カンテラテンカ

エセンシア 6

 時間が経ち、興奮が収まるにつれ、タンジェの身体はゆっくりと解けるようにヒトのそれへと戻っていった。
 痛みや後遺症らしきものはない。手も足も動く。頭も感情も、正常にめちゃくちゃだ。
 洞窟の外、入り口の側には、ラヒズが移動させてきたらしいタンジェたちの荷物があったようだ。入り口側にいた黒曜たちはすぐにそれに気づき、各々荷物を回収した。その中から黒曜がタンジェの着替えを持ってきて、タンジェに差し出す。オーガに化したときにタンジェの服は破れ、弾け飛んでいたからだ。
 タンジェは緩慢な動作で着替えた。
 疲れたわけではない。ただ、気分が最悪だった。
 ほとんど投げやりに、それでも着替えを終えたタンジェの襟を、前に立った黒曜が直した。それでタンジェは、唐突に、母が同じように襟を整えてくれたことを思い出した。
 タンジェは襟を直して下ろされかけていた黒曜の腕を掴む。
「俺がオーガの子だと知っていても親父とおふくろは俺を愛した。その愛に嘘はなかったはずだよな!? そうだろ!?」
 黒曜は肯定も否定もしなかった。ただ、
「お前がその愛を信じるなら」
 タンジェの顔が歪んだ。でも、泣きはしない。悲しくはないからだ。
 タンジェは震える指を意識して動かして、ようやく黒曜の腕から、掴んだ手を引き剥がした。
 ゆっくりと、洞窟の奥を向く。すべてを見届けていたオーガが、まだそこにいる。逃げる様子も、抵抗する様子もなく、ただ、タンジェのことを見返した。タンジェの愛用の戦斧は荷物と共に放置されていて、その柄を掴んだタンジェは戦斧を引きずるようにして大股にオーガの前へ歩み寄る。
「やっと……てめぇの番だな」
 自分がオーガだとて、タンジェのやりたいことは、やるべきことは、変わらない。
「俺の誕生が悲願だったって? そいつはよかったな! 俺の悲願はな、てめぇらをぶっ殺すことだッ!!」
 戦斧を大きく振りかぶった。振り下ろす。
 振り下ろせなかった。
 タンジェの気持ちがそうさせたわけではない。黒曜がタンジェの振りかぶった腕を掴んでいたからだ。
 静まり返った洞窟で、黒曜の抑揚のない声が、タンジェに言う。
「いくら戦闘訓練を積んだとて、お前の斧の本質は――木を切り、人を活かすためのものだ」
 力を込めて、ゆっくりとタンジェの斧を下ろさせた。
「殺してほしくない」
 ――そんなことを、今言うなよ。
 タンジェの手は、別に、きれいではない。獣、妖魔、人に害あるものなら殺してきた。
 これは、タンジェの復讐だ。ペケニヨ村がオーガどもに蹂躙されたあの日、生き残ったタンジェの命は、復讐のためにあったはずだ。
 ――それを、オーガ1匹見逃したことで、まるで俺が救われるみたいに言うなよ。
「タンジェリン。このオーガの頭を割ったら、お前は、それで終わってしまう」
 タンジェは顔を上げた。黒曜の石の瞳が見下ろしている。
「終わらないでほしい」
 悪夢の中で黒曜の過去を見たから、タンジェは、分かってしまった。タンジェには終わらない道があることを。つまりそれは、"黒曜とは違って"。それを黒曜が望んでいるのであろうことも。
「……」
 戦斧を手放す。黒曜がそれをゆっくりと受け取った。
 この戦斧がオーガに振り下ろされることは、もう、ない。
 タンジェはゆっくりと、力ない視線をオーガに移した。
「……一つ聞きたい」
「……なんだ」
「てめぇは俺の……。……親なのか?」
 勇気の要る、質問だった。
「違う」
 オーガはほとんど即答で否定し、それから、
「私はきみの親の……兄だ。叔父ということになる」
「叔父」
 反吐が出る。
 このオーガが本当の家族であろうが、そんなことは関係ない。オーガの群れがタンジェの愛したものを奪った事実は変わらない。だから何も考えず、タンジェは、オーガを恨み続ければよかった。けれどタンジェはとうとう、黒曜から戦斧を奪い返してまで、このオーガの頭を割ることは、できなかった。
 そうしているうちに、焚き火が燃え尽きた。
「いったん戻ろうか」
 サナギが言った。
「エスパルタなら、数時間もあれば着く。少し休もうよ」
 魅力的な提案だった。思考を停止するための。
 ゆっくりと荷物を拾い上げ、黒曜から戦斧を受け取る。もちろん、オーガに振り下ろすためじゃない。山を下りるためだ。
「タンジェリン」
 オーガに呼ばれて、タンジェはのろのろと振り返った。
「元気な姿を、見られてよかった。どうか幸せに」
「……」
 このオーガは。
 タンジェの叔父を名乗るこのオーガは。きっと本当に、タンジェの身を案じているだけだ。
 悲願のヒトの姿の子。何より、弟の子だから。
 ――そういえば、俺の産みの親はどうしたのだろう?
 聞く気力も、勇気もなく、タンジェは叔父に背を向けた。

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