Over Night - High Roller 4
『午前3時の娯楽亭』――close。
サナギの言う心当たりとやらは、どうやら宿らしい。ただ、どう見ても営業時間外だった。
「おい、閉まってるじゃねえか」
「名前のとおり、この宿のピークタイムは午前3時。開くのも夜からさ」
サナギは別に動揺した様子もなく、目の前の扉をノックする。迷惑だろうと思い、止めるか悩んでいるうちに扉が開き、シスター服の女が顔を出した。教会以外でシスター服を見たのは初めてなので、タンジェは面食らう。
シスター服の女はにこやかにタンジェたちを眺めて、後ろにいたパーシィに目を留めると、
「まあ、先日はどうも」
と頭を下げた。パーシィのほうも、
「シスター・イザベラじゃないか。ここが宿なのかい?」
わりと気軽な調子で応答した。サナギがにこりと笑い、
「知り合い?」
「教会であいさつする程度の」
パーシィは特に誇張も遠慮もなく、ごく率直に質問に答えた。イザベラと呼ばれたシスターのほうも朗らかに頷く。
「ええ。私の生活する『午前3時の娯楽亭』です。私に用というわけではなさそうですが、誰をお呼びします?」
話の早い女だ。サナギは「とびっきり腕のいいディーラーを頼める?」と言った。
「まあ、それならちょうど起きてきたところです。お茶を淹れますから中にどうぞ」
イザベラはそう言って、タンジェたちを宿の中に招き入れた。宿の内装を見渡して、少なからず驚く。『午前3時の娯楽亭』の中には、ビリヤード台、ダーツボード、ルーレットなどなど、さまざまな娯楽が所狭しと設置されていた。
「『娯楽亭』、か」
タンジェは宿の名を思い出して呟く。イザベラはまた「ええ」と頷き、
「賭け事を楽しむ宿なんです。賭けるものはビー玉1つからで構わない。誰でも気軽に楽しめる娯楽宿……それがここ」
言いながら、タンジェたちをテーブルに案内した。そのテーブルには先に男が1人座っていて、向かい合うように座るタンジェたちを見るや、露骨に面倒そうな顔をした。
「イザベラ、どういうことだ?」
飲んでいたコーヒーを置いた男が、テーブルから離れるイザベラの後ろ姿に声をかける。
「あなたの依頼人ですよ、リカルド。客人にお茶を持ってくるので先にお話を聞いておいてください」
リカルドと呼ばれた男は何か言いたげな顔をしていたが、結局何も言わず、ただ大きく溜め息をついた。
黒い服を着た、端整な顔立ちの男である。ただ、精悍な顔つきに似合わず気怠げで、向けてきた視線も言葉も、明らかにこちらを歓迎してはいなかった。
「何の用だ。手短に頼む。言っておくが、あまりやる気はないんでね」
タンジェの数少ないカジノ知識と照らし合わせて、リカルドは"ディーラーらしく"はない。もちろん詳しくはないので、タンジェのディーラー像が偏見にまみれている可能性は十二分にあるのだが、それにしても『とびっきり腕のいいディーラー』として紹介される人物像としては、若干、釈然としない。
だが元よりリカルドをアテにしているサナギは、そんなリカルドの態度だって織り込み済みなのだろう、まったく意に介した様子もなく口火を切った。
「じゃあ本題だけど。ディーラーとして移動カジノ・シャルマンに潜入してほしい」
「なんだと?」
リカルドはサナギのほうに視線を寄越して、腕を組んだ。
「移動カジノはもちろん知っているが。……何故俺がそんなところに潜入しなくちゃならない?」
「俺たちがあそこで大勝ちするためさ」
「……」
サナギの言葉でリカルドはおおよそのことを理解したらしかった。頭が痛そうに額を押さえ、
「勝ちたい理由があるんだろう、それは興味がないし聞かない。ただ、お前の要求は俺へのリスクが高すぎる」
正論だ。タンジェもそう思う。赤の他人から、依頼とはいえイカサマの片棒を担がされて、失敗したときの保障もないのだ。
「俺がその依頼を受けるに足る理由がないな」
拒否と見ていいだろう。タンジェはどうすんだよ、の意を込めてサナギを横目で睨んだ。サナギは焦らず、ごく冷静に、
「報酬は出すよ。きみだって冒険者だろう」
すました顔で言った。
「……」
リカルドはまた額を押さえる。
「ここは娯楽宿だと、さっきイザベラが言っていたじゃないか?」
首を傾げたパーシィが声をかけると、サナギは、
「兼業しているんだよ。ここは娯楽宿であるのと同時に、冒険者宿なんだ」
同業か、とタンジェが呟いた。ベルベルントに冒険者宿が星の数ほどあることは知識として知っているが、こうしてほかの冒険者宿に訪れる機会はそうはない。タンジェは思わず、改めて宿内を見回した。確かに依頼書を貼る掲示板もあり、言われてみれば冒険者宿の様相ではある。
「冒険者だから依頼は受けろと?」
リカルドは神経質にテーブルを数回、指で叩いた。
「悪いがこちらも受ける依頼は選べる」
「じゃあさ、賭けようよ」
リカルドの指が止まり、ゆっくりとテーブルの上を滑る。
「賭け?」
サナギは頷いた。
「俺が負けたら、そちらからの要望にひとつ応えるよ。俺が勝ったらそちらは俺たちからの要望にひとつ応えてもらう」
「そんなの、向こうに得はねえようなもんだろ」
タンジェが口を挟んだ。サナギの提案は、タンジェからすれば唐突で、しかも理屈が通っていない。リカルドが冒険者なら、わざわざ外部の同業者に頼む必要がある物事なんて多くはないだろう。こんな賭け、そもそも成立しない。タンジェにだって分かる道理をサナギが理解していないとは思えないのだが……と思っているうちに、
「勝負の内容は?」
リカルドが、椅子の背もたれに寄りかかりぎしりと音を立て、挑戦的に首を傾げた。
思わず小声で、
「受けるのかよ……!?」
「彼は冒険者である前にディーラー、そしてディーラーである前に、生粋のギャンブラーなのさ」
サナギも小声でそうタンジェに言った。そしてリカルドにこう提案する。
「簡単なのはコイントスだね。どう?」
「コイントスか。確かに手間もない。いいだろう」
そこで、茶を人数分淹れてやってきたイザベラに、
「イザベラ、コイントスだ。頼めるか?」
茶をタンジェたちに配ってから、イザベラは銀のコインを取り出した。
「もちろんいいですよ」
動じた様子もない。それにしても、シスターが娯楽宿にいるというのは違和感がある。聖職者の役職は貴重だからあくまで冒険者としての所属なのかと思ったが、様子を見ているとギャンブルに抵抗はないようだ。別に他人の事情など詮索するつもりはないが……。
タンジェが茶を啜りながら眺めていると、イザベラはきれいなコイントスをした。手の甲に落ちたコインは一瞬でもう片手に覆い隠され、タンジェには見えもしなかった。