カンテラテンカ

きっと失われぬもの 5

 コロッセオから出る。興奮冷めやらぬ観客が闘牛の素晴らしさについて語り合っているのが聞こえる。俺はというと、別に闘牛にも闘牛士にも感情移入はしていない。努めて冷静なふりをした。どちらも、あれが仕事だ。
 しばらく待てば殺された闘牛の肉が出るだろうが、アノニムの姿を思い出すとなんとなく食う気が失せた。
「肉が出るの?」
 まるで俺の脳内を読んだかのように、突然声がかけられた。驚いて振り向くと、緑玉が立っている。意外と肉食なんだよな、緑玉。
「肉は出るが……」
 どこから聞きつけたのか知らないが、人間嫌いで動物好きの緑玉が闘牛士に殺された闘牛の肉を喜んで食うわけはないと分かる。俺が少し口籠もると、いつの間にか横にいたアノニムが、
「敗者の肉だ」
 と端的に伝えた。
「……敗者?」
「見世物の闘いをして、負けたほうの肉だ」
「人肉なの?」
 緑玉がこういうボケをかますのは珍しいので、俺は思わず緑玉を凝視してしまった。人間の剣闘士同士の闘いだと思ったのだろう。
「いや、……闘牛っていってな。片方は牛だ」
「人間と牛が闘うってこと?」
 案の定、緑玉の綺麗な顔が歪んだ。
「そうだ。負けた牛の肉が出る」
 さっき知ったばかりだろうに、訳知り顔でアノニムが答えた。間違ってはいないので、俺はただ頷く。
「ふうん……。……これだから人間って嫌い。自然界なら勝てるはずないのに、飼い殺して挙げ句に戦闘の真似事?」
 俺にキレられてもな……。
「だが、牛はそのために育てられたんだ」
 アノニムは言った。
「そのために育てられた時点で生き残る道はねえ。戦う舞台があるだけいいじゃねえか」
「闘牛をする目的で育てる人間が悪い」
「人間が育てたのなら、人間がどうこうする権利があるだろうが」
「……生まれより育ちで人生が決まるとでも言いたいの?」
 緑玉が目を細めた。
「そうだ」
 アノニムは真っ向から頷く。
「俺は親なんざ知らねえが、星数えの夜会には家族みてぇなもんがいる」
 星数えの夜会の親父さんと娘さんのことだ。
「俺は産みの親なんかどうでもいいが……家族のためなら命を懸けられる」
 闘牛どもだってそうだ、と。
「育てた人間に晴れ舞台を見せられるだけで上等だ」
 だから俺は食う、とアノニムは言った。俺はいつの間にかアノニムの言葉に圧倒されて、瞬きもできていなかったことに気付いた。
 緑玉はしばらくアノニムを見つめていたが、やがてこう言った。
「そんなこと知ったことじゃない。俺は人間は嫌い。俺を、みんなを傷付けたから」
 今度は脳裏に、黒曜の悪夢がよぎる。人間に蹂躙された黒曜たちの故郷……そこには緑玉も、緑玉の姉翠玉もいた。
「だから、俺は食べない」
「それは勝手にしろ、自由だろ」
 分かってる、と言って、緑玉はその場を立ち去る。アノニムは振る舞われる肉を待つようだ。
 俺は逡巡したが、失せた食う気は戻っては来なかった。
 俺は無意識に緑玉を追った。背の高い緑玉の歩幅は大きい。俺に配慮もしていないので、追いつくのには小走りにならなければならなかった。
「緑玉!」
 呼び止めると、緑玉は振り返って、ぱちぱちと目を瞬かせた。
「……何?」
「いや……」
 いや、待て。なんで俺は緑玉を追った? なんで呼び止めた?
 混乱した末に出た言葉は、
「テメェは人間に復讐、しねえのか」
 だった。
「復讐は黒曜がやってくれた」
 俺は唾を飲み込んだ。
「それは……知ってる。その……ベルベルント中が眠りについたとき、俺は……黒曜の夢の中に入って……それで、見ちまった」
「……ふーん」
 興味があるのかないのか、緑玉はそっぽを向いて鼻を鳴らした。
「じゃあ分かってるでしょ。黒曜は全部やったよ。俺たちと一緒に逃げた先で、俺たちの怪我のせいで黒曜も捕まって……俺たち別々のところで奴隷になって。黒曜は関わった人間全部殺した。俺がやることはもうない。おしまい」
「黒曜が……奴隷?」
「そこは夢に出てこなかったわけ?」
 俺は頷いた。緑玉はそう、と言った。
「……黒曜も俺たちとは違う場所で……奴隷だったよ。それを夢に見てないなら……黒曜にとっては、どうでもいいことなのかも」
 俺にはどうでもよくないけど、と続ける。
 俺は? ――俺にとっては、どうだろうか。
 決まっていた。何一つ、どうでもいいことなんてありはしない。
 思った以上に、俺はみんなのことを何も知らないのだ。
 当たり前だ。知ろうとしてこなかった。
 俺は星数えの夜会から異動しようとして、最初はあえて距離を取ろうとしてきた。
 それが今は歯がゆく思える。俺は……もっと、仲間のことを知るべきだった。いろいろな人生を知ってさえいれば、様々な道の在りようを知れるのかもしれない。
「緑玉」
「……なに? 今日はやけに絡むね……」
「緑玉にとっては、終わったことなのか」
 少し黙ってから、緑玉は吐き捨てるように言った。
「何も終わってなんかいない」
 俺が続きを促すと、緑玉は言葉を選ぶようにして、
「黒曜が全部やってくれて……俺がやることはもうなくなったけど。俺は人間が大嫌いなままだし……終わりなんてない」
「……」
「タンジェリン。何を迷ってて、俺から何を聞きたいのか知らないけど……」
 見抜かれている。
「俺が終わらないことは……生き続けることは、俺の大事な人たちへのはなむけになると思う」
「……!」
「ていうか……そのくらい思わないと、やってけない」
「そう……そうだな……」
 それから緑玉と俺の間に、少しの沈黙が流れて……俺は何気なく、トゥロンを緑玉に渡した。
 訝しげな顔をしていたが、一口食べたあと一瞬で平らげたので、口に合ったらしい。それから緑玉は俺に素っ気なく礼を言って立ち去ったし、俺は今度はそれを追わなかった。

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