花通りの戦い 1
パーシィの戦いぶりは圧倒的だった。
その影響は地上で戦っている俺――アノニム――にも明らかだった。押しかけてきていた悪魔は、巨大化した悪魔ですら為す術もなく灰になっていったことにビビって及び腰になっていた。
そうなれば、雑魚でしかない。そもそもさほど強いとも感じない相手だった。また一体、殴り殺す。
俺の周囲には数人の冒険者らしき奴らがいて、俺と同じように悪魔たちを迎え撃っていた。すでに練度の低いやつは怪我で後方に下がっており、今の前線は快適だ。
その最中に、俺は、悪魔の向こう側にようやくここに辿り着いたらしき避難民を見つけた。避難民は全員が女で、建物の影でいつミゼリカ教会に駆け込もうかとタイミングを窺っているようだった。
無視して、他の奴らが気付くのを待ってもよかった。その女たちに、見知った顔がなければ。
「ちっ……!」
俺はいったん前線を離脱し、女たちに向かって走る。こちらを窺うことに夢中の女たちは、その背後に迫る悪魔に気付いていなかった。駆け寄った俺は、女たちに今まさに武器を振りかざしていた悪魔を殴り殺す。
「アノニム!!」
肩を寄せ合って震える女たちは、花通りの娼婦たちだった。
「避難が遅くねえか? 何をやってやがる!」
娼婦たちは俺と顔見知りのやつばかりだ。
「は、花通りがおかしいんだよ! みんな逃げようとしなくて……アルベーヌが残って説得しているんだけど……!」
「あいつも避難してねえのか……!」
俺は舌打ちした。
「アノニム、お願い……!」
「仕方ねえ……! 俺が見に行く、てめぇらは教会の敷地内にいろ!」
娼婦たちを教会に連れて行ってやり、それから俺は花通りへと駆け出す。少なくともパーシィがいる限り教会は安全だ。
花通りに向かう途中にタンジェリンとすれ違った。まだ乾ききっていない青い液体が、やつの斧の刃先から滴っている。ついさっきまで悪魔と交戦していた、という感じだった。今のベルベルントはどこに行っても悪魔との遭遇を回避することはできない。戦闘の際に怪我でもしたのか、悪魔の青い返り血の中にちらほら赤い血が滲んでいる。
「アノニム」
俺のほうからは特に用はなかったが、向こうから声をかけてきた。
「あん?」
「そこら辺の店のもんは自由に使っていいとよ。戦いに役立てる限りな」
「そうか」
「あと北門が手薄で南門は激戦区だ」
「どっちにも用はねえ」
タンジェリンは呆れた顔をしたあと、
「さっき、空が白んだな。ミゼリカ教会は?」
パーシィが巨大化した悪魔に放った光弾の嵐はベルベルント中を照らしただろう。
「悪魔が巨大化したのを見なかったのか?」
「巨大化ぁ?」
見ていないらしい。よくは知らねえが、盗賊役は情報収集が役目の一つだったはずだ。のんきなもんだな。鼻で笑うと、顔を歪ませたタンジェリンは、
「さっきまで悪魔とやりあってたんだ、よそ見してるヒマねえよ!」
と吐き捨てた。
「とにかく、ミゼリカ教会は無事なんだな。で、てめぇはどこに行くんだ?」
答えようとしたところで、物陰から不意の一撃があった。
槍だ。狙いは俺だったが、難なく回避する。悪魔が5体躍り出てくる。二撃目の槍撃は棍棒で殴り飛ばすように弾いた。
「チッ……くだらねぇ話で時間食ったぜ。とんだ足止めだ」
文句を言うと、
「急いでんだな? ここは俺が引き受ける、てめぇは先に――」
出やがった。わけの分からん自己犠牲だ。俺がタンジェリンを睨むと、やつは「な、なんだよ」と狼狽する。
「こんな雑魚に手間取ると思うか?」
「じゃあ文句言ってんじゃねーよ!」
囲まれた俺たちはその気はなくとも自然に背中合わせになり、得物を構える。踏み込み、棍棒を振るのと同時に、背後でタンジェリンも悪魔に斬りかかったのが分かった。
一発殴るだけで悪魔の頭は粉々に砕け散り、青い血が噴き出す。
この低級な悪魔どもは武器の扱いしか知らないようだ。その武器の扱いだってお粗末なもんだ。数は多いが何てことはねえ。
瞬く間に二体目を潰せば、ちょうどタンジェリンもやつにとっての二体目を薙ぎ払ったところだ。残りの悪魔は一体。俺たちは同時に武器を振るい、肘と肘がぶつかった。
「邪魔だ!」
「ああん!?」
俺とタンジェリンが怒鳴り散らすのを悪魔は見逃さない。どちらを先にという逡巡すらなく、悪魔は槍をまっすぐに俺たちに放った。
俺たちは左右に散開してそれをかわす。図らずも挟み撃ちの形になる。俺が左手側から頭を潰すのと、タンジェリンが右手側から胴体を両断するのはほぼ同時。悪魔は血飛沫を上げて倒れた。
「……」
「……」
「今のトドメは俺だ」
「いや俺だろ」
俺とタンジェリンは数秒睨み合ったが、
「……こんなことしてる場合じゃねえ」
「そうだな」
不毛なことだと察してお互いに引いた。
「俺は花通りに行く」
タンジェリンは「花通り」と復唱した。あまりピンときていない顔だった。縁がなさそうだからな。それでも盗賊役がベルベルントを把握してねえのはどうなんだ?
だがそれを言えばまた言い合いになるだろう。時間もねえし面倒だ。
「じゃあな」
「ああ、気を付けろよ」
誰に言ってやがる。気を付けるのはてめぇのほうだ、死にたがりが。
聖ミゼリカ教会の戦い 3
翼に絡んだ鎖が粉々に砕け散る。飛び方はよく知っている。この地上から飛び立つのは初めてだけれど、不安なんてものは一切なかった。
聖歌を背に受けて飛び立ち、空中を旋回する。突如現れた天使の姿に悪魔たちの動揺が広がるのが分かる。だが、俺の穢れた翼を見れば、俺が純粋な天使でないことはすぐに知れるだろう。
「堕天使か」
案の定、中級悪魔が嘲笑する。
「堕天使の誹りは甘んじて受け入れよう。事実なのだし」
「敢えて言う。市民を一カ所に集めるのは愚行だったな。まとめて我々に殺られるだけだ」
中級悪魔が闇色の衝撃弾を人々に放つ。光弾で相殺する。それを区切りに複数の悪魔が次々とミゼリカ教会とその広場にいる人々に攻撃を放つ。
「<プロテクション>!」
不可視の壁がミゼリカ教会とその周囲を一瞬包み込み、すべての攻撃を弾き飛ばす。ミゼリカ教会を中心に滑空しながら、すれ違う悪魔をメイスで殴り殺していった。複数の悪魔の攻撃が、羽根や身体を突き貫こうと迫る。何発か羽根に食らい、砂のような光が零れる。天使の攻撃が悪魔にとって致命傷になるように、悪魔の攻撃は天使にとって致命傷になる。じんじんとした痛みが広がるが、気にしない。あとで治せばいいだろう。
悪魔の表情が、狩る側の余裕のそれから少しずつ変わっていく。
「そっくりそのままお返ししよう」
俺は言って返した。
「集まった市民に群がるのは愚行だったな。まとめて消し炭にされるだけだ」
地上はアノニムがいるから心配していない。空中から見ても地上で悪魔の侵略を許している様子はなかった。血の赤は広がりつつあったが、それよりはるかに青のほうが多い。悪魔の血だ。クエンの護衛もいるし、他にも数人、救助基地と避難所の護りについた冒険者がいるようだ。地上からも空中からも悪魔はミゼリカ教会を攻め落とせはしない。
悪魔の槍をかわしてメイスで頭を割る。一匹、また一匹と悪魔は消滅していく。
「……ちっ!」
一匹ずつでは埒があかないと察した中級悪魔が数匹集まって合体し巨大になっていく。
聖歌が止みそうになる。怯えた人々が身体を寄せて震えている。それでも決して怯まずひときわ響く娘さんの歌声は、空中にいる俺にも届いていた。
人々は娘さんに勇気づけられ、必死に聖歌をうたう。
人々の祈りが、俺にちからを与えてくれる。
戦える。巨大化した悪魔など怖くはない。
もはや自分のエネルギー残量なんて気にする段階ですらなかった。祈りのちからひとつひとつは小さくともその数が膨大である。
俺が普段光弾や治癒の奇跡を使うときに口にする聖句は、少しでも俺のエネルギーの負担を軽くするためのものだ。今の俺には、聖句すら必要ない――
――そう思った瞬間、身体が傾いた。
一瞬、落ちるかと思った。慌てて体勢を立て直す。
人々の聖歌は続いている。何故バランスを崩したのか、何が起きたのか確認すれば、俺の羽根に一つだけ鎖が絡みついている。
外部からの攻撃というわけじゃない。
そうなったタイミングで自覚できた。この鎖は俺の『欲』かもしれないと自分で言ったじゃないか。
鎖が、聖句が必要ないなどという俺の傲慢を戒めたのだ。
この鎖は、罰だ。俺のすべての罪を、欲を、邪悪を戒めるための。反省する。こんなところで落ちたら天使の名折れだ。
俺の様子を見てくつくつと巨大な悪魔が嗤う。
「今さら天使ぶってみても、貴様はこちら側だよ」
悪魔が闇弾を何発か放つ。ご丁寧にそれぞれの闇弾に数秒の時間差を与えている。俺の<プロテクション>が長くは続かないことを知っているのだ。
それでも民衆を狙った一番大きなものを<プロテクション>で弾き、残りの弾は仕方ない、危険な軌道のものは身体で受けた。
「くっ……!」
全身が焼ける痛みはあるが、祈りの力は膨大だ。この程度では死にはしない。相殺したもの以外の闇弾が地上に着弾し、人々の大きな悲鳴が響き渡る。
「罪、欲、邪悪を身に持って天使を名乗るのは無理がある」
先ほどは小規模の闇弾を複数放ったが、今度は巨大なものを一発。俺は民衆と悪魔の間に入り、<プロテクション>と自身の身体で強引に守り切る。<プロテクション>で削り切れなかった悪魔の闇弾が俺の周囲で小さくはじけて、羽根を筆頭に、カソックを突き抜けて俺の肌を爛れさせた。
「……」
――悪魔の言うことは信じるな。
かつて俺がタンジェに伝えた言葉でもある。
悪魔の言葉は正しい。正しいからヒトは騙される。そして今も、俺はやつの言葉が間違っているとは思わない。
「だが、それでも、」
人々の祈りは俺のちからになる。
俺のちからは傷を癒す奇跡になり、
また、邪悪を滅する刃にもなる。
「今の俺は、昔の俺とは違うと、」
聖句を唱える。
「――信じている」
――<セイント・フレア>!
空から降り注ぐ数多の光弾が焼けるように閃いて、ベルベルント中を照らす。まだ日も高いというのに、眩い光は一瞬空を白ませた。
光弾が巨大な悪魔の身体に何十もの穴を開ける。すぐさま穴から焼け爛れ、灰になっていった。
聖歌が徐々に歓声に変わる。
まだ悪魔はたくさんいるけれど、巨大化した悪魔を葬り去ったことは、人々の不安を払拭する役に立ったようだ。
しかし気は抜けない。まだ戦える。俺は焼け爛れた翼で空中を羽ばたきながら、逃げる悪魔、あるいは新たに飛来する悪魔を一匹ずつ潰していく。
――胸を張れるか?
この戦いにおいて人々を守り切ったならば、俺は変われたのだと堂々と言えるか?
神は地にいる俺には応えない。
慈母はすでにこの世にはいない。
けどきっと、アノニムは、みんなは頷いてくれる。
……いや、頷いてはくれないかもしれないな……。
でも別にいいか。
黒曜はいつも通り無口で、タンジェは「そういうところが傲慢なんだよな」と俺を罵り、緑玉は呆れた顔をして、サナギは笑って肩を竦め、そしてアノニムは「昔のお前を知らないから知らん」とか言うんだ。
それを考えるだけで俺は楽しくて、嬉しくてしょうがない。
聖ミゼリカ教会の戦い 2
光弾を連続で放って2匹仕留める。耳障りな音を立てて悪魔が落ちていく。灰になって消えた。
悪魔たちは半分は俺に、もう半分は人々にかかっていく。俺を相手にするよりパニックになった人々を殺すほうが割が良い、と察した比較的賢い奴らは中級と呼べる悪魔ばかりで、叫び逃げ惑おうとする――人の壁があって逃げられるわけはない――非戦闘員に剣や槍を振りかざす。
「<ホーリーライト>!」
それとは別に、目の前には迫り来る悪魔はいたけれども、俺は人々を襲っているほうの悪魔を優先して焼き殺した。眼前にいる悪魔の槍が肩を掠める。悪魔の力が流れ込み、傷が焼けたように熱くなった。
「ここは安全なんじゃないのかよ!」
「死にたくない! 逃がして! どいて!」
「押すんじゃねえ、どこにも逃げられやしねえよ!」
「助けて……! 助けて……!」
ざわめきがあっという間に広まる。泣き喚く人々。これを納める手段は俺にはない。悪魔を焼き殺して安全を確保することでしか、恐怖に陥った人々を守るすべはない。
だが、その恐慌の中で、確かに俺は聴いた。
聖歌だ。
誰かが聖歌をうたっている。
悪魔を前にしてパニックに陥る人々の真っ只中に、悪魔を真っ直ぐに見て聖歌をうたう者がある。
――娘さんだった。
彼女は聖ミゼリカ教徒ではない。だがこのベルベルントの初等教育では誰しもが簡単な聖歌を習う。その一番拙く、簡単で、でも誰もが知る旋律を、彼女はたったひとりで、うたっていた。
聖歌を聞けば悪魔は怯む。祈りのちからが正しい方向に向いていればなおさらだ。俺の目の前の悪魔も明確に動きが鈍って、俺はそいつを消し炭にする。
人々のどよめきは静かになり、やがて、
やがて人々は、娘さんの声に合わせて、いっせいに聖歌をうたい始めた。
俺は確かにそこに、信仰を見た。
悪魔たちが真っ先に聖ミゼリカ教会の尖塔を攻撃したことを、俺は悪魔たちからの聖ミゼリカ教の――ひいては神への宣戦布告と受け取ったが、それはきっと、はじめに人々の心を折るためだった。
だが、ヒトはこんなにも、挫けない。誰か一人でもその心をまっすぐに保っていられたら、その一人に次いで誰しもが前を向ける。
サナギは、祈りは欲で、欲は重さだ、と言った。
それが間違っていると、俺は言い切れない。人々は我欲で神に祈り、祈りが届かなければ簡単に信仰を捨ててしまう。
だが、ここにあって聖歌は、何よりも清く、何よりも美しかった。
この純然たる祈りにおいて、人々に救済をもたらさねば、天使としての名が廃る。
祈りを借りてちからを集中させれば、天輪と羽根は具現化する。
俺の、翼は。
血で濁り、鎖に繋がれ重く、その重さで羽ばたくことすらままならない、穢れたそれだ。
負った天輪は赤黒に錆び付いている。
俺は、堕天使だ。ヒトの肉を喰らって『暴食』の罪により罰を受けたもの。
だが人々の祈りを昇華して聖なる力に換えることを赦されたこの身は、こういう日のためにあったに違いない。
俺は、堕天使パーシィは、神の名において、悪魔を殲滅する。
聖ミゼリカ教会の戦い 1
聖ミゼリカ教会の前は人で溢れてはいたが、それでも医療班の手腕か、比較的整然としていた。即席ではあるが救護用のテントが建てられ、広場にはきちんとシートが敷かれてその上に怪我人がいる。
俺――パーシィ――が先にこちらに様子を見に訪れた際は、本当に酷かった。さっきまで人びとは押し合いへし合いミゼリカ教会の内部に入ろうとしていたし、救護テントもまだなく、怪我人はミゼリカ教会前の広場に転がされていた。
それが短時間でここまで様になったのは、緊急時においても冷静に場を整えた者たちがいたからに違いない。その中に『水槽の白昼夢亭』の医者クエンがいることを俺は知っていた。
俺はここまで護衛してくれたアノニムに礼を言い、親父さんたちにはミゼリカ教会の中で待機するように伝えた。
怪我人たちの間を、医者もミゼリカ教徒も忙しなく往復している。怪我人が呻いたり泣いたりしているのが聞こえてくる。俺は小さな後ろ姿が泣いている子供の腕を治療しているのを見つけた。
「クエン!」
「パーシィ」
クエンは視線だけで俺を見ると、
「来てくれて助かる! 宿への報告はもういいのか?」
「ああ」
先に訪れたこの場所から夜会への報告のために離れたことを、クエンは責めなかった。
「怪我人にはすべてタグを付けている。お前には赤いタグ、次に黄色いタグの怪我人を優先して治療してもらいたい。緑のタグは僕たち医者の応急手当で何とかなるが、 赤と黄色はそうはいかない怪我人だ」
トリアージだ。治療の優先順位を決めるためのタグだという知識があった。これはミゼリカ教徒の発想じゃない。医者たちが始めたのだろう。患者に優先順位を付けるなんてと文句を言い出すミゼリカ教徒もいただろうに、トリアージの実施を押し切った医者側の苦労は計り知れない。それでもこうして改めてここに来た俺がすぐに治療に参加できるのはトリアージのおかげだった。
見る限り、黒のタグ――優先順位が最も低い、即ちもう死んでいる――が見当たらないことは、きっと僥倖なのだろう。ここに来るまでの道端で、もう手遅れの人間は何人か見たけれど。それでも瓦礫に挟まったとか、悪魔の攻撃を受けてしまったとかで、瀕死の人間は何人かはいた。俺はすぐに治療に取りかかる。
★・・・・
死にかけていた老人をなんとか救ってすぐ、親父さんが俺に声をかけてきた。
「パーシィ」
「親父さん! 何かあったのか……!?」
親父さんは首を横に振ったが、
「いや、ミゼリカ教会の中は定員オーバーでな。外で待機することにしたんだよ。それで、ぼうっと突っ立っているのもナンだから、何かワシにも手伝えることがあればと思ってな」
……聖ミゼリカ教会の容量は無限じゃない。ベルベルント中の人々全員が収容できるはずもない。そろそろあぶれてしまう人が出る頃だとは思っていた。
それでも親父さんは別に恐慌状態にはなかったし、それどころかごく冷静だった。たまたま通りかかったクエンが、
「ああ、じゃあ医療班に飲み物でも配ってくれるか?」
と、ミゼリカ教会から出してきたのだろう、水のたっぷり入った水瓶を指差した。親父さんは「そいつは得意技だ」と笑うと、積み重なったグラスにてきぱきと水を汲んでいく。
俺もすぐに次の"赤"を治療しよう、そう思ったとき、嫌な気配が俺の背筋を這った。咄嗟に振り返ると、悪魔が一匹、空からこちらへ向かって滑空してくるところだった。
迷わず迎え撃つ。光弾を放てば悪魔に直撃し、悪魔はぶすぶすと焼け死にながら落下してくる。外で待機していた人々の悲鳴が上がる。死体は灰になり空中で霧散した。
「まあ、ここを見逃してくれるわけはないよな……! スクード!!」
「ああ」
クエンが呼ぶと、背の高い男性が頷いて立ち上がった。彼も護衛を付けてきたわけだ。アノニムを見れば、すでに臨戦態勢だ。地上からの悪魔は任せてもいいだろう。しかしアノニムは空からの攻めに対応できない。
冒険者ではないミゼリカ教徒も多くいる。その中でも戦える俺は悪魔を迎え撃つほうに集中したほうがいいかもしれない。テントから出ている間に、すでに地上では悪魔との交戦が始まり、怯えた人々がパニックになって騒いでいる。
「ぎゃあ!」
「ぐわ……!」
地上で交戦する冒険者たちが何人か悪魔に槍を突き刺されて倒れた。彼らを引き倒すようにして後方に放り、アノニムが前に出て悪魔を殴り殺す。槍はついと回避し、返す棍棒は的確に悪魔の頭をカチ割っている。練度の低い冒険者は攻撃に怯んでしまい、先ほどスクードと呼ばれたクエンの護衛が彼らに怪我人を奥に移動させるよう指示を飛ばしている。
怪我人の鮮血を見れば人々はたちまちパニックになる。それだけじゃない、空中からも10匹は下らない数が来ていた。見る限りほとんどが低級な悪魔だが、非戦闘員のことは赤子の手を捻るように殺せるだろう。
盗賊ギルドの戦い 4
「へっ……殺さねえのか?」
驚いた。脳を思いっきり揺さぶるつもりで蹴ったが、まだ意識があるらしい。その質問に俺が答える前に、
「タンジェ!」
ブルースの声がした。
俺がギャジを警戒したまま視線だけ後ろに向けると、ブルースが盗賊ギルドの入り口から駆け込んできたところだった。てっきり奥で震えているもんかと思っていたので驚く。いつの間にか外に出ていたらしい。
ブルースの後ろには何故かイザベラがいて、倒れ伏した盗賊たちにすぐに駆け寄り、ミゼリカ教の聖句を唱え始めている。ブルースは俺が戦っている間に治癒の奇跡が使えるやつを探しに行っていたようだ。シスター服のイザベラを見れば、確かにミゼリカ教の治癒の奇跡が使えるだろうことは一目瞭然だ。
「ぶ、無事か!?」
「おう」
俺はまだギャジに斧を向けたまま頷いた。斧の先に倒れ伏しているギャジを見たブルースは、
「死んだのか?」
「死んでねえぜェ」
ギャジ本人が答えた。うお、と言ってブルースは俺の後ろに隠れた。
「てめぇは悪魔じゃねえ、獣人だろ?」
俺が尋ねると、ギャジは天井を見たまま「そうだぜェ」と答えた。
「なんで悪魔に加担したんだよ? ベルベルントの住人じゃねえのか?」
「ベルベルントには来たばっかさァ。俺の相棒が悪魔だからよォ、悪魔側に協力するだろ、フツー」
「相棒が、悪魔?」
ラヒズも、かつてのサナギを『友人関係』だと言っていたか。だが、悪魔が言うそれほど信頼できない言葉はないだろう。
「あいつは狩りの仕方も教えてくれたしよォ……」
<天界墜とし>で来た悪魔なら、墜ちてきたのは本当につい最近のはずだ。
「その悪魔ってのは誰なんだ? ラヒズか? ハンプティか?」
「どっちでもねぇなァ。サブリナってやつだよ」
知らない名だ。俺の眉根が寄っているのに気付いたのか、ブルースが、
「こいつの相棒だっていう悪魔が誰だろうとぶちのめす、とか言い出すと思ったがな」
そう言うので、「そりゃそうだ」と答えた。俺なんかが考えたって仕方ない。ただ、とにかくこいつの相棒である悪魔は、少なくとも俺がここに来るまでにブランカたちと殺した奴らとは『格』が違うかもしれない。警戒しておくように黒曜たちにも伝えたいところだ。
「おい待て、行くのか? こいつはこのまま?」
「どうせもう武器もねえんだ、戦えねえよ」
俺が言うと、ギャジのくぐもった笑い声が聞こえてきた。
「俺ァよォ、この戦いの前に人間を何人か殺して喰ってるんだぜ? 言ったろ、狩りの仕方は教わったってよォ」
肝が冷えたのを感じた。
人間を、喰う。そういう妖魔はいる。そもそもオーガだって食人鬼の異名がある。やつらも人を喰う。
そんなことは当然、許されざる悪行だった。
「それでも俺を殺さねえってかァ? お人好しだよなァ! 武器なんざなくてもお前らの喉笛噛み切れるんだぜェ」
ブルースが俺を見る。殺しておけ。目がそう言っている。
「……」
俺は考える。この白い獣人のことを。そのサブリナという悪魔にさえ出会わなければ、こいつは人を喰わずにいられたか?
――いや。そんな仮定に意味はない。
現実として、こいつは喰った、と自分で言っている。俺はカンバラの里で人を喰ったシェイプシフターを殺した。ならばこいつも殺すのが道理だ。どうせ生かしたところで、人の道を外れたこいつが今更人の世に溶け込めるわけもない。
俺は斧を握り直す。
ギャジの頭に向かって振りかぶる。
ギャジは死ぬのなんて怖くないみたいだった。この期に及んでやつは笑っていて、もしかしたらこいつは獣人ではなくて本当に本当は悪魔だったのかもしれないとも思う。
――お前が潔白であることは、お前の誇りだ。
黒曜の言葉が脳裏をよぎる。
俺は斧を頭の上に振りかざしたまま、思う。俺が相手の命を握ったとき、躊躇わず握り潰せるときと、そうできないときの違いは何なのか。
それはきっと、意思の疎通、言葉による交流だった。またそれは、俺がオーガの血を引いてもなお、ヒトであることを明確にする手段の一つでもあった。
だから俺はゴブリンを、悪魔を殺せた――話した相手で言えば、ゴーストは消滅させたが、あれはもう死んでるしな。シェイプシフターの言葉は虚像だと俺は分かっていた――し、逆にこいつも、果ては復讐対象であった叔父も、殺すことができない。
潔白と呼ぶには、それはあまりに幼稚でワガママな言い分だ。俺はきっと、そういうものを殺すことを恐れているだけなのだ。この感情は今後の邪魔になる。殺そう。この気持ちはギャジと一緒に――。
「待ってください」
イザベラが不意に言った。
気付けば周りの盗賊たちの止血はすでに終わっている。
「彼は獣人です。ベルベルントには獣人が多い。今ここで彼を殺すと、それが万が一ほかの獣人に知れたときパニックになります。『悪魔と戦争しているはずなのに、冒険者が獣人を殺した』――そんな話にでもなったら大変なことですよ」
「だがこいつは、人を喰ったと――」
「それを説明する猶予は私たちにはない。『獣人を殺した』というレッテルが貼られる可能性はないに越したことはありません」
「……」
言っていることは、正しいように思える。だが、俺がこいつを殺したくないという心理がそう思わせているかもしれない、ということに、俺は留意しなくちゃならないだろう。都合のいいほうに流されるなんてことは、誰にだって容易くできる。
「悩んでいる時間は多くはありません。ここは私に任せてくれませんか?」
「任せる?」
「彼の処遇を、です」
イザベラは言いながら、斧を振りかぶったままの俺に、手振りで斧を下ろさせた。そして横たわるギャジの傍らに座り込み、微笑みかけたかと思うと、突然ジャギの首元に針のようなものを突き刺した。
「ギャッ」
「え!?」
短い悲鳴を上げたギャジが意識を失う。ギョッとして思わず「な、何だよ今の」と尋ねると、イザベラは不思議そうな顔をして、
「睡眠針です」
「なんでそんなもんシスターが持ってんだよ!」
「盗賊役なら誰しも懐に持っているものかと思いますが」
理解が追い付かず「は?」という声が出る。ブルースが言った。
「シスター・イザベラは午前3時の娯楽亭において、役職を兼任している。聖職者と盗賊役の二つをな」
盗賊役? シスターが!?
さすがにインチキすぎるだろ!! 聖職者ってのはインチキ染みたやつしかいねえのか?
声には出ていなかったはずだが、顔には出ていたらしい。イザベラは笑ってこう言った。
「戦斧を振り回す盗賊役も大概かと思いますよ」
ぐうの音も出ないとはこのことだ。
プロフィール
カテゴリー
最新記事
(01/01)
(08/23)
(08/23)
(08/23)
(08/23)