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ベルベルント防衛戦 2

 大急ぎで走ってきたのだろう、それから10分もすればパーシィは返ってきた。
「どうだった、ミゼリカ教会と通りのほうは……」
 親父さんが神妙な顔で尋ねる。
「避難が始まっていて、そこに悪魔の攻撃も重なってる。大騒ぎだ」
 パーシィは言った。
「しかし、ベルベルントは完全に悪魔の群れに囲まれている。ベルベルントを離れるのは無理だな……」
「そんなに大量の悪魔が取り囲むまで感知できなかったのかよ?」
 言ったあとすぐ、問い詰める形になってしまったことを反省した。
「悪い」
「いや、タンジェの言う通りだ。察知するべきだった」
 そうではない。別にパーシィの責任じゃない。先のハンプティの件で、パーシィにだって感知できない危機はあると学んだばかりじゃないか。だいたい、この数の軍勢が集まると知ったとて、パーシィ一人に何ができたって言うんだ。
 これはかつてのサナギの責任――それも違う。これはラヒズと敵対し何度でも殺すタイミングがあって、でも毎回逃げられた、ほかならぬ俺の責任だ。
 パーシィの表情からは特別、怒哀の感情は伺えない。ただひたすらに真剣な表情で、淡々と言った。
「聖ミゼリカ教会が避難所として開放されている。救護基地もそこだそうだ」
「最初に尖塔が破壊されてんだろ。避難所にして大丈夫なのか?」
 そこで初めて、パーシィは何とも言えない、呆れたような顔になった。
「……人々が、勝手に集まってしまったんだよ。破壊されてなお。侵略者が悪魔の軍勢だと知った者からミゼリカ教会に駆け込み、そのまま大多数が集まってしまった。攻撃も始まっている今、そこから恐慌状態の人間を移動させるのは無理だ」
「その心理は分からんでもないよ。神にも縋りたかろう」
 人の信仰心を責めるのはやめなさい、と親父さんは穏やかに言った。
「うん。……俺はまたミゼリカ教会に行くつもりだ。救護基地もそこだから、役に立てると思うし……」
「そうか……」
 黒曜は頷いた。
「それがいいだろう。パーティ単位にこだわる必要はない」
「親父、てめぇらも避難しとけ」
 アノニムが声をかけると、親父さんは頷いた。
「そうだな。ここは今は静かだが、いつまでも安全じゃない」
 娘さんにすぐに避難の準備を始めるように、それから、夜会に来ていた客も一緒に行くように指示を出した。青い顔の客たちが、それでも親父さんの冷静さに助けられ、荷物を整え始める。
「俺たちはどうする?」
 それにはサナギが真っ先に声を上げた。
「これが<天界墜とし>であるという前提の話だけど……<天界墜とし>は結局のところは大規模なトランスファー。つまり、召喚されたものは召喚主にしか還せない」
「……不死性がないことを祈って、一体ずつ殺していくしかねえか」
 俺が結論を焦ると、サナギは「それももちろん大事だけど」と言って続けた。
「この召喚術式は、そもそも過去の俺が書いたものだ。この写本に載っている術式がそのまま使われているとしたら、俺にも悪魔たちを天界へ送還できるかもしれない」
「本当か」
 頷くサナギ。
「けど、ここから誤差やアレンジを想定して術式を完成させるのは時間がかかる。俺はここに残ろうと思う。参考資料なんかも加味すると俺の研究室が一番捗る」
 それから親父さんを向いて、
「構わない?」
「もちろん構わんよ。ただ、この夜会が攻撃を受けて崩れるときには、どうか逃げてくれよ」
「引き際は心得てるつもり」
 そこで、非戦闘員の避難準備が一応整った。娘さんが心配そうな顔で、
「アノニムはどうするの?」
「よければついてきてくれないか。ところどころで戦闘が始まっているから、いてくれたら心強い」
 パーシィが言うので、アノニムは黙ってパーシィの横に立った。頷いたパーシィが親父さんたち非戦闘員を避難所へと先導していく。サナギは黒曜と小声で何かを話し合い、すぐに研究室へと向かった。その背中を見て、
「緑玉、ここでサナギを護衛できるか」
「俺が……?」
 黒曜の言葉に、緑玉は一瞬だけ戸惑う様子を見せたが、最終的には頷いた。
「分かった。やるよ」
 その言葉に、黒曜も頷き返す。
「さあ、俺は何をすればいい、黒曜」
 パーティ単位で動く必要はない、とは言っていたが、一応リーダーの黒曜の指示を仰ぐべきだろう。
 黒曜は俺をまっすぐに見て、淀みなくこう言った。
「盗賊ギルドで情報収集しつつベルベルント各所の仲間たちに情報を逐次報告。随時悪魔との交戦があれば勝利しろ。ベルベルント中を駆け回れ」
 俺は口端を上げた。
「任せな!」

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ベルベルント防衛戦 1

 ベルベルントの歴史を紐解くと、驚くほど争いと無縁であったことが分かる。
 ベルベルントの地下には今も現役の下水道が街中に張り巡らされているが、これは古代文明時代に造られたものだ。その古代文明が何らかの理由で滅びてからこっち、ベルベルントが戦争に巻き込まれたとか、あるいは戦勝国だのその逆だのになったとか、そういう記録はいっさいない。
 交易都市としてあらゆる人、物、事を内包するベルベルントは、世界に対して中立を保ってきた。
 世界のどの国にとっても交易の"要"。だから、"不可侵"。
 それが、この交易都市に約束された安全、の、はずだった。

 不躾な侵略者どもの宣戦布告は、聖ミゼリカ教会の尖塔の破壊をもって行われた。
 轟音を立てて地面に降り注ぐ信仰のシンボル。そこでようやく人々は、ベルベルントの壁の外から迫る悪魔の軍勢に気が付いたのだ。

 歴史が、変わろうとしていた。

 ベルベルントに軍はない。かろうじて騎士団がある程度で、それすら実戦にはさほど慣れぬ治安維持隊だ。
 だが、ベルベルント自身がその慈悲と寛容で得ていたものの中には、冒険と戦闘を生業とする多くの者たちがあった。
 冒険者。ベルベルント以外に行き場を失い、ベルベルントで居場所を見つけ、ベルベルントに生かされた者たち。

 俺――タンジェリン・タンゴ――もそうだ。
 復讐を志し、冒険者を稼業に決め、訪れた交易都市ベルベルント。今の俺が帰る場所。
 この街を守り抜く。そのために戦うことに、一片の躊躇いもありはしない。

★・…

 <天界墜とし>だろうとサナギは呟いた。
 今まさにベルベルントを取り囲み、侵攻を進めている悪魔の量は、100や200ではきかないという話であった。星数えの夜会に出入りする情報通が駆け込んできて真っ青な顔で告げたことだ。
「<天界墜とし>でもなければ、そんな量の悪魔がまとめて召喚できるはずはない」
「成功、したってことなのか?」
「いや……。成功というには、未熟すぎる。本当に成功したなら悪魔の数は今の数百倍はいるだろうし、天界ごとこっちに来ているはずだよ」
「……はっ。聞いても仕方ねえことだな」
 俺はサナギに短絡的な答えを求めてしまったことを自覚して、自嘲した。
「今俺たちがするべきなのは、あの侵略者どもを全員ぶちのめして、ベルベルントを守ること――それだけだ」
 長い間平和を保ってきたベルベルントには、こういった緊急時の指示系統はまともに定められていない。災害時の避難経路くらいは整っているはずだが、それを実際の危機時に使える者がどれだけいるかは疑問だ。人々は騎士団には従うだろうが、その騎士団の初動が遅れれば多くの死人が出るだろう。
 地響きのような音が時折聞こえてくる。地面が揺れる。
 すでに悪魔からの攻撃は始まっていた。
 たまたま星数えの夜会にいた数人の客と、親父さんと娘さんは戦う手段を持っていない。夜会にいる俺を含めた冒険者が、入り口と裏口を警戒している。
 だが、いつまでもこうしているつもりかというとそうじゃない。
 俺たちはパーシィの帰りを待っていた。
 昨晩から「嫌な気配がする」と言って眠れない様相だったパーシィは、聖ミゼリカ教会の尖塔が攻撃を受けたとき真っ先に飛び出していった。止める間もなかった。だが、行き先が聖ミゼリカ教会であることは分かっていたので、状況が分かったら戻るようにとだけ大声で伝えた。それからここで待機している。パーシィに情報を持ち帰ってもらおうというわけだ。

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