カンテラテンカ

不退転の男(Side:アノニム) 3

 勝てない。

 脳裏を過ったその可能性を、俺は努めて冷静に考えてみる。
 離れていればパーシィの遠距離攻撃が来る。普段なら様々な理由でセーブしているそれだが、今の状態で手加減を期待するのは愚かだろう。あのペースなら遠くないうちにエネルギー切れを起こすはずだが、普段のパーシィは決してそんなことにはならないので、やつの体内のエネルギー残量は正確には把握できない。数時間、いや数十分でも保たれたら俺たちは躱しきれずに焼き殺される。
 近づけば黒曜の青龍刀とやり合うことになる。あいつの剣技の腕前は相当なものだ。剣技と言ってもお上品にまとまっているわけでもない、単なる剣術の域をはるかに超えた戦闘技術。やつは俺が生きるために身につけた暴力程度は容易く対応してくる。人を殺すことに躊躇いがない。そういう剣をしている。さっきも言ったとおり、取っ組み合いの力比べなら勝てるだろうが、そこまで持っていくのにどれだけの犠牲が必要か。腕の1本は要るだろう。そうなればこちらの腕力はシンプルに半分だ。それで取っ組み合えても何も意味がない。
「アノニム、とにかくハンプティをやる! 一気に行くぞ! 何なら俺を囮にしやがれ!」
 タンジェリンは戦う気だ。見れば分かる。こいつは何も考えちゃいない。俺から言わせりゃ愚行だ。
「……アノニム?」
「……」
「おい、何とか言いやがれ!」
 俺は遺跡の出入り口を見た。幸い、どこも崩壊しておらず、逃げることは難しくないだろう。
「……逃げる気かよ!?」
 さすがのタンジェリンでも悟ったらしかった。
「勝てねえ」
 俺は考えたことをそのまま口に出す。
「あ……!?」
「黒曜とパーシィが本気でかかってきたら、勝てねえ。見りゃ分かるだろ」
 あの二人と俺たちでは相性が悪すぎる。そんなことも分からねえのか、こいつ。
「だからって置いて逃げんのか……!?」
「……」
 そうだ。俺は言った。
「負けたら終わりだ。死ぬぞ」
「……!」
 死、という言葉を向けられて、タンジェリンの瞳に浮かぶのは恐怖や悲嘆なんかじゃなかった。遺跡を照らす燭台の明かりの下で、やつの朱色の目が確かに何らかの情熱にギラつくのを見た。それが何なのかは知れない。怒り、あるいは俺への失望か?
「てめぇはエスパルタで俺に大事なもののために命を賭けろと言ったじゃねえか!!」
 何言ってんだこいつ、という感情を覚えた。たぶん、人が言うところの「戸惑い」というのが一番近いと思う。
 確かに俺は、命を懸けろと言った。だがそれは大事なもののために命を投げ出せなんてことじゃねえ。
 大事なものを守るために武器を取る。それで守り抜いて、ようやく、初めて命を懸けたと胸を張れる。それが大事なもののために命を懸けるってことだろうが?
 なんでこいつはそれを、大事なもののために命を賭すなんて勘違いをしてやがるんだ?
 死んじまったら何もかもおしまいだ。
 ふざけてんじゃねえぞ、とタンジェリンは言った。俺からすりゃ、ふざけてるのはそっちのほうだ。
「俺たちが逃げたら黒曜とパーシィがどうなるか分かんねえんだぞ!?」
 だからだ。
 ここで俺たちが死ぬわけにはいかない。死んだら黒曜とパーシィの現状をサナギと緑玉に伝える方法がなくなる。どう考えても、いったん退いて、サナギと緑玉と四人で戦闘に備えるべきだ。それが一番、勝ちに近い、そのはずだ。
 俺は間違っちゃいねえ。逃げるべきだ。
「とりあえずボクの従者にしよっかなー。二人ともかっこいいしね! でもボクの好みはタンジェなんだけども」
「言ってろ……! ぶっ潰してやる!」
 だが、止める間もなかった。
 タンジェリンは俺より弱い。負けるだろう。それでもこいつは負けることが――死ぬことが、何も怖くないみたいだ。
 タンジェリンの背中を初めて見た気がした。俺を追いかけ回して何かと勝負を挑んでくる男。あるいは俺が正面から勝負を挑む男。何故挑むか? 俺はタンジェリンには負けないことを知っているからだ。

――あなたみたいに力を誇示することでしか強さを見出せない人には分からないのよ!

 ずっと昔の、エリゼリカの言葉だ。
 勝てる勝負しかしない。それが俺にとって生きる方法だった。あるいは、負けるかもしれない勝負に際して、何をしてでも負けないことが俺の処世術だった。負ければ死ぬ、それが当然の世界にいて、俺の処世術は何よりも「正しい」。
 誰かのために戦うならなおさらだ。俺が死んじまったら何も残らない。何の意味もない。

 なのにタンジェリンは、どうしてこうも容易く、あの豪雨のような光弾に飛び込み、ひどく冷えた刃に肉薄することができるのだ?

 タンジェリンは<ホーリーライト>に全身を叩き潰されても怯まず、ハンプティに突っ込んでいく。
「くたばりやがれ!!」
 だがその距離は黒曜の間合いだ。
 タンジェリンの斧術は、確かに最初の頃よりはマシになってはきている。だが、俺からすりゃ黒曜なんかに比べるべくもない。かろうじて素人から脱却して、一般的な戦闘で使えるかどうか、ってレベルだ。やつの技術は、そもそも人を斬るためのものじゃない。俺でもありありと分かる。
 だがタンジェリンはその斧術でもって、何度か黒曜と打ち合う。

 俺は、今のタイミングで逃げるかどうか逡巡した。
 
 パーシィの<ホーリーライト>は先にタンジェリンに放った分で、もしかしたら――かなり楽観的に見て――打ち止めかもしれなかった。だが見誤ったら死が近付く。油断はできねえ。
 黒曜の青龍刀がタンジェリンの斧をすり抜ける。タンジェリンの脇腹を抉る。返す刃が腹を貫く。血の臭い。
 ――終わりだ。
 タンジェリンの負けだ。そして、これからやつは死ぬ。
 こうなれば次の標的は俺だ。俺は遺跡の入り口へ移動しようとする。
 だが、その前にタンジェリンは吼えた。
「俺はまだ……諦めてねぇぞ‼」
 青龍刀の先にある黒曜の腕を掴んだタンジェリンは、黒曜を思い切り引き寄せると、そのまま大きく頭を振りかぶった。それから音がするほど強く、自分の額を黒曜のそれに叩きつけた。
「は」
 俺の口から息が漏れる。ハンプティの口も半開きになる。黒曜はそのまま昏倒した。
 腹に青龍刀が突き刺さったままのタンジェリンはよろよろとハンプティに近づく。なんとか斧を振り上げ――その背後に、パーシィが立った。メイスを叩きつけられて、タンジェリンもまた倒れる。

 あの距離からわざわざタンジェリンにメイスでトドメを刺しにいった。
 ――エネルギー切れだ。<ホーリーライト>は打ち止め……!!

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不退転の男(Side:アノニム) 2

 星数えの夜会に帰る頃には昼近くになっていた。
「ただいま」
 声をかけると、親父たちが次々にあいさつを返してきた。俺に気付いてつかつかと歩み寄ってきたタンジェリンが「依頼だ」と俺をとっ捕まえ、テーブル席に座らせる。
 テーブル席にはガキが一人座っている。こいつが依頼人らしい。名前はハンプティ。
 いつも話を聞きながら何かメモしているサナギは、緑玉と出かけているそうだ。まあ、話はどうせ黒曜が聞いている。俺はガキの話を聞き流した。  
 俺が話を聞いていなかったと見て、のちにパーシィが声をかけてきた。要するに遺跡に行ってガキの両親を探す、それだけの依頼らしい。分かりやすくていい。
「ラヒズの気配がするから気を付けろよ」
 パーシィは説明ついでにそう付け足した。気を付けろと言われても、俺にできることは殴るだけだ。しかし、6人でかかってもうまくいなされる相手だ。4人で何とかなるかは分からねえ。
 だが今回の依頼で気を付けるべきはラヒズではなかった。気付いたときには手遅れで、俺たちは一瞬で危機に立たされていた。

★・・・・

 ――遺跡の最奥で、依頼人の両親どころか誰ひとりいないことを確認したタンジェリンがこちらを振り向く前に、
「タンジェ!! ――かわせ!!」
 黒曜が突如、青龍刀を抜いてタンジェリンに躍りかかった。
 先の注意が功を奏したらしく、タンジェリンが間一髪でそれを避けたのも見えた。――何が起きた?
「……何の冗談だ?」
「やられた……! 身体が動かん……! 何とか避けろ、タンジェ!」
「ふざけんなてめぇ! どうなってやがるんだ!?」
 二人が何故戦闘を始めたのかは分からない、黒曜とタンジェリンのどちらに加勢するべきかも測りかねる。だが、二人の会話から察するにどうやら異常事態が起きているのは黒曜のほうらしい。俺は少しだけ逡巡した。――黒曜を相手にはしたくねえ。
 パーティを組むとなったとき黒曜に歯向かって、容易く床に転がされた経験があった。できれば戦いたくはない相手だ。だが、タンジェリンのほうに集中している今なら――?
「く……!」
 俺が逡巡している間に、パーシィがハンプティを向く。それから利き手の左手を翳し、聖句を唱えようとしたところまで確かに見えた。
「それを向ける相手は、ボクじゃないよね?」
 だがハンプティの視線に射貫かれたパーシィは、躊躇うことなくタンジェリンのほうを振り返り、
「タンジェ、すまない、少し痛いと思う……! <ホーリーライト>!」
 光の弾がタンジェリンに当たる。
「パーシィ、てめぇ!」
「俺の意思じゃないんだ……!」
 理解した。洗脳だ。今の流れを見ていれば俺だって分かる。
「ハンプティ、てめぇだな……!?」
「あはは! 大正解ー! パパとママがいるなんて、真っ赤なウソでした!」
 ハンプティが元凶だ、それを理解したとき、俺の脳裏に過ったのは、いかに黒曜と刃を合わせずにハンプティを殺るか、だった。
 黒曜とパーシィは現時点で敵の駒とみなす。つまり、俺とタンジェリンは数の上ではすでに不利。
 タンジェリンが黒曜とパーシィの標的であり、ハンプティもタンジェリンとの会話に集中している今なら――。
 パーシィの<ホーリーライト>がタンジェリンに向かったタイミングで、まっすぐにハンプティへ駆ける。パーシィは普段は<ホーリーライト>を連打することはほぼないから、安全に仕掛けるならここだ。
 だが、そこは見込みが甘かった。攻撃がパーシィの意思でないなら当たり前だ。
 ハンプティが俺の間合いに入るより先、ハンプティと俺の間に光弾の雨が降り注ぐ。
「……ちっ!」
 それから一瞬でタンジェリンから俺へと標的を変えた黒曜が割り込み、青龍刀を逆袈裟に振り上げた。これはかわしたが、頬に一閃、傷が入った。
 ハンプティを最優先で守るように洗脳されている、と見た。
 やりにくい。
 黒曜が本来仲間だから、とかではない。単純に、戦闘スタイルが噛み合わず、戦いづらい。棍棒を突き出す。相当力が乗っているはずだが、青龍刀の刃で簡単に攻撃の方向を逸らされる。
 取っ組み合いまで持ち込めれば負けないだろうが、武器を持った状態では分が悪い。だがそんなことは向こうも承知らしく、決して俺に不必要に近付こうとはしなかった。
 俺はそれでも追い縋り、何度か棍棒を打ち付けたが、青龍刀でいなされるどころか武器を振り下ろした隙を突かれて傷をこさえる始末だった。
 少なくとも俺一人じゃ無理だ。俺はタンジェリンのほうへいったん退く。
 タンジェリンはハンプティとまだ何か話している。
「だからボクもさ、悪魔なんだよ、あ・く・ま!」
「てめぇが悪魔ならパーシィが見逃すはずねえだろ!」
 ようやく耳に入ってきたのはそんな会話だった。
 パーシィは確かに、人よりは悪魔の察知能力に優れているかもしれない。だがそもそもパーシィだってラヒズの正体を最初から見抜けていたわけじゃねえ。不快感がある程度だった、それがあんな悪魔だったもんだから、それ以来あいつは悪魔の気配を過剰に探ろうとしている。パーシィは完璧じゃない。元天使とはいえ、あいつはすでに地に堕ちている。こんな見落としが起きることくらい、俺にとっては何も不思議じゃねえ。
 俺はパーシィを見る。パーシィはすでに自我が落ちているようで、虚ろな目でこちらを眺めていた。……やりづらい。
 パーシィが光弾を放つ。量がとんでもねえ。普段あいつがこの量の<ホーリーライト>を打たないのは、仲間を巻き込まないためだ。あいつがその気になれば、多少の草原くらい焼け野原にできることは知っている。もっとも、やつの体内のエネルギー残量が、それを無限に打つことは許さない。パーシィが正気なら、だ。

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不退転の男(Side:アノニム) 1

「行ってくる」
 と声をかければ、他の奴らの言うところの「親父さん」と「娘さん」が「気をつけてな」「いってらっしゃい」と応答する。
 俺――アノニム――はいつも、それを聞き届けてから外出する。俺が挨拶をするのが意外らしく、初めて聞いたときのタンジェリンは目を丸くしていた。もっとも、今ここにタンジェリンはいない。親父に頼まれて買い出しに行っているらしい。
「アノニム! ちょっと待ってくれ!」
 星数えの夜会の玄関を開けようとすると、バタバタと階段を降りてくる音と聞き慣れた声がする。パーシィだ。
 呼び止められた理由は分かる。俺は大人しく玄関で待って、パーシィが小走りで俺の前まで来るのを見届けた。
「こんなに早く出かけるとは思わなかったから。呼び止めてすまない」
「さっさと行ってさっさと帰る」
「そうだな、それがいい」
 と言いながら、パーシィは自身の胸の前で手を組んで目を閉じた。数秒、それだけだ。顔を上げたパーシィは「それじゃあ、いってらっしゃい」と笑って俺を見送るのだ。
 あれがなんなのか詳しいことは知らない。だが、パーシィは俺が一人で出かけるとき、タイミングが合えば必ずあれをする。本人曰く、ミゼリカ教のおまじないらしいのだが、俺のような不心得者にどこまで効果があるのかは謎だ。どうでもいいことだが。

★・・・・

 娼館の並ぶ花通り。そこいらの娼館を取りまとめているアルベーヌから頼みがあると呼ばれていた。花通りでは最近、俺の幼馴染みが死んだ。たぶん、その遺品整理でもするのだろうと思っている。といっても、幼い頃に娼館に来て以来ほとんど贅沢をしなかったあの女――エリゼリカに、そこまで大層な荷物はないことを俺は知っていた。
 花通りは、昼間はほとんど娼婦たちが家事に勤しんでいて、晴れた今日は洗濯を干すものでいっぱいだった。娼館に入ればすぐアルベーヌと対面し、アルベーヌは俺をエリゼリカが使っていた部屋に案内した。
 小さくはあったが小綺麗な部屋だった。俺にはものの価値は分からないが、たぶんしつらえた家具の値段はそんなに高くない。小さなものばかりだ。それでも女たちでこの家具を運び出すのは骨だろう。
「どこに運び出せばいい」
 俺がアルベーヌに尋ねると、アルベーヌはびっくりしたような顔をして、
「運び出す?」
「?」
 俺のほうもアルベーヌを見た。
「捨てるんだろ?」
 アルベーヌは、一瞬怒ったような、呆れたような、よく分からん表情になり、
「あのねぇ。ここは、ベルギアの部屋にするんだよ。ベッドに柵を取り付けてやってさ。ここならみんなもすぐ様子を見に来られるだろう」
「……」
 ベルギアというのは、エリゼリカが死に際に産んだ赤子の名だった。エリゼリカがあらかじめ決めていたのを、俺も何度も聞かされていた。
「で、材料は買ってきたんだけど、柵を取り付けるのもちょっとした労働だからあんたを呼んだのさ」
 確かに材木が置いてある。俺向けじゃないと一発で分かった。親父に頼まれて星数えの夜会の屋根に上り雨漏りの修繕を試みたことがあるが、ろくなことにならなかった。
「俺向けじゃねえ」
 俺は素直に言った。
「他に頼れるやつもいないのよ」
 適当でいいからやっちゃって、と言う。
 結局あのとき雨漏りを直したのはタンジェリンだった。どうせ買い出しに出ていて交替もできねえ。そもそもアルベーヌはよく知らねえタンジェリンをここまで上げないだろう。仕方なかった。

★・・・・

 言われたとおり適当にベッドに板を打ちつけて、それでよしとした。赤子が落ちない程度にはなっているだろう。
 そもそもそこまで高さはないベッドだ。落ちたって死にはしないはずだ。
「助かったわ、アノニム」
 アルベーヌが俺に言って、金を握らせた。
「ん」
 受け取ったが、たかが板をベッドに打ちつける作業の礼としては袋が重い。
「エリゼリカはずいぶんお金を貯めていたわ」
 不意にアルベーヌが言った。
「……その金は赤ん坊を育てるのに使え」
「もちろんそのつもりよ。でも、エリゼリカはあなたにも何か礼をしたがると思うのよ」
 だからその分、半分はアタシから、とアルベーヌは言った。
 死人がそんなことを思うわけがない。思えるわけがない。死は終わりだ。死者はその死後に何の主張もしない。これはアルベーヌが思い描いた単なる理想で、妄想だ。
 だが、金は受け取った。
 エリゼリカの想いが宿っていないことなど知っている。が、きっとアルベーヌの想いはそこにあるからだ。

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不退転の男 5

 目が覚めると、見慣れた俺の部屋だった。
 ぼーっと天井を眺める。鳥の鳴き声が聞こえる。朝?
 起き上がろうとすると、全身にびりびりと痛みが走った。
「いってぇ!!」
 思わず叫ぶと、横からバッと黒い影が手を伸ばしてきて、俺を無理やり寝かせた。黒曜だ。
「……! ……!!」
 言葉にならない、といった様子の黒曜が、何かを言おうとしては口を閉ざし、を何度か繰り返したのちに、水挿しから水を汲んで、俺に飲ませた。明らかに俺より黒曜のほうが動揺していて、水を飲んで落ち着くべきは黒曜だったが。
 それから黒曜はらしくなく、立ったり椅子に座ったりを繰り返したあと、
「大丈夫か」
 と俺に尋ねた。
「いや、てめぇが大丈夫か? やたら落ち着きがねえぞ」
 思わず聞き返すと、
「……記憶がないのか? パーシィに頭を思い切り殴られたようだからな……」
 ――それで、思い出した。
 俺は身体をがばりと起こした。
「俺たち、ホックラー遺跡から生きて帰ったんだな!?」
 黒曜ははっとした顔をしたあと、静かに頷いた。
 それから俺の手を取って握りしめ、
「お前には……深い傷を負わせた。責任を取る……!」
「責任……? 切腹するとか言い出すなよ? 操られてたんだから仕方ねえだろ」
 黒曜は無表情のままだったが、頭から生えた黒豹の耳が僅かにぺたりと寝た。
「アノニムとパーシィも無事なのか? ハンプティは? あのあとどうなった……?」
「俺も気絶していたから又聞きになるが、アノニムが……何とかしたようだ」
 あいつ、負けたら死ぬとか言っていたが、結局戦ったんじゃねえか。俺は安堵した。
「ハンプティの行き先は分からない。アノニムは、深追いはしなかった、と言っていた」
「まあ、仕方ねえよな……」
 それが正解だ、と思う。本当に死んでもおかしくはなかった。
「俺は途中から記憶がないのだが」
 黒曜はそう先に述べてから、どうやら俺が今回の功労者であったことと、それへの感謝を述べ、頭を下げた。
「すまなかった」
「いや、今回は誰も悪くねえだろ……」
 パーシィがハンプティを悪魔だと気付けなかった時点で、回避できない危機だっただろう。
 だったら全員生きて帰ってこられただけで良しとすべきだ。
「しかし、なんで俺とアノニムはやつの<魅了>が効かなかったんだ?」
 純粋な疑問を口にする。黒曜に分かるわけがないと思ったが、黒曜は俺の顔をじっと見て、少し言い淀むような仕草をした。
「きみのピアスだよ」
 いつの間にか俺の部屋の入り口にサナギが立っていた。救急箱を持っている。サナギは続けた。
「バレンタイン以来、きみがしているそのピアスは、破魔の力が込められたマジックアイテムだ」
 その言葉に、俺は存在を忘れるほどつけてて当たり前になっているピアスに触れた。確かにバレンタイン以来、穴を開けてずっとつけている。これは黒曜にもらったもので、――俺は黒曜を見た。
「確かにそのタンジェリンクオーツには、俺の故郷に伝わる破魔のまじないをかけた」
「天使の意識すら奪う悪魔の<魅了>を跳ね飛ばすんだから、大したものだよ」
 黒曜は椅子から立ち上がり、サナギにそれを譲った。サナギは俺の包帯を取りながら、
「実に愛されているじゃないか」
 と、にっこり笑った。悔しいことに顔が熱くなった。サナギを睨んだが効いていないらしい。
「じゃあ、アノニムはどうなんだよ」
「実は……よく分からないんだよね。最低限のことしか聞いていないんだ」
「最低限のこと?」
 サナギは、昨日の夕方にアノニムが意識のない俺と黒曜、そしてパーシィをたった一人で抱えて連れて帰ってきたことを話した。アノニムによれば、ハンプティは逃がしたが、それで正気を取り戻したパーシィがなんとか俺の傷を癒して命を繋ぎとめた。が、そのパーシィのほうも燃料切れだ。俺の傷を完治させることはできないままぶっ倒れ、今も昏睡しているらしい。
「だから俺がこんな医者の真似事をしているわけだ」
 サナギは俺に残る傷を丁寧に消毒しながら笑った。痛え。どいつもこいつも手加減くらいしやがれよ。
「とはいえ、俺が生きてるのはパーシィのおかげだろうな……。パーシィは大丈夫なのか?」
「ぜんぜん問題ないよ。ただのエネルギー切れ。自分の心配したほうが建設的だよ」
 きみも元気そうだけれどね、とサナギは言った。
「本当にタフだね。こんなタフな盗賊役、他ではちょっとお目にかかれないな」
「ま、それが取り柄みてえなもんだからな」
 だから黒曜も、そんな心配そうな顔をするんじゃねえよ、と思う。
 別に怪我なんか治る。それに今回のことはいい経験になった。ガキ相手にも油断しちゃ駄目だ。パーシィにだって察知できない危険はある。悪魔はクソ。短距離と遠距離で波状攻撃されたらマジで強え。
 それから、諦めることはやっぱり最悪の選択だ。

 のちにサナギがこう言って笑う。「きみは不退転の男だね」、と。

【不退転の男 了】

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不退転の男 4

「目的は何なんだよ……! てめぇ、ラヒズの関係者なのか!?」
 アノニムと黒曜が武器を打ち合っている隙に俺が叫んで尋ねると、ハンプティは、
「あーラヒズね。まあ同期、みたいなもの。でもあいつ酷いんだよ! ボクをこっちに喚ぶだけ喚んで、あとは放置だもん!」
「わけ分かんねえよ……! どういうことだ!?」
 アノニムが退いてきて俺の横に立つ。無言だったが、俺が見る限り黒曜に対して力押しは無意味だった。かなりの数の攻撃をいなされていて、黒曜は傷一つなかった。アノニムのほうは致命傷こそ一つもないが、いくつもの切り傷ができている。
「だからボクもさ、悪魔なんだよ、あ・く・ま!」
「てめぇが悪魔ならパーシィが見逃すはずねえだろ!」
 そこは信用している。だが、
「ああそれね。ラヒズの気配が強すぎて、ボクの正体がカモフラージュされてたんじゃない? それか……<魅了>にかかった時間を見るに、もしかしてボク弱体化してる? 悪魔の気配がないほど? やだー最悪なんだけどーもー」
 子供のように駄々をこねるハンプティだが、……それなら納得がいく、のか?
「そうなのかよ? どうなんだ、パーシィ!」
「……」
 パーシィからの反応はなく、翳した左手からいくつもの光弾が立ち上り、俺とアノニムに豪雨のように降り注いだ。
「っつ……!」
 かわせるはずもない。武器で守れるレベルの攻撃でもない。光弾の当たった場所が焼けたように熱い。
「元とは言え天使が悪魔の<魅了>にやられるって……そんなのアリかよ!」
「あーっ、舐めてる!? ボクの<魅了>は本当に強力なんだから!」
 虚ろな目のパーシィと黒曜を両脇に侍らせて、ハンプティが頬を膨らませる。……くそ!
「そもそも悪魔と天使はお互いが弱点同士なんだから、先手を打ったほうが勝つのが道理なの! 悪魔が天使に負けてばっかりみたいな偏見やめてね?」
 偏見をやめるのはいいが、距離を取ればパーシィの光弾、距離を詰めれば黒曜の青龍刀だ。敵に回すとこんなに厄介だとは。
「アノニム、とにかくハンプティをやる! 一気に行くぞ! 何なら俺を囮にしやがれ!」
 斧を構えてアノニムに叫ぶ。アノニムからの反応はなかった。
「……アノニム?」
 これでアノニムまで<魅了>にかかったら打つ手がない。俺はこの遺跡から帰れないだろう。だがアノニムは正気の目をしていた。
「……」
「おい、何とか言いやがれ!」
 正気の目をしてはいるのだが、様子は明らかにおかしかった。あまつさえアノニムの視線は、この部屋の出入り口のほうを向いていた。
「……逃げる気かよ!?」
 俺は驚愕した。アノニムは俺の顔を見た。
「勝てねえ」
「あ……!?」
「黒曜とパーシィが本気でかかってきたら、勝てねえ。見りゃ分かるだろ」
 だからって、と喉から声が出た。
「だからって置いて逃げんのか……!?」
「……」
 信じられなかった。こんな腑抜けだとは思わなかった。
 確かにただでさえ力押しの俺が、それを超える力押しのアノニムと組んだところで、技巧派の黒曜と遠距離攻撃のパーシィに勝てはしないかもしれない。
 だが、それがなんだっていうんだ!?
「負けたら終わりだ」
 アノニムは俺の視線から逃れようともせず、ただ淡々と事実を述べるように言った。
「死ぬぞ」
「……!」
 カッとなる。負けたら終わり、死ぬ、だから逃げるだと!?
「てめぇはエスパルタで俺に大事なもののために命を賭けろと言ったじゃねえか!! ふざけてんじゃねえぞ……!! 俺たちが逃げたら黒曜とパーシィがどうなるか分かんねえんだぞ!?」
「とりあえずボクの従者にしよっかなー」
 ハンプティののんきな声が応答する。
「二人ともかっこいいしね! でもボクの好みはタンジェなんだけども」
「言ってろ……! ぶっ潰してやる!」
 黒曜とパーシィをふざけた悪魔の従者になんかさせてたまるか!
 斧を握り直してハンプティへまっすぐ駆け込む。この距離なら、来るのは間違いなくパーシィによる<ホーリーライト>だ。
 パーシィが普段、これだけの光弾を連発することはまずない。パーシィの力の源は人々の「祈り」とやらで、やつはそれを身体にストックしているが、「祈り」は聖なる力を使うほど消費されていき、やがて枯渇するからだ。そう聞いている。
 つまり、パーシィの<ホーリーライト>は、いつか必ず打ち止めのタイミングが来る!
 光弾が降り注ぐ。一発ずつの威力が上がっているのが身に染みて分かる。光の着弾した箇所がみるみるうちに焼け爛れていく。だが、その分、消費する「祈り」の量だって多いはずだ。
 打ち止めは、今じゃなくていい。俺が死んだあとだっていい。少しでも「祈り」を消費させろ! それで少しでも勝ち筋を見出したなら、あの腑抜けも考え直すかもしれない。そうだ、アノニムが立ち上がればそれでいい! そうしたら俺が死んでも俺たちの勝ちだ!
「くたばりやがれ!!」
 光弾で焼けた身体に鞭打つ。俺は吼えてさらにハンプティに突っ込んでいった。黒曜が躍り出て俺の振り被った斧を受け止める。
 斧を引くのに合わせて黒曜も青龍刀を構え直す。距離を取ればパーシィの光弾が当たる。だが構わない、使わせることに意味がある。
 黒曜の青龍刀は容赦なく無慈悲だが、かといって殺意を感じもしない。ただ淡々とあるだけの冷たい刃だ。そこに黒曜の意思がないことがありありと分かる。だが、だからこそ軌道は読みにくく、黒曜と打ち合うたびに生傷が増える。
「がんばれ、がんばれー」
 ハンプティの気の抜けるような応援が聞こえる。
「……っち!」
 体力には自信がある、まだしばらくは打ち合える。身体中が痺れるように痛み、生傷からは血が出ていたけれども、些細なことだった。
 だが、黒曜の青龍刀が器用に俺の斧をすり抜けて、俺の脇腹を抉る。痛みに顔を歪めたその一瞬の隙で、青龍刀の返す刃が俺の腹を貫いた。
「……くそ……!」
 諦めるな……! ……諦めるな!!
 俺は腹に突き刺さった青龍刀の先にいる黒曜の手を掴んだ。
「俺はまだ……諦めてねぇぞ‼」
 俺は力を振り絞って、黒曜を思い切り引き寄せると、そのまま大きく頭を振りかぶった。自分の額を黒曜の額に思い切り打ちつける。
 普段の黒曜ならこんな頭突きをまんまと喰らうことはなかったはずだが、所詮は他人のコントロール下といったところか。俺の石頭が直撃した黒曜の手は青龍刀から離れ、彼はそのまま昏倒した。
 ハンプティはぽかんと口を半開きにしていた。
「はぁ、はぁ」
 あとはパーシィだ。光弾が来ない、ということは、燃料切れか? それならあとは、ハンプティをぶちのめすだけだ……!
 よろよろとハンプティに近づき、だがハンプティは別に逃げもせず楽しそうに俺を眺めている。なんとか斧を振り上げる、が、その瞬間に後頭部に衝撃が走った。鈍い痛み。意識を失う前にかろうじて振り返れば、メイスを振り下ろしたパーシィの虚ろな目が俺を見下ろしていた。

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プロフィール

管理人:やまかし

一次創作小説、
「おやすみヴェルヴェルント」
の投稿用ブログです。
※BL要素を含みます※

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