ミラー・イン・ザ・ボックス 4
冒険者はだいたい宿屋を根城にしていて、その宿は冒険者宿とか、ギルドなんていうふうに呼ばれる。
俺たちは「星数えの夜会」という名の宿を拠点にしている。
宿は、単に冒険者たちへ寝床を提供するだけじゃない。所属する冒険者へ依頼を斡旋する役目も持っている。
今回の依頼も、あの気に食わない村長から、星数えの夜会の経営責任者である宿の「親父さん」へ持ち込まれ、それを親父さんから紹介されて引き受けたものだ。
親父さんを介さなくても冒険者は依頼や事件となれば自由に仕事を受けていい。だが、宿を通さないということは、何かしら後ろめたいことがある可能性が高いということだ。
事件に関しては是も否もなく巻き込まれるパターンもあるという。もちろん、両者ともきちんと見合った報酬が支払われるか、見返りがあるのかは保証されない。
普通の冒険者ならば見返りのない依頼は受けたくない、というのが本音だろう。なので冒険者を志す者が宿に所属しない理由はない、というわけだ。
★・・・・
この時間になると昼間は騒がしいベルベルントの目抜き通りも静かなものだ。もう一本、通りを奥に行けば、夜に賑わう通りになるが、そちらに用はない。
俺たちはまっすぐ目抜き通りを抜けて、街外れまで歩いていった。少し自然の多い場所に出る。
木々の間に隠れるように佇む建物、それが星数えの夜会だ。
「帰ってきたねえ」
「つい今朝方出たばかりなのに、もう何日も離れてたみたいだな」
サナギとパーシィが石造りの建物を見上げながらそんな言葉を交わしている。
ここはもともとは天文台だそうで、星見の愛好家が集まるサロンだったらしい。
今ではもうその愛好家たちも老いて、集まる者はいなくなったと親父さんが嘆いていた。親父さん自身がその星見の愛好家最後の一人だ、と。
その親父さんは、適当に酔っぱらいの相手をしながら、バーカウンターでグラスを拭いていた。
星数えの夜会に限らず、宿はだいたい食事処や酒場の役目も担っている。
星数えの夜会は、天文台としての役目を終えたあと簡単に改装されて、一階は食堂――昼はレストラン、夜はバーになる――で、二階より上は宿泊施設になった。
親父さんは宿の責任者であり、コックであり、バーテンダーであり、そして俺たち冒険者の身元引受人でもある、というわけだ。
親父さんは俺たちが帰ってきたのを見て、にやりと笑う。
「今回もくたばらずに戻ってきたな」
「当たり前だ」
ふん、と鼻を鳴らすアノニム。
「おまえらは大成するかもしれんなあ」
その自信満々な様子に、親父さんは誇らしげにうんうんと頷いた。
給仕の娘がやってきて「おかえりなさい!」と明るい声を出した。彼女は親父さんの実の娘で、宿の給仕や掃除なんかの家事全般を手伝っている。看板娘ってやつになるんだろうか。
「ただいま」
サナギが軽く手を振る。
「しかしひどい有様だな」
親父さんはゴブリンとの戦闘をした四人を眺めて、
「湯があるから浴びてくるといい」
と言ってくれた。
星数えの夜会には、共同ではあるが風呂場がある。このベルベルントの地下には古代文明期に作られたという下水道があり、近隣には豊かな水源もあって、水回りには困らない。
俺は特別キレイ好きなたちではないが、一日の終わりには風呂に入りたいくらいの衛生観念はあるので、その点は本当にありがたかった。
自然と足が風呂場に向くのを、アノニムが肩を掴んで止めてくる。
「……んだよ?」
「俺が先だ」
「はぁ?」
俺はアノニムの腕を掴み返した。
「早いもん勝ちだろ」
「手柄順でいいだろ。ゴブリンを倒した数が多い俺が先だ」
「ふざけんな、なんでてめぇの後に入らなくちゃならねえんだ」
睨み合う。
「二人で入ればいいんじゃない?」
適当に場を収めようとしたのがありありと分かる娘さんの提案に、俺とアノニムは同時に彼女を見て、
「ふざけんな!」
「なんでこいつと!」
同時に叫んだ。
「はいはい。冗談よ。喧嘩はほどほどにしてね。パーシィさんがもうお風呂場に行きましたよ」
「あいつ大して汚れてねえだろ……図々しすぎるぜ」
あまりのパーシィの無神経さに呆れるやら、そこまで突き抜けてくれたらもう諦めもつくやらで、ドッと疲れた。
とりあえず荷物を下ろしてくる、と声をかけて、俺は自室としてあてがわれた宿の一室へと引っ込んだ。
★・・・・
自室は広くはないが、筋トレが趣味の男一人が住むには充分すぎるくらいだ。
俺はベルトや革装備を外して身軽になり、水筒に残っていた残りの水を飲み干して空にした。洗いに階下に降りるのは風呂が空いたらでいいだろう。
とりあえず汚れた服を脱ごうとしたところでノックがしたので、俺はその手を止めた。
「誰だ?」
「私です」
娘さんだ。
「タンジェさん、ちょっといいですか?」
俺はしぶしぶ扉を開けた。
「なんだよ? さっき食堂で声かけてくれりゃ……」
「すみません、今思い出して、部屋にこれを取りに戻ったんです」
これ? と訝しげに俺が尋ねると、娘さんは手に持っていた箱を胸の高さまで持ち上げた。
「この箱なんですけど……」
仕方なく小箱を見た。
きれいに磨かれ、つるんとしたツヤのある木箱だった。価値は高くはないだろうが、大切にされていたことが分かる。手前に錠前がかかっていた。
「掃除をしていたら見つけたんです。母のものかと思うんですが、鍵が見つからなくて、開けられなくて。これ、開けてくれませんか?」
俺は少し黙った。
「……なんで俺に?」
娘さんはキョトンとして、
「だって、タンジェさん、盗賊役でしょう?」
その通りだった。
戦斧を振り回して前衛で戦う俺は、戦士でも遊撃手でもない。
黒曜一行において、盗賊役を割り当てられた冒険者なのだ。
盗賊といっても、冒険者ならばその意味合いは追いはぎなんかをするいわゆる賊とは異なる。
盗賊役というのは、ダンジョンや遺跡などの冒険の最中に、鍵開け、罠の発見・解除、兆候などをこなす役職で、これがいるといないとではパーティ全体の生存率が大きく変わってくる。重要な役職だ。
ところが、だ。
黒曜一行が、たまたまではあるが最初に集まった際、六人の中に盗賊適性があるやつはいなかった。
それぞれの適性はこうである――
黒曜はリーダーだ。冷静沈着で判断力もあり、感情に流されない。そしてとびっきりの剣の腕前だ。アノニムですら黒曜には従う。
サナギは参謀だ。あいつは何年生きてるんだってくらい、知識がある。たまに専門外のこともあるみたいだが、あいつに一を聞けば百は返ってくる。
パーシィは聖職者だ。これは言うまでもないだろう。祈りを聖なる力や癒しの奇跡に変えられるのは、聖職者の特権だ。
緑玉は遊撃手だ。要するに、誰のサポートにでも回れるやつが担当する。緑玉はコミュニケーション能力こそ低いが(俺に言われたくはないだろうが……)そこそこ強くて、そこそこ賢くて、一人でもそれなりに立ち回れる。これは器用なやつがなるものだ。
そしてアノニムと俺タンジェリンが、戦士適性および志望でかち合った。戦士は敵をぶん殴れればそれでいい。
俺は人間の中では相当の怪力だと自負している。
冒険者になる目的も、より強い力を求めてだった。断じて戦士を譲る気はなかった。そもそも盗賊役が身に付けているべき忍び足や解錠のスキルも何一つ持ってないんだから、盗賊役なんて無理な話だ。――だが、それはアノニムも同じだった。
もしこの六人で冒険をするというならば、どちらかがイチから盗賊役にならなければならない。
だから、俺とアノニムは決闘をした。
俺が負けた。かなり、あっさり。
いくら怪力と言えども、ヒトはヒト。ミノタウロスの血が流れるアノニムに、力で敵うはずがなかった。後に聞いた話だが、アノニムは幼い頃、見世物小屋で闘技をさせられていたって話だ。
戦闘技巧も、元はただの木こりだった俺と比べるべくもなかったというわけだ。
それで俺は盗賊役にならざるを得なくなった――戦士志望が、同じ戦士志望に負けて、何の経験も知識もない盗賊役にさせられる屈辱!
俺はその時点で、このパーティへの参加を辞退するべきだったのかもしれない。パーティだって、ちゃんと訓練を積んだ盗賊役のほうがありがたいだろう。だが、故郷からベルベルントへの旅費ですでに所持金は底を尽きかけていて、別の宿を探す余裕はなかったのだ。
俺は仕方なく、盗賊ギルドを探し当て、そこでなけなしの金を積んで盗賊の基礎の基礎から教えてくれる師匠を見つけた。
いつの時代も、理屈と技術ばかりを磨いて、でも実戦には出られない臆病者はいる。
そういうやつはそのスキルで金を稼ぐのだ。師匠もろくでもない大人ではあるが、腕は確かだった。金を積めば俺に技術を教えることを惜しまない。
それ以来、俺は何とか盗賊役をやっている。
「最近は、ちゃんと鍵開けもこなして、盗賊役らしくなってきたって言っていましたよ」
「誰が」
「パーシィさんと、アノニムが」
自分の顔が歪むのが分かった。
どうも決闘以来、アノニムのことが憎たらしくて仕方ない。何かというと喧嘩してしまうのも、元はと言えばあの決闘が原因だ。いつかアノニムを倒したい。
「とにかく、他に鍵開けのスキルを持っている人もいないですし。やってみるだけやってくださいよ。依頼……そう、依頼です! ほら、報酬払いますから!」
ぽんと両手を打って、名案とばかり娘さんが言う。なるほど依頼ならば断る理由はない。
「いくらだ、報酬は」
「20Gでどうです?」
「ガキの小遣いだってもう少しあるだろ!」
思わず大きな声が出てしまった。
俺は未だに、早めにパーティを抜けて、別のパーティで戦士役をやることも考えている。
だが実際のところ、先に言った盗賊スキルのレクチャー代と、この星数えの夜会の宿泊費および食費で生活はほぼ赤字だ。
他のパーティに異動するための貯金の目処がまったく立っていない。だから俺は仕方なく盗賊役に甘んじている。
そういうわけで小銭でもほしい立場の俺は、結局娘さんと交渉して30Gと、鍵を開けられた日の食費をタダにしてもらう約束で、その箱の開錠を引き受けた。