カンテラテンカ

神降ろしの里<後編> 1

 実に長い18日間だった。
 退屈というのは人を殺すかもしれない。俺――タンジェリン・タンゴ――は、ようやく辿り着いた太平倭国の地を踏みしめながらそんなことを思った。
 18日ぶりに揺れない地面についた足は、ずしりと俺の体重を支えた。二、三度屈伸したら、もう陸に慣れた。適応力の高さは自慢になるかもしれない。
 それにしても、暑い。
 話には聞いていた。太平倭国はベルベルントとは季節がほぼ逆で、今は夏だということを。燦々と照りつける太陽が、水夫たちの汗を照らしている。
 アビゲイル号の積荷が次々と運び出されていく。それを手伝うのも俺たちの仕事だ。俺は軽く肩を回して、手近な積荷に手をかけては下ろしていった。酔うどころか体力が有り余っていた俺にとって、ようやく身体が動かせる機会だ。
 結論から言えば、この積荷下ろしを手伝ったのは俺だけだった。黒曜、アノニム、緑玉はようやくついた地面に転がり使い物にならなかったし、サナギに力仕事は期待していない。パーシィとらけるは黒曜たちを船から引きずり出して面倒をみてやっていた。黒曜はそれでも「酔っていない」と主張して立ち上がろうとしていたが、立ち上がれない時点で駄目なのは明白だ。
 途中でパーシィは港の人々に情報収集をしに行き、積荷が全部降りる頃にはそれも終わって戻ってきた。黒曜たちもようやく容態が落ち着いたようで、パーシィの報告を座りながらだが聞けるほどには回復していた。
「あの山はカンジュウ山というらしくて、その山中にカンバラの里という村があるみたいだ」
 港町はすぐ後ろに山を背負っていて、それがカンジュウ山ということらしかった。
「今から出れば夕方には着くかな」
「そのカンバラの里で、ヨミマイリをやるの?」
「ヨミマイリ自体は太平倭国のどこでもやる風習みたいだけど、中でもカンバラの里の『神降ろし』が有名らしいね」
「『神降ろし』?」
 パーシィが平気な顔で言うのを訝しく思う。パーシィは神の名がつく物事には敏感なやつだ。
「平気な顔してんな」
「え? ああ……ここでいう神は、仏のことだからね」
「どういうことだ?」
 パーシィは「話が少しズレるけど、構わないか?」と黒曜たちに了解を得たあと、こう語り出した。
「ここは『聖憐教』の地なんだよ」
「セイレン教? ミゼリカ教じゃねえのか? 異教徒なら、なおさら……」
「異教徒ではないんだよ。聖憐教は、聖ミゼリカ教がこの地に伝来した際に、ここに土着していた『仁道教』と混ざって定着したものなんだ」
「……どういうこった?」
 宗教にはまったく明るくないので、パーシィの言葉もいまいち理解できない。パーシィは特に怒った様子も苛立った様子もなく続けた。
「異教の地で教えを広めるのは大変だ。反発も起こる。聖ミゼリカ教はこの地に根ざすために元々あった仁道教の教えを取り込み、合体させることで、異教の壁を小さくした。そのほうが改宗させやすいからだ。つまり、聖憐教は実質、仁道教要素が入ったミゼリカ教というわけさ。実際、聖憐教と聖ミゼリカ教の信仰する神は同一のものだし、教義もほとんど同じだ。違いは、聖憐教は仁道教の教えである仏も大事にするってくらいかな」
「ホトケってのは何なんだ?」
「死者のことだよ。仁道教では、人は死後に仏になると言われている。仁道教では元来、神と仏を同一視していたから、今でも『死者が還ってくる』というヨミマイリに『神降ろし』の名が残っているんだ」
 なるほど……しかし、こいつ詳しいな。
「詳しいねえ」
 同じことを考えたのか、サナギが感心した声を上げた。
「やめてくれよ、サナギだって聖憐教の成り立ちくらいは知っているだろ」
「そうだね。太平倭国の実に三割が聖憐教徒であることも知っているよ。でも、敬虔な聖ミゼリカ教徒が聖憐教にどんな感情を持っているかなんてことは知りようがない。宗教のあれこれの解説はパーシィに譲るよ。余計なことを言いたくないからね」
「それはそれで、印象が偏るんじゃねえか」
 思ったことを口に出すと、サナギが笑って頷いた。
「いい着眼点だ、タンジェ。確かに、パーシィに任せたらミゼリカ教に肩入れした意見ばかり蓄積する。でも、それが分かっているなら大丈夫さ」
「ミゼリカ教に肩入れって……」
 パーシィが心底不思議そうな顔で、
「正しいものに肩入れして何が問題なんだ?」
 これだもんな、と俺が呟くと、サナギは肩を竦めた。
「ともかくさ、カンバラの里に行けば、死者に会えるんだよな?」
 大人しく話を聞いていたらけるが身を乗り出す。
 パーシィは「まあ、そういうことになるかな」と雑な返事をした。死者が還ってくること自体信じていない、というか、ありえないと思っているのが見て取れる態度だ。しかしらけるは気付いているのかいないのか、
「じゃあさっそく行こうぜ! 今から行けば、夕方には着けるんだろ!?」
「落ち着け、山を歩くのだから準備が先だ」
 俺が言おうとしたのと同じセリフを黒曜が淡々と言った。
 カンジュウの港町は俺の知っているエスパルタの港やセイラとは雰囲気から違ったが、規模はそれなりで、いくつか道具屋らしきものもあった。馴染みのない服装の店主は、それでも港町だからか共通語を使えたし、金もGで取引ができた。
「あんたら、西の冒険者さんかい」
 ロープなどの山歩きに必要なものを買い込む俺たち店主が声をかける。
「そうだ」
 黒曜が応答した。
「この港には西からの冒険者がよく来るの?」
 サナギが尋ねると、眩しそうに目を細めて瞬きをした店主は、「そうさねえ」と顎をさすった。
「数はそんなに多くないね。ここに着く船はだいたいはアビーさんとこみたいな貿易船か、商船だよ。でも、たまに来るやつの目的はだいたい、カンバラの里の神降ろしさ。あんたらもそうなんだろ?」
 俺たちは顔を見合わせてから、頷いた。らけるが逸る気持ちを抑えながら、という様子で、店主に一歩近付く。
「おっちゃん! ぶっちゃけ、どうなんだ? 神降ろしでは、死者に会えんのか!?」
「うーん、会えたという人もいるけどねえ。本当のところは分からんよ」
 らけるはぱっと顔を輝かせて、俺たちを振り向いた。
「聞いた!? 会えた人、いるんだって!」
 俺は腕組みをしてため息をついた。
「本当のところは分からねえって言ってるじゃねえか」
「でも、嘘だって決まったわけじゃないんだ!」
 らけるはガキのように飛び跳ねて喜ぶ。俺はこの18日間の航海中、ニッポンに戻るのが楽しみだというらけるに期待しすぎるなと何度か警告してきた。だが毎回こんな調子だ。
 根がお気楽というか、ポジティブなんだろうが……期待しすぎると駄目だったときにとんでもなく凹むことになるんじゃねえのか。……別にらけるのメンタルを心配しているわけじゃない。凹んだらフォローが面倒くさいというだけだ。
「今日の夕方には着くんだよな? 俺、頑張って歩くよ!」
 てめぇの目的のために行くんだから、てめぇが頑張って歩くのは当たり前だ、と言おうとしたが、やめた。それが分からない依頼人だって世の中にはいる。言わずとも分かっているなら、それでいい。
 らけるは長い航海中にもうるさくはあったが、後ろ向きなことは一切言わなかった。考えてみれば、不安だろうに明るく振る舞うらけるは健気なのかもしれない。まあ、少し騙されやすい性質のようだが、正直で誠実なやつなのは分かる。少しくらいは労ってやろうか、そう思ったとき、
「いざとなったらラケルタに代わってもらう!」
 ……前言撤回だ。やっぱりろくでもないやつかもしれねえ。

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