カンテラテンカ

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ミラー・イン・ザ・ボックス 11

 さあ、あとは娘さん待ちだ。
 ヒマだな、と思ったとき、俺は筋トレか、練習用の鍵を使った開錠の特訓をすることにしている。走り込みや簡単な肉体労働でもいいのだが、今は娘さんからの報酬待ちなので室内から出ないほうがいいだろう。今は練習用の鍵も切らしているので、腕立て伏せでもするか、と思う。
 腕立て伏せの回数が250を超えたあたりでノックの音があった。
 汗をタオルで拭きながら扉を開けると思った通り娘さんが立っていた。何となく機嫌が良さそうで、小箱に入っていたものが悪いものではなかったことを思わせる。
「中身、何だったと思います?」
 娘さんの顔は、にんまりとしている。
「紙束」
 俺は見たままを伝えた。
「正解なんですけど、より正確に言えば手紙です。父と母の文通の……母あての手紙でした」
 娘さんの父というのは、つまり親父さんだ。娘さんの母というのは……見たことがない。聞いたこともなかった。
「母は私が幼いころ亡くなりました。馬車の事故で……。箱の中にあったのは、付き合いたてのころの文通みたい」
 なぜ娘さんは笑っているのだろう、と俺は思った。
「悔しくねえのか」
「悔しい?」
 問いに、娘さんはキョトンとした。
「何がですか?」
「馬車の事故がなければ、あんたの母親は生きていて、その手紙だって、あんたの手に渡ることはなかったかもしれねえ」
「そうかもしれませんけど……」
 続けて尋ねる。
「復讐したいと思わねえのか」
 娘さんは不思議そうな顔を崩さぬまま、首を傾げた。
「誰にです?」
「その事故の、馬車の御者だよ。そいつが母親を殺したんだろうが?」
「事故ですよ? 誰が殺したとかではないです」
 それに、と娘さんは言った。
「お父さんが納得して、許したことを、今更蒸し返しませんよ」
「……」
「当時は私もまだ子供でした」
 黙った俺に、言い聞かせるように娘さんは続ける。
「どうして母は帰ってこないのか、何度も父に尋ねました。もう二度と戻らないと知って悲しんで、そりゃ、御者のせいだと憎く思ったことはあります。でも……今ではそんなに淋しくないの。時間が忘れさせてくれたのかしら」
 それは嘘だ、と、俺は思った。
 俺の心の中には、激しく燃える怒りと憎悪がある。それは時間とやらの手には余るに違いなかった。
「タンジェさん?」
 俺の顔を覗き込んだ娘さんが、少し目を見開いてから、
「あ、そんなことより報酬ですよね」
 上手に話を変えた。
「はい、約束の30Gと……明日一日、ご飯タダですから。たくさん食べてくださいね!」 
 30Gを手渡してそう言い残すと娘さんは立ち去っていった。閉められた扉。俺は舌打ちした。自分に対してだ。
 娘さんは、俺の復讐心の在り方とは何も関係がない。それなのに強引に話を振って……何がしたかったんだ、俺は?
「……くそっ」
 復讐について他人がどう思うかなんて、俺には意味のないことのはずだ。娘さんにあんなことを聞いたのは、自分の心の弱さに違いなかった。
 きっと、ゴースト退治の折に取り憑かれかけて、あんな記憶を共有されたから――少し、感情が乱れているのだ。あんなものに乱されるような、その程度の気持ちなのか? 俺の、胸をつんざくこの激情は。
 違う。
 俺はこの復讐に、命を賭けることを躊躇わない。
 だが結局あの箱は、俺に自身の未熟さを突き付けるばかりだった。技術。精神。感情の在り方。
 強くなりたい、と思う。強くならなければ、と思う。
 あの箱の中身は、紙束なんかではない。
 中にあったのは、きっと鏡だ。
 俺の弱さと未熟さを映し、突き付けるそれだ。
 この気持ちは、強くなることでしか晴れない。復讐がそれでしか成しえないことと同じく。それをすでに、俺は知っている。
 明日もまた、朝から黒曜と戦闘訓練だ。きっとそれは、今までよりもさらに意味のあるものになる。俺はまだ強くなれるはずだ。
 復讐のための希望、そんなものが、今の俺を突き動かしている。

【第一話 ミラー・イン・ザ・ボックス 了】

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ミラー・イン・ザ・ボックス 10

 俺は星数えの夜会に帰るなり、あいさつもせずに自室に駆け込んだ。
 部屋の中には小箱が変わらず鎮座している。俺はそれを持ち上げた。
 これが、そもそも鍵なんてかかっていない秘密箱だなんて、思いもしなかった。目の前につけられた錠前に完全に騙されていたのだ。
 木の継ぎ目も、秘密箱によく見られる模様も、この木箱にはなかった――いや、そんなものは言い訳だ。この錠前がフェイクであることを見抜けない時点で、まだ俺は盗賊役としてはズブの素人なのだ。
 「ある」と思って丁寧に見ていけば、確かにきれいに均されたツヤのある木箱に、わずかに木組みの形跡が見える。
 サナギの見つけた秘密箱に比べ、こいつはかなり難解にできていた。俺は軽く動かしたり、その小箱をくまなく観察したりして、なんとか最初のからくりを解いた。それから一時間ほどかけてその秘密箱を開ける。

 中には複数の紙束が入っていた。

 娘さんの依頼はこの小箱を開けるところまでだ。中身まで詮索する必要はないし、興味もない。
 俺は自室を出て階下へ降りた。帰るなり自室へと駆け込んでいったので、親父さんにあいさつもしていない。食堂ではパーティの仲間たちがのんびりと休息をとっていた。
 カウンター席から「やあ」とサナギの声がかかった。
「タンジェ。秘密箱、開いたよ」
 その手元を見れば、確かにサナギが見つけた秘密箱は開いていた。
「これ、楽しいね。ちょっとだけ盗賊気分が味わえたよ」
「そうかよ」
 返事が素っ気なくなってしまったが、サナギだって別にそんなことを気にする性質でもないだろう。用があるのは娘さんだ。食堂を見渡したが、娘さんの姿は見当たらない。親父さんに尋ねることにする。厨房を覗くと親父さんは洗い物をしていた。
「親父さん」
「ん? ああ、タンジェか。お前、帰ってくるなりドタバタ部屋に行くからびっくりしたぞ」
「……そりゃ、悪かったな」
 悪いとは思っていないが、一応謝罪した。
「娘さんは?」
「夜のピークが過ぎたんで、休憩中だ。そこらにおらんか?」
「食堂にはいねえぞ」
「部屋かもしれんな」
 分かった、と言って、俺は厨房から出た。うろうろしている俺を不思議に思ったのか、軽食をとっているパーシィが尋ねる。
「どうかしたのか?」
「別に」
 てめぇには関係ねぇ、と、俺は答えた。パーシィは苦笑したが、特に気を悪くした様子もなさそうだ。
 俺は休憩中の一同の間を再び通り過ぎて、娘さんの自室に向かった。あまりこちらからは出向くことがない場所だ。
 一階の奥には親父さんと娘さんの自室がそれぞれある。娘さんの部屋の扉は名が彫られたドアプレートがかかっているのですぐ分かる。ノックをした。
「はぁい」
 中から返事が聞こえる。
「タンジェリンだ。箱が開いた」
「わ!」
 それを聞いて、扉が大きく開かれる。目をきらきらさせた娘さんが現れて「本当ですか!?」と念を押して尋ねた。
「ああ」
 俺は開いた小箱を娘さんに手渡した。
「ありがとうタンジェさん……やっぱり盗賊ってすごいわ!」
 満面の笑みを浮かべる娘さん。
 まさか、二日も錠前を開けようとして四苦八苦していたなんて思いもしていない顔だった。しかし実際、二日という時間待たせたわけで、俺は視線を逸らして「待たせた」と言った。
 娘さんはぱちぱちと目を瞬かせて、
「いいんですよ。タンジェさんもお忙しいでしょうし……」
 違う。忙しくて作業に手がつかなかったわけじゃない。自分が未熟だっただけだ。歯噛みする。
「とにかく、開いたもんは開いたんだ」
 俺は悔しさを強引に捻じ伏せた。
「報酬、忘れるんじゃねえぞ」
「分かってますよ。中身を確認したら、部屋にお届けしますから」
 それを聞いて俺は頷き、娘さんの自室から離れた。

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ミラー・イン・ザ・ボックス 9

 ランタンを点けぬまま、星と月だけを頼りに俺たちはヤイ村の入り口で様子を伺っている。
 ヤイ村はようやく家屋の燻りもおさまり、闇夜に沈んでいた。雲はなく、月も大きい。視界は悪くなかった。だが、さすがにゴーストと戦うには暗すぎるだろう。
 ゴーストが出たらパーシィが祈りで片っ端から浄化する。俺たちは、ゴーストがパーシィから近くも遠くもならないように立ち回る。サナギはランタン係だ。
 あらかじめ聖水で清めた武器を握りしめて、俺たちはゴーストの出現を待った。
 数刻ののち、ぼんやりと白いモヤのようなものがヤイ村の中をさまよい始めたのが分かった。
「出た」
 緑玉が呟くと、黒曜が頷いた。
 白いモヤは少しずつだが数を増やしていく。パーシィの手に負えない数になる前に、俺たちはヤイ村の中へ駆け込んだ。
 サナギが素早く灯したランタンで、かろうじて視界が確保できる。ゴーストたちは俺たちに気付くと、モヤから徐々に人型へと変わっていった。
「主よ――聖霊よ――憐れみたまえ――我ら同胞の魂に安息を――」
 パーシィがぶつぶつ呟いて何か祈っているのを背にして、俺たちは陣形を整える。
「ギャアアアア――」
 初手の祈りで、早々に何体か浄化されたようだ。俺たち、いるのか? と一瞬思ったが、しぶとく残っているゴーストがこちらに向かってくる。
 俺は斧を振り回した。聖水で清められた武器はゴーストの霊体を抉った。手応えあり。ゴーストはもんどりうって地面に落ち、そのまま消滅した。
「楽勝だな!」
 アノニムも同様にゴーストを始末したらしい。確かにこれは楽な仕事かもしれない。続けざまに何体か始末した。
「ア、ア」
 たまに何かを訴えているようなゴーストがいたが、無視した。死者の言葉なんてどうせろくなもんじゃない。恨み言を聞かされるのなんざごめんだ。
「復讐、シテヤル」
 そう思ってたのに、その言葉を聞いて俺の手が止まってしまった。
「ごぶりんドモメ、復讐、シテヤル、シテヤル」
 さまようゴーストがそう呟きながら明滅する。
 その気持ちは分かる。だが、てめぇらには無理なことだ。
 そもそも、てめぇらが復讐された側なんだよ!
 一瞬の躊躇いがアダになる。ゴーストの半透明の身体が俺に纏わりつく。振り払おうとして振り払えるなら、聖水なんか必要ない。
「ぐ……!?」
 霊体が通り抜けた俺の身体は突然冷えて、それから、頭の中に何かが流れ込んでくる。

 燃えている。
 村が、燃えている。
 破壊され、蹂躙――れ、めちゃくちゃになっ――
 ――――――緑肌の――向かってい――
 命乞いする――人、簡単に弾か――武器――
 ――殺され――
 怒り、哀しみ、恐怖、憎悪、

「がっ……!? うう……ッ!!」
 気付けば膝から崩れ落ちていた。思うように身体が動かない。これは、この記憶は、俺の? いや、ヤイ村で死んだこのゴーストの? 意識が朦朧とする。相手は、ゴースト、だ、取り、憑かれ――

「去れッ!」
 混濁する俺の意識の中で、それだけいやに明瞭な声が聞こえて、ブンと何かが空気を裂いて振り抜かれた音がした。ゴーストが叫び声を上げて霧散する。
「っはぁ! ぜはっ……!」
 身体が軽くなり、何度も呼吸を繰り返す。それで俺は呼吸すらままならなかったことに気付いた。
 見ればパーシィが振り抜いたメイスを下ろすところだった。パーシィは俺の横に膝をつくと、俺の身体を簡単にチェックし、
「よし、取り憑かれてはいないな」
 頷いた。
「……たす、かった」
 俺の声は掠れていた。
「礼は言っとく……」
「俺の役目だ、気にしないでくれ」
 パーシィは微笑んだ。ついさっき死人のロザリオを懐に入れていたやつとは思えない。だが助けられたのは事実だ。感謝はもちろんあったが、それより掻き乱された心が落ち着かず、こんなゴーストに取り憑かれかけた自分があまりに不甲斐なく、情けなかった。
 徐々に体温が戻ってくる。何とか立ち上がる頃には戦闘は終わっていて、それがまた俺を惨めな気持ちにさせた。何やってんだ、俺は……!
「無事か」
 黒曜が青龍刀を腰に戻しながら、メンバーの無事を確認する。無様に取り憑かれかけたのは俺だけだ。
「……くそ!」
 思わず声が出た。それに応答したのかアノニムが、
「雑魚が、取り憑かれかけやがって」
「う……うるせぇ!」
 こればっかりは反論のしようもなかった。
「三十体以上はいたねえ」
 ランタンを灯したサナギがこちらに近付いてきて、のんきに言う。パーシィは「聖水をかけたみんなの武器の力がかなり大きかったな」と一人頷いた。
「俺の祈りはやっぱり合計で三十体くらいしか浄化できなかったと思うよ。数えてはいないが……」
「それでも初手でかなり始末できた」
 黒曜が言う。
 俺は斧を強く地面に突き立てた。深呼吸する。自分への猛烈な苛立ちが少しつず収まってくる。アノニムが鼻で笑った。アノニムの辛辣な言動が、逆に俺を冷静にさせた。
 黒曜は構わずパーシィと会話を続けている。
「動きやすくなった。悪くない作戦だった」
「うん、そうだな」
 頷くパーシィ。謙遜をしない男だ。
「もう一回り見回ってから、帰ろうか」
 サナギの言葉に、一同は頷く。ヤイ村は小さな村なのですぐに回れるだろう。
「そういえばパーシィ」
 見回りをする途中でサナギがパーシィに声をかけた。
「村人たちの遺体をどうする?」
「どうする、というと?」
 本気で分からない様子のパーシィに、
「埋葬するかい?」
 きちんと言葉を直したサナギが首を傾げる。
 パーシィは笑った。
「いやあ、もうかなり食い荒らされているし、いいんじゃないのか、放っておいて。いずれ土に還るよ」
「きみ、たまに聖職者っぽくないことを言うねえ」
 俺は内心で同意する。
「だって、別に土葬も放置も変わらなくないか? どちらにせよ人間なんかが主の御許にいけるわけないし……」
「てめぇは……どこの誰なんだって視線でものを言うよな」
 思っていたことが口に出てしまった。パーシィは目を瞬かせたあと、
「あー……そうかい?」
 困ったように笑った。
「別に隠しているわけじゃないんだけど。俺は元天使だからさ。そういう視点が出てしまうのかな」
 冗談なのか本気なのか、よく分からない。だが村を一回りして、荷物を片付けて帰路につくまでの暇つぶしに聞くには悪くない話題かもしれない。
 俺たちは、パーシィが人間ではなく堕天使であること、天使としての名は別にあること、罪を犯して天界から堕とされたことなどを説明しているのを、適当に聞いたり聞き流したりしながら、ベルベルントへと帰っていった。

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ミラー・イン・ザ・ボックス 8

 実際にヤイ村に着くと、そのありさまに、思わず俺は黙り込む。
「……」
 ヤイ村は、まだ建物がくすぶるように燃えていて、周囲が煙たい。血は乾いてどす黒く、地面とわずかに残った家屋の塀を染めている。
 俺は動揺を努めて隠した。こんなことで心が乱れるような、ヤワな精神の男だと思われたくない。
 みんな一様に渋面を作ったりしていたが、黒曜だけは顔色一つ変えず無表情で村を見つめている。
 黒曜の、鋼のような、冷静沈着な歪まない姿勢を、戦闘の基礎訓練を引き受けられた日から半年間見てきた。何事にも心が動かされないさまを、俺は、そうなりたい、という憧憬があるような、だが、そうはなりたくない、という軽蔑があるような、妙な気持ちで眺めている。
「見ろよ」
 アノニムがヤイ村の入り口で何かを見つけたらしい。
 ゴブリンの首だった。
 ひしゃげた頭の、苦痛の表情で死んだゴブリン。
 アノニムはそのゴブリンを、無造作に掴み上げてじろじろ見て、こう言った。
「こいつが原因みてえだな」
「どういうことだよ?」
 俺が思わず尋ねると、アノニムは鼻で笑った。
「このゴブリンの頭を、村の入り口に掲げてたに違いねえ。妖魔除けだよ」
「妖魔除け!?」
 声を上げたのはパーシィだった。
「む、むごいことするな……」
「昔俺がいた見世物小屋でも、妖魔除けに同属の死体をぶら下げて歩いたことがある」
 気分が悪くなるような話だが、分からないこともない。カラスの死体を置いておくと、カラスは畑に近づかなくなるのだ。俺の村ではあまり好まれない手段だったが。
「ところが生き残っていたゴブリンどもはこれを見て逆にキレて、村との全面戦闘になった……ってとこじゃねえか」
 サナギが「やるねえ、アノニム」と感嘆した。
「参謀としての意見は?」
「否定する材料はないね。アノニムの見解どおりと見ていいと思うよ」
 確かに筋は通っているように思う。俺たちが討伐したゴブリンは、あれで全部ってわけではなかったのだ。
 当然ながら、ゴブリンがやる気で村に迫ったなら、村人たちが敵う道理はない。あっという間に全滅しただろう。
 黒曜は無表情で立っていたが、
「入り口の外で村を見張る」
 そう淡々と告げた。
「その前に、村のコンディションを確認する」
 全員が頷く。
 入り口から中に入るとますます煙くて、人の死体の焼けるにおいまで近くなり、思わず苦い顔になった。
 子供を庇ったのだろう、子供と大人が折り重なって死んでいる。どちらももう柔らかいところはすでに獣に食い荒らされて、原形をほとんど留めていない。
 俺は大きくため息をついた。思わず息を止めていたのだった。だが、深呼吸できるような状況ではない。
「あ、何か持っている」
 横に来たパーシィが、驚くほど無遠慮に死体の握りこぶしから何かを引っこ抜いた。
「ロザリオだ……」
 煤けた十字架だ。この嫌な村にも信心深い者はいたらしい。
「祈りも虚しく、ってわけだ」
 考えるより先に口に出た。パーシィは、
「いくら祈ったって、主なる神が、こんな有象無象に構うわけないじゃないか」
 と、あっけらかんと笑った。
 俺の顔のほうが歪んだ。元より理解できる気でいるわけじゃないが、さすがにこいつのこういうところはどうなってるんだと思う。
「まあ、一応預かっておくか」
「預かってどうすんだよ?」
「銀ならそれなりの値段になるかもしれないし……」
 売る気だ。ロザリオを。
 引いている俺の表情に気付いているのかいないのか、パーシィはさらに死体をまさぐった。特に何もないと分かると、祈るような仕草をして、さっさと立ち去る。あいつ、本当に聖職者かよ。
「気持ちは分かるけどね」
 まるで俺の心の声を聞いたみたいなタイミングで声がかかったので、俺は背中がひやりとした。振り返るとサナギが突っ立っている。
「ゴースト討伐、つまり戦闘を依頼された以上、現場保存する意義も薄いよ。もらえるものはもらっておいていいと思うね」
 そこまでがめつくねえよ、と言ったら、君のそういうところはあまり盗賊に向いてないかもね、とサナギ。
「はあ?」
「お金とかに関して興味が薄いというか、物欲がないというか」
「金は欲しいぜ」
 正直に答えると、サナギはからからと笑った。
 笑っている間にサナギは焼け落ちた廃屋に歩いていく。足元が悪いらしく、よろけている。
「ほら、ここ、キャビネットが少し残っているよ」
 俺はしぶしぶ、立ち上がってそちらに行った。確かに焼け残ったキャビネットの最下段があった。鍵穴がついている。引き出しを引こうとしたが、鍵がかかっているらしく開かない。
「開けてみてよ」
 サナギの要求に、俺は思わず渋い顔をした。理由は火事場泥棒だから……ではなく、娘さんから預かった小箱が開けられずにいることを思い出したからだ。
 正直、ほんの少し自信喪失しているが、ここでやらねば盗賊役ではない。
 俺はキャビネットの前に座り込み、開錠道具を取り出した。
 横目でサナギを見ると、期待に満ちた顔をしている。緊張するたちではないが、あまりじろじろ見ないでほしい。
「見てんじゃねえよ」
「照れなくてもいいじゃないか」
「……」
 もういい、と言って、俺は開錠器具を鍵穴に差し込み、慎重に動かした。家庭用だからだろう、俺の知っている中でもかなり簡単な鍵だとすぐに分かった。
 手応え。鍵はすんなり開いた。
 俺が顔を上げて引き出しを引くと、サナギが小さく拍手をする。
「やめやがれ」
 鬱陶しく思い俺が顔を顰めると、素直じゃないね、とサナギが言った。
 引き出しの中を二人で覗き込むと、中には小箱がいくつかと仕立てのいい衣類がある。小箱の一つを持ち上げ開いてみると、中身は指輪だった。なるほど、貴重品の類が入っている引き出しということだろう。
「ちょっとは報酬の足しになるかもねえ」
 俺の手元を覗き込んだサナギが、そう言いながら箱のひとつを手に取る。開けようとしたが、
「……あれ?」
 開かないらしい。
「鍵穴は……なさそうだけどな?」
 繊細な、独特の彫刻が施された小箱。鍵穴も錠前もないそれを、サナギは振ったり逆さにしたりして、首を傾げている。
 俺はそれを見てすぐにぴんときた。
 秘密箱だ。鍵はない。からくり仕掛けでできている。
 秘密箱は木工を営む村ではよく作られているもので、俺の暮らしていたペケニヨ村にも年老いた職人がいた。
「秘密箱だ、それは」
 サナギに声をかけると、
「これが秘密箱かぁ! からくり仕掛けでできた宝箱だよね?」
 と、秘密箱をはしゃいだ様子で見つめた。
「さすが盗賊役だね。見れば分かるものかい?」
「盗賊役だからとかじゃねえ。俺の村でも作ってたから知ってるだけだ。ガキの頃、俺も持っていたからな……仕組みはだいたい分かる。そいつは、たぶん側面を横にスライドさせれば最初の仕掛けが外れる」
「なるほどなぁ」
 言いながらサナギが俺の言葉通りに側面を横へ滑らせると、箱を構成していた木のうちの一本がすらりと動いた。サナギの目がますます輝く。
「これは面白い! 待って、次はヒントを言わないで。俺が解くよ」
「……」
 俺はそれを見ていて、突然、そんな馬鹿な、と思った。
 いや、サナギの持っている、煤けた秘密箱が動いたことに対してではない。それはそう開くものだと俺は分かっていた。
 問題は――そう、問題は、いや、そんなまさか。
 娘さんから預けられたあの小箱が、秘密箱だったなんてことは。
 あの小箱には、秘密箱によく見られる寄木細工の模様がなかった。木の継ぎ目もないほど……きれいに磨かれて……いて……。
 俺はまた、心臓が熱くなるのを感じた。これは、期待と高揚だ。いてもたってもいられない気持ちになる。ああ、こんなことなら持ってくりゃよかった! どうしたって依頼の途中で抜けられるわけはない。
 娘さんから受け取ったあの小箱が、実は秘密箱だった、という可能性を、試したい気持ちでいっぱいのまま、日は落ちていった。

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ミラー・イン・ザ・ボックス 7

 その翌日。
 幸いなことに今朝は悪夢を見なかった。深く眠ったらしく、目覚めてすぐに活動的な気持ちになれた。黒曜とのトレーニングを行い、身支度を整えて朝食を食べ、自室に戻って食休みのあと筋トレを始めた。小箱の開錠にはすっかり煮詰まっていたし、筋トレは毎日欠かさずしている日課なのもある。
 身体を動かしていると頭を空っぽにできていい。
 ひと汗かいてモヤモヤが一時的に吹き飛び、清々しい気持ちになっていると、部屋がノックされた。
 最近来客が多いな、と思いながら「誰だ?」と声をかけると、ドアの向こうにいたのは黒曜だった。
「タンジェリン。旅支度をして降りてきてくれ。依頼だ」
 俺は立ち上がった。「分かった」とだけ返事をすると、黒曜は立ち去ったようだった。
 こんなに立て続けに依頼が来るのは、駆け出しの俺らにとっては珍しいことだ。稼業なのだから忙しいほうがいいに決まっている。
 さっさと旅支度を済ませ、部屋を出る……前に、小箱に目を留めた。
 一瞬、持っていって旅先で開錠を試みようか考えた。だが旅には邪魔になる。それに万が一俺が帰らなかったとき、これが手元に戻らず困るのは娘さんだ。
 俺は結局、小箱は机に置いたままで部屋を出た。小走りで階段を駆け下り食堂に出ると、テーブル席に緑玉とサナギが座っている。
「黒曜はアノニムとパーシィを呼びに行ってる」
 何も聞いていないのにサナギが言った。俺は頷く。あいている席に座る。
 数分もしないうちに、準備を整えた六人が集まった。
「こうも立て続けに依頼があると、少し驚くな」
 パーシィが口火を切ると、サナギがうんうん頷いた。
「まだ内容は俺も聞いていないよ。黒曜、説明して?」
 黒曜が「ああ」と首肯し、
「目的地は先日行ったばかりのヤイ村だ。あの村は……タンジェリンと緑玉は知っていると思うが、俺たちが依頼を終えて去ったあと、何者かの襲撃に遭ったらしい」
「ええ!」
 サナギとパーシィが顔を見合わせた。
「そんなタイミングよく、入れ違いみたいに?」
「詳細は不明だ。だが、ヤイ村が壊滅し、多くの死人が出たのは間違いないらしい。そこでゴーストを見たと行商人からベルベルントの聖ミゼリカ教会に報告があったそうだ」
「ゴースト……!」
 死霊の類を討伐できる者は限られている。冒険者の中でも中堅以上か、あるいは俺たちのような駆け出しでも聖職者がいれば可能だ。この依頼は、俺たちへの依頼というよりパーシィへの依頼と言っていいだろう。
「数は?」
「不明だ」
「参ったな……」
 パーシィもほぼ指名であることが理解できているだろう。腕を組んで難しい顔をしている。
「あんまり数が多いと、複数回に分けないと厳しいかもな」
「どのくらいが目安だ?」
「三十体より多いと、無理だと思う」
 黒曜の質問にいつになく真面目な顔のパーシィが答えた。
「俺の力の源は人々の祈りなんだよ。ベルベルントからそう離れていないとはいえ、あの場所にベルベルントの祈りは届かない。ヤイ村では祈りの力は期待できないだろうから、ここで蓄えている力を持っていくしかない……」
 君たちは全員、信心深くないしな、と、パーシィは言った。確かに俺は不心得者なほうだし、黒曜たちも特定の宗教を信仰している話は聞かない。どういう理屈か分からないが、言葉通りパーシィの力が誰かの祈りによって成り立つなら、確かに俺たちでは不足だ。
「行ってみないと分からないな」
「聖水を買っていくといいと思う。武器にかければ、一時的とはいえみんなの攻撃も通るよ」
 パーシィの言葉に、緑玉が荷物袋を掲げた。もう買ってある、ということだろう。
「で、報酬は?」
「ゴーストが全部退治できれば600Gだ」
「それ、適正価格なのか?」
「聖水代とか野営のこととか危険性とか考えると、かなり安いかもね」
 俺は渋い顔をしてみせた。サナギがそれを見て笑う。
「依頼を選り好みできる立場じゃねえだろ」
 驚くことにアノニムがまともな冒険者っぽいことを言う。
「どちらにせよ、聖ミゼリカ教会からの、ほぼ俺たちへの指名だ。断れる依頼ではないな」
 淡々と言った黒曜が、荷物を持って立ち上がる。
「発とう」
 俺たちはまた、数時間かけてヤイ村に行くことになる。
 途中、休憩に親父さんが持たせてくれたサンドイッチを食い、ヤイ村に近づく。まだ日は高い。ヤイ村の近くで待機し、ゴーストが確認でき次第、対処する形になるだろう。

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プロフィール

管理人:やまかし

一次創作小説、
「おやすみヴェルヴェルント」
の投稿用ブログです。
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