神降ろしの里<前編> 7
手始めに近くの触手に斬りかかり、勢いを付けて斧を振り下ろした。手応えはあるのだが、デカすぎるのと弾力が邪魔して両断しきれない。ズブズブと沈む刃に体重を掛けて切り落とそうとしていると、
「危ない!」
背後から別の触手が伸びてきて俺を払おうとする。間に滑り込んできた黒曜が一閃、青龍刀を振れば、見事な切れ味で触手の先が吹き飛んでいった。
同時に斧の刃が触手を落とし、勢い余った刃が甲板の板に僅かに沈む。それを引き抜いて振り返りながら、
「助かった、黒曜!」
黒曜は前を向いたまま緩慢に頷いた。
その様子に若干の違和感を覚えたが、考えるより先に触手が次々伸びてくる。クラーケンがちかちかと発光したかと思うと、身体が固まり、動かなくなった。テレキネシス……! それから俺の身体はぐん、と上に引っ張られた。
「……ぐ!」
それから勢いよく甲板に叩きつけられる。持ち上げられたのがもっと高い位置だったら落下死していただろう。それでも背中を強く打ち、痛みに顔を歪めた。口の中に潮が入って咳き込む。
倒れ込んだ俺を叩き潰そうと触手が迫る。俺は甲板を転がって回避した。もし動けなかったら俺はペシャンコになっていただろう。自分の頑丈さに感謝する。
「くそっ! 何本あるんだよ!」
「イカなんだから10本だよ! ちなみにそのうちの2本は触腕っていうもので、正確には脚はタコと同じ8本さ!」
要らない雑学を披露したサナギが、太股のホルダーから抜いた銃を構えている。猟銃くらいしか縁の無い俺にとっては見慣れぬそれの銃口が明るく光ったと思うと、遅れて銃声がして、クラーケンの触手の一本に銃弾がめり込んだ。
大したダメージには、と思った瞬間、弾が弾け、爆発する。大きな音と同時に爆煙が立ち上り、俺の目の前に爆砕した触手が落ちてきた。
「はっ、やるじゃねえか!」
「お手製の爆裂弾だよ! 広いとこじゃないと仲間を巻き込むじゃじゃ馬だけどね」
そんな危険なもんを持ち歩くな! だが、今回ばかりは助かった。これだけ開けてりゃ誤射もないだろう。
「俺が触手の気を引くから、とっととやっちまえ!」
「うん、あと2発しかないんだ」
「馬鹿野郎!」
触手はあと7本ある。
テレキネシスと触手の組み合わせは厄介だが、テレキネシスの力自体はそれほど強くないらしい。少なくともヒトの質量を数メートルを超えて高く持ち上げることはできないようだ。だからこそ、確実に獲物を仕留めるためにあんなデコイを用意したのだろう。
伸びてきた触手を回避したアノニムが棍棒を振り下ろしていた。弾力があるというのにそれを無視し、怪力で触手を甲板に叩きつける。アノニムはそのまま追い打ちをかけようとするが、テレキネシスで身体が一瞬浮き、先ほどの俺と同じように甲板に落とされた。あれを食らった体感では、テレキネシスが解除されるのは甲板にぶつかるほんの一瞬前だったが、アノニムはその一瞬で受け身を取り素早く起き上がった。
そのまま触手の吸盤を片手で鷲掴んで動きを止めると、イカ足のタタキでも作る勢いで滅多打ちにした。さすがに強い。
アノニムの背後に勢いよくもう一本の触手が振り下ろされる。あのアノニムが気付かないわけがないと思っていたが、アノニムは回避行動をとらず、さりとて防御するでもない。何故か反応が明らかに遅れている。
カバーに入るにも間に合わない。アノニムに触手が叩き付けられようとしたそのとき、
「<プロテクション>!」
パーシィの言葉と同時にアノニムの眼前に光が集約して、それが不可視の壁を作り上げた。バァン、と大きい音がして壁にぶち当たった触手が跳ね返る。
光の壁は長くは続かないらしく、光の粒が砂みたいに消えていった。触手が怯んだ隙を狙い駆け込む。斧を叩きつけると、今度は何とか一回で両断でき、切り落とした触手はびちびちと跳ね回った。
「大丈夫かい、アノニム!」
「おう」
さっきからアノニムと黒曜の動きが鈍いように思う。問い詰めたいが戦闘中だ。仕方なく俺は舌打ちして、
「黒曜とアノニムは下がってろ!」
「何故……?」
黒曜が本気の声で呟いたので、どうやら自覚がないようだと悟る。あのなあ、と黒曜に視線を投げた一瞬の隙に俺の真後ろに滑り込んだ触手が、サナギの爆裂弾で弾け飛んだ。
触手の数は減っているが、今回ばかりは黒曜とアノニムの二人はあまりアテにしないほうがいいかもしれない。
俺の視界の端で踊るようにくねっていた触手が、不意に全然関係ない方向へと伸びていった。そちらの方向には誰もいない。いや、いた。触手が向かったのは、このボロ船に寄せていたアビゲイル号で、そのアビゲイル号の船首にアビーとらけるがいた。あいつら、そこで見てたのかよ!
「馬鹿! 下がれ! 逃げろ!」
俺が咄嗟に叫ぶも、目を見開くアビーとらけるには巨大な触手が迫る。パーシィのさっきの防御壁、と思ったが、指示なんか間に合うわけがない。
らけるとアビーが触手に叩き潰される、と思ったそのとき、らけるが突然、アビーの腰にあった護身用のダガーを引き抜いたのが確かに見えた。それかららけるが何をしたのかは俺には目視できなかった。だが、触手は何故からけるとアビーの真上でぶっつり両断され、大きな音を立てて、アビゲイル号の甲板に落ちて跳ねた。
「なん……だ……?」
らけるとアビーは変わらず船首にいて、どちらも傷一つ負っていないようだった。それはいいのだが、いったい何が起きた? サナギの爆裂弾かと思ったがそれも違う。サナギは炸裂弾は残り二発だと言っていて、今まさに俺に迫っていた触手に最後の一発を叩き込んだからだ。
らけるが俺を見上げてくる。らけるの金の瞳が霧の中でいやに鮮明だ。――金色?
「あと三本ッ!」
サナギが叫んだので俺は我に返った。らけるのほうは気になるが、とりあえず今はこのクラーケンを無力化しなくちゃならない。だが、さすがにこれだけの触手を失ったクラーケンは食欲も失せたのか、突然大きな音と飛沫を上げて海に潜り込んだ。俺たちはしばらく、クラーケンが海の底からこの船を突き上げでもしないかと緊張して構えていた。テレキネシスはたぶんこの船そのものをどうこうするほどの力はないだろうが、油断はできない。辛うじて見える海の影が霧の向こうへ去って行くのを見て、ようやく息を吐く。
「何とかなったか」
クラーケンの触手から滴った海水はおびただしく、俺たちは頭から潮まみれになっている。気持ち悪い。
突っ立って青龍刀を構えたままの黒曜に、
「おい、もう行ったぞ。すぐにアビゲイル号に戻……」
言い切る前に、黒曜が突然「エッ」と短い声を出して嘔吐した。
「うお!」
量は僅かだったが、
「だ、大丈夫かよ……?」
さすがに心配だ。黒曜は無表情のまま、「問題ない」と俺に告げた。顔色を窺ったが、褐色の黒曜が青くなっているかは分からなかった。
大きな波が来て船が揺れる。と同時に、視界の端でアノニムがふらついて膝をついたのが分かった。パーシィが駆け寄っている。
「アノニム! よろけるなんて珍しいな……」
戦闘中でもアノニムが膝をつくところなんて見たことがない。黒曜とアノニムの様子に戸惑っていると、
「ははあ、酔っているね」
とサナギが言った。
「酔って……?」
「船酔い。緑玉と同じさ」
獣って船酔いするらしいよ、獣人もするんだねえ、とのんびり続けた。二人の動きが緩慢だったのはそれが理由か。それでもあんだけ戦えるのは尋常じゃねえな……。とはいえ、
「おい、なんで言わなかった。具合悪いなら緑玉と残ってるべきだったろ」
俺が黒曜を咎めると、黒曜は目を瞬かせて、
「具合は悪くない」
「吐いただろうが!」
「吐いていない」
「そこは誤魔化せねえよ!」
俺は黒曜に、パーシィはアノニムに手を貸してやりながら、俺たちはアビゲイル号へと戻った。らけるとアビーの無事も気になる。
クラーケンとの戦いの最中に、最初に船の間を渡した板は壊れていたが、アビーと水夫がすぐに代わりの板を用意してくれた。アビゲイル号に戻るとこちらも甲板は海水まみれだった。もっとも、すでに数人の水夫が甲板の掃除を始めていたので、これが原因で沈むことはないだろう。
「無事かよ?」
らけるとアビーに尋ねる。
「ああ」
らけるはすました顔で言った。顔を覗き込むと、やはり目が金色だ。
「てめぇ、そんな目の色だったか?」
他人の外見を気にするほうではないが、らけるはもう少し地味な色の目をしていたと思う。らけるは少し黙ったあと、
「目の色が変わるのか。そうか……自分では分からんが……」
と、妙なことを言った。訝しく思い顔を歪めると、
「待って。もしかして、らけるの中の『もう一人』?」
サナギがそんなことを言い出した。らけるの中のもう一人? たまにらけるがひとりごとを言っているとき、本人が『会話している』と主張しているヤツか?
「そうだ。名はラケルタという」
らける――いや――ラケルタはそう答えた。
「……そんな二重人格みたいになるもんか?」
「そもそも召喚位置がずれてくっついちゃうなんてのがイレギュラーだからね。召喚術は複雑な術だし、こうなってもおかしくはないかも」
そう、なのか? ラケルタは金色の目を伏せて、手に持っていたアビーのダガーを弄んだ。
「らけるとの会話はできたのだが、今まで私がらけるの身体の主導権を握れたことはなかったし、私にその意思もなかった。あのクラーケンの触手がよほど怖かったと見える。らけるが失神したと思ったら、この身体が動かせるようになっていた」
ラケルタはダガーをアビーに返した。
アビーは変な顔をしてラケルタの顔面を見ていたが、さりとて困惑した様子もなく、素直に受け取り、すぐさま水夫たちへの指示へ向かっていった。
「その短剣でクラーケンの足を両断するとは、相当な剣の腕だ」
黒曜が言った。
「痛み入る。確かに剣に関してはリザードマンの集落では私が一番の使い手だった」
もうらけるじゃなくてこいつでいいんじゃねえか。
「リザードマンなんだ。らけるが召喚されてきたときのことは覚えている?」
サナギが尋ねると、ラケルタは頷いた。
「貴殿の期待に応えられるかは分からないが、らけるよりは知っているだろう」
「話を聞かせてもらおう。それに、黒曜とアノニムは休んだほうがいいよ。俺たちも着替えたいしね」
一同、そうだな、と答える。
霧も晴れつつあるようだ。近く再出航できるだろう。
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