カンテラテンカ

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不退転の男 8

 タンジェリンが目覚めてしばらくは、彼の部屋に黒曜とサナギが出入りしていて、アノニムはその間、昏睡するパーシィを眺めていた。<ホーリーライト>の連発でエネルギーをほとんど使い切ったところに、タンジェリンへ治癒の奇跡を使ったことで完全に燃料が底を尽きたのだ。サナギが言うには「貧血みたいなもの」だそうだ。アノニムは貧血とやらになったことがないからよく分からないが、サナギは特に深刻そうな表情をしていなかったので、たぶん生死に関わるような問題ではないのだろう。
 パーシィの寝顔を見て、ぼんやりとパーシィの<おまじない>のことを思い出す。アノニムに<魅了>とやらが効かなかったのは、もしかすると――ハッキリしたことは分からない。分からないことを考えるより、パーシィに直接聞いてみたほうが建設的だ。
 そのパーシィはそのうち目覚めるだろうが、とはいえ、それまでずっとここでぼーっと顔面を眺めているのも不毛だし、無意味だ。だからというわけではないのだが、⁠黒曜とサナギが席を外したタイミングを見計らって、アノニムはタンジェリンに文句を言いに行った。

「ふざけるなよ」
 とりあえず開口一番タンジェリンにそう告げると、上体を起こして鉄アレイを上下していたタンジェリンは鬱陶しそうに顔を歪めた。
「なんだよ。何がだ?」
「勝手に納得して死ぬんじゃねぇ」
「死んでねえだろうが」
 死ぬところだった、ということに気付いていないのか、気付いていても気にしていないのか、どちらにしても腹が立つ。
「お前も、あの女も、………自分のことしか考えてねぇ、腹が立つ、死んだら終わりだ」
 思ってもいなかったが、自然と口からそう零れた。タンジェリンは訝しげに、
「はぁ?」
 と、正直な反応を返した。アノニムは吐き捨てる。
「勝ち筋があろうが、てめぇが死んだら終わりだっつってんだよ」
「勝ち筋……」
 タンジェリンはしばらくして、
「てめぇが腑抜けてたからだろうが!?」
 まったくもって心外、というような顔でデカい声を出した。だがまったくもって心外なのはアノニムのほうである。
「あの場で一番勝ち筋があったのは、一旦退いて応援を呼んでくることだった。なのにてめぇは退きもしねえ話を聞きもしねえ!」
「応援呼んでる間に黒曜とパーシィごとどっかに逃げられたらどうすんだよ!!」
「追う手段なんざいくらでもあるだろうが!! 死んだら終わりなんだぞ!!」
 タンジェリンはいよいよもってイライラしたという様子で、
「俺が死んでもてめぇが何とかしただろ!!」
「死んだら終わりだっつってんだろうが!!」
「てめぇがいるなら何も終わらねぇだろ!!」
「終わるんだよ!! てめぇが!!」
 ベッドサイドの小さなテーブルを叩いた。乗っていた水挿しがガチャンと音を立てる。
「……終わりなんだよ。この死にたがりがよ……!!」
 今まで山ほど見てきたから、知っている。身をもって知っているのだ。
 アノニムのすぐ隣にある死という終わり。それはきっとタンジェリンの横にも何食わぬ顔で佇んでいる。
「誰が死にたがりだよ! 勘違いすんじゃねえ。俺はあれが最善だと思ったからやったんだ」
 タンジェリンは隣に死があったとして、それを気に留めることはない。視界に入っても、恐れることも怯えることもない。
 "死"をアノニムが口にするたび、タンジェリンの瞳に情熱が宿る。何度見てもそれはやはり恐怖でも悲嘆でもない。きっと、ただひたすらにまっすぐ前を向く意地、執念、そして不屈。
 朱色の瞳がアノニムを見返す。口を開く。
「後悔だけはごめんだ。後悔しながら生きるくらいなら、俺は俺が思う最善で死ぬことなんざ怖くねえ」
 アノニムは隣にいる死がいつ自身に牙を剥くかを考える。答えは決まっていて、それはアノニムが負けたときだ。
 だがタンジェリンは、不意にその死が目の前に回り込んできたとて、怯むことはない。恐怖もない。
 本当にそれが嫌だった。腹が立つ。ムカついた。
 タンジェリンが死ぬことが怖いのではない。
 きっとアノニムは、自分が今まで守り抜いてきたこの命を否定されるのが嫌なのだ。
 あるいは何を犠牲にしてでも守り抜いてきたこの命は、アノニムにとっては誇りそのものだった。誰しも、生き抜くためにはそれ相応の戦いをして、それに勝ったから命はここにある。
 それをこいつは、大事なもののために捨てることは惜しくない、と言う。
 きっとタンジェリンは、今まで何を犠牲にして生を勝ち取ってきたのか、そんなことを考えもしないのだ。
 だからそんなふうに、死を前にしたとて退かずに前を向くのだ。
 
「アノニム」
 タンジェリンは言った。
「だがよ、結局てめぇが何とかしたんだろ。その……」
 そっぽを向く。
「た、助かったぜ。礼は言っとく……」
 こんな男に。
 仲間を助けるための最善を、そのためなら命を賭してでも、なんて馬鹿げたことを考えているこの男なんかに。
 そんなことを言われたところで、アノニムは嬉しくも何ともない。

 アノニムとタンジェリンは相容れない。同じ世界に生きていて、たまに交わる線の上にいて、交わった途端に喧嘩になる。
 タンジェリンに殴り合いで負けることはない。
 だがこのままだと、タンジェリンはいつか勝ち逃げをする。それはきっと摂理の歪んだ、死を伴う勝利だ。エリゼリカがそうだったように。
 
 アノニムがそうして負けたとき、命より先に誇りが死ぬ。
 この不退転の男に、アノニムの誇りは容易く脅かされる。

「言いたくもねえ礼をしたってのに無視かよ」
 タンジェリンが吐き捨てる。
 アノニムにとってだって、言われたくもない礼だ。

【不退転の男 了】
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不退転の男 7

 目が覚めると、見慣れたタンジェの自室だった。
 ぼーっと天井を眺める。鳥の鳴き声が聞こえる。朝?
 起き上がろうとすると、全身にびりびりと痛みが走った。
「いってぇ!!」
 思わず叫ぶと、横からバッと黒い影が手を伸ばしてきて、起きようとしていたタンジェの肩を押さえつけ、無理やり寝かせた。黒曜だ。
「……、……」
 言葉にならない、といった様子の黒曜が、何かを言おうとしては口を閉ざし、を何度か繰り返したのちに、水挿しから水を汲んで、タンジェに飲ませた。明らかにタンジェより黒曜のほうが動揺していて、水を飲んで落ち着くべきは黒曜であった。
 それから黒曜はらしくなく、立ったり椅子に座ったりしたあと、
「大丈夫か」
 と尋ねた。
「いや、てめぇが大丈夫か? やたら落ち着きがねえぞ」
 思わず聞き返すと、
「……記憶がないのか? パーシィに頭を思い切り殴られたようだからな……」
 ――それで、ハッとした。
 タンジェは今度こそ身体をがばりと起こした。また全身は痛んだが、大したことではない。
「生きて帰ったんだな!? ホックラー遺跡から……!!」
 黒曜は一瞬だけ目を見開き、それから静かに頷いた。それからタンジェの手を取って握りしめ、
「お前には……深い傷を負わせた。責任を取る」
「あ? 責任?」
 青龍刀に腹をぶち抜かれたのは事実で、それは確かに深い傷だが……タンジェにとっては別に大したことではなかった。禍根はない。黒曜の自由意思でぶち抜かれたわけではないし、痛みはするが傷は一応、塞がっているようだ。これはたぶんパーシィが何とかしてくれたのだろう。
 それに、タンジェが思うに、
「俺が黒曜より強けりゃ、こさえなかった傷だぜ。責任があるなら、俺の弱さにだろ」
 黒曜は無表情のままだったが、頭から生えた黒豹の耳が僅かにぺたりと寝た。
「責任を取らせてはくれないのか」
「だから、てめぇも操られてたんだ。責任はねえよ」
 生きてんだからそれでいいだろ、気にすんな、とタンジェが続ける。素直に頷かない黒曜に、なんだよ、と思ってその顔を見れば、前髪に隠れて見えない額にガーゼが貼ってあるのに気付いた。タンジェは突然、居心地が悪くなった。間違いなくタンジェが自身の石頭をぶちあてた位置である。これは……お互い様だ。これ以上、責任の所在をああだこうだ言うのは不毛だろう。
 タンジェは話を変えることにした。
「アノニムとパーシィはどうした? そうだ、ハンプティは? あのあとどうなったんだ?」
「俺も気絶していたからはっきりしたことは分からない。ただ、アノニムが……何とかしたようだ」
 そうか、とタンジェは言った。勝てないだの負けたら死ぬだの言っていたが、結局、戦ったらしい。
「ハンプティの行き先は分からない。アノニムは、深追いはしなかった、と言っていた」
「ま、そうなるか」
 ただでさえあの場から逃げようとしていたアノニムが、わざわざ深追いしてまでハンプティに追い縋るわけはないだろう。これは初めて知ったことだが、タンジェが思っているよりはるかにアノニムは慎重派で、なんと言おうか――"生存主義"なのだ。
「俺は途中から記憶がないのだが」
 黒曜はそう先に述べてから、どうやらタンジェが今回の功労者であったことと、それへの感謝を述べ、頭を下げた。
「すまなかった」
「いや、今回は誰も悪くねえだろ……」
 パーシィがハンプティを悪魔だと気付けなかった時点で、回避できない危機だっただろう。そのパーシィにだって責任はない。とにかく全員生きて帰ってこられたことを良しとすべきだ。
「しかし、なんで俺とアノニムはやつの<魅了>が効かなかったんだ?」
 純粋な疑問を口にする。黒曜に分かるわけがないと思ったが、黒曜はタンジェの顔をじっと見て、少し言い淀むような仕草をした。
 答えたのは黒曜ではなく、
「きみのピアスだよ」
 サナギだった。いつの間にか部屋の入り口で、救急箱を持って立っている。サナギは続けた。
「バレンタイン以来、きみがしているそのピアスは、<破魔>の力が込められたマジックアイテムだ」
「あ? ……ピアス? マジックアイテム?」
 確かにバレンタイン以来、穴を開けてずっとつけている。身につけ始めて間もないのだが、タンジェにとって、このピアスはつけてて当たり前くらいの存在になっていた。これは黒曜から贈られたもので――。タンジェは黒曜を見た。
 黒曜はごく無表情で、
「……確かにそのタンジェリンクオーツには、俺の故郷に伝わる破魔のまじないをかけてもらっている」
「なんだそりゃ、初耳だぞ」
「わざわざ言うものではない」
 タンジェが変な顔をする。サナギはからから笑った。
「野暮なことを言ったかな?」
「はあ?」
「いやいや。天使の意識すら奪う悪魔の<魅了>を跳ね飛ばすんだから、大したものだよ」
 そしてサナギは満面の笑みで、
「実に愛されているじゃないか」
 一瞬、ぽかんと口を開けたタンジェは、サナギの顔を見た。それから黒曜の顔を見て、タンジェはそこで、黒曜がまだタンジェの手を握っていることに気付いた。おわ、と大きな声を出して、思わず手を引っ込め、それから慌ててサナギを睨む。まったく効いていないらしく、サナギは実に微笑ましそうににこにこしている。
 タンジェから手を離されたタイミングで黒曜は椅子から立ち上がり、サナギにそれを譲った。サナギはタンジェの包帯の交換を始め、タンジェもサナギの指示にしぶしぶ従う。
「じゃあ、アノニムはどうなんだよ」
「実は……よく分からないんだよね。最低限のことしか聞いていないんだ」
「最低限のこと?」
 サナギはアノニムから伝え聞いたことを、タンジェに改めて話した。
 昨日の夕方にアノニムが意識のないタンジェと黒曜、そしてパーシィをたった一人で抱えて連れて帰ってきたこと。アノニムによれば、ハンプティは逃がしたが、それで正気を取り戻したパーシィがなんとかタンジェの傷を癒して命を繋ぎとめた。が、そのパーシィのほうも燃料切れだ。タンジェの傷を完治させることはできないままぶっ倒れ、今も昏睡しているということ……。
「だから俺がこんな医者の真似事をしているわけだ」
 サナギはタンジェに残る傷を丁寧に消毒しながら笑った。塞がり切っていない傷口にしみてびりびりと痛む。痛みなんか耐えられるが、それよりタンジェは病院とか医者の類が嫌いであるから、正直、よい心地ではなかった。しかし黒曜がずっと傍らで眺めているので、好き嫌いで駄々を捏ねるみたいな文句は到底言えない。仕方なく気を紛らわそうと、タンジェは口を開いた。
「俺が生きてるのはパーシィのおかげだろうな。パーシィは大丈夫なのか?」
「ぜんぜん問題ないよ。ただのエネルギー切れ。休めば自然に回復するよ。それより自分の心配をしたほうがいい」
 とはいえきみも元気そうだけれどね、とサナギは言った。
「本当にタフだね。こんなタフな盗賊役、他ではちょっとお目にかかれないな」
「ま、それが取り柄みてえなもんだからな」
 だから黒曜も、そんな心配そうな顔をするんじゃねえよ、と思う。別に怪我なんか治るのだ。
 それに今回のことはいい経験になった。子供相手にも油断しては駄目だ。パーシィにだって察知できない危険はある。悪魔はクソ。短距離と遠距離の波状攻撃はめちゃくちゃ強い。
 それから、諦めることはやっぱり最悪の選択だ。

 のちにサナギがこう言って笑う。「きみは不退転の男だね」、と。

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不退転の男 6

 タンジェは斧を握り直し、ハンプティへまっすぐ駆け込む。この距離なら、来るのは間違いなくパーシィによる<ホーリーライト>だ。
 パーシィが普段、これだけの光弾を連発することはまずない。パーシィの力の源は人々の<祈り>とやらで、やつはそれを身体にストックしているが、<祈り>は聖なる力を使うほど消費されていき、やがて枯渇するからだ。
 つまり、パーシィの<ホーリーライト>は、いつか必ず打ち止めのタイミングが来る!
 光弾が降り注ぐ。光の着弾した箇所がみるみるうちに焼け爛れていく。だが、使わせれば使わせるだけ、<祈り>は消費されていく。打ち止めは今じゃなくていい。タンジェが死んだあとだっていいのだ。少しでも<祈り>を消費させろ! それで少しでも勝ち筋を見出したなら、あの腑抜けも考え直すかもしれない。
 アノニムが立ち上がればそれでいい! そうしたらタンジェが死んでもこちらの勝ちだ!
「この程度で……くたばるかよ!!」
 光弾で焼けた身体に鞭打つ。タンジェは吼えてさらにハンプティに突っ込んでいった。黒曜が躍り出てタンジェの振り被った斧を受け止める。
 斧を引くのに合わせて黒曜も青龍刀を構え直す。距離を取ればパーシィの光弾が当たる。痛みはあるが怯まない。
 黒曜の青龍刀は容赦なく無慈悲だ。仲間――恋人だ!――のタンジェを相手にしても、意思がないのだから情けはない。元より殺意のない黒曜との戦闘訓練においてですら、彼に一撃でも食らわせた試しはない。黒曜と打ち合うたびに生傷が増える。
「がんばれ、がんばれー」
 ハンプティの気の抜けるような応援が聞こえてくる。タンジェは舌打ちした。
 体力には自信がある、まだしばらくは打ち合える。身体中が痺れるように痛み、生傷からは血が出ていたけれども、些細なことだった。
 だが、体力が続いたとて、技術に差があれば、いずれ負け筋を引くことは必然である。
 黒曜の青龍刀は器用に斧をすり抜けて、タンジェの脇腹を抉った。痛みに顔を歪めたその一瞬の隙で、青龍刀の返す刃がタンジェの腹を貫いた。貫通している。致命傷だ。
 この青龍刀が引き抜かれたならまず大量出血、たちまち動けなくなり、死ぬだろう。
「……くそ……!」
 諦めるな、脳裏によるぎのは、ただそれだけだった。……諦めるな!!
 タンジェは腹に突き刺さった青龍刀の先にある黒曜の手を掴んだ。
「こんなことで……諦めちゃいねえぞ‼」
 力を振り絞って、黒曜を思い切り引き寄せると、そのまま大きく頭を振りかぶった。そして自分の額を黒曜の額に思い切り打ちつける。タンジェが取り得た唯一の選択肢、シンプルな暴力。頭突きであった。
 普段の黒曜ならこんな攻撃を喰らうことはなかったはずだ。予備動作が大きく、痛みで動きは鈍い。きっとそれを甘んじて受けたのは、所詮は他人のコントロール下だったからなのだろう。黒曜に与えた最初の、そしてもしかしたら最後の一撃が、こんな単なる頭突きとは。
 タンジェの石頭が直撃した黒曜の手から青龍刀が離れ、黒曜はそのまま昏倒した。
 青龍刀に腹を貫かせたままで、⁠タンジェは黒曜の腕から手を離した。荒い息をつきながら何とかハンプティに近づく。とうのハンプティは、タンジェの頭突きがよほど予想外だったらしく、ぽかんと口を半開きにしている。
 ハンプティに近づいても、パーシィの光弾が来る気配はない。そちらを確認する余裕はないが、燃料切れだろうか? それならあとはハンプティをぶちのめせばいいだけだ。
 だがハンプティは、唖然としていた表情からくるりと楽しそうに笑い、別に逃げもせずタンジェを眺めている。気に留めず、タンジェはなんとか斧を振り上げた。
 が、その瞬間に後頭部に衝撃が走った。鈍い痛み。意識を失う前にかろうじて振り返れば、メイスを振り下ろしたパーシィの虚ろな目がタンジェを見下ろしていた。

☆・・・・

 タンジェリンの腹が青龍刀に貫かれたとき、アノニムは確信した。終わりだ、と。
 タンジェリンの負けだ。そして、これからやつは死ぬ。そしてやつが死ねば、標的はアノニム1人になる。その前に逃げる必要があった。
 なのに、逃げる算段を整えるアノニムの前で、それでもタンジェリンの渾身の頭突きは黒曜を昏倒させ、ハンプティの眼前まで、やつは食いついた。
 腹に青龍刀が突き刺さったままのタンジェリンはよろよろとハンプティに近づきなんとか斧を振り上げ――その背後に、パーシィが立ったのを、アノニムは見ていた。メイスを叩きつけられて、タンジェリンもまた倒れる。

 何故ぼんやりそれを見ていたのだろう? だが、それでアノニムは確かに、勝ち筋を掴んだ。
 あの距離からわざわざタンジェリンにメイスでトドメを刺しにいったのだ――エネルギー切れだ。
 <ホーリーライト>は打ち止め……!!

 きっと、今だった。
 アノニムの足はとっくに遺跡の出入り口に向いていた。けれど、その足をパーシィに向けて踏み込む。駆け込んでいく。勝てるなら逃げる理由はないのだ。
 パーシィはああ見えてメイスの腕も相当だが、それでも肉弾戦となればアノニムが負ける道理はない。
 突っ込んできたアノニムに気付いたパーシィが振り返る。最低限の動作でメイスを振り抜いたが、かわすのは難しくなかった。アノニムはパーシィの左手を取り、素早く手刀でメイスをたたき落とす。それからそのままパーシィを遺跡の壁に向かってぶん投げた。
 パーシィが壁に追突するのは見届けず、ハンプティに迫る。ハンプティは目を白黒させていたが、
「あのままなら、アノニムは逃げると思ったのにな」
 ぺろっと舌を出した。無視して棍棒を振り上げる。
「待って待って、降参、降参だってば!  ボクは搦め手とかに特化した悪魔で殴り合いは無理なんだって!!」
 ハンプティは両手を挙げて降参の意を示した。関係ない。負けたら死ぬのが道理である。棍棒を振り下ろした。
 かろうじて横転するようにしてそれをかわし、ハンプティは、
「容赦ないよね! 今も<魅了>をかけてるのに、なんで効かないんだろ……!?」
「知るか。死ね」
 もう一回、今度こそ脳天を潰そうとしたとき、後ろからパーシィがアノニムを羽交い締めにした。
「……ちっ! まだ効果切れてねえのか!」
「とはいえもう潮時かな! じゃあね~!」
 アノニムがパーシィを引き剥がしているうちに、ハンプティはあっという間に駆け出し、遺跡の出入り口でこちらを振り返った。
「まあまあ楽しめたよ!」
 それから駆けていく足音が遠ざかっていった。パーシィを振りほどくのは簡単だったし、追う気になれば追えたが、そうはしなかった。ハンプティの気配が消えたタイミングでパーシィの腕を取ると、パーシィと目が合った。
「あ、あれ……?」
 正気に戻ったらしい。
 さっそくで悪いが、とタンジェリンのことを指し示す。腹に黒曜の青龍刀が突き刺さったまま気を失っている。凄まじい光景だ。
「もうひと踏ん張りいけるか?」
「うわあ! なんか大変なことになってないか!? というかこれ生きてるのか……? 全力は尽くすが……」
 言っているパーシィも足元が覚束なくふらついている。<ホーリーライト>が打ち止めになったのだから、<祈り>のストックはほぼないはずである。それでもパーシィはタンジェリンの横に跪いた。
「アノニム、青龍刀を抜いてくれないか。一気に抜くと出血するから、なるべく緩やかに。抜きながら治癒をかけてくよ」
 アノニムへの指示は明瞭だ。黙って従い、青龍刀を慎重に抜いていった。パーシィが治癒の奇跡で傷を癒していく。出血はほどほどあったが、何もせずに抜いたときよりははるかにマシだっただろう。血まみれの青龍刀が抜けきり、出血が止まる。傷跡は残っていたが、きっと今のパーシィにはこれが限界なのだろう。
 大きな傷はこれと脇腹のものだ。パーシィは脇腹のほうにも手を翳した。パーシィの顔色は治癒の術をかける時間に比例して悪くなっていき、治癒の光もなんだかまばらに見える。それでもかろうじてタンジェリンの傷の出血を止めると、パーシィもまた昏倒した。

 アノニムは背にタンジェリンを乗せて、両脇に黒曜とパーシィを抱えると、そのまま星数えの夜会への帰路についた。重くはない。なんてことはない。
 早足に街道を進みながら、考える。自分はどこまで正しかったかを。

 ――いや、俺は、最初から最後まで正しかったはずだ。

 そうでなければ、何かが少しでも間違っていれば、アノニムとタンジェリンは死んでいた。

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不退転の男 5

「……おい!?」
 アノニムからの反応がないので、思わず振り向いた。これでアノニムまで<魅了>にかかったら打つ手がない。タンジェはこの遺跡から帰れないだろう。
 だがアノニムの顔を見れば目が合い、明確な意思を持って沈黙していると知れた。
「……」
「何とか言いやがれ!」
 アノニムはタンジェから静かに目を逸らす。動いた視線は、この遺跡の出入り口のほうを向いていた。
「……逃げる気かよ!?」
 タンジェは驚愕した。アノニムはまた視線を動かし、再度タンジェの顔を見る。
「勝てねえ」
「あ……!?」
「黒曜とパーシィが本気でかかってきたら、勝てねえ。見りゃ分かるだろ」
 だからって、と喉から声が出た。
「だからって置いて逃げんのか!?」
「……」
⁠ タンジェの形相が怒りに染まる。こんな腑抜けだとは思わなかった。
 確かにただでさえ力押しのタンジェが、それを超える力押しのアノニムと組んだところで、技巧派の黒曜と遠距離攻撃のパーシィに勝てはしないかもしれない。
 だが、それがなんだというのか!?
 タンジェの剣幕は凄まじく、そこら辺の一般人なら竦み上がってもおかしくない。だがアノニムがそれにちょっとでも怯むことはない。
「負けたら終わりだ」
 タンジェの睥睨から逃れようともせず、アノニムはただ淡々と事実を述べるように言った。
「死ぬぞ」
「……!」
 カッとなる。負けたら終わり、死ぬ、だから逃げるだと!?
「てめぇは大事なもののためなら命を賭けられるんだろうが! ふざけてんじゃねえぞ……!! 俺たちが逃げたら黒曜とパーシィがどうなるか分かんねえんだぞ!?」
 アノニムは眉根を寄せてタンジェを見た。その顔は――どんな感情なのかは、読み取れない。だが、応答したのはアノニムではなく、
「とりあえずボクの従者にしよっかなー」
 のんきな声のハンプティだった。
「2人ともかっこいいしね! やっぱ侍らせるならイケメンだよね~!」
「言ってろ……! ぶっ潰してやる!」
 黒曜とパーシィをふざけた悪魔の従者になんかさせてたまるか。

☆・・・・

 死、という言葉を向けられて、タンジェリンの瞳に浮かぶのは恐怖や悲嘆なんかじゃなかった。遺跡を照らす燭台の明かりの下で、やつの朱色の目が確かに何らかの情熱にギラつくのを見た。それが何なのかは知れない。怒り、あるいはアノニムへの失望か?
 "てめぇは大事なもののためなら命を賭けられるんだろうが!"――何言ってんだこいつ、という感情を覚えた。呆れ、いや――たぶん、人が言うところの「戸惑い」というのが一番近いと思う。
 確かにアノニムは、家族のためなら命を懸けられる。だがそれは大事なもののために命を投げ出す、という意味ではない。
 大事なものを守るために武器を取り、守り抜く。最後まで守り抜くのなら、自分も生き延びるのは大前提だ。それで初めて、命を懸けたと胸を張れるのだ。それが"大事なもののために命を懸ける"ということだ。

 ――なんでタンジェリンはそれを、"大事なもののために命を賭す"なんて勘違いをしてやがるんだ?

 死は終わりだ。死んだら何もかもおしまいだ。
 ふざけてんじゃねえぞ、とタンジェリンは言った。アノニムからすれば、ふざけているのはタンジェリンのほうだ。
 戦うどころの話ではない。ここでアノニムたちが死ぬわけにはいかないのだ。死んだら黒曜とパーシィの現状をサナギと緑玉に伝える方法がなくなる。どう考えても、いったん退いて、サナギと緑玉と4人で戦闘に備えるべきだ。それが一番、勝ちに近い。
 アノニムは間違っていない。逃げるべきだ。
 だが、止める間も、アノニムの考えを伝える隙もなかった。タンジェリンはもう斧を構えて走り出している。

 タンジェリンはアノニムより弱い。負けるだろう。それでもタンジェリンは負けることが――死ぬことが、何も怖くないみたいだ。
 斧を構えて走る、タンジェリンの背中が遠ざかる。決して大柄ではないタンジェリンの背中を、初めて見るような気がする。この遺跡に入ったとき、タンジェリンは先頭を歩いた。彼の背中を、そのときだって見たはずなのに。
 戦士役を巡って決闘をして以来、たまにタンジェリンと勝負をすることがある。興味はないが、挑まれたなら断らない。何故か? アノニムがタンジェリンに負けることはないからだ。
 勝てる勝負しかしない。それがアノニムにとって生きる方法だった。あるいは、負けるかもしれない勝負に際して、何をしてでも負けないことがアノニムの処世術だった。負ければ死ぬ、それが当然の世界にいて、アノニムの処世術は何よりも「正しい」。
 誰かのために戦うならなおさらだ。アノニムが死んでしまったら何も残らない。何の意味もない。

 なのにタンジェリンは、どうしてこうも容易く、あの豪雨のような光弾に飛び込み、ひどく冷えた刃に肉薄することができるのだ?

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不退転の男 4

 タンジェリンと黒曜が突如、交戦状態に入ったので、アノニムも咄嗟に臨戦態勢にはなった。とはいえ、敵が分からない。2人が何故、戦闘を始めたのかも分からない。だが、2人の会話から察するにどうやら異常事態が起きているのは黒曜のほうらしい。ならば加勢するならタンジェリンのほうか?
 アノニムは少しだけ逡巡した。――黒曜を相手にはしたくねえ。
 かつてパーティを組むとなったとき黒曜に歯向かって、容易く床に転がされた経験があった。できれば戦いたくはない相手だ。だが、タンジェリンのほうに集中している今なら――?
 アノニムが隙を伺っているその間に、こちらもほぼ同時に異変に気付いたパーシィがハンプティを向く。
「く……!」
 それから利き手の左手を翳し、聖句を唱えようとしたところまで確かに見えた。だが、
「――それを向ける相手は、"ボクじゃない"よね?」
 言ってニッコリと微笑んだハンプティの視線に射貫かれたパーシィが、突如ぐるりとタンジェリンを振り返る。
 つまり、これは。
「タンジェ、すまない、少し痛いと思う……! <ホーリーライト>!」
 タンジェリンはマジかよ、の顔をしたが、回避行動は間に合わず、パーシィから放たれた光弾が左肩に着弾した。
「パーシィ、てめぇ!」
「俺の意思じゃないんだ……!」
 かなり整然と聖句を唱えていたような気がするが、それも彼の意図するところではないということだろう、パーシィも顔を歪めている。
「ハンプティ、てめぇだな……!?」
 今さっきのパーシィとのやりとりを見れば一目瞭然だ。アノニムにだって分かる。この子供が黒曜一行を謀ったのだ。
「あはは! 大正解ー! パパとママがいるなんて、真っ赤なウソでした!」
 口でピンポンピンポンと正解の効果音を言いながら、ハンプティは拍手する。
「それにしても、お兄さんたちみんな<魅了>が効きづらいねえ。ここまでかけ続けてやっと2人の身体のコントロールを得られただけなんてさ」
 唇を尖らせたハンプティが拗ねたように足元にあった石を蹴る。<魅了>……精神操作の一種だ。ハンプティの口ぶりからすると、彼のそれは身体のコントロールをまず奪うらしい。
 ハンプティが元凶だ、それを理解したとき、まずアノニムの脳裏に過ったのは、いかに黒曜と刃を合わせずにハンプティを殺るか、だった。
 黒曜とパーシィは現時点で敵の駒とみなす。つまりアノニムとタンジェリンは数の上ではすでに不利だ。だがタンジェリンが黒曜とパーシィの標的であり、ハンプティもタンジェリンとの会話に集中している今なら――。
 アノニムが考えている間に、黒曜が容赦なくタンジェリンの背後をとっている。
「会話する気があんならよ……!」
 咄嗟に振り返り青龍刀を斧で受け止める。技術はともかく、鍔迫り合いに持ち込めば、タンジェリンがパワーで押し切られることはないはずだ。
「攻撃やめさせやがれ!」
 斧で強引に青龍刀を弾く。だが、それが限界だろう。黒曜に隙ができた一瞬で距離を取ろうとするが、パーシィの光弾が退くことを許さない。近距離と遠距離をしっかりカバーしている。厄介だ。
「やだよーっ」
 ハンプティはけらけら笑っている。
 アノニムはパーシィの<ホーリーライト>がタンジェリンに向かったタイミングで、まっすぐにハンプティへ駆け出す。パーシィは普段は<ホーリーライト>を連打することはほぼないから、安全に仕掛けるならここだ。
 だが、そこは見込みが甘かった。攻撃がパーシィの意思でないなら当たり前だ。ハンプティがアノニムの間合いに入るより先、2人の間に光弾の雨が降り注ぐ。
「……ちっ!」
 それから一瞬でタンジェリンからアノニムへと標的を変えた黒曜が割り込み、青龍刀を逆袈裟に振り上げた。これはかわしたが、頬に一閃、傷が入った。ハンプティを最優先で守るようにコントロールされているのだろう。
 やりにくい。
 黒曜が本来仲間だからとかではない。単純に、戦闘スタイルが噛み合わず、戦いづらい。棍棒を突き出す。一発で意識を持っていくだろう――当たれば、だ。青龍刀の刃で簡単に攻撃の方向を逸らされる。
 取っ組み合いまで持ち込めれば負けないだろうが、武器を持った状態では分が悪い。そんなことは向こうも承知らしく、決してアノニムに不用意に近付こうとはしない。それでも追い縋り、何度か棍棒を打ち付けたが、青龍刀でいなされるどころか武器を振り下ろした隙を突かれて傷をこさえる始末だった。
「目的は何なんだよ……! てめぇ、ラヒズの関係者なのか!?」
 アノニムと黒曜が武器を打ち合っている隙に、タンジェリンが叫ぶように疑問をぶつけている。ハンプティは、
「あーラヒズね。まあ同期、みたいなもの。でもあいつ酷いんだよ! ボクをこっちに喚ぶだけ喚んで、あとは放置だもん!」
「わけ分かんねえよ……! どういうことだ!?」
 一人で黒曜を相手取るのは無理だ。アノニムはそう判断し、退いてタンジェリンの横に立った。アノニムの耳により鮮明に2人の会話が入ってくる。
「だからボクもさ、悪魔なんだよ、あ・く・ま!」
「てめぇが悪魔ならパーシィが見逃すはずねえだろ!」
 パーシィは確かに、人よりは悪魔の察知能力に優れているかもしれない――アノニムは考える。だがそもそもパーシィだってラヒズの正体を最初から見抜けてはいなかった。多少の不快感こそあれ、まさか悪魔だなんてことは。それは単に、パーシィの感知を、ラヒズの潜伏能力が上回っていただけのことだろう、とアノニムは思っている。
 パーシィは完璧ではない。元天使とはいえ、彼はすでに地に堕ちているのだ。こんな見落としが起きることくらい、アノニムにとっては何も不思議ではない。
 アノニムはパーシィを見る。先ほどまでは会話が成立していたが、時間が経てば<魅了>は深くなるらしい。パーシィは無言で、虚ろな目でこちらを眺めていた。たぶん意識はなさそうだ。……やりづらい。
「ああそれね」
 と、ハンプティはタンジェの言葉に応答している。
「まあボクも一応、魔力を抑えて隠してはいたし。それにしてもラヒズの気配に過敏に反応しすぎたのかもね。それか……<魅了>にかかった時間を見るに、もしかしてボク弱体化してる? 悪魔の気配がないほど? やだー最悪なんだけどーもー」
「そうなのかよ? どうなんだ、パーシィ!」
「……」
 タンジェリンが声をかけたが、案の定、パーシィからの反応はない。翳した左手からいくつもの光弾が立ち上り、タンジェリンとアノニムに豪雨のように降り注いだ。
「っつ……!」
 普段パーシィがこの量の<ホーリーライト>を打たないのは、仲間を巻き込まないためだ。彼がその気になれば、多少の草原くらい焼け野原にできることをアノニムは知っている。もっとも、やつにストックされた<祈り>――体内のエネルギー残量が、それを無限に打つことは許さない。パーシィが正気なら、だ。
 タンジェリンは毒づいた。
「元とは言え天使が悪魔の<魅了>にやられるって……そんなのアリかよ!」
「あーっ、舐めてる!? ボクの<魅了>は本当に強力なんだから!」
 自我の落ちたパーシィと黒曜を両脇に侍らせて、ハンプティが頬を膨らませている。
「そもそも悪魔と天使はお互いが弱点同士なんだから、先手を打ったほうが勝つのが道理なの! 悪魔が天使に負けてばっかりみたいな偏見やめてね?」
 タンジェリンとハンプティの間にある会話のおかげで、一瞬の思考の猶予がある。だがその猶予で脳裏によぎるのは、ただ、勝てない、という可能性だった。アノニムは努めて冷静に考えてみる。
 離れていればパーシィの遠距離攻撃が来る。普段なら様々な理由でセーブしているそれだが、今の状態で手加減を期待するのは愚かだろう。あのペースなら遠くないうちにエネルギー切れを起こすはずだが、普段のパーシィは決してそんなことにはならないので、やつの体内のエネルギー残量は正確には把握できない。数時間、いや数十分でも保たれたらアノニムとタンジェリンは回避しきれず焼き殺される。
 近づけば黒曜の青龍刀とやり合うことになる。剣術どころではない、あれは熟練の"戦闘技術”である。やつはアノニムが生きるために身につけた暴力程度、容易く対応してくる。そして人を殺すことに躊躇いがない。取っ組み合いの力比べなら勝てるだろうが、そこまで持っていくのにどれだけの犠牲が必要か。腕の1本は要るだろう。そうなればこちらの腕力はシンプルに半分だ。それで取っ組み合えても何も意味がない。
「アノニム、とにかくハンプティをやる! 一気に行くぞ! 何なら俺を囮にしやがれ!」
 タンジェリンが斧を構えてアノニムに叫ぶ。戦う気だ。見れば分かる。こいつは何も考えちゃいない。アノニムから言わせれば愚行で、蛮勇だ。

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