カンテラテンカ

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creepy sleepy 7

 浮遊感があって、目を開けると、今度はずしりと身体が重くなる。覚醒だ。
 黒曜の夢の中から戻ってきた俺は、周囲を見回す。食堂の中で寝ていた人びとがゆっくりと起き始めて、何が起きたのか分からないという顔をしていた。
「……」
 視線を手元に下ろすと星飾りは光を失っていた。
 ごそ、と衣擦れの音がして、黒曜が目覚める。しばらく眠そうに目を細めていて、それが相変わらず猫みたいなので、気が抜ける。あんな壮絶な夢を見ておいて、寝起きの顔がそれだもんな。
 向かいにいた緑玉と翠玉も目を覚まして上体を起こしている。
 何が起きたのかとざわめき始める食堂の奥からサナギがやってきて「やあ、起きたね」と俺たちに告げた。
「……何があった?」
 黒曜が尋ねると「パーシィのほうが詳しいね」と肩を竦める。そういえば悪魔とやらを追ったパーシィは無事だろうか。
 視線に気付き顔を上げると、黒曜がこちらを見ている。最後の告白は聞こえてないだろう。だが言葉にしたことで俺はめちゃくちゃスッキリした。もう筋トレ中に怪我をする羽目になることもなさそうだ。
「パーシィを探してくる」
 立ち上がる。
 それに応えるように、星数えの夜会にパーシィが戻ってきた。タイミングのいい男だ。
「ただいま」
 髪は乱れ少し疲れた顔をしていたが目立った傷もなく健康そうだ。サナギが「おかえり」と言った。
「タンジェはうまくやったよ」
「きみもな、サナギ」
 パーシィは食堂を見渡し、みんなが起き始めているのを見て安心したらしい。少し顔を綻ばせたが、それからみるみるうちに眉が寄り、はぁと大きなため息をついた。
「きみはそうでもないみたいだね」
 サナギが笑う。
「途中までは追えたんだけどな……」
 悪魔のことだろう。
「パーシィ、説明を」
 黒曜の言葉に、ああ、と顔を上げたパーシィは説明を始める。
「ベルベルント中の人びとが眠らされたんだが、これはどうやら、サナギの作った催眠術式を改変した悪魔による邪法で――」
 その横からサナギが二歩だけ俺に近付いて、「なんで使ったの?」と尋ねた。
「あ?」
「なんで黒曜の夢の中に入ったの? というのが正しいかな」
 手に持っている光を失った星飾りを指して、サナギは目を細めた。
「必要あった?」
 俺は肩を竦める。
「別に理由はねえよ、事故みたいなもんだ」
 ただ、と続けた。
「必要はあったな」

【creepy sleepy 了】

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creepy sleepy 6

 知らない場所だった。空っ風の吹く街。見たこともない造りの家が並んでいて、黒曜が突っ立っていた。そして、俺と黒曜の目の前で、獣人が一人死んでいた。
 いや、死んでいた、のではない。殺されていたのだ。人間に。
 人間から振り下ろされたナイフは、肉を傷付けないように急所だけを的確に抉るやり方だった。
 絶命した獣人の顔にナイフが添えられて、ゆっくりと、丁寧に、人間は獣人の瞳を抉り出す。黒曜の種族? ――宝石眼!
「何してやがる!」
 俺が怒鳴りつけても人間はまるで聞こえていないようだ。俺は黒曜を見上げた。
「なんで止めねえ!」
「……」
 冷めた顔の黒曜は、一言呟いた。
「無駄だ」
「無駄なんてことねえだろ!」
 抉り出された目玉を容器に入れてニヤニヤと笑う男に、俺は向かっていった。
 それからぶん殴ってやろうとしたが、俺の拳は男の頭をすり抜けた。
「干渉できないようだ」
 黒曜は淡々と言った。
「だから、そこでぼんやり見守ってんのかよ!?」
 吼える俺に「何をそんなに激昂することがある」と黒曜は告げる。
「できることは、何もないんだ」
「そんなもん――」
 怒鳴りかけたところで、ザ、と世界が乱れて、場面が切り替わるように、違う場所へと視界が移った。
 建物の中らしい。緑の髪の双子と黒い髪の男がいて、これはすぐに緑玉とその姉翠玉、そして黒曜だと知れた。
 黒曜? 俺は黒曜を見上げた。黒曜は腕を組んで、ただただそれを眺めている。
 黒曜の、過去?
「――」
 翠玉が黒曜に何かを告げている。共通語ではない言語らしくまったく意味が読み取れない。緑玉はトンファーを持ったまま入口を見ていて、それから振り返って、翠玉と黒曜に何事か告げた。
 黒曜たちは外の様子を窺い、そのまま、静かに裏口から出て行った――。
「……てめぇの」
 俺の口から声が漏れた。
「てめぇの、過去か?」
 黒曜は答えた。
「そうだ」
「宝石眼が狙われて、故郷が襲撃されたんだな!?」
 黒曜の石の瞳が俺を見る。肯定?
 憐憫、だった。そして、この鉄のような男に、侵略者たちと戦わず「自分たちだけ逃げる」という最低な選択肢があったことに、俺は、それよりもはるかに最低な安堵をした。それがより感情をかき乱して、俺の気持ちはめちゃくちゃになる。
 黒曜を怒鳴りつけようとして、また場面が切り替わる。
 雨の中。どこかの屋敷の前だった。黒衣だというのにそうと分かるほど血まみれの黒曜は、ゆっくりと誰かに歩み寄っている。
 怯える男だ。さっき見た顔だ。獣人の目を抉っていた、あいつだった。
 俺の喉が鳴る。
 ――復讐だ。
 復讐の、場面だ。
 黒曜はゆっくりと青龍刀を振り上げて、まず男の足を奪った。泣き喚き、命乞いをする男。黒曜は耳一つ動かさずに、淡々と、指、腕、耳、鼻と切り落としていき、最後に片目を抉った。抉った目を地面に落とし、静かに踏み潰した黒曜は、満を持して男の頭を叩き割った。
 俺も、夢の中のオーガを、殺した。だが、あんな手斧で怒りに任せて心臓を殴りつけるようなやり方とは違う。それは、本当に、ただただ相手を苦しめるためだけの拷問だった。
 俺は、瞬きもできずにそれを見つめていた。
 雨と血に濡れた黒曜は静かに屋敷の中に入っていく。
 やがて屋敷には火が放たれて、静かに屋敷から出てきた黒曜は、粗末な服を着た緑玉と翠玉を連れていた。さっき逃げるとき、緑玉と翠玉は黒曜と一緒に逃げていたはず。それが何故、離れ離れに?
 混乱する俺の前で、また場面が切り替わる。

 曇り空の下。さっきと同じ街並み。今より幾分か若い黒曜が、傷を負った人間を数人、街に迎え入れている。
 場面が切り替わる。傷を負っていた男たちはすっかり回復して、街を出たようだ。
 場面が切り替わる。人間たちの襲撃。さっきから登場する男もその中にいて、簡単に獣人を殺した。そして、急所だけを的確に抉ったナイフは、死んだ獣人の目を抉り――。

 繰り返している。
 繰り返しているのだ。
 黒曜は、夢の中でこれを、ずっと繰り返しているのだ。
「俺が傷付いた冒険者を街に招き入れたことで」
 と、黒曜は言った。
「俺たちの宝石眼に気付いた冒険者たちは、金に目がくらみ、のちに奴隷商を率いて街を襲撃した」
 淡々と語られるそれは、俺が今見たものとまさに同じで。
「ほとんどが殺されたが、俺は生き延び、」
 感情がないみたいな顔で、黒曜は続ける。
「緑玉と翠玉は、奴隷にされていた」
 俺の呼吸が荒くなる。これは怒りに違いない。きっと悲哀なんかじゃないはずだ。
 俺たちの前で、黒曜たちがまた逃げていく。そして雨の中に切り替わり、黒曜は男を蹂躙して殺す。
「復讐を」
 俺の声は掠れていた。
「したんだな」
「そうだ」
 そして、緑玉と翠玉は助けた、と、黒曜は淡々と言った。
「しかし戻ってこないものは多い」
 当たり前だ。死んだものは戻ってこない。
「さっきから何度も目を抉られている獣人がいるのが分かるか?」
 俺は、数秒黙ってから頷いた。
「俺の親友で、緑玉と翠玉の義兄だ」
 拳を握りしめる。
 何も言えない。
 何を言えばいいか、思い浮かばない。
 気の毒と思うのは簡単だ。怒り狂うのも簡単だ。一笑に付すのだって簡単だろう。でも、どれも間違っている、と思った。
 自らの責で故郷が蹂躙され滅び、愛する人びとが殺され奴隷にされ、自分だけが生き残り――復讐を遂げたとて、黒曜はきっと空っぽなのだ。
 復讐して、それで、本当に、黒曜の人生は「終わった」のだ。
 黒曜は、長いエピローグを生きている。
「俺の……」
 何を言うか決まっていないのに、この期に及んで声が出た。
「俺の考えてることは……たぶん全部間違ってるけどよ……! てめぇが、」
 ただひとつ、ただひとつだった、俺が言いたいのは。
「てめぇがぼんやりこれを見てるのが気に食わねえ!!」
 黒曜は俺のことを、特に感情がない顔で眺めている。俺は、俺ばかりが肩で息をして、馬鹿みたいだなと思った。
「干渉できない。過去は変えられない」
「そうじゃねえよ!!」
 俺は黒曜に掴みかかった。
「起きるんだよ!!」
 胸ぐらを掴んで、だが俺のほうが背が低いので、見上げる形になる。
「てめぇはよ、復讐をやって、全部終わらせたのかもしれねえ。だったらよ、こんなもん見せられて、ムカつくだろうが!!」
 黒曜は俺を見下ろしている。
「タンジェリン」
 静かに俺を呼んだ。
「そこまで分かっているなら、理解できるだろう。現実には、何もない。もう、終わったんだ」
「終わってなんかいねえ!!」
 ほとんど割り込むようにして、俺は叫ぶ。
「こんなフウに、悪意を持って他人を夢に引きずり込むヤツがいる。なら、終わってなんかいねえんだよ!!」
「誰しもに平等に与えられた加害なら、俺個人がそれに対抗する理由がない」
「俺にはあるんだ!!」
 黒曜は傷付いたはずなんだ。そうであってくれ、と思う。だから、悪魔だろうが邪法だろうが、絶対にぶちのめしてやる。
 俺は突き飛ばすように黒曜の胸ぐらを放した。それから、
「黒曜、帰るぞ! 帰るんだよ!!」
 黒曜に手を差し出す。
「……」
 黒曜は、その手をしばらく眺めていて、手を取る気配はなかった。
 俺なんかでは不足なんだろう。それを悲しいとは思わなかったが悔しさは沸いてきた。差し出した手を下ろす。
 ――突如としてぐにゃりと世界が歪んだ。
 黒曜が空を見上げる。
 サナギが術式を完成させたのか。黒曜がこの夢から醒めようとしている。
 歪んだ世界にヒビが入りガシャンと割れて、地面が揺れる。地響きの中でも微動だにしない黒曜。何か言っているようにも見えたが、全然聞こえない。

 強いて言うなら、憧れ、のはずだった。
 でももし黒曜のその冷徹さが、この残酷な経験で培われ、本人の望まざる形で洗練されたものなのだとしたら、それを羨む俺はあまりに浅ましい。
 黒曜の代わりに、黒曜のために怒りたい。悲しんで、悔しさを感じてやりたい。そうしなければ空っぽのこいつは過去のすべてを無機質なものにする。こいつが過去にきっと持っていたはずのすべての感情が、永遠に失われてしまう。
 俺が黒曜に憐憫と同情を覚えたことは否定しない。だが、黒曜は俺の同情なんざ望んでいないし受け取りもしないだろう。俺のほうだって渡す気なんざさらさらない。
 俺が黒曜に、渡したいと思うもの。
 俺の心の中にあるあらゆる感情から憐憫や同情を取っ払って、それで最後に残ったのは、きっと憧れから芽生えた、ほんのちょっとの、恋だった。
 志を同じくした、復讐だけが共感の「仲間」では不足のその気持ちを、俺はすでに知っていたんじゃないのか。

 きっとこの感情は、復讐の邪魔になる。けれど、それに嘘はつきたくない。気持ちを隠すこともしたくない。
「聞こえねえなら好都合だ、黒曜、てめぇに言いたいことがある」
 口の動きが見えたのか、黒曜は俺の顔を見た。
 無かったことにしたくなかった。きっと、最初で最後の感情だから。
「俺はてめぇが好きだ!!」
 恋愛の気持ちかどうか、はっきりしたことは分からない。そういうことに縁のない生き方をしてきた。
 けれどこの感情が『そう』なんじゃないかと考えたとき、それは驚くほどしっくりきた。納得できた。
 どうせ夢で、聞こえないのなら、言葉にしておかなければ、俺は後悔する。
 黒曜の覚醒が近づき崩壊を始める世界で、俺は、この言葉が露と消えても、目覚めた先の現実世界ですべて忘れていても、この気持ちを抱えたまま、きっと生きていけると思った。
 復讐の役には立たないこの感情が。
 たとえ実ることがなかったとしても、尊いものだと、俺だって知っているから。

 瓦解する世界は原形を留めず、崩落する地面から足を踏み外し、俺は現実世界へと落下する。
 抵抗に意味はない。その気もない。こうしていればいずれ目が覚めるだろう――俺も、黒曜も。

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creepy sleepy 5

 熟睡している人々を飛び越えてサナギの研究室に向かう。
 サナギは変わらずぐっすり眠っていた。俺はパーシィから預かった星飾りを見て、それからサナギを見て、また星飾りを見た。
「どうやって使うんだよ……!」
 魔力を流し込んで起動、とかじゃねえだろうな。
 世の中には血液みたいに魔力が身体に流れる人も珍しくないらしい。が、俺はというと、サナギの見立てによればまったく魔力がないそうだ。それはそれで、別に珍しいことじゃない。今までの生活で自分に魔力を感じたこともない。
 俺は星飾りを裏返したり振ったりしてみた。しかし星飾りは沈黙している。どうすりゃいいんだよ、と半ばヤケになり、寝こけるサナギの頬にぺちと軽く叩きつけた。
 突然星飾りのほのかな光が強さを増してまたたく。まぶしい。とっさに目を閉じて、光が収まるころに目を開いた。

 サナギが、眠っている。
 それだけなら何も変わりなくて、俺も困り果てていただろうが――実際はそれだけではなかった。サナギは眠っていたのだが、人数が異常だった。二、三人程度ならまだいい――いや、よくはないが――そこには十数人ものサナギが、床に転がり、壁に寄りかかり、机に突っ伏して眠っていた。
 サナギの夢に入った、ということだろうか。どういう夢だよ……。
「やあタンジェ」
 その中に、たった一人だけ起きているサナギがいて、何かよく分からないガラクタの上に腰かけていた。サナギは俺を見てのんきに声をかけたかと思うと、
「迎えに来てくれたの?」
 と、首を傾けた。
「てめぇに起きてもらわねえと困るからな!」
 俺は吐き捨てるように言って、続ける。
「夢だと分かってて、自分でどうにか起きようって根性ねえのかよ」
 対してサナギは、けらけら笑った。
「きみはきっと、自分でどうにか起きたんだろうね。根性で」
「……」
 その通りなので何も言えなかった。思わず舌打ちする。
 サナギは自分の尻に敷いたガラクタから延びるヒモのようなものを手で弄んだ。少しの沈黙。
「俺でいいのかな、って考えてたんだ」
「あ?」
 サナギは別に、深く悩んでいるようでも、悲しそうでもなかったが、かといって明るい感じでもなかった。意図を図りかねる。
 周囲の眠り続けるサナギたちを見回したサナギは、
「見れば分かるとおり、サナギはたくさんいて、その中で俺だけこうして意識があるけど……」
 そう言って、肩を竦めた。
「もしかして、『今の代』のサナギは『俺』じゃないのかもしれない」
「わけわかんねえ」
 そういう哲学的なことは苦手だし、サナギの考えることを理解しようとも思わない。
「どのサナギが今の代だろうと、今意識があるてめぇが『サナギ』でいいだろ」
 ぱちぱち、と目を瞬かせたサナギが、俺を見て笑う。
「タンジェってすごいよなあ」
「はあ?」
「まっすぐというか……単純というか」
「悪口かよ?」
「まさか! 褒めてるよ。これ以上ないくらいにさ」
 さて、と言って、サナギががらくたから降りて、ぽんぽんと尻の埃を払った。それから、
「それじゃ、行こっか。現実にさ」
「おう」
 俺はサナギの正面に立って、サナギの両肩を両手それぞれで掴んだ。
「なんで俺の両肩を掴むのかな」
「目ェ覚ますんだろ。歯ぁ食いしばりやがれ」
「本気で言ってる?」
 何か言っていたが無視して、思いっきり頭を振りかぶる。
「待って待って、痛いのはヤなん……へぶっ!!」
 額をサナギの額に叩きつけた。

 もちろん夢の中のことなので、俺の額は割れてもいないし痛みもしない。それでも何となく違和を感じて額を撫でるが、こぶにもなっていない。
 目の前のサナギも、上体を起こして俺と同じように額を撫でている。
「頭突きはひどいよ」
 そうは思わない。俺自身も起きられるよう、どちらにも衝撃がある方法をとっただけだ。
「まあ、結果として起きられたから、いいか。ありがとう」
 返事の代わりに、俺はひらひらと手を振った。別に照れてるわけじゃない。そもそも俺の手柄じゃない、パーシィの手柄だ。
「それで……何が起きてるの?」
「俺にもよく分からねえが……」
 そう前置きして、ベルベルント中のほとんどの人が眠ってしまっていること、パーシィが言うにはたぶん、サナギの盗まれた術式が悪魔に改変され邪法と化したらしいこと、だからパーシィや一部の聖別されたものを身に着けた人が無事だということを説明した。
「それでパーシィは、このロザリオの神聖力を拡散する術式をテメェに書けとさ」
 俺はサナギに、パーシィから託されたロザリオを手渡した。
 サナギは何度か軽く頷いて、「なるほどね」と言った。
「悪魔による改変か……。さすがにそこまでは予想してなかったな」
「パーシィは犯人の悪魔を探しに行ったぜ」
「そっか。それじゃあ、そっちは任せよう。幸い、力の拡散については、古い日記を漁っているときに見かけたばかりだ。ほどなくできると思うよ」
「そうかよ……」
「少し待っていて。その間、タンジェは……自由にしていていいよ」
 サナギは立ち上がると、すぐさま机に向かった。
 俺は手元近くに落ちた星飾りを見る。まだ淡く光を放つそれは、確かあと一回使えるはずだが……使うアテはない。拾い上げて、サナギの邪魔にならないように研究室を出た。
 静まり返った星数えの夜会の食堂で俺は術式の完成を待つことにする。
 筋トレでもしようか、だとすれば自室のほうがいいか……考えながら食堂を見回すと、黒曜が目に入る。足が動いて、黒曜の横に。無防備に眠る黒曜の横顔……を、眺める自分に呆れた。何をしてるんだ、俺は?
 すぐに離れようと思ったが、その前に黒曜の前髪に何か、糸くずのようなものがついているのが見えた。ほとんど無意識にそれを払おうとして黒曜の前髪に触れていた。
 その瞬間、左手に持っていた星飾りが輝きだす。
「あ――?」
 マジックアイテムが発動した、と理解したときにはすでに、俺は星数えの夜会から離れて、黒曜の夢の中にいた。

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creepy sleepy 4

 今度は聖ミゼリカ教会に走っていく。ベルベルントの街中を走り抜けるくらいわけないが、徐々に日が落ちかけているのが気にかかった。点灯夫も寝ているなら、街灯にも火が入らず暗いままだろう。動きにくくなる。
 ミゼリカ教会にはほどなく到着した。中から少しのざわめきが聞こえる。教会の扉を開けると、シスターや修道士が数人、戸惑った様子で何か話し合っている。その中にパーシィもいた。
「タンジェ!」
 扉が開いたのに気付いてすぐパーシィは俺に駆け寄ってきた。
「パーシィ」
 マジで無事だったのか。ブルースの言っていたことは本当なのか?
「タンジェ、よく無事だったな!?」
「一回は寝たが……無理やり起きた」
 ブルースに言ったのと同じことを言うと「すごく助かるよ」とパーシィは頷いた。
「助かる? どういうことだ? 何か知ってるのか?」
 俺の質問に、パーシィはちら、と背後で話し合いを続ける修道士たちを見やったあと、俺に耳打ちした。
「悪魔の仕業だよ」
「はあ?」
 思わずデカい声が出た。パーシィは気にせず続ける。
「元とはいえ俺は天使だから分かる」
「それじゃあ……盗まれたサナギの術式じゃねえのか?」
「サナギの術式?」
「<眠りへのいざない>とかいう、生物を眠らせる術が盗まれたって言ってたんだ。使った本人も寝ちまうとかいう話だったが……」
「ああ、どおりで悪魔の気配の底に無機質な力を感じたよ。たぶん、ベースがそれなんだろうな」
「どういうことだ?」
 俺が尋ねると、パーシィは少し考えるようにして、
「たぶんだが、サナギの術式に悪魔が手を加えたんだろう。使い手まで寝てしまう欠陥まで直しているかまでは分からないが、だから俺には、術は効かない」
 なるほど。悪魔なんてものにお目にかかったことはないが、教科書に載っているような悪魔が犯人なのだとすれば納得がいった。サナギは例の術式について悪夢を見せるものだとは言っていなかった。あの悪趣味すぎる悪夢を見せるよう手を加えたのは、悪魔、か。
「しかし、他にも無事な奴らが数人いるぞ?」
 パーシィに合わせて小声で尋ねると、
「たぶん、きちんとした聖別を受けた何かしらを身につけてる。本来はただの眠りの術でしかなかったものが、悪魔が手を加えたことで邪法になり果てたんだろう。それしか考えられない。きみはかなりイレギュラーだ」
 真剣な表情のパーシィにはかなり説得力があって、俺は、そうかよ、しか言えなくなる。ブルースのロザリオ(盗品)、ちゃんとした聖別を受けてるのかよ……どこから盗んだんだ。師ではあるが、俺はブルースの人間性は慕っていない。手癖の悪さに呆れる。
「タンジェ、頼みがあるんだ。俺はこれから元凶の悪魔を探す。その間、サナギに神聖力の効果範囲をベルベルント全体に広げる術式を書いてほしいんだ」
「それはいいけどよ、サナギも寝ちまってるぜ?」
「これを渡しておくよ」
 パーシィから手渡されたのは、星の形をした何かの飾りだった。
 身に付けるには大きいし壁なんかに掛けるには小さい手のひらサイズのそれは、ほんのり光を放っている。
「ここ最近、悪夢を見るって人間が多いという話をしたろ? その人たちのケアのために作られたマジックアイテムなんだけど、人の夢の中に精神を飛ばして入り込むことができるんだよ」
「理屈は分からねえが……これでサナギの夢の中に入って、叩き起こしてこいって?」
「そういうことさ」
 本当なら五回は使えるんだけど、今日もケアをしたから使えるとしてあと二回ってところかな、とパーシィは言った。
「あと二回……」
 それからこれ、とパーシィは自身のロザリオを外して俺に託した。
「おい、これ無えとてめぇも寝ちまうんじゃねえのか」
「元とはいえ天使だ、ロザリオくらいなくても、このくらいの邪法なら耐えられる」
 パーシィは、このロザリオを目覚めたサナギに渡してくれ、と続けた。
「このロザリオなら、たぶん広域化の術式を組んで神聖力を拡散させられると思う」
「そ、そうかよ」
 俺にはよく分からねえが、そういうことなら従ったほうがよさそうだ。
「じゃあよろしく頼むよ!」
「おい、パーシィ!」
 思わず呼び止めた。教会から飛び出していく最中だったパーシィは立ち止まり、律儀にこちらを見た。悪魔を探すアテはあるのかよ、とか、気をつけろよ、とか、言いたいことはあったのだが、どれも俺らしくないしパーシィには不要な言葉な気がした。
 パーシィが首を傾げるので、せめて何か言わないとと思い、結局、
「た、助かる」
 と、礼にも満たない言葉が出た。
 パーシィは特に気にした様子もなく笑って教会を出て行った。
 俺もパーシィに続いて急いで教会から離れ、星数えの夜会へと戻る。

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creepy sleepy 3

 気付けば雪がやんでいたので、パーシィが教会へと向かってから俺も外に出ることにした。筋トレもいいが、もう少ししっかり身体を動かしたい。
 気温は低いが、雲はすっかり別の場所へ移動したらしく、今日これからは、雨や雪に悩まされることはなさそうだ。
 聖誕祭を祝う準備だろう、店先にはカラフルな菓子が並んでいる。それらを横目で見ながら、森林公園までジョギングをした。
 ストレッチをしてからベンチに座る。木のベンチはひんやりしていて、ケツが冷たい。吐く息は白いが、走ってきた身体は汗ばんで体温が上がっている。
 日の当たるベンチはこの時期にしてはあたたかく、ぼんやりしていると眠ってしまいそうだ。……

「!」
 やべ、寝てた。
 我に返ったが、まだ空は青く、日も少しだけ傾いた程度のようだった。寝ていたとしても十分か二十分といったところだろう。ジョギングしてのんきに寝落ちなんて、笑えねえ。
 宿に帰る前に武器屋にでも寄るか、と思いながらベンチから立ち上がる。一歩踏み出したところで違和感に気付いた。
 ――森林公園じゃない。
 俺が寝ていたのも、ベンチではなかった。大きな丸太が横になったものだった。
 ザクリと足を踏み鳴らした地面で、ここが森にほど近いところだと分かった。辺りを見回すと、見慣れた場所だった。俺のふるさと、ペケニヨ村だった。
「……」
 夢を見ている。
 この夢は妙な現実感を伴って、ひどく気味が悪かった。まるで過去に戻ってきたような、今ここに俺がいることが何もおかしくないみたいな顔をして、ペケニヨ村は、そこにあった。燃えてもいない、襲われてもいない、村人たちが普通に生活を営み、平和に毎日を過ごすそれが。
 ペケニヨ村の夢を見ることは珍しくない。だが、こんなフウに生活感のあるペケニヨ村を思い出すことはなくて、今までの夢は滅びている最中か滅びたあとなのだった。
「タンジェ」
 覚えのある声が俺を呼んだ。振り向くと、そこには俺の家があり、……オーガが二体、立っていた。
「……!!」
 俺は息を呑む。二体のオーガは、まるでヒトのように口を開く。
「休憩にしましょう。クッキーを焼いたわ」
 いつの間にか俺は手に斧を持っていて、足元に目を落とすと薪があった、薪割りの途中だったみたいに。
「寒いだろう、早く中にお入り」
 まるで親父とおふくろみたいなことを言って、親父とおふくろみたいに、笑っている。
 俺は、吼えた。
「ふざけんじゃねええぇッ!!」
 俺のふるさとペケニヨ村で。仇であるオーガが俺の親父とおふくろのような顔をして。こんなものは、あまりに悪趣味だ。
「どうしたんだい、タンジェ」
「お茶も淹れるわ。だから……」
 二体のオーガは言った。
「ずっとここにいるといい」
「人間みてぇなクチをきくなあぁ!!」
 持っていた手斧を振りかざす。俺はまっすぐオーガの心臓を狙った。黒曜が触れた急所の一つ。頭をカチ割れればよかったが、俺の身長では届かない。
「ぶっ殺してやるッ!!」
 オーガは抵抗しなかった。やつは醜悪な顔を笑うように崩したまま俺の斧を受けた。斧が骨に当たる。手斧で肉を抉る感覚は、当たり前だが、木を切り倒すそれとは違う。骨を強引にかき分けて斧を心臓に当てれば、オーガは地に倒れた。
 斧を引き抜けば血が吹き出す。俺はもう一体のオーガに振り向いて、雄叫びを上げて同じように殺した。
 肩で息をする。こんなことを夢でしたところで何の意味もない。分かっていたのに、この夢を甘んじて受け入れることはできなかった。
 パーシィが言っていた「悪夢に悩まされる人々」のことを思い出す。
 ここにいてはいけない。きっとこの悪趣味という言葉すら生ぬるい悪夢は、人々の心に巣食って、その精神を平らげる。そうして蝕まれて深い深い夢の底まで引きずり込まれたら、あるいはもしかしたら戻れない。
 だが、みすみす落ち込む気はない。こんなくだらない、ムカつく夢に俺は負けない。俺は迷わなかった。
 オーガの血にまみれた手斧を、左腕に叩き付けた。

 目覚めると、今度こそ森林公園だった。
 左腕がじんじんする。握った右手を、強く左腕に叩き付けたようだった。突き立てられた斧は当然ながら現実にはなく、それで左腕も傷一つついていなかった。左腕は折れてもおらず、痛みも徐々に引いていく。
 嫌な夢だった。
 俺はまた、叫び出しそうな怒りに包まれる。だが、森林公園でいきなり吼えたら不審者だ。
「……っち!」
 むしゃくしゃして、舌打ちをして小石を蹴る。
 小石が転がった先に、人が倒れていた。
「……おい!」
 駆け寄り呼吸を確かめる。別になんてことはない、呼吸は正常で生きている。ただ眠っているだけのように見える。
 だがこんな道端で寝落ちしているのはあまりに不自然だ。俺は周囲を見回した。森林公園にいた市民たちが――俺と同じように――みんな、眠っている。異常事態だ、と分かった。だが、できることは何もない。俺は急いで星数えの夜会に帰ることにする。
 途中、何人も倒れ伏して眠る人びとを見た。起きているやつが一人もいない。
 まだ日も高いのに、街の全てが眠りについたように、ひどく静かだった。

★・・・・

 星数えの夜会に飛び込むと、まずカウンターに突っ伏して寝ている親父さんが目に付いた。それからテーブル横のソファで娘さんも。あのあと歓談していたらしい黒曜と、その相手だったのだろう緑玉、翠玉の三人も眠っている。
「おい!」
 声をかけて揺り起こそうとしても、まったく反応がない。そのうち勝手に起きるだろうか?
 いや、と、俺はすぐさま否定した。
 あの悪夢を考える。今までに見たことがないタイプのおぞましい夢。確実に俺の精神を抉る、悪意と作為を感じた。
 これは人為的な何か――そう考えたところで思い至った。サナギが言っていた、盗まれたという術式。その中には、周囲に眠りをもたらす<眠りへのいざない>とやらもあったのだ。
 だいたいサナギは研究室にいる。急いで駆けつけノックしたが、返答がない。嫌な予感を覚えながらドアを開けると、混沌とした部屋の中に、やっぱりか、サナギが寝こけていた。
「勘弁しろよ……!」
 サナギの元まで移動してぺちぺちと頬を叩くが「うーん」とのんきな呻き声を上げただけで、サナギはすやすや眠っている。悪夢にうなされているという様子ではなかったが起きそうもない。
「どうしろってんだよ……!」
 あのあと解除術式が完成したという話は聞かない。だがサナギのことだ、未完成のまま放置ということもないだろう。サナギのことを叩き起こせば、解除術式とやらでみんなを起こせるかもしれない。だがそのサナギを起こすために、俺は何をどうしたらいい?
 冒険者として少し経験を積んできて、できることとできないことが分かってきた。俺が今できることといえば、情報を集めること。そうなると、行く場所は限られてくる。

 次は盗賊ギルドに向かうことにした。無事な人がいないかを確認しながら道を歩くが全員眠っている。犬も猫も眠っている。
 盗賊ギルドへの出入りを管理しているギルド幹部まで眠っていて、不安が募る。横たわった幹部の身体を跨いで、暗くて狭い盗賊ギルドの入口に踏み込んだ。
 盗賊ギルドは普通の宿に比べれば酔っ払いや団体がいない分、静かな場所だが……それにも増して沈黙が痛いくらいだ。俺はいつも師がいる奥のテーブル席へ顔を出した。
 人影が動く。テーブルに突っ伏していたバンダナ頭がこっちを向いた。
「……! タンジェ!」
「起きてやがったか!」
 お互いに驚きながら俺は師の元へ駆け寄った。
 名をブルースという。本名なのか偽名なのかは知らないし興味もない。ズブの素人の俺に、金と引き換えに盗賊技術を叩き込んでくれた男だ。
 青い髪に無精ヒゲ、いつもぼろ切れを着た痩せ型の男で、ギャンブル好き。その上冒険に出る勇気のない根性なしだが、技術だけは確かだ。
「なんでてめぇは無事なんだ?」
 俺が尋ねると、ブルースは「知らねえよ」と顔を歪ませた。
「なんでこんな状況になっちまったのかも分からねえんだ」
「……俺のパーティのメンバーが作った術式とやらが盗まれた。その中に広範囲に眠りをもたらす術があったらしいぜ」
 ブルースに隠し立てしても仕方ない。今は解決策を探す段階で、頭を捻る人間は少しでも多いほうがいい。
「何だと……? じゃあ、それが原因か……? 盗まれたのが最近だってんなら、タイミング的にも可能性は高そうだが……」
「ああ。その盗まれたってやつが解除術式とかいうのを作ってたんだが……そいつも寝ちまってるんだよ」
 ブルースは少し悩んだあと、
「しかしタンジェこそよく無事だったな」
「一回は寝たんだ、無理やり起きた」
「さすがの根性だな」
 褒められたのか呆れられたのか微妙なところだ。
 ブルースはごそごそと懐を漁って、中から小綺麗なロザリオを取り出した。
「俺が無事だったのは、神サマの加護かもしれねえな」
「はあ? てめぇ、聖ミゼリカ教徒だったのかよ?」
「んなわけねえだろ。盗品だよ」
 俺の顔が歪んだ。ブルースは悪びれることなく、
「でも、これが助かった要因だとすれば、ミゼリカ教徒は全員無事って理屈になるよなァ」
「ミゼリカ教徒……」
 パーシィの顔が浮かんだ。
「ミゼリカ教会に行ってくる。テメェと話してても得るものがなさそうだからな」
「なんだい、慌ただしいねえ」
 師匠の無事を喜んでくれたっていいじゃねえか、とブルースが嘘泣きをするので、面倒に思い無視した。

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