カテゴリー「 ┣不退転の男」の記事一覧
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不退転の男 5
目が覚めると、見慣れた俺の部屋だった。
ぼーっと天井を眺める。鳥の鳴き声が聞こえる。朝?
起き上がろうとすると、全身にびりびりと痛みが走った。
「いってぇ!!」
思わず叫ぶと、横からバッと黒い影が手を伸ばしてきて、俺を無理やり寝かせた。黒曜だ。
「……! ……!!」
言葉にならない、といった様子の黒曜が、何かを言おうとしては口を閉ざし、を何度か繰り返したのちに、水挿しから水を汲んで、俺に飲ませた。明らかに俺より黒曜のほうが動揺していて、水を飲んで落ち着くべきは黒曜だったが。
それから黒曜はらしくなく、立ったり椅子に座ったりを繰り返したあと、
「大丈夫か」
と俺に尋ねた。
「いや、てめぇが大丈夫か? やたら落ち着きがねえぞ」
思わず聞き返すと、
「……記憶がないのか? パーシィに頭を思い切り殴られたようだからな……」
――それで、思い出した。
俺は身体をがばりと起こした。
「俺たち、ホックラー遺跡から生きて帰ったんだな!?」
黒曜ははっとした顔をしたあと、静かに頷いた。
それから俺の手を取って握りしめ、
「お前には……深い傷を負わせた。責任を取る……!」
「責任……? 切腹するとか言い出すなよ? 操られてたんだから仕方ねえだろ」
黒曜は無表情のままだったが、頭から生えた黒豹の耳が僅かにぺたりと寝た。
「アノニムとパーシィも無事なのか? ハンプティは? あのあとどうなった……?」
「俺も気絶していたから又聞きになるが、アノニムが……何とかしたようだ」
あいつ、負けたら死ぬとか言っていたが、結局戦ったんじゃねえか。俺は安堵した。
「ハンプティの行き先は分からない。アノニムは、深追いはしなかった、と言っていた」
「まあ、仕方ねえよな……」
それが正解だ、と思う。本当に死んでもおかしくはなかった。
「俺は途中から記憶がないのだが」
黒曜はそう先に述べてから、どうやら俺が今回の功労者であったことと、それへの感謝を述べ、頭を下げた。
「すまなかった」
「いや、今回は誰も悪くねえだろ……」
パーシィがハンプティを悪魔だと気付けなかった時点で、回避できない危機だっただろう。
だったら全員生きて帰ってこられただけで良しとすべきだ。
「しかし、なんで俺とアノニムはやつの<魅了>が効かなかったんだ?」
純粋な疑問を口にする。黒曜に分かるわけがないと思ったが、黒曜は俺の顔をじっと見て、少し言い淀むような仕草をした。
「きみのピアスだよ」
いつの間にか俺の部屋の入り口にサナギが立っていた。救急箱を持っている。サナギは続けた。
「バレンタイン以来、きみがしているそのピアスは、破魔の力が込められたマジックアイテムだ」
その言葉に、俺は存在を忘れるほどつけてて当たり前になっているピアスに触れた。確かにバレンタイン以来、穴を開けてずっとつけている。これは黒曜にもらったもので、――俺は黒曜を見た。
「確かにそのタンジェリンクオーツには、俺の故郷に伝わる破魔のまじないをかけた」
「天使の意識すら奪う悪魔の<魅了>を跳ね飛ばすんだから、大したものだよ」
黒曜は椅子から立ち上がり、サナギにそれを譲った。サナギは俺の包帯を取りながら、
「実に愛されているじゃないか」
と、にっこり笑った。悔しいことに顔が熱くなった。サナギを睨んだが効いていないらしい。
「じゃあ、アノニムはどうなんだよ」
「実は……よく分からないんだよね。最低限のことしか聞いていないんだ」
「最低限のこと?」
サナギは、昨日の夕方にアノニムが意識のない俺と黒曜、そしてパーシィをたった一人で抱えて連れて帰ってきたことを話した。アノニムによれば、ハンプティは逃がしたが、それで正気を取り戻したパーシィがなんとか俺の傷を癒して命を繋ぎとめた。が、そのパーシィのほうも燃料切れだ。俺の傷を完治させることはできないままぶっ倒れ、今も昏睡しているらしい。
「だから俺がこんな医者の真似事をしているわけだ」
サナギは俺に残る傷を丁寧に消毒しながら笑った。痛え。どいつもこいつも手加減くらいしやがれよ。
「とはいえ、俺が生きてるのはパーシィのおかげだろうな……。パーシィは大丈夫なのか?」
「ぜんぜん問題ないよ。ただのエネルギー切れ。自分の心配したほうが建設的だよ」
きみも元気そうだけれどね、とサナギは言った。
「本当にタフだね。こんなタフな盗賊役、他ではちょっとお目にかかれないな」
「ま、それが取り柄みてえなもんだからな」
だから黒曜も、そんな心配そうな顔をするんじゃねえよ、と思う。
別に怪我なんか治る。それに今回のことはいい経験になった。ガキ相手にも油断しちゃ駄目だ。パーシィにだって察知できない危険はある。悪魔はクソ。短距離と遠距離で波状攻撃されたらマジで強え。
それから、諦めることはやっぱり最悪の選択だ。
のちにサナギがこう言って笑う。「きみは不退転の男だね」、と。
不退転の男 4
「目的は何なんだよ……! てめぇ、ラヒズの関係者なのか!?」
アノニムと黒曜が武器を打ち合っている隙に俺が叫んで尋ねると、ハンプティは、
「あーラヒズね。まあ同期、みたいなもの。でもあいつ酷いんだよ! ボクをこっちに喚ぶだけ喚んで、あとは放置だもん!」
「わけ分かんねえよ……! どういうことだ!?」
アノニムが退いてきて俺の横に立つ。無言だったが、俺が見る限り黒曜に対して力押しは無意味だった。かなりの数の攻撃をいなされていて、黒曜は傷一つなかった。アノニムのほうは致命傷こそ一つもないが、いくつもの切り傷ができている。
「だからボクもさ、悪魔なんだよ、あ・く・ま!」
「てめぇが悪魔ならパーシィが見逃すはずねえだろ!」
そこは信用している。だが、
「ああそれね。ラヒズの気配が強すぎて、ボクの正体がカモフラージュされてたんじゃない? それか……<魅了>にかかった時間を見るに、もしかしてボク弱体化してる? 悪魔の気配がないほど? やだー最悪なんだけどーもー」
子供のように駄々をこねるハンプティだが、……それなら納得がいく、のか?
「そうなのかよ? どうなんだ、パーシィ!」
「……」
パーシィからの反応はなく、翳した左手からいくつもの光弾が立ち上り、俺とアノニムに豪雨のように降り注いだ。
「っつ……!」
かわせるはずもない。武器で守れるレベルの攻撃でもない。光弾の当たった場所が焼けたように熱い。
「元とは言え天使が悪魔の<魅了>にやられるって……そんなのアリかよ!」
「あーっ、舐めてる!? ボクの<魅了>は本当に強力なんだから!」
虚ろな目のパーシィと黒曜を両脇に侍らせて、ハンプティが頬を膨らませる。……くそ!
「そもそも悪魔と天使はお互いが弱点同士なんだから、先手を打ったほうが勝つのが道理なの! 悪魔が天使に負けてばっかりみたいな偏見やめてね?」
偏見をやめるのはいいが、距離を取ればパーシィの光弾、距離を詰めれば黒曜の青龍刀だ。敵に回すとこんなに厄介だとは。
「アノニム、とにかくハンプティをやる! 一気に行くぞ! 何なら俺を囮にしやがれ!」
斧を構えてアノニムに叫ぶ。アノニムからの反応はなかった。
「……アノニム?」
これでアノニムまで<魅了>にかかったら打つ手がない。俺はこの遺跡から帰れないだろう。だがアノニムは正気の目をしていた。
「……」
「おい、何とか言いやがれ!」
正気の目をしてはいるのだが、様子は明らかにおかしかった。あまつさえアノニムの視線は、この部屋の出入り口のほうを向いていた。
「……逃げる気かよ!?」
俺は驚愕した。アノニムは俺の顔を見た。
「勝てねえ」
「あ……!?」
「黒曜とパーシィが本気でかかってきたら、勝てねえ。見りゃ分かるだろ」
だからって、と喉から声が出た。
「だからって置いて逃げんのか……!?」
「……」
信じられなかった。こんな腑抜けだとは思わなかった。
確かにただでさえ力押しの俺が、それを超える力押しのアノニムと組んだところで、技巧派の黒曜と遠距離攻撃のパーシィに勝てはしないかもしれない。
だが、それがなんだっていうんだ!?
「負けたら終わりだ」
アノニムは俺の視線から逃れようともせず、ただ淡々と事実を述べるように言った。
「死ぬぞ」
「……!」
カッとなる。負けたら終わり、死ぬ、だから逃げるだと!?
「てめぇはエスパルタで俺に大事なもののために命を賭けろと言ったじゃねえか!! ふざけてんじゃねえぞ……!! 俺たちが逃げたら黒曜とパーシィがどうなるか分かんねえんだぞ!?」
「とりあえずボクの従者にしよっかなー」
ハンプティののんきな声が応答する。
「二人ともかっこいいしね! でもボクの好みはタンジェなんだけども」
「言ってろ……! ぶっ潰してやる!」
黒曜とパーシィをふざけた悪魔の従者になんかさせてたまるか!
斧を握り直してハンプティへまっすぐ駆け込む。この距離なら、来るのは間違いなくパーシィによる<ホーリーライト>だ。
パーシィが普段、これだけの光弾を連発することはまずない。パーシィの力の源は人々の「祈り」とやらで、やつはそれを身体にストックしているが、「祈り」は聖なる力を使うほど消費されていき、やがて枯渇するからだ。そう聞いている。
つまり、パーシィの<ホーリーライト>は、いつか必ず打ち止めのタイミングが来る!
光弾が降り注ぐ。一発ずつの威力が上がっているのが身に染みて分かる。光の着弾した箇所がみるみるうちに焼け爛れていく。だが、その分、消費する「祈り」の量だって多いはずだ。
打ち止めは、今じゃなくていい。俺が死んだあとだっていい。少しでも「祈り」を消費させろ! それで少しでも勝ち筋を見出したなら、あの腑抜けも考え直すかもしれない。そうだ、アノニムが立ち上がればそれでいい! そうしたら俺が死んでも俺たちの勝ちだ!
「くたばりやがれ!!」
光弾で焼けた身体に鞭打つ。俺は吼えてさらにハンプティに突っ込んでいった。黒曜が躍り出て俺の振り被った斧を受け止める。
斧を引くのに合わせて黒曜も青龍刀を構え直す。距離を取ればパーシィの光弾が当たる。だが構わない、使わせることに意味がある。
黒曜の青龍刀は容赦なく無慈悲だが、かといって殺意を感じもしない。ただ淡々とあるだけの冷たい刃だ。そこに黒曜の意思がないことがありありと分かる。だが、だからこそ軌道は読みにくく、黒曜と打ち合うたびに生傷が増える。
「がんばれ、がんばれー」
ハンプティの気の抜けるような応援が聞こえる。
「……っち!」
体力には自信がある、まだしばらくは打ち合える。身体中が痺れるように痛み、生傷からは血が出ていたけれども、些細なことだった。
だが、黒曜の青龍刀が器用に俺の斧をすり抜けて、俺の脇腹を抉る。痛みに顔を歪めたその一瞬の隙で、青龍刀の返す刃が俺の腹を貫いた。
「……くそ……!」
諦めるな……! ……諦めるな!!
俺は腹に突き刺さった青龍刀の先にいる黒曜の手を掴んだ。
「俺はまだ……諦めてねぇぞ‼」
俺は力を振り絞って、黒曜を思い切り引き寄せると、そのまま大きく頭を振りかぶった。自分の額を黒曜の額に思い切り打ちつける。
普段の黒曜ならこんな頭突きをまんまと喰らうことはなかったはずだが、所詮は他人のコントロール下といったところか。俺の石頭が直撃した黒曜の手は青龍刀から離れ、彼はそのまま昏倒した。
ハンプティはぽかんと口を半開きにしていた。
「はぁ、はぁ」
あとはパーシィだ。光弾が来ない、ということは、燃料切れか? それならあとは、ハンプティをぶちのめすだけだ……!
不退転の男 3
ハンプティは子供ながらにしっかり体力があって、ホックラー遺跡までの道のりに文句一つ言わなかった。両親とホックラー遺跡に行ったことがある、と言っていただけはある。道案内も的確だ。年齢や家柄がなければあるい冒険者になれるかもしれない――いや、冒険者になったところで、か。冒険者なんてのは憧れてなるもんじゃない。
「こっちだよ!」
パーシィが面倒をみているはずだったが、案の定、すでにパーシィは彼の御守をほとんど放棄していた。一応ハンプティの動きを目で追ってはいるが、そんなことは俺にだってできる。
「ちゃんと手でも繋いでおけよ」
俺がパーシィに声をかけると、
「嫌がられてしまって」
……パーシィではなく、ハンプティの側の問題だったようだ。
「もうあの年頃だと手なんか繋がないものだろうか?」
「あー……ガキはめんどくせえからな……」
そういう時期が自分にもあったかもしれないことを棚に上げて俺は適当に相槌を打った。
「見て見て! ほら、あそこ!」
ホックラー遺跡の入り口が木々に沈んでいる。さすがにベルベルント郊外は騎士団の見回りもしっかりしているのか、ここまでの道のりには妖魔の気配も賊の潜伏もなかった。
ダンジョンってわけじゃない、すでに公的な調査が入っている場所だ。さすがに何もないだろうとは思ったが、俺は遺跡の入り口を丁寧に調べて、罠の類がないかを確認した。もちろんそんなものはなかったが、昔に解除されたのであろう罠の残骸は残っている。
確かに最近、何者かが侵入したような形跡はあった。これは俺が盗賊役になってから身につけた観察眼というわけではなく、ペケニヨ村での山歩きで培った能力だ。
「大丈夫だ、進める。行こうぜ」
盗賊役は、こういうとき先頭を歩くものだ。
★・・・・
★・・・・
遺跡の入り口すぐに地下へ向かう石造りの階段があって、それを降りていけば少し開けた空間に繋がった。遺跡と言うだけあってやや人工的な造りで、古びた燭台が壁にあった。燭台にはいくつか火が灯っていて明るい。
「やっぱりパパとママがいるんだ!」
ハンプティは喜んだ。
「血の臭いはしない」
黒曜が先頭の俺に囁く。獣人の黒曜は俺より五感が鋭いので、彼がそう言うなら間違いはないだろう。
「少なくとも怪我はねぇってことか……? それじゃあなんで帰ってこねえんだ?」
「……分からない」
それはそうだ。黒曜にだって分かるはずがない。
だが、血の臭いも、妖魔の気配もしない以上、考えられるのは、やはり……。悪魔の姿が脳裏をチラつく。
遺跡はそこまで広くなく、多少の分かれ道もハンプティが奥への道を案内してくれたことで、俺たちは早々に遺跡の最奥まで来てしまった。広い空間だ。
壁の燭台には相変わらず火が灯っていたが、誰ひとりいない。気配もない。
「おい、どうなってんだよ。誰もいねえじゃ――」
「タンジェ!!」
突然黒曜が俺の名を叫んだ。
「――かわせ!!」
意味を理解するより先に身体が動いて、俺は大きく一歩身を引いた。俺の頭があった場所を、鋭い刃が通り過ぎる。
「……何の冗談だ?」
問題は刃の正体だった。俺の首を的確に狙ったその刃は、間違いなく青龍刀のそれだった。ベルベルント近辺で青龍刀の使い手は多くない。少なくとも今ここでそれを振り回せるのは黒曜しかいなかった。
「……!」
俺に避けるよう指示した当の黒曜が、青龍刀を構えて俺に向けている。
「やられた……!」
黒曜は珍しく忌々しげに顔を歪めて、
「身体が動かん……! 何とか避けろ、タンジェ!」
「ふざけんなてめぇ! どうなってやがるんだ!?」
容赦のない一閃が再び俺を襲う。盗賊役というのは身軽さがウリで、見切りも得意なものだが、こと俺に関しては別にそんなことはない。取っ組み合いのほうが得意だからだ。それでも黒曜の申告があったので何とか回避できた。
「く……!」
視界の端で、異変を察したパーシィがハンプティを振り向いた。それからハンプティに向けて素早く左手を翳し――
「それを向ける相手は、ボクじゃないよね?」
ニッコリと微笑んだハンプティの視線に射貫かれたパーシィが、突如ぐるりと俺を振り返った。
おい待て、つまり、これは……!
「タンジェ、すまない、少し痛いと思う……! <ホーリーライト>!」
マジかよ……! パーシィから放たれた光弾が俺の左肩に着弾する。いてえ!
「パーシィ、てめぇ!」
「俺の意思じゃないんだ……!」
パーシィも顔を歪めた。ということはつまり、
「ハンプティ、てめぇだな……!?」
今さっきのパーシィとのやりとりを見れば、一発で分かる。このガキが俺たちを謀ったのだ!
「あはは! 大正解ー! パパとママがいるなんて、真っ赤なウソでした!」
口でピンポンピンポンと効果音を言いながら、ハンプティは元気よく声を上げた。
「それにしても、お兄さんたちみんな<魅了>が効きづらいねえ。ここまでかけ続けてやっと二人の身体のコントロールを得られただけなんてさ」
唇を尖らせたハンプティが拗ねたように足元にあった石を蹴る。そんなことを言っている間に、黒曜が容赦なく俺の背後をとった。
「会話する気があんならよ……!」
咄嗟に振り返り青龍刀を斧で受け止める。怪力なら負けやしない。
「攻撃やめさせやがれ!」
斧で強引に青龍刀を弾く。だが、それが限界だ。黒曜に隙ができた一瞬で距離を取るが、パーシィの光弾が退くことを許さない。近距離と遠距離をカバーしてんじゃねえよ!
「やだよーっ」
ハンプティはけらけら笑っている。
瞬間、視界の影からアノニムが躍り出て、まっすぐにハンプティへ向かった。だがアノニムの攻撃が届くより先に、遠慮も容赦もあったもんじゃないパーシィの光弾の雨が二人の間を遮る。
「……ちっ!」
不退転の男 2
「名前は?」
「ハンプティ!」
黒曜の質問に元気よく答えたハンプティは、俺たちの顔をじーっと見比べてから、何か質問があれば、とでもいうように首を傾げた。
「両親が遺跡から帰らないという話だったが」
「うん! 北にあるホックラー遺跡に行くって、パパとママが言ってた」
「ホックラー遺跡か」
黒曜が言いながら――今回サナギが不在のため――メモを取っている。
「いなくなったのはいつ頃だ」
「昨日のお昼くらいから。昨日の夜には帰るって言ったのに、帰ってこないんだ」
ここで、だいたいサナギかパーシィが「それは不安だろうね」くらい言うものだが、サナギはいないとして、パーシィが黙って聞いているのが何となく不自然に感じた。パーシィの顔を見やると、特に変わった表情はしていないのだが、何か考え事をしている様子だった。無視してもよかったが、
「パーシィ、何かあんのかよ」
「え?」
俺が声をかけると、パーシィは顔を上げた。
「俺かい?」
「何か考えてることがあるんだろ」
目を何度かぱちぱちと瞬かせたあと、パーシィはハンプティを見て、
「それじゃあ、……ハンプティ、きみ、片眼鏡の、長身の男性に会ったことはあるかな?」
……ラヒズのことに違いない。
「うーん……あ。あの人のことかな? あるよ。パパとママの友達だって」
パーシィはそれを聞いてまた少し考える素振りを見せたあと、俺たちに小声で言った。
「この少年から、若干だが……ラヒズの気配を感じる」
「あいつどこにでも出てきやがるな……! しかし、どういうことだ?」
「分からない」
本当に僅かなのだけれど、警戒はしたほうがいいかもしれない、とパーシィは告げた。
警戒と言ってもな、と俺はハンプティの様子を眺めた。大きな目を不思議そうにキョロキョロ動かしている。こいつの両親がラヒズに関わっていた、ということなんだろうか。だとすれば帰ってこない原因は、遺跡の妖魔ではなく……?
……考えても仕方がないことだ。
「報酬は出せるのか」
黒曜が淡々と聞くと、
「うん! あのねぇ、お小遣いがあるから。普通どのくらい払うものなのかとか、よく分かんないんだけど……300Gでどうかな?」
充分すぎるくらいだ。というか、300Gをぽいと出せるガキなんざめったにいない。裕福なんだろうな、と思う。そういえば、着ている服もかなり上等だ。
「ホックラー遺跡自体は、1時間半もすれば着く」
頷いた黒曜が言う。
「早めに出たほうがいいだろう」
確かに、初動はハンプティの両親の生存率に繋がるはずだ。
とはいえおそらく日帰りの依頼。俺たちは簡単に、だが的確に装備を整えて、さっそくホックラー遺跡に向かうことにした。
「じゃあハンプティ、依頼が終わったらここで……」
「え、ボクも行くよ!」
ハンプティはぴょんと椅子から飛び降りて、きらきらとした顔を俺たちに向ける。
「連れて行くわけねえだろ、足手まといだ」
「えー」
俺が言えば、ハンプティは不服そうな顔をして、それから、
「でもボク、パパとママにくっついてホックラー遺跡に行ったことあるんだ! だから案内できると思うよ」
「……」
別に観光地でもない、出涸らしの遺跡の地図を売っているところなどあるはずもない。盗賊ギルドに行けば出回っているかもしれないが、そこまで手間をかけたくないし金も無駄だ。俺が天秤にかけて悩んでいると、パーシィが耳打ちした。
「彼を連れていけば、ラヒズが出てくるかもしれない」
……撒き餌じゃねえんだからよ。
「あいつはベルベルントの街中では戦闘を避けがちだ。ミゼリカ教会があるからだろう。ホックラー遺跡ならベルベルントの外で、けど離れすぎてもいない。やつと戦うなら悪くない立地だ」
「しかしフルメンバーじゃないどころか、足手まといのガキを連れて、か?」
パーシィはその言葉に、
「ああ……それもそうか」
あっさり引き下がった。
「悪いが、やはりきみを守るのに割く戦力はないよ」
俺への耳打ちとは打って変わり、パーシィはハンプティに言い含めた。
「……」
ハンプティは少し考えるようにしたあと、
「分かった、じゃあここで待ってるね!」
にこりと笑った。よし、聞き分けのいい子供だ。
ところが黒曜が、
「あとから追ってこられるほうが、やりづらい」
淡々と言った。思わず彼を見て、
「……何のことだ?」
「ハンプティは、あとから俺たちを追いかけて遺跡に来るつもりだ。見れば分かる」
ハンプティは黙っていたが、ちろっと舌を出した。俺は頭が痛くなる思いだった。
「……なら、初めから連れてったほうがまだマシか……」
どうせ来るなら、俺たちといたほうが危険は少ない。どっちにしろラヒズの気配は気になる。
仕方ない。
不退転の男 1
ようやく買い出しが終わった。店が開いてすぐに出かけたのに、昼前になってしまった。
親父さんから頼まれたお使いはなかなかの量で、これを歳のいった親父さんや娘さんに運ばせるのは悪い。引き受けた理由はそれだけだ。
俺――タンジェリン・タンゴ――がこのお使いを引き受けなかったとて、別に他に予定があるわけでもなかった。
お使いメモを確認して――サナギの書くそれに比べて、なんと読みやすいことか!――不足のものがないことを確認する。問題ないと判断し、星数えの夜会への帰路を歩く。
馬車が横切るのを待つ大通りで、くい、と服の裾を引かれた。見下ろすと、子供がひとり、俺の服の裾を掴んで俺を見上げている。
知らないガキだ。もっとも、知ってるガキのほうが少ない。
「なんだよ?」
上から睨んだが、子供はまったく怯んだ様子がない。太陽光をいっぱいに浴びてキラキラ光る大きな目でしばらく俺のことを見上げていたが、
「パパとママが……」
と、呟いた。
「あ?」
「パパとママが戻ってこないんだ」
子供にはまるで悲壮感も焦燥感もなかったが、その言葉に同情した。内心で、ほんの少しだけだ。とはいえ俺にできることなんざ別にない。
「で?」
と俺は言った。
「お兄さん、冒険者さんでしょ?」
「……なんで分かった?」
「星数えの夜会は、お兄さんたちが思ってるより有名だよ」
俺は子供を見下ろした。子供は無邪気に笑っている。
「ね、依頼を受けてほしいな。ボクのパパとママを探して! お礼ならできるんだ」
依頼内容の割に、ずいぶん気楽な様子だった。
★・・・・
とりあえずお使いの荷物を親父さんに預けて、結局ついてきた子供を適当なテーブル席に座らせて、それからパーティのメンバーを探した。ガキの親を探す程度の依頼、本来なら俺一人でも済むのだが、問題は子供が告げた「パパとママがいると思う場所」だった。子供は「パパとママは学者さんで、遺跡に行ったんだよ」と言った。
とりあえずお使いの荷物を親父さんに預けて、結局ついてきた子供を適当なテーブル席に座らせて、それからパーティのメンバーを探した。ガキの親を探す程度の依頼、本来なら俺一人でも済むのだが、問題は子供が告げた「パパとママがいると思う場所」だった。子供は「パパとママは学者さんで、遺跡に行ったんだよ」と言った。
遺跡。確かにベルベルントの周囲にはいくつか遺跡がある。すでに発掘・盗掘され尽くした出涸らしだと聞いているが、学者ならば行くこともあるのだろうか。問題は、放棄されたその遺跡には定期的に妖魔が住み着く、と聞き及んでいること。そのたびに駆除されているようなのだが、こいつの両親が帰らないなら、最悪の場合を考えなければいけない。
子供がテーブル席で足をぷらぷらさせているのを横目に、見慣れた顔を探せば、黒曜とパーシィはすぐに捕まった。アノニムはたまたま外出から帰ってきたところに声をかけることができた。
「サナギと緑玉知らねえか」
たまたま近くにいた翠玉に尋ねると、鳥がさえずるように控えめに笑って、
「二人でお出かけしましたよ」
と。
サナギと緑玉が? ……もしかして、本当に仲がいいのか?
ともかく、そういうことなら仕方ない。妖魔のいるあでろう遺跡とはいえ、ベルベルントの郊外。フルメンバーで臨むほどの危険はないだろう。
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