エセンシア 6
時間が経ち、興奮が収まるにつれ、俺の身体はゆっくりと解けるようにヒトのそれへと戻っていった。
痛みや後遺症らしきものはない。俺の気分を除いては。
洞窟の奥にはラヒズが移動させてきたらしい俺たちの荷物があって、黒曜がそこから俺の着替えを持ってきてくれた。オーガに化したときに俺の服は全部が破れ弾け飛んでいたからだ。
俺は緩慢な動作で着替えた。
疲れたわけじゃない。考えることが多すぎて、でも考えたくなくて、思考をやめていた。
でもそんな状態で着替えた俺の襟を、黒曜が直してくれて、それで俺は、おふくろが襟を整えてくれたことを思い出した。
たぶん、黒曜たちから見れば突然だっただろう。俺は襟を直して下ろされかけていた黒曜の腕を掴んだ。
「俺がオーガの子だと知っていても親父とおふくろは俺を愛した。その愛に嘘はなかったはずだよな!? そうだろ!?」
少しだけ目を見開いた黒曜は、肯定も否定もしなかった。ただ、こう言った。
「お前がその愛を信じるなら」
俺は、自分が震えていることに気付いた。意識して動かして、ようやく黒曜の腕から、掴んだ手を引き剥がした。
それから俺は、それを見届けていたオーガに振り向いた。
「やっと……てめぇの番だな」
オーガは黙って俺のことを見ていた。
「俺の誕生が悲願だったって? その俺に殺されるのはどんな気分だ、ええ!?」
もはや俺はヤケクソで、奥に荷物と共に放置されていた斧を手に取る。大きく振りかぶったが、オーガは逃げる気配も、抵抗する気配もなかった。
振り下ろす。
振り下ろせなかった。
俺の気持ちがそうさせたわけじゃない。黒曜が俺の振りかぶった斧の柄を掴んでいたからだ。
みんなが固唾を呑んで見守る中、黒曜は呟いた。
「いくら戦闘訓練を積んだとて、お前の斧の本質は――木を切り、人を活かすためのものだ」
力を込めて、ゆっくりと俺の斧を下ろさせた。それから斧を握る俺の手を、黒曜の手が握る。
「お前に、殺してほしくない」
そんなことを、今言うなよ。
獣だって狩ってきた。ゴブリンだって殺してきた。俺の手は別に、大して綺麗なもんじゃない。
それを、オーガ一体見逃したことで、まるで俺が救われるみたいに言うなよ。
「俺の復讐なんだ……」
「タンジェリン。このオーガの頭を割ったら、お前は、それで終わってしまう」
俺は顔を上げた。黒曜の石の瞳が俺を見下ろしている。
「終わらないでほしい」
きっとそれは本当だった。
今日、この洞窟でかわされたあらゆる言葉に、嘘は何一つとしてなかった。あったとしたら、俺の存在だけだ。まるでヒトのように生きた俺の本質は、それでもヒトだと俺は未だに信じている。
斧がオーガに振り下ろされることはなかった。
俺が斧を手放すと、黒曜はゆっくりとその斧を取り、洞窟の壁に立てかけた。
「……一つ聞きたい」
俺は一連の言動を見届けていたオーガに尋ねた。
「なんだ」
「テメェは俺の……。……親なのか?」
勇気の要る、問いかけだった。
「違う。私はきみの親の……兄だ。叔父ということになる」
「叔父」
反吐が出る。
家族の情? そんなもの、沸くわけがない。化け物どもめ。俺の愛したものを奪った事実は変わらない。
だが、俺は何のために、何に復讐すればいいのだろう?
俺がヒトであるならば、俺は、親父を、おふくろを、村のみんなを殺したオーガに復讐しなければならない。
だが、俺がオーガならば、そんなことはそもそも必要ないのだろう。
俺はヒトであれ、と思う。今までヒトであったのだから。
俺はオーガであれ、と思う。俺が原因で村が滅びたなら、もういっそ俺は身も心も化け物であってくれ。
そうしているうちに、焚き火が燃え尽きた。
「いったん、戻ろうか」
サナギが言った。
「エスパルタなら、数時間もあれば着く。少し休もうよ」
魅力的な提案だった。思考を停止するための。
ゆっくりと荷物を拾い上げ、斧を持つ。山を下りよう。
「タンジェリン」
俺はのろのろとオーガのほうを振り返った。
「元気な姿を、見られてよかった。どうか幸せに」
「……」
このオーガは。
俺の叔父を名乗るこのオーガは。きっと本当に、俺の身を案じているだけだ。
悲願のヒトの姿の子。何より、弟の子だから。
……そういえば、俺の産みの親はどうしたのだろう?
聞く気力も、勇気もなく、俺は叔父に背を向けた。
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