治癒と医術、あるいは恐れへの前進 1
スラム街を散歩することが、たまにある。
ヒト、獣人、裕福なもの、貧乏なもの。交易による豊かな物資。ないものはないとまで謳われるベルベルントに、スラム街もまた、ないわけがない。
それほど大規模ではないけれども、そしてベルベルント以外の街ではそうであるような悲壮感はそこまでないけれども、貧しい、持たざる者たちが暮らしている小さなコミュニティだ。
うち捨てられた廃教会。明日の身すら知れぬ者が神に祈ることはない。彼らにとっての真実は、明日の食事と命だけ。神は食事と命を保証してはくれない。矮小な人間に神の慈悲が与えられることはない、そんなことは俺――パーシィ――にとっては当たり前のことなのだが、祈りを救いを賜るためのものだと勘違いしている者の多くは、そんな神に勝手に失望する。だからこの教会にも、祈る者はいないのだ。
そんなとこ歩いてどうするんだよ、とタンジェは俺に言った。
「説法でもすんのか?」
「俺が説法? 面白いことを言うな」
俺が答えると、タンジェは呆れたような顔になる。
「そうじゃねえなら、何しに行くんだ?」
「だから、散歩だよ」
「もっと治安いいとこ歩けよ」
なるほどごもっともだ。
「静かでいいんだよな、スラム」
「静かでいい、って理由で、銀のロザリオぶら下げてうろつかれてみろ。スラム側だっていい迷惑だ」
「心配してくれているのかい?」
タンジェの顔を覗き込むと、タンジェは思い切り顔を歪めて「はぁ?」と心底からというような声を出した。
「てめぇにスラムを貶す意図がなかろうが、スラム側からすりゃたまったもんじゃねえって言ってんだよ!」
「まあ、トラブルは起こさないよう気を付けているし。大丈夫だよ」
「だから、てめぇが大丈夫でも――」
そこまで言って、タンジェはため息をついた。
「――もういい。さっさと行きやがれ」
「ああ、いってきます」
俺が言うと、タンジェは適当にひらひらと手を振って俺を見送った。
それが、20分くらい前のことだろうか。
天気は晴れ。潰れかけの建物がいくつも建ち並び、その間から見える青空がコントラストを描いている。風が吹けば、汚れた地面の砂が舞い上がり俺のカソックを汚した。ゆっくりと廃教会から離れて、スラム街を北に歩いていく。
道端に倒れている女と、痩せ細った男に出会った。
「大丈夫かい」
何とはなしに声をかけると、かろうじて男のほうが振り返った。
「あんた……街の人か!?」
「ああ」
「頼む……! 先生を呼んでくれ! このままじゃこいつ死んじまう!」
男の腕が俺のカソックに縋り付く。俺は、こいつ、と呼ばれた女性のほうを見る。外傷なら俺でも、と思ったけれど、すぐに事態が分かった。
妊婦であった。
ひどく痩せているけれども、お腹が大きくなっていて、それを大事に守るように蹲り、うんうん呻いている。
「……分かった」
俺は頷いた。
「先生とやらはどこの誰だい」
「確か。水槽の……白昼夢亭とかいう宿の。クエン先生、クエン先生だ!」
「すぐに戻るよ」
知らない宿名だったけれども、ここで彼らを見捨てる選択肢はない。いや、別にスラム街の不心得者たちなど見捨ててもいいのかもしれないが、それはたぶん、善くない行いだ。
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