カンテラテンカ

Over Night - High Roller 10

「てめぇよ、放火はやりすぎじゃねえのか」
 小走りで併走しながら黒曜に聞くと、黒曜は「手間がなくていい」とすました顔で答えた。もちろん緑玉を助けるためだ。そもそも黒曜が善人ではないことくらいは分かっている。だが、これで死人が出たらえらいことだ。
「最初に手を出した奴らが悪い」
 それはそうだ。俺だって善人じゃない。仲間をあんなふうにされて黙ってなんかいられない。
 シャルマンの裏口付近は、炎から逃れようと逃げ惑う人が多すぎた。
 シャルマンとオークション会場は決して遠くない。むしろ近いほうだ。燃え移るのも時間の問題だ。そもそも、パーシィはシャルマンの中にいるのか? 俺が顔を上げて黒曜に意見を聞こうとしたとき、
「絶景ですねぇ」
 何度も聞いた小憎たらしい声がした。黒曜と一緒に振り返れば、テントの建てられた広場の隅に、横顔が炎に照らされたラヒズがいる。
「やあ、こんばんは。よく会いますねぇ」
「やっぱりてめぇか、ラヒズ!」
 パーシィが『悪魔の気配』だと言った時点で心当たりは奴しかいなかったが、実際に会うとやはり怒りが勝つ。
「緑玉を攫ったのはてめぇの指図だな!?」
「実は、それは関係ないんですよ。彼を攫ったのは信者たちの勝手な判断でして」
「信者たち?」
 黒曜が油断なく青龍刀を構えたまま、ラヒズに尋ねる。
「ええ。つい先日、ヤーラーダタ教団――私のほうで管理している新興宗教ですが――そちらでシャルマンを乗っ取らせていただいてまして」
 そういや、こいつは一応『新興宗教の宣教師』だったか。
「……そんなことに何の意味がある」
「ちょっとヒトの欲望やらいろいろ欲しくてですね」
 ラヒズは何てこともないように答えた。
「賭け事はいい、ヒトの負の感情が如実に出ますからね。まあそれはいいんです」
「そうだな、んなことはどうでもいい。てめぇはここでぶっ飛ばす!」
 俺が逸り駆け出そうとすると、その前に黒曜が俺を制止した。俺が不満に思い黒曜を見上げると、
「パーシィはどうした?」
 そういえばそうだった。
「ああ、彼なら――」
 ラヒズは右腕の袖を捲り上げた。大きく火傷痕のようなものがある。
「私に不意打ちで聖なる力を喰らわせてきましたね。さすがに不意打ちは卑怯では? あのひと本当に元天使ですか?」
「てめぇ相手に卑怯もクソもあるか!」
 悪魔から卑怯なんて言葉が出てくるとは思わなかった。ラヒズは右腕の袖を下ろして、
「さすがに二撃目は回避して、衆人環視のもとだったのであとは信者の黒服たちにお任せしたのですが……どうなりましたかね。黒服には強力な麻痺の呪文をあたえていますから」
「強力な麻痺の呪文。……それで緑玉も?」
「そういうことになるでしょうね」
 ラヒズは肩を竦めた。
 どっちにしろ、そもそも信者とやらに好き勝手させたこいつのせいだ。聞きたいことはもうない。俺は黒曜を押しのけて前に出ようとしたが、
「タンジェ!」
 後ろから声がかかって、しぶしぶ振り返った。
 炎のテントを背にしてよろけたパーシィがこちらに近付いてきている。
「パーシィ! てめぇを探してたんだ。黒服は?」
「火が回って俺どころじゃない」
 パーシィは足を引きずっていた。麻痺がまだ残っているようだ。テントの火は強くなるばかり。こいつをここから逃がすならもう離れたほうがいい。
「……ちっ!」
 俺は舌打ちして、パーシィに肩を貸した。
「黒曜、もうここにはいられねえ。火が!」
「分かっている。やむを得まい」
 黒曜はそれでもラヒズを警戒していたが、
「ああよかった、右腕が動かないのでここでの戦闘は避けたかったんですよ。いや本当に、右腕が動かないので。誰かさんの不意打ちで」
「悪魔が根に持ってんじゃねえよ!」
 俺が吐き捨ててもぜんぜん気にしていない様子で、
「それではまた会いましょうね、星数えの夜会ご一行」
 と、ラヒズは踵を返して立ち去る。
「俺たちも早めに離れるぞ」
「なぁ、なんで急に火が……」
 パーシィが掠れた声で言うものの、黒曜は無言で聞き流した。俺たちは手早くその場から離れた。オークション会場から、シャルマンに火が燃え移れば、天高く燃え上がるのは一瞬だった。道を走れば大規模な火消し隊とすれ違う。明日の朝に消火できているかも怪しい。
 せめて近隣まで燃え移らなければいいが。
 それと、放火犯が黒曜たちだとバレるのも避けたい。
 リカルドは無事に逃げられただろうか。
 この火事で無関係なやつらに死者は出ちまったか?
 考えることが多い。だが、今はどうしようもない。ぼんやりと闇に伸びる炎を背に、俺たちは星数えの夜会へと帰った。

★・・・・

 星数えに来たリカルドに、サナギが報酬を渡している。
「悪いね、散々な目に遭わせて」
「いや」
 リカルドは注文したコーヒーを飲みながら、スカした態度で言った。
「タンジェリンを勝たせたということは、俺はディーラーとしてはあそこでかなり負けていた」
「……おう」
「燃えたおかげで、俺の悪い評判は立ちようもなくなったな」
「……」
 ……そういうの、気にするタイプだったんだな。なのに依頼を受けてくれたことには感謝しかない。
「まあ無事に逃げられていてよかったよ」
「本業は冒険者だ、異常事態の身の振り方は心得ている」
 それもそうか、とサナギは言った。
「ありがとう。お疲れさま。大勝ちしたぶんのチップは当たり前だけど燃え落ちてしまったし、俺から出せる分はこれだけなんだ」
 それでも結構重さのありそうな金貨袋を差し出す。
 リカルドはそれを手元に引き寄せて中身を簡単に確認すると、
「確かに受け取った」
 と言って頷いた。
「また午前三時の娯楽亭にも遊びに行くよ」
「……ドーピングは出禁にするか……」
「あはは!」
 サナギはからっと笑った。リカルドもニヤリと口端を上げて、そのまま金貨袋を持って夜会を出て行った。

 緑玉もパーシィも、麻痺についてはそう長く続くものでもないらしく、回復は順調だった。
 緑玉は麻痺させられたあと何らかの魔法で昏睡状態にあったようだが、翌日になれば目を覚ましたし、片足を引き摺っていたパーシィも夜会に戻る頃にはかろうじて自立できるようになっていた。
「迷惑かけた……」
 緑玉が気まずそうな顔をしている。だが、一番迷惑を被ったのは当の緑玉だろう。俺たちはみんな、一様に首を横に振った。
「怖かったね」
 まるで子供をあやすように、サナギが緑玉に言う。そんな言い方と俺は思ったが、緑玉は俯いてたっぷり十秒は黙ったあと、
「…………うん」
 と、ほんの小さな声で、肯定した。
 人間に故郷を奪われ、奴隷として暮らし、今でも人間嫌いの緑玉の気持ちを考えると――緑玉は俺なんかの同情は望まないだろうが――いたたまれなくなる。かける言葉もないまま、俺はそっぽを向いていた。

 そういえば長いこと留守にしていたアノニムだが、こちらは特に大きなトラブルというわけではなかったようだ。
 単に個人で依頼を請け負っていたというだけの話らしい。
 俺たちが昨晩、夜会に帰ってきたときにはすでに帰宅していて、俺がパーシィに肩を貸しているのを見ると不機嫌そうな顔になった。
「俺がいればその場の全員殺してやったのによ」
 そんな大量殺戮をされたらたまったもんじゃない。事情も分からないままのアノニムにパーシィが、
「そうだな、きみがいたらもう少し話が早かったかも」
 と言っていたが、アノニムがいたら話なんかややこしくなるだけだろう。ラヒズは……ぶちのめせたかもしれないが。

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