NEMESIS 6
禁書庫の扉を閉め、図書館内を駆け抜ける。
「図書館内を走るな!」
シルファニの声がして立ち止まる。
「背の高い片眼鏡の男が来なかったか!?」
「さっき退館したのを見たが」
「ありがとよ!」
再度走り出す俺に再びシルファニの注意が飛んだが、今度は立ち止まらなかった。途中で親子とすれ違う。「マイラ、返事しなきゃ駄目じゃないの」「ごめんなさい、ママ」……無事に見つかってよかったな!
図書館外に出ると、広場でたまたまサナギに出会った。
「やあ、バイト順調? ……じゃ、なさそうだね」
聞きたいことはあった。だが、どう説明しようと考えている間にも、ラヒズはどこかへ行ってしまう。俺はサナギをひっつかんで広場を駆け抜けた。――いた! ラヒズは白昼堂々、広場の隅にあるベンチで何かを読んでいた。
「うわ、ラヒズ!」
珍しくサナギが顔を歪める。
「何で彼がここに?」
「それも込みで、てめぇらに聞きてえことがあるんだよ!」
てめぇら? とサナギは自分の顔を指さして首を傾げた。
「え? 俺にも?」
「そうだ!」
俺はサナギをほとんど引き摺るようにして、ベンチに座るラヒズの目前まで来た。
「おや、お仕事はいいんですか?」
「どうせ間もなく昼休憩だ」
俺は吐き捨てた。たぶん本当はよくないが、モヤモヤした気持ちのままじゃ仕事に身が入らない。
「ラヒズ、てめぇが『返却した』本は……サナギの書いた本なのか?」
「へ?」
サナギが間抜けな声を上げる。ラヒズはくつくつと笑って、
「そうですよ。実は私も、恥ずかしながらあの本の著者を見て確信したんですよ……あなたがサナギくんだとね」
「……何の話?」
困惑の色が強いサナギの目を見て、俺は首を横に振った。俺にも分からねえ。だが、唯一分かることは、
「てめぇの本が悪用されそうになってんだ、そうに違いねえ」
「俺の本と言われてもな……」
本はいくつか出しているから何とも、とサナギは言った。
「そうですね、そろそろお話ししてもいいでしょうね。著者のご意見も聞きたいですし」
ラヒズは読んでいた本を閉じた。
「私の目的は端的に言えば『天界をこの世界に墜とすこと』です」
「は?」
素っ頓狂な声が出た。何を言っている?
「天界では悪魔というのはどうも肩身が狭くてね。ここに悪魔の居住地を持ってきて、第二の故郷を作ろうというわけですよ」
「何を言ってやがる……?」
困惑する俺の横で、サナギの表情がいつもの参謀のそれになる。目を細めて思案げになった彼は、
「ヤーラーダタ教団とやらをわざわざ立ち上げ、シャルマンを乗っ取ったのもそれに関係が?」
「さすがですねぇ! その通りです」
簡単に説明しますと、とラヒズは人差し指を立てた。
「ヒトの祈りや願いは欲望に起因します。ヒトの欲望には『重さ』がある。それに天界がまみれたなら、天界は重さに耐えきれず墜ちてくる」
そのための祈り。そのためのヤーラーダタ教団。
そして、賭け事は欲望そのもの。そのためのシャルマンの乗っ取りだと。
ラヒズはそう告げた。
「馬鹿な!」
サナギが叫ぶように言った。
「天界をヒトの欲で墜とすだって!? そんな規模のトランスファーが起こせるはずがない!!」
ラヒズが笑う。読んでいた本を閉じ、サナギに投げ渡す。
「最初に言い出したのは、あなたではないですか?」
サナギの手に渡った本を横目で見る。『<天界墜とし>についての研究』だった。
「あなたの研究論文の写本です。サナギ・シノニム……間違いなくあなたの著書ですよ」
「……」
サナギは絶句していた。二、三ページ開いて、ごくりと唾を飲んだサナギは、
「……書いた覚えがない。こんな危険なもの……」
小さな声で言った。
「あなたは気付いておられないようですが、あなたはホムンクルスとしての身体を代替わりさせるたび、いくつかの記憶を失っています」
サナギは顔を上げた。何かを言おうとして、だが何も言わなかった。
「以前お会いしてるんですよ? その研究論文の書かれた当時、私とあなたは友人だった。もう170年近く前になりますかね」
「……辻褄は合う」
写本に載るC19の文字をサナギの指がなぞる。
「五世代前の俺……」
今のサナギは、サナギ・シノニム・C24を名乗っている。つまりそれは……その番号は、サナギの……。
「確かに、約500年におよぶ代替わりのすべてを今の俺が記憶しているとは思わない……」
サナギは独り言のように呟いた。
「何……納得してんだよ!? そもそも、なんでサナギがそんな研究に加担してたんだ!?」
「いえ、サナギくんが主体でやっていた研究に私が加担した形ですね」
サナギは黙ってぱらぱらと写本をめくっている。
「私とサナギくんは気の合う友人でしたが、<天界墜とし>を凍結したのち、サナギくんは私をペケニヨ村――当時は村さえありませんでしたが――の付近に封印しました。その封印が、170年の時を経て最近オーガの一族に解かれたのですよ」
「な……んだと……」
あの地にラヒズを封印したのがサナギだと? 俺はサナギを見た。いつもはおしゃべりなサナギが無言である。
「170年前の――C19のサナギくんは老人でした。私があなたを同一人物だと確信したのはつい最近、拝借したこの本の著者名を見てからです。どうもヒトの老若というものには疎くてね……」
「……」
「サナギくん。私は<天界墜とし>を成し遂げるつもりです。あなたにもそれをするだけの理由があった」
サナギは写本を閉じて顔を上げた。口を開く。
「俺が今も昔も求めているものは変わらない。『永遠の命』だ。記憶がなくても想像がつく。そういう方法を取ろうとする『俺』もいただろうって」
「何を言ってる? 天界ってのはパーシィが元いたところだろ? それをこっちに落っことすことと永遠の命に何の関係があるんだよ!?」
サナギは俺のほうを見て何かを言おうとした。だがその前にラヒズが笑ってサナギにこう声をかけた。
「では、一緒にやりませんか?」
俺の喉がヒュッと鳴る。サナギは即答した。
「やらないよ。今の俺は友人は選ぶタイプなんだ」
ドッと冷や汗が出た。
いつものサナギだ。安心する。サナギを信じろ。こいつはたまに頭のネジが外れはするが、自分の欲のために周囲を危険に巻き込むことはしない。
「残念です。まあ、その返事の想像はついていました。ですがサナギくん、あなたの組み立てた理論が正しいことは友人である私が証明してみせますよ」
「……」
サナギは無言を返した。ラヒズが立ち去ろうとする。追おうとする俺を、サナギが止めた。
「タンジェ! ……みんなにも話したいことがある」
「ここであいつを追うより大事なことか!?」
「武器もないのにこんな街中で無茶だ。午後のバイトは抜けてほしい」
確かに、それはそうだった。武器があっても軽くいなされる相手を、素手二人で取り押さえられるわけがない。
それにサナギに聞きたいことは山ほどあった。仕方なく、悠々と立ち去るラヒズの背中を見送る。
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