に詰まりながら、なんとか自己紹介した。それだけで分かる。ドートとは違う意味で、苦手なタイプだ。
「ああ。それじゃあ、俺はもう寝るからよ。サナギもさっさと寝ろよ……」
俺はわざと素っ気なく言って、B棟への入り口へ向かっていった。ドートが慌てて、「じゃあね!」とサナギとヤンにあいさつして、俺を追ってくる。
部屋に入ると、少し遅れてレンヤが入ってきた。クーシンはすでに部屋にいて、備え付けの机でクッキーを食べている。
「あ、おかえり」
「ああ。ろうそく、もらってきたぞ」
「ありがとう」
燭台には溶けてなくなりそうなろうそくが立っていた。これを見てレンヤはろうそくを取りに行ったのか。
それはそれとして、俺はさっさと寝たい。二段ベッドが二つあって……そこで、俺はレンヤたちのほうを振り向いた。
「俺のベッドはどれだ?」
「ああ……」
昼間にドートが顔を出したベッドでないことは分かるのだが、あと候補が三つある。レンヤは向かって右側のベッドの上を指さした。
「そっちの上が空きベッドだ」
「上か……」
特に理由はないが、なんとなく下がよかった。まあ仕方がないか。大したことじゃない。
簡素なはしごを上って、布団に潜り込む。使われていないだろうにも関わらず、布団は太陽のにおいがした。
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