時計塔の決戦 2
時計塔まで一直線に駆けていく。途中で出会う悪魔との戦闘に焦れる。だが、多少の怪我はあれ致命傷を負うことなく突破できた。
時計塔周りはいやに静かで、内部への入り口がわずかに開いているのが分かる。駆け寄れば、風に煽られた扉はタンジェを誘うように大きく開いた。
「……」
タンジェは内部に入り、吹き抜けになっている巨大ならせん階段を見上げる。上るのは骨だが、この先にいるのがラヒズならその価値も、意味もある。
黙々と階段を上っていく。
数分ほど上り続けた。ようやくたどり着いた頂上では巨大な歯車がゆっくりと回り、刻一刻と時を刻む時計塔の文字盤を動かしている。数メートルはあろうかという文字盤は半透明で、外の景色が少しだけ見える。そこから透けて、傾き始めた日が時計塔の頂上に光を落としていた。
その逆光の中に、ラヒズがいた。
「やあ。きみが来ましたか」
「ラヒズ……!」
タンジェは斧を握りしめた。ここに来るまで階段を上ってきた疲労なんてあっという間に吹き飛ぶ。
「一応言っとく。<天界墜とし>を終わらせろ」
「ふふ。断られると分かっていて提案するとは、健気ですねえ」
「なら、ぶちのめす!」
斧を構えて走り出す。ラヒズのいつもの鎖が虚空から飛び出し、タンジェを拘束しようとする。斧で跳ね飛ばした。数秒駆ければタンジェの間合いだ。
「おや、やりますね」
ちょっとだけ驚いた様子のラヒズが、タンジェの振った斧を、それでも難なく回避する。
「私と出会ったときより練度が上がっている。人間の成長は早いですね。おっと、きみはオーガでしたか」
安い挑発だ。後方から迫る鎖を避け、右手側から絡まろうとする鎖を弾き返し、正面から叩きつけられる鎖を斧で受けた。
踏み込んで横薙ぎにした斧は、ラヒズの目の前に一瞬で集まった鎖の束に阻まれる。金属同士が触れる音がして、タンジェの腕に痺れが走る。押し切れるかもしれない、そう思って鎖をぶち破ろうと斧に力を込めてみたが、アノニムでも破れない鎖だ。今のタンジェでは無理だとすぐに悟る。背後から鎖が迫るのに気付き、仕方なく一旦退いた。
鎖を回避し、あるいは弾きながら、何度かラヒズに攻撃を仕掛けようと試みるものの、やはり自由自在の鎖が鬱陶しい。
何度目かの肉薄、だが不意打ちで足元を蛇のように滑った鎖に気を取られた。鎖がまず一本、利き腕の右手に絡みついてタンジェを引き倒し、それからうつ伏せになったタンジェを何本かの鎖が床に叩き付けた。
「ちっ……!」
鎖から逃れようとしてみるが、抑えつけられた身体は持ち上がりもしなかった。
ラヒズは相変わらず笑っている。
――ここまで来て、このザマかよ……!
恐怖はない。ただひたすらに悔しい。ラヒズが地に這いつくばるタンジェに1歩近付く。殺されるだろう。だがタンジェはラヒズから視線を外さず、真っ向からやつを睨み続けている。
そのときだった。
巨大な文字盤が、青い瞬きを放った。いや、文字盤が発光したのではない。外だ。
明らかに陽光ではない青い光が外を包んでいた。半透明の文字盤を通し、それが時計塔の中に落ちているのだ。
先ほどまで穏やかな西日に包まれていた時計塔の中が、青く染まる。
「送還術式ですか」
光に照らされたラヒズの横顔はやっぱり薄ら笑っていて、そこからは怒りも悲しみも焦りもいっさい伺えない。
「送還術式!? サナギ――成功させたのか!」
「そのようですね。残念です」
ラヒズは肩を竦めた。
「そもそもあの写本をサナギくんに渡したのは、あれを見たらもしかしたら<天界墜とし>を成功させることに興味が向くかと思ってのことなのですよ」
「はっ。アテが外れて残念だったな!」
「ええ。そうですね」
ラヒズは相変わらず余裕の笑顔で、背で手を組んで佇んでいる。
そうか。無事に、やったか。ならばもう、これで終わりだ。
――んなわけあるか!
「あとはてめぇをぶっ倒すだけだ!!」
タンジェは吼えた。
初めてオーガに変じたあのときと同じ、でも決定的に違うことがある。ぐるぐると渦巻く激情は、憎悪や復讐心で燃えているのではない。これは、決着をつけるためのものだ!
その燃え滾る塊に手を伸ばすような感覚。それを掴んだ感触。巡る灼熱の血が身を焼く。
繊維が切れる音。タンジェの身体が膨張して服を破く。何倍も太くなった両腕を、あのときと同じく払えば簡単に鎖は千切れ飛ぶ。オーガ化!
タンジェはほとんど怒鳴るように叫んだ。
「ラヒズ!! 決着をつけようぜ!!」
ラヒズは笑顔で応じた。
「いいでしょう。これで最後にしましょうか」
尋常じゃない量の鎖が、けたたましい音を立てて時計塔を這い回る。次々絡み付く鎖は一本ずつなら難なく千切れる。量が増えて、腕の一振りで払えなくなっても、タンジェは全身に纏わり付いた鎖を引き摺るようにしてラヒズに突進した。前進するタンジェの勢いに負けた鎖が弾けて砕ける。
ラヒズに体当たりし、そのままやつの背後にあった文字盤へ突っ込んだ。
時計塔の文字盤は粉々に砕け散り、タンジェとラヒズは外へ飛び出していた。遥か下方にある地面に叩きつければラヒズだって死ぬだろう。タンジェも一緒に落ちる羽目になるが――まあ、オーガ化しているし、もしかしたら生き延びられるかもしれない。
落下。
この期に及んでワープで逃走なんかさせるものか。タンジェはラヒズを掴んだまま、重力に身を任せて落ちていく。
「きみも死にますよ」
ラヒズは平気な顔で言った。
「はっ。俺はな、ラヒズ。俺の思う最善で死ぬことなんざ、怖くねえんだよ」
てめぇはどうなんだ、と、聞いても仕方のないことを言った。
「私ですか? そうですねえ――」
あれだけ遠かった地面がもう直前だ。
「――最善は尽くしました。なるほど、満足していますよ」
地面に、追突する。
時計塔の決戦 1
戦いはずいぶん長引いていた。
悪魔の数が、減らない。次から次へとやってくる悪魔たちは、ベルベルントを破壊し、冒険者と戦い、殺される。あるいは冒険者や市民を殺すものもいて、被害は広がるばかり。倒壊した建物、火災、死体。そしてまた次にやってきた悪魔が、ベルベルントを破壊し、冒険者と戦い――。
もはや冒険者たちが疲れ果てるまで――すなわち、ベルベルントが陥落するまで――終わりはないようにも思える。だが、この戦争を終わらせる方法がないわけではない。サナギの送還術式の完成を待てば、いずれは。
ベルベルントを回っている間に、サナギが無事に騎士団詰所に到着しているのは聞いていた。うまくすればじきにサナギは送還術式を完成させるはずだ――だが、いつになるか分からない。送還が成功するかも、分からない。
だからタンジェは、そんなものを待つ気はもうなかった。
ラヒズを見つけてぶちのめし、<天界墜とし>を終了させる。
問題は1つだけ。ただ、深刻な問題だ。とうのラヒズの居場所が分からない。
だが朗報は唐突に訪れた。それは本日何回目かの盗賊ギルドを訪れたとき、各所の情報とともにブルースからもたらされた。
「そうだ。ラヒズを見かけたって情報があったぞ」
「なんだと!!」
タンジェは身を乗り出した。
「どこにいるって!?」
「と、時計塔だ。入っていくのを見たってやつがいる」
タンジェの剣幕に押されてブルースが若干引いている。
時計塔――ベルベルントの中央に建つ、聖ミゼリカ教会の尖塔と対をなす巨大建築だ。
「よし! ありがとよ!!」
「お、おい。お前、一人で行くのか?」
すぐさま出ていこうとするタンジェに、ブルースの声がかかる。タンジェは振り向いた。
「当たり前だろ! 時計塔の中なんざ大して広くねえ。複数人で行っても仕方ねえよ」
「……」
ブルースは少し、何を言うか悩んでいる様子だったが、結局口から出たのはありきたりな、
「気をつけろよ」
という言葉だった。タンジェは頷いて、盗賊ギルドを飛び出す。
防衛戦・幕間
建物が倒壊し、焼けている。キッチンなんかの火が回っているのかもしれない。もちろんタンジェが幸いにもまだその身に受ける経験をしていないだけで、悪魔たちが魔法の類で炎を扱っている可能性はある。
あちこちを駆け回り、軽く息が上がっていた。ゆっくりと深い呼吸をする。空気は淀み、建物の焼ける臭いと血の臭いが混ざっていた。呼吸は整ったが、嫌な気持ちになる。
サナギに双子の子供を預けられ、聖ミゼリカ教会に送り届けたのがついさっきのこと。教会上空ではパーシィがほとんど1人で悪魔を迎え撃っており、侵攻の心配こそなさそうだったが――傷ついた冒険者が次々に運び込まれて、医療班は目を回す寸前、という感じだった。
それでも医療現場でタンジェにできることなんかあるわけがない。とにかく黒曜に任されたとおり、タンジェは伝達に注力する。
通りを北上していく最中のことだった。
悪魔が何かを取り囲むようにして集まり、ぎゃいぎゃいと騒いでいるのに出くわした。悪魔たちの足元に赤い血溜まりが見え、やつらが囲んでいるのは人間らしいと知れた。それも怪我だろう、流血している。
騒ぐのに夢中でこちらに気付いていない間に、素早く駆け寄ってまず1体。頭を叩き割ったところで、ようやくほかの悪魔がこちらに気付き、武器を構える。その間にもう1体、胴体を思い切り両断した。
残りは2体、横目で悪魔の取り囲んでいた中心を見れば、血まみれでうずくまる男がいる。さっさと悪魔どもを始末してミゼリカ教会に運ばなければ!
突き出してくる槍はタンジェの肩を掠っただけで、返す斧刃で腹をぶん殴る。最後の1体は血まみれの剣をこちらに向けていたが、じり、と後退ってタンジェの間合いから外れたあと、一目散に逃げ出した。
追いかけようか一瞬迷ったが、今は男をミゼリカ教会に運ぶのが先だ。タンジェは血溜まりでうずくまる男に駆け寄った。
「おい! しっかりしろ、大丈夫か!」
「ひ、ひと、が、いるのか……」
本当に微かな、細い呼吸の中で、男の掠れた声が言う。
背中から刺し貫かれた大きな傷からは、一面を染める血の量が出ていて、なおまだ出血が止まっていない。タンジェは腰に巻いている布を引き千切り傷口に当てたが、それに何の意味もないことはもう分かっていた。
「むすめ、と、逃げ……と、途中で悪魔に……追いつかれ、……むすめは、木箱に……隠し……」
「木箱だな、分かった!」
「むすめ……を……たのむ……」
途切れ途切れの細い呼吸が止まり、そこで男が事切れた。
「……」
この戦いが始まってから、すでにいくつかの死体を見ていた。盗賊ギルドでは目の前でギャジが盗賊を殺害してのけている。見慣れたわけではない。それでもことさら、目の前の1人の人間の死は、じっとりと湿度を持った不快な憤りをタンジェに感じさせた。
「……くそっ!」
この男はあとで必ず埋葬する。だが、今は追悼より優先すべきことがある。木箱に隠したというこいつの娘を探して保護しなければ。
立ち上がり周囲を観察した。タンジェが斃した悪魔たちの青い血のほかに、男の赤い血溜まり。赤い血は点々と通りの北に続いており、男が負傷しながらもここまで逃げてきた――おそらくは木箱に隠した娘から悪魔を遠ざけるため――ことが察せられた。
血の跡を追って数分、通りをさらに北上する。木箱を見かけるたびに手早く確認するが、子供は見つからない。だが、死体も見つからない。
そのうちにうろうろしている悪魔どもに鉢合わせ、交戦になった。数は3体、武器は槍、槍、剣だ。
今までの悪魔の中にも戦闘力に多少の差はあった。こいつら3体はそれなりに技巧派らしく、槍から潰したいタンジェに対し、槍の間合いを正確に把握しておりなかなか近寄らせない。
槍2体に気を取られているうちに剣がいちいち死角から斬りかかってくる。剣を弾いている間に、槍がタンジェを突く。
くそ、鬱陶しいな! 舌打ちするものの、したところでどうなるというのか。
タンジェに特別な技はない。単純に、強引に、斧を相手に叩き込む、これしかない。
仕留めたい順番とは違ったが、タンジェはまず剣から潰すことにする。槍からの多少のダメージは受け入れるしかない。斬撃してから素早く身を引く、いわゆるヒット&アウェイを繰り返していた剣持ち悪魔に強引に追い縋り、一閃。その間に肩と脇腹にそれぞれ槍を喰らったが、無視する。
受けようとした剣ごと悪魔を粉砕する。それからタンジェは脇腹に刺さった槍を掴んで引っこ抜き、強引に自身のほうに引き寄せた。力を入れると脇腹から血が噴き出す。たぶんそこまで深い傷じゃないだろう、あとで傷薬でもぶっ掛けよう。
武器を手放すわけにもいかず、まんまと引きずり込まれた悪魔の頭を割り、残りは槍が1体。あえて槍を喰らい、引かれる前に槍を掴んでやって、同じ方法で潰した。
一面の青い血にタンジェから流れ出た赤い血が混ざる。ひとつ大きく息を吐いた。痛みはあるが、耐えられないほどではない。まだ動ける。
がたん、と何かが音を立てた。
音のほうに視線を移すと、店らしい建物の横に木箱がいくつか積まれている。
「ぱぱ?」
小さな声がする。木箱の1つが揺れて、ほんの少しだけぱかりと蓋が開き、幼い子供の目元が外を覗く。さっきの男の娘だろう。
無事だったようだ。悪魔と交戦しているまさにその場所にいたとは……。
とにかく保護しよう、父親のことはあとで説明する。タンジェは子供と木箱に歩み寄った。
どっ、と衝撃があり、がくんと身体が揺れた。歩みが止まる。腹から刃が突き出ている。背後からの剣。
――不意打ちかよ……!
気付いたときには遅く、容赦なく引き抜かれた刃を追うように血が噴き出したのが分かった。
タンジェの意思とは関係なく、身体が勝手に膝をつく。た、立て……! 戦え!
斧を地面に突き立てて支えにしようとしたが、無駄だった。身体が崩れ落ちる。意識を手放す前に視線を背後に向ければ、剣を持った悪魔がいる。もしかして、の可能性に行き着いた。さっき……取り逃がした1体……、
……。
★・・・・
気が付くと空を見ていた。
背中に固い地面の感触がある。仰向けに横たわっていると知れた。動こうとして力を入れたが、思いのほか身体が重く、上体を起こすのがやっとだった。
「タンジェ」
声がかかる。まだ若干揺れている視界で声の主を捉えれば、派手な金の鎧……、ブランカだった。隣にハツキもいる。
「思ったより早い再会だったな。……大丈夫か?」
「……背後からの不意打ちだ、くそっ!!」
意識を失う直前のことを思い出す。自身の腹に手をやる。グローブは乾いていない血に濡れたし服に穴は空いていたが、傷は少し引きつる感覚がある程度でほとんど痛みはない。塞がっている。
「俺は聖ミゼリカ教徒でな。治癒術の心得があるのだ」
ブランカが言った。
「そうか、……助かった、礼は言っとく」
何故かハツキとブランカは黙った。
「……あ?」
たちまち悪い予感がよぎる。
「……! おい! 木箱に……ガキがいなかったか!?」
そこでようやくタンジェは自分の本来の目的を思い出した。だが、この空気で察せられてしまった。視線を移せば、地面に横たえられた幼い少女がいる。死んでいた。
「……くそ!!」
少女を目の前にして、タンジェが無様に意識を失ったせいだ。
それでも目を逸らすわけにはいかない。この死はタンジェに責任がある。
近づいて見れば、少女は目を閉じ、腹のあたりで丁寧に祈りの形に手を組んでいる。死後、ブランカとハツキがそうさせたことは明らかだった。
少女の胸には大きめの金のロザリオがある。その横に傷が二つ。片方に治癒術の形跡があるのが分かった。ブランカは彼女にも治癒術を試みたに違いない。
だがもう一つの刺突のあとを見て、タンジェは、それが剣でも槍でもない、レイピアのものだと、気付いた。
タンジェの視線がゆっくりとブランカの腰に提げられた得物に向かう。つまりはやつのレイピアへと。
その視線は、言葉より如実に、言いたいことをブランカに伝えたのだろう。
「俺とハツキが駆け付けたときに、まだこの少女は生きていたが――」
ブランカは答えた。
「肺をやられていた。治癒術は試みたが、あれでは助からん。苦しみが続かぬよう、俺が殺した」
少女の小さな身体には合わぬ大振りの金のロザリオが、ブランカのものであっただろうことを、タンジェは何故か、唐突に、理解した。
タンジェが未熟であったこと。不意打ちを喰らったのはタンジェの油断にほかならなかったこと。助けるべき人間が目の前にいてむざむざ昏倒したこと。少女が味わったであろう恐怖と苦痛。そして、その始末をタンジェではなく、ブランカが背負ったこと。
後悔。
後悔だ。
故郷を失くして以来、タンジェを苛む感情はほとんどそれに帰結する。
爆発的で暴力的な怒りはタンジェを復讐に駆り立てる。復讐は怒りで、怒りは後悔だった。
――俺が命を捨てる覚悟で立ち向かったなら、何か変わったんじゃないのか。
――無力だった、だが、俺ができることは本当に何もなかったのか、……。
命を拾ったのが自分で、目の前の人間の命は取りこぼす。ペケニヨ村の壊滅から今まで何をしてきたのか。何一つ変わっていない。
拳を地面に叩き付けた。
意味がない。こんな駄々を捏ねるような行為に、意味は。
怒り、自分自身に対する、と、後悔、それは、拳をどこかに、何かに叩きつけた程度で、易々と晴れていいものなんかじゃない。
立ち上がる。
こうなれば、タンジェは、この後悔に殉じねばならない。
サナギの送還術式に頼り、その完成を待つ? そんなのはもうやめだ。サナギを信用してないわけじゃない。ただ、そんなふうにのんびりしてたら、きっとタンジェはまた後悔する。
内心で黒曜に詫びた。伝達係は放棄する。
タンジェはラヒズを探し出し、決着をつける。
星数えの夜会の戦い 5
黒曜は、サナギとの取り決め通り、緑玉に勝算が見込めない相手が現れた場合の対応を遂行した。
敵対する悪魔の名はサブリナ。身長は目算で195cm、武器のヒールは5cm。黒曜より体格はよいがその割に素早い。
黒曜の役目は緑玉とサナギが無事に騎士団詰所まで逃げる時間を稼ぐことだ。可能であれば勝利する。
「またいいオトコが現れたじゃない! テンション上がっちゃう!」
サブリナの発言。黒曜の視線がついとサブリナを向く。
「名乗りなさいな! 戦いの前には必要よ」
「黒曜」
必要はなかったが、応じた。同時に、青龍刀の横薙ぎ。回避。サブリナの上段蹴り。青龍刀での防御。弾いて、返す刃で突き。これも回避される。
同時に踏み込み、ハイヒールと青龍刀が打ち合う。1撃、2撃、――3撃目で互いに間合いを取り直す。
外からの喧騒と気配。悪魔が数体、星数えの夜会の扉をから侵入してくる。
「アタシたちの戦いの邪魔はさせないわよ。ちょっとどいてて――もらうわね!」
サブリナが突如、攻撃目標を悪魔の群れに変更し、そのうちの1体の頭を蹴り潰す。一騎打ちの維持のため、悪魔の掃討を優先したと判断する。黒曜に攻撃照準を向けた槍持ちの悪魔は、その槍を回避し首をはねて対処した。
ハイヒールが3体目の悪魔の顔面を蹴り抜き消し飛ばす。青龍刀が最後の悪魔の剣を弾いて脳天から両断する。
それからサブリナの攻撃目標は、流れるように悪魔たちから黒曜へ戻る。上段回し蹴りを屈んで回避。
対象の足の切断を目的に青龍刀を捻り込む。素早い回避。掠った。だが痛手ではない。サブリナの足から一筋だけ流血。青い血。
「やるわね!」
サブリナの発言。
「自分の血を見たのなんて何年ぶりかしら。この色だから、見られるとやりづらいのよね」
生きづらい世界だ。あるいは獣人は、ヒトにとって、ヒトより悪魔に近いのかもしれない。
「アンタも生きづらい感じ?」
短く首肯。
「そ。でも今は、関係ないわね」
踏み込みからの素早い蹴り。頭部を狙ったもの。回避して青龍刀を回し斬りする。サブリナの装飾品を一つ持っていった。
サブリナのヒールが頬を掠る。素早い2撃目は腹部に。大きく下がり衝撃を受け流す。浅い。サブリナは一瞬で足を入れ替え、黒曜が下がった分だけ踏み込み、続けて3撃目。ほぼ同じ個所、みぞおちを狙った連続攻撃だ。青龍刀で受け止めて弾く。
浮いた足をそのまま回転させ回し蹴りに変えるサブリナ。振り払ったあとの青龍刀が戻らない位置だ。止むを得ない。右腕を犠牲にする。できる限り綺麗に折れるように位置と角度を調整し、蹴りを受ける。折れた。
だが持っていかれるだけでは済まさない。
素早く戻ろうとする足を両断する目算で斬る。思ったより戻りが早く両断はできなかったが、深い。人体ならば大腿動脈の位置だ。青い血が噴き出す。
悪魔に痛覚はあるだろうか。判断材料はない、不明だ。だが裂傷を負ったほうの足は軸足にはできない。片手でも対応可能と判断する。
攻めるタイミングだ。青龍刀で首元を狙う。サブリナは下がって回避。返す刃で狙うのは再び首。これは屈んで回避。
黒曜の足元を狙う回し蹴り。こちらは最低限の跳躍で回避した。
サブリナの屈んだ体勢は一瞬だ。サブリナが上体を起こしながら半歩下がる。だが、着地した黒曜の踏み込みのほうが僅かに迅い。
切り裂く。――届いた。
サブリナは青い血を噴き出す傷口を抑えて、その場に膝をつく。
「すごく――」
サブリナが笑う。
「――楽しかったわ!」
首をはねる。
落ちた首と身体が靄に包まれて、数秒。靄が晴れれば、そこにはクモが1匹、死んでいる。
ジョロウグモ。
窓が割れ、扉が破られ、ボロボロの星数えの夜会に吹いた風が、ジョロウグモの死体を外へ運んでいく。
転がっていった死体は、二度と戻らなかった。
生きづらい世界だ。
だが、黒曜のような男にも、大事なものはある。
目的達成。緑玉とサナギの無事を確かめに、黒曜は騎士団詰所に向かう。
星数えの夜会の戦い 4
「大丈夫か!?」
緑玉でもサナギでもない、でも聞き慣れた声がした。大通りに駆け込んできたのはタンジェリンだった。交戦回数が少ない緑玉たちに比べ、ベルベルントを駆け回っているタンジェはずいぶん戦闘をこなしているらしく、血と土埃と怪我にまみれている。でも致命傷はないらしい。足取りもしっかりしている。
「ああタンジェ! ちょうどいいところに」
サナギがぱっと顔を輝かせた。
「この子たちを聖ミゼリカ教会に送り届けてくれる?」
「あ? 別に構わねえが……なんでサナギが外に出てる? 夜会が襲われたのか!?」
タンジェリンは緑玉と同じく、サナギと黒曜の囮作戦は聞いていなかったようだ。サナギは逃げてきたことを簡単に説明した。だが黒曜が囮になったことは伏せている。確かに教えたら黒曜を助けに行きかねない。タンジェリンには悪いが、サブリナ相手じゃ黒曜の足手まといだ。
「そうか……逃げてきたのか。それじゃあ、さっさと騎士団詰所に行けよ。てめぇには早いとこ送還術式を書いてもらわねえとな」
「うん。そのつもり。で、この子たちも放っておけないから……」
「分かった」
頷いたタンジェリンが、双子の片割れを背中に担ぎ、無事なほうを先導してさっさと立ち去っていった。あまりタンジェリンの人となりに興味のない緑玉でも、彼が子供嫌いであることは聞き及んでいたが、タンジェリンは文句の一つも言わなかった。あの男は、この緊急事態に、自分の好き嫌いで人命を選別しないのだ。
それで自分を顧みて、緑玉は顔を歪める。
それにしても、タンジェリンは黒曜からの指示でベルベルント中を駆け回っているわけだが……それがたまたま今、このタイミングで通りかかるなんて。
「都合いいな……」
思わず呟くと、
「ふふ、俺も思った。でも、タイミングとか流れってものは、目に見えないけど確かにあるよ。調子のいい考えだと思われるかもしれないけどね」
サナギは当然のような顔で緑玉に手を差し伸べた。
「さあ。俺を詰所まで連れて行ってくれる?」
「……」
必要ないでしょ、と緑玉の口から零れるように声が漏れた。
「サナギ1人だって行けるでしょ? 俺が力不足だから……俺のことを信用してないから、黒曜を囮にして……なんて思いつくんでしょ!?」
サナギは緑玉のことを見つめていて、次の言葉を待っていたみたいだったが、緑玉の言葉なんかこれ以上はない。
じきに、サナギが口を開いた。
「"余計なことを考えているね"」
そして、ごくいつも通り、にっこりと笑った。
「でも、それはきみが生きているという証だね」
緑玉の目がゆっくり見開かれて、
「………その言葉は……。そんな……それじゃあ、あのときの……"せんせい"は……」
あの、緑玉に一時の安らぎをくれた老医者は。
「サナギ・シノニム・C23は、晩年、とある屋敷で医者の真似事をしていたね」
緑玉の人生に"サナギ"は――
「"思い出した"?」
――いた、のか?
「もう、あの頃のきみを助けるには遅いけれど、」
サナギは青い返り血を浴びた緑玉の手を取って、
「今はこうして、きみと手を繋いで走ることができるよ」
「……馬鹿だな……」
緑玉の声は震えていた。
「本当に、遅すぎるよ……」
過去の緑玉は、あの日から、焼けた故郷と屋敷に囚われたままだ。
ひとりぼっちで泣いていて、痛みに震えたままだ。ようやく差し伸べられた手はあまりに遅すぎるのに、でも、こんなにもあたたかい。
サナギがその長い人生の中で負った因果応報は、きっと計り知れない数あって、その中で一番大きな<天界墜とし>が、こうして降りかかってきているけれど。
そうして彼が紡いできたものの中に、あの地獄において緑玉の唯一の安らぎがあった。
恩を返す、というわけじゃない。でも、緑玉は初めて、自分の意志で思った。
俺は弱いかもしれないけれど、頼りないかもしれないけれど、
俺の周りで勝手に何もかも決まっていくこの世界で、それでも俺が何か選べるのならば。
サナギを守ろう。彼がそれを望んでくれる限りは。
プロフィール
一次創作小説、
「おやすみヴェルヴェルント」
の投稿用ブログです。
※BL要素を含みます※