- 2023.10.12
密やかなる羊たちの聖餐 12
- 2023.10.12
密やかなる羊たちの聖餐 11
- 2023.10.12
密やかなる羊たちの聖餐 10
- 2023.10.12
密やかなる羊たちの聖餐 9
- 2023.10.12
密やかなる羊たちの聖餐 8
密やかなる羊たちの聖餐 12
サナギが言うとおりにベルティアの騎士団にも頼れないというのなら、タンジェたちにできることは多くない。
ウワノ、レンヤ、ヤン。この3人以外に麻薬の栽培・加工・売買に関わっていたものがないかは不明だが、サナギはトイメルを始め、この修道院の管理職以上の人々にすべてを伝えると、「処遇はぜひ、修道院全体で話し合いますよう」と言い添え、事務室から立ち去った。
これで黒曜一行はもう、この修道院に用はない。さっさと出て行くことにした。
ほとんど身一つでここに来たタンジェとサナギではあったが、最低限の荷物は持ってきていたし、それは寄宿舎のほうにあったので、取りに戻る。面倒には思ったが、こんな時間だ、静かに行って、荷物を取って、抜け出すだけのこと。
寄宿舎の部屋は静まり返っていて、タンジェはクローゼットから荷物を取り出し、寝間着からここに来るのに着てきた私服に手早く着替え、また黙って部屋を出た。
寄宿舎の棟の岐路でサナギと合流し、修道院の正面玄関に急ぐ。
その途中で、壁に寄りかかっていた1人の修道士に居合わせた。
ドートである。
「……」
追い抜かれたわけではないだろう。たぶん、そもそもタンジェが部屋に荷物を取りに行ったときにも、あの部屋にはいなかったのだ。
「……レンヤが……」
ドートが言った。
「タンジェもだけど……2人とも戻ってこないから、探しに出たんだ。そしたら……」
くしゃりと顔を歪めた。
見たのだろう。あるいはどこかで聞いていた。自分の所属する、神への信仰を謳う尊い施設が、麻薬の栽培から加工、外部への売買までしていたとなれば、ショックは大きいだろう。ましてやレンヤは同室の友人だったのだろうし、ウワノのことも慕っていたかもしれない。
だがさりとてタンジェは、同情することもなかった。こんなことで挫ける信仰なら大したものではないだろう。
「俺はもう行く。世話になったな」
待ってよ、と言って、ドートは1歩だけ踏み出した。だがタンジェもサナギも、修道院の出入り口を容易に跨ぐ。外に出る。
ドートはきっと、そうはいかないだろう。
この門戸を外へとくぐるには、ドートの信仰はきっと、清らかだ。
タンジェとサナギは、すでに外で待機していた黒曜たちと合流する。黒曜一行は闇の中、ベルティア修道院をあとにした。
翌日、依頼人の邸宅に再度訪れた一同は、女にすべてを話した。修道士により長年引き継がれてきたイリーマリーの栽培、加工、売買のこと……。
そして黒曜が黙って手渡した羊皮紙は、ウワノの個室にあったという、麻薬売買の顧客リストそのものだった。
「そういうもん回収するのって、盗賊役の仕事じゃねえのか?」
言われてもいなかったタンジェが思わず問い詰める口調になってしまったら、
「お前にできたか?」
無表情の黒曜がこちらを見もせずそう答えたので、タンジェは口を噤む。確かに、それは……そうだ。
顧客リストの中にクドーシュの名を見つけた女は、大きな息をついた。そんな彼女に、サナギは試験管に入れたイリーマリーもあわせて渡した。
「これがあの場所で栽培されていたイリーマリーだよ。ベルティア修道院で栽培されていたイリーマリーは、いずれ全滅するからね。一応、証拠だ」
女が試験管を受け取る。
「納得、真実、反省、そして然るべき罰……」
女は呟き、そして、
「ありがとうございました」
深く頭を下げた。
報酬を受け取り、貸し倉庫から荷物を回収すると、タンジェたちはベルベルントへ帰った。
その数週間後のことである。あのときの依頼人の女から、星数えの夜会へ一通の手紙が届いた。
『ベルベルント 星数えの夜会
黒曜一行様
皆様におかれましては、お変わりなくご健勝のこととお慶び申し上げます。
あれからわたくしは、ベルティア修道院のイリーマリー麻薬被害者の会を立ち上げ、ベルティア修道院を詰問いたしました。
長く沈黙を保っていたベルティア修道院ですが、つい先日、ようやく、イリーマリー栽培および加工、売買を認めましたわ。
主犯2名レンヤ修道士、ヤン修道士を聖ミゼリカ教から破門し、修道院から追放したとのことです。
けれども無論、忘れてはおりません。皆様の調査報告の末、主犯2名より追放されるべきは、ウワノ修道士であると看破していることを。
イリーマリー麻薬被害者の会は、今後もベルティア修道院で取引されたイリーマリー麻薬を追及していく所存です。
ベルティア修道院は、そして麻薬取引先として顧客リストに名のあったベルティア騎士団は、社会的に厳しい目で見られていくことでしょう。
わたくしは志を同じくする仲間とともに、かの罪に然るべき罰を与えるために、生きてゆくことができそうです。
本当に、ありがとうございました。
皆様の今後のご活躍をお祈り申し上げます。
追伸
ベルティア川に遺体が上がりましたわ。
茶髪の痩せた男性のもの。眼鏡を身に着けたままの男性のもの。紺色の髪のそばかす顔の男性のもの。
着衣がなく、身元は未だ分かりません。
みな一様に、ロザリオを握りしめておりました。』
密やかなる羊たちの聖餐 11
だがサナギは、イエスともノーとも答えてはいない。ヤンはたぶん、サナギにすっかり誤魔化されていた。
「気を持たせるような言い方するんじゃねえよ」
余計なお世話だとは思ったが、タンジェは思ったことをサナギに言った。
「あはは!」
サナギは笑った。タンジェが唐突で言葉少なでも、サナギはその意味を全部理解したらしかった。
「反省の一助になるかなと思ってさ」
「反省?」
「納得、真実、反省、そして然るべき罰。それが依頼でしょ?」
タンジェは目を瞬かせて、サナギを見た。
犯罪に納得があるわけがない。犯罪者に反省があるわけがない。あるのは、真実と罰だけだ。タンジェはそう思っている。
でも確かに、あの依頼人の女は、サナギの言ったままのことをタンジェたちに依頼した。"それが私の望みです”と。
「あの道具たちは、かなり古いものだったよ」
不意にサナギが言った。
「あ?」
「きっと、何代にも渡って、イリーマリーの栽培と麻薬加工は受け継がれてきたんだ」
この修道院で。……それはレンヤが言っていたこととも一致した。
「受け継ぐ者をどう選んできたのかは知らないよ。バレた人を口封じに引き込んだのかもしれないし、使徒職がたまたまハーブ園なだけで引き継がざるを得なかったのかもしれない。ウワノからの指名かもね。でも、きっともしかしたら、『何も知らずにいられたかもしれない』んじゃないかな?」
サナギはちらりとこちらを見た。
「それって、すごく気の毒なことだと思わない?」
「思わねえな」
タンジェは即答した。
「現状を打破できねえのは、そいつらが弱かったからだろ」
「タンジェらしいね」
てめぇに俺の何が分かる、と言いたかったが、やめた。サナギと言い争っても碌なことにならない。
「誰もがタンジェみたいに強いわけじゃないよ」
「俺だって……」
強いわけじゃない、とは、言わなかった。言ったら負ける気がした。自分自身と、サナギの優しさに。
さて、そろそろかな、とサナギは立ち上がる。
ジャストタイミングだ。パーシィが戻ってくる。その横には顔色の悪いウワノがいて、レンヤとヤンはその横で小さくなっている。
パーシィは、ウワノを問い詰めるため、ウワノの個室まで彼を呼び出しにいったのだ。
サナギとタンジェは現時点で修道院の見習い修道士であるから、ウワノに対して立場が弱い。問い詰めたり、呼び出そうとしても、突っぱねられる可能性がある。それに比べ、パーシィは外部の者であるから、ウワノも声をかけられて断る理由を探しづらいだろうという判断だった。
実際、ウワノは呼び出されるまま、ここに来ざるを得なかった。
「私に話とは?」
連れ出された先にタンジェとサナギがいることに気付くと、ウワノは顔を歪めた。しかし平静を装っている。
「イリーマリーの違法栽培をしていますね?」
単刀直入にサナギが尋ねた。ウワノの視線が、レンヤとヤンに向かったのを見逃さない。すぐに視線をサナギに戻したウワノは、
「事実なのですか?」
すっとぼけやがって、とタンジェは思った。サナギは、
「あなたは把握していなかったと?」
「まったく存じ上げませんでした」
「な……!」
レンヤが前のめりになって呻いた。
「人に作業をさせておいて、あなただけ逃げようと言うのですか!」
「そ、そそ、そ、そうです、ひ、ひひ卑怯では?」
この2人がいる以上、ウワノがすっとぼけ続けるのは無理だ。だがあくまでウワノは忌々しそうに、
「そこの2人が関わっているのですね? その件は、こちらで調査しましょう。情報提供ありがとうございます」
そして、
「それに……調査後、この件に関しては、後処理のいっさいをこちらが引き受けますので、どうか他言無きよう」
話は終わりだとばかり、背中を向けるウワノ。サナギはにこりと微笑み、その背にこんな声をかけた。
「この『稼業』は、長くこの修道院に利益をもたらしたことでしょう。ベルティアの騎士団にも取引相手がいますか? 俺たちが駆け込んでも無意味なのでしょうね」
「……」
ウワノが立ち止まり、振り返る。視線がレンヤとヤンに向き、
「あの2人がそう言ったのですか?」
「いいえ」
「ならば口を噤むことです。沈黙は金ですよ」
「ですが悪を祓うのはたいてい銀のものです」
よくご存じでしょう、聖職者であるならばとサナギは言ってのけた。
そのとき、黒曜、緑玉、アノニムが戻ってきた。黒曜の手元には羊皮紙、緑玉とアノニム2人の手元には、空になった空き瓶が各々握られている。
訝しげに彼ら3人を見るウワノ。黒曜たちはそんなウワノに目も留めず、
「これだろう」
「ありがとう。さすがに仕事が早いなあ」
「パーシィがそいつを連れ出す手際がよかった」
「……?」
ウワノは訝しげな顔をしている。
「緑玉とアノニムもありがとう」
「……別に。大した仕事じゃない。指示通り、撒いてきただけだし」
緑玉の言葉に、うん、とサナギは微笑んだ。ウワノはわずかに震えた声で、
「その3人は……どこで何を、してきたのですか?」
「なぜそんなことを気にするんです?」
サナギが首を傾げる。ウワノは上擦った声で、
「いいから答えなさい!」
「彼ら2人には、栽培されているイリーマリーに除草剤を撒いてもらってきただけですが」
ごく平然と言ったサナギに、ウワノが目を剥いた。
「意外とそこら辺の材料で、即興で作れるものでしてね。ただ急ごしらえなので、加減はできませんでしたが。イリーマリーは全滅する」
サナギはウワノの顔を覗き込んで笑顔で言った。
「しかし"あなたには関係ない"ことですね? 今の今までイリーマリーの栽培を知りもしなかったのですから」
口を開いたり閉じたりしていたウワノは、
「あ、あなたたちは……、何なのですか?」
「冒険者です。違法麻薬の調査を目的に来ました」
「冒険者ふぜいが……、信仰心もなく、そんな浅ましい目的で聖なる修道院の敷地を跨ぐとは! し、神罰がくだりますよ!」
「神罰だぁ?」
タンジェは思わず口にした。
「そんなものがくだるとしたら、てめぇらにだろ?」
「お黙りなさい! 神意は我らにあります!」
「神意! はは、人間ふぜいが使うのに相応しい言葉ではないな」
パーシィが思わず、といった様子で破顔した。
「しかし元より矮小な人間の信仰など神の前では無価値だ。あなたごときの悪行、いくらなんでも些末すぎる」
満面の笑みのまま、
「傲慢で、卑しく、聖ミゼリカ教の基本精神たる清貧をなくしたとて、あなたは神に罰されない! よかったな!」
ウワノは顔を赤くしたり青くしたりしながら、ぶるぶる震える拳を握り、パーシィのことを睨んだ。
そんな様子のパーシィとウワノを尻目に、サナギはレンヤとヤンにこう声をかけた。
「恨まないでほしいな。強引なやり方だとは思うし、きみたちに同情の余地はあるかもしれないけど、恐らく騎士団も頼れない現状だからね」
「い、い、依頼。そ、そそ、それは……どんな?」
ヤンが尋ねる。サナギは答えた。
「納得、真実、反省、そして然るべき罰」
「……」
「クドーシュという男性を?」
「……。う、ウワノ修道士からあ、預かった、顧客リストに、そ、その名を、みみ、み、見ました」
「そう」
サナギはただ短くそう応じ、パーシィを睨むばかりのウワノのことを眺めた。
密やかなる羊たちの聖餐 10
レンヤが昏倒したあと、タンジェは廃屋に放置されていたいくつかの庭仕事道具からロープを見つけ出し、レンヤのことを拘束した。
それからレンヤが気を失っている間に巡礼者の部屋に戻り、パーシィたちを呼んだ。サナギはもう寄宿舎に戻ったとのことで、今、サナギを除く5人でレンヤを取り囲んでいる。
「おい、起きやがれ」
レンヤの頬をべしべしと叩くと、「う、うーん……?」と呻き声を上げて、目覚めた。
「……はっ! き、貴様ぁ!」
タンジェの顔を見て慌てて体を起こそうとするレンヤだったが、ロープで縛られていること、5人に取り囲まれていることに気付くとたちまち青くなった。
「こ……殺さないでくれ!」
「殺しはしねぇよ、そこまでは依頼されてねえからな」
そう言うと、レンヤは、ほっと息をついた。が、一拍遅れて後半の言葉に反応し、
「い、依頼!? 依頼人は……誰なんだ!?」
パーシィがお上品に足を揃えたまま屈んで、転がるレンヤの顔を覗き込む。
「俺たちは冒険者だから、依頼人のことは話すことができない。守秘義務というやつだよ」
「わけの分からんプライドを……! 貴様ら、グルだったんだな……! 同じ時期に新人と巡礼者、最初から疑うべきだった!」
「そうだな、きみがボンクラで助かったよ」
パーシィは屈託なく笑った。本人に煽っている自覚はない。人間を見下すのはパーシィの素だ。
「それで、あのイリーマリーを育ててるのは誰かの指示なのかい?」
「……」
そっぽを向くレンヤ。
「アノニム」
パーシィが突然、アノニムを呼ぶと、アノニムは先ほどレンヤが振り回していた枝切りバサミを持ってきて、ドン! とレンヤの目の前に突き立てた。
「ヒッ……!」
レンヤがぶんぶんと首を横に振る。
「こ、殺さないって、さっき……!」
「まずは耳を切り落とすか?」
レンヤの背後で、まったく感情のない黒曜の声がした。
「指1本からでいいんじゃない」
続いて、緑玉の声。
「や、や、やめてくれ! こ、こんな拷問のような真似は、人道にもとる……!」
「あのなあ」
タンジェは呆れて、腕を組んで首を傾げた。
「麻薬を栽培してたんだろ? 先に人道を外れたのはてめぇじゃねえか。売った先の人間が死んでんだぞ」
「さ、栽培しただけだ! 加工は別の奴の仕事だし、売った先のことまで私が知るかっ!」
おや、とパーシィがさらに身を乗り出した。
「仲間がいるのかい?」
「……」
「アノニム」
「そ、そうだ! 仲間だと思ったことはないが……加工をしているやつがいる!」
アノニムが枝切りバサミを持ち上げようとするのを見て、泣きそうな顔のレンヤが必死に暴露する。
「誰なんだ?」
パーシィが尋ねると、
「……ヤンだよ。タンジェリンさんは知っているだろう」
吐き捨てるように言った。
「サナギと一緒にいたやつか。確か、ハーブ園の使徒職で一緒だとかいう……」
言ってる内にハッとした。
「サナギがハーブ園で見つけたっていう加工道具は……ヤンのものってことか!」
「そいつは今どこに?」
黒曜が尋ねるが、「そこまでは知らん」とレンヤは言った。
「寄宿舎の棟も違う、使徒職も違う……そもそも気も合わないのでね! 私は『引き継いだ』から……それに、金になるから……やっているだけのことだ!」
「『引き継いだ』?」
「前任者がいるんだよ……! ヤンだってそうだ。このイリーマリーの栽培は、老いた担当から引き継がれるんだよ」
「やっぱり修道院ぐるみなのかい?」
特に憤った様子もなく、純粋に不思議そうな顔をしたパーシィが首を傾げる。レンヤは視線を逸らし、
「……ウワノ修道士が取り仕切っている。報酬も彼から受け取る」
「なるほど、いいんじゃないか。あとはウワノを問い詰めれば……」
「いや、その前にサナギだろ。あとヤンも。寄宿舎にいるだろうから、呼んでくる」
廃屋を出ようとすると、
「待て。俺たちも出る。ここにいても仕方ない」
黒曜が無理やりレンヤを立たせた。足は縛っていない。よろけたレンヤが「くそ……」と漏らした。
そういえば、と、タンジェはふと疑問に思ったことを口にした。
「ドートを階段から突き落としたのもてめぇなのか?」
「ああ、そんなこともあったな……」
レンヤは顔を歪めて、
「この廃屋までついてこようとしたり……仕事の邪魔だったのだよ。もっと大怪我させるつもりだったのだが、思ったより軽症で……」
タンジェは遮るようにして、もういい、行くぞ、と言った。
とりあえず先に談話室と寄宿舎を見てきたが、サナギとヤンの2人ともがいないことが分かった。その組み合わせなら、居場所はハーブ園ではないかと察せられる。急ぎ、ハーブ園へと向かうことにした。
ハーブ園は明かりがついている。タンジェはハーブ園内に飛び込む前にみんなを制止し、盗賊役として、中の様子を伺った。もちろん罠や妖魔なんてものはないだろうが、念のためだ。中には確かにサナギと茶髪の修道士――ヤンがいて、向かい合って何かを話している。
「あ、あ、あの、サナギ、さん」
ヤンは相変わらず、言葉がつっかえていたが、
「そ、そ、その、初めて見たときから、その、ひ、一目惚れでした!」
なんか告白していた。予期せぬシーンに居合わせて気まずくなる。ロープに捕まったままのレンヤもさすがにあっけにとられていた。
ヤンは、気弱な物腰だが変なところで勇気がある男のようだ。とはいえ会ってまだ2日だろとタンジェが呆れる。ついでに「同性愛は聖ミゼリカ教では禁忌だな」と、パーシィが別に聞いてもいない補足をし、「所詮は人間が作った決まりだし、俺は気にしないが……修道院内でとは、なかなかどうして、気骨のある人間だなあ」とのんきな感想を言っている。
「うん、そっかぁ」
とうのサナギは、別に動じた様子もなく、にこにこ笑っている。
「話を聞いてあげてもいいけど……きみの秘密が先に知りたいな」
「ぼ、ぼぼ、僕のひ、秘密?」
「うん。あれはきみのものだよね?」
サナギが指さす先に、何があるのかは見えない。だが想像はつく。隠されていた、麻薬の加工道具だろう。ヤンは、赤くなったり青くなったりしたあと、あ、とかう、とか言っていたが、やがて長いため息をついた。
「いつから、し、知ってた? 知ってて、ここに来た?」
「うーん、見つけたのは偶然だけど、そうだね、知っててここに来たよ。あの道具に残った香りは、イリーマリーだね」
サナギはサナギで、先に追い詰める準備ができていたというわけだ。告白のためにサナギを呼び出したのはヤンかもしれないが、この場所を指定したのはサナギなのかもしれない。
「このハーブ園内にイリーマリーはなかった。別の場所で栽培されてるのを、きみが加工して売っていたね?」
ヤンが沈黙する。タンジェたちは、そのタイミングでハーブ園に乗り込んでいった。
ぞろぞろ現れたタンジェたちに驚いたのか、ヤンが目を白黒させる。サナギのほうはとっくにこちらに気付いていたらしい。
「イリーマリーの栽培場所も、栽培人も特定してある。栽培人は捕縛した」
黒曜が淡々と事実だけを述べた。サナギはおや、と機嫌よく笑う。
「仕事が早いね」
「てめぇこそ」
タンジェが言うと、「うん」とサナギは頷いた。
「黒曜たちがいられるのが、明日までだったろ? じゃあもう、さっさと決着つけちゃおうかなと」
結局、黒曜たちはあまり必要なかったかもしれないが、巡礼者の部屋から寄宿舎に戻る途中でレンヤに遭遇したとこを考えると、偶然を重ねる役には立った。
「……に、逃げられない、か」
ヤンが肩を落とした。レンヤに比べればだいぶ潔い。
「うん」
「ひ、ひとつ聞かせてほしい、サナギさん」
「ん?」
「も、もし俺が、麻薬に関わっていなかったら、お、俺と、付き合ってくれた?」
この期に及んで何を、とタンジェたちは訝しげな顔をしたが、サナギだけは笑っていた。
「ヤン。きみは植物知識もあり、新人にも優しく丁寧で、気は弱いけれど、俺に告白する度胸もある。確かに、麻薬の加工なんかに手を出してさえいなければ、魅力的な人だね」
ヤンは、それを聞いて、大きく項垂れた。そして、こう呟いた。
「こんなことに、か、関わるんじゃなかった」
密やかなる羊たちの聖餐 9
晩の食事、それから入浴やらを済ませて、ようやくタンジェたちは会話できるタイミングを見つけた。
黒曜のメモ通りにサナギを連れて巡礼者に用意された部屋へ。こちらは寄宿舎とは違い礼拝堂の近くで、この時間には他にまったく人通りはない。タンジェとサナギはつつがなく巡礼者用の部屋に訪れることができた。
「お疲れさま」
中に入るとパーシィが茶を用意していた。タンジェとサナギの顔が引きつる。
「……そのお茶は?」
サナギが震える声で尋ねると、不思議そうな顔のパーシィが、
「先程、修道士の1人が用意してくれたものを淹れたんだが」
「パーシィは注いだだけだね?」
「え? うん」
タンジェとサナギは胸を撫で下ろした。
「ならいただくよ。そちらもお疲れさま」
サナギがようやくカップを受け取る。あたたかい茶は、夜にはぐっと冷えるこの時期にはありがたい。
「祈りだ何だで、気が狂いそうだぜ……」
「はは、大袈裟だな」
茶を飲みながら愚痴ると、パーシィが、
「信仰心が芽生えるかもしれないぞ?」
タンジェは思いっきり顔をしかめてやった。それを見てひとしきり笑っていたパーシィだったが、不意に真剣な顔になって尋ねる。
「調子はどうだい?」
「ん〜……」
サナギは曖昧な返事をした。
「もう少し、かな」
「もう少し?」
一同と一緒に、タンジェもサナギの顔を見た。サナギとの会話の機会も少なく、彼の今日の調査の進捗を聞くのはタンジェも初めてだ。
「今日ハーブ園で、麻薬の精製に使う器具を一通り見つけたんだ。もちろん隠すように置いてあったよ。ただ、誰の持ち物なのかは調査中だ」
「……!」
これはかなり大きい情報だ。あとはサナギがそれを見張っていれば犯人はいずれやってくる。
「そっか、俺たちはいらなかったかもしれないな」
パーシィはサナギの調査の成果を喜びながらも、少し寂しそうな顔をした。
「そんなことはないよ、心強いよ」
「うーん、それが、心強く思われるような事態でもないんだ」
どういうことだとタンジェが尋ねると、パーシィは、
「実は、思ったより獣人への対応がよくなくてね……泊まれて、今日1日ってところかな……」
「マジかよ……!」
やっぱろくでもねえな、と思わず本音が漏れる。パーシィはまたなんてことないふうに笑うかと思ったが、
「獣人へのあの警戒は、ちょっと普通じゃないな。かなり怪しいと思う」
「あ? どういうこった?」
「獣人は五感が人間より優れているものだろう? 要するに、獣人に長くいられちゃ困る理由があるんじゃないか」
タンジェは、待てよ、と言った。パーシィの言っていることはおかしくはないのだが、
「てめぇらの受け入れを判断するのは、この修道院でそれなりの決定権を持ってるやつだろ。そいつが獣人を忌避してるなら、つまり……」
言葉尻から黒曜が引き継いだ。
「修道院の上層部が麻薬取引を黙認している、あるいは指示している……この修道院全体が、麻薬取引の母体になっている可能性もある」
「そりゃあ、可能性はあるだろうが……」
「獣人の巡礼者には厳しいわりに、俺たちが入会を希望したときはあっさりだったね。人間なんかいざとなれば麻薬で何とかなると思われてるのかな?」
首を傾げるサナギに、軽く身を乗り出したパーシィが、
「食事に麻薬が混入されていたりはしなかったかい?」
冗談でもなく、ごく普通の様子で尋ねる。応じたのは黒曜で、
「食事にその手の臭いはなかった」
と。ならば一応、食事は安心して食べてもいいだろう。
ドートたちもグルの可能性……。一見、迂闊で無害に見える男だが、腹の底で何を考えているかなんてのは分からない、か。
「……警戒するに越したことはねえな」
結局、そう結論づける。
「ああ」
それからパーシィとサナギはもう少し話すというので、タンジェは先に寄宿舎に戻ることにした。あまり巡礼者の部屋に長居してもいいことはないだろう。
寄宿舎への道を途中の地図を見ながらかろうじて進んでいると、T字路で向かって左手から歩いてくる人影が見えた。ひと気のあるところには近付いてきたらしい。人影はレンヤだった。
「やあ、タンジェリンさん」
「おう」
タンジェは違和感を覚えた。
レンヤが歩いてきた向かって左手側の廊下……その先には、何がある? ここを右手に曲がれば寄宿舎や談話室があるほうに向かうことは分かっている。なぜこいつはその反対側から歩いてきた?
「何してたんだ?」
タンジェが尋ねると、
「そちらこそ。礼拝堂で何かしていたのか?」
一瞬、答えに窮す。寄宿舎とは別の方向から歩いてきた……レンヤにとってはタンジェも同じ立場か。タンジェは「まあな」と適当に返した。
「こんな夜更けに、あまりうろうろするものではないぞ」
世間一般では、夜更けというほどの時間ではない。だがこの修道院においては、レンヤの言うとおりもう遅い時間だ。
レンヤは寄宿舎のあるほうへと歩き去る。彼がタンジェの前を横切るその一瞬、レンヤの衣服から、何かの植物らしき匂いが香ったのに気付いた。
「……」
レンヤの後ろ姿が見えなくなったのを見届けると、タンジェは左手へ足早に向かった。レンヤが来たほうだ。
長い廊下をなるべく足音を立てずに進んでいくと、途中で扉を見つけた。少し観察し、脳内でなんとか修道院の地図を展開すると、中庭に出る扉かもしれない、と見当が付いた。
しかもこの位置は、もしかしたらタンジェが今朝方見つけたあのぼうぼうの草が生えていたあたりかもしれない。
扉を開けようとしたが、鍵がかかっている。
タンジェは解錠道具を取り出そうとして、それらの類はいっさいを持ち込んでいないことを思い出した。
だが、手も足も出ないというわけではない。タンジェいつもしているヘアピンを髪から1本抜くと、それを使って解錠を試みた。古い鍵だからだろう、かなり造りは単純で、解錠は容易かった。タンジェはヘアピンを髪に戻し、静かに扉を開ける。
外の冷たい空気に当たった。
背の高い雑草が生えている。その奥に、想像通り、今朝入れなかったあの廃屋が見えた。タンジェは草を掻き分けてそちらに向かった。檻にも鍵がかかっていたが、こちらも難なく解錠する。
廃屋に侵入した。暗かったが天井が崩れているため月明かりで視界は確保できた。
「これは……!」
廃屋の奥に、花が咲いている。花からは甘い香りがして、それはレンヤの衣服から香ったのと同じものだった。
タンジェは植物に特別詳しいわけではない。だがサナギがここに来る前、いくつか見当を付けていた麻薬があったはずだ。絵を見せてくれたその中に、確かにこの花があった。確か名前は――。
「イリーマリー」
背後から突然声が聞こえたと思ったら、パッと視界が明るくなる。振り向くと、備え付けのランプに火を灯したレンヤがこちらを見ていた。
「イリーマリーだよ、それは」
淡々と言ったあと、
「タンジェリンさん。なぜ寄宿舎に戻らなかった?」
レンヤは、怒っている様子も、焦っている様子もない。
「……」
タンジェは沈黙を返した。
「貴様、最初からイリーマリーの調査に来ていたのか?」
「……」
まあいい、とレンヤは言った。
「どちらにせよ、私に尾行されるようでは、あまり探索の才能はないようだな」
ぴく、とタンジェの眉が動く。レンヤは鼻で笑って、
「この廃屋はこの修道院の修道士たちは関心を寄せないのでね。麻薬を栽培するのにちょうどよかったわけだ」
聞いてもいないのにそう語った。
そしてレンヤは壁に立てかけてあった枝切りバサミを手に取り、
「見つけてしまった貴様は、不幸だが、ここで死んでもらおう。麻薬の肥料になるといい!」
ぶん、と枝切りバサミを振り回す。
だが、その攻撃はまるきり、素人丸出しだ。難なく回避し、タンジェは一歩でレンヤに間合いを詰めた。
「探索に向いてねぇって?」
それから、
「あいにく、こっちの方が得意でな!」
レンヤの顔面に拳を叩き込んだ。
密やかなる羊たちの聖餐 8
翌朝、タンジェはぴったり起床時間4時に目覚めた。この手の調整は得意なのである。
タンジェは冒険者というのは然るべきときに必要なだけ休息を取るべきだと思っていて、だから夜更かしは好きではないし、する必要もない。サナギはどうやら違う考えのようだが、あいつはきちんと起きただろうか。
「ふぁ……おはよ」
むにゃむにゃ言いながらドートが起き出す。レンヤとクーシンも続けて起きてきた。今の時期の午前4時はまだ暗く、レンヤはろうそくに火を点ける。
共同の洗面所に案内され、手早く身支度を整えた。水は冷たく、さっぱりして気持ちがいい。
部屋に戻ってローブに着替え、それから朝の祈りだ。昨日の晩課と大して内容は変わらなかった。
それから、朝食との間に少し時間があって、それは確か『聖なる読書』の時間だと聞いていた。礼拝堂からは移動せず、その場で着席して、黙々と聖書を読んでいる。正直かなり苦痛な時間だった。眠くはないのだが、とにかく退屈であくびが出そうだ。
燭台に灯された火がゆらめく静かな礼拝堂で、視界の先にサナギの後姿を見つけたが、こっくりこっくりと舟を漕いでいる。こちらは正真正銘、眠そうだ。この時間に目が覚めただけでも上等か。
別にタンジェはサナギとそこまで親しいわけではない。パーティを組んでいるといっても、もうすぐ4か月というところだ。その期間で依頼をこなしてきて、サナギのことは、物知りで頭の回転も早く、有能な参謀だとは思っている。しかしどうも、根本が駄目人間というか……。自堕落とまでは言わないが、健康を犠牲に好奇心を満たすタイプなので、タンジェはサナギのそういうところが好きじゃない。あれだけ言ったのに、どうせサナギは夜更かしをしたに決まっているのだ。
礼拝堂には、聖書をめくる音だけが響いている。
一応、ぱらぱらとめくってはみたのだが、内容はタンジェには理解できそうになかった。サナギに申告したとおり、ペケニヨ村の私塾に通っていた経験があるので共通語の文字の読み書きはできるが、聖書はどうも言い回しが難解だ。
もっとも、どんなに易しい言葉にされたところで、タンジェには聖書の言葉も、修道士たちが日々何を考えて熱心に祈っているのかも、理解できないだろうが……。
聖なる読書の時間が終わり、朝食。それから、掃除と洗濯。さらに、朝の祈りとは別にミサとやらがあり、それからやっと午前の使徒職だ。
ようやく日が姿を見せ始め、明るくなった中庭は、ひんやりした空気が気持ちいい。
薪割りを指示されたので大人しく従う。薪割りの最中、時折周囲を見回してみるのだが、不審な動きをしているやつはいない。みんな木々の枝を落としたり、畑の野菜を収穫したりと平凡な作業をしている。
割り終えた薪は中庭にある薪置き場に運ぶ。
薪置き場を探して中庭をうろうろしていると、草がぼうぼうに生えた一角を見つけた。背の高い雑草の奥に檻のようなもので囲われた、半壊した建物が見える。このベルティア修道院は古く広大だと聞いているのでそんな一角があっても別におかしくはないのだが……薬物になるような危険な植物をこっそり育てるならこういう場所なのではないか?
タンジェは薪を抱えたまま草をかき分けてその廃墟に近づいた。
檻に阻まれて廃墟そのものには入れない。檻に鍵がないか探しているうちに気付いたが、廃墟の入り口は反対側にあるようだ。もちろん、檻の入り口もこちら側にはない。
どうにか入り口側に回り込めないか、さらに進んでいこうとすると、
「タンジェリンさん!」
背後から声が聞こえた。
「薪置き場はそっちじゃあありませんよ」
トイメルだ。タンジェは舌打ちした。仕方なくもとの場所に戻る。
「危ないですから、あまりうろうろしてはいけませんよ」
「危ない?」
タンジェは眉を上げた。
「何が?」
「あなたが向かった方向に、ちょっとした倉庫があるんですが……そこは屋根が崩れていましてね」
それで誰も立ち入らないように檻で囲っているのです、とトイメルは言った。
「万が一、檻の中にでも入ったら、私の監督不行き届きですから」
なるほど、タンジェの心配というより、自分の責任になるのが嫌だということだろう。清廉な考えではないが、むしろタンジェは納得した。
それに考えてみれば、サナギに相談もせずに怪しい場所に潜り込もうとしたのは早計だったかもしれない。
「すみません」
「分かればいいのです。さあ、薪置き場はあちらですよ」
それからは大人しく使徒職に励んだ。黒曜たちは何時ごろに着くだろうか。
昨日タンジェたちが紹介されたのと同じく、昼食のタイミングで、本日は巡礼の方がおいでですと黒曜たちが紹介された。
パーシィ以外はバンダナやフードで獣の耳やツノなんかを一応隠していたが、パーシィの言葉が正しければ獣人の聖ミゼリカ教信仰自体は、珍しくはあるものの排斥されるものでもない。もしバレても大きな問題ではないだろう。
「兄弟たちよ、この出会いに感謝いたします」
パーシィは委縮した様子もなく、実に堂々としている。笑顔で言って会釈すると、ばらばらと黒曜たちも頭を下げた。受け入れる側の修道士たちも会釈を返す。
とりあえず向こうも潜入には成功した、と見ていいだろう。
あいている席に案内されたパーシィたちは大人しく着席し、修道士たちはいつもどおりに食事を始める。
食事、食休み、午後の使徒職、それから晩課……タンジェとサナギが修道院の日課に拘束され動けない間に、黒曜たちは何か手がかりを掴んだだろうか?
晩課で礼拝堂に入ると、巡礼者組が後ろのほうで待機していたので、タンジェもさりげなくそれに混ざった。
静まり返った礼拝堂の中で会話は難しい。会話できるとしたら、寝る前の団らんの時間だ。
黒曜はタンジェを横目でちらと見て、そっと何か手渡してきた。手紙……、というよりはメモだった。黒曜の几帳面な字で、「夜に巡礼者用の部屋で」と走り書きされていた。場所はよく分からないが、確か構内に地図があると聞いていたので辿り着けるだろう。タンジェは頷いた。
祈りが始まる。退屈で苦痛の祈りが。
つい横目で隣の黒曜を見る。静かに目を閉じている。熱心に祈っているな、と思う。
黒曜が神を信じてるなんて話は聞かない。黒曜が祈るとして、いったい、何に? もっとも、興味はないことだ。