カーテンコール 6
「手紙は届けられなかった」
ぽつりとバレンが言った。
「その依頼を受けた冒険者たちは、手紙なんぞオーガが読めるわけがないと決めつけ、自己判断でオーガたちの討伐を決め、私の仲間たちを惨殺したのだ」
「……! そしてそれが、オーガどもがペケニヨ村を襲うきっかけになった……そうだな?」
「ああ、そうだ。生き残ったうち、事情をよく知らない集落の若い衆は、そいつらがペケニヨ村からの依頼で来た冒険者だと分かると、たちまち激昂してペケニヨ村を襲いに行った。止める間もなかった……それでも『悲願の子』を殺さない理性は残っていたようだが。……そのときにペケニヨ村を襲ったやつらは、もうここにはおらん。別の集落を作って、そちらで暮らしている」
バレンの巨大な手が握られた。
「お前にはもう承知のとおり、我らの集落の族長筋は多少なりとも共通語が読める。手紙が無事に届けられたなら、我々とペケニヨ村は、良好とはいかずとも、不可侵のまま共存ができたかもしれん」
「……」
タンジェは日記を見下ろした。手紙を託す旨を書いたところで終わった、母の日記を。彼女は手紙を託した安心と希望で、この日は眠っただろうか?
「おふくろ……」
どんな気持ちで死んでいったのだろう。父オーレンと母アマンダは。
タンジェの内心でくすぶっていた火がにわかに火種を放り込まれて、めらめらと燃え上がる。沸き立つ復讐心を、だが、オーガに向けるべきか、それともあるいは、
「その冒険者ってやつらは……、どんな連中だった? 名前や顔は分かるのか」
「タンジェリン。気持ちは分かる。私もそいつらに仲間を殺された」
だが、知っても詮無いことだ、とバレンは言った。
「詮無いなんてことねえだろ! 親父とおふくろの手紙を……ッ」
一瞬、息が詰まり、だがタンジェは最後まで言い切った。
「握り潰すような奴らなんだろうがっ!! 我慢ならねえ! そいつらが元凶じゃねえかっ!」
「落ち着け、タンジェ」
急にごく冷静なトーンの共通語が聞こえて、タンジェの意識が逸れる。この場でタンジェ以外に共通語を話すのは黒曜しかいない。
「っ黒曜」
「事情はあとで聞く。だから今は冷静に、情報を収集しろ」
「……っ、ああ」
やはり、黒曜がいてくれてよかった。タンジェはまた、ゆるゆると木に座った。
タンジェが落ち着いたことを確認してから、バレンはこう告げた。
「どうしようもないのだ。やつらはとっくに殺されている」
「な……」
意気込んでいただけに、タンジェは言葉を失った。
「――なんで死んだ? 誰に殺された!?」
バレンはため息をついた。
「ラヒズ様によってだよ。ラヒズ様の封印を解いたとき、我々は願いを聞いてもらった。私たち族長筋側のオーガたちはタンジェリンの行方を知りたがったが、若い衆はその冒険者どもの死を願った」
「……」
「丁寧なことに、ラヒズ様は両方の願いを叶えたのだ。冒険者たちの首を持ってきたよ」
「ぐ……」
先を越されていた。
そして、そのラヒズを倒したのは誰でもない、タンジェ自身なのだ。
すでに決着はついている。
「……くそっ!」
タンジェは地面に拳を叩きつけた。
「……」
バレンはしばらくそんなタンジェの様子を眺めていたが、一つため息をつき、
「だが、よかったと思うよ」
「あ……?」
「タンジェリン。お前に同族殺しをさせたくはなかった」
「ああ?」
大真面目の声色のバレンに、タンジェは眉を上げた。
「あのなあ。俺はもう吹っ切れてるんだよ。俺はオーガで、冒険者どもは人間だろ?」
「お前は人の子だよ、タンジェリン」
と、バレンは静かに言った。
タンジェはしばし黙り、バレンのその言葉をゆっくりと、噛み締めるように腹の底に沈めた。
タンジェは今度はきちんと目的をもって冷静に立ち上がった。つまり、話は終わって、ここから立ち去るために。
思うところがないではなかったが、結果として、ここにきてよかったと言える。共通の敵の存在があって、だがそれにももうすでに決着がついていたことが知れた。
そして、タンジェの中で少しずつ、オーガが復讐の対象から外れかけていた――もちろん、物理的に両親や村の人々を殺したのがオーガたちであることを忘れてはいない。
ただ、分かった。人間が犯罪を犯したとて、すべての人間が悪ではないように、オーガの中にも善悪があり、叔父とこの集落に暮らす僅かなオーガたちは、タンジェの敵ではない。
タンジェは今、このプロポント山を探し回ってペケニヨ村を襲ったオーガたちの集落を見つけ次第、オーガたちを殺すことができる。でもそれは、もうあまり意味のないことのようにすら思われた。燃え上がったり萎えたり、忙しい復讐心だ。だが、両親がオーガとの共存を望んだのなら、それを蹴ったのがオーガたちの意思ではないのなら、オーガたちの生き死にをどうにかするのは、きっとタンジェの役目ではないのだろう。
タンジェは口端を歪めた。
「せいぜい人間に狩られるなよ――バレン」
「……ああ。タンジェリン。そちらも健勝で」
頷き、黒曜のほうを見て「行こうぜ」と告げた。オーガの言葉と共通語を意図して使い分けてはいないのだが、対面する相手でどうやら自然に切り替えているらしい。自分のことなのにらしい、というのは何とも歯がゆいが……。話が終わったことを察していたのか、黒曜は浅く首肯した。
母の日記は持っていくといい、と、バレンは言ってくれた。タンジェは荷物の中にしっかりと入れたことを確認して、その場を立ち去る。
バレンたちはタンジェと黒曜の気配がなくなるまで、長く二人を見送っていた。