カンテラテンカ

神降ろしの里<後編> 2

 三時間も山を登れば、山の中腹にあるカンバラの里にたどり着く。カンジュウの港町からここまで特にトラブルはなく、道もある程度整っていて歩きやすいくらいだったが、サナギとらけるは汗だくになってずいぶんとバテていた。まあ、暑さもあるし、責めないでおこう。
 パーシィから夕方には着くとあらかじめ聞いてはいたが、山に慣れないサナギとらけるを抱えていたから、夕日がカンジュウ山の向こうに沈む前にたどり着けたことは幸いだったと言える。
 それほど広くない里の中央に広場があって、村人全員がいるんじゃないかってくらい賑わっている。屋台が建ち並んで、ソースの香ばしい香りが里の入り口まで伝わってきた。
「屋台出てるよ!」
 疲れた顔をしていたらけるが、ぱっと明るくなる。
「焼きそばのいい匂い!」
「やきそば?」
「ベルベルントに焼きそば、ない?」
 あまり聞かない言葉だ。料理なのは分かるが……。
「炒麺のようなものか」
 黒曜が言ったが、そっちのほうが聞き覚えがなかった。
「たぶんそう! 麺をソースで焼くんだよ。お祭りとかだと絶対ある!」
「詳しいな」
「ニッポンにもあるから」
 似た料理が異世界にもあるというのは変な感じがした。少なくともらけるはこの世界とはずいぶん違うところから来たようだし、食事も文化もまるっきり違うもんだと思っていた。実際は、わりと似通っている部分もあるらしい。たとえば貨幣、特に紙幣の文化なんかは、らけるのいた世界でも一般的だったようだ。
 それはともかく。神降ろしに関してさらに詳しく話を聞くため、俺たちは適当な村人をつかまえることにした。サナギが近くにいた男に声をかける。
「こんばんは」
 男は驚いた顔をしていたが、すぐにこう応答した。
「うん――、ああ、――?」
 しまった、まったく言葉が聞き取れない。共通語じゃない。うん、とか、ああ、とか、意味のない言葉しか分からない。
「あー」
 サナギは困るそぶりを見せず、
「――、――?」
 すぐに言語を切り替えた。こちらも何を言っているのかは聞き取れなかったが、サナギと村人の間で意思疎通はできたらしく、話を切り上げたサナギが振り返る。
「カンバラの里で共通語が流暢なのは、ええと、訳が難しいな。たぶん、尼さん、と言ったのかな?」
 こいつ、すげえな。異国語で会話できるのか。俺たちの暮らすベルベルントのある地方は、共通語話者がほとんどだ。それ以外の地元特有の言語を操れるやつは多くない。
「尼さん?」
「聖憐教の修道女だね」
 パーシィがさらに言葉を訳す。
「そうか、それならそちらに話を聞こう」
 黒曜の言葉に俺たちは頷く。サナギがさらに話を聞いて、尼さんとやらの家を確かめ、俺たちはそこに向かった。
 ずいぶんと質素な家だった。ほったて小屋、とまでは言わないが装飾の一つもない平屋だ。聖職者が住んでいるなんて、言われなきゃ分からないくらいだった。
「ごめんください」
 黒曜がノックする。すぐに扉が開いて、女がひとり現れた。
 顔だけ出した真っ白な頭巾を被り、黒い着物を着ている。首から十字架が下がっていて、それで聖憐教の者だと知れた。尼さんは俺たちを見渡したあと、
「まあ、こんばんは!」
 共通語だ。
「神降ろしにいらしたのですか? どちらからいらしたの? あら……わたくしったらいけないわ、さあお上がりになって、お茶をお出しします」
 思ってたのと少し違う。おしゃべりなタイプの僧だ。
「お邪魔しまーす!」
 らけるが元気よく言って遠慮なく上がった。らけるは自然な動作で靴を脱いだが、俺たちは面食らった。入り口を入ってすぐ板間があって、確かに尼さんも靴を履いてはいなかった。
「靴を脱ぐのか?」
 俺が尋ねると、サナギが靴を脱ぎながら、
「太平倭国はそういうところが多いね」
 平気な顔で答えた。そうなのか……。文化の違いなら仕方ない。俺たちは誘導されるまま靴を脱いで、平たいクッションに座った。
 らけるがやけにスムーズに靴を脱いだことを不思議に思う。
「ニッポンも家では靴脱ぐんだぜ!」
 俺の視線に気付いたらしくらけるが言う。 
「知らない土地ですわ」
 キッチンが奥にあるらしく、そちらから尼さんの声だけが聞こえた。
「異世界なん……です。で、ニッポンに戻るために、ヨミマイリに参加しようと思って来たんです!」
 元気よく答えるらける。尼さんは少しの沈黙のあと、盆に茶の入ったコップを用意して現れた。
「まあ、そうなのですか! ですが所作から察するに、ニッポンとやらからおいでになったのはそちらの方だけ?」
 靴を脱ぐことを躊躇っていたようですから、と言いながら俺たちに順々にコップを渡していく。砕かれた氷が入って、キンと冷えた茶だ。俺たちは礼を言った。
「俺たちはベルベルントから来た」
 黒曜が答えた。
「ずいぶん遠くからいらしたのですね」
 お茶を飲むと、不思議な味がした。なんだこれ? 色は似てるが、紅茶じゃない。穀物っぽい味がする。不味くはないが……。
「煎った麦を煮出したお茶ですわ。ここでは一般的なお茶で、麦茶という名ですの!」
 俺の戸惑いを察したのか、尼さんが心配そうな顔になる。
「お口に合わなかったかしら」
「……不味くはねえ。不思議な味だ」
 それでも暑かったので、俺が飲み干すと、すぐおかわりをくれた。わりとがぶがぶ飲めて悪くないかもしれない。
「それで、ニッポンに帰るのに、なぜ神降ろしに来る必要があったんでしょう? いろいろお聞かせ願いたいわ」
 話が早い。サナギが少し身を乗り出した。
「そうだね。自己紹介からしようか。俺はサナギ。こちらは黒曜、タンジェリン、アノニム、パーシィ、緑玉、らける。らける以外は冒険者さ。らけるの護衛をしてここまで来た」
「ご丁寧にありがとうございます。わたくしは光蓮と申しますわ」
「さて、こちらのらけるだけど。召喚術でこちらの世界にトランスファーしてきたのだけど、召喚主が死んでしまって元のニッポンに還る手段がなくなってしまった」
「とらんすふぁー、ですか?」
 サナギが簡単に召喚術の解説を交える。光蓮は頭のいい女らしく、早い段階でらけるの境遇を察すると、
「お亡くなりになった召喚主に会って、ニッポンへの送還を頼みたいということですのね」
 と、らけるの目的を端的にまとめた。
「そう、そうなんです! それで、ヨミマイリで死者に会えるって!」
「……」
 光蓮は神妙な顔になった。
「……もしかして、会えない?」
 途端にらけるの顔がくしゃくしゃになる。だから言ったろ、と俺が言おうとする前に、
「いえ……『会える』のです」
 光蓮がぽつりと呟いた。
「えっ!?」
 俺たちが同時に光蓮を見る。らけるが目を見開いた。
「やっぱり、会えるんだ! あの、ヨミマイリで何をすれば会えるとかはあるんですか!?」
「……」
 また光蓮は少し黙り、
「……会える、のですが」
 と言葉を濁した。
 それから少しの沈黙があって、
「皆さんは、らける様の護衛をしている冒険者様ということでしたね?」
「そうだが……」
 それが何か、と黒曜が続ける前に、光蓮はまっすぐ顔を上げて言った。
「わたくしから依頼することは可能でしょうか?」
「依頼だと?」
 思わず聞き返す。
「待てよ。そいつはどういうことだ? ヨミマイリで死者に会えるって話と関係あんのか?」
「あります」
 光蓮は迷わず頷いた。
「どういうことなのかは分からんが……」
 腕組みした黒曜が、
「依頼を受けるかどうかは、話を聞いてから判断する」
 冷静にそう伝える。光蓮は二、三度小さく首肯してから、
「分かりました。今、この里で起こっていることをお話しします」
 そう語り始めた。

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