NEMESIS 7
サナギの家のリビングで円座になった俺たちに、サナギが写本の前文を読み上げてみせた。
「『長寿の生き物は地上にもいるが、私が求める<永遠>を持ったものはいない。<不老不死>の存在である天使を、天使のまま、地上に存在させることはできないか。堕天や天界追放では不死性が失われる。天界ごと地上に墜とすことで、天使を物質的な存在にしつつ不死性を保ったまま確保できるかもしれない』……」
パーシィが青い顔をしている。震える唇から、ほとんど叫びに近い声が出た。
「……できるわけがないだろう!」
「落ち着け、パーシィ。その通り、『できなかった』……そうなんだろう?」
黒曜の言葉にサナギが頷く。それから、サナギは<天界墜とし>の概要を告げた。
「この写本によれば、過去の俺は、天界をそっくりそのままこの地上にトランスファーしようとしていた。だが、ただでさえ召喚は難しい技術だ。そんな大規模なトランスファーを普通の理屈で起こすのは不可能だ。……そこで俺は、ヒトの『欲』に目を付けた」
「『欲』?」
「ヒトの『欲』には『重さがある』……過去の俺が立てた仮説だ」
欲に、重さがある? どういうことだ? みんなの顔を見渡したが、一同ピンと来ていない様子だった。顔色の悪いパーシィだけが視線を泳がせている。
「……その仮説は『正しい』のか? パーシィ」
パーシィの視線は戸惑うようにふらふらと左右を行ったり来たりしていたが、
「……心当たりはないでもない……。そういう理屈を直接聞いたわけではないけれど、少なくとも堕天する際に俺に与えられた『罰』の中には、俺の翼を重くすることで縛る鎖があった」
「その重てえ鎖が、てめぇの『欲』だと?」
「……否定はできない」
サナギは浅く頷いて続けた。
「その仮説を立てた俺は、ヒトの欲を『祈り』に乗せて天界へ送り込み、その『重さ』で天界を墜とす<天界墜とし>を思いついたんだ」
「……俺の聖なる力が『祈り』によって成されるように、良かれ悪しかれ祈りにはちからがある。それを過去のサナギが『重さ』だと表現することに違和感はない……」
パーシィの声は掠れている。
俺にはそれがどこまでパーシィに――ひいては天界に対して侮辱的なことなのかよく分からない。パーシィの反応を見るに、よほどのことらしい、としか。
「だが、できなかった」
改めて、黒曜が呟いた。「そうだ」とサナギは頷く。
「途方もない量の『欲』が、『祈り』が必要だった。少なくとも当時のミゼリカ教徒の数では無理だった」
「だから凍結した」
サナギはまた頷いた。
「俺は協力者であるラヒズがのちにこの理論を悪用しないようにやつを封印した。170年前のことだそうだ……。当時はまだただの山でしかなかったエスパルタのある地方に……。……もっとも、それでもこの論文を世に残したのは、過去の俺の虚栄でしかないね……」
「協力者であるラヒズ……」
緑玉が尋ねる。
「そもそもなんであんな悪魔を協力者に選んだの」
「彼は別の召喚主によってこの地上に召喚された悪魔だったようだ。出会ったのはたまたまだったけれど、俺は彼の悪魔の力を利用しようとしたらしい」
「悪魔の力?」
「<天界墜とし>は天使をこちらに持ってくるための方法に過ぎない。俺はこちらに墜落した天使を解剖しようとしていた。それでその不死性の神秘の謎を解明しようとしていたんだ」
パーシィが顔を歪める。サナギはあくまで冷静な様子で淡々と続けた。
「もちろん抵抗されるだろう。その際に天使を押さえつける力が俺には必要だった」
「……無茶苦茶だ……!」
それは俺も思う。
「その無茶苦茶を、今はラヒズがやろうとしているんでしょ」
緑玉の言葉に、サナギは首を縦に振る。
「ミゼリカ教徒のみならず、独自の宗教を創立することで祈りの力を効率よく溜め、さらに移動カジノ・シャルマンを乗っ取ることで賭け事に興じる『欲』を効率的に回収する――やつの行動原理は、オーガ絡みのことを除けば確かに<天界墜とし>に帰結する。目的は本人が『悪魔の第二の故郷を作ること』だと言っていたね」
「実際のところ……ラヒズによる<天界墜とし>に、成功の見込みはあるのか?」
結論を尋ねたのは黒曜だ。
サナギは黙って、十数秒考えた。それから、
「やはり天界をまるごと墜とせるとは思えない。でも、兆しはある」
「兆し?」
「きみたちが出会ったもうひとりの悪魔――ハンプティのことだよ」
突然出てきた名前に、俺は目を瞬かせた。
「ハンプティは『こちらに喚ぶだけ喚んで、あとは放置だ』と言っていたらしいね。喚んだのがラヒズだ、とも」
「ああ」
「ラヒズが仲間の悪魔を召喚儀式で呼ぶ理由はない。もしかしたら<天界墜とし>の試行段階で、予期せず墜ちてきたのがハンプティなのかも……」
おい、と思わず声が出た。
「さすがに飛躍しすぎじゃねえか? それに、<天界墜とし>は不死性が……ナンタラなんだろ? ハンプティはアノニムに殺されるのを嫌がって逃げたって話だったじゃねえか?」
つまり、少なくともハンプティに不死性はない。
「いいところに目を付けるね。そもそも天使や悪魔といった神性種族を100%の力を保ったままこちらへ召喚するのは不可能だ。何故かというと、こちらに召喚できたとしても、その神性を維持しているエネルギーがこちらの世界じゃ足りないからなんだ」
サナギは急に早口になった。
「こちらに召喚される段階で必ず天使や悪魔には『エネルギーの削ぎ落とし』が起こる。だから通常の召喚でもダメなんだね。要するに、悪魔や天使の不死性は『天界』というフィールドによって維持されているというのが俺の仮説なんだ。<天界墜とし>は、『じゃあそのフィールドごと持ってくればこっちでもエネルギーを供給し続けられるよね』っていう理屈なんだよ」
「……」
分かったような分からないような状態の俺を見てもサナギは口を止めず続けた。
「つまりラヒズが<天界墜とし>の試行段階でハンプティを墜としてきたとしても、天界そのものを持ってこれなきゃ普通の召喚と変わらないんだよ。……もちろん、俺の研究が不完全あるいは仮説が間違っていて<天界墜とし>では天界の住人の不死性を維持する効果はない可能性もある……もしくは発展途上である……それとも、タンジェの言うとおりそもそもハンプティは<天界墜とし>を経たわけではない……」
途中までは確かに俺たちに向けられていた言葉だったのが、徐々に独り言になっていくのが分かった。目が完全に研究者のそれになってしまった。その真実が知りたい、とでも言い出しかねない様相だった。
「……やらねえよな? <天界墜とし>」
念のため尋ねると、サナギは顔を上げて俺の顔を見た。ぽかんと口を開けている。それからたっぷり数秒黙って、
「やるわけないよ!」
思わず、と言ったように、破顔した。
結局のところ、俺たちにラヒズの<天界墜とし>を止める手段は今のところはない。
それが成功するのか、成功したらどうなってしまうのかも分からない。
それが成功するのか、成功したらどうなってしまうのかも分からない。
このときの俺たちは、まだ知る由もなかった。
去りし老体のサナギ・シノニム・C19の生み出した背徳的な<業>――あるいは因果応報が、あんな形で俺たちに降りかかってこようとは。
【NEMESIS 了】
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