カンテラテンカ

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分水嶺 6

 しっかり汗を流し、ほどよく疲れたところで、夜会の食堂に戻る。食堂は夕食をとりにきた一般客でにぎわっていて、その中にパーシィやアノニム、緑玉やその双子の姉・翠玉の姿もあった。翠玉はパーティメンバーではないが、黒曜と同郷らしく、緑玉も加えた3人でよく食事などを共にしている。
 黒曜一行は基本的に依頼時以外にくっついていることは少なく、みんなめいめい、好きな席に座って勝手に食事をしたり、買い物をしたり、タンジェのように特訓をしたりして、余暇を過ごしている。パーシィとアノニムは仲がいいらしく、一緒に食事をとる姿を見かけることも多いが、逆に言えばその程度だ。
 タンジェは一人で食事をとることがほとんどなので、だいたいカウンター席に座る。盛況の中に運よくぽつんとあいている席がありタンジェはそこに腰かけた。くるくると働いていた娘さんがすぐに注文を取りにくる。タンジェは短く、
「パンとシチューを頼む」
「はーい。すぐにお持ちしますね!」
 星数えの夜会には、だいたいシチューが大鍋で用意されている。わざわざニンジンが星の形にくり抜かれた『星数えシチュー』だ。手間だろうに何故わざわざそんなことをするのかと尋ねたことがあるが「こうするとウチの名物っぽいから」との回答だった。抜き型を使っているのでそこまで手間はかけていないらしい。これがまた結構うまくて、タンジェは気に入っていた。安価でうまい、それにすぐ出てくる。非の打ち所がない。
 間もなく器に盛られたアツアツのシチューと夜会で焼かれたパンが出てくる。
 いただきます、と言ってからパンをシチューに浸してかぶりつけば、この半年間で幾度となく食べて馴染み深くなりつつある味が口いっぱいに広がり、訓練の疲れも癒されるようだ。
 瞬く間に食べ終えて「ごちそうさん」と親父さんと娘さんに声をかける。食器を片付けようとすると、娘さんが「私の仕事ですよ」と笑った。

 星数えの夜会には共同ではあるが風呂場がある。ベルベルントの地下にははるか昔に作られたという下水道があり、近隣には豊かな水源もあるうえ、上水道も整備されていて、水回りに困ることはまずない。都市全体もかなり清潔だ。
 タンジェは特別きれい好きなたちではないが、一日の終わりには風呂に入りたいくらいの衛生観念はあるので本当にありがたい。今日もさっぱり汗を流した。
 風呂から上がって身体を拭き、着替えを終える。脱衣所にノックがあり応じると、サナギであった。
「やあタンジェ、きみだったか。お風呂、今上がったの?」
「おう」
 タンジェは少し意外に思いながらも頷いた。サナギがこんな時間に風呂に用があるとは思えなかった。サナギは夜が遅く、普段は風呂も一番最後に入っているようだから。
 タンジェが訝しげに見ているのに気付いたのか、
「ああ、タオルを取りに来たんだよ」
「……タオル?」
「薬品をこぼしちゃって」
 サナギは薬品を作ったり混ぜ合わせたり、よくいろいろな実験をやっている。レンキンジュツだと言っていたが、タンジェにはさっぱり分からない領域の話だ。今回のもどうやら錬金術とやらに使う薬をこぼしたということらしい。大して興味もなかったので「そうかよ」と雑な返事をした。
「タンジェはもう寝るの?」
「ストレッチしたら寝る」
「きみの生活習慣は本当に健康的だねぇ」
 サナギの言うとおり、タンジェはかなり健康志向で、規則正しい生活を心がけている。もちろん依頼の都合でそういうわけにいかないこともあるが、イレギュラーの際に体調を崩さないための健康資本は、こういった日々の積み重ねにあるはずだ。
「てめぇもさっさと寝ろ。明日は早いだろ」
「分かってる分かってる」
 言って、タオルを抱えて去って行ったが、さて本当に分かっているのやら。サナギは頭のいいやつなのだが、どうもどこか抜けているところがある気もする。 
 
 ほどなく寝る支度を整え、自室に戻り、タンジェはベッドに潜り込んだ。
 冒険者にとっては、安全な寝床、ふかふかの布団、来るのが保証された朝……どれも貴重で大事なものだ。
 もっともそれは、ほんの半年前まではタンジェにとってただの日常だったが――。

★・・・・

 燃えている。
 村が、燃えている。
 タンジェにとってただの日常であったはずのそれが、破壊され、蹂躙され、めちゃくちゃになって、そこにある。
 タンジェは雄叫びを上げて、緑肌の巨躯に向かっていった。だが、木を切るための手斧なんか簡単に弾かれて、ちょっと突き飛ばされただけでタンジェの身体は丸めた紙くずを放るみたいに吹き飛んだ。
 オーガ。
 タンジェの村を襲った巨躯の群れ。
 隣の家の爺さんを。婆さんを。村長を。私塾の先生を。医者を。医者の手伝いを。家畜小屋の夫婦を。教会の神父を。命乞いをする親子を。
 父を。母を。
 引き裂いて貪り食うそいつらを。
 絶対に、殺してやる。
 そう、誓った。

★・・・・

 目が覚めた。
 故郷の夢だ。実際に半年前に滅ぼされた、タンジェのふるさと。エスパルタ国にあるペケニヨ村という小さな村だ。
 ほとんど、皆殺しだった。なんでタンジェが生き残れたのかは知れない。どうでもよかった。結果として、タンジェは、生き残った。
 そして拾ったこの命は、目の前で村を、村の人々を、タンジェの両親を蹂躙してのけたあのオーガどもに復讐するためにあるのだと、タンジェは信じている。
 そのためにタンジェは戦う技術を、力を手に入れる必要がある。だからタンジェは冒険者になったのだ。ただの木こりであったタンジェが、オーガどもを殺す力を求めて。
 この夢はたまに見る。不快に思う気持ちはあったが、それがタンジェのメンタルに影を落とすかといえば、そうでもない。頭はしんと冷え、だが胸と腹の間あたりがぐっと熱くなり、心は怒りでいっぱいになる。タンジェはこの夢を見るたび決意を新たにする。復讐のために強くなる。それにはまず、依頼と実戦をこなすことだ。
 タンジェは起き上がり、今の時間を確かめた。ロッグ村への出発時刻にはじゅうぶん間に合っている。軽くストレッチをして身支度を整え、階下に下りた。
 タンジェの朝は早いが、親父さんはそれよりもっと早い。より細かい朝の身支度、朝食などを済ませていればほどなく黒曜を皮切りにメンバーが集まり始め、一同は予定通り、滞りなくロッグ村へ出発した。いや、細かく言えば、朝に弱いサナギが案の定――昨晩タンジェがあれだけ言ったにも関わらず――ぎりぎりの起床だったり、パーシィがすでに携帯食料を食い尽くしかけていたりと問題自体はあったのだが、全体の依頼の進行には影響がなかった、という意味だ。

 サナギが先に言っていたとおり、馬車に2時間揺られて、ロッグ村への中継地点、山の麓の小さな町ファスに到着。ファス山の深くにある山村の一つが目的地のロッグ村だ。ファスの町では食堂に入って軽食をとり数十分ほど休憩した。それからすぐにファス山へ登る。山道はそれなりに整っており、危険な野生動物との遭遇はなく、順調であったと言える。ただサナギの目算よりはやや遅れて――とうのサナギがへろへろになって登山のスピードが落ちたからである――1時間と20分程度で到着した。

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分水嶺 5

 買い物はほどなく済み、タンジェは宿――星数えの夜会――を目指す。まだ通りは人に溢れて、屋台は賑やかだった。
 人々を避けながら通りを歩くのは、タンジェにとっては未だに一苦労だ。まっすぐ目抜き通りを抜けただけで幾分人通りは減り、そこからさらに街外れへ。数分も歩けば、少し自然の多い場所に出る。
 木々の間に隠れるように佇む建物、それが星数えの夜会だ。
 ここはもともとは天文台だそうで、星見の愛好家が集まるサロンだったらしい。今ではもうその愛好家たちも老いて、集まる者はいなくなったと親父さんが嘆いていた。親父さん自身がその星見の愛好家最後の一人だ、と。
 扉を開ければ、まず食堂。親父さんは夕食の仕込み中らしい。キッチンでかまどにかけた鍋をみていた。タンジェが帰ってきたことに気付くと顔を上げ、スキンヘッドのいかつい外見に似合った不敵な笑みを浮かべる。
「おかえり」
「おう」
 タンジェは短く返した。
 星数えの夜会は、天文台としての役目を終えたあと簡単に改装されて、1階は食堂――昼はレストラン、夜は酒場になる――2階より上は宿泊施設になった。
 親父さんは宿の責任者であり、コックであり、バーテンダーであり、そしてタンジェたち冒険者の身元引受人でもある、というわけだ。
 次いで給仕の娘がやってきて「おかえりなさい!」と明るい声を出した。彼女は親父さんの実の娘で、食堂での給仕や宿の掃除なんかの家事全般を手伝っている。看板娘と呼べるだろう。親父さんも娘さんも、愛想のないタンジェにも分け隔てなく親切だ。タンジェは娘さんに片手を上げるだけで応じた。
 買ってきたものを整理するため自室としてあてがわれた部屋へと引っ込む。2階にある宿の一室を、宿代を払って借りているのだ。宿に所属する冒険者はだいたいみんなそうしている。
 自室は広くはないが、筋トレが趣味の男一人が住むには必要充分だ。
 手早くランプに油を補充し、ナイフを研ぎ、古いロープを交換する。冒険のおり、タンジェはほかのメンバーに比べてやや荷物が多い傾向だ。山も森もダンジョンも、タンジェは正しく危険に思い、油断なく装備を整える。パーティメンバーとはぐれる可能性、山林での野宿――どんな最悪で過酷な状況でも生き残るために、一定の品質をもった道具は必要不可欠だ。幸いにして生まれた頃より天然の自然に鍛えられたタンジェは、荷物を抱えても長時間しっかり動ける頑強な足腰と体力も持ち合わせており、それらの道具の扱いも慣れたものである。
 もっとも、一般的には身軽さを武器にするであろう盗賊役としては、明らかに過剰な荷物ではあるが……。
 さて、しっかり荷物を準備し終えると、ほどよく夕刻に差し掛かる頃合いだ。
 タンジェは冒険リュックを備え付けの小さなテーブルに置いて、階下に降りた。

 ――9月の夕刻は、少し冷える。涼やかな風が汗ばんだ身体を撫でた。
 タンジェの振った訓練用の木斧が、勢いよく空を切る。
「ちっ!」
 容易く回避された攻撃から二撃目を繋ごうとした。が、斧は力任せに振り回したせいで勢いよく外側へ逸れている。それでもタンジェの生来の並外れた怪力は強引に斧を切り返したが、そのときにはもう、相手はとっくに木製の片手剣をタンジェの首元に差し向けていた。
「悪くない動きだった」
 こちらを見下ろす、感情の伺えない顔。元木こりのタンジェに戦闘を教えているのは、パーティのリーダー黒曜である。
 場所は星数えの夜会の中庭。それなりの広さがあり、ひと気はなく、思いきり身体を動かしても危険がない絶好の場所だ。
「踏み込みが甘い。狙いも分かりやすく、避けやすい。だからこうして反撃を受ける」
 くそ、とタンジェは毒づいた。
「だが、基礎の基礎は身に付いたようだ」
「てめぇに一発も喰らわせてねぇ……!」
「それは相手が俺だからだろう」
 黒曜の言葉にはいっさいの謙遜も容赦もないが、黒曜とタンジェの力量差は明確である。タンジェは歯噛みする。
「……最初に比べれば見違えた」
「んなの当たり前だろうが!」
 思いも寄らぬフォローじみた言葉だったが、ほとんど反射的にタンジェは食ってかかった。努力してきた、多少の技術向上は当たり前だ。そんなことを改めて言われるような、成長の見込みもないやつだと思われていたのか。
「……」
 黒曜はタンジェを冷めた目で見下ろした。言い訳に類する言葉を改めて言い繕うこともなかったし、かといって噛みついたタンジェを諫めたり、咎めたりすることもなかった。
 黒曜はまずもって他人と口論をすることはない。優しい気性というわけではない。こと日常生活において、自分の意見を通すことに、まるで興味がないのである。
 黒曜はやがて「そうか」とだけ言った。

 黒曜との日課のトレーニング――戦闘訓練は、朝と、タイミングが合えば夕刻に行っている。
 タンジェは元木こり、当然だが戦闘に関して技術も知識も経験もない。だから半年前にふるさとの山村からここベルベルントに来てすぐ、戦闘を師事する相手を探した。紆余曲折はあったのだが、最終的に戦闘訓練を引き受けたのが黒曜だった。黒曜はその頃すでに星数えの夜会を常宿としており、その縁でタンジェもここに所属することになった、というわけである。
 パーティを組んで実際に冒険に出るまでの3ヶ月間の基礎訓練は、実にスパルタであった。黒曜は他者に興味が薄いぶん、手加減を知らないらしかった。が、自他に厳しい気性のタンジェにとって、そのくらいでなければ訓練の意味はない。相性はよかったと思う。
 しかし、それを終えてようやく冒険者としてやっていける立場になったというのに、その先が盗賊役とは……。
 もっとも、黒曜との戦闘訓練に無駄なことは何一つなかった。
 黒曜は同じパーティにいることを前提にタンジェに技術指南をしてくれている。パーティから離れたら恐らく戦闘訓練もそれまでだ。この特権を失ってまで異動をする価値は、少なくともコンシットのパーティにはない。

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分水嶺 4

 冒険者はだいたい宿屋を根城にしていて、その宿は冒険者宿とか、ギルドなんていうふうに呼ばれる。コンシットの言う『湖の恋亭』とやらもそれだろう。
 タンジェの拠点も例に漏れず宿であり、名を『星数えの夜会』という。先ほどまでパーティ会議をしていたまさにその場所だ。宿は、宿屋のみならず食堂や酒場を兼営していることがあって、星数えの夜会もしかり。タンジェたちはだいたい、その食堂の一角を借りてパーティ会議なんかをしている。
 宿は、単に冒険者たちへ寝床を提供するだけではない。所属する冒険者へ依頼を斡旋する役目も持っている。
 今回のグリズリー退治の依頼も、実際に獣害を受けている村から、星数えの夜会の経営責任者である宿の"親父さん"へ持ち込まれたものだ。
 べつに、親父さんを介さなくても、冒険者は自己責任と自己判断で、自由に仕事を受けていい。だが宿を通さなかったなら、それは人目を避けた後ろ暗い仕事か、是も否もなく事件に巻き込まれるパターンか……。どちらにせよ、きちんと見合った報酬が支払われるか、見返りがあるのかは保証されない。
 通常、見返りのない依頼なんか受けたくないから、冒険者を志す者が宿に所属しない理由はない。
 そしてその宿にどんな依頼がどの程度持ち込まれるか――要するに、冒険者宿としての評判は、所属する冒険者の働きにかかっている。星数えの夜会はタンジェたち「黒曜一行」がパーティを組んで初めて「冒険者宿」を名乗るようになった。つまり、コンシットの言うとおり、新興の宿だ。新興の宿に舞い込む依頼は多くない。
「そうそう、その……星見の会? そんな無名の宿、ろくな依頼こないだろ。くだらないし、つまんないじゃん、なあ?」
 タンジェは舌打ちし、小声で「うるせぇな」と吐き捨てたが、コンシットには聞こえなかったらしい。しつこく畳みかけてくる。
「あんな獣人だらけのパーティで、やることは獣退治! おまけにお前、戦士役から外されたんだろ?」
 カッとなった。
 "獣人だらけのパーティ"。嘘はない。黒曜は黒豹、緑玉は孔雀の獣人であったし、アノニムはミノタウロスの血を引いていた。3人とも耳や尾やあるいはツノで、見ただけでそうと知れる。獣人差別が色濃い地域こそあるものの、人種の坩堝であるこのベルベルントでそんなことをとりたてて言うやつはめったにいないのだが……。もっとも、タンジェは良くも悪くも他人の人種や人種への思想には無関心である。タンジェの怒りに火をつけたのはこれではない。
 "やることは獣退治"。これも嘘はない。どこから嗅ぎつけたか知らないが、確かに今回の依頼は正しく"獣退治"だ。山に生きてきたタンジェは、野生動物の身体能力の高さをよく知っている。獣退治は簡単ではない。だが、都会人らしいコンシットはそのことをよく分かっていないらしかった、馬鹿にした言い方で見下す程度には。それはコンシットの見込みが甘いだけだ。怒りのもとはこれでもない。
 "戦士役から外された"。コンシットの勘違いならよかったが、――嘘はなかった。
 だがしかし、これである。タンジェの怒りを燃え上がらせた言葉は。
 ――そもそも戦士役とは何か? "役"の名がつくとおり、役職のひとつだ。
 役職というのは、冒険者パーティを組むにあたり、何を専門にそのパーティに貢献するかという目安である。
 望ましい役職の配分は、リーダー、参謀、戦士、盗賊、聖職者、遊撃手の6人体制だと言われている。この組み合わせのパーティは生存率も高いという統計があるらしい。だから冒険者パーティは一般的に6人組であることが多いのだ。
 ただ、そういう理屈やら統計やらに、タンジェはいっさいの興味はない。
 タンジェの関心は、つまり、人並みはずれた怪力を持ち、命を預ける得物は戦斧という完全な近接戦闘武器でありながら、自分は"戦士役"ではない、ということであった。
 コンシットは嘲笑する。
「なんだっけ? タンジェさ。戦士どころかあれやらされてんだろ――"盗賊役"!」
 ブチ切れて暴れ出さなかったことを褒めてほしい。

 ――タンジェリン・タンゴは黒曜一行において"盗賊役"を割り当てられた冒険者である。

 盗賊といっても、冒険者ならばその意味合いは追いはぎなんかをするいわゆる"賊"とは異なる。
 盗賊役は、ダンジョンや遺跡などの探索の最中に、鍵開け、罠の発見・解除、諜候などをこなす役職で、これがいるといないとではパーティ全体の生存率が大きく変わってくる。まず不可欠の、重要な役職だ。
 ところが、だ。
 タンジェたち6人が集まり、パーティを組むことを検討した当時、6人の中に盗賊適性があるメンバーはいなかった。正確には、戦士役適性・志望がかち合ってしまい、かつ、盗賊役を引き受けようという者がいなかった。
 それぞれの適性配分は、黒曜がリーダー、サナギが参謀、パーシィが聖職者、緑玉が遊撃手である。自薦も他薦もあったが、この4人に振り分けられた役職に議論の余地はない。
 戦士役に志望したのはタンジェと、褐色の大男アノニムだ。もっともアノニムのほうは「志望」というほど積極的なわけではなく、「やるならそれしかできねえ」という言い分であった。
 タンジェは、今まさに披露したとおり、人間離れした相当の怪力だ。戦闘技量は粗削りだが、力比べにだったらそうそう負けはしない。
 冒険者になる目的も、より強い力を求めてのことだ。戦闘経験を積むなら戦士役一択! 断じて譲る気はなかったし、だいたい、そもそも盗賊役が身に付けているべき諜候や解錠のスキルも何一つ持ってないんだから、盗賊役なんて無理な話である。
 だが、盗賊役に向いていないのはアノニムだって同じだ。そうなれば、どちらかがイチから盗賊役にならなければならない。
 だから、タンジェとアノニムは決闘をした。
 タンジェが負けた。かなり、あっさり。
 いくら怪力と言えども、ミノタウロスの血が流れるアノニムに、力で敵うはずがなかったのだ。どこで何をしていたのか過去の経緯は知らないが、戦闘技巧もアノニムのほうがはるかに高かった。
 それでタンジェは盗賊役にならざるを得なくなった――戦士志望が、同じ戦士志望に負けて、何の経験も知識もない盗賊役にさせられる屈辱!
 未だにその遺恨は根深く、タンジェはアノニムに対して穏やかじゃない感情を抱いている。そのアノニムがクマ退治に対して一言。「人間相手よりは苦労する」――それを聞いたときのタンジェの気持ちといったら、容易く言語化できるものではなかった。
 これら一連の痛恨が記憶に新しいタンジェにとって、コンシットの言葉はまさに地雷そのものだったのである。
「俺たちのパーティなら、戦士役として置いてやるぜ? やることも獣相手なんかじゃなくて妖魔退治さ」
「……」
「明日さっそくヤイ村ってとこでゴブリン退治だ。そうだ! そこから俺たちのパーティに参加しろよ。なっ!」
 黒曜たちのパーティからの異動を、考えないではなかった。黒曜たちだってちゃんと訓練を積んだ盗賊役のほうがありがたいに決まっている。
 異動を今まで選択肢から外していたのは、黒曜たち5人はあと盗賊1人を探せばいいが、タンジェはほかの5人を探さなくてはならないからだった。貯金らしい貯金もなく、コネもなければ愛想もない。挙句、戦士役志望同士で決闘に負けたタンジェを、戦士役として引き入れてくれるパーティがあるだろうか? 少なくとも黒曜たちは「盗賊役をやるならパーティに入れる」と言ってくれていた。
 やむを得ずタンジェは盗賊ギルドを探し当て、そこでなけなしの金を積んで盗賊の基礎の基礎から教えてくれる師匠を見つけた。
 いつの時代も、理屈と技術を磨くばかりで実戦には出られない臆病者はいて、そういうやつはスキルを他人に伝授することで金を稼いでいる。師もろくでもない大人ではあるが、腕は確かだった。金を積めばタンジェに盗賊役の技術を教えることを惜しまない。
 それ以来、タンジェは何とか盗賊役をやっていた。だが、パーティにいるため、すなわち盗賊役でいるためには、戦闘訓練や筋トレとは別に鍵開けなどの特訓もしなければならず、それは正直、煩わしいことだった。
 つまるところ、タンジェにとって――コンシットからの勧誘は、悪い話では、なかった。
 答えは決まっている。
「断る。失せろ」
 理由はシンプルである。わずか数分のやりとりの末、分かったことには、タンジェはコンシットの性根が嫌いであった。
「な……!」
 口をあんぐり開けたコンシットは、たちまち顔を真っ赤にして、
「ふん。哀れに思って言ってやったのによ。一生、獣臭い宿で、薄汚い盗賊役をしてるんだな!」
 手が出た。コンシットは、タンジェの馬鹿力やパーティのメンバー構成、何の依頼を受けるのかなど、やけに偏執的に情報を収集しているくせに、タンジェが恐ろしく気の短い男であることを把握していなかったらしい。
 コンシットの胸倉を掴んで引き寄せ、頬に拳を一発。カッとなったわりに、手加減はしている。感謝してほしい。タンジェの馬鹿力で全力を出したら、頬の骨くらいは容易に砕く。
「ごっ……! ぐ……!」
 倒れ込んだコンシットに、パーティメンバーらしい残りの男女が慌てて駆け寄る。コンシットと一緒に睨んできたが、まったく怖くはなかったし、謝罪する気も沸いてはこない。コンシットたちを見下ろして追い打ちに吐き捨てる。
「てめぇに哀れまれるほど安かねえんだよ。すっこんでろ、雑魚が!」
「どっちが雑魚だ……! 獣退治ごときで調子に乗りやがって。もういい、行くぞお前ら!!」
 コンシットは両脇の二人に支えられながらよろよろと立ち上がり、怒り心頭といった様子で立ち去っていった。

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分水嶺 3

 交易都市ベルベルント――あらゆる国交から中立を保ち、どの国にとっても交易のかなめ。この大都市は、同時に、"歩けば冒険者にあたる"と揶揄されるほどの冒険者大国である。
 タンジェはド田舎の山村から、ある強い動機を携え、つい半年前にこの目も眩むような大都会へやってきた。
 サナギにも告げたとおり、タンジェの前職は木こりである。冒険者になるため3ヶ月の独自訓練をし、ようやくまともに依頼を受けられるようになったのが3ヶ月前。すなわちそれが黒曜たちのパーティに参加した時期だ。
 ベルベルントの目抜き通りはすごい人出で、タンジェはこの騒がしく目まぐるしい人の往来にまだ慣れない。
 それでもなんとか、この半年で、タンジェにも行きつけの道具屋というのはできた。消耗品を買うならここ。安定の品質と、それなりの値段。タンジェは裕福ではなかったが、値段のために品質を犠牲にすることをよしとしなかった。山に生きて自然と肉薄してきたタンジェは知っている。道具は人を生かす。
 と、目的の道具屋の前に、大量の木箱があるのが見えた。木箱の周りに数人の男女がいる。店前だ、入店の邪魔である。
「どけ。邪魔だ」
 タンジェが邪険に言い捨てると、男女がいっせいに振り返った。
「おう、タンジェか」
 一人は、道具屋の店主。
「ああ、お前か」
 と、タンジェの顔を見て気軽げにあいさつしてきた残りの3人の男女は、見た顔ではある。タンジェたちとほとんど同じ時期に冒険者稼業を始めた別パーティだった。名前は、……覚えていない。タンジェはもともと、あまり多くの人間と関わるような生活をしてはいなかったので、人の名前を覚えるのが苦手なのである。もっと正確に、明確に言えば、タンジェにとってまったく興味のない相手だったので、覚える気がなかった。
「仕入れの数を間違ってな。大量に届いちまった……のは、まあ仕方ねえ、別にいいんだが。運べやしねえや」
 店主が言う。タンジェが木箱を覗き込めば、なるほどビン入りの傷薬やら、聖水やらがぎっしりと詰まっている。男数人がかりでも骨が折れそうだ。
 だが、タンジェにとっては、詮無いことだった。
「チッ……どこに運べばいいんだ」
 仕方なく、名も知らない駆け出し冒険者たちを手で払って一歩下がらせ、店主に声をかける。店主は、
「お、おう……裏の倉庫まで」
「案内しやがれ」
 タンジェは木箱を持ち上げた。確かにずしりとはしているが、もう一、二箱くらい余裕で持てる。これ以上積むと視界が塞がれるのでそうはしないが。
 タンジェは怪力なのである。それも、"力持ち"程度のレベルではない。ちょっと人間離れした領域に入った馬鹿力だ。
「お、おお」
 店主は驚いた顔をしたが、店の裏手に案内して先立って倉庫の扉を開けた。タンジェにとっては大した労働でもなく、ほどなく山積みの木箱は倉庫にすべて収まる。息ひとつ切らさないタンジェに、店主が、
「冒険者ってのはずいぶん馬鹿力なんだな。知らなかった」
「あ? ……全員が全員、そうだってことはねえだろ」
 現に、木箱の前に集まっていた3人の男女には、どうしようもなかったのだろうし。
「何にせよ助かった。何か買いに来たんだろ、ちょっとまけてやる」
「はっ、そいつはいいな」
 親切でやったわけではない。店の前でたむろされて邪魔だったから移動させただけだ。だが結果的には得をした。
 店の表へ戻ると、3人の男女が待ち構えていて、店に入っていった店主に目もくれず、タンジェのことを引き留めてきた。
「相変わらずの馬鹿力だよなあ!」
 そんな言い方をされるほど、こいつらの前で怪力を披露した記憶はない。もっとも、タンジェは無頓着の気質であるから、どこかで見られていた可能性はある。こいつらにとってタンジェの怪力が既知の事実であろうが、どうでもいいことだが。
「なあタンジェ、お前さ。うちのパーティに入る気ないか?」
「あぁ?」
 予想外の言葉に、タンジェは思いきり眉を寄せた。
「……そもそも誰だ? てめぇら」
「おっ……まえ、マジ?」
 男は顔を歪めたが、そこをとりたてて責めはせず、
「コンシットだよ! 『湖の恋亭』の!」
 名乗った。ぜんぜんピンとはこなかったが、「そうかよ」とタンジェは言った。
「で……なんだって?」
「タンジェも『湖の恋亭』に異動しろって。あんなしょうもない新興宿やめてさぁ……なんてったっけ? 星見の――」
「『星数えの夜会』」

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分水嶺 2

 駆除する獲物がイタチやタヌキじゃない、凶暴極まりないグリズリーだと知れたとき、タンジェはまず、なら仕方ねえか、と、吐き捨てた。
「そこら辺の村人が太刀打ちできるような相手じゃねえからな」
「うん。時期も悪いね」
 サナギ・シノニム・C24が頷いた。窓から差し込む陽光がちらちら揺れるのは、彼の金髪にほど近い鮮やかな黄緑の髪が、わずかな動きのたびに反射して光るからだった。
「9月は冬眠前。少しでも食べ貯えようと荒れる頃だ」
「チッ……なんでこんな時期まで放っておいたんだよ」
「タンジェは猟師だったんだっけ?」
 サナギが首を傾げる。可愛らしい仕草が、高めの地声も相まって少女にも見える可憐な美貌に、いやにそぐわしい。だがそのことがタンジェに何か影響を及ぼすかと言われれば、まったく、皆無である。
 サナギはあらゆる物事をよく知り、かつ恐ろしく記憶力のいい男であるから、むしろタンジェはその言葉を胡乱に思った。意義は薄いかもしれないが、訂正する。
「……木こりだ。ただ、猟師まがいのことはしてた」
「ああ、後半のほうを強めに覚えちゃってたな」
 ジトリと睨めば、サナギは笑っている。真意は測りかねたが悪気がある様子ではなかった。あるいは、わざわざタンジェからの言葉を引き出そうとしたのかもしれない。だとしたら、まんまと、というわけだ。
 視線を外してタンジェがぎしりと椅子にもたれると、そうしたタンジェを覗き込むように身を乗り出したものがある。パーシィだ。
「クマを仕留めたこともあるのかい?」
 興味があるのは、タンジェの経歴についてではなく、恐らく――
「クマ肉ってどんな味がするんだ?」
 端整な顔立ちに爽やかな笑顔、体型もすらりとしている好青年なのだが、食に貪欲なのである。これでこのパーシィという男、『聖ミゼリカ教』――世界でもっとも勢力の大きな宗教だ――の聖職者だというのだから呆れる。聖職者ってのは、もっと清貧なものではないのか。そりゃあ、別に肉食は聖ミゼリカ教のタブーってわけではないが……。
「見かけるくらいはたまにあったが、クマなんざ、仕留めたことねえよ。一番デカくて60kgのシカだ」
「へえ、美味しかったかい?」
「……」
 会話をやめようとするタンジェに、サナギがフォローするように割り込む。
「シカを狩るのもたいしたものだと思うけどね」
「気なんか使ってんじゃねえよ。気持ち悪ぃ」
「本心なんだけどなあ」
「アノニムならクマも仕留められるかい?」
 パーシィが向かいで退屈そうにしている褐色の大男に話を振った。アノニムはつまらなさそうに首を傾け、
「人間相手よりは苦労する」
 と、特段の興味もなさそうに言った。タンジェの眉が上がり、食って掛かろうと身を乗り出す前に、
「それで」
 神経質にとんとんとテーブルを指で叩いた緑玉が、端的に尋ねた。
「受けるの?」
 テーブルの中央には、紙が一枚。
『-害獣駆除依頼-
 ロッグ村で発生している獣害に対応できる人員を欲している。至急。
 駆除対象は狂暴なグリズリーである。確認できているものは1体。
 応募は単独・少人数は不可。最低5名から12名まで。
 謝礼は1名につき150Gld。旅費・宿泊費・食事等、諸経費の用意あり』
 一同の視線がテーブルの紙から、いっさいの感情を伺わせない黒衣の男、黒曜のもとへと向かう。

 ――このテーブルについているのは、タンジェ、サナギ、パーシィ。そしてアノニム、緑玉、黒曜の6人だ。
 男がこれだけ揃えば席は窮屈である。がやがやと騒がしい食堂の中で食事も頼まず男6人が顔を突き合わせるこのテーブルは、一見、異質だ。
 だが、店にいる者は、給仕側も、ほかの客も、そんなことを気にはしない。
 だってこれは、"冒険者"による"パーティ"の、ごくありふれた会議でしかないからだ。
 
 妖魔が跋扈し、悪人が魔法を振りかざし人々を陥れ、殺人鬼が剣やナイフで他人を刺し貫くこの世界で、あらゆる荒事を解決するために奔走する――冒険者というのは、だいたい、そんな感じの稼業だ。

 冒険者はほとんど固定のメンバーで徒党を組んでいて、それが"パーティ"と呼ばれる。人数は別に定められてはいないが、6人であることが多い。現に、タンジェたちのパーティも、この6人で固定である。
 一同の司令塔は黒曜で、依頼を受けるか否かは黒曜が判断し、決める。5人の視線の行き先が黒曜の恐ろしく淡白な無表情の顔面だったのもそういう理由からである。
「受けよう」
 平坦な声色で黒曜が言った。
「明日の朝、発つ。今日中に必要な準備を整えておけ」
「了解。ロッグ村までは、ファスの町を経由する必要があるね。まず、ファスの町まで馬車で2時間。そこからファス山を登って1時間程度の山中にある村だよ」
 サナギは別に地図も出していないのに言った。まるで頭の中にすっかり地図が入っているかのようだ。
「途中で野宿、ということはまずないだろうけど。山登りがあるから、ランプの油、食料と水、ロープや調理器具なんかの――"いつものセット"の点検と消耗品の補充を忘れずにね」
 一同はてんでばらばらに返事をしながら、席を立つ。チームワークは、あまりない。それもそのはず、パーティを組んで、たったの3ヶ月である。

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