NEMESIS 2
結局、道中で一行が気を揉んだのは雨が降ったことくらいで、妖魔も野盗も現れはしなかった。旅程は順調、予定通り5日目にはスーゼヒェッテに辿り着いた。
門でベルベルントから来た冒険者であることを告げ、荷物検査やらを受ける。ウォークスルー状態で入れる街も数多あることを考えれば厳重なほうだ。時間がかかって煩わしいが、警備がしっかりしているのはよいことだ、文句は言えない。30分前後待たされたが、黒曜一行はつつがなく中に入ることができた。
門を出ると直接目抜き通りに繋がっている。
パッと見た印象では、スーゼヒェッテの建物の造りなんかは、ベルベルントと大差ない。道幅や人出はさすがにベルベルントより規模が小さいが、露天も出ていたし賑わっていた。違う部分として特筆するなら、行き交う人々の中に獣人は見当たらない。これに関しては、どちらかというとベルベルントのほうが異質だ。ただ、黒曜たちに気付くと、おっ、という感じで視線を向けてくる者もいるのだが、いずれも拒絶の意図はなさそうだった。変に絡まれたり、突っかかられたりすることもなかった。さすが厳重なだけはある、治安はいいのだろう。
さて、一行はすぐにサナギの案内で彼の家だという場所に向かう。
目抜き通りを歩いている途中で、背の高い建物が見え、タンジェは青空にそびえるそれを目を細めて見上げた。
「教会か?」
思わず呟くと、
「ああ、あれは図書館だよ」
視線を追ったサナギが教えてくれた。
「スーゼヒェッテ大図書館は、世間ではちょっと有名さ」
「図書館? ……ああ、そういや聞いたことある気がすんな」
私塾でスーゼヒェッテについて習ったときに、そんなようなことを聞いたかもしれない。あまり関心がなかったのですっかり忘れていた。
「あとで行ってみるといい。建物自体も素敵だよ」
そうだな、と生返事をした。美的センスはないほうなので、建物に素敵とか素敵じゃないとか思ったこともない。タンジェは建物というのはその目的にあった快適さがあればいいと思っている。わざわざそんなことを言いはしないが。
「さあ、この石段を上った先だよ」
目抜き通りを抜けて外れを少し歩き、石段のある路地でサナギが言う。体力がないサナギがよくもまあ石段の先なんかに家を建てたもんだと思う。もしかして、かつてのサナギの中には、筋骨隆々なサナギもいたのだろうか。タンジェの視線に気づいたサナギが、不思議そうに笑って首を傾げる。タンジェはなんでもねえ、と言った。
石段は思ったより長く、往復すればいいトレーニングになりそうだ。上りきればいかにも古そうな家が並ぶ一角についた。
その中の一つ、蔦が這うレンガ造りの建物が目に留まった。円形に突き出た全面ガラス張りの大きな部屋がある。ただ、曇っていて中は見えない。
何とはなしにタンジェが覗き込んでいると、
「そこはコンサバトリーだよ。サンルームの一種だね」
サナギが言いながら、レンガの家の扉に古びた鍵を差し込んだ。ということは、なんとも偶然、ここがサナギの家らしい。
がちゃりと大きな音を立てて鍵が開く。サナギがタンジェたちを招き入れた。
「さ、どうぞ」
言われるがまま入ったはいいが、何年使われていないのやら、ずいぶんホコリっぽかった。思わず眉を寄せていると、
「うーん、最後に掃除したのが50年くらい前だからなあ」
サナギがのんきなことを言っている。それだけ放置されてもなお家としての形を保っているというのが驚きだ。
とりあえず一通り家を案内してもらい、間取りを把握する。夜会にあるサナギの自室や研究室のことを考え、どうせこの家も雑然と散らかっているのだろうとタンジェは思っていたのだが、想像より遥かに室内は整えられていた。もちろんホコリやカビはあるのだが、それを綺麗にすれば見違えるだろう。
ただ例外はあって、サナギが研究室として使っていたらしい部屋はとんでもない荒れ方をしていて、タンジェは額を押さえた。
「ここは俺が片付けるよ」
サナギが言うが、こいつは星数えの夜会の自室だってまともに片付いてはいない。やらせるだけ無駄だ。とはいえ、サナギの一番プライベートな部分だろう、ずかずかと乗り込むと後が面倒だろう。たとえばタンジェにはサナギにとって重要なものが何か分からない。それを勝手に処分してしまうなどの不手際があったら、サナギに悪い。
止むを得ないだろう。研究室はサナギに任せるとして、タンジェたちは大まかに家のどの部分を担当するか決め、さっさと掃除を始めることにした。思いのほか広い家だったが、まだ日は高い。夕方までに飯を食う場所と寝る場所くらいは確保したいところだ。
「よし、さっさとやっちまうか」
独り言だったが、一応、メンバーから「おう」「ああ」「ん」といった、特に気合いもない雑な応答があった。気のない応答はともかく、さっさとやっつけてしまいたい気持ちは同じなのだろう、各々がすぐに掃除に取りかかった。
★・・・・
サナギは掃除に3日かかると見積もっていたが、それはたぶんサナギを基準に考え算出したものだ。彼は自身の掃除や整理整頓に関する能力の低さをいまいち深刻にとらえていないらしく、甘く見ているところがある。実際、掃除が好きでも得意でもないタンジェですら、担当の場所の掃除を数時間で終えた。ほかのメンバーを手伝って回っても夕方までにはほとんど掃除は済んで、結局サナギが名乗りを上げた研究室だけが、いつまでも混沌の中にあった。
「え? もう終わったの? 早くない?」
「……サナギが遅すぎる。掃除下手すぎ」
ため息をついた緑玉が真実を告げる。サナギは驚愕の表情になった。
「掃除に上手いとか下手とかあるんだ……」
「あるよ……だからこうなってるんでしょ」
やれやれといった様子で、緑玉が研究室に踏み入ろうとして、立ち止まった。
「……入っていい?」
「いいよ。よかったら手伝ってほしいな」
「大事な部屋じゃないの?」
「みんなに見られて困るものはないよ。仲間なんだからさ」
それを聞いて、緑玉は躊躇いがちに入室した。
「つい、積まれた研究内容を読んじゃうんだよね」
「掃除が進まねえやつの典型だな」
言いながら、タンジェも研究室に踏み入る。
山のような紙束と本、空になったインク壺の横に、封の切られていないものもある。ペン先の潰れた羽ペン、それからフラスコやら試験管やら、何らかの実験器具。それもうずたかく積まれている。
「……」
手伝ってほしい、と言われて入ったはいいが。どこから手を付けたものか……。
「この空のインク壺は不要だな?」
タンジェのあとから黒曜も入ってきて、空のインク壺を拾っている。不燃物のゴミ袋にそれを放り込んだ。
「何かに使えない?」
「使えない。捨てるよ」
サナギの言葉に緑玉が即答した。
部屋の隅では大量の植物が干からびている。よく見れば、植物だけじゃない。得体の知れない干物が大量にある。見なかったことにしたいが、目的は掃除だ。
「こっちの干からびてんのはどうすんだよ」
「それは実験に使えるかもしれないから」
「50年放置してたのに今さら使わない。捨てる」
緑玉によって干物はぽいぽいと可燃物のゴミ袋に捨てられていく。さらに入室してきたパーシィも、
「本やら紙束は実験に関する資料なんだよな? それ以外の消耗品は劣化が激しいから捨ててしまっていいかい?」
口こそサナギに伺いを立てているが、手は問答無用でそこら辺のものをゴミ袋に入れまくっている。
「はわ……」
一同のあまりに無慈悲な動きについていけていないらしく、サナギは妙な声を上げて目を白黒させていた。
NEMESIS 1
日が差す星数えの夜会の1階テーブル席で、不意にサナギがこう言った。
「俺からの依頼を受ける気はない?」
タンジェだけでなく、パーティ一同がサナギを見た。
「どういうことだ」
黒曜が尋ねると、サナギは「大したことではないんだよ」と前置きしてからこう続ける。
「俺がホムンクルスを造って、死ぬ前に意識や記憶を次代に継いでいってることは伝えたよね?」
聞いた話だ。理解を遥かに越えてはいるので、あまり考えないようにしているが……。
「それで、何代か前まで俺はスーゼヒェッテという街にいたんだけど、そっちに家が残ってるんだよね」
軽く相槌を打ち、黒曜が続きを促す。
「何かの役に立つかもしれないし、家を引き払うつもりはないんだけどさ。定期的に掃除しないと保つものも保たないでしょ。要するに、俺の古い家の掃除を手伝ってほしいのさ」
家の掃除か。大した労働ではなさそうだ。タンジェ個人としては悪くないと思う。他の依頼も抱えていないし、宿でダラダラしているよりよほど建設的だ。
サナギは、
「依頼料として、俺の個人的なお金をパーティ用の金庫に入れておくよ」
と。移動カジノ・シャルマンのときも思ったが、サナギは意外と自由に使える金を持っているようだ。もっとも、何代分も生きているのだから、多少の貯金は当たり前なのかもしれないが。
黒曜はしばし考えているようだったが、
「何日くらいかかる?」
「馬車を乗り継いで5日、向こうでの掃除は3日もあれば終わるかな。それから帰ってまた5日。まあ、多めに見て2週間あれば。旅費は俺が出すよ」
観光ついでと思ってくれたらいいよ、とサナギは言った。頷く黒曜。
「分かった、受けよう」
それで黒曜一行は、急ではあるが、スーゼヒェッテに向かうことになった。
★・・・・
タンジェは国の地理や政治なんかには詳しくないのだが、スーゼヒェッテはエスパルタからそう離れてはいないのでまったく知らないわけでもない。ペケニヨ村の私塾でそういう街があることは教わった。ただ、行ったことはない。
馬車に揺られながら街道をゆく。
馬車の中で退屈しのぎに――というわけではないだろうが、サナギは先日のハンプティとの戦いについて話し出した。正確には、戦いのことというよりその後のことについてだ。
「精神操作の類について対策をしておくべきだと思うね」
黒曜は静かに頷いたし、パーシィは苦い顔をした。アノニムは馬車の外を眺めている。緑玉は黙ってクッキーを食んでいた。
ハンプティとの戦いはタンジェたちに結構な傷を残したけれども、致命傷というわけでもない。タンジェの腹には傷跡が残ってはいるが、もう痛みは引いている。動くのに支障もまったくない。元気そのものだ。
タンジェは腹の傷を服の上から軽くさすったあと、サナギを見た。
「対策も何も。あれ以来、破魔のちからとやらについていろいろ調べてんだろ」
タンジェのピアスが<魅了>を破ったのは、黒曜の故郷の<まじない>がかかっていたからだ。アノニムのほうも――これはのちに知れたことだが――パーシィによる<おまじない>とやらがかかっていたらしい。サナギによれば、こちらも目下研究中だそうだ。
「うん。それで思ったんだけど、もしかしたらスーゼヒェッテの家にも似たような研究資料がないかなあ、って」
なるほど。長い研究生活の中で、そういうものがあってもおかしくねえか。
「そっちが本命ではないのか」
黒曜は鉄面皮だから、その表情からは特別な感情は読み取れない。それでも責任を重く感じているらしく、サナギの調査に付き添って遅くまで起きていることが増えていた。健康のためにさっさと寝てほしいので、調査が進むのは大歓迎だ。
「正直、そういう研究はやった記憶がなくてさ。だから、あんまりアテにはできないんだ。本当にあったらいいな、程度で」
「はは、結局、本題は掃除か」
苦い顔をしていたパーシィが顔を綻ばせる。
そういえば――昏睡から目覚めたパーシィがいやに深刻な表情でタンジェを訪ねたので、何かと思えば謝罪だった。「俺がもう少ししっかり気配を探れていれば、きみにそんな怪我はさせなかった」だの「全部俺の神聖力の不足が招いた結果だ。本当にすまなかった」だの、らしくなくかなり落ち込んでいたので、タンジェは面食らった。「別に誰も悪くねえ」と黒曜に言ったのと同じことを言ったが、あまり心には響かなかったらしく、最終的には肩を落としたまま退室していった。まあ、翌日になったらすっかり元の調子に戻っていたが……。それはそれで切り替え早すぎるだろと思わないでもないが、ずっと落ち込まれていても鬱陶しい。
馬の蹄が鳴る。馬車は進む。外を眺めているアノニムは会話に割り込んでこない。先日、急に現れたアノニムと怒鳴り合ったが、どちらかといえばそっちのほうが例外で、本来タンジェとアノニムはろくに会話もしない。最終的に喧嘩のようにはなったものの、感謝しているのは嘘ではない。アノニムのおかげでみんな助かったようなものだ。黒曜はタンジェを功労者だと言ったが、実際のところはアノニムのほうがそれに相応しいのかもしれない。
しかし、黒曜とパーシィを見捨てて逃げようとしたことを忘れてはいない。結果としては助かったのだが、タンジェの中では釈然としない思いは未だにある。感情的になるアノニムは初めて見た。何か考えや信念があったのだろうとは思うが、たぶんそれはタンジェと相容れるものではないのだろう。
「もうじきベルベルント領を抜けるね」
緑玉がぽつりと言った。うん、とサナギが応じる。
「大丈夫だとは思うけど、妖魔と野盗には気を付けるとしようか」