神降ろしの里<前編> 5
俺は船に乗るのは初めてだ。ペケニヨ村近くの川や池でボートに乗ったことくらいはあるが、こんなデカい船は見たこともない。
「こんなデカいもんが水に浮くのか」
俺が船に乗り込みながら呟くと、サナギが「浮力があるからね」と答えた。
「ものには密度というものがあって、水に沈むかどうかはそれが密接に関係している。木は密度が水よりも小さいから、沈む力よりも浮き上がろうとする力のほうが強いんだよ」
木が浮くこと自体はなんとなく知っていたが、そういう理屈なのか。そこまで深く理解したわけではないが、俺は「なるほどな」と返事をした。もっとも……とサナギは続ける。
「俺たちも船上のことを手伝いながら、救命用の浮き輪なんかの位置を確認した方がいいね」
「冒険者ってのは意外と慎重派だねえ」
指示ついでに、たまたま近くを通りかかったアビーがこちらの話に口を挟んだ。
「きちんとアタイから緊急時の手順をレクチャーするさ。何かが起きてから教えるんじゃ遅いからね!」
と胸を叩くので、その言葉に甘えることにする。
俺たちは出航の準備が整うまでの時間に、アビーから緊急時の対応について叩き込まれた。誰がどの対応をすることになってもおかしくはない。船上であることを除けば、緊急時の心構えをするなんて慣れたものだったが、らけるは終始緊張した様子だった。
にわかに船上が騒がしくなり、出航が近づく。
俺たちは船着き場からアビゲイル号が離れていくのをデッキで見届けた。
太平倭国への航路は実に18日におよぶ。18日間も海の上、というのは変な感じだ。
アビゲイル号は客船ではなく貨物船である。船室には限りがあるだろうから、俺たちはてっきり貨物室に押し込まれるのだろうと思っていた。予想に反してきちんと船室を貸し与えてくれたのには感謝するべきだろう。
船室はアビゲイル号の中央近くにあり、サナギによれば「船は中央がもっとも揺れない」らしい。
それでも陸よりはるかに揺れる。最初は船内の廊下を歩くにもよろける始末だった。慣れてくれば、なんてことはない、ちょっと足場が悪いだけの床の上だ。
と、ほとんどのやつは時期の差こそあれ船旅に適応したが、航海が3日を過ぎても緑玉は気分が優れないようだった。顔色が悪い緑玉はほとんど常に備え付けのベッドに横になっていて、サナギが甲斐甲斐しく世話を焼いてやっている。
そんなものを見届けても特にメリットはない。今日は天気がいいので、俺はデッキに出ることにした。数人の水夫が元気よくあいさつをしてくるのに、俺も短く返事をする。
デッキではらけるが海鳥を眺めていて、俺に気付くとぶんぶんと手を振った。無視することもできず、仕方なく隣に立って海を眺める。
「サナギと緑玉、仲良いんだね」
らけるが急にそんなことを言った。
エスパルタに行った折も思ったが、サナギと緑玉の間に特別な絆があると感じたことはない。だが初めて行動を共にするらけるまでこう言い出すということは、俺が気付いていないだけの可能性が出てきた。
俺は少し渋い顔をしたと思う。らけるが「なんだよその顔ー!」と笑った。
「パーティってみんな仲良くていいよな」
ひとしきり笑ったあとのらけるがそんなことを言うので、俺の脳裏にアノニムの顔面がよぎる。
別に仲良しこよしでパーティを組んでるわけじゃない。俺たち6人に関して言えば、たまたまそこにいたメンバーでパーティをこしらえたというだけだ。
「全員が全員、仲良いってわけじゃねえ。仲が良いからパーティを組んでるってわけでもねえしな」
俺の言葉に、らけるが首を傾げる。
「仲良くないのに一緒に生活するの、きつくね? 一緒に寝泊まりしたりできるってことはさあ、嫌いあってはいないってことだろ?」
「寝泊まりするのに好きも嫌いもあるかよ。必要なのは……」
だって俺は、アノニムのことは小憎たらしく思っている。一緒にいるのに必要なのは、
「後ろから刺さねえっていう信頼だろ」
らけるは目をぱちぱちと瞬かせたあと、はぁーと感嘆の息を漏らして、
「なるほどなあ」
と何度か首肯した。
「な、なんだよ」
急に恥ずかしくなってきた俺は、らけるを横目で睨む。らけるが「タンジェ、何赤くなってんの!」とからかうので、ますます俺は睨む目に力を込めた。
話変わるけどさ、とらけるはまるで気にしていない様子で言った。おい、人が睨んでる前で話を変えるんじゃねえ。睥睨の行き場を失った。
「翠玉さんって美人じゃね?」
俺は一瞬、らけるが何を言ってるのか分からなかった。翠玉? ……ああ、緑玉の双子の姉か。
確かに顔は整っていると思う。翠玉とは大して話したことはないが……双子の弟の緑玉が美形であるからして、姉の翠玉も同様に秀麗でも別におかしくはない。
「それがどうした?」
「翠玉さん優しいしスタイルもいいし素敵だよな!」
「だから、それがどうした?」
らけるは海の向こうを眺めてぽつんと言った。
「翠玉さん彼氏いるのかな……」
さすがに鈍い俺でも分かる。こいつ、翠玉に惚れてやがるのか。
「いや、てめぇは元の世界に帰る気なんだろ?」
「そうなんだよ! うわー、やっぱ告白してくればよかった!」
らけるは頭を抱えた。頭を抱えたいのは俺のほうだ。
「……あのな。この世界から消えるかもしれねえやつに告白されても困るだろうが、よく考えろ」
「そうかな……? どうせ脈無しだし言ってきたほうが未練なくてよくね……?」
「てめぇの都合で他人を振り回すなよ」
「翠玉さん、黒曜と付き合ってんのかな?」
?
……?
俺はしばらく思考停止してらけるを凝視した。
「いつも一緒にいるじゃん? 緑玉は弟だから分かるけどさ、黒曜と翠玉さん、よく食事してるし」
「あ、ああ……?」
確かに黒曜、緑玉、翠玉は三人でよく食事や歓談をしているが、故郷が同じで特別な信頼関係があるからだろう。黒曜の過去を見てきた俺なら分かる、お互いがお互いの身を案じてそうしていることも。
いやしかし、そうだとして、あの二人が付き合ってると思うか!? 普通!?
そもそもそこが付き合ってたら緑玉は何なんだよ、そこ三人でいたら気まずすぎるだろうが。
というか、まず前提として黒曜と付き合ってるのは俺なんだよ!
言いたいことがごちゃごちゃと頭を回るが、いったん全部飲み込んだ。
らけるに恋人の話をする気はない。言ったらめんどくさいことになりそうだ。だが黒曜と翠玉が付き合っているのではという盛大な勘違いは正しておいてやったほうがいいだろう。
「……そこの二人が恋人ってことはねえぜ」
「そうなんだ!? タンジェ、夜会の人間関係詳しいの?」
「詳しくはねえが……てめぇよりは知ってる。もっと知りたいなら、娘さんあたりが把握してんじゃねえか」
それも、てめぇが元の世界に帰りゃ関係ねえことだがな、と俺は付け加えた。
「そうだよなあ」
らけるは気のない返事をして、また手すりに寄りかかって海の向こうを見た。
海鳥が鳴いている。
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