creepy sleepy 6
気付けば、知らない場所に立っていた。
雨が降っている。見たこともない造りの家が立ち並ぶ、見知らぬ町。
夢の中だというのに、タンジェの身体が雨に濡れて、たちまち前髪の先が雫を落とした。その雫の先に、獣人が一人、死んでいた。
いや、死んでいた、のではない。殺されていたのだ。人間の男に。
絶命した獣人の顔にナイフが添えられて、ゆっくりと、丁寧に、男が獣人の瞳を抉り出す。
抉り出された目玉を容器に入れてニヤニヤと笑う男。嫌悪を覚えたタンジェは瞬間、カッとなり、
「何してやがる!」
向かっていった。思いきり顔面をぶん殴ってやろうとしたが、タンジェの拳は男をすり抜けた。
「お前こそ何をしている」
と、急に背後から声がかかった。うお、と思わず声を上げて振り返ると黒曜が突っ立っていて、いつも通りの無表情でこちらを見ていた。
「……よ、よお」
勝手に夢の中に入った手前、妙に気まずく、タンジェは片手を挙げた。黒曜は応じなかったが、タンジェとしても別に返事を求めてした言動ではない。
「その……邪魔してるぜ」
干渉すらできないらしい相手に殴りかかったのを見られたことも、気まずさに拍車をかけた。
勝手に他人の夢に入ってきたタンジェはまるきり悪趣味だ。黒曜にとってこの夢がどういう意味を持っているのかは知らない。だがタンジェに夢を見られているなんて不愉快でしかないだろう。この夢からは早めに立ち去るべきだ。
夢から脱しようとしたところで、戻り方が分からないことに気付いた。が、サナギの夢から出たときは物理的な衝撃を使って、ともに目覚めたのだ。黒曜も頭突きで目を覚まさせてやればいいだろう。そうなればとさっそく黒曜に近づこうとすると、
「宝石眼――こいつは高く売れるぞ」
はっとして獣人を殺していた男に視線を移す。獣人の目玉を持って卑しく笑う様子が見えた。
よくよく見回してみれば、殺されているのはその獣人だけではない。周囲には目玉が抉られた獣人が老若男女問わず転がっていて、この男とあるいはその仲間たちが、目玉を目的にして獣人たちを殺戮したことが見て分かった。
――宝石眼はとっくの昔に狩り尽くされて、生き残りはおらんって話ですぜ。
――東の町にごく少数いた民族がもつ、稀少な魔眼だよ。宝石眼の目玉は魔術的価値もあれば金銭的価値も高い。
――その眼はこの世のものとは思えぬほど美しくまばゆく輝く、名の通りの"珠玉"なのだ! 世のコレクターなら、喉から手が出るほど欲しい代物よ。
宝石眼。東の町の民族。殺された獣人。宝石眼を抉りだす男。
いや、こんな映像だけでは、理解には遠い。だがタンジェは再び黒曜を振り向いて、
「なんで止めねえ!」
「……止める?」
黒曜はごく平静な声で言って、無表情のままほんの僅かに首を傾けた。
「これは夢だ。無意味だろう」
「あぁ? 無意味なんてことねえだろ!」
と言って返したものの、言われてみれば夢で何を為したところで確かに無意味かもしれない。それでもタンジェは、両親のふりをしたオーガを叩き斬ったのだ。現実に何が反映されなくても、こんな有様をぼんやり見ているよりはマシだろう!
「夢だから大人しく見てるのかよ。そんなのは俺はごめんだぜ」
「……」
もちろん、タンジェがこの夢に干渉できないらしいことを忘れてはいない。できることは何もない。分かっていても、殺戮を前にして黙っていることはできなかった。故郷がオーガに蹂躙されたとき、何もできなかった自分を悔いて、だからタンジェは冒険者になったのだ。あの悔いに類するこの感情を、他人の夢だとて、無視したら、冒険者になった意味がない。
応じない黒曜に見切りをつけ、タンジェはまた男に向かって拳を振り上げた。しかし、その拳が男に突き刺さる――ことは、どちらにせよなかっただろうが――その前に、まるで劇のように場面が暗転する。
建物の中らしい。緑の髪の双子と黒い髪の男がいて、これはすぐに緑玉とその姉翠玉、そして黒曜だと知れた。彼らの姿は今のそれより幼く、あるいは若い。
翠玉が黒曜に何かを告げている。共通語ではない言語らしく意味はまったく分からない。だがタンジェは、黒曜にとってプライベートであろうこの夢において、言葉が分からないことはせめてもの救いであるように感じられた。緑玉は入口を見ていて、それから振り返って、翠玉と黒曜に何事か告げた。黒曜たちは外の様子を窺い、そのまま、静かに裏口から出て行った――。
タンジェは思ったまま、改めて尋ねた。
「てめぇの……昔のことか?」
黒曜は浅く首肯した。
「故郷の町が襲われたのか? 人間に。宝石眼、ってやつだからか?」
黒曜の石の瞳がタンジェを見た。肯定とも否定ともとれない、意図も感情も分からない無表情。
タンジェはそれを勝手に肯定だと受け取った。やがて、この鉄のような男の過去にある、彼の同胞たちの死にざまが、ゆっくりと腹に沈んでいく。黒曜はあの<罪の鏡>で、故郷の村人の血にまみれたタンジェを見たとき、何を思ったのだろうか?
答えなんか分かるはずもない。
暗転。これも知らない場所だが、どこかの屋敷の中らしい。黒衣だというのにそうと分かるほど血まみれの黒曜。その横に、翠玉が静かに佇んでいた。
黒曜たちは身を隠すように屋敷の中を横断し、液体を撒いている。窓から見える外は暗く、屋敷の中もかなり暗いが、夢の中だからなのか、タンジェにも黒曜たちの様子は見える。明かりもつけずにたっぷりの液体を屋敷中に撒いた黒曜は、懐から取り出したマッチを擦り火をつけると、それを無造作に床に放った。液体に飛び込んだマッチの火は、しかして消えず、ごおっと音を立てて燃え上がる。
火が床の液体を舐めるように走り、たちまち屋敷は炎に包まれた。
黒曜と翠玉は素早く移動し、ある部屋に飛び込むと、数分もしないうちに中から粗末な服を着た緑玉を連れて出てきた。それから3人は裏口らしい扉から去っていく。さっき緑玉と翠玉は黒曜と一緒に逃げていたはずだ。そのあとにはぐれてここに緑玉が閉じ込められていたのだとすれば、過酷な逃走だったのだろう。
ごうごうと燃える炎はまったく衰えず、タンジェの手元をオレンジ色にぎらぎらと煌めかせた。夜だろうに明らんだ屋敷の中に、徐々に異変を感じ取った人々の悲鳴、怒号、叫び声が響く。
暗転する。
見知らぬ町並みに戻ってくる。往来する人々はみんな獣人らしい。獣人の町――。
だが雨ではない。曇り空の下。黒曜が現れる。黒曜は、傷を負った人間を数人運び込んでいる。どうやらこの町で療養させるつもりらしいことが、黒曜や周囲の者たちの仕草で分かる。
暗転。傷を負っていた男たちはすっかり回復して、町を出たようだ。
また暗転。雨。人間たちの襲撃。黒曜に復讐され、惨殺されたあの男もその中にいる。不意打ちで獣人を殺した。人間の群れに殺されていく獣人たち。やがてナイフは死んだ獣人の目を抉り――。
繰り返している。
黒曜は、夢の中でこれをずっと、繰り返しているのだ。
「宝石眼は」
と、黒曜は言った。
「普段は隠蔽魔法で隠している」
「……」
タンジェは黒曜の目を見た。石のような瞳が見返してくるだけだったが、魔眼に言及した直後にその目を凝視するのは、あまり上品とは言えない所作だったかもしれない。謝罪すべきか考えているうちに、黒曜は続けた。
「俺が招き入れた手負いの冒険者は、宝石眼に気付き、のちに奴隷商を率いて町を襲撃した」
黒曜の言葉を遮ってまでの謝罪は、余計だろう。タンジェは黒曜から視線を外し、男が抉り出した獣人の目を見た。確かにそれは――宝石のごとくまばゆく輝く、うつくしい目玉だった。そうだったとて、他人の目玉なんざほしいものか。
「緑玉と翠玉と俺は生き延びたあと、別々の場所で奴隷生活をした」
タンジェと黒曜の前で、黒曜たちがまた逃げていく。そして雨の中に切り替わり、黒曜は男を殺す。屋敷に火が放たれる。
「……目を抉られていた獣人は、俺が親友と呼んだ男だ。緑玉と翠玉の義兄だ」
続けて言うことには、
「緑玉が人間を憎む気持ちは、分かってやれ」
「はあ!?」
デカい声が出た。
いや、別に否定的な意味で出た声ではない。この様子を見せられれば、緑玉が人間を嫌うのは当然だと分かる。タンジェがオーガたちに復讐を誓っているのと何が違うというのか。緑玉の人間嫌いは正当で、それは間違っちゃいない。が、違うだろ、そうじゃないだろう。
「てめぇはどうなんだよ!?」
今この光景を見せつけられているのは黒曜で。
それによって傷つき、苦しんでいる――のであればだが――のも黒曜で。
じゃあここで話題に上がるべきは、黒曜の気持ちだろう。
黒曜は無表情のまま黙り、炎の放たれた屋敷のほうをちらと見た。
それが答えだということか。つまり、翠玉と緑玉を助け、それは終わった、ということが。
自らの責で故郷が蹂躙され滅び、愛する人びとが殺され奴隷にされ――すべてを焼いたとて、黒曜はきっと空っぽなのだ。すべては燃え落ちて、それで本当に、黒曜の人生は「終わった」のだ。
黒曜は、長いエピローグを生きている。
それに対して、何を感じても、何を言っても筋違いであることは分かっている。黒曜がタンジェの言葉なんか望んでもいないことも。
それでも、言ってやらなければ気が済まないことがある。
「俺はな、黒曜……てめぇがぼんやりこれを見てるのが気に食わねえんだよ!」
黒曜はタンジェのことをごく無感動の様子で眺めている。タンジェばかりが声を荒げて馬鹿馬鹿しい。それでも火がついてカッとなった頭は、黒曜に食ってかからなければ冷えそうもないのだ。
「無意味だ」
と、タンジェとは真逆に火がつきそうもない様子で、黒曜は言った。
「ああそうだろうぜ。けど、そうじゃねえよ!」
タンジェは黒曜に掴みかかった。
「起きるんだよ!」
胸ぐらを掴んで、だがタンジェのほうが背が低いので、見上げる形になる。
「てめぇは復讐をして、ケジメをつけた。だったらこんなもん見せられて、ムカつくだろうが!」
「もう、すべて終わった」
「終わってなんかいねえ!」
ほとんど割り込むようにして、タンジェは叫んだ。
「こんなふうに、悪意をもって他人を夢に引きずり込むやつがいる。なら、終わってなんかいねえんだよ!」
「誰しもに平等に与えられた加害なら、俺個人がそれに対抗する理由がない」
「俺にはあるんだ!」
こんなものを見せられたとて、黒曜の心は、動かないのかもしれない。もう終わったことで、変えられないから、黒曜は平気なのかもしれない。だが、ふざけるな、とタンジェは思う。いったい、この世の誰に、黒曜の過去を辱める権利があるだろう?
タンジェは――そこに悪意も作為もなかったとはいえ――黒曜の見る悪夢を許可を得ずに見届けてしまった。ならばタンジェにはもはや、この悪夢の元凶をぶちのめすよりほかはない。そうでなければ慙愧にたえない。悪魔だろうが邪法だろうが、絶対にぶちのめさなくてはならないのだ!
頭突きをしよう、と思った。だが頭の高さが足りない。おい、屈め、と、タンジェは黒曜に言った。
「目ェ覚ますぞ。帰るんだよ!」
「……」
黒曜が屈むことはなかった。突然の要求だったし、意図も分からないだろうから、当たり前だろう。何とか説明しようと口を開く前に、突如、ぐにゃりと世界が歪んだ。今までの暗転とは、違う。
黒曜がふいと空を見上げる。
この夢から醒めようとしているのだと、なんとなく分かった。サナギが術式を完成させたのだろう。
歪んだ世界にヒビが入りガシャンと割れて、地面が揺れる。割れた世界の破片が降ってきて、タンジェは咄嗟に黒曜から離れざるを得なくなる。まずは数歩離れただけだったが、地面が割れて分断され、たちまち黒曜と距離ができた。
地響きの中でも黒曜は微動だにしない。こちらに視線を戻し、何か言っているようにも見えたが、地面は砕けて距離は広がるばかり、がらがらと崩れる景色にも紛れて、全然聞こえない。
どうせ黒曜は、目覚めた途端に、この悪夢がまるでなかったかのようにふるまうのだ。タンジェはちくしょう、と思った。
こうしてまるきり黒曜の過去を見て――それでももちろん、すべてを理解したとは思わないが――黒曜の持つ虚空のような無感動の根源を知った。黒曜が過去にきっと持っていたはずのすべての感情は、この町と町の人々と、あの親友だったという獣人とともに、失われてしまったのかもしれなかった。タンジェは、たまらなくなる。同情ではない。安い共感でもない。
タンジェは黒曜に憧れていた。その憧憬は黒曜の強さにあって、だからタンジェは黒曜に戦闘を師事した。物事に動じない様子と、その強さは、復讐のために必要だと信じていた。それは間違っていない。黒曜はその冷徹さと強さをもって、復讐すべき相手を惨殺してみせた。
けれど、そんな憧れはもうやめだ。黒曜の冷徹はつまるところ無関心による虚無であって、こんな夢を見せられているというのに抵抗もせず、過去のままあるがまま流されているやつに憧れるのなんざ馬鹿らしい。
無性にムカついてきた。元より悪趣味な悪夢に腹は立っていたのだが、だんだん、無感情の様子の黒曜にも苛立ってきた。だって、タンジェが黒曜の言葉に心揺さぶられ、黒曜の過去に気持ちを乱されても、黒曜のほうにそんな気はいっさいないのだ!
――てめぇは俺は強くなれると言ったじゃねえか! ああ、強くなってやるさ。
――そしてそのときが本当に来たなら、それを見届けるのは絶対、てめぇの役目なんだよ! たとえこの憧れが死んだって!
<罪の鏡>の一件で黒曜がくれた言葉は、タンジェの心に深く残った。今朝方だってずっと黒曜のことを考えていたのだ。それで筋トレ中に怪我だってしかけた! そんなことを黒曜は知らないだろう!
タンジェはここにきてようやく一つ、確信した。トキの言っていたことは正しかった。学者というのは馬鹿にできない――場違いにそんなことを考えて、一呼吸。
「聞こえねえなら好都合だ、黒曜、てめぇに言いたいことがある」
苛立ち紛れの、ほとんど八つ当たりみたいなものだ。しかしもはや言わなければこの気持ちは収まらない。
口の動きが見えたのか、黒曜はタンジェの顔を見た。
「俺はてめぇに惚れてんだよ! 好きだ!」
叫んでやった。もっとも、向こうの声がこちらに聞こえていないのだ。この轟音の中なら、この声量とて、こちらの言葉も向こうに聞こえはしないだろう。
実際のところ、恋慕かどうかはっきりとは分からない。そういうことに縁のない生き方をしてきた。ただ、まず黒曜の技量に惚れ込んだのは間違いない。そして憧れを取っ払った先でなおタンジェは、自分が強くなる姿を見届ける者がいるならば、それは黒曜がいい、と思った。それはきっと、愛だと思った。タンジェは、黒曜がいてくれたらどこまでも強くなれると思った。
たとえ黒曜のすべてが終わっているのだとしても、そんなことはタンジェのこの情動にとって無関係なのだった。
黒曜の覚醒が近づき崩壊を始める世界で、この言葉が露と消えても、目覚めた先の現実世界ですべて忘れていても、タンジェはそれで、構わない。
こんな感情は復讐の役には立たない。むしろたぶん、邪魔だ。
だったらここに置いていこう。黒曜への苛立ちも、愛も、すべて、黒曜の過去とともに、ここに。
瓦解する世界は原形を留めず、崩落する地面から足を踏み外し、タンジェは現実世界へと落下する。
抵抗に意味はなく、その気もない。頭突きなんかしなくても、こうしていればいずれ目が覚める。
タンジェも、あるいは目覚めを望まなかったとして、――黒曜も。