不退転の男(Side:アノニム) 3
勝てない。
脳裏を過ったその可能性を、俺は努めて冷静に考えてみる。
離れていればパーシィの遠距離攻撃が来る。普段なら様々な理由でセーブしているそれだが、今の状態で手加減を期待するのは愚かだろう。あのペースなら遠くないうちにエネルギー切れを起こすはずだが、普段のパーシィは決してそんなことにはならないので、やつの体内のエネルギー残量は正確には把握できない。数時間、いや数十分でも保たれたら俺たちは躱しきれずに焼き殺される。
近づけば黒曜の青龍刀とやり合うことになる。あいつの剣技の腕前は相当なものだ。剣技と言ってもお上品にまとまっているわけでもない、単なる剣術の域をはるかに超えた戦闘技術。やつは俺が生きるために身につけた暴力程度は容易く対応してくる。人を殺すことに躊躇いがない。そういう剣をしている。さっきも言ったとおり、取っ組み合いの力比べなら勝てるだろうが、そこまで持っていくのにどれだけの犠牲が必要か。腕の1本は要るだろう。そうなればこちらの腕力はシンプルに半分だ。それで取っ組み合えても何も意味がない。
「アノニム、とにかくハンプティをやる! 一気に行くぞ! 何なら俺を囮にしやがれ!」
タンジェリンは戦う気だ。見れば分かる。こいつは何も考えちゃいない。俺から言わせりゃ愚行だ。
「……アノニム?」
「……」
「おい、何とか言いやがれ!」
俺は遺跡の出入り口を見た。幸い、どこも崩壊しておらず、逃げることは難しくないだろう。
「……逃げる気かよ!?」
さすがのタンジェリンでも悟ったらしかった。
「勝てねえ」
俺は考えたことをそのまま口に出す。
「あ……!?」
「黒曜とパーシィが本気でかかってきたら、勝てねえ。見りゃ分かるだろ」
あの二人と俺たちでは相性が悪すぎる。そんなことも分からねえのか、こいつ。
「だからって置いて逃げんのか……!?」
「……」
そうだ。俺は言った。
「負けたら終わりだ。死ぬぞ」
「……!」
死、という言葉を向けられて、タンジェリンの瞳に浮かぶのは恐怖や悲嘆なんかじゃなかった。遺跡を照らす燭台の明かりの下で、やつの朱色の目が確かに何らかの情熱にギラつくのを見た。それが何なのかは知れない。怒り、あるいは俺への失望か?
「てめぇはエスパルタで俺に大事なもののために命を賭けろと言ったじゃねえか!!」
何言ってんだこいつ、という感情を覚えた。たぶん、人が言うところの「戸惑い」というのが一番近いと思う。
確かに俺は、命を懸けろと言った。だがそれは大事なもののために命を投げ出せなんてことじゃねえ。
大事なものを守るために武器を取る。それで守り抜いて、ようやく、初めて命を懸けたと胸を張れる。それが大事なもののために命を懸けるってことだろうが?
なんでこいつはそれを、大事なもののために命を賭すなんて勘違いをしてやがるんだ?
死んじまったら何もかもおしまいだ。
ふざけてんじゃねえぞ、とタンジェリンは言った。俺からすりゃ、ふざけてるのはそっちのほうだ。
「俺たちが逃げたら黒曜とパーシィがどうなるか分かんねえんだぞ!?」
だからだ。
ここで俺たちが死ぬわけにはいかない。死んだら黒曜とパーシィの現状をサナギと緑玉に伝える方法がなくなる。どう考えても、いったん退いて、サナギと緑玉と四人で戦闘に備えるべきだ。それが一番、勝ちに近い、そのはずだ。
俺は間違っちゃいねえ。逃げるべきだ。
「とりあえずボクの従者にしよっかなー。二人ともかっこいいしね! でもボクの好みはタンジェなんだけども」
「言ってろ……! ぶっ潰してやる!」
だが、止める間もなかった。
タンジェリンは俺より弱い。負けるだろう。それでもこいつは負けることが――死ぬことが、何も怖くないみたいだ。
タンジェリンの背中を初めて見た気がした。俺を追いかけ回して何かと勝負を挑んでくる男。あるいは俺が正面から勝負を挑む男。何故挑むか? 俺はタンジェリンには負けないことを知っているからだ。
――あなたみたいに力を誇示することでしか強さを見出せない人には分からないのよ!
ずっと昔の、エリゼリカの言葉だ。
勝てる勝負しかしない。それが俺にとって生きる方法だった。あるいは、負けるかもしれない勝負に際して、何をしてでも負けないことが俺の処世術だった。負ければ死ぬ、それが当然の世界にいて、俺の処世術は何よりも「正しい」。
誰かのために戦うならなおさらだ。俺が死んじまったら何も残らない。何の意味もない。
なのにタンジェリンは、どうしてこうも容易く、あの豪雨のような光弾に飛び込み、ひどく冷えた刃に肉薄することができるのだ?
タンジェリンは<ホーリーライト>に全身を叩き潰されても怯まず、ハンプティに突っ込んでいく。
「くたばりやがれ!!」
だがその距離は黒曜の間合いだ。
タンジェリンの斧術は、確かに最初の頃よりはマシになってはきている。だが、俺からすりゃ黒曜なんかに比べるべくもない。かろうじて素人から脱却して、一般的な戦闘で使えるかどうか、ってレベルだ。やつの技術は、そもそも人を斬るためのものじゃない。俺でもありありと分かる。
だがタンジェリンはその斧術でもって、何度か黒曜と打ち合う。
俺は、今のタイミングで逃げるかどうか逡巡した。
パーシィの<ホーリーライト>は先にタンジェリンに放った分で、もしかしたら――かなり楽観的に見て――打ち止めかもしれなかった。だが見誤ったら死が近付く。油断はできねえ。
黒曜の青龍刀がタンジェリンの斧をすり抜ける。タンジェリンの脇腹を抉る。返す刃が腹を貫く。血の臭い。
――終わりだ。
タンジェリンの負けだ。そして、これからやつは死ぬ。
こうなれば次の標的は俺だ。俺は遺跡の入り口へ移動しようとする。
だが、その前にタンジェリンは吼えた。
「俺はまだ……諦めてねぇぞ‼」
青龍刀の先にある黒曜の腕を掴んだタンジェリンは、黒曜を思い切り引き寄せると、そのまま大きく頭を振りかぶった。それから音がするほど強く、自分の額を黒曜のそれに叩きつけた。
「は」
俺の口から息が漏れる。ハンプティの口も半開きになる。黒曜はそのまま昏倒した。
腹に青龍刀が突き刺さったままのタンジェリンはよろよろとハンプティに近づく。なんとか斧を振り上げ――その背後に、パーシィが立った。メイスを叩きつけられて、タンジェリンもまた倒れる。
あの距離からわざわざタンジェリンにメイスでトドメを刺しにいった。
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