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きっと失われぬもの 2

 ようやくサナギが起きてくる頃には、俺たちは飯を食べ終えていたし、情熱の靴音亭にいた人々もほとんどが退店していた。
 ボサボサの髪を手櫛でとかしながら階下に降りてきたサナギは、「早いね、みんな」とのんきなことを言った。こいつは日頃から夜遅く朝も遅い。
「わあおいしそう」
 テーブルに残しておいたチキンのトマト煮とパンを見てにこにこ笑う。
「ありがとう。これを俺のために残してくれたのは誰の采配?」
 一同が緑玉を見ると、緑玉はそっぽを向いた。
「緑玉はいつも俺のこと考えてくれるね、ありがとうね」
 サナギはガキに言うみたいに礼を重ねたが、俺はぜんぜんピンとこなかった。緑玉とサナギの間に何か繋がりがあると感じたことは一度もない。
 とうの緑玉は「べつに」とか言ってるし、特別な意図があったとは思えなかった。もっとも、俺にとって緑玉は何を考えているか分からないし、無口だし、共通の話題もないので会話もない、謎の多い存在なのだが。
「今日はどうするか決めた?」
 席についてパンをちぎりながらサナギが尋ねる。黒曜は「今日一日はエスパルタで過ごす」と端的に答えた。
「自由行動?」
「そうなる。宿はもう一泊分、すでにとった」
「やったね!」
 サナギはぴょんと小さく椅子から尻を浮かして喜んだ。
「やっぱり外国に来たら観光しなくちゃね」
 昨日悪魔に騙されて場合によっては危うく死ぬってところだったのに、本当に図太いというか。こいつの好奇心を殺すのは骨が折れるだろう。
 それからは何気ない雑談――たとえばエスパルタの名物や名所などについて――をして、つつがなく食事を終えた。俺たちは解散し、各々一日を自由に過ごすことになった。

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きっと失われぬもの 1

 カーテンから射し込む光はまだ弱いが、俺――タンジェリン・タンゴ――の目を覚ますのには充分だった。
 冬のエスパルタ。昔、親父とおふくろに連れられて、聖誕祭のマーケットに来たっけ。
 エスパルタの聖誕祭は、ベルベルントのそれよりも期間が長い。十二月の後半から、年明けの一週間くらいまでは聖誕祭だ。
 カーテンを開けて窓の外を見ると、通りにはガーランドがかかって、人々が往来している。

 ここはエスパルタの『情熱の靴音亭』という名の宿だ。
 悪魔ラヒズに騙されストリャ村行きのニセ依頼を受けた俺たちは、そこでまあ――散々な目に遭って、ストリャ村行きの必要も無くし、エスパルタへとやってきた。
 エスパルタは何事もなく、聖誕祭で賑わっている。
 当日、六人分の宿が取れたのも運が良かった。薄暗い通りの小さな宿で、部屋も屋根裏や倉庫みたいだったが、眠れれば充分だ。
 昨晩は余計なことを考えたくなくて、俺はさっさと湯を浴びて寝た。疲れていたんだろう、ぐっすり眠ったからか、今はそう悪い気分じゃなかった。
 ベッドの上で伸びをしているとノックの音がした。
「タンジェリン、起きているか?」
 黒曜の声だ。わざわざ起こしに来てくれたということは、寝過ごしたのだろう。
「ああ……起きてるよ」
「朝食を注文するからそろそろ来い」
 そうか、分かった、と俺は答えた。すぐにベッドから降りて手早く身支度を調えると、俺は軋む狭い階段を降りて階下に向かった。
「うおっ……」
 がやがやとざわつく情熱の靴音亭。ほとんどが食事をとりにきた客らしい。
「ほら、どいたどいた! お待ちどおっ、牛肉のトマト煮だよっ!」
「おい姉ちゃん、こっちにも同じもの一つ!」
「空いてる席はどこだぁ?」
「三名ご来店ですー!」
 星数えの夜会では信じられないくらいの盛況ぶり。聖誕祭の時期なのもあるが、飯が美味いのかもしれない。それにしたって、夜はあんなに薄暗くて人気の無い通りだったってのに。
「おーい、こっちこっち!」
 パーシィが俺のことを呼びながらぶんぶん手を振っている。小さなスペースに大きな身体の黒曜、緑玉、アノニムがぎゅうぎゅうに詰まっていた。
「おお……座れるか? 俺」
「座っちゃっておくれ! 突っ立ってられると邪魔だよ!」
 ウェイトレス姿のでかい女に言われて、ほぼ押し出されるようにして俺はテーブルにつく。見れば一応、今にも潰れそうな椅子があと二脚、どこに足を置くんだって幅で置かれている。
 なんとか席に着くと、猛烈に腹が減ってきた。そういえば、昨晩は全然飯を食う気がしなくて、夕飯を抜いて寝たんだったな……。
「ほら、好きなものを頼みなよ!」
 パーシィが出してきたメニュー表を見ると、大好物のエスパルタ風オムレツがあったので、迷わずそれに決める。エスパルタ風はただのオムレツじゃない。ジャガイモやベーコンが入ってるんだ。これが美味い。
「サナギは?」
 もう一脚椅子があいているので尋ねると「まだ寝てるよ!」とパーシィが周囲の喧噪に負けないデカい声で答えた。寝坊した俺より遅いのはサナギらしい。
「注文頼むよ!」
 忙しないウェイトレスに声をかけるパーシィ。「はーい」と慌ただしさに場違いなのんびりした声が聞こえて、さっきのでかい女とは別の三つ編みの女が注文を取りに来る。複数ウェイトレスを雇えるほど儲かってるってわけか。まあ、この混み方じゃな。
 パーシィが料理を注文すると、のんびりした様子とは裏腹に素早くメモを取り、三つ編みのウェイトレスは厨房に去っていった。
「昨日はよく眠れたか」
 隣の黒曜が俺に尋ねる。
「あ? ああ……」
 俺は昨日の寝る前の自分の様子を思い出す。心配をかけても無理はないな、と思う。上の空だったし、飯も食わなかったしな……。
「大丈夫だ。よく寝た」
「そうか」
 黒曜は頷いて、コップの水を飲んだ。
「ねえ……いつベルベルントに戻るの」
 げんなりした顔の緑玉が弱々しく呟く。俺よりはるかに顔色が悪い。人間嫌いの緑玉にはこの混雑はきついのだろう。
「あんまり長居したくないんだけど」
「……」
 黒曜が俺のことを横目で見たのが分かった。
「……タンジェリン次第だな」
「俺か?」
 少なからず驚く。こういうとき決定権を持っているのは黒曜だし、意見を言うのはだいたいサナギの仕事だ。まあ、サナギは今はいないが……なんで俺次第になる?
「ここに残って復讐をするなら」
 黒曜は言った。
「もう少し長居が必要だろう」
「……」
 そうか、そりゃ、俺次第にもなるか。
「昨日は俺に殺すなって言ったじゃねえか」
「ああ。お前はそれを了承した」
 平気で頷く黒曜。
「だが、一晩経って気が変わるということもある」
「まあ……あるかもしれねえが」
「お前が復讐を強く希望するなら、今度は止めない」
 沈黙が降りる。
「……今日一日、考えさせてくれねえか。昨日の出来事全部、まだ……整理がついてねえんだ」
 本心だった。
 問題を先延ばしにするのは情けないと思うが、すぐに復讐をやめるとか、オーガだからどうとか、そういうことを考えられる状態にない。
 一つ分かるのは、オーガだから俺をパーティから外す、という考えは、どうやら一同にはなさそうだ、ということだ。
「分かった。緑玉、今日は耐えろ」 
 緑玉はひどく苦い顔をした。

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