鏡裡を砕く 4
おぼろげな視界が、ゆっくりと輪郭を取り戻していく。
ぼんやりした頭も同時に少しずつ覚醒し、タンジェはようやく目覚めた。
「……っ、なんだ、何が起きた……!?」
声は思ったより掠れていて、ほとんど呻き声だった。周囲を確認しようとすれば、自分が身体の自由を奪われていることに気付く。タンジェは椅子に座らされ、椅子の背もたれごと後ろ手に拘束され、ご丁寧に足も椅子の脚にロープで括られていた。
「……、……!?」
肝は据わっているほうだ、恐怖はなかったが、何が起きたのかという動揺はさすがに抱く。落ち着け、とタンジェは自分に言い聞かせた。
おそらくタンジェはあの女に騙されたのだ。ニセの悲鳴は、周囲のひと気のなさやタイミングを見るに、明らかにタンジェをおびき寄せるために発されたものだ。ノコノコ現れたタンジェに、あの女は……何をした? 本のようなものを開いて、何かを叫んでいた。
タンジェは周囲を見回す。室内だ。窓はないが、明かりはふんだんに用意されていて暗くはない。
椅子に縛り付けられたタンジェの目の前には、布のかかった大きな何かがある。縦はタンジェが立ったときの身長より大きく、横幅はタンジェの3倍はありそうだ。
――ちっ、何だってんだよ。
何をされたのか、何をされるのか、そもそも誰が何の目的でこんなことをしているのかは知らないが、タンジェは単純にイライラした。
普段の怪力さえ発揮できればこんなロープをぶち破ることなど容易い。が、昏倒したときのあの痺れた感覚がまだ全身に残っていて、力が入らなかった。
「起きたみたいね」
声が聞こえた。タンジェは人の声を一度で覚えられるほど他人に興味はないが、状況から考えれば間違いなくタンジェを謀ったあの女だろう。
声は背後からで、そちらに出入り口もあるのかもしれない。視界をほとんど制限されているタンジェには与り知れないことだ。
足音が背後から回って、タンジェの前に来た。バンダナにエプロン姿の、ごく一般的な市民といういでたちの女だった。確かに倒れる前の一瞬、タンジェが見たあの女である。
「なんなんだよ……、てめぇは」
掠れた声で尋ね、思いきり睨む。女は、
「名前? 名前はね、トリカ。骨董屋を最近継いだばかり。歳は24よ」
「んなことは聞いてねぇ……!」
トリカは腕を組んで、首を傾げた。
「何をされたのか。これから何をされるのか。なぜ、こんなことになっているのか。それが知りたいってわけ?」
「分かってんなら、……とっとと言いやがれ……クソ女ッ」
この状況下でも、タンジェの口はすこぶる悪い。トリカは顔を歪めてタンジェを見下す。
「コンシットの名を聞けば、思うところはあるわね?」
「……あ……?」
思いも寄らないやつの名前が出てきて、タンジェは眉を寄せた。
「私の恋人よ」
「……」
さすがのタンジェも、先は察せられた。同時にこれがこの女による明確な"逆恨み"であることも察した。要するにトリカは、
「あなたがコンシットの誘いを断らなければ、コンシットが依頼先で死ぬことはなかった。そうね?」
タンジェがコンシットのパーティに参加しなかったために、コンシットのパーティの戦力が足りず、それがコンシットを死に追いやったと思い込んでいるのだ。
「知らねえよ……」
タンジェは呆れ半分で吐き捨てた。もう話すのもかったるい。いざというときのために体力を温存しておくべきか、だとすれば無理に話す必要もないのかもしれない。
トリカはまったく意にも介していないらしく、
「コンシットは、立派な冒険者になったら私を迎えに来てくれるって約束してくれたの。あんな小汚い骨董屋、継ぐ必要ないんだって。私、嬉しかった……。コンシットが立派になるのをいつまでも待つつもりだった」
1ミリも興味がない。もう少し身体が、あるいは口が自由に動けば、暴れるなり文句を言うなりできるのだが。
「それをあなたが台無しにしたのは、ちゃんと自覚をもって?」
早く話終わらねえかな、と思いながら、タンジェは虚空を眺めている。
「あのね、私はあなたを殺そうとか、そういうつもりはないの。ただ反省してほしいだけ。分かる?」
「反省だと……?」
トリカは、タンジェの目の前にあった大きなものから布を取り去った。
布の下にあったのは豪奢な鏡である。巨大な姿見は、かつては美しかったであろう細かな細工のくすんだゴールドに縁どられていて、とうの鏡面もまるでモヤでもかかったかのように曇っていた。目の前に座っているタンジェの姿が、かろうじてぼんやりと映る。
「この鏡はね、うちの骨董屋にあったものなの。<罪の鏡>というらしいわ」
「……」
「名前のとおりよ。この鏡には、その人の<罪>が映るの」
「俺の、罪……」
「この鏡にはきっとコンシットが映るはずよ」
トリカは言った。
「彼の姿を見て、深く反省して、謝罪してほしいの。私が望んでるのはそれだけ」
「……」
そして、ゆっくりとタンジェと距離を取り、
「私は外にいるわね。コンシットの姿を見るのはつらいし……私がいたら、コンシットに謝りづらいものね? 男の子って、人のいるところで自分の間違いを認めるのが苦手だし……。私は、終わったら改めてあなたから謝罪を聞くわね」
勝手なことをまるで真実かのように言って、トリカは入ってきたのと同じ、タンジェの背後にあるらしい扉で、出ていった。
静寂が、部屋を満たす。
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