カンテラテンカ

密やかなる羊たちの聖餐 11

 だがサナギは、イエスともノーとも答えてはいない。ヤンはたぶん、サナギにすっかり誤魔化されていた。
「気を持たせるような言い方するんじゃねえよ」
 余計なお世話だとは思ったが、タンジェは思ったことをサナギに言った。
「あはは!」
 サナギは笑った。タンジェが唐突で⁠言葉少なでも、サナギはその意味を全部理解したらしかった。
「反省の一助になるかなと思ってさ」
「反省?」
「納得、真実、反省、そして然るべき罰。それが依頼でしょ?」
 タンジェは目を瞬かせて、サナギを見た。
 犯罪に納得があるわけがない。犯罪者に反省があるわけがない。あるのは、真実と罰だけだ。タンジェはそう思っている。
 でも確かに、あの依頼人の女は、サナギの言ったままのことをタンジェたちに依頼した。"それが私の望みです”と。
「あの道具たちは、かなり古いものだったよ」
 不意にサナギが言った。
「あ?」
「きっと、何代にも渡って、イリーマリーの栽培と麻薬加工は受け継がれてきたんだ」
 この修道院で。……それはレンヤが言っていたこととも一致した。
「受け継ぐ者をどう選んできたのかは知らないよ。バレた人を口封じに引き込んだのかもしれないし、使徒職がたまたまハーブ園なだけで引き継がざるを得なかったのかもしれない。ウワノからの指名かもね。でも、きっともしかしたら、『何も知らずにいられたかもしれない』んじゃないかな?」
 サナギはちらりとこちらを見た。
「それって、すごく気の毒なことだと思わない?」
「思わねえな」
 タンジェは即答した。
「現状を打破できねえのは、そいつらが弱かったからだろ」
「タンジェらしいね」
 てめぇに俺の何が分かる、と言いたかったが、やめた。サナギと言い争っても碌なことにならない。
「誰もがタンジェみたいに強いわけじゃないよ」
「俺だって……」
 強いわけじゃない、とは、言わなかった。言ったら負ける気がした。自分自身と、サナギの優しさに。
 さて、そろそろかな、とサナギは立ち上がる。
 ジャストタイミングだ。パーシィが戻ってくる。その横には顔色の悪いウワノがいて、レンヤとヤンはその横で小さくなっている。
 パーシィは、ウワノを問い詰めるため、ウワノの個室まで彼を呼び出しにいったのだ。
 サナギとタンジェは現時点で修道院の見習い修道士であるから、ウワノに対して立場が弱い。問い詰めたり、呼び出そうとしても、突っぱねられる可能性がある。それに比べ、パーシィは外部の者であるから、ウワノも声をかけられて断る理由を探しづらいだろうという判断だった。
 実際、ウワノは呼び出されるまま、ここに来ざるを得なかった。
「私に話とは?」
 連れ出された先にタンジェとサナギがいることに気付くと、ウワノは顔を歪めた。しかし平静を装っている。
「イリーマリーの違法栽培をしていますね?」
 単刀直入にサナギが尋ねた。ウワノの視線が、レンヤとヤンに向かったのを見逃さない。すぐに視線をサナギに戻したウワノは、
「事実なのですか?」
 すっとぼけやがって、とタンジェは思った。サナギは、
「あなたは把握していなかったと?」
「まったく存じ上げませんでした」
「な……!」
 レンヤが前のめりになって呻いた。
「人に作業をさせておいて、あなただけ逃げようと言うのですか!」
「そ、そそ、そ、そうです、ひ、ひひ卑怯では?」
 この2人がいる以上、ウワノがすっとぼけ続けるのは無理だ。だがあくまでウワノは忌々しそうに、
「そこの2人が関わっているのですね? その件は、こちらで調査しましょう。情報提供ありがとうございます」
 そして、
「それに……調査後、この件に関しては、後処理のいっさいをこちらが引き受けますので、どうか他言無きよう」
 話は終わりだとばかり、背中を向けるウワノ。サナギはにこりと微笑み、その背にこんな声をかけた。
「この『稼業』は、長くこの修道院に利益をもたらしたことでしょう。ベルティアの騎士団にも取引相手がいますか? 俺たちが駆け込んでも無意味なのでしょうね」
「……」
 ウワノが立ち止まり、振り返る。視線がレンヤとヤンに向き、
「あの2人がそう言ったのですか?」
「いいえ」
「ならば口を噤むことです。沈黙は金ですよ」
「ですが悪を祓うのはたいてい銀のものです」
 よくご存じでしょう、聖職者であるならばとサナギは言ってのけた。
 そのとき、黒曜、緑玉、アノニムが戻ってきた。黒曜の手元には羊皮紙、緑玉とアノニム2人の手元には、空になった空き瓶が各々握られている。
 訝しげに彼ら3人を見るウワノ。黒曜たちはそんなウワノに目も留めず、
「これだろう」
「ありがとう。さすがに仕事が早いなあ」
「パーシィがそいつを連れ出す手際がよかった」
「……?」
 ウワノは訝しげな顔をしている。
「緑玉とアノニムもありがとう」
「……別に。大した仕事じゃない。指示通り、撒いてきただけだし」
 緑玉の言葉に、うん、とサナギは微笑んだ。ウワノはわずかに震えた声で、
「その3人は……どこで何を、してきたのですか?」
「なぜそんなことを気にするんです?」
 サナギが首を傾げる。ウワノは上擦った声で、
「いいから答えなさい!」
「彼ら2人には、栽培されているイリーマリーに除草剤を撒いてもらってきただけですが」
 ごく平然と言ったサナギに、ウワノが目を剥いた。
「意外とそこら辺の材料で、即興で作れるものでしてね。ただ急ごしらえなので、加減はできませんでしたが。イリーマリーは全滅する」
 サナギはウワノの顔を覗き込んで笑顔で言った。
「しかし"あなたには関係ない"ことですね? 今の今までイリーマリーの栽培を知りもしなかったのですから」
 口を開いたり閉じたりしていたウワノは、
「あ、あなたたちは……、何なのですか?」
「冒険者です。違法麻薬の調査を目的に来ました」
「冒険者ふぜいが……、信仰心もなく、そんな浅ましい目的で聖なる修道院の敷地を跨ぐとは! し、神罰がくだりますよ!」
「神罰だぁ?」
 タンジェは思わず口にした。
「そんなものがくだるとしたら、てめぇらにだろ?」
「お黙りなさい! 神意は我らにあります!」
「神意! はは、人間ふぜいが使うのに相応しい言葉ではないな」
 パーシィが思わず、といった様子で破顔した。
「しかし元より矮小な人間の信仰など神の前では無価値だ。あなたごときの悪行、いくらなんでも些末すぎる」
 満面の笑みのまま、
「傲慢で、卑しく、聖ミゼリカ教の基本精神たる清貧をなくしたとて、あなたは神に罰されない! よかったな!」
 ウワノは顔を赤くしたり青くしたりしながら、ぶるぶる震える拳を握り、パーシィのことを睨んだ。
 そんな様子のパーシィとウワノを尻目に、サナギはレンヤとヤンにこう声をかけた。
「恨まないでほしいな。強引なやり方だとは思うし、きみたちに同情の余地はあるかもしれないけど、恐らく騎士団も頼れない現状だからね」
「い、い、依頼。そ、そそ、それは……どんな?」
 ヤンが尋ねる。サナギは答えた。⁠ 
「納得、真実、反省、そして然るべき罰」
「……」
「クドーシュという男性を?」
「……。う、ウワノ修道士からあ、預かった、顧客リストに、そ、その名を、みみ、み、見ました」
「そう」
 サナギはただ短くそう応じ、パーシィを睨むばかりのウワノのことを眺めた。

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密やかなる羊たちの聖餐 10

 レンヤが昏倒したあと、タンジェは廃屋に放置されていたいくつかの庭仕事道具からロープを見つけ出し、レンヤのことを拘束した。
 それからレンヤが気を失っている間に巡礼者の部屋に戻り、パーシィたちを呼んだ。サナギはもう寄宿舎に戻ったとのことで、今、サナギを除く5人でレンヤを取り囲んでいる。
「おい、起きやがれ」
 レンヤの頬をべしべしと叩くと、「う、うーん……?」と呻き声を上げて、目覚めた。
「……はっ! き、貴様ぁ!」
 タンジェの顔を見て慌てて体を起こそうとするレンヤだったが、ロープで縛られていること、5人に取り囲まれていることに気付くとたちまち青くなった。
「こ……殺さないでくれ!」
「殺しはしねぇよ、そこまでは依頼されてねえからな」
 そう言うと、レンヤは、ほっと息をついた。が、一拍遅れて後半の言葉に反応し、
「い、依頼!? 依頼人は……誰なんだ!?」
 パーシィがお上品に足を揃えたまま屈んで、転がるレンヤの顔を覗き込む。
「俺たちは冒険者だから、依頼人のことは話すことができない。守秘義務というやつだよ」
「わけの分からんプライドを……! 貴様ら、グルだったんだな……! 同じ時期に新人と巡礼者、最初から疑うべきだった!」
「そうだな、きみがボンクラで助かったよ」
 パーシィは屈託なく笑った。本人に煽っている自覚はない。人間を見下すのはパーシィの素だ。
「それで、あのイリーマリーを育ててるのは誰かの指示なのかい?」
「……」
 そっぽを向くレンヤ。
「アノニム」
 パーシィが突然、アノニムを呼ぶと、アノニムは先ほどレンヤが振り回していた枝切りバサミを持ってきて、ドン! とレンヤの目の前に突き立てた。
「ヒッ……!」
 レンヤがぶんぶんと首を横に振る。
「こ、殺さないって、さっき……!」
「まずは耳を切り落とすか?」
 レンヤの背後で、まったく感情のない黒曜の声がした。
「指1本からでいいんじゃない」
 続いて、緑玉の声。
「や、や、やめてくれ! こ、こんな拷問のような真似は、人道にもとる……!」
「あのなあ」
 タンジェは呆れて、腕を組んで首を傾げた。
「麻薬を栽培してたんだろ? 先に人道を外れたのはてめぇじゃねえか。売った先の人間が死んでんだぞ」
「さ、栽培しただけだ! 加工は別の奴の仕事だし、売った先のことまで私が知るかっ!」
 おや、とパーシィがさらに身を乗り出した。
「仲間がいるのかい?」
「……」
「アノニム」
「そ、そうだ! 仲間だと思ったことはないが……加工をしているやつがいる!」
 アノニムが枝切りバサミを持ち上げようとするのを見て、泣きそうな顔のレンヤが必死に暴露する。
「誰なんだ?」
 パーシィが尋ねると、
「……ヤンだよ。タンジェリンさんは知っているだろう」
 吐き捨てるように言った。
「サナギと一緒にいたやつか。確か、ハーブ園の使徒職で一緒だとかいう……」
 言ってる内にハッとした。
「サナギがハーブ園で見つけたっていう加工道具は……ヤンのものってことか!」
「そいつは今どこに?」
 黒曜が尋ねるが、「そこまでは知らん」とレンヤは言った。
「寄宿舎の棟も違う、使徒職も違う……そもそも気も合わないのでね! 私は『引き継いだ』から……それに、金になるから……やっているだけのことだ!」
「『引き継いだ』?」
「前任者がいるんだよ……! ヤンだってそうだ。このイリーマリーの栽培は、老いた担当から引き継がれるんだよ」
「やっぱり修道院ぐるみなのかい?」
 特に憤った様子もなく、純粋に不思議そうな顔をしたパーシィが首を傾げる。レンヤは視線を逸らし、
「……ウワノ修道士が取り仕切っている。報酬も彼から受け取る」
「なるほど、いいんじゃないか。あとはウワノを問い詰めれば……」
「いや、その前にサナギだろ。あとヤンも。寄宿舎にいるだろうから、呼んでくる」
 廃屋を出ようとすると、
「待て。俺たちも出る。ここにいても仕方ない」
 黒曜が無理やりレンヤを立たせた。足は縛っていない。よろけたレンヤが「くそ……」と漏らした。
 そういえば、と、タンジェはふと疑問に思ったことを口にした。
「ドートを階段から突き落としたのもてめぇなのか?」
「ああ、そんなこともあったな……」
 レンヤは顔を歪めて、
「この廃屋までついてこようとしたり……仕事の邪魔だったのだよ。もっと大怪我させるつもりだったのだが、思ったより軽症で……」
 タンジェは遮るようにして、もういい、行くぞ、と言った。

 とりあえず先に談話室と寄宿舎を見てきたが、サナギとヤンの2人ともがいないことが分かった。その組み合わせなら、居場所はハーブ園ではないかと察せられる。急ぎ、ハーブ園へと向かうことにした。
 ハーブ園は明かりがついている。タンジェはハーブ園内に飛び込む前にみんなを制止し、盗賊役として、中の様子を伺った。もちろん罠や妖魔なんてものはないだろうが、念のためだ。中には確かにサナギと茶髪の修道士――ヤンがいて、向かい合って何かを話している。
「あ、あ、あの、サナギ、さん」
 ヤンは相変わらず、言葉がつっかえていたが、
「そ、そ、その、初めて見たときから、その、ひ、一目惚れでした!」
 なんか告白していた。予期せぬシーンに居合わせて気まずくなる。ロープに捕まったままのレンヤもさすがにあっけにとられていた。
 ヤンは、気弱な物腰だが変なところで勇気がある男のようだ。とはいえ会ってまだ2日だろとタンジェが呆れる。ついでに「同性愛は聖ミゼリカ教では禁忌だな」と、パーシィが別に聞いてもいない補足をし、「所詮は人間が作った決まりだし、俺は気にしないが……修道院内でとは、なかなかどうして、気骨のある人間だなあ」とのんきな感想を言っている。
「うん、そっかぁ」
 とうのサナギは、別に動じた様子もなく、にこにこ笑っている。
「話を聞いてあげてもいいけど……きみの秘密が先に知りたいな」
「ぼ、ぼぼ、僕のひ、秘密?」
「うん。あれはきみのものだよね?」
 サナギが指さす先に、何があるのかは見えない。だが想像はつく。隠されていた、麻薬の加工道具だろう。ヤンは、赤くなったり青くなったりしたあと、あ、とかう、とか言っていたが、やがて長いため息をついた。
「いつから、し、知ってた? 知ってて、ここに来た?」
「うーん、見つけたのは偶然だけど、そうだね、知っててここに来たよ。あの道具に残った香りは、イリーマリーだね」
 サナギはサナギで、先に追い詰める準備ができていたというわけだ。告白のためにサナギを呼び出したのはヤンかもしれないが、この場所を指定したのはサナギなのかもしれない。
「このハーブ園内にイリーマリーはなかった。別の場所で栽培されてるのを、きみが加工して売っていたね?」
 ヤンが沈黙する。タンジェたちは、そのタイミングでハーブ園に乗り込んでいった。
 ぞろぞろ現れたタンジェたちに驚いたのか、ヤンが目を白黒させる。サナギのほうはとっくにこちらに気付いていたらしい。
「イリーマリーの栽培場所も、栽培人も特定してある。栽培人は捕縛した」
 黒曜が淡々と事実だけを述べた。サナギはおや、と機嫌よく笑う。
「仕事が早いね」
「てめぇこそ」
 タンジェが言うと、「うん」とサナギは頷いた。
「黒曜たちがいられるのが、明日までだったろ? じゃあもう、さっさと決着つけちゃおうかなと」
 結局、黒曜たちはあまり必要なかったかもしれないが、巡礼者の部屋から寄宿舎に戻る途中でレンヤに遭遇したとこを考えると、偶然を重ねる役には立った。
「……に、逃げられない、か」
 ヤンが肩を落とした。レンヤに比べればだいぶ潔い。
「うん」
「ひ、ひとつ聞かせてほしい、サナギさん」
「ん?」
「も、もし俺が、麻薬に関わっていなかったら、お、俺と、付き合ってくれた?」
 この期に及んで何を、とタンジェたちは訝しげな顔をしたが、サナギだけは笑っていた。
「ヤン。きみは植物知識もあり、新人にも優しく丁寧で、気は弱いけれど、俺に告白する度胸もある。確かに、麻薬の加工なんかに手を出してさえいなければ、魅力的な人だね」
 ヤンは、それを聞いて、大きく項垂れた。そして、こう呟いた。
「こんなことに、か、関わるんじゃなかった」

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密やかなる羊たちの聖餐 9

 晩の食事、それから入浴やらを済ませて、ようやくタンジェたちは会話できるタイミングを見つけた。
 黒曜のメモ通りにサナギを連れて巡礼者に用意された部屋へ。こちらは寄宿舎とは違い礼拝堂の近くで、この時間には他にまったく人通りはない。タンジェとサナギはつつがなく巡礼者用の部屋に訪れることができた。
「お疲れさま」
 中に入るとパーシィが茶を用意していた。タンジェとサナギの顔が引きつる。
「……そのお茶は?」
 サナギが震える声で尋ねると、不思議そうな顔のパーシィが、
「先程、修道士の1人が用意してくれたものを淹れたんだが」
「パーシィは注いだだけだね?」
「え? うん」
 タンジェとサナギは胸を撫で下ろした。
「ならいただくよ。そちらもお疲れさま」
 サナギがようやくカップを受け取る。あたたかい茶は、夜にはぐっと冷えるこの時期にはありがたい。
「祈りだ何だで、気が狂いそうだぜ……」
「はは、大袈裟だな」
 茶を飲みながら愚痴ると、パーシィが、
「信仰心が芽生えるかもしれないぞ?」
 タンジェは思いっきり顔をしかめてやった。それを見てひとしきり笑っていたパーシィだったが、不意に真剣な顔になって尋ねる。
「調子はどうだい?」
「ん〜……」
 サナギは曖昧な返事をした。
「もう少し、かな」
「もう少し?」
 一同と一緒に、タンジェもサナギの顔を見た。サナギとの会話の機会も少なく、彼の今日の調査の進捗を聞くのはタンジェも初めてだ。
「今日ハーブ園で、麻薬の精製に使う器具を一通り見つけたんだ。もちろん隠すように置いてあったよ。ただ、誰の持ち物なのかは調査中だ」
「……!」
 これはかなり大きい情報だ。あとはサナギがそれを見張っていれば犯人はいずれやってくる。
「そっか、俺たちはいらなかったかもしれないな」
 パーシィはサナギの調査の成果を喜びながらも、少し寂しそうな顔をした。
「そんなことはないよ、心強いよ」
「うーん、それが、心強く思われるような事態でもないんだ」
 どういうことだとタンジェが尋ねると、パーシィは、
「実は、思ったより獣人への対応がよくなくてね……泊まれて、今日1日ってところかな……」
「マジかよ……!」
 やっぱろくでもねえな、と思わず本音が漏れる。パーシィはまたなんてことないふうに笑うかと思ったが、
「獣人へのあの警戒は、ちょっと普通じゃないな。かなり怪しいと思う」
「あ? どういうこった?」
「獣人は五感が人間より優れているものだろう? 要するに、獣人に長くいられちゃ困る理由があるんじゃないか」
 タンジェは、待てよ、と言った。パーシィの言っていることはおかしくはないのだが、
「てめぇらの受け入れを判断するのは、この修道院でそれなりの決定権を持ってるやつだろ。そいつが獣人を忌避してるなら、つまり……」
 言葉尻から黒曜が引き継いだ。
「修道院の上層部が麻薬取引を黙認している、あるいは指示している……この修道院全体が、麻薬取引の母体になっている可能性もある」
「そりゃあ、可能性はあるだろうが……」
「獣人の巡礼者には厳しいわりに、俺たちが入会を希望したときはあっさりだったね。人間なんかいざとなれば麻薬で何とかなると思われてるのかな?」
 首を傾げるサナギに、軽く身を乗り出したパーシィが、
「食事に麻薬が混入されていたりはしなかったかい?」
 冗談でもなく、ごく普通の様子で尋ねる。応じたのは黒曜で、
「食事にその手の臭いはなかった」
 と。ならば一応、食事は安心して食べてもいいだろう。
 ドートたちもグルの可能性……。一見、迂闊で無害に見える男だが、腹の底で何を考えているかなんてのは分からない、か。
「……警戒するに越したことはねえな」
 結局、そう結論づける。
「ああ」
 それからパーシィとサナギはもう少し話すというので、タンジェは先に寄宿舎に戻ることにした。あまり巡礼者の部屋に長居してもいいことはないだろう。
 寄宿舎への道を途中の地図を見ながらかろうじて進んでいると、T字路で向かって左手から歩いてくる人影が見えた。ひと気のあるところには近付いてきたらしい。人影はレンヤだった。
「やあ、タンジェリンさん」
「おう」
 タンジェは違和感を覚えた。
 レンヤが歩いてきた向かって左手側の廊下……その先には、何がある? ここを右手に曲がれば寄宿舎や談話室があるほうに向かうことは分かっている。なぜこいつはその反対側から歩いてきた?
「何してたんだ?」
 タンジェが尋ねると、
「そちらこそ。礼拝堂で何かしていたのか?」
 一瞬、答えに窮す。寄宿舎とは別の方向から歩いてきた……レンヤにとってはタンジェも同じ立場か。タンジェは「まあな」と適当に返した。
「こんな夜更けに、あまりうろうろするものではないぞ」
 世間一般では、夜更けというほどの時間ではない。だがこの修道院においては、レンヤの言うとおりもう遅い時間だ。
 レンヤは寄宿舎のあるほうへと歩き去る。彼がタンジェの前を横切るその一瞬、レンヤの衣服から、何かの植物らしき匂いが香ったのに気付いた。
「……」
 レンヤの後ろ姿が見えなくなったのを見届けると、タンジェは左手へ足早に向かった。レンヤが来たほうだ。
 長い廊下をなるべく足音を立てずに進んでいくと、途中で扉を見つけた。少し観察し、脳内でなんとか修道院の地図を展開すると、中庭に出る扉かもしれない、と見当が付いた。
 しかもこの位置は、もしかしたらタンジェが今朝方見つけたあのぼうぼうの草が生えていたあたりかもしれない。
 扉を開けようとしたが、鍵がかかっている。
 タンジェは解錠道具を取り出そうとして、それらの類はいっさいを持ち込んでいないことを思い出した。
 だが、手も足も出ないというわけではない。タンジェいつもしているヘアピンを髪から1本抜くと、それを使って解錠を試みた。古い鍵だからだろう、かなり造りは単純で、解錠は容易かった。タンジェはヘアピンを髪に戻し、静かに扉を開ける。
 外の冷たい空気に当たった。
 背の高い雑草が生えている。その奥に、想像通り、今朝入れなかったあの廃屋が見えた。タンジェは草を掻き分けてそちらに向かった。檻にも鍵がかかっていたが、こちらも難なく解錠する。
 廃屋に侵入した。暗かったが天井が崩れているため月明かりで視界は確保できた。
「これは……!」
 廃屋の奥に、花が咲いている。花からは甘い香りがして、それはレンヤの衣服から香ったのと同じものだった。
 タンジェは植物に特別詳しいわけではない。だがサナギがここに来る前、いくつか見当を付けていた麻薬があったはずだ。絵を見せてくれたその中に、確かにこの花があった。確か名前は――。
「イリーマリー」
 背後から突然声が聞こえたと思ったら、パッと視界が明るくなる。振り向くと、備え付けのランプに火を灯したレンヤがこちらを見ていた。
「イリーマリーだよ、それは」
 淡々と言ったあと、
「タンジェリンさん。なぜ寄宿舎に戻らなかった?」
 レンヤは、怒っている様子も、焦っている様子もない。
「……」
 タンジェは沈黙を返した。
「貴様、最初からイリーマリーの調査に来ていたのか?」
「……」
 まあいい、とレンヤは言った。
「どちらにせよ、私に尾行されるようでは、あまり探索の才能はないようだな」
 ぴく、とタンジェの眉が動く。レンヤは鼻で笑って、
「この廃屋はこの修道院の修道士たちは関心を寄せないのでね。麻薬を栽培するのにちょうどよかったわけだ」
 聞いてもいないのにそう語った。
 そしてレンヤは壁に立てかけてあった枝切りバサミを手に取り、
「見つけてしまった貴様は、不幸だが、ここで死んでもらおう。麻薬の肥料になるといい!」
 ぶん、と枝切りバサミを振り回す。
 だが、その攻撃はまるきり、素人丸出しだ。難なく回避し、タンジェは一歩でレンヤに間合いを詰めた。
「探索に向いてねぇって?」
 それから、
「あいにく、こっちの方が得意でな!」
 レンヤの顔面に拳を叩き込んだ。

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密やかなる羊たちの聖餐 8

 翌朝、タンジェはぴったり起床時間4時に目覚めた。この手の調整は得意なのである。
 タンジェは冒険者というのは然るべきときに必要なだけ休息を取るべきだと思っていて、だから夜更かしは好きではないし、する必要もない。サナギはどうやら違う考えのようだが、あいつはきちんと起きただろうか。
「ふぁ……おはよ」
 むにゃむにゃ言いながらドートが起き出す。レンヤとクーシンも続けて起きてきた。今の時期の午前4時はまだ暗く、レンヤはろうそくに火を点ける。
 共同の洗面所に案内され、手早く身支度を整えた。水は冷たく、さっぱりして気持ちがいい。
 部屋に戻ってローブに着替え、それから朝の祈りだ。昨日の晩課と大して内容は変わらなかった。
 それから、朝食との間に少し時間があって、それは確か『聖なる読書』の時間だと聞いていた。礼拝堂からは移動せず、その場で着席して、黙々と聖書を読んでいる。正直かなり苦痛な時間だった。眠くはないのだが、とにかく退屈であくびが出そうだ。
 燭台に灯された火がゆらめく静かな礼拝堂で、視界の先にサナギの後姿を見つけたが、こっくりこっくりと舟を漕いでいる。こちらは正真正銘、眠そうだ。この時間に目が覚めただけでも上等か。
 別にタンジェはサナギとそこまで親しいわけではない。パーティを組んでいるといっても、もうすぐ4か月というところだ。その期間で依頼をこなしてきて、サナギのことは、物知りで頭の回転も早く、有能な参謀だとは思っている。しかしどうも、根本が駄目人間というか……。自堕落とまでは言わないが、健康を犠牲に好奇心を満たすタイプなので、タンジェはサナギのそういうところが好きじゃない。あれだけ言ったのに、どうせサナギは夜更かしをしたに決まっているのだ。 
 礼拝堂には、聖書をめくる音だけが響いている。
 一応、ぱらぱらとめくってはみたのだが、内容はタンジェには理解できそうになかった。サナギに申告したとおり、ペケニヨ村の私塾に通っていた経験があるので共通語の文字の読み書きはできるが、聖書はどうも言い回しが難解だ。
 もっとも、どんなに易しい言葉にされたところで、タンジェには聖書の言葉も、修道士たちが日々何を考えて熱心に祈っているのかも、理解できないだろうが……。

 聖なる読書の時間が終わり、朝食。それから、掃除と洗濯。さらに、朝の祈りとは別にミサとやらがあり、それからやっと午前の使徒職だ。
 ようやく日が姿を見せ始め、明るくなった中庭は、ひんやりした空気が気持ちいい。
 薪割りを指示されたので大人しく従う。薪割りの最中、時折周囲を見回してみるのだが、不審な動きをしているやつはいない。みんな木々の枝を落としたり、畑の野菜を収穫したりと平凡な作業をしている。
 割り終えた薪は中庭にある薪置き場に運ぶ。
 薪置き場を探して中庭をうろうろしていると、草がぼうぼうに生えた一角を見つけた。背の高い雑草の奥に檻のようなもので囲われた、半壊した建物が見える。このベルティア修道院は古く広大だと聞いているのでそんな一角があっても別におかしくはないのだが……薬物になるような危険な植物をこっそり育てるならこういう場所なのではないか?
 タンジェは薪を抱えたまま草をかき分けてその廃墟に近づいた。
 檻に阻まれて廃墟そのものには入れない。檻に鍵がないか探しているうちに気付いたが、廃墟の入り口は反対側にあるようだ。もちろん、檻の入り口もこちら側にはない。
 どうにか入り口側に回り込めないか、さらに進んでいこうとすると、
「タンジェリンさん!」
 背後から声が聞こえた。
「薪置き場はそっちじゃあありませんよ」
 トイメルだ。タンジェは舌打ちした。仕方なくもとの場所に戻る。
「危ないですから、あまりうろうろしてはいけませんよ」
「危ない?」
 タンジェは眉を上げた。
「何が?」
「あなたが向かった方向に、ちょっとした倉庫があるんですが……そこは屋根が崩れていましてね」
 それで誰も立ち入らないように檻で囲っているのです、とトイメルは言った。
「万が一、檻の中にでも入ったら、私の監督不行き届きですから」
 なるほど、タンジェの心配というより、自分の責任になるのが嫌だということだろう。清廉な考えではないが、むしろタンジェは納得した。
 それに考えてみれば、サナギに相談もせずに怪しい場所に潜り込もうとしたのは早計だったかもしれない。
「すみません」
「分かればいいのです。さあ、薪置き場はあちらですよ」
 それからは大人しく使徒職に励んだ。黒曜たちは何時ごろに着くだろうか。

 昨日タンジェたちが紹介されたのと同じく、昼食のタイミングで、本日は巡礼の方がおいでですと黒曜たちが紹介された。
 パーシィ以外はバンダナやフードで獣の耳やツノなんかを一応隠していたが、パーシィの言葉が正しければ獣人の聖ミゼリカ教信仰自体は、珍しくはあるものの排斥されるものでもない。もしバレても大きな問題ではないだろう。
「兄弟たちよ、この出会いに感謝いたします」
 パーシィは委縮した様子もなく、実に堂々としている。笑顔で言って会釈すると、ばらばらと黒曜たちも頭を下げた。受け入れる側の修道士たちも会釈を返す。
 とりあえず向こうも潜入には成功した、と見ていいだろう。
 あいている席に案内されたパーシィたちは大人しく着席し、修道士たちはいつもどおりに食事を始める。
 食事、食休み、午後の使徒職、それから晩課……タンジェとサナギが修道院の日課に拘束され動けない間に、黒曜たちは何か手がかりを掴んだだろうか?
 晩課で礼拝堂に入ると、巡礼者組が後ろのほうで待機していたので、タンジェもさりげなくそれに混ざった。
 静まり返った礼拝堂の中で会話は難しい。会話できるとしたら、寝る前の団らんの時間だ。
 黒曜はタンジェを横目でちらと見て、そっと何か手渡してきた。手紙……、というよりはメモだった。黒曜の几帳面な字で、「夜に巡礼者用の部屋で」と走り書きされていた。場所はよく分からないが、確か構内に地図があると聞いていたので辿り着けるだろう。タンジェは頷いた。
 祈りが始まる。退屈で苦痛の祈りが。
 つい横目で隣の黒曜を見る。静かに目を閉じている。熱心に祈っているな、と思う。
 黒曜が神を信じてるなんて話は聞かない。黒曜が祈るとして、いったい、何に? もっとも、興味はないことだ。

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密やかなる羊たちの聖餐 7

 順番に入浴を終えて団らんの時間になると、タンジェはようやく一息ついた。修道院側から用意された寝間着はローブと同じく修道士全員が同じものである。袖を通して適当に廊下をふらついていると、サナギに出会った。
「お疲れさま」
「ああ……」
「話題になっていたよ。新人は草刈りの達人だってね」
 くすくす笑うサナギ。
「そんな噂話みたいなことをすんのか、ここの修道士も」
「そりゃそうさ。みんな人間なんだから」
 この窮屈な清貧の世界に望んで訪れる人間がこんなに大勢いる……タンジェの理解が及ぶところではないが、それはなんだか、途方もないことのように思えた。だが、ここの修道士の中に、人を死に至らしめる麻薬を取引している外道がいるかもしれない。
 誰が灯したのか、廊下の燭台にあるろうそくの火がゆらめく。廊下は人通りがない。
「何か手がかりはあったか?」
 タンジェが尋ねると、サナギは壁を背に寄りかかって、腕を組んだ。
「使徒職でハーブ園に行ったんだよ」
「ハーブ園?」
「うん。そこではいろんな植物が栽培されていて……その中に確かに中毒を引き起こす植物はあったよ」
「なんだと!」
 タンジェは色めき立った。
「それじゃあ……!」
「いや……結論を出すのはちょっと早計かな。それらの植物は、どれも薬効ハーブとしてベルティア修道院に認可されているものばかりだ。毒性があるだけあって、採取もかなり厳しくチェックされている。引き続きハーブ園は調査するけど……たぶん本命は表にはない。あのハーブ園にある植物は、どれも健全だよ」
「毒性があるのにか?」
「健全な毒性だよ」
「健全な毒性ってなんだよ」
 とにかくさ、とサナギが言う。
「きみは中庭のほうだよね? もしかしたらそっちに麻薬植物が生えてたりするかも」
「見た感じはただの野菜畑だったが……まあ、雑草に見せかけて栽培とか、ありえなくはねえか」
「あはは、だとしたらきみが刈りつくしたわけだけどね」
 ……さすがに、誰にでも刈れるような場所で栽培してるってことはないだろう。が、確かに、雑草の中にはあまり田舎では見ないタイプの草もあった。
 気候の違いとかで、故郷とは違う雑草が生えるんだろうくらいにしか思わなかったが、今後は雑草も注意深く見るべきだろう。
「明日はもう少し気を付けて見てみる。だが、俺には麻薬植物なんざ、見ても分からねえぞ?」
「来るときに挿絵を見せながら説明したじゃないか」
 そういえば、確かに。
「うっすら覚えてんな……」
「あはは、まあいいよ、見るのは植物じゃなくて、人さ。もし使徒職の間にこっそり採取してるなら、絶対動きは不審だ」
「……なるほどな」
 外回りの仕事を選ぶやつは少ないと聞いた。それでもなお畑仕事を選ぶやつは、タンジェのような体力自慢か、田舎で畑仕事を生業としていたか……いろいろ考えられるが、あるいは何かしらの目的があるのかもしれない。
「ちっ、今日の使徒職でよく観察しときゃよかったぜ」
「まだ初日だ、そんなに急くことはないさ。それにもし本当に中庭に麻薬植物があるなら……きみが雑草を刈りつくしたのを見て犯人は焦るだろうし、妙な動きをするかもしれないよ」
「そうか……確かに、そうかもしれねえ」
 タンジェは頷いた。確かに焦るべきはタンジェではない、犯人のほうだ。
 そこまで会話したところで急に人の気配がして、その一瞬後には「おーい!」とドートがタンジェとサナギの会話に割り込んできていた。
 ――聞かれたか? タンジェはひやりとしたが、ドートは特に今までと変わりない様子だった。
「何の話してたの?」
「初日の感想をお互いに語り合ってたんだ」
 サナギが愛想よく笑った。
「タンジェが雑草刈りで噂になっていたし」
「あ! 俺もさっき聞いた。みんな褒めてたよ」
「……」
 いよいよ言われすぎて面倒くさくなってきたところで、ふと閃いてドートに尋ねてみた。
「俺を疎ましく思っているやつはいねえのか?」
「疎ましく? なんで?」
「修道士どもが数日かける仕事を、半日でやっちまったみたいだからよ」
 ここでタンジェの所業を嫌がるやつがいれば、犯人の目星もつきやすいんじゃないかと思ったのだ。タンジェは普段、こういうふうに、相手から情報を引き出そうと意図した言葉選びをすることはまずない。けれど、我ながらなかなか上手い言い方をしたと思う。
「うーん……? 別に、それが嫌って人はいないと思うけど」
 だが、手応えはなし。タンジェはそうかと答えた。すぐに引き下がる。そうなればこの話題は長く続ける必要はない。
 タンジェが話を変えようとする前に、ドートが話題を移した。
「あ、そういえばレンヤ見なかった?」
「レンヤ? 見てねえが……」
「誰?」
「同室のメガネ」
 ドートは首を傾げた。
「さっきまで談話室にいたんだけど見当たらなくてさ」
「便所じゃねえのか」
 それならいいんだけど、とドートは、どこか落ち着かない様子で廊下の奥を見るなどした。
 サナギが、
「そのレンヤって人に何か用なの?」
 と尋ねると、ドートは、うーとかあーとか、しばらく言葉にならない声を上げていたが、急に神妙な顔になってこう言った。
「実はその……心配で」
「心配?」
「夜1人で歩くのは……危ないからさ」
 タンジェは訝しく思った。危ない? そりゃあ、ここが都会の街中だというなら、男だろうが深夜の1人歩きに危険はあるかもしれない。だが、実際はそうではない。ここは人の出入りすら管理された修道院で、中にいるのはみんな神の道を志す修道士なのだ。
 そりゃ、タンジェたちだって麻薬調査に潜入しているのだから、全員が全員、清廉潔白というわけではないのだろうが、ドートにとっては信頼のおける仲間の集まりではないのか。
「何が危ねえんだよ?」
 ドートは挙動不審に視線を彷徨わせたあと、タンジェたちにそっと耳打ちした。
「誰にも言わない?」
「何をだよ」
「これから俺が言うこと……」
「言わない、言わない」
 身を乗り出したサナギが、わくわくといった様子で目を輝かせている。神妙な顔のドートと見比べれば、話を聞く前からそれが不謹慎だということが分かった。が、タンジェが咎めようとする前に、サナギはドートを急かす。
「何かあったの?」
「それが……」
 渋ったわりに、すんなりと口を開くドート。もしかしたらそもそも誰かに言いたかったのかもしれない。
「俺、数日前に階段で突き飛ばされたんだよ……!」
 タンジェとサナギは顔を見合わせた。それからサナギが、
「誰に突き飛ばされたのかは分からないんだね?」
 うん、とドートは頷く。
「でも階段から落ちたときに左腕を変についちゃったみたいで……左腕痛めちゃってさ」
「ああ、それでか。だが……なんで体調不良なんて隠し方をしてんだよ」
 純粋に疑問で尋ねると、ドートは「それがさあ!」と拳を振り上げ熱弁した。
「俺、ウワノ修道士に言ったんだよ? 『誰かに突き飛ばされた』ってさぁ……そしたら『みんなを不安がらせるから、誰にも言ってはいけませんよ』って! ……だから、今日タンジェたちとウワノ修道士に居合わせたとき、すごい困ったんだよ。あの人が隠せって言ったくせに、体調のこと聞いてくるんだもん」
 なるほど、言い方は悪いかもしれないが、修道院側としては、あくまで隠蔽の路線というわけか。
「ふむ……今は巡礼者や、外からの宿泊客はいないんだよね?」
「う、うん……」
「つまり、『きみを突き飛ばした犯人は修道士の中の誰か』」
「!」
 タンジェとドートは同時にサナギを見た。
「そ……それは……外から人は来てないから、そうなっちゃうよね……!? なんで俺、誰に突き飛ばされたんだろ!?」
 声が大きくなるドートに、声がでかいと言うと、ドートは胸の前で手を組んで何度か深呼吸しながら「神よ……!」と言った。
「心当たりはないんだね?」
「ないよ! で、でも、犯人は分からないから……! もしかしたら、悪いやつが隠れてるかもしれないし、だから夜にうろつくのはやめたほうがいいって……」
「それで、レンヤを探してたのか」
 ようやくいろいろと納得がいった。
 理由も動機も分からない加害……。これは手がかりの1つになのだろうか? それともまったく関係のない、修道院内のいざこざか?
 タンジェがサナギに視線を向けると、サナギもこちらを見て小さく肩を竦めた。たぶん「関係があるかはまだ不明だね」ってところか。
「だが、レンヤを探しててめぇが1人になってちゃ元も子もねえ」
「……」
 ドートが目に見えて落ち込む。タンジェはため息をついた。
「仕方ねえ。俺も探してやるから、さっさと行くぞ」
 ぱっと顔を上げたドートが、目を瞬かせたあと、今度はみるみるうちに明るい顔になった。
「タンジェー! ありがとう!」
 ドートがタンジェに向かって両手を広げてハグを求めてきたが、無視した。
「サナギはどうする」
「俺は談話室とやらに行こうかな。2人とも気を付けてね」
「談話室はそこの角を曲がって、しばらく行ったところだよ! さすがに何もないとは思うけど、サナギさんも気を付けて……」
「うん。また明日ね」
 立ち去るサナギを見送る。
 さて、じゃあレンヤを探しに行こうかとドートと2人で廊下を歩き出そうとすると、入れ替わるようにして、とうのレンヤが現れた。
「何をしているんだ? タンジェリンさん、ドート」
「レンヤー!」
 忙しいことに、ドートは今度はレンヤに飛びつきに行った。慣れているのかレンヤは普通に受け入れて、
「なんなんだ、いったい……」
「急にいなくなるから心配したんだよー」
 そうか、とレンヤが言って、「あなたも?」と、タンジェに顔を向けた。
「俺はたまたま居合わせただけだ。もう部屋に戻る」
「待ちたまえ、どうせ同じ部屋なんだから一緒に行こう。道中でなぜ私を探していたのか聞かせてもらう」
 ドートを引きはがしたレンヤが言うので、断る理由もなく、タンジェはドートとレンヤと連れ立って寄宿舎に戻ることにした。
 タンジェとサナギに事情を話したことで隠す気が失せてしまったのか、ドートは自分が何者かに突き飛ばされたこと、犯人が誰か分からないこと、犯人が誰にせよ、1人でうろつくのは危ないことを、身振り手振りを加えながらレンヤに語った。
 タンジェはレンヤのことは何も知らないが、勝手な印象として、まあ加害をしてくる何者かに怯えるタイプではなさそうだ。問題はないだろう。
 レンヤは眼鏡をクイと上げて、なるほどな、と言った。
「そういうことなら、心配してくれてありがとう、と言うべきだろうな」
「そうだよ。レンヤ、どこ行ってたんだよー」
「私たちの部屋のろうそくが切れそうだったので、受け取りに行っていたのだ」
 レンヤが懐から新品のろうそくの束を取り出した。
「気付かなかったよ。ありがとー」
「うむ」
 2人の会話を聞きながら歩いていると、廊下でまたサナギとばったり出会った。といっても、今回は寄宿舎の前で会ったから、たまたま部屋に戻る時間が重なったってだけだろう。
 サナギはタンジェの知らない修道士と一緒にいた。痩せぎすの、茶髪の修道士だ。
「やあタンジェ、よく会うね」
「おう」
 サナギはレンヤのほうを見て、愛想よく笑った。
「きみがレンヤ? 怪我もなく見つかったようでよかったよ」
「あなたは……確か、サナギさんか。昼食のときに紹介されていたな」
 2人は握手している。サナギの横にいた茶髪の修道士が、それをじっと見つめている。
「彼は、俺と使徒職で一緒のヤン」
「あ、あ、や、や、ヤンです……。よ、よ、よ、よろし……」
 ヤンとやらは、何度か言葉に詰まりながら、なんとか自己紹介した。悪いやつではなさそうだし吃音に偏見はないが、ドートとは違う意味で、単純に苦手なタイプだ。
「ああ。それじゃあ、俺はもう寝るからよ。サナギもさっさと寝ろよ」
 タンジェは言って、B棟への入り口へ向かっていった。途中で足を止め振り返り、「……寝ろよ?」ともう一度サナギに念を押すと、サナギはすっとぼけた笑顔で首を傾げている。これ以上言っても無駄だと判断し、立ち去る。ドートが慌てて、「じゃあね!」とサナギとヤンにあいさつして追ってきた。
 タンジェ、ドート、それから少し遅れてレンヤが部屋に戻る。クーシンはすでに中にいて、備え付けの机でクッキーを食べている。
「あ、おかえりー」
「ああ。ろうそく、もらってきたぞ」
「ありがとうー」
 燭台には溶けてなくなりそうなろうそくが立っていた。これを見てレンヤはろうそくを取りに行ったのだろう。
 明日は早い。さっさと寝よう。2段ベッドが2つあって……そこで、タンジェはレンヤたちのほうを振り向いた。
「俺のベッドはどれだ?」
「ああ……」
 昼間にドートが顔を出したベッドでないことは分かるのだが、あと候補が3つある。レンヤは向かって右側のベッドの上を指さした。
「そっちの上が空きベッドだ」
「上か……」
 特に理由はないが、なんとなく下がよかった。まあ仕方がないか。大したことじゃない。
 簡素なはしごを上って、布団に潜り込む。使われていないだろうにも関わらず、きちんと手入れと洗濯がされている。布団は太陽のにおいがした。

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