カンテラテンカ

creepy sleepy 1

「いってぇ!」
 俺――タンジェリン・タンゴ――は思わず悲鳴を上げて悶絶した。右手で上げ下げしていたダンベルが、目測を誤って膝に直撃したのだ。
「くそ!」
 ダンベルをいったん置いて膝を確認する。動くし骨に影響もないだろう。しばらく痛みがあったが、それも大して長く続かず引いていった。
 慣れた筋トレで今さら怪我をするなんざ笑えない。だが考え事をしながらダンベルを惰性で上げ下げしていた自分が悪いのだ。
 その考え事というのが、本当にくだらなくて大したものじゃないという事実が自己嫌悪に拍車をかけた。
 黒曜のことだ。
 黒曜がどう、というわけじゃない。ただ黒曜のことをぼんやり考えていた。
 どうすればあんなフウになれるのか。どうしてあんなフウになったのか。
 黒曜の人格形成に影響を与えたであろう黒曜の過去のことは、何も知らない。家族構成すら分からないのだ。
 だいたい黒曜のことをいくら考えたって、それで俺が黒曜のようになれるわけじゃない。考えたところで不毛なことだ。ましてや筋トレ中に思考を巡らすようなことではない。なのに何故、わざわざ? ……その理由を答えられない自分がいる。

 俺は筋トレを切り上げて、気分転換に飲み物でも取ってくることにした。
 階下に下りると、朝早くに出かけた黒曜が戻ってきている。黒曜を見ても、改めて何かマイナスな、あるいはプラスな気持ちが湧くわけではないし、遭遇を回避したいという思いもない。そもそも俺が筋トレをしていたのは、黒曜待ちの時間潰しだった。黒曜が出かけていたので戦闘訓練が延期になっていたのだ。
「なんだよ黒曜、戻ってたなら声を……」
 かけろよ、と言いかけたが、黒曜がじっと俺を眺めるので、思わず黙る。黒曜はほんの僅か目を細めて、二度まばたきし、それからごく平坦な声色で「今戻ったばかりだ」と言った。
「……そうかよ。何してたか知らねえが……戦闘訓練は休んでからにするか?」
「問題はないが、悪天候だな」
 俺はその言葉で初めて雪が降っていることに気付いた。結構な本降りだ。部屋での筋トレ中もカーテンは開けていたのに、まるで気が付かなかった。
「……じゃあ、今日は勉強会か?」
 俺は少しがっかりした。身体を動かすほうが好きだ。
「そうなるな。ついてこい」
 黒曜は言って、すたすたと上階へ歩いていく。俺は言われるままについていった。黒曜の行き先は彼の自室で、俺は入るのは初めてだ。座学は食堂のテーブル席ですることが多い。
 黒曜は腰に提げていた青龍刀を下ろして椅子に立てかけた。ベッドと机と椅子以外に何も余計なものがない黒曜の部屋は、男が二人立つスペースは充分ある。
「今回は人体急所について学んでいく」
 黒曜は言った。
「前にも勉強したじゃねえか?」
 戦闘訓練が始まってわりと早い段階で学んだと記憶している。
「復習も兼ねるが……今日は実際に、触れていく。お前はそのほうが覚えが良さそうだからな」
 なるほど。以前学んだときは解剖学だかなんだかの本を使った完全な座学だったが、正直あまり頭に入ってこなかった。実際に急所の位置に触れていくのは大事かもしれない。
「人体急所は複数あるが、シンプルにいこう。まずは心臓」
 黒曜は俺の胸に手のひらを置いた。
 ……お前が俺の急所に触るのかよ!
 黒曜には殺気も敵意もなく、手のひらからは大して温度も感じなかったが、ただその手を心臓に添えられた、というだけで、俺はひやりとする。心臓が急に跳ねるように脈打った。緊張、だ。黒曜に俺を害する気はないだろうとはいえ、今の俺は急所を掌握されている。
「鼓動が早くなったな」
 黒曜は言った。
「正しい反応だ。恥じることはない」
「……はっ……。そうかよ……」
 緊張をフォローされたのだろう。恥じることはないとは言うものの、落ち着かない気持ちを見透かされるのは若干恥ずかしい。
「心臓は胸骨で守られている。狙うなら胸骨の間を通して刺せばいい」
 黒曜の手は胸から腹へ。
「次はみぞおち」
「あ、ああ」
「ここに衝撃を受けると呼吸困難に陥る。打撃でも有効な急所だな」
 不快というわけではないのだが、ぞわぞわする感覚がある。無防備に他人に急所を晒しているのだから落ち着かないのは当たり前だ。黒曜の手は腹からさらに下に、
「次は金的……」
「わーッ!! 待て、待ておいッ!!」
 デカい声で黒曜を止める。黒曜は無表情で俺を見た。
「さ、触んじゃねえッ!! そこは……言葉だけで分かるッ!」
「そうか」
 あまりの冷めっぷりに俺の感覚のほうが間違っているんじゃないかと錯覚しそうだ。いや、しっかりしろ、俺。こればかりはさすがに黒曜が悪い。
 黒曜は特に気にした様子もなく次の急所へ手を動かす。変な意識の仕方をしたせいか、胴体の一通りの急所を確認し直したあと、頭部の急所に触れられる頃には早く終わってくれ、とすら思っていた。

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