ミラー・イン・ザ・ボックス 8
実際にヤイ村に着くと、そのありさまに、思わず俺は黙り込む。
「……」
ヤイ村は、まだ建物がくすぶるように燃えていて、周囲が煙たい。血は乾いてどす黒く、地面とわずかに残った家屋の塀を染めている。
俺は動揺を努めて隠した。こんなことで心が乱れるような、ヤワな精神の男だと思われたくない。
みんな一様に渋面を作ったりしていたが、黒曜だけは顔色一つ変えず無表情で村を見つめている。
黒曜の、鋼のような、冷静沈着な歪まない姿勢を、戦闘の基礎訓練を引き受けられた日から半年間見てきた。何事にも心が動かされないさまを、俺は、そうなりたい、という憧憬があるような、だが、そうはなりたくない、という軽蔑があるような、妙な気持ちで眺めている。
「見ろよ」
アノニムがヤイ村の入り口で何かを見つけたらしい。
ゴブリンの首だった。
ひしゃげた頭の、苦痛の表情で死んだゴブリン。
アノニムはそのゴブリンを、無造作に掴み上げてじろじろ見て、こう言った。
「こいつが原因みてえだな」
「どういうことだよ?」
俺が思わず尋ねると、アノニムは鼻で笑った。
「このゴブリンの頭を、村の入り口に掲げてたに違いねえ。妖魔除けだよ」
「妖魔除け!?」
声を上げたのはパーシィだった。
「む、むごいことするな……」
「昔俺がいた見世物小屋でも、妖魔除けに同属の死体をぶら下げて歩いたことがある」
気分が悪くなるような話だが、分からないこともない。カラスの死体を置いておくと、カラスは畑に近づかなくなるのだ。俺の村ではあまり好まれない手段だったが。
「ところが生き残っていたゴブリンどもはこれを見て逆にキレて、村との全面戦闘になった……ってとこじゃねえか」
サナギが「やるねえ、アノニム」と感嘆した。
「参謀としての意見は?」
「否定する材料はないね。アノニムの見解どおりと見ていいと思うよ」
確かに筋は通っているように思う。俺たちが討伐したゴブリンは、あれで全部ってわけではなかったのだ。
当然ながら、ゴブリンがやる気で村に迫ったなら、村人たちが敵う道理はない。あっという間に全滅しただろう。
黒曜は無表情で立っていたが、
「入り口の外で村を見張る」
そう淡々と告げた。
「その前に、村のコンディションを確認する」
全員が頷く。
入り口から中に入るとますます煙くて、人の死体の焼けるにおいまで近くなり、思わず苦い顔になった。
子供を庇ったのだろう、子供と大人が折り重なって死んでいる。どちらももう柔らかいところはすでに獣に食い荒らされて、原形をほとんど留めていない。
俺は大きくため息をついた。思わず息を止めていたのだった。だが、深呼吸できるような状況ではない。
「あ、何か持っている」
横に来たパーシィが、驚くほど無遠慮に死体の握りこぶしから何かを引っこ抜いた。
「ロザリオだ……」
煤けた十字架だ。この嫌な村にも信心深い者はいたらしい。
「祈りも虚しく、ってわけだ」
考えるより先に口に出た。パーシィは、
「いくら祈ったって、主なる神が、こんな有象無象に構うわけないじゃないか」
と、あっけらかんと笑った。
俺の顔のほうが歪んだ。元より理解できる気でいるわけじゃないが、さすがにこいつのこういうところはどうなってるんだと思う。
「まあ、一応預かっておくか」
「預かってどうすんだよ?」
「銀ならそれなりの値段になるかもしれないし……」
売る気だ。ロザリオを。
引いている俺の表情に気付いているのかいないのか、パーシィはさらに死体をまさぐった。特に何もないと分かると、祈るような仕草をして、さっさと立ち去る。あいつ、本当に聖職者かよ。
「気持ちは分かるけどね」
まるで俺の心の声を聞いたみたいなタイミングで声がかかったので、俺は背中がひやりとした。振り返るとサナギが突っ立っている。
「ゴースト討伐、つまり戦闘を依頼された以上、現場保存する意義も薄いよ。もらえるものはもらっておいていいと思うね」
そこまでがめつくねえよ、と言ったら、君のそういうところはあまり盗賊に向いてないかもね、とサナギ。
「はあ?」
「お金とかに関して興味が薄いというか、物欲がないというか」
「金は欲しいぜ」
正直に答えると、サナギはからからと笑った。
笑っている間にサナギは焼け落ちた廃屋に歩いていく。足元が悪いらしく、よろけている。
「ほら、ここ、キャビネットが少し残っているよ」
俺はしぶしぶ、立ち上がってそちらに行った。確かに焼け残ったキャビネットの最下段があった。鍵穴がついている。引き出しを引こうとしたが、鍵がかかっているらしく開かない。
「開けてみてよ」
サナギの要求に、俺は思わず渋い顔をした。理由は火事場泥棒だから……ではなく、娘さんから預かった小箱が開けられずにいることを思い出したからだ。
正直、ほんの少し自信喪失しているが、ここでやらねば盗賊役ではない。
俺はキャビネットの前に座り込み、開錠道具を取り出した。
横目でサナギを見ると、期待に満ちた顔をしている。緊張するたちではないが、あまりじろじろ見ないでほしい。
「見てんじゃねえよ」
「照れなくてもいいじゃないか」
「……」
もういい、と言って、俺は開錠器具を鍵穴に差し込み、慎重に動かした。家庭用だからだろう、俺の知っている中でもかなり簡単な鍵だとすぐに分かった。
手応え。鍵はすんなり開いた。
俺が顔を上げて引き出しを引くと、サナギが小さく拍手をする。
「やめやがれ」
鬱陶しく思い俺が顔を顰めると、素直じゃないね、とサナギが言った。
引き出しの中を二人で覗き込むと、中には小箱がいくつかと仕立てのいい衣類がある。小箱の一つを持ち上げ開いてみると、中身は指輪だった。なるほど、貴重品の類が入っている引き出しということだろう。
「ちょっとは報酬の足しになるかもねえ」
俺の手元を覗き込んだサナギが、そう言いながら箱のひとつを手に取る。開けようとしたが、
「……あれ?」
開かないらしい。
「鍵穴は……なさそうだけどな?」
繊細な、独特の彫刻が施された小箱。鍵穴も錠前もないそれを、サナギは振ったり逆さにしたりして、首を傾げている。
俺はそれを見てすぐにぴんときた。
秘密箱だ。鍵はない。からくり仕掛けでできている。
秘密箱は木工を営む村ではよく作られているもので、俺の暮らしていたペケニヨ村にも年老いた職人がいた。
「秘密箱だ、それは」
サナギに声をかけると、
「これが秘密箱かぁ! からくり仕掛けでできた宝箱だよね?」
と、秘密箱をはしゃいだ様子で見つめた。
「さすが盗賊役だね。見れば分かるものかい?」
「盗賊役だからとかじゃねえ。俺の村でも作ってたから知ってるだけだ。ガキの頃、俺も持っていたからな……仕組みはだいたい分かる。そいつは、たぶん側面を横にスライドさせれば最初の仕掛けが外れる」
「なるほどなぁ」
言いながらサナギが俺の言葉通りに側面を横へ滑らせると、箱を構成していた木のうちの一本がすらりと動いた。サナギの目がますます輝く。
「これは面白い! 待って、次はヒントを言わないで。俺が解くよ」
「……」
俺はそれを見ていて、突然、そんな馬鹿な、と思った。
いや、サナギの持っている、煤けた秘密箱が動いたことに対してではない。それはそう開くものだと俺は分かっていた。
問題は――そう、問題は、いや、そんなまさか。
娘さんから預けられたあの小箱が、秘密箱だったなんてことは。
あの小箱には、秘密箱によく見られる寄木細工の模様がなかった。木の継ぎ目もないほど……きれいに磨かれて……いて……。
俺はまた、心臓が熱くなるのを感じた。これは、期待と高揚だ。いてもたってもいられない気持ちになる。ああ、こんなことなら持ってくりゃよかった! どうしたって依頼の途中で抜けられるわけはない。
娘さんから受け取ったあの小箱が、実は秘密箱だった、という可能性を、試したい気持ちでいっぱいのまま、日は落ちていった。