カンテラテンカ

NEMESIS 2

 結局道中で俺たちが気を揉んだのは雨が降ったことくらいで、妖魔も野盗も現れはしなかった。
 おおむね予定通りの行程で、俺たちは五日目にはスーゼヒェッテに辿り着いていた。
 門でベルベルントから来た冒険者であることを告げ、荷物検査やらを受ける。厳重なほうの街だと思う。時間こそかかったが、俺たちはつつがなく中に入ることができた。

 門を出ると直接目抜き通りに繋がっている。
 パッと見たところ、スーゼヒェッテの建物の造りなんかは、ベルベルントと大差ない。
 違うところと言えば、行き交う人々の中に獣人が見当たらないことくらいだろうか。かといって黒曜たちに突っかかってくる者もいない。視線は浴びる羽目になったが……。

 さて、俺たちはすぐにサナギの案内で彼の家だという場所に向かう。
 目抜き通りを歩いている途中で、背の高い建物が見えた。
「教会か?」
 俺が思わず呟くと、
「ああ、あれは図書館だよ」
 視線を追ったサナギが教えてくれた。
「スーゼヒェッテ大図書館は、世間ではちょっと有名さ」
「ああ」
 そういえば、私塾でスーゼヒェッテについて習ったときに、そんなようなことを聞いたかもしれない。あまり関心がなかったのですっかり忘れていた。
「あとで行ってみるといい。建物自体も素敵だよ」
 そうだな、と生返事をした。建物に対して素敵だとかいう感情は沸いたことがない。そもそもあまり美的センスもないほうだ。
「さあ、この石段を上った先だよ」
 目抜き通りを少し外れて歩き、石段のある路地でサナギが言う。体力がないこいつがよくもまあ石段の先なんかに家を建てたもんだ。
 往復すればいいトレーニングになるかもしれないな、と思いながら石段を上りきれば、古そうな家が並ぶ一角についた。
 その中に蔦が這うレンガ造りの建物がひっそりとある。
 円形に突き出た大きな部屋があって、それは全面ガラス張りだったが、曇っていて中は見えない。
 俺が覗き込んでいると、
「そこはコンサバトリーだよ。サンルームの一種だね」
 サナギが言いながら、レンガの家の扉に古びた鍵を差し込んだ。ということは、ここがサナギの家か。
 がちゃりと大きな音を立てて鍵が開く。サナギが俺たちを招き入れる。
「さ、どうぞ」
 言われるがまま入ったはいいが、何年使われていないのやら、ずいぶんホコリっぽかった。思わず眉を寄せていると、
「うーん、最後に掃除したのが50年くらい前だからなあ」
 サナギがのんきなことを言っている。そんだけ放置されてもなお家としての形を保っているのが驚きだ。
 とりあえず一通り家を案内してもらい、間取りを把握する。どうせ混沌とした散らかりようだろうと思っていたが、俺の想像したより遥かに室内は整えられていて、ちょっとホコリやカビなど汚れを落とせば見違えるだろうことが分かる。
 ただ例外はあって、サナギが研究室として使っていたらしい部屋はとんでもない荒れ方をしていて、俺は額を押さえた。
「ここは俺が片付けるよ」
 サナギが言うが、こいつは星数えの夜会の自室だってまともに片付いちゃいない。やらせるだけ無駄だ。とはいえ、サナギの一番プライベートな部分だろう、ずかずかと乗り込むようなこともしたくはない。
 思いのほか広い家だったので、俺たちは大まかに担当を決めて、さっさと掃除を始めることにした。まだ日は高い。夕方までに飯を食う場所と寝る場所くらいは確保したい。
「さっさとやっちまうか」
 俺の言葉に、メンバーから「おう」「ああ」「ん」みたいな、特に気合いもない雑な応答がある。だが、さっさとやっつけてしまいたい気持ちは同じらしく、各々がすぐに掃除に取りかかった。

★・・・・

 サナギは掃除に三日かかると見積もっていたが、それはたぶんサナギ自身の掃除や整理整頓に関する能力の低さを基準に算出したものだ。
 俺だって掃除は好きでも得意でもないが、黙々とやれば担当の場所は数時間で終わった。ほかのメンバーを手伝って回っても夕方までにはほとんど掃除は済んで、結局サナギが名乗りを上げた研究室だけが、いつまでも混沌の中にあった。
「え? もう終わったの? 早くない?」
「……サナギが遅すぎる。掃除下手すぎ」
 ため息をついた緑玉が真実を告げる。
「掃除に上手いとか下手とかあるんだ……」
「あるよ……だからこうなってるんでしょ」
 やれやれといった様子で、緑玉が研究室に踏み入ろうとして、立ち止まった。
「……入っていい?」
「いいよ。よかったら手伝ってほしいな」
「……大事な部屋じゃないの?」
「みんなに見られる分には何も問題ないよ」
 それを聞いて、緑玉は躊躇いがちに入室した。
「つい、積まれた研究内容を読んじゃうんだよね」
「掃除が進まねえやつの典型だな」
 言いながら、俺も研究室に踏み入る。
 山のような紙束と本、空になったインク壺の横に、封の切られていないものもある。ペン先の潰れた羽ペン、それからフラスコやら試験管やら、何らかの実験器具。それもうずたかく積まれている。
「……」
 手伝ってほしい、と言われて入ったはいいが。どこから手を付けたもんかな……。
「とにかく。この空のインク壺は不要だな?」
 黒曜が言って、不燃物のゴミ袋にインク壺を放り込む。
「何かに使えない?」
「使えない。捨てるよ」
 サナギの言葉に緑玉が即答した。
 部屋の隅では大量の植物が干からびている。よく見れば、植物だけじゃない。得体の知れない干物が大量にある。見なかったことにしたいが、目的は掃除だ。
「こっちの干からびてんのはどうすんだよ」
「それは実験に使えるかもしれないから」
「50年放置してたのに今さら実験には使わない。捨てる」
 緑玉によって干物はぽいぽいと可燃物のゴミ袋に捨てられていく。
「本やら紙束は実験に関する資料なんだよな? それ以外の消耗品は劣化が激しいから捨ててしまっていいかい?」
 パーシィは口こそサナギに伺いを立てているが、手は問答無用でそこら辺のものをゴミ袋に入れまくっている。
「はわ……」
 一同のあまりに無慈悲な動きについていけていないらしく、サナギは妙な声を上げて目を白黒させていた。

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