鏡裡を砕く 4
おぼろげな視界が、ゆっくりと輪郭を取り戻していく。
ぼんやりした頭も同時に少しずつ覚醒し、タンジェはようやく目覚めた。
「……っ、なんだ、何が起きた……!?」
声は思ったより掠れていて、ほとんど呻き声だった。周囲を確認しようとすれば、自分が身体の自由を奪われていることに気付く。タンジェは椅子に座らされ、椅子の背もたれごと後ろ手に拘束され、ご丁寧に足も椅子の脚にロープで括られていた。
「……、……!?」
肝は据わっているほうだ、恐怖はなかったが、何が起きたのかという動揺はさすがに抱く。落ち着け、とタンジェは自分に言い聞かせた。
おそらくタンジェはあの女に騙されたのだ。ニセの悲鳴は、周囲のひと気のなさやタイミングを見るに、明らかにタンジェをおびき寄せるために発されたものだ。ノコノコ現れたタンジェに、あの女は……何をした? 本のようなものを開いて、何かを叫んでいた。
タンジェは周囲を見回す。室内だ。窓はないが、明かりはふんだんに用意されていて暗くはない。
椅子に縛り付けられたタンジェの目の前には、布のかかった大きな何かがある。縦はタンジェが立ったときの身長より大きく、横幅はタンジェの3倍はありそうだ。
――ちっ、何だってんだよ。
何をされたのか、何をされるのか、そもそも誰が何の目的でこんなことをしているのかは知らないが、タンジェは単純にイライラした。
普段の怪力さえ発揮できればこんなロープをぶち破ることなど容易い。が、昏倒したときのあの痺れた感覚がまだ全身に残っていて、力が入らなかった。
「起きたみたいね」
声が聞こえた。タンジェは人の声を一度で覚えられるほど他人に興味はないが、状況から考えれば間違いなくタンジェを謀ったあの女だろう。
声は背後からで、そちらに出入り口もあるのかもしれない。視界をほとんど制限されているタンジェには与り知れないことだ。
足音が背後から回って、タンジェの前に来た。バンダナにエプロン姿の、ごく一般的な市民といういでたちの女だった。確かに倒れる前の一瞬、タンジェが見たあの女である。
「なんなんだよ……、てめぇは」
掠れた声で尋ね、思いきり睨む。女は、
「名前? 名前はね、トリカ。骨董屋を最近継いだばかり。歳は24よ」
「んなことは聞いてねぇ……!」
トリカは腕を組んで、首を傾げた。
「何をされたのか。これから何をされるのか。なぜ、こんなことになっているのか。それが知りたいってわけ?」
「分かってんなら、……とっとと言いやがれ……クソ女ッ」
この状況下でも、タンジェの口はすこぶる悪い。トリカは顔を歪めてタンジェを見下す。
「コンシットの名を聞けば、思うところはあるわね?」
「……あ……?」
思いも寄らないやつの名前が出てきて、タンジェは眉を寄せた。
「私の恋人よ」
「……」
さすがのタンジェも、先は察せられた。同時にこれがこの女による明確な"逆恨み"であることも察した。要するにトリカは、
「あなたがコンシットの誘いを断らなければ、コンシットが依頼先で死ぬことはなかった。そうね?」
タンジェがコンシットのパーティに参加しなかったために、コンシットのパーティの戦力が足りず、それがコンシットを死に追いやったと思い込んでいるのだ。
「知らねえよ……」
タンジェは呆れ半分で吐き捨てた。もう話すのもかったるい。いざというときのために体力を温存しておくべきか、だとすれば無理に話す必要もないのかもしれない。
トリカはまったく意にも介していないらしく、
「コンシットは、立派な冒険者になったら私を迎えに来てくれるって約束してくれたの。あんな小汚い骨董屋、継ぐ必要ないんだって。私、嬉しかった……。コンシットが立派になるのをいつまでも待つつもりだった」
1ミリも興味がない。もう少し身体が、あるいは口が自由に動けば、暴れるなり文句を言うなりできるのだが。
「それをあなたが台無しにしたのは、ちゃんと自覚をもって?」
早く話終わらねえかな、と思いながら、タンジェは虚空を眺めている。
「あのね、私はあなたを殺そうとか、そういうつもりはないの。ただ反省してほしいだけ。分かる?」
「反省だと……?」
トリカは、タンジェの目の前にあった大きなものから布を取り去った。
布の下にあったのは豪奢な鏡である。巨大な姿見は、かつては美しかったであろう細かな細工のくすんだゴールドに縁どられていて、とうの鏡面もまるでモヤでもかかったかのように曇っていた。目の前に座っているタンジェの姿が、かろうじてぼんやりと映る。
「この鏡はね、うちの骨董屋にあったものなの。<罪の鏡>というらしいわ」
「……」
「名前のとおりよ。この鏡には、その人の<罪>が映るの」
「俺の、罪……」
「この鏡にはきっとコンシットが映るはずよ」
トリカは言った。
「彼の姿を見て、深く反省して、謝罪してほしいの。私が望んでるのはそれだけ」
「……」
そして、ゆっくりとタンジェと距離を取り、
「私は外にいるわね。コンシットの姿を見るのはつらいし……私がいたら、コンシットに謝りづらいものね? 男の子って、人のいるところで自分の間違いを認めるのが苦手だし……。私は、終わったら改めてあなたから謝罪を聞くわね」
勝手なことをまるで真実かのように言って、トリカは入ってきたのと同じ、タンジェの背後にあるらしい扉で、出ていった。
静寂が、部屋を満たす。
鏡裡を砕く 3
夕方まで時間があるので、短期バイトを探すことにした。星数えの夜会に来る依頼は数が多くないし、残念ながら今日は即日終わる簡単なお使いのような依頼もない。冒険者大国のベルベルントでは、冒険者が所属宿以外の依頼を受けることはマナー違反とされている。もし宿の外で小遣い稼ぎをしたいなら、常連の店の手伝いなどの、宿を通さない方法を探すしかない。
行きつけの道具屋はあるものの、常連というほどではない。あの道具屋にはタンジェより懇意にしているような冒険者もたくさんいるはずだ。仕事をもらえる見込みはまずないだろう。
ただ、タンジェにはひとつ、"盗賊役"だからこそのツテがある。すなわち、"盗賊ギルド"だ。
盗賊役――あるいは本職の盗賊――などの裏社会に生きる者が集まり、情報を交換したり売り買いしている場だ。実際はもっと後ろ暗いこともやっていると思うが、まだタンジェがそれを目の当たりにしたことはないし、わざわざ首を突っ込むことでもないと思っている。
本来ならタンジェなど縁もゆかりもない場所なのだが、どの冒険者パーティであれ、盗賊役はほとんどが盗賊ギルドに出入りする。ここでのコネは冒険者パーティの情報収集に寄与するので、タンジェも盗賊役になることを決めてすぐ盗賊ギルドへ向かった。タンジェの盗賊役としての師匠もここで見つけた。この師がごくたまにタンジェに簡単な仕事をよこしてくれるのだ。
盗賊ギルドは普通の宿に比べれば酔っ払いや団体がいない分、静かな場所だ。タンジェはいつも師がいる奥のテーブル席へ顔を出した。
酒瓶から酒を注いで飲み干した男が、タンジェに気付いてグラスを置く。
「タンジェか」
名をブルースという。本名なのか偽名なのかは知らないし興味もない。こいつが、ズブの素人のタンジェに、金と引き換えに盗賊技術を叩き込んでくれている男である。
青い髪に無精ヒゲ、いつもぼろ切れを着た痩せ型の男で、ギャンブル好きがたたっていつもスカンピンだ。そのくせ酒好きでいつも飲んだくれている。おまけに冒険に出る勇気のない根性なしだが、技術だけは確かである。
「模擬錠か? この前買ってったばっかだろ」
無精ヒゲををさすったブルースが首を傾げた。模擬錠は、初心者の盗賊役が解錠の訓練に使う鍵の模型だ。一般的な家鍵から複雑なトラップ錠までありとあらゆる鍵種が網羅されている。タンジェはようやく「特によく見かける」といわれる鍵種を半分くらい攻略したところで、まだまだ先は長い。もっとも、まずもって黒曜はタンジェの手に余る鍵が出てくるような依頼は受けないので、今のところは問題ない。もちろん、盗賊役としてパーティにいる以上は、いずれはマスターするつもりである――やらされている盗賊役だとしても、タンジェは負けず嫌いのたちなのだ。
ともあれ、ブルースの言うとおりタンジェは模擬錠は買ったばかりであった。要件はそれではない。
「いや。なんか仕事ねえか? 一日で終わる簡単なやつ」
「ああ? ……お前に任せられるような仕事ねえ……」
だいたいブルースがタンジェに寄越すのは、盗賊ギルドの備蓄の食料を買ってくるとか、ギルド内の掃除とかだ。タンジェは盗賊役としても冒険者としても限りなく素人に近い初心者という段階である。ブルースはタンジェの仕事の遂行能力をまったく信用していなかった。まあ、タンジェからしても、過剰な期待をかけられて手に余る仕事を渡されるよりよほどいい。とはいえ、
「酒も食料も足りてるし、掃除もしたばっか。毒薬の調合はお前にはまだ早いし……今はねえなあ……」
聞けば聞くほど自分の盗賊役としての未熟を痛感し、タンジェは顔を歪めた。「そんな顔されたってしょうがねえだろお」とブルースは唇を尖らせる。おっさんのそんな仕草を見ても気持ち悪いだけだ。仕方なく帰ろうとしたそのとき、
「なんだ、お前、仕事を探しているのか?」
急に声をかけられた。見れば、金髪をなでつけ、同じ色のヒゲをしっかり整えた、恰幅のいい男がいる。初めて見る顔だ。宝石がついたテカテカ光る上等そうな衣服に、金ピカの柄に入った剣を携えている。
「あ? ……誰だ?」
「口の利き方を知らんガキだな。フレンチェカ領には私を知らん者はおらんのだがね。やはりこんな汚い底辺の集まりはいかん」
タンジェは面倒に思い、ブルースを見た。ブルースは肩を竦めている。
「私はナリン伯爵家の嫡子、ピエールである。"宝石眼"を、探しているのだよ」
「宝石眼?」
「だからぁ……ピエールさんとやら。宝石眼はとっくの昔に狩り尽くされて、生き残りはおらんって話ですぜ。ちょっと調べれば分かることでしょう」
ブルースもまた面倒そうに、手元のグラスを撫でながら言った。
「なんだよ、その宝石眼ってのは」
「東の町にごく少数いた民族がもつ、稀少な魔眼だよ。宝石眼の目玉は魔術的価値もあれば金銭的価値も高い」
「その眼はこの世のものとは思えぬほど美しくまばゆく輝く、名の通りの"珠玉"なのだ!」
ピエールはブルースの言葉に鼻息荒く割り込んだ。
「世のコレクターなら、喉から手が出るほど欲しい代物よ。私はその宝石眼をもつ者を、このベルベルントで見たという情報を入手したのだ」
「じゃあその情報提供者に聞けよ」
「聞ければこんな薄汚いところには来ない。その情報提供者は死におったのだ。せめてもっと具体的な情報をよこしてから死ねばいいものを!」
「はあ」
「だから仕方なく、こうして高貴な私が、卑しいやつらに頭を下げて情報収集しているのではないか」
「頭のてっぺん見えてねえけどな」
タンジェ、とブルースに窘められた。「一応、貴族なのはマジっぽいから、下手に出とけって」と、小声で。タンジェは舌打ちする。
幸い、ピエールはタンジェの言葉の意味は分からなかったらしく、
「とにかく、お前、仕事が欲しいなら私を手伝え。宝石眼を探し出すのだ。仕留めるのはもちろん、私がやる。狩りの一番楽しいところだからな」
「断る。よそを当たれ」
間髪入れずタンジェは答えた。ブルースが額を抑える。ピエールはたちまち不機嫌になり、
「なんだ、盗賊ギルドだかなんだか知らんが、情報もなければ肉体労働もせん、とんだ役立たずの集まりではないか」
手が出そうになったところを、慌てて立ち上がったブルースにほとんど羽交い締めにされ止められた。本気で暴れればブルースを振りほどくくらい何てことないが、それをしたら一応円満な師弟関係にヒビが入りかねない。タンジェはおとなしくピエールをぶん殴ることを諦める。
ピエールはしばらくぶつくさ文句を言っていたが、やがて盗賊ギルドを出て行った。
「なんだったんだ」
タンジェがぼやくと、
「お前、あんまヒヤヒヤさせんなよ。ここで揉めたら出禁だぞ」
「……それは困る」
「だろ? ほら、仕事はねえから、今日はもう行け」
言われなくても、今はもう盗賊ギルドに用はない。タンジェは素直に盗賊ギルドを出た。
どうしたものか、夜会に戻って皿洗いでも手伝うか、いやガキじゃあるまいし、などと考えながら通りを行く。盗賊ギルドは路地裏の片隅にひっそりあって、表通りに戻るには複雑な路地を歩かなくてはならない。まだ日も高いのに路地裏は薄暗く、湿っぽい。
路地裏には無法者やトラブルがつきもので、タンジェも初めてここに訪れた際にはチンピラに絡まれたものだ。怪力に任せてぶん投げて以来、囲まれることはなくなったが、相変わらず治安は表よりずっと悪い。
ひと気のない路地の角で、
「だ、誰か助けて……!」
と、女の声が聞こえた。
「……」
日常茶飯事である。無視しようかと思ったが、……仕方ない。タンジェは女子供が嫌いであるから、正義感で助けようというのではない。ただ、放っておいて、事件にでもなったら寝覚めが悪い。
タンジェは声の聞こえた角に向かって足早に近づく。角を曲がった瞬間、視界に女が入った。
だが予想に反して女は一人。暴漢に襲われている様子もなければ、トラブルで怪我をしているということもなさそうだ。女はタンジェの目の前で何か本のようなものを開いていて、
「<万物を戒めよ。闇に沈め。地に伏せよ>!」
「……!?」
瞬間、タンジェの身体がぎしりと軋み、痺れたように力が抜ける。足が立たない。続けて強烈なめまいがきた。たちまちタンジェの身体は崩れ落ち、冷たい石畳の上に転がる。
目も開けていられなくなり、「や……やった……!?」女の声が聞こえたのが最後、タンジェの意識はそこで途切れた。
鏡裡を砕く 2
日は差していて、心地のいい天気だ。空気は秋から冬に切り替わり始めている。まもなく10月が終わろうとしていた。
往来の中には、早くも上着を冬物にしている人もいる。タンジェはまだ比較的薄着のほうだが、秋物では寒い時期はもう近い。
タンジェがベルベルントに来たのは3月のこと。ほとんど最低限の荷物だけを持ってやってきたのと、まだベルベルントで冬を越したことがないので、タンジェは冬服を持ってはいなかった。冒険に耐える防寒具が必要だ。
そんなことを考えながら歩いていたところで、はたと気付く。このメモに書かれたものは、どこで買えばいいものだろうか? 雑貨屋? しかし見たことのない単語ばかりだ。草とか書いてあるから、ハーブ屋だろうか……。いったん、サナギに聞きに戻るべきか。しかしここまで来て戻るのも面倒だ……。
道の端でメモとにらめっこしていると、不意にとんとん、と肩を叩かれた。
「何かお困りですか?」
タンジェは思いきり眉を寄せて振り返った。背の高い、片眼鏡の男が柔和な笑みを浮かべて首を傾げている。
「……ああ?」
「そのメモを見てずいぶん難しい顔をしていたもので。何かお困りだったら、お手伝いできるかもと」
「……」
無視しようかと思ったが、肩まで叩かれているので、気付いていないふりはさすがに無理があった。それに、実際に困ってはいる。
しかしこの男がただ単に親切な人間なのか、あるいはタンジェから金品でも騙し取ろうとしている不審者なのか、迂闊に判断はできない。タンジェは相手の出方を伺うように、ジトリと男を睨む。と、男は、
「あなたは冒険者ではないですか?」
意図を測りかね「だったらどうした」と答えると、
「冒険者宿を探していたんです。依頼を引き受けてもらえるのは大前提として、何日か宿泊したい。それで、話しかけるきっかけに」
「ああ……」
まだ胡散臭くはあるものの、目的が知れれば多少ましである。
「言っとくが、俺の紹介なんかじゃ値引きや特典はねえぞ?」
男は「そんなつもりで言ったわけではないですよ」と言った。客が来ること自体は親父さんにとってはいいことだろう。断る理由も特に思いつかなかった。
「紹介してもいいが……使いを終えてからだ。てめぇ、これがどこで買えるか分かるか」
タンジェはサナギからのお使いメモを見せた。男はメモをさっと見てすぐに、
「いずれもマジックハーブですね。魔法雑貨屋で揃うでしょう」
「魔法雑貨屋……」
まったく心当たりがない。だが、男が、
「この街に来てすぐ、ざっと通りを回りましたが……一本向こうの通りにあるのを見かけましたよ」
「そうか。案内できるか」
「ええ、構いませんよ。ですが、そのお使いが終わったあと……」
「分かった、俺の常宿に案内する」
男はにこりと微笑んで頷いた。
それから男はタンジェを魔法雑貨屋に案内し、メモを見せればすぐマジックハーブは揃った。サナギから受け取っていた金で代金を払い、おつりを受け取る。タンジェは男を伴い、約束どおり星数えの夜会へと向かった。
星数えの夜会に戻り、すぐ、タンジェは親父さんに声をかけて片眼鏡の男を任せた。それからサナギの研究室に向かう。サナギはうずたかく積まれた本の横に座り込み、熱心に何かを読んでいた。
「戻ったぞ、サナギ」
声をかけると、サナギは顔を上げた。
「おかえりタンジェ。ありがとう」
サナギは立ち上がり、入り口に立っていたタンジェのほうへと器用に歩いてくる。さっきまでは動いていなかったいくつかの機器がコポコポと音を立てたり、クルクルと回ったりしていた。
マジックハーブとおつりを渡すと、サナギはマジックハーブだけ受け取り、おつりをタンジェに返した。
「あ?」
「お礼!」
にこりと笑うので、そういうことならばと受け取る。金額にして15Gldほどだったが、あの程度のお使いなら充分すぎるくらいだろう。
サナギはマジックハーブを検品しながら言った。
「ありがとう。助かったよ、タンジェ。結構急ぎだったんだ」
「急ぎ?」
サナギはタンジェの前から離れ、実験器具らしきものの前に行く。検品を終えたものを投入しながら、
「うん。実は、俺がずいぶん昔に作った術が、いくつか盗まれたらしいんだよね」
「……?」
タンジェは首を傾げた。
「ずいぶん昔? 作った術? 盗まれた『らしい』?」
ああ、とサナギは言った。
「最初から説明するね。今の俺のひとつ前の代だから……だいたい60年くらい前のことかな? そのときの俺は……」
「待て、それ本当に最初からになってるか? 前提がよく分からねえんだが……。なんで60年前にお前がいることになってる?」
「そうか、そこからだよね」
実験器具がぐつぐつと煮えたつ。
「俺はホムンクルスなんだよ。俺とそっくり同じ身体がいくつかあって、俺は死の危機に瀕すると次の俺の身体に記憶や意識を移し替えているのさ」
何を言ってるのかよく分からない。
「何を言ってるのかよく分からないって顔だね。まあ、そういうわけだから、今の俺の身体の前の身体……前の代があるんだよ。その身体は結構長生きしたんだけどね、その身体がまだ若い頃の話」
言いたいことはいろいろあったが、割り込んだっていいことはなさそうだ。サナギは相変わらず手元を忙しなく動かしながら、
「その頃の俺はいろいろな術を作るのにハマっていて、たくさん術を作ったんだ。術を作るってのは、要するに……こういう手順でこういうことをすればこういう結果の術になる、っていう設計図を作るみたいなこと。分かる?」
「そりゃまあ、何となく」
頷くと、サナギはニコリと笑った。続ける。
「でも俺も作るだけ作って満足しちゃうタイプでさ。別に作った術のスクロールも要らないし、錬金術連盟に寄贈したんだよね。それが今になって錬金術連盟から盗まれたって報告があったというわけ」
「……なるほどな」
だから、盗まれた『らしい』、か。
「理由も犯人も不明だけど……盗まれたなら悪用されるだろうと思って、今、過去の日記を漁って、当時の記録を確認しながら解除の術式を作ってたんだよ。きみたちにお使いを頼んだのは、それの術式回路の発火に使う材料なんだ」
だいたいの話は分かった。分かったうえで、タンジェは頭を抱えたい思いだったが、
「……まあ、まだ悪用されてるわけじゃねえんだろ? 先に手を打てるならまだマシか」
「その通り! まあ盗まれた術は人を殺せるようなものじゃないけれどね」
「たとえば?」
「<眠りへのいざない>とか。広範囲に催眠を誘発する霧を発生させて生物を眠らせる術だよ」
タンジェは目を瞬いて、首を傾げた。
「普通に冒険にも役立ちそうじゃねえか? なんで寄贈なんかしたんだよ、勿体ねえ」
「うん、味方も自分も寝るからだね」
使えなさすぎる。
「だからこそ、今になって解除術式なんか組み立ててるわけで」
「当時から作っとけよ、そんなもん」
それはもっともだね、とサナギは笑った。
「でも当時の俺はそういうの投げっぱなしでさ。解除術式より新しい別の術式を作るのに時間を使いたかったんだね。だからこうして過去の俺の投げっぱなしを今の俺が引き受けているというわけ」
「……なんつーか、不毛だが……まあ、自分のケツを自分で拭くのは当たり前のことだな」
「手厳しいねえ」
サナギは言葉ほど凹んだ様子はなかった。
会話が終わったらしいと判断し、タンジェがサナギの研究室を辞す。タンジェの背中に、「本当にありがとうね!」と、サナギから改めて礼がかかった。タンジェは片手を軽く挙げるだけで応じ、扉を閉めた。
鏡裡を砕く 1
どん、と大きい音がしたので、タンジェは咄嗟にそちらのほうを見た。
音はサナギが日頃籠もっている半地下の倉庫、通称「研究室」からで、そこには何やら怪しげな実験器具やら大量の本やらが置いてあることを、タンジェだけでなく星数えの夜会のほとんどの者が知っている。
病院みたいな臭いがするので入りたくない部屋だし、そもそも日常、サナギとは関わり合いになりたくないとタンジェは思っている。良識のある人物なのは言動の端々から分かるのだが、普段何をしているのかが具体的に分からないので、胡散臭い。
目の前にあるランチプレートに視線を戻すと、今度は「うわー」というサナギの気の抜けた叫び声と共にバタバタと本が崩れ落ちる音がした。
「タンジェ」
嫌な予感がしたので無視したが、親父さんは容赦なく続けた。
「見てきてやれ」
ツイてない。
タンジェは溜め息をついて、昼食を置いたまま席を立った。
暖炉のついた食堂から奥の廊下に出ると、季節はまだ冬に足をかけたばかりだというのに、空気は底冷えして寒い。半地下にある研究室とは別に、サナギの自室はきちんとあるのだが、サナギはほとんど自室には戻らずここで過ごしているようだ。
「おい」
ノックをして呼んでみる。
「サナギ、でけぇ音したが、無事かよ?」
「あー」
部屋の中から返事があった。
「タンジェ? 来てくれて助かるよ、ちょっと手伝ってくれる?」
「嫌だ。無事ならそれでいい。じゃあな」
「ははは、なかなか人でなしだねぇ! お礼はするから頼むよ」
タンジェは扉の前で無視すべきか少しだけ考えたが、最終的には扉を開けた。
すぐに開けたことを後悔する。
研究室は散らかり放題で、床が見えないほど紙やら本やら得体の知れない何かが入った箱やらが積まれていた。手伝いというのがこれの片付けなら御免被りたいところだ。とうのサナギは姿が見えず、混沌とした研究室の奥の壁際から「おーい」と声だけがする。
「こっちこっち」
よく見ると、山のように積み重なった紙束や本の中からサナギの細腕が出て、手招きしているのが分かった。僅かな床の合間を縫って近づくと、どうやら壁側の本棚からほぼすべての本が落ちたらしかった。その雪崩に巻き込まれたのであろうサナギが、埃だらけの頭をひょっこりと出して、タンジェに笑いかけた。
「探しものをしていてね。古い日記を漁っていたらこのざまさ」
「古い日記ねぇ……」
言っておくが、この本の山からそんなものを探すのに付き合いたくはない。本棚に戻せというならまだしも。
思ったままを言おうとすると、サナギはタンジェの前にメモを差し出した。
「お使いを頼まれてほしいんだよ。これ」
「お使い?」
タンジェは目を瞬かせた。
「古い日記を探してるんだろ?」
「それは俺がやるよ」
「部屋の片付けは?」
「そんなのどうでもいいよ」
どうでもいいのか? タンジェは研究室の惨状を見渡し、まあ確かにこの本の山を放置したところで大して今までと変わらないのだろうと納得した。
「とにかく、ベルベルントの商店街で揃うものだからさ。手が離せないから、買ってきてほしいんだよ。もちろんお金は俺が出すから」
タンジェはしぶしぶメモを受け取る。そしてそのメモのミミズがのたくったような字を見て、思わず顔を歪めた。
「汚え字だな。俺に言われるんだから、相当だぜ」
サナギは几帳面に見えて、部屋といい字といい雑で大雑把なところがあるのだ。そこがまた、タンジェがサナギをうさんくさく思っている部分でもある。
サナギは「読めない?」と首を傾げた。ああ読めねえな、とタンジェがメモを突っ返そうとすると、サナギはそれを手で制し、
「じゃあ、俺が言う単語をメモしてもらおうかな」
「あ?」
「ゴーマ、黒色ペイル草、クコブラッド……」
「おいふざけんな、待て!」
流れるような要求に、タンジェは慌てて自分の服のポケットなどを探ったが、ペンも紙も持ち歩く習慣があるわけがない。断って退室すればいいものを、「ああ、ごめんごめん」とサナギが手渡してきたペンと紙をまんまと受け取ってしまい、タンジェは自分に舌打ちした。
改めてサナギが述べた複数の品物をメモし、間違いがないことをサナギに確認してもらったら、そのまま金を渡された。部屋を出たあとにまるきり使いを了承した形になったことに気付いたが、もはや断るほうが面倒くさい。タンジェはひとまずあたたかい食堂に移動する。出かけるにしても、まずランチプレートを食べてしまってからだ。
「どうだった?」
親父さんがタンジェに気付いて声をかけたので「大丈夫そうだった」と答えた。
「使いを頼まれた」
「そうか、寒いし行ってやれ」
「親父さん、サナギに甘くねえか?」
何とはなしに言うと「サナギはきちんと自室と研究室の部屋代を払ってるからな」と言った。
タンジェは苦い顔になった。今月分の部屋代をまだ払っていない。親父さんは催促しないが、だからといって滞納はできない。どこかで短期バイトでも探すか……あるいは、サナギの使いの「お礼」に期待してもいいものだろうか? 相変わらず、たまに異動のことを考えてはみるのだが、宿代もままならない今では夢のまた夢だ。
一応、言い添えておくが、タンジェの収入が低いだけで、星数えの夜会の宿代は決して高くない。飯も美味いし、狭くも汚くもない、客層も悪くない、と、条件はかなりいい。強いてマイナス点を言うなら、目抜き通りから大きく外れていることくらいだ。歩くことが苦にならないタンジェにとっては深刻な問題ではない。ここ以上の条件を探すと、宿代は倍になるだろう。黒曜との日課の戦闘訓練だって、ここに所属しているからこそできているのだ。
タンジェが異動を考える頻度は明らかに減っていた。もう戦士役じゃなくてもいいんじゃないか――少なくとも、今のところ盗賊役としては、冒険はやれている。
それはリーダーの黒曜がタンジェたちの技術の習熟度を理解し、依頼を的確に選んでいるからに他ならない。ただ、タンジェとしてはゆっくりとした歩みでも技術向上に手応えがある今の環境は悪くなかった。
「どうした? 心配しなくても出て行けなんて言わんよ」
親父さんが急にそう言い出すので、何かと思ったが、宿代の話をされたきり返事をしていない。気遣いをさせてしまったのだろう。
タンジェはあまり社交的なほうではないから、親父さんや娘さんが自身に対してとても友好的なのも見逃せない利点だ。
「部屋代は必ず払う」
「お前さんは真面目だな」
「特別、真面目ってことはないだろ」
宿代を払うなんて当たり前のことだ。
「黒曜だって緑玉だって、パーシィやアノニムだって払ってんだろ?」
親父さんは顎に手を当てて「ふむ」と言った。
「おおむね払ってもらってるが……。アノニムについては受け取ってはいないな」
払っていない、ではなく、受け取っていない? タンジェの訝しげな顔に気付いた親父さんは、
「アノニムは昔、この宿のゴミ漁りをしていたところを、娘が拾ったんだ。それから弟のように面倒をみるもんだから、ワシも愛着が湧いてなあ。まあ、息子みたいなもんだ」
聞けば見世物小屋で戦わされて、働くなんて技術も知識もないってんだ、そんなやつからまで金を取ろうとは思わんよ、と。
「タンジェ、お前さんも生活が厳しければ別に宿代なんざ滞納してもいい。それよりワシは、金ほしさに無茶な依頼を受けようとしないか心配でならんよ」
タンジェは黙って聞いていた。先日のロッグ村での一件で、タンジェはアノニムの経歴をほんの僅か、知るところになった。見世物小屋の奴隷剣闘士――。だがしかし、それに対してどういう感情を抱けばいいのかは分からない。そもそもアノニムが彼自身の過去に対して何を思っているのかを知る由もないのだから、当たり前のことだ。
それはそれとして、タンジェは、
「バイトを探す。今月の宿代はそれから払う」
「まあ、払ってくれるならそりゃありがたいが……」
タンジェはランチプレートをかきこんで、ごちそうさん、と言った。食器は娘さんが下げてくれる。
今から動き出し、すぐに買い物を済ませれば、まだまだ一日時間がある。バイトを探すヒマもあるはずだ。
密やかなる羊たちの聖餐 12
サナギが言うとおりにベルティアの騎士団にも頼れないというのなら、タンジェたちにできることは多くない。
ウワノ、レンヤ、ヤン。この3人以外に麻薬の栽培・加工・売買に関わっていたものがないかは不明だが、サナギはトイメルを始め、この修道院の管理職以上の人々にすべてを伝えると、「処遇はぜひ、修道院全体で話し合いますよう」と言い添え、事務室から立ち去った。
これで黒曜一行はもう、この修道院に用はない。さっさと出て行くことにした。
ほとんど身一つでここに来たタンジェとサナギではあったが、最低限の荷物は持ってきていたし、それは寄宿舎のほうにあったので、取りに戻る。面倒には思ったが、こんな時間だ、静かに行って、荷物を取って、抜け出すだけのこと。
寄宿舎の部屋は静まり返っていて、タンジェはクローゼットから荷物を取り出し、寝間着からここに来るのに着てきた私服に手早く着替え、また黙って部屋を出た。
寄宿舎の棟の岐路でサナギと合流し、修道院の正面玄関に急ぐ。
その途中で、壁に寄りかかっていた1人の修道士に居合わせた。
ドートである。
「……」
追い抜かれたわけではないだろう。たぶん、そもそもタンジェが部屋に荷物を取りに行ったときにも、あの部屋にはいなかったのだ。
「……レンヤが……」
ドートが言った。
「タンジェもだけど……2人とも戻ってこないから、探しに出たんだ。そしたら……」
くしゃりと顔を歪めた。
見たのだろう。あるいはどこかで聞いていた。自分の所属する、神への信仰を謳う尊い施設が、麻薬の栽培から加工、外部への売買までしていたとなれば、ショックは大きいだろう。ましてやレンヤは同室の友人だったのだろうし、ウワノのことも慕っていたかもしれない。
だがさりとてタンジェは、同情することもなかった。こんなことで挫ける信仰なら大したものではないだろう。
「俺はもう行く。世話になったな」
待ってよ、と言って、ドートは1歩だけ踏み出した。だがタンジェもサナギも、修道院の出入り口を容易に跨ぐ。外に出る。
ドートはきっと、そうはいかないだろう。
この門戸を外へとくぐるには、ドートの信仰はきっと、清らかだ。
タンジェとサナギは、すでに外で待機していた黒曜たちと合流する。黒曜一行は闇の中、ベルティア修道院をあとにした。
翌日、依頼人の邸宅に再度訪れた一同は、女にすべてを話した。修道士により長年引き継がれてきたイリーマリーの栽培、加工、売買のこと……。
そして黒曜が黙って手渡した羊皮紙は、ウワノの個室にあったという、麻薬売買の顧客リストそのものだった。
「そういうもん回収するのって、盗賊役の仕事じゃねえのか?」
言われてもいなかったタンジェが思わず問い詰める口調になってしまったら、
「お前にできたか?」
無表情の黒曜がこちらを見もせずそう答えたので、タンジェは口を噤む。確かに、それは……そうだ。
顧客リストの中にクドーシュの名を見つけた女は、大きな息をついた。そんな彼女に、サナギは試験管に入れたイリーマリーもあわせて渡した。
「これがあの場所で栽培されていたイリーマリーだよ。ベルティア修道院で栽培されていたイリーマリーは、いずれ全滅するからね。一応、証拠だ」
女が試験管を受け取る。
「納得、真実、反省、そして然るべき罰……」
女は呟き、そして、
「ありがとうございました」
深く頭を下げた。
報酬を受け取り、貸し倉庫から荷物を回収すると、タンジェたちはベルベルントへ帰った。
その数週間後のことである。あのときの依頼人の女から、星数えの夜会へ一通の手紙が届いた。
『ベルベルント 星数えの夜会
黒曜一行様
皆様におかれましては、お変わりなくご健勝のこととお慶び申し上げます。
あれからわたくしは、ベルティア修道院のイリーマリー麻薬被害者の会を立ち上げ、ベルティア修道院を詰問いたしました。
長く沈黙を保っていたベルティア修道院ですが、つい先日、ようやく、イリーマリー栽培および加工、売買を認めましたわ。
主犯2名レンヤ修道士、ヤン修道士を聖ミゼリカ教から破門し、修道院から追放したとのことです。
けれども無論、忘れてはおりません。皆様の調査報告の末、主犯2名より追放されるべきは、ウワノ修道士であると看破していることを。
イリーマリー麻薬被害者の会は、今後もベルティア修道院で取引されたイリーマリー麻薬を追及していく所存です。
ベルティア修道院は、そして麻薬取引先として顧客リストに名のあったベルティア騎士団は、社会的に厳しい目で見られていくことでしょう。
わたくしは志を同じくする仲間とともに、かの罪に然るべき罰を与えるために、生きてゆくことができそうです。
本当に、ありがとうございました。
皆様の今後のご活躍をお祈り申し上げます。
追伸
ベルティア川に遺体が上がりましたわ。
茶髪の痩せた男性のもの。眼鏡を身に着けたままの男性のもの。紺色の髪のそばかす顔の男性のもの。
着衣がなく、身元は未だ分かりません。
みな一様に、ロザリオを握りしめておりました。』
プロフィール
一次創作小説、
「おやすみヴェルヴェルント」
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※BL要素を含みます※