カテゴリー「 ┣密やかなる羊たちの聖餐」の記事一覧
- 2023.10.12
密やかなる羊たちの聖餐 11
- 2023.10.12
密やかなる羊たちの聖餐 10
- 2023.10.12
密やかなる羊たちの聖餐 9
- 2023.10.12
密やかなる羊たちの聖餐 8
- 2023.10.12
密やかなる羊たちの聖餐 7
密やかなる羊たちの聖餐 11
実際どうなんだ、と、俺は尋ねた。
「何が?」
「てめぇはイエスともノーとも答えなかったじゃねえか」
「へえ? きみがそこに突っ込んでくるとはなあ」
おかしそうに笑って、サナギはこう答えた。
「まあ、答えはノーだね」
「だろうな。それなら気を持たせるような言い方するんじゃねえよ」
すでにヤンとレンヤはウワノ修道士に引き渡し、俺たちは夜中だというのに慌ただしく修道士たちがイリーマリーの栽培現場を調査しているのを眺めていた。
「反省の一助になるかなと」
「反省?」
「納得、真実、反省、そして然るべき罰。それが依頼でしょ?」
俺は目を瞬かせて、サナギを見た。
俺は、犯人を見つけて捕まえれば、それで依頼人の気は済むと思っていた。
犯罪に納得があるわけがない。犯罪者に反省があるわけがない。あるのは、真実と罰だけだ。
「依頼人のためってんなら、分からんでもねえが……てめぇ、ヤンにも少しいい思いをさせてやるつもりだったろ」
へえ、結構鋭いね、とサナギは頬杖を突いて言った。それから、まるで独り言のようにこう続けた。
「あの道具たちは、かなり古いものだったよ」
「あん?」
「きっと、何代にも渡って、イリーマリーの栽培と麻薬加工は受け継がれてきたんだ」
この修道院で。
それはレンヤが言っていたこととも一致した。
「受け継ぐ者をどう選んできたのかは知らないよ。バレた人を口封じに引き込んだのかもしれないし、使徒職がたまたまハーブ園なだけで引き継がざるを得なかったのかもしれない。でも、共通しているのは、きっと『何も知らずにいられたかもしれない』ということさ」
サナギは立ち上がり、尻に着いた埃を軽く払った。
「それって、すごく気の毒なことだと思わない?」
「思わねえな」
俺は即答した。
「現状を打破できねえのは、そいつらが弱かったからだろ」
「タンジェらしいね」
てめぇに俺の何が分かる、と言いたかったが、やめた。サナギと言い争っても碌なことにならない。
サナギはこう続けた。
「誰もがタンジェみたいに強いわけじゃないよ」
「俺だって……」
強いわけじゃない、とは、言わなかった。言ったら負ける気がした。自分自身と、サナギの優しさに。
黒曜たちがハーブ園のほうの立ち合いから戻ってくる。その機を見てウワノ修道士が俺たちに言った。
「我が修道院の不実なるところを見つけてくださったのには、感謝しています」
たぶん、ウワノ修道士は、焦っていた。
「この件に関しては、後処理のいっさいをこちらが引き受けますので、どうか他言無きよう」
「あなたも知っていたのではないですか?」
急にサナギがそう言った。ウワノ修道士は真っ赤になってぶるぶる震え出した。
「あの二人がそう言ったのですか?」
「いいえ? 俺の憶測です」
「ならば口を噤むことです。沈黙は金ですよ」
サナギは笑った。
「あの『稼業』は、長くこの修道院に利益をもたらしたでしょうね?」
「何のことだか分かりませんね」
「何代も作り手を変え作り続けられてきた麻薬を、上の者が知らないなんて、そんな都合のいいことはないでしょ?」
追及するサナギに、ウワノ修道士は、
「そうだとして、証拠は何も無い!」
と怒鳴り散らした。それからゴホンと咳払いを一つして、
「いいですか、とにかく、他言無用です。公表などしようものなら、神罰がくだりますよ!」
「神罰だぁ?」
俺は思わず口にした。
「そんなものがくだるとしたら、てめぇらにだろ?」
「お黙りなさい! 神意は我らにあります!」
パーシィが、話にならないといった様子で軽く肩を竦める。
「もうここに用はないでしょうね! 早急に出て行っていただきたい!」
その通りだ、もう用はない。さっさと出て行くことにした。俺とサナギは寄宿舎に戻り、手早く荷物を整えた。
「何があったの? タンジェ!」
部屋に行くと、騒がしい廊下を見て、困惑した様子のドートが尋ねてくる。クーシンはこの騒ぎでもまだ寝ていた。
俺は寝間着から私服に手早く着替えると、
「世話になったな」
とだけ告げて、そのまま部屋を出た。
待ってよ、と声を上げて追ってこようとするドートだったが、二段ベッドから降りてくる頃には、俺はとっくに寄宿舎を出ていた。
サナギもすぐに戻ってきて、黒曜たちと合流する。俺たちは闇の中、ベルティア修道院をあとにした。
依頼人にすべてを話すと、彼女は満足したようだ。
報酬を受け取り、貸し倉庫から荷物を回収すると、俺たちはベルベルントへ帰った。
その数週間後のことである。あのときの依頼人の女から、星数えの夜会へ一通の手紙が届いた。
『ベルベルント 星数えの夜会
黒曜一行様
皆様におかれましては、お変わりなくご健勝のこととお慶び申し上げます。
あれからわたくしは、ベルティア修道院のイリーマリー麻薬被害者の会を立ち上げ、ベルティア修道院を詰問いたしました。
長く沈黙を保っていたベルティア修道院ですが、つい先日、ようやく、イリーマリー栽培および加工、売買を認めましたわ。
主犯格の二名を聖ミゼリカ教から破門し、修道院から追放したとのことです。
けれども、皆様は、主犯格の二名だけでなく、上層部にも一部事情を知っていた者があるとおっしゃっておりましたね。
わたくしは、皆様を信じて、今後もベルティア修道院で取引されたイリーマリー麻薬を追及していく所存です。
あの閉鎖された場所で行われた非道を解明し、他言無用とされたそれをわたくしにだけは明かしてくださった皆様。
そのおかげで、わたくしは志を同じくする仲間とともに、かの罪に然るべき罰を与えるために、生きてゆくことができそうです。
本当に、ありがとうございました。
皆様の今後のご活躍をお祈り申し上げます。
追伸
ベルティア川に遺体が上がりましたわ。
茶髪の痩せた男性のもの。眼鏡を身に着けたままの男性のもの。紺色の髪のそばかす顔の男性のもの。
着衣がなく、身元は未だ分かりません。
密やかなる羊たちの聖餐 10
レンヤが昏倒したあと、俺は廃屋に放置されていたいくつかの庭仕事道具からロープを見つけ出し、レンヤのことを拘束した。
それからこいつが気を失っている間に巡礼者の部屋を訪れてパーシィたちを呼んだ。サナギはもう寄宿舎に戻ったとのことで、今、サナギを除く五人でレンヤを取り囲んでいる。
「おい、起きやがれ」
レンヤの頬をべしべしと叩くと、「う、うーん……?」と呻き声を上げて、目覚めた。
「……はっ! き、貴様ぁ!」
俺の顔を見て体を起こそうとするレンヤだったが、ロープで縛られていること、五人に取り囲まれていることに気付くと、すぐさま青くなった。
「こ……殺さないでくれ!」
「殺しはしねぇよ、そこまでは依頼されてねえからな」
そう言うと、レンヤは、ほっと息をついたあと、
「い、依頼? 依頼人は誰だ! ウワノ修道士か!?」
なんとなく分かってきたのだが、ウワノ修道士ってのはこの修道院でかなり偉い立場にいるようで、やはり、俺とサナギを最初に案内したあの修道士では、と思われた。
パーシィがお上品に足を揃えたまま屈んで、転がるレンヤの顔を覗き込む。
「俺たちは冒険者だから、依頼人のことは話すことができない。守秘義務というやつだよ」
「わけの分からんプライドを……! 貴様ら、グルだったんだな……! 同じ時期に新人と巡礼者、最初から疑うべきだった!」
「そうだな、きみがボンクラで助かったよ」
パーシィは屈託なく笑った。本人に煽っている自覚はない。人間を見下すのはパーシィの素だ。
「それで、あのイリーマリーを育ててるのは誰かの指示なのかい?」
「……」
そっぽを向くレンヤ。
「アノニム」
パーシィが突然、アノニムを呼ぶと、アノニムは先ほどレンヤが振り回していた枝切りバサミを持ってきて、ドン! とレンヤの目の前に突き立てた。
「ヒッ……!」
レンヤがぶんぶんと首を横に振る。
「こ、殺さないって、さっき……!」
「まずは耳を切り落とすか?」
レンヤの背後で、まったく感情のない黒曜の声がした。
「指一本からでいいんじゃない」
続いて、緑玉の声。
「や、や、やめてくれ! こ、こんな拷問のような真似は、人道にもとる……!」
「あのなあ」
俺は呆れて、腕を組んで首を傾げた。
「麻薬を栽培してたんだろ? 先に人道を外れたのはてめぇじゃねえか。売った先の人間が死んでんだぞ」
「さ、栽培しただけだ! 加工は別の奴の仕事だし、売った先のことまで私が知るかっ!」
おや、とパーシィがさらに身を乗り出した。
「この修道院ぐるみというわけではなさそうだけど、仲間がいるのかい?」
「……」
「アノニム」
「そ、そうだ! 仲間だと思ったことはないが……加工と売買をしているやつがいる!」
アノニムが枝切りバサミを持ち上げようとするのを見て、泣きそうな顔のレンヤが必死に暴露する。アノニムの強面も役に立つもんだな。
「誰なんだ?」
パーシィが尋ねると、
「……ヤンだよ。タンジェリンさんは知っているだろう」
案外あっさり吐いた。
「サナギと一緒にいたやつか。確か、ハーブ園の使徒職で一緒だとかいう……」
言ってる内にハッとした。
「サナギがハーブ園で見つけたっていう加工道具は……ヤンのものか!」
「そいつは今どこに?」
黒曜が尋ねるが、「そこまでは知らんよ」とレンヤは言った。
「寄宿舎の棟も違う、使徒職も違う……そもそも気も合わないのでね! 私は『引き継いだ』から……それに、金になるから……やっているだけのことだ!」
「『引き継いだ』?」
「前任者がいるんだよ……! ヤンだってそうだ。このイリーマリーの栽培は、老いた担当から引き継がれるんだよ」
「やっぱり修道院ぐるみなのかい?」
特に憤った様子もなく、純粋に不思議そうな顔をしたパーシィが首を傾げる。
「少なくとも私は誰にも話していない!」
「そっか……。どこまでの人間が把握しているんだろう?」
「ともかく、サナギだろ」
俺は逸る気持ちを抑えて、努めて冷静に言った。
「寄宿舎にいるだろうから、行ってくる」
廃屋を出ようとすると、
「このままこいつを放置もできまい。代表の修道士に引き渡そう」
黒曜が無理やりレンヤを立たせた。足は縛っていない。よろけたレンヤが「くそ……」と漏らした。
「そういえば」
俺はふと、疑問に思ったことを口にした。
「ドートを階段から突き落としたのもてめぇなのか?」
「ああ、そんなこともあったな……」
レンヤは顔をしかめて、
「この廃屋までついてこようとしたり……仕事の邪魔だったのだよ。もっと大怪我させるつもりだったのだが、思ったより軽症で……」
俺は遮ってもういい、行くぞ、と言った。
とりあえず先に談話室と寄宿舎を見てきたが、サナギとヤン、二人ともいないことが分かった。ハーブ園ではないか、と察せられた。急ぎ、ハーブ園へと向かうことにする。
パーシィが途中の事務室に明かりが灯っているのを見て「先にこいつを預けてくる」とレンヤを指して言ったので、俺たちは一足先にハーブ園へと走った。
ハーブ園は明かりがついている。俺はハーブ園内に飛び込む前にみんなを制止し、中の様子を伺った。盗賊役のサガかもしれない。そのうちにパーシィが追いついて、俺たち五人は入り口で連れ立って様子を眺めた。
中には確かにサナギと茶髪の修道士――ヤンがいて、向かい合って何かを話している。
「あ、あ、あの、サナギ、さん」
ヤンは相変わらず、言葉がつっかえていたが、
「そ、そ、その、初めて見たときから、その、ひ、一目惚れでした! 僕と、つ、つ、つき、付き合ってください!」
なんか告白していた。予期せぬシーンに居合わせて気まずくなる。
あいつ、あんな気弱な顔して変なとこで勇気あるな。てか、会ってまだ二日だろ……と、俺の中でいろんな感情がぐるぐるする。ついでに、「同性愛は聖ミゼリカ教では禁忌だよ。まあ、人間が作った決まりだから、俺は気にしないけれど」とパーシィが別に聞いてもいない補足をした。
「うん、そっかぁ」
とうのサナギは、のんきに返事をして、
「話を聞いてあげてもいいけど……きみの秘密を先に教えてくれないかな?」
無邪気に首を傾げて見せた。
「ぼ、ぼぼ、僕のひ、秘密?」
「うん。あれのこととかさ……」
サナギが指さす先に、何があるのかは見えない。だが想像は付く。隠されていた、麻薬の加工道具だろう。ヤンは、赤くなったり青くなったりしたあと、あ、とかう、とか言っていたが、やがて長いため息をついた。
「いつから、し、知ってた? 知ってて、ここに来た?」
「うーん、見つけたのは偶然だけど、そうだね、知っててここに来たよ。あの道具に残った香りは、イリーマリーだね」
サナギはサナギで、先に追い詰める準備ができていたというわけか。
「このハーブ園内にイリーマリーはなかった。別の場所で栽培されてるのを、きみが加工して売っていたね?」
俺たちは、そのタイミングでハーブ園に入っていった。
ぞろぞろ現れた俺たちに驚いたのか、ヤンがヒュッと息を呑む。サナギのほうは俺たちに気付いていたらしく平然としている。
「イリーマリーの栽培場所も、栽培人も特定してある。栽培人は捕縛した」
黒曜が淡々と事実だけを述べた。サナギはおや、と機嫌よく笑う。
「仕事が早いね」
「てめぇこそ」
俺が言うと、「うん」とサナギは頷いた。
「黒曜たちがいられるのが、明日までだったろ? だから早く決着をつけてしまいたくてね」
そういえばそうだったか。
結局、黒曜たちはあまり必要なかったかもしれないが、巡礼者の部屋から寄宿舎に戻る途中でレンヤに遭遇したとこを考えると、偶然を重ねる役には立った。
「……に、逃げられない、か」
ヤンが肩を落とした。レンヤに比べればだいぶ潔い。
「うん」
「さ、最後に聞かせてほしい、サナギさん」
「ん?」
「も、もし俺が、麻薬の売買をしてなかったら、お、俺と、付き合ってくれた?」
こいつ、この期に及んで何を……。
俺たちは訝しげな顔をしたが、サナギだけは笑っていた。
「ヤン。きみは植物知識もあり、新人にも優しく丁寧で、気は弱いけれど、俺に告白する度胸もある。確かに、麻薬の売買に手を出してさえいなければ、魅力的な人だね」
ヤンは、それを聞いて、大きく項垂れた。そして、こう呟いた。
密やかなる羊たちの聖餐 9
晩の食事、それから入浴やらを済ませて、ようやく俺たちは会話できるタイミングを見つけた。
黒曜のメモ通りにサナギを連れて巡礼者に用意された部屋へ。こちらは寄宿舎とは違い礼拝堂の近くで、この時間には他にまったく人通りはない。
俺とサナギはつつがなく巡礼者用の部屋に訪れることができた。
「お疲れさま」
中に入ると、パーシィが茶を用意してくれていた。
「やあ、ありがとう。そちらもお疲れさま」
サナギが素直にカップを受け取る。あたたかい茶は、夜にはぐっと冷えるこの時期にはありがたい。
「祈りだ何だで、気が狂いそうだぜ……」
「はは、大袈裟だな」
茶を飲みながら愚痴ると、パーシィが、
「信仰心が芽生えるかもしれないぞ?」
俺は思いっきり顔をしかめてやった。それを見てひとしきり笑っていたパーシィだったが、不意に真剣な顔になって尋ねる。
「調子はどうだい?」
「ん〜……」
サナギは曖昧な返事をした。
「もう少し、なんだけれどね」
「もう少し?」
もう少し、ってなんだ? 俺も聞いてないぞ。
「今日、ハーブ園で、麻薬の精製に使う器具を一通り見つけたんだ。もちろん隠すように置いてあったよ。ただ、誰の持ち物なのかは調査中だ」
「……!」
これはかなり大きい情報だ。あとはサナギがそれを見張っていれば犯人はいずれやってくる。
「そっか、俺たちはいらなかったかもしれないな」
パーシィはサナギの調査の成果を喜びながらも、少し寂しそうな顔をした。
「そんなことはないよ、心強いよ」
「うーん、それが、心強く思われるような事態でもないんだ」
どういうことだ? と俺が尋ねると、パーシィは答えた。
「実は、思ったより獣人への対応がよくなくてね……泊まれて、今日一日ってところかな……」
「マジかよ……!」
やっぱろくでもねえな、と思わず本音が漏れる。
パーシィはまたなんてことないフウに笑うかと思ったが、真剣な顔で、
「獣人へのあの警戒は、ちょっと普通じゃないな。だからさ、俺は、かなり怪しいと思う」
「怪しいって?」
「獣人は五感が人間より優れていることが多いだろ? 要するに、獣人に長くいられちゃ困る理由があるんじゃないかってね」
俺は少なからず驚く。
「待てよ。てめぇらの受け入れを判断するのは、この修道院でそれなりの決定権を持ってるやつだろ。そいつが獣人を忌避してるなら、つまり……」
言った言葉を、黒曜が引き継いだ。
「修道院の上部が麻薬取引を黙認している、あるいは指示している……下手をするとこの修道院全体が、麻薬取引の母体になっているかもしれないな」
俺は絶句した。
「さすがに、全員が関わってるってことはねえだろ?」
「どうだろう」
サナギは口元に指を当てて何やら考えている素振りを見せながら言う。
「獣人の巡礼者には厳しいわりに、俺たちのときはやけにガードが緩かったろ? 人間なんかいざとなれば麻薬で何とかなる……そう思っているのかも」
「食事に麻薬が混入されていたりはしなかったかい?」
「おいおい……!」
思わず俺がドン引きすると、黒曜が「食事にその手の臭いはなかった」と呟く。
それなら安心だが、さすがにこの施設全体がグルで麻薬を作ってるなんてのは……いや、ありえる、のか? 俺はドートたちのことを思い浮かべた。だが実際に俺に隠れて何かをしているかもしれない。他人の心はまったく分からないのだ。
「……警戒するに越したことはねえな」
結局、そう結論付ける。
「ああ」
それから、パーシィとサナギはもう少し話すというので、俺は先に寄宿舎に戻ることにした。あまり巡礼者の部屋に長居してもいいことはないだろう。
俺が廊下に出ると、見送りのつもりか黒曜が一緒に扉の外に出てきた。ふと声をかける。
「やけに真剣に祈っていたじゃねえか?」
「……?」
さっきの晩課でだよ、隣だったろ……そう言うと、黒曜は納得のような、肯定のような、中途半端な浅い首肯をした。
「懺悔するようなことがあるのかよ?」
いつもすました顔をしている黒曜に、そんなことがあるなら聞いてみたかった。半分くらいは嫌味のつもりだったが。
「お前は人を殺したことがあるか」
予想外の言葉に、俺は一瞬答えに窮したが、数秒してようやく声が出た。
「まだねえよ。冒険者やってりゃ、必要になることもあるだろうが」
必要な殺人、か、と黒曜は呟いた。それから、
「復讐は『必要な殺人』だと思うか?」
「望んだなら」
今度はすんなりと言葉になった。
「黒曜も……復讐を?」
言ったあとに少し後悔した。「も」はいらなかった。黒曜は特に突っ込まず、
「復讐……より近い言葉を敢えて探すなら、けじめだ」
いつも通りの石のような目は、俺のほうを見てもいなかった。
何を考えているのか分からないこの男も、きっと何か、人生を、感情を、賭けてしまうに値する憎悪に身をやつして、そして、実際に……やり遂げたのかもしれなかった。俺は、復讐に後悔はないはずだと信じている。
「けじめをつけるための、祈りか?」
「違うな……ただ、考えていただけだ。過去を振り返るのに、最適な時間だった」
否定してくれて、俺は心のどこかで安心した。復讐相手に祈ることなんてあってはいけないのだ。
俺は黒曜に、見送る必要はなかったが、話が聞けてよかった、と呟いた。
黒曜は真顔でこちらを見て、ついと小さく首を傾げたが、
「なんでもねえよ」
と俺は言って、そのまま廊下を歩き出した。黒曜もそれを見届けて部屋に戻ったようだった。
寄宿舎への道を途中の地図を見ながら辛うじて進んでいると、T字路で向かって左手から歩いてくる人影が見えた。ひと気のあるところには近付いてきたらしい。
人影はレンヤだった。
「やあ、タンジェリンさん」
「おう」
俺は違和感を覚えた。
レンヤが歩いてきたそっち側には、何がある? ここを右手に曲がれば寄宿舎や談話室があるほうに向かうことは分かっている。なぜこいつはその反対側から歩いてきた?
「何してたんだ?」
俺が尋ねると、
「そちらこそ。礼拝堂で何かしていたのか?」
そうか、寄宿舎とは別の方向から歩いてきた……俺も同じ立場か。俺は「まあな」と適当に返した。
「こんな夜更けに、あまりうろうろするものではないぞ」
夜更けってほどの時間じゃないが、と俺は思ったが、この修道院では、確かにもう遅い時間だ。
俺の前を、まっすぐ通り過ぎていくレンヤ。
俺はそのとき、レンヤの衣服から、何かの植物らしき匂いが香ったのに気付いた。
「……」
レンヤは言いたいことは言ったのか、そのまま右手の寄宿舎側へと立ち去っていく。その後ろ姿が見えなくなったのを見届けると、俺は左手へ足早に向かった。レンヤが来たほうだ。
長い廊下をなるべく足音を立てずに進んでいくと、途中で扉を見つけた。少し観察し、脳内でなんとか修道院の地図を展開すると、中庭に出る扉かもしれない、と見当が付いた。
しかもこの位置は、もしかしたら俺が今朝方見つけたあのぼうぼうの草が生えていたあたりかもしれない。
扉を開けようとしたが、鍵がかかっている。
俺は解錠道具を取り出そうとして、風呂上がりのため寝間着であることを思い出した。
しかし、俺だって盗賊役だ。むざむざ自分から全部の装備を外したりはしない。俺はいつもしているヘアピンを髪から一本抜くと、それを使って解錠を試みた。
古い鍵だからだろう、かなり造りは単純で、ヘアピン一本で簡単にピッキングできた。俺はヘアピンを髪に戻し、静かに扉を開けた。
外の冷たい空気に当たる。
案の定、背の高い雑草が生えて、奥に今朝は入れなかった廃屋が見えた。俺は草を掻き分けてそちらに向かった。檻にも鍵がかかっていたが、こちらも難なく解錠する。
廃屋に侵入した。暗かったが天井が崩れているため月明かりで視界は確保できた。
「これは……!」
廃屋の奥に、花が咲いている。
それらの花からは甘い香りがして、それはレンヤの衣服から香ったのと同じものだった。
俺は植物に特別詳しいわけではない。だがサナギがここに来る前、いくつか見当を付けていた麻薬があったはずだ。絵を見せてくれたその中に、確かにこの花があった。確か名前は――。
「イリーマリー」
背後から突然声が聞こえたと思ったら、パッと視界が明るくなる。振り向くと、備え付けのランプに火を灯したレンヤがこちらを見ていた。
「イリーマリーだよ、それは」
淡々と言ったあと、
「タンジェリンさん。なぜ寄宿舎に戻らなかった?」
レンヤは、怒っているフウでも、焦っているフウでもなかった。
「……」
俺は沈黙を返した。
「貴様、最初からイリーマリーの調査に来ていたのか?」
「……」
まあいい、とレンヤは言った。
「どちらにせよ、私に尾行されるようでは、あまり探索の才能はないようだな」
ぴく、と俺の眉が動く。レンヤは鼻で笑って、
「この廃屋はこの修道院の修道士たちは関心を寄せないのでね。麻薬を栽培するのにちょうどよかったわけだ」
聞いてもいないのにべらべら喋った。
つまり、この麻薬――イリーマリーは、あくまでレンヤが独断で栽培しているということか? 俺が思考を巡らせているうちに、レンヤは壁に立てかけてあった枝切りバサミを手に取った。
「見つけてしまった貴様は、不幸だが、ここで死んでもらおう。麻薬の肥料になるがいい」
ぶん、と枝切りバサミを振り回すレンヤ。
だが先ほど視界も明るくなったことだし、特に俺に不利な要素はなかった。素人丸出しの大振りな攻撃を難なくかわすと、俺は一歩でレンヤに間合いを詰めた。
「探索に向いてねぇって?」
それから、
「あいにく、こっちの方が得意でな!」
レンヤの顔面に拳を叩き込んだ。
密やかなる羊たちの聖餐 8
翌朝、俺はぴったり、起床時間4時に目覚めた。この手の調整は得意だ。
俺は冒険者というのは然るべきときに必要なだけ休息を取るべきだと思っている。だから夜更かしは好きじゃないし、する必要もない。サナギはどうやら違う考えのようだが、あいつはきちんと起きただろうか。
「ふぁ……おはよ」
むにゃむにゃ言いながらドートが起き出す。レンヤとクーシンも続けて起きてきた。
今の時期の午前4時はまだ暗く、レンヤはろうそくに火を点ける。
共同の洗面所に案内され、手早く身支度を整えた。水は冷たく、さっぱりして気持ちがいい。
部屋に戻ってローブに着替え、それから朝の祈りだ。昨日の晩課と大して内容は変わらなかった。
それから、朝食との間に少し時間があって、それは確か「聖なる読書」の時間だと聞いていた。礼拝堂からは移動せず、その場で着席して、黙々と聖書を読んでいる。正直、かなり苦痛な時間だった。あくびが出そうだ。と言っても、眠いわけじゃない。単に退屈だった。
燭台に灯された火がゆらめく静かな礼拝堂で、視界の先にサナギの後姿を見つけたが、こっくりこっくりと舟を漕いでいる。あいつは正真正銘、眠そうだ。この時間に目が覚めただけでも上等か。
別に、俺はサナギとそこまで親しいわけじゃないし、パーティを組んでいるって言ったって、もうすぐ四か月ってところだ。その期間で依頼をこなしてきて、サナギのことは、物知りで頭の回転も早い、まあ参謀向きの男だとは思っている。しかしどうも、根本が駄目人間というか、自堕落……とまでは言わないが、健康を犠牲に好奇心を満たすタイプなので、俺はそういうところが好きじゃない。あんだけ言ったのに、どうせあいつは夜更かしをしたに決まっているのだ。
礼拝堂には、聖書をめくる音だけが響いている。
一応、ぱらぱらとめくっては見たのだが、内容は俺には理解できそうになかった。サナギに申告したとおり、ペケニヨ村の私塾に通っていた経験があるので共通語の文字の読み書きはできるが、聖書はどうも言い回しが難解だ。
もっとも、どんなに易しい言葉にされたって、俺には聖書の言葉も、修道士たちが日々何を考えて熱心に祈っているのかも、理解できないだろうが……。
聖なる読書の時間が終わり、朝食。それから、掃除と洗濯。さらに、朝の祈りとは別にミサとやらがあり、それからやっと午前の使徒職だ。
ようやく日が姿を見せ始め、明るくなった中庭は、ひんやりした空気が気持ちいい。
薪割りを指示されたので、大人しく従う。薪割りの最中、時折周囲を見回してみるのだが、不審な動きをしているやつはいない。みんな木々の枝を落としたり、畑の野菜を収穫したりと平凡な作業をしている。
割り終えた薪は中庭にある薪置き場に運ぶ。
薪置き場を探して中庭をうろうろしていると、草がぼうぼうに生えた一角を見つけた。背の高い雑草の奥に檻のようなもので囲われた、半壊した建物が見える。このベルティア修道院は古く広大だと聞いているのでそんな一角があっても別におかしくはないのかもしれないが、薬物になるような危険な植物をこっそり育てるならこういう場所じゃないか?
俺は薪を抱えたまま草をかき分けてその廃墟に近づいた。
檻に阻まれて廃墟そのものには入れない。檻に鍵がないか探しているうちに気付いたが、廃墟の入り口は反対側にあるようだ。もちろん、檻の入り口もこちら側にはない。
どうにか入り口側に回り込めないか、さらに進んでいこうとすると、
「タンジェリンさん!」
背後から声が聞こえた。
「薪置き場はそっちじゃあありませんよ」
細目の修道士だ。俺は舌打ちした。仕方なくもとの場所に戻る。
「危ないですから、あまりうろうろしてはいけませんよ」
「危ない?」
俺は眉を上げた。
「何が?」
「あなたが向かった方向に、ちょっとした倉庫があるんですが……そこは屋根が崩れていましてね」
それで誰も立ち入らないように、檻で囲っているのです、と修道士は言った。
「万が一、檻の中にでも入ったら、私の監督不行き届きですから」
結局自分の身が可愛いだけか、と、俺は鼻で笑いたい気分だったが、このタイミングでそんな仕草をしたら印象が悪すぎる。
基本的に感情を押し殺すのは苦手だ。この依頼を受けてからかなり自分を抑えている。いろいろな意味でストレスが溜まっていた。だから早く依頼を終わらせたくて焦っているのかもしれない。サナギに相談もせずに怪しい場所に潜り込もうとしたのは早計だった。
「すみません」
「分かればいいのです。さあ、薪置き場はあちらですよ」
それからは大人しく使徒職に励んだ。黒曜たちは何時ごろに着くだろうか。
昨日俺たちが紹介されたのと同じく昼食のタイミングで、本日は巡礼の方がおいでです、と、黒曜たちが紹介された。
パーシィ以外は深くフードをかぶっていて、獣の耳やツノなんかは一応隠れていたが、フードの不自然な盛り上がりは知っているやつが見ればすぐにそれと分かった。
「兄弟たちよ、この出会いに感謝いたします」
笑顔のパーシィがそう言って会釈すると、ばらばらと黒曜たちも頭を下げた。受け入れる側の修道士たちも会釈を返す。
とりあえず向こうも潜入には成功した、と見ていいだろう。
あいてる席に案内されたパーシィたちは大人しく着席し、修道士たちはいつもどおりに食事を始める。
食事、食休み、午後の使徒職、それから晩課……俺たちが修道院の日課に拘束され動けない間に、黒曜たちは何か手がかりを掴んだだろうか?
晩課で礼拝堂に入ると、巡礼者組が後ろのほうで待機していたので、俺もさりげなくそれに混ざった。
静まり返った礼拝堂の中で会話は難しい。会話できるとしたら、寝る前の団らんの時間だ。
黒曜は俺を横目でちらと見て、そっと何か手渡してきた。手紙、というよりは、メモだった。黒曜の几帳面な字で、「夜に巡礼者用の部屋で」と走り書きされていた。場所はよく分からないが、確か構内に地図があると聞いていたので辿り着けるだろう。俺は頷いた。
祈りが始まる。退屈で苦痛の祈りが。
つい、横目で隣の黒曜を見る。静かに目を閉じている。熱心に祈っているな、と思う。
黒曜が祈る神なんか、ここにはいないはずだ。そもそも黒曜が神を信じてるなんて話は聞かないが……黒曜が祈るとしたら、少なくともミゼリカの神じゃない。
黒曜のそれがただのポーズなのか、それともここにはいない別の神へのものなのか――そんなことは分からないまま、晩課を終えた。
密やかなる羊たちの聖餐 7
順番に入浴を終えて団らんの時間になると、俺はようやく一息ついた。修道院側に用意された寝間着はローブと同じく、修道士全員が同じものである。袖を通して適当に廊下をふらついていると、サナギに出会った。
「お疲れさま」
「ああ……」
「話題になっていたよ。新人は草刈りの達人だってね」
くすくす笑うサナギ。
「そんな噂話みたいなことをすんのか、ここの修道士も」
「中身は人間だからね」
中身は人間、か。俺は昼から今までここで過ごしてみて、得た感想が「牢獄」だというのに、望んでここに来て、この生活を受け入れている人間がこんなに大勢いる……。そしてその「人間」どもの中に、人を死に至らしめる麻薬を取引している外道がいる、かもしれない。
誰が灯したのか、廊下の燭台にあるろうそくの火がゆらめく。廊下は人通りがない。
「何か手がかりはあったか?」
俺が尋ねると、サナギは壁を背に寄りかかって、腕を組んだ。
「使徒職で、ハーブ園に行ったんだよ」
「ハーブ園?」
「うん。そこではいろんな植物が栽培されていて……その中に確かに中毒を引き起こす植物はあったよ」
「なんだと!」
俺は色めき立った。
「それじゃあ……!」
「結論を急いじゃだめ。それらの植物は、どれも薬効ハーブとしてベルティア修道院に認可されているものばかりだ。毒性があるだけあって、採取もかなり厳しくチェックされている。引き続きハーブ園は調査するけど……たぶん本命は表にはない。あのハーブ園にある植物は、どれも健全すぎるよ」
「毒性があるのにか?」
「健全な毒性だよ」
「健全な毒性ってなんだよ」
とにかくさ、とサナギが言う。
「きみは中庭のほうだよね? もしかしたらそっちに麻薬植物が生えてたりするかも」
「見た感じはただの野菜畑だったが……まあ、雑草に見せかけて栽培とか、ありえなくはねえか」
「あはは、だとしたらきみが刈りつくしたわけだけどね」
……さすがに、誰にでも刈れるような場所で栽培してるってことはないだろう。が、確かに、雑草の中にはあまり田舎では見ないタイプの草もあった。
たぶん気候の違いとかで、俺の故郷とは違う雑草が生えるんだろうくらいにしか思わなかったが、今後は雑草も注意深く見るべきだろう。
「明日はもう少し気を付けて見てみる。だが、俺には麻薬植物なんざ、見ても分からねえぞ?」
「来るときに挿絵を見せながら説明したじゃないか」
そういえば、確かに。
「うっすら覚えてんな……」
「まあいいさ、見るのは植物じゃなくて、人さ。もし使徒職の間にこっそり採取してるなら、絶対動きは不審だ」
「……なるほどな」
外回りの仕事を選ぶやつは少ないと聞いた。それでもなお畑仕事を選ぶやつは、俺のような体力馬鹿か、田舎で畑仕事を生業としていたか……いろいろ考えられるが、あるいは何かしらの目的があるのかもしれない。
「チッ、今日の使徒職でよく観察しときゃよかったぜ」
「まだ初日だ、そんなに逸ることはないさ。それにもし、本当に中庭に麻薬植物があるなら……きみが雑草を刈りつくしたのを見て犯人は焦るだろうし、妙な動きをするかもしれないよ」
「そうか……確かに、そうかもしれねえ」
俺は頷いた。確かに、焦るべきは俺じゃねえ、犯人のほうだ。
そこまで会話したところで急に人の気配がして、その一瞬後には「おーい!」と、ドートが俺とサナギの会話に割り込んできていた。聞かれたか? 俺はひやりとしたが、ドートは特に今までと変わりない様子だった。
「何の話してたんだ?」
「初日の感想をお互いに語り合ってたんだ」
サナギが肩を竦めた。
「タンジェが雑草刈りで噂になっていたし」
「あ! 俺もさっき聞いた。みんな褒めてたよ」
「……」
いよいよ言われすぎて面倒くさくなってきたところで、ふと閃いてドートに尋ねてみた。
「俺を疎ましく思っているやつはいねえのか?」
「疎ましく? なんで?」
「修道士どもが数日かける仕事を、半日でやっちまったみたいだからよ」
もちろん、自意識過剰ぶりは意図したものだが、さすがに恥ずかしくなって少しだけ視線を逸らした。
「うーん……? 別に、それが嫌って人はいないと思うけど」
そうか、と俺は答えた。ここで俺の所業を嫌がるやつがいれば、犯人の目星もつきやすいんじゃないかと思ったんだが……。まあ、そうなればこの話題は長く続ける必要はない。俺が話を変えようとすると、その前にドートが話題を移した。
「あ、そういえばレンヤ見なかった?」
「レンヤ? 見てねえが……」
「誰?」
「同室のメガネ」
ドートは首を傾げた。
「さっきまで談話室にいたんだけど見当たらなくてさ」
「便所じゃねえのか」
それならいいんだけど、とドートは、どこか落ち着かない様子で廊下の奥を見るなどした。
サナギが、
「その、レンヤって人に何か用なの?」
と尋ねると、ドートは、うーとかあーとか、しばらく言葉にならない声を上げていたが、急に神妙な顔になってこう言った。
「実はその……心配で」
「心配?」
「夜一人で歩くのは……危ないからさ?」
俺は訝しげな顔をしてみせた。
「何が危ねえんだよ?」
ドートは挙動不審に視線を彷徨わせたあと、俺たちにそっと耳打ちした。
「誰にも言わない?」
「何をだよ」
「これから俺が言うこと……」
「言わない、言わない」
身を乗り出したサナギが、わくわくといった様子で目を輝かせている。神妙な顔のドートを見たあとだと、話を聞く前からそれが不謹慎だということが分かった。俺が咎めようとする前に、サナギはドートを急かす。
「何かあったの?」
「それが……」
すんなりと口を開くドート。もしかしたらそもそも誰かに言いたかったのかもしれない。
「俺、数日前に階段で突き飛ばされたんだよ……!」
俺とサナギは顔を見合わせた。それからサナギが、
「誰に突き飛ばされたのかは分からないんだね?」
うん、とドートは頷く。
「でも階段から落ちたときに左腕を変についちゃったみたいで……左腕痛めちゃってさ」
「それで左腕を……。なんで体調不良なんて隠し方してんだよ」
純粋に疑問で尋ねると、ドートは「それがさあ」と俺に詰め寄る。
「俺、ウワノ修道士に言ったんだよ? 『誰かに突き飛ばされた』ってさぁ……そしたら『みんなを不安がらせるから、誰にも言ってはいけませんよ』って……だから、今日タンジェたちとウワノ修道士に居合わせたとき、すごい困ったんだよ」
ウワノ修道士って誰だ。居合わせたってことは……一番最初に俺たちを案内したあの修道士か?
「ああ、なるほどね。今は巡礼者や、外からの宿泊客はいないんだよね?」
「う、うん……」
「つまり、『きみを突き飛ばした犯人は修道士の中の誰か』」
「!」
俺とドートは同時にサナギを見た。
「そ……それは……外から人は来てないから、そうなっちゃうよね……!? なんで俺、誰に突き飛ばされたんだろ!?」
パニックになっているドートに、声がでかい、と言うと、ドートは胸の前で手を組んで何度か深呼吸しながら「神よ……!」と言った。
「心当たりはないんだね?」
「ないよ! で、でも、犯人は分からないから……! もしかしたら、悪いやつが隠れてるかもしれないし、だから夜にうろつくのはやめたほうがいいって……」
「それで、レンヤを探してたのか」
ようやくいろいろと納得がいった。
理由も動機も分からない加害……。これは手がかりの一つになる、のか? それともまったく関係のない、修道院内のいざこざか?
俺がサナギに視線を向けると、サナギもこちらを見て、また肩を竦めた。たぶん「関係があるかはまだ不明だね」ってところか。
「まあ、心配になる気持ちも分かるがよ……。レンヤを探しててめぇが一人になってちゃ意味がねえだろ」
「……」
ドートが目に見えて落ち込む。俺はため息をついた。
「仕方ねえ。俺も探してやるから、さっさと行くぞ」
ぱっと顔を上げたドートが、目を瞬かせたあと、今度はみるみるうちに明るい顔になった。
「タンジェー! ありがとう!」
ドートが俺に向かって両手を広げてハグを求めてきたが、無視した。
「サナギはどうする」
「俺は談話室とやらに行こうかな。二人とも気を付けてね」
「談話室はそこの角を曲がって、しばらく行ったところだよ! さすがに何もないとは思うけど、サナギさんも気を付けて……」
「うん。また明日ね」
立ち去るサナギを見送る。
さて、じゃあレンヤを探しに行こうかと二人で廊下を歩き出そうとすると、入れ替わるようにして、とうのレンヤが現れた。
「何をしているんだ? タンジェリンさん、ドート」
「レンヤー!」
忙しいことに、ドートは今度はレンヤに飛びつきに行った。慣れているのかレンヤは普通に受け入れて、
「なんなんだ、いったい……」
「急にいなくなるから心配したんだよー」
そうか、とレンヤが言って、「あなたも?」と、俺に顔を向けた。
「俺はたまたま居合わせただけだ」
ひらひらと手を軽く振る。
「もういいな? 俺は部屋に戻る」
「待ちたまえ、どうせ同じ部屋なんだから一緒に行こう。道中でなぜ私を探していたのか聞かせてもらう」
ドートを引きはがしたレンヤが言うので、断る理由もなく、俺はドートとレンヤと連れ立って寄宿舎に戻ることにした。
俺とサナギに事情を話したことで隠す気が失せてしまったのか、ドートは自分が何者かに突き飛ばされたこと、犯人が誰か分からないこと、犯人が誰にせよ、一人でうろつくのは危ないことを、身振り手振りを加えながらレンヤに語った。
レンヤは眼鏡をクイと上げて、なるほどな、と言った。
「そういうことなら、心配してくれてありがとう、と言うべきだろうな」
「そうだよ。レンヤ、どこ行ってたんだよー」
「私たちの部屋のろうそくが切れそうだったので、受け取りに行っていたのだ」
レンヤが懐から新品のろうそくの束を取り出した。
「気付かなかったよ。ありがとー」
「うむ」
二人の会話を聞きながら歩いていると廊下でまたサナギとばったり出会った。といっても、今回は寄宿舎の前で会ったから、たまたま部屋に戻る時間が重なったってだけだろう。
サナギは俺の知らない修道士と一緒にいた。痩せぎすの、茶髪の修道士だ。
「やあタンジェ、よく会うね」
「おう」
サナギはレンヤのほうを見て、愛想よく笑った。
「きみがレンヤ? 怪我もなく見つかったようでよかったよ」
「あなたは……確か、サナギさんか。昼食のときに紹介されていたな」
二人は握手している。サナギの横にいた茶髪の修道士が、それをじっと見つめている。
「彼は、俺と使徒職で一緒のヤン」
「あ、あ、や、や、ヤンです……。よ、よ、よ、よろし……」
ヤンとやらは、何度か言葉に詰まりながら、なんとか自己紹介した。それだけで分かる。ドートとは違う意味で、苦手なタイプだ。
「ああ。それじゃあ、俺はもう寝るからよ。サナギもさっさと寝ろよ……」
俺はわざと素っ気なく言って、B棟への入り口へ向かっていった。ドートが慌てて、「じゃあね!」とサナギとヤンにあいさつして、俺を追ってくる。
部屋に入ると、少し遅れてレンヤが入ってきた。クーシンはすでに部屋にいて、備え付けの机でクッキーを食べている。
「あ、おかえり」
「ああ。ろうそく、もらってきたぞ」
「ありがとう」
燭台には溶けてなくなりそうなろうそくが立っていた。これを見てレンヤはろうそくを取りに行ったのか。
それはそれとして、俺はさっさと寝たい。二段ベッドが二つあって……そこで、俺はレンヤたちのほうを振り向いた。
「俺のベッドはどれだ?」
「ああ……」
昼間にドートが顔を出したベッドでないことは分かるのだが、あと候補が三つある。レンヤは向かって右側のベッドの上を指さした。
「そっちの上が空きベッドだ」
「上か……」
特に理由はないが、なんとなく下がよかった。まあ仕方がないか。大したことじゃない。
簡素なはしごを上って、布団に潜り込む。使われていないだろうにも関わらず、布団は太陽のにおいがした。
プロフィール
カテゴリー
最新記事
(01/01)
(08/23)
(08/23)
(08/23)
(08/23)