カンテラテンカ

creepy sleepy 6

 気付けば、知らない場所に立っていた。
 雨が降っている。見たこともない造りの家が立ち並ぶ、見知らぬ町。
 夢の中だというのに、タンジェの身体が雨に濡れて、たちまち前髪の先が雫を落とした。その雫の先に、獣人が一人、死んでいた。
 いや、死んでいた、のではない。殺されていたのだ。人間の男に。
 絶命した獣人の顔にナイフが添えられて、ゆっくりと、丁寧に、男が獣人の瞳を抉り出す。
 抉り出された目玉を容器に入れてニヤニヤと笑う男。嫌悪を覚えたタンジェは瞬間、カッとなり、
「何してやがる!」
 向かっていった。思いきり顔面をぶん殴ってやろうとしたが、タンジェの拳は男をすり抜けた。
「お前こそ何をしている」
 と、急に背後から声がかかった。うお、と思わず声を上げて振り返ると黒曜が突っ立っていて、いつも通りの無表情でこちらを見ていた。
「……よ、よお」
 勝手に夢の中に入った手前、妙に気まずく、タンジェは片手を挙げた。黒曜は応じなかったが、タンジェとしても別に返事を求めてした言動ではない。
「その……邪魔してるぜ」
 干渉すらできないらしい相手に殴りかかったのを見られたことも、気まずさに拍車をかけた。
 勝手に他人の夢に入ってきたタンジェはまるきり悪趣味だ。黒曜にとってこの夢がどういう意味を持っているのかは知らない。だがタンジェに夢を見られているなんて不愉快でしかないだろう。この夢からは早めに立ち去るべきだ。
 夢から脱しようとしたところで、戻り方が分からないことに気付いた。が、サナギの夢から出たときは物理的な衝撃を使って、ともに目覚めたのだ。黒曜も頭突きで目を覚まさせてやればいいだろう。そうなればとさっそく黒曜に近づこうとすると、
「宝石眼――こいつは高く売れるぞ」
 はっとして獣人を殺していた男に視線を移す。獣人の目玉を持って卑しく笑う様子が見えた。
 よくよく見回してみれば、殺されているのはその獣人だけではない。周囲には目玉が抉られた獣人が老若男女問わず転がっていて、この男とあるいはその仲間たちが、目玉を目的にして獣人たちを殺戮したことが見て分かった。

 ――宝石眼はとっくの昔に狩り尽くされて、生き残りはおらんって話ですぜ。
 ――東の町にごく少数いた民族がもつ、稀少な魔眼だよ。宝石眼の目玉は魔術的価値もあれば金銭的価値も高い。
 ――その眼はこの世のものとは思えぬほど美しくまばゆく輝く、名の通りの"珠玉"なのだ! 世のコレクターなら、喉から手が出るほど欲しい代物よ。

 宝石眼。東の町の民族。殺された獣人。宝石眼を抉りだす男。
 いや、こんな映像だけでは、理解には遠い。だがタンジェは再び黒曜を振り向いて、
「なんで止めねえ!」
「……止める?」
 黒曜はごく平静な声で言って、無表情のままほんの僅かに首を傾けた。
「これは夢だ。無意味だろう」
「あぁ? 無意味なんてことねえだろ!」
 と言って返したものの、言われてみれば夢で何を為したところで確かに無意味かもしれない。それでもタンジェは、両親のふりをしたオーガを叩き斬ったのだ。現実に何が反映されなくても、こんな有様をぼんやり見ているよりはマシだろう!
「夢だから大人しく見てるのかよ。そんなのは俺はごめんだぜ」
「……」
 もちろん、タンジェがこの夢に干渉できないらしいことを忘れてはいない。できることは何もない。分かっていても、殺戮を前にして黙っていることはできなかった。故郷がオーガに蹂躙されたとき、何もできなかった自分を悔いて、だからタンジェは冒険者になったのだ。あの悔いに類するこの感情を、他人の夢だとて、無視したら、冒険者になった意味がない。
 応じない黒曜に見切りをつけ、タンジェはまた男に向かって拳を振り上げた。しかし、その拳が男に突き刺さる――ことは、どちらにせよなかっただろうが――その前に、まるで劇のように場面が暗転する。
 建物の中らしい。緑の髪の双子と黒い髪の男がいて、これはすぐに緑玉とその姉翠玉、そして黒曜だと知れた。彼らの姿は今のそれより幼く、あるいは若い。
 翠玉が黒曜に何かを告げている。共通語ではない言語らしく意味はまったく分からない。だがタンジェは、黒曜にとってプライベートであろうこの夢において、言葉が分からないことはせめてもの救いであるように感じられた。緑玉は入口を見ていて、それから振り返って、翠玉と黒曜に何事か告げた。黒曜たちは外の様子を窺い、そのまま、静かに裏口から出て行った――。
 タンジェは思ったまま、改めて尋ねた。
「てめぇの……昔のことか?」
 黒曜は浅く首肯した。
「故郷の町が襲われたのか? 人間に。宝石眼、ってやつだからか?」
 黒曜の石の瞳がタンジェを見た。肯定とも否定ともとれない、意図も感情も分からない無表情。
 タンジェはそれを勝手に肯定だと受け取った。やがて、この鉄のような男の過去にある、彼の同胞たちの死にざまが、ゆっくりと腹に沈んでいく。黒曜はあの<罪の鏡>で、故郷の村人の血にまみれたタンジェを見たとき、何を思ったのだろうか?
 答えなんか分かるはずもない。
 

 暗転。これも知らない場所だが、どこかの屋敷の中らしい。黒衣だというのにそうと分かるほど血まみれの黒曜。その横に、翠玉が静かに佇んでいた。
 黒曜たちは身を隠すように屋敷の中を横断し、液体を撒いている。窓から見える外は暗く、屋敷の中もかなり暗いが、夢の中だからなのか、タンジェにも黒曜たちの様子は見える。明かりもつけずにたっぷりの液体を屋敷中に撒いた黒曜は、懐から取り出したマッチを擦り火をつけると、それを無造作に床に放った。液体に飛び込んだマッチの火は、しかして消えず、ごおっと音を立てて燃え上がる。
 火が床の液体を舐めるように走り、たちまち屋敷は炎に包まれた。
 黒曜と翠玉は素早く移動し、ある部屋に飛び込むと、数分もしないうちに中から粗末な服を着た緑玉を連れて出てきた。それから3人は裏口らしい扉から去っていく。さっき緑玉と翠玉は黒曜と一緒に逃げていたはずだ。そのあとにはぐれてここに緑玉が閉じ込められていたのだとすれば、過酷な逃走だったのだろう。
 ごうごうと燃える炎はまったく衰えず、タンジェの手元をオレンジ色にぎらぎらと煌めかせた。夜だろうに明らんだ屋敷の中に、徐々に異変を感じ取った人々の悲鳴、怒号、叫び声が響く。

 暗転する。
 見知らぬ町並みに戻ってくる。往来する人々はみんな獣人らしい。獣人の町――。
 だが雨ではない。曇り空の下。黒曜が現れる。黒曜は、傷を負った人間を数人運び込んでいる。どうやらこの町で療養させるつもりらしいことが、黒曜や周囲の者たちの仕草で分かる。
 暗転。傷を負っていた男たちはすっかり回復して、町を出たようだ。
 また暗転。雨。人間たちの襲撃。黒曜に復讐され、惨殺されたあの男もその中にいる。不意打ちで獣人を殺した。人間の群れに殺されていく獣人たち。やがてナイフは死んだ獣人の目を抉り――。
 繰り返している。
 黒曜は、夢の中でこれをずっと、繰り返しているのだ。
「宝石眼は」
 と、黒曜は言った。
「普段は隠蔽魔法で隠している」
「……」
 タンジェは黒曜の目を見た。石のような瞳が見返してくるだけだったが、魔眼に言及した直後にその目を凝視するのは、あまり上品とは言えない所作だったかもしれない。謝罪すべきか考えているうちに、黒曜は続けた。
「俺が招き入れた手負いの冒険者は、宝石眼に気付き、のちに奴隷商を率いて町を襲撃した」
 黒曜の言葉を遮ってまでの謝罪は、余計だろう。タンジェは黒曜から視線を外し、男が抉り出した獣人の目を見た。確かにそれは――宝石のごとくまばゆく輝く、うつくしい目玉だった。そうだったとて、他人の目玉なんざほしいものか。
「緑玉と翠玉と俺は生き延びたあと、別々の場所で奴隷生活をした」
 タンジェと黒曜の前で、黒曜たちがまた逃げていく。そして雨の中に切り替わり、黒曜は男を殺す。屋敷に火が放たれる。
「……目を抉られていた獣人は、俺が親友と呼んだ男だ。緑玉と翠玉の義兄だ」
 続けて言うことには、
「緑玉が人間を憎む気持ちは、分かってやれ」
「はあ!?」
 デカい声が出た。
 いや、別に否定的な意味で出た声ではない。この様子を見せられれば、緑玉が人間を嫌うのは当然だと分かる。タンジェがオーガたちに復讐を誓っているのと何が違うというのか。緑玉の人間嫌いは正当で、それは間違っちゃいない。が、違うだろ、そうじゃないだろう。
「てめぇはどうなんだよ!?」
 今この光景を見せつけられているのは黒曜で。
 それによって傷つき、苦しんでいる――のであればだが――のも黒曜で。
 じゃあここで話題に上がるべきは、黒曜の気持ちだろう。
 黒曜は無表情のまま黙り、炎の放たれた屋敷のほうをちらと見た。
 それが答えだということか。つまり、翠玉と緑玉を助け、それは終わった、ということが。
 自らの責で故郷が蹂躙され滅び、愛する人びとが殺され奴隷にされ――すべてを焼いたとて、黒曜はきっと空っぽなのだ。すべては燃え落ちて、それで本当に、黒曜の人生は「終わった」のだ。
 黒曜は、長いエピローグを生きている。
 それに対して、何を感じても、何を言っても筋違いであることは分かっている。黒曜がタンジェの言葉なんか望んでもいないことも。 
 それでも、言ってやらなければ気が済まないことがある。
「俺はな、黒曜……てめぇがぼんやりこれを見てるのが気に食わねえんだよ!」
 黒曜はタンジェのことをごく無感動の様子で眺めている。タンジェばかりが声を荒げて馬鹿馬鹿しい。それでも火がついてカッとなった頭は、黒曜に食ってかからなければ冷えそうもないのだ。
「無意味だ」
 と、タンジェとは真逆に火がつきそうもない様子で、黒曜は言った。
「ああそうだろうぜ。けど、そうじゃねえよ!」
 タンジェは黒曜に掴みかかった。
「起きるんだよ!」
 胸ぐらを掴んで、だがタンジェのほうが背が低いので、見上げる形になる。
「てめぇは復讐をして、ケジメをつけた。だったらこんなもん見せられて、ムカつくだろうが!」
「もう、すべて終わった」
「終わってなんかいねえ!」
 ほとんど割り込むようにして、タンジェは叫んだ。
「こんなふうに、悪意をもって他人を夢に引きずり込むやつがいる。なら、終わってなんかいねえんだよ!」
「誰しもに平等に与えられた加害なら、俺個人がそれに対抗する理由がない」
「俺にはあるんだ!」
 こんなものを見せられたとて、黒曜の心は、動かないのかもしれない。もう終わったことで、変えられないから、黒曜は平気なのかもしれない。だが、ふざけるな、とタンジェは思う。いったい、この世の誰に、黒曜の過去を辱める権利があるだろう?
 タンジェは――そこに悪意も作為もなかったとはいえ――黒曜の見る悪夢を許可を得ずに見届けてしまった。ならばタンジェにはもはや、この悪夢の元凶をぶちのめすよりほかはない。そうでなければ慙愧にたえない。悪魔だろうが邪法だろうが、絶対にぶちのめさなくてはならないのだ!
 頭突きをしよう、と思った。だが頭の高さが足りない。おい、屈め、と、タンジェは黒曜に言った。
「目ェ覚ますぞ。帰るんだよ!」
「……」
 黒曜が屈むことはなかった。突然の要求だったし、意図も分からないだろうから、当たり前だろう。何とか説明しようと口を開く前に、突如、ぐにゃりと世界が歪んだ。今までの暗転とは、違う。

 黒曜がふいと空を見上げる。
 この夢から醒めようとしているのだと、なんとなく分かった。サナギが術式を完成させたのだろう。
 歪んだ世界にヒビが入りガシャンと割れて、地面が揺れる。割れた世界の破片が降ってきて、タンジェは咄嗟に黒曜から離れざるを得なくなる。まずは数歩離れただけだったが、地面が割れて分断され、たちまち黒曜と距離ができた。
 地響きの中でも黒曜は微動だにしない。こちらに視線を戻し、何か言っているようにも見えたが、地面は砕けて距離は広がるばかり、がらがらと崩れる景色にも紛れて、全然聞こえない。

 どうせ黒曜は、目覚めた途端に、この悪夢がまるでなかったかのようにふるまうのだ。タンジェはちくしょう、と思った。
 こうしてまるきり黒曜の過去を見て――それでももちろん、すべてを理解したとは思わないが――黒曜の持つ虚空のような無感動の根源を知った。黒曜が過去にきっと持っていたはずのすべての感情は、この町と町の人々と、あの親友だったという獣人とともに、失われてしまったのかもしれなかった。タンジェは、たまらなくなる。同情ではない。安い共感でもない。
 タンジェは黒曜に憧れていた。その憧憬は黒曜の強さにあって、だからタンジェは黒曜に戦闘を師事した。物事に動じない様子と、その強さは、復讐のために必要だと信じていた。それは間違っていない。黒曜はその冷徹さと強さをもって、復讐すべき相手を惨殺してみせた。
 けれど、そんな憧れはもうやめだ。黒曜の冷徹はつまるところ無関心による虚無であって、こんな夢を見せられているというのに抵抗もせず、過去のままあるがまま流されているやつに憧れるのなんざ馬鹿らしい。
 無性にムカついてきた。元より悪趣味な悪夢に腹は立っていたのだが、だんだん、無感情の様子の黒曜にも苛立ってきた。だって、タンジェが黒曜の言葉に心揺さぶられ、黒曜の過去に気持ちを乱されても、黒曜のほうにそんな気はいっさいないのだ!

 ――てめぇは俺は強くなれると言ったじゃねえか! ああ、強くなってやるさ。
 ――そしてそのときが本当に来たなら、それを見届けるのは絶対、てめぇの役目なんだよ! たとえこの憧れが死んだって!

 <罪の鏡>の一件で黒曜がくれた言葉は、タンジェの心に深く残った。今朝方だってずっと黒曜のことを考えていたのだ。それで筋トレ中に怪我だってしかけた! そんなことを黒曜は知らないだろう!
 タンジェはここにきてようやく一つ、確信した。トキの言っていたことは正しかった。学者というのは馬鹿にできない――場違いにそんなことを考えて、一呼吸。
「聞こえねえなら好都合だ、黒曜、てめぇに言いたいことがある」
 苛立ち紛れの、ほとんど八つ当たりみたいなものだ。しかしもはや言わなければこの気持ちは収まらない。
 口の動きが見えたのか、黒曜はタンジェの顔を見た。
「俺はてめぇに惚れてんだよ! 好きだ!」
 叫んでやった。もっとも、向こうの声がこちらに聞こえていないのだ。この轟音の中なら、この声量とて、こちらの言葉も向こうに聞こえはしないだろう。
 実際のところ、恋慕かどうかはっきりとは分からない。そういうことに縁のない生き方をしてきた。ただ、まず黒曜の技量に惚れ込んだのは間違いない。そして憧れを取っ払った先でなおタンジェは、自分が強くなる姿を見届ける者がいるならば、それは黒曜がいい、と思った。それはきっと、愛だと思った。タンジェは、黒曜がいてくれたらどこまでも強くなれると思った。
 たとえ黒曜のすべてが終わっているのだとしても、そんなことはタンジェのこの情動にとって無関係なのだった。

 黒曜の覚醒が近づき崩壊を始める世界で、この言葉が露と消えても、目覚めた先の現実世界ですべて忘れていても、タンジェはそれで、構わない。
 こんな感情は復讐の役には立たない。むしろたぶん、邪魔だ。
 だったらここに置いていこう。黒曜への苛立ちも、愛も、すべて、黒曜の過去とともに、ここに。

 瓦解する世界は原形を留めず、崩落する地面から足を踏み外し、タンジェは現実世界へと落下する。
 抵抗に意味はなく、その気もない。頭突きなんかしなくても、こうしていればいずれ目が覚める。
 タンジェも、あるいは目覚めを望まなかったとして、――黒曜も。

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creepy sleepy 5

 熟睡している人々を飛び越えてサナギの研究室に向かう。
 サナギは変わらずぐっすり眠っていた。タンジェはパーシィから預かった星飾りを取り出し、サナギを見て、また星飾りを見た。
「どうやって使うんだよ……!」
 たとえば『魔力を流し込んで起動』とかだと、タンジェには無理だ。何故ならタンジェには魔力がいっさい、ない。別に珍しいことではなく、世の中には魔力がある人間とない人間が半々くらいだ。タンジェは魔力がなくて困ったことは一度もないが、もし魔力がない人間が魔術を使いたいなら、先日のトリカのように、スクロールを使う方法がある。あれは魔力がない人間のためにこそ作られたものだ。
 さて、この星飾りは『魔力がない人間のため』に作られているだろうか? タンジェは星飾りを裏返したり振ったりしてみた。しかし星飾りは沈黙している。どうすりゃいいんだよ、と半ばヤケになり、寝こけるサナギの頬にぺちと押し付けた。
 突然、星飾りのほのかな光が強さを増してまたたく。まぶしい。とっさに目を閉じて、光が収まるころに目を開いた。
 サナギが眠っている。
 それだけなら先ほどと何も変わりない。――が、実際はそれだけではなかった。サナギは眠っていたのだが、人数が異常だった。2、3人程度ならまだいい――いや、よくはないが――そこには10人近いサナギが、床に転がり、壁に寄りかかり、机に突っ伏して眠っていた。
 サナギの夢に入れたのだろうか? だとすれば、これがサナギの夢?
 わけのわからねえ夢を見やがって、と思うタンジェに、
「やあタンジェ」
 声がかかった。
 たった一人だけ起きているサナギがいて、何かよく分からないガラクタの上に腰かけていた。サナギはタンジェを見て、のんきに、
「迎えに来てくれたの?」
 と、首を傾けた。タンジェは呆れる。サナギはここが夢だと、そして起きるべきだと、とっくに分かっているのだ。
「夢だと分かってて、自分でどうにか起きようって根性ねえのかよ」
 タンジェが吐き捨てる。対してサナギは、けらけら笑った。
「きみはきっと、自分でどうにか起きたんだろうね。根性で」
「……」
 その通りなので何も言えなかった。思わず舌打ちする。
 サナギは自分の尻に敷いたガラクタから延びるヒモのようなものを手で弄んだ。少しの沈黙。
「俺でいいのかな、って考えてたんだ」
「あ?」
 サナギは別に、深く悩んでいるようでも、悲しそうでもなかったが、かといって明るいいつもの調子という感じでもなかった。意図を図りかねる。
 周囲の眠り続けるサナギたちを見回したサナギは、
「見れば分かるとおり、サナギはたくさんいて、その中で俺だけこうして意識があるけど……」
 そう言って、肩を竦めた。
「もしかして、『今の代』のサナギは『俺』じゃないのかもしれない」
「わけわかんねえ」
 タンジェはそういう哲学的なことを考えるのは苦手だ。サナギの考えることを理解しようとも思わない。
「どのサナギが今の代だろうと、今意識があるてめぇが『サナギ』でいいだろ」
 ぱちぱち、と目を瞬かせたサナギが、タンジェを見て笑う。
「タンジェってすごいよなあ」
「はあ?」
「まっすぐというか……単純というか」
「悪口じゃねえか」
「まさか! 褒めてるよ。これ以上ないくらいにさ」
 さて、と言って、サナギががらくたから降りて、ぽんぽんと尻の埃を払った。それから、
「それじゃ、行こっか。現実にさ」
「おう」
 タンジェはサナギの正面に立って、サナギの両肩を両手それぞれで掴んだ。
「なんで俺の両肩を掴むのかな」
「目ェ覚ますんだろ。歯ぁ食いしばりやがれ」
「本気で言ってる?」
 何か言っていたが無視して、思いきり頭を振りかぶる。
「待って待って、痛いのはヤなん……へぶっ!!」
 額をサナギの額に叩きつけた。

 もちろん夢の中のことなので、タンジェの額は割れてもいないし痛みもしない。それでも何となく違和を感じて額を撫でるが、こぶにもなっていない。
 目の前のサナギも、上体を起こしてタンジェと同じように額を撫でている。
「頭突きはひどいよ」
 そうは思わない。タンジェ自身も起きられるよう、どちらにも衝撃がある方法をとっただけだ。
「まあ、結果として起きられたから、いいか。ありがとう」
 返事の代わりにひらひらと手を振った。別に照れてるわけじゃない。そもそもタンジェの手柄ではない、パーシィの手柄だ。
「それで……何が起きてるの?」
「俺にもよく分からねえが……」
 そう前置きして、ベルベルント中のほとんどの人が眠ってしまっていること、パーシィが言うには、おそらくサナギの盗まれた術式が悪魔に改変され邪法と化したのであろうこと、だからパーシィや一部の聖別されたものを身に着けた人は無事だということを、なんとか説明した。
「それでパーシィは、このロザリオの神聖力を拡散する術式をてめぇに書けとさ」
 タンジェはサナギに、パーシィから託されたロザリオを手渡した。サナギは何度か軽く頷いて、「なるほどね」と言った。彼が事の次第をスムーズに理解したのは、タンジェの説明の巧拙の問題ではなく、サナギの理解力の賜物であろう。
「悪魔による改変か……。さすがにそこまでは予想してなかったな」
「パーシィは犯人の悪魔を探しに行ったぜ」
「そっか。それじゃあ、そっちは任せよう。幸い、力の拡散については、古い日記を漁っているときに見かけたばかりだ。ほどなくできると思うよ」
「そうかよ」
「少し待っていて。その間、タンジェは……自由にしていていいよ」
 サナギは立ち上がると、すぐさま机に向かった。
 タンジェは手元近くに落ちていた星飾りを見る。まだ淡く光を放つそれは、確かあと1回使えるはずだ。もっとも、使うアテはない。落ちたまま放っておくのも気持ちが悪いので拾い上げて、サナギの邪魔にならないように研究室を出た。
 静まり返った星数えの夜会の食堂で術式の完成を待つことにする。
 筋トレでもしようか、だとすれば自室のほうがいいか……考えながら食堂を見回すと、黒曜が目に入る。足が動いて、タンジェは黒曜の横に立った。無防備に眠る黒曜の横顔……を、眺める自分に呆れた。何をしてるんだ、俺は? 我ながら、いくらなんでもキモすぎる。
 すぐに離れようと思ったが、その前に黒曜の前髪に何か、糸くずのようなものがついているのが見えた。ほとんど無意識にそれを払おうとして黒曜の前髪に触れていた。
 その瞬間、左手に持っていた星飾りが輝きだす。
「あ――?」
 マジックアイテムが発動した、と理解したときにはすでに、タンジェは星数えの夜会から離れて、黒曜の夢の中にいた。

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creepy sleepy 4

 今度は聖ミゼリカ教会に走っていく。ベルベルントの街中を走り抜けるくらいなんてことはないが、徐々に日が落ちかけているのが気にかかった。点灯夫も寝ているなら、街灯にも火が入らず暗いままだろう。動きにくくなる。
 聖ミゼリカ教会にはほどなく到着した。教会の扉を開けると、シスターや修道士が数人、戸惑った様子で何か話し合っている。――起きている! その中にパーシィもいた。
「タンジェ!」
 扉が開いたのに気付いてすぐパーシィがタンジェに駆け寄ってきた。
「パーシィ」
 まさか本当に起きているとは。ブルースの言っていたことは本当なのだろうか?
「タンジェ、よく無事だったな!?」
「一回は寝たが……無理やり起きた」
 ブルースに言ったのと同じことを言うと「すごく助かるよ」とパーシィは頷いた。 
「助かる? どういうことだ? 何か知ってるのか?」
 タンジェの質問に、パーシィはちらと背後で話し合いを続ける修道士たちを見やったあと、俺に耳打ちした。
「悪魔の仕業だよ」
「はあ?」
 思わず大きな声が出た。パーシィは気にせず続ける。
「元とはいえ俺は天使だから分かる」
「それじゃあ……盗まれたサナギの術式じゃねえのか?」
「サナギの術式?」
「<眠りへのいざない>とかいう、生物を眠らせる術が盗まれたって言ってたんだ。使った本人も寝ちまうとかいう話だったが……」
「ああ、どおりで悪魔の気配の底に無機質な力を感じたよ。たぶん、ベースがそれなんだろうな」
「どういうことだ?」
 パーシィは少しだけ考え、タンジェにも分かるように言葉を選んだらしく、
「たぶんだが、サナギの術式に悪魔が手を加えたんだろう。使い手まで寝てしまう欠陥を直しているかまでは分からないが、だから俺には、術は効かない」
 なるほど分からない話ではなかった。タンジェは悪魔なんてものにお目にかかったことはない。しかし、タンジェの少ない知識で想像し得る悪魔は、悪辣で悪趣味だ。今回のあの悪夢が悪魔の仕業だとすれば納得がいった。
 サナギは例の術式について悪夢を見せるものだとは言っていなかったから、あの悪夢は<眠りへのいざない>に最初から付随していた効果ではない。術を盗んだ挙句、そのように改造したのが悪魔だというわけか。
「しかし、他にも無事な奴らが数人いるぞ?」
 パーシィに合わせて小声で尋ねると、
「たぶん、きちんとした聖別を受けた何かしらを身につけてる」
「あ? 信者はみんな聖別したものを身につけてるんじゃねえのか?」
 ベルベルントにも聖ミゼリカ教徒はごまんといるはずだが、外で起きている者は見かけなかった。パーシィは、
「聖別にも個体差がある。やはり実力のある聖職者に聖別されたもののほうが、聖なる力が強い」
「……そんなもんか」
 それもまあ納得がいく。実力ある聖職者に聖別されたロザリオは、値段や入手難度も高いのかもしれない。一般人に広く流通しているロザリオは、つまり、所詮その程度だということだろう。なんだか世知辛い話だ。
 しかしそうなるとブルースの持っていた盗品のロザリオはそれなりの逸品だということになる。どこから盗ってきたのだろうか……我が師ながら手癖の悪い男だ。
「本来はただの眠りの術でしかなかったものが、悪魔が手を加えたことで邪法になり果てたんだろう。それしか考えられない。きみはかなりイレギュラーだ」
 真剣な表情のパーシィにはかなり説得力があって、タンジェは、そうかよ、しか言えなくなる。
「タンジェ、頼みがあるんだ。俺はこれから元凶の悪魔を探す。その間、サナギに神聖力の効果範囲をベルベルント全体に広げる術式を書いてほしいんだ」
「それはいいけどよ、サナギも寝ちまってるぜ?」
「これを渡しておくよ」
 パーシィから手渡されたのは、星の形をしたアミュレットだった。
 身に付けるには大きく、壁などに掛けるには小さい。手のひらサイズのアミュレットは、ほんのり光を放っている。
「ここ最近、悪夢を見るって人間が多いという話をしたろ? その人たちのケアのために作られたマジックアイテムなんだけど、人の夢の中に精神を飛ばして入り込むことができるんだよ」
 理屈は分からないが、パーシィの言いたいことは分かった。つまり、
「これでサナギの夢の中に入って、叩き起こしてこいって?」
「そういうことさ」
 本当なら5回は使えるんだけど、今日もケアをしたから使えるとしてあと2回ってところかな、とパーシィは言った。
「あと2回……」
「それからこれ」
 と、パーシィは自身のロザリオを外してタンジェに託した。
「おい、これ無えとてめぇも寝ちまうんじゃねえのか」
「元とはいえ天使だ、ロザリオくらいなくても、このくらいの邪法なら耐えられる」
 パーシィは「このロザリオを目覚めたサナギに渡してくれ」と続けた。
「このロザリオなら、たぶん広域化の術式を組んで神聖力を拡散させられると思う」
「そ、そうかよ」
 こちらも理屈はよく分からないが、サナギにそのまま言えば、やつなら分かる、ということだろう。タンジェが頷いたのを確認してから、
「じゃあよろしく頼むよ!」
「おい、パーシィ!」
 思わず呼び止めた。教会から飛び出していく最中だったパーシィは立ち止まり、律儀にタンジェを見た。
 悪魔を探すアテはあるのかよ、とか、気をつけろよ、とか、言うべきことは頭によぎるのだが、どれも言葉に出すのは憚られた。そんな気遣いを自然に口に出せるなら、タンジェは今よりもう少し友人が多いだろう。
 口ごもるタンジェに、パーシィが首を傾げるので、せめて何か言わないとと思い、結局、
「た、助かる」
 と、礼にも満たない言葉が出た。
 パーシィは特に気にした様子もなく笑って教会を出て行った。
 タンジェもパーシィに続いて急いで教会から離れる。目的地は再び、星数えの夜会だ。

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creepy sleepy 3

 気付けば雪はやんでいた。パーシィが教会へと向かってから、タンジェも外に出ることにする。筋トレもいいが、もう少ししっかり身体を動かしたい。
 気温は低いが雲はすっかり別の場所へ移動したらしい。今日これからは、雨や雪に悩まされることはなさそうだ。
 聖誕祭を祝う準備だろう、店先にはカラフルな菓子が並んでいる。それらを横目で見ながら、森林公園までジョギングをした。
 ストレッチをしてから、休憩しようとベンチの雪を払う。木のベンチは水分を吸ってしっとりしていたので、首にかけてきたタオルを敷いて腰かけた。吐く息は白かったが、走ってきた身体は汗ばんで体温が上がっている。
 日の当たるベンチはこの時期にしてはあたたかく、ぼんやりしていると眠ってしまいそうだ。……

「!」
 ハッと目覚めた、ということは、寝ていたらしい。
 慌てて周囲を見回したが、まだ空は青く、日も少しだけ傾いた程度のようだった。寝ていたとしても10分か20分といったところだろう。ジョギングしてのんきに寝落ちなんて、笑えない。今までトレーニング中に眠気に襲われたことすらなかったのに、あまりに急な寝落ちだった。疲れていたのだろうか? 自覚症状はないのだが。
 宿に帰る前に武器屋にでも寄るか、と思いながらベンチから立ち上がる。一歩踏み出したところで違和感に気付いた。
 ――森林公園じゃない。
 振り返り見下ろせば、タンジェが寝ていたのも、ベンチではない。横倒しになった大きな丸太だった。
 ザクリと足を踏み鳴らした地面で、ここが森にほど近いところだと分かった。辺りを見回すと、見慣れた場所である。タンジェのふるさと、ペケニヨ村だった。
「……」
 夢だとすぐに分かった。
 この夢は妙な現実感を伴って、ひどく気味が悪い。まるで過去に戻ってきたような、今ここにタンジェがいることが何もおかしくないみたいな顔をして、ペケニヨ村は、そこにあった。燃えてもいない、オーガの群れに襲われてもいない、村人たちが普通に生活を営み、平和に毎日を過ごすそれが。
 ペケニヨ村の夢を見ることは珍しくない。だが、タンジェが見る故郷の夢は決まって、滅びている最中か滅びたあとだった。こんなふうに生活感のあるペケニヨ村を夢に見たことは、復讐を志してから今まで一度だってない。
「タンジェ」
 覚えのある声がタンジェを呼んだ。振り向くと、そこにはタンジェの家があって、……オーガが2体、立っていた。
「……!!」
 息を呑む。2体のオーガは、まるでヒトのように口を開く。
「休憩にしましょう。クッキーを焼いたわ」
 いつの間にかタンジェは手に斧を持っている。足元に目を落とすと薪があった。薪割りの途中だったとでもいうように。
「寒いだろう、早く中にお入り」
 まるで父と母みたいなことを言って、父と母みたいに、笑っている。侮辱で、屈辱で、悪趣味だった。
「どうしたんだい、タンジェ」
「お茶も淹れるわ。だから……」
 2体のオーガは言った。
「ずっとここにいるといい」
 タンジェは吼えた。
「ふざけんじゃねぇーッ!!」
 持っていた手斧を振りかざす。タンジェはまっすぐオーガの心臓を狙った。黒曜が触れた急所の一つ。頭をカチ割れればよかったが、タンジェの身長では届かない。
「ぶっ殺してやるッ!!」
 オーガは抵抗しなかった。やつは醜悪な顔を笑うように崩したままタンジェの斧を受けた。斧が骨に当たる。手斧で肉を抉る感覚は、当たり前だが、木を切り倒すそれとは違う。骨を強引にかき分けて斧を心臓に当てれば、オーガは地に倒れた。
 斧を引き抜けば血が吹き出す。タンジェはもう一体のオーガに振り向いて、雄叫びを上げて同じように叩き殺した。
 肩で息をする。夢だ。こんなことをしたところで何の意味もない。分かっているつもりだ。だがこの夢を甘んじて受け入れることはできなかった。
 こんなクソみたいな夢を受け入れられるなら、復讐なんか志していない。
 タンジェは頬に飛んだオーガの血を拭いながら、パーシィが言っていた『悪夢に悩まされる人々』のことを思い出す。
 きっと、自分が見ているこれもまた、ちまたを騒がす悪夢のひとつなのだろう。
 ここにいてはいけない。きっとこの悪趣味という言葉すら生ぬるい悪夢は、人々の心に巣食う。そうして蝕まれて深い深い夢の底まで引きずり込まれたら、あるいはもしかしたら戻れない。
 だが、みすみすこんな夢に呑まれる気はない。こんなくだらない、ムカつく夢にタンジェは負けない。
 夢から目覚める方法なんて決まっている。タンジェは迷わなかった。
 オーガの血にまみれた手斧を、左腕に叩き付ける。

 目覚めると、今度こそ森林公園だった。
 左腕がじんじんする。タンジェは眠りながらも、夢の中と同様に、握った右手を強く左腕に叩き付けたようだった。夢で突き立てられた斧は当然ながら現実にはない。タンジェの馬鹿力にかかれば、腕くらい折れてもおかしくなかったが、殴られたほうの左腕だって頑丈なタンジェの一部だ、無事だった。痛みも徐々に引いていく。
 タンジェは空を仰いだ。――最悪な夢だった。
 反芻したせいで、叫び出しそうな怒りに包まれる。だが、森林公園でいきなり吼えたら不審者だ。タンジェは耐えたが、
「……っち!」
 むしゃくしゃして、舌打ちをして小石を蹴る。
 小石が転がった先に、人が倒れていた。突然で唐突だったので、一瞬、判断が遅れたが、
「……おい!」
 駆け寄り呼吸を確かめる。なんてことはない、生きている。心臓は正常に動いているし、呼吸も……寝息のそれだった。タンジェの素人目に見れば、ただ眠っているだけだと思われた。
 とはいえこんな道端で寝落ちしているのはあまりに不自然だ。タンジェは周囲を見回した。森林公園にいた市民たちが――タンジェと同じように――みんな、眠っている。異常事態だということは、すぐに分かった。
 タンジェは数瞬、どうするべきかを考えた。ひとまず、足元で寝こけている市民に何度か声をかけ、できるかぎりの手加減をして頬をぺちぺちと叩いてみたが、起きる気配はまったくない。
 タンジェは結論を出した。これ以上、自分だけでできることは何もない。
 誰かの意見を仰ぐべきだ。リーダーの黒曜、あるいは参謀のサナギ。ならば行く場所は決まっている。星数えの夜会だ。
 夜会へ戻る途中、何人も倒れ伏して眠る人びとを見た。起きているやつは一人もいない。
 まだ日も高いのに、街の全てが眠りについたように、ひどく静かだった。

★・・・・

 星数えの夜会に飛び込むと、まずカウンターに突っ伏して寝ている親父さんが目に付いた。それからテーブル横のソファで娘さんも。あのあと歓談していたらしい黒曜と、その相手だったのだろう緑玉、翠玉の三人も眠っている。
「おい!」
 声をかけて揺り起こそうとしても、まったく反応がない。そのうち勝手に起きるだろうか?
 いや、と、タンジェはすぐさま否定した。
 自分が見た悪夢のことを考える。今までに見たことがない、おぞましい夢。確実にタンジェの精神を抉る、悪意と作為を感じた。
 これは人為的な何かなんじゃないか――そう考えたところで思い至った。サナギが言っていた、盗まれたという術式。その中には、周囲に眠りをもたらす<眠りへのいざない>とやらもあったはずだ。
 だいたいサナギは研究室にいる。急いで駆けつけノックしたが、返答がない。嫌な予感を覚えながらドアを開けると、混沌とした部屋の中に、やっぱりか、サナギが寝こけていた。
「勘弁しろよ……!」
 サナギの元まで移動してぺちぺちと頬を叩くが、「うーん」とのんきな呻き声を上げただけで、サナギはすやすや眠っている。悪夢にうなされているという様子ではなかったが、起きそうもない。
「どうしろってんだよ……!」
 あのあと解除術式が完成したという話は聞かない。だがサナギのことだ、未完成のまま放置ということもないだろう。サナギのことを叩き起こせば、解除術式とやらでみんなを起こせるかもしれない。だがそのサナギを起こすために、何をどうしたらいいのか。タンジェは考える。
 冒険者として、少しずつ経験は積み重なってきている。自分ができることとできないことも、今なら冷静に分析し、判断できるはずだ。タンジェが今できること――盗賊役としての役割の遂行。すなわち、情報を集めることだ。
 そうなると、行く場所も絞れる。情報なら、盗賊ギルドだ。
 タンジェは夜会を出て、足早に盗賊ギルドに向かった。道中、無事な人がいないかを確認するが、起きている人間は一人としていなかった。人間どころか、犬も猫も眠っている。
 間もなく辿りついた盗賊ギルドでも、出入りを管理しているギルド幹部までが眠っていた。不安が募る。もうこの街に、自分以外に起きているものはいないんじゃないか――タンジェは首を横に振る。そんなことを決めつけるのはまだ早い。
 横たわった幹部の身体を跨いで、暗くて狭い盗賊ギルドの中に踏み込んだ。
 盗賊ギルドはそもそも静かな場所だが、静寂がいつにも増す。タンジェは奥のテーブル席へ顔を出した。ブルースの定位置だ。
 人影が動く。テーブルに突っ伏していたバンダナ頭がこっちを向いた。
「……! タンジェ!」
「起きてやがったか!」
 お互いに驚く。タンジェはブルースのもとへ駆け寄った。正直、ほんの少しだけ途方に暮れていたので、知り合いが目覚めていたのは朗報だった。しかしそのことは表面に出さず、タンジェは尋ねる。
「なんでてめぇは無事なんだ?」
 ブルースは「知らねえよ」と顔を歪ませた。
「なんでこんな状況になっちまったのかも分からねえんだ」
 そうだな、とタンジェも頷いた。ただ、一応、心当たりだけは告げておく。
「……俺のパーティの参謀役が作った術式とやらが盗まれたんだとよ。その中に広範囲に眠りをもたらす術があったらしいぜ」
 ブルースに隠し立てする意味はないし、今は解決策を探す段階で、頭を捻る人間は少しでも多いほうがいいだろう。ブルースは難しい顔で首を捻った。
「何だと……? じゃあ、それが原因か……? 盗まれたのが最近だってんなら、タイミング的にも可能性は高そうだが……」
「ああ。同じやつが最近、それの解除術式とかいうのを作ってたんだが……そいつも寝ちまってるんだよ」
 ブルースは少し悩んだあと、それはそれとして、と言い、
「タンジェこそよく無事だったな」
「一回は寝たんだ、無理やり起きた」
「さすがの根性だな」
 賞賛と呆れが半々という感じで言ったあと、ブルースはごそごそと懐を漁って小綺麗なロザリオを取り出した。
「俺が無事だったのは、神サマの加護かもしれねえな」
「はあ? ……てめぇ、聖ミゼリカ教徒だったのかよ?」
「んなわけねえだろ。盗品だよ」
 タンジェの顔こそ、呆れに歪んだ。ブルースは悪びれることなく、
「でも、これが助かった要因だとすれば、聖ミゼリカ教徒は全員無事って理屈になるよなァ」
「聖ミゼリカ教徒……」
 パーシィの顔が脳裏に浮かぶ。なるほど次の行き先としては悪くない。
「聖ミゼリカ教会に行ってくる」
「なんだい、慌ただしいねえ」
「てめぇと話してても得るものがなさそうだからな」
「おーい、助かったのがロザリオのおかげだって可能性、見つけたの俺だからな?」
 恩着せがましい。面倒に思い無視した。

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creepy sleepy 2

 結局、触られたほうが覚えがいいだろうと思ったはずなのに、後半は頭が真っ白だった。
 変な汗をかいていたタンジェは自室に戻ってタオルで拭いて、それから階下に戻って食堂のカウンターに腰掛けた。
 そこで、そもそも飲み物を目的に階下に下りてきたことを思い出す。
 扉の開く音がする。パーシィだった。外から帰った彼は珍しく難しい顔をしている。カウンターにいるタンジェの横に座りながら、
「人間ってのはこれだから!」
 と言い出す。
 人間の俺の前でよくそれが言えたもんだとタンジェは思う。別に気にはしないが……。
「なんだなんだ」
 親父さんがカウンターに顔を出した。
「人間はどうしてこう、神の奇跡を気軽に賜れると思ってるんだろう? 大した信仰心もないのに、自分勝手な話だよな!」
 手袋を嵌めた指がトントンとカウンターテーブルを叩く。普段、あまりしない仕草だった。苛立っているのかもしれない。タンジェは聞き流しながら「親父さん、なんか飲み物くれ」と言った。
「おう、キャロットジュースがあるぞ」
「じゃあ、それを頼む」
「俺ももらう!」
 便乗してキャロットジュースを頼んだパーシィは、
「今、聖ミゼリカ教会がえらいことになってるんだよ」
 と、聞いてもいないのにしゃべり出した。
「人でごった返してるんだ。信者もいるけど、そうでない人もいる。別にそれで差別をしたりはしないさ、でも……」
 親父さんがキャロットジュースをタンジェとパーシィの前に置く。パーシィはグイッとそれを一気に飲み干した。
「でも?」
 合いの手を入れた親父さんに、パーシィは改めて向き直って、
「信仰心がないのに、ミゼリカ教の奇跡には頼ろうなんて、都合がいい話じゃないか!?」
 キャロットジュースを飲みながら、タンジェは苦い顔をした。タンジェだって聖ミゼリカ教なんて信じていないが、パーシィの聖なる力には散々世話になっていた。
「そんなこと言ったって、社会奉仕はミゼリカ教の教義のうちだろう」
 親父さんはパーシィの前のグラスを引き上げ洗いながら、なんてことはないように言う。
「信仰心の有無で救う人を選ぶのは、本意ではなかろう?」
「目の前で怪我してれば、分け隔てなく助けることはやぶさかじゃないさ。でも、睡眠の質を上げるのが教会の仕事かい!?」
「睡眠の質だぁ?」
 あまり考えたことがない。疲れてるときにはたまに悪い夢を見たりもするが、基本的に自分は睡眠の悩みはないほうだと思っている。親父さんも目を瞬かせて、
「どういうことなんだ? パーシィ」
 と、続きを催促した。
「つまりさ、あまりにも悪夢を見るから、ミゼリカ教の奇跡でなんとかしてくれって人が大勢押しかけてきてるんだよ」
 冒険者の俺が駆り出されるくらいに! と、パーシィは力説する。
「確かに、精神安定の法術は存在するさ。俺も使える、比較的低級な術だ。でもそれで個人が見てる悪夢が改善するかなんて、そんなのこっちの知ったことじゃないだろ!?」
「まあ……確かにな……」
「信仰の場だから俺の力は確かに強くなるけど……低級な術だってエネルギーは使うし、改善しなかったら文句を言うし、数もすごいし、しかも連日で参るよ!」
 さすがに同情した。そういえばここ数日、パーシィは出かけていることが多く、あまり姿を見かけなかった。そういう事情だったらしい。
「しかも無償奉仕だぞ!」
「そりゃ、納得いかねえな」
「元天使が見返りなんて求めるもんじゃないぞ」
 と、親父さんが笑うので、
「だから『元』なんだろ」
 タンジェが適当に思ったことを言うと、パーシィは耳の痛そうな顔をした。思いがけず図星だったらしい。
「それはそれとして、最近、嫌な空気感なんだよ」
 露骨に話を変えた。
「ふわっとしてんな。なんだよ、嫌な空気感って」
「空気が悪いというか……とにかく、嫌な感じがするんだ」
 元天使なりに何か感じるものがあるのだろうか? タンジェには聖誕祭を目前に控えた平和な街にしか見えない。もっとも、どうやらその実、悪夢を見るだ何だで落ち着かない界隈もあるようだが。
 そのとき、
「嫌な感じ、ですか。あまり出歩かないほうがいいですかねえ」
 突然背後から声が聞こえてきた。
 顔だけ傾け振り返ると、背の高い人影が立っている。
 片眼鏡をかけた柔和な物腰の男だ。つい先日、タンジェがこの宿に案内して以降、星数えの夜会に泊まっている。そのあと名前も聞いたのだが、何といったか、確か……。
「よう、ラヒズ。キャロットジュースがあるが、飲むか?」
 親父さんが呼んだことで、思い出す。そう、ラヒズといった。
「お気遣いありがとうございます。ですが、外出するところなのですよ。出歩かないほうがいいのだろうとは思いますが、ね、パーシィくん」
 ラヒズは上品な笑みを浮かべて、パーシィにそう語りかけた。
 パーシィはこちらも負けず実に爽やかな笑顔で、
「いや、いいんじゃないか。所詮、俺個人の感覚だし。用を済ませてくるといい」
「そうですね。それでは。夕刻には戻ります、親父さん」
「ああ、行ってらっしゃい」
 ラヒズはすたすたと去っていった。
 出入り口がばたんと閉まるのをしっかり確認してから、パーシィは思いっきり眉を寄せて、
「嫌なんだよな、あの人」
 と、これまた珍しいことを言った。
 パーシィは人間をひっくるめて見下しているところがあるが(本人に言ったら否定するだろうが)、個人に対して好き嫌いとか、得手不得手とか、そういった個別の感情を抱くことはないタイプだと、タンジェは勝手に思っていた。
「どこが?」
 別にパーシィの好き嫌いを咎めるつもりはなかったが、単純に気になったので尋ねた。
「どこと言われると困るんだけど、雰囲気が好きじゃない」
「滅多なことを言うもんじゃないぞ」
 親父さんがパーシィを嗜める。
「礼儀正しいし、宿代もきちんと払ってる。揉め事も起こさん。真っ当な人間だよ」
「そうかもしれない。ただ、人間性の問題じゃなくて……。……いや、これは俺個人の感覚の話だから、忘れてくれ」
 パーシィは話を切り上げ、
「それより親父さん、午後からも教会なんだ。向こうで食べられる軽食を出してもらえるかい?」
「本当に忙しいんだな。サンドイッチを作ってやるから待ってろ」
 だいたい、この宿で持ち運びできる軽食を求めれば出てくるのはサンドイッチである。美味だし、バリエーションも豊富だから、文句なんて出ようはずもない。親父さんのサンドイッチを大人しく待ってる間、パーシィは行儀良く座っていた。

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