共犯者とワルツ 5
数時間もすれば、朝のピーク帯だ。当然ながらそれまでに娘さんも起きてきて食堂の準備を整えており、パーティの仲間たちもちらほらと姿を見せ始めた。パーシィはこの天気だというのに日課の祈りに行く、と言って教会へと発った。サナギは普段から夜遅く朝も遅いので、起き出してくるのは昼頃だろう。
黒曜に今日の戦闘訓練はどうするかを尋ねた。天気が良ければ外での実践訓練になるが、天気が悪い日は屋内で戦闘理論なんかの座学を教えてもらっている。当然、俺は身体を動かしたい。しかし、まだ小降りとはいえ雪だ。今日は座学になるのだろうか。
黒曜は読んでいたらしい新聞をテーブルに置くと立ち上がった。
「タンジェリン。お前は妖魔相手なら問題なく戦える段階に来ている」
「ああ」
「俺が教えられることは、もうさほど多くはない。今日は実戦を行う」
「実戦?」
そりゃ、叶うなら実戦をやるほうがいいに決まっている。だが訓練ではない本気の実戦というのは、相手がいないと成り立たない。妖魔退治ですら、ベルベルントの近辺に現れるようなやつはすぐさま冒険者か騎士団に討伐されていて、機会がないのだ。
いったい誰を相手に、と言いかけて、俺は黒曜の読んでいた新聞に目を落とした。まさか――。
「脱獄囚キケカ・ターニンの捕縛」
黒曜が言った。
「それをもって、本日の戦闘訓練とする」
★・・・・
★・・・・
キケカ・ターニン。新聞によれば、一般人を魔術の実験に使って何人も殺した外道らしい。研究していた魔術も禁忌に類するもので、危険思想の持ち主ということで死刑が確定していたのだとか。潜伏先は特定されており、ベルベルントの倉庫街近くに潜んでいるとのこと。ベルベルント市民においては倉庫街に近寄らないように、という注意書きのほか、指名手配扱いになっており、捕縛した者には報奨金が出るということであった。
この書き方じゃ、金に目が眩んだ市民が捕縛に乗り出す危険がある。さっさと捕縛しちまったほうが安全だ。しかし、
「もうすでに誰か、腕に覚えのある冒険者が捕まえてるんじゃねえのか?」
倉庫街を慎重に歩きながら言うと、
「そうかもしれない。それならそれでいい。俺たちの目的は訓練なのだからな」
指導役としてついてきている黒曜がすました顔で答えた。それはそうか。
倉庫街を歩くうち、人が通った痕跡を見つけた。石畳の道の上で人間の足跡を見付けられたのは、盗賊役としての訓練ではなく、俺が故郷のペケニヨ村で木こりとして育ちながら、猟師の真似事をしていたからだろう。山の中で気配を探る相手は獣がほとんどだったが、たまに迷子になったガキを探したりもした。
野生の獣より人の痕跡のほうがはるかに分かりやすい。キケカ・ターニンは痕跡を隠すことに関しては素人なのか、抜き足差し足したような形跡はあるが、それがかえって足跡を際立たせていた。
足跡が向かっているのは立ち並ぶ倉庫の一つだ。ほとんどの倉庫には鍵が掛かっていたが、この倉庫の南京錠は何故か外れている。ターニンが外したのだろうか……。だとすればそれは盗賊役のスキルだが、盗賊役の技術を学んでいるにしては痕跡の消し方がお粗末だ。
「錠が壊されたというわけでもなさそうだ。魔法による解錠だな」
黒曜が小声で言った。なるほど、魔術師らしい。
倉庫の扉は大きく、これを開ければまず音がする。ターニンがいたとして、やつにバレずに中に入るのは無理だ。せめて魔術の的にならないよう、半身になって扉を開く。
ぎ、という耳障りな音がして、倉庫の扉が開く。人一人が入れる隙間だけを開け、中に入る。天井近くにある複数の窓から弱い光が入り、倉庫の中が見渡せた。端に寄せられた大量の木箱。倉庫の中央付近は広くスペースがある。ターニンがいるとしたら、木箱の裏にでも隠れているのだろう。
俺は戦斧を握り締め、一歩ずつ静かに進んでいく。黒曜も同時に倉庫内に入っていたが、今のところ手助けするつもりはないらしく、俺の様子を眺めていた。
魔術師の使う魔術というのは強力だが、詠唱が必要なものがほとんどだ――これは黒曜との座学で勉強したことだ――声を発する都合上、こういった静かな場所では魔術での不意打ちはしづらいはずだ。
「――」
「ッ!」
案の定、ほんの僅か聞こえた何かを呟く声に、俺は反応した。反射的にその場を離れると、木箱の影から炎でできた玉が飛び出してきて、ついさっきまで俺がいた場所に突き刺さった。炎の玉は大きいものではなかったが、あんなものが直撃したら大火傷だ。
だが、炎の玉は真っ直ぐ俺に向かって飛んできた。ターニンの場所が分かった。左手側に積まれた木箱の影だ。
炎の玉に当たらないようにジグザグに旋回しつつ、木箱に近づく。パーシィの神聖力が祈りで成り立つように、魔術師ってのは魔力を源に魔術を使うものだ――これも黒曜との座学で学んだ。その魔力も無限ではなく、使えば使うほどに消費されていく、らしい。つまり適度に魔術を撃たせながら近づくのは有効なはずだ。
「ちっ……!」
俺に近付かれたらまずいと判断したのだろう、移動のためかターニンは木箱の影から飛び出した。魔術師は相手と距離を取って戦う、基本中の基本だ。逆を言えば、魔術師相手に戦うなら距離を取らせず、詠唱の隙もない状態に持ち込めばいい。
「待ちやがれ!」
倉庫内に飛び出してきたターニンは新聞の人相書きにあった通りの顔面で、パサついた前髪が顔に落ちている。
「この私相手にたったの二人とはな!」
ターニンは俺を振り返り、手を翳した。
「<ファイアー・ボール>!」
「あっぶね!」
ギリギリだったが、かろうじて直撃は避けた。着弾した倉庫の床に焦げ目がつく。
さっさと倒しちまったほうがいい。縄は黒曜が持ってきてくれている。俺はこいつの意識を奪うことを考えるだけだ。
距離を取ろうとするターニンに、俺はなるべく動き回りながら近付く。狙いが付けづらいようで、ターニンは舌打ちした。
それで焦れたターニンは、動き回る俺より後方で黙って見ている黒曜のほうに意識が向いたらしかった。
「<ファイアー・ボール>!」
短い呪文の詠唱をしてすぐ、ターニンは迷わず、俺ではなく黒曜に向かって魔術を放った。
「!」
考える前に身体が動く。
黒曜なら魔術の発動を見てからでも回避はできたのかもしれない。そんなことを思ったのは後からで、この瞬間の俺はもうすでにターニンと黒曜の間に躍り出ていた。炎の玉の軌道上だ。間違いなく当たる。
炎上を覚悟したが、俺は目を閉じはしなかった。
だが、
――リン――
甲高い、鈴のような音がして、炎の玉は俺の目の前で掻き消えた。
「な……!?」
驚愕の声はターニンからで、俺はどちらかというと戸惑いが強かった。だがターニン側の問題でないことはターニンの反応から明らかで、だとすれば今炎の玉が消えたのは別の、何らかの外部からの影響ということになる。
それですぐに心当たりにぶつかった。サナギから受け取った<マジックバリア>のマジックアイテムを、俺は懐に入れていたのだ。
「はっ……サナギにはあとで感謝しねえとな!」
俺は斧を構えてターニンに突っ込んでいく。ターニンは一瞬色めき立ったが、すぐに手を翳し、
「今の感覚、<マジックバリア>か……! だが残念だったな、<魔法解除>は私の十八番だ!」
俺が駆け込むまでにこれもまた短い呪文を唱え――熟練度によって詠唱の長さが決まる、という話を思い出す――叫んだ。
「<魔法解除>!」
放射状の光がターニンを中心に放たれ、俺は思わず立ち止まり、腕で目元を覆った。俺の懐にあった鈴がリリリリ、と短く何度か鳴り、パキリと小さな音がして割れたのが分かった。
「ちっ……!」
だが一回でもあの炎の玉を防いでくれたんだ、よくやってくれた。
ようやく収まった光に俺は腕を下ろし、改めて斧を構える。さっきと同じく動き回りながらなら近付ける!
「……」
だが、ターニンは俺ではなく、俺の後ろを見て、呆然としていた。
「……?」
明確な隙だったが訝しく思い、思わずターニンの視線を追って後ろを向く。倉庫の入り口近くに待機していた黒曜がゆっくりとこちらへ向かってきていた。
その瞳が、まばゆい。
いつもは石のような漆黒の瞳が、太陽にあてた宝石のようにまばゆく輝いて見えた。だが、絶対にそれは、窓から入る淡い日の光が当たったせいじゃなかった。黒曜の内側からまるで自発的に発光しているかのように見えるそれは――まるで黒曜石そのものだった。
「やってくれたな」
黒曜は呟いた。
「知られたからには、生かしてはおけん」
冷淡、という言葉すら生ぬるい、酷く冷めた声色だった。
それとは真逆に、ターニンは、
「ほ、ほ、宝石眼……!」
たちまち興奮した様子になり、
「なんという魔力……! 実在していたのか! 私は……運がいい!!」
手を翳した。ゆらりと近付く黒曜に怯んだ様子もなく、詠唱をするターニン。
「<アイス・アロー>!」
たちまち氷が凍りつき、氷柱の矢になって放たれた。目にも止まらぬ速さで飛んでいく氷の矢を、しかし黒曜は全部分かっているかのようにすらりとかわして、たったの三歩でターニンの目の前に躍り来た。それから、
「いいや、お前は――運が悪い」
ターニンの首を一撃で跳ね飛ばした。
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