分水嶺 11
- 2023/09/19 (Tue)
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翌朝、黒曜一行はロッグ村を発った。村人は総出で黒曜一行を改めて労い、村長とライゴ、そしてラッシュは、タンジェたちの姿が見えなくなるまでずっと見送っていた。
昨晩のうちに受け取った謝礼金は、依頼の張り紙のとおり、まず150Gldが6人分で900Gld。それから6人の馬車代は往復で600Gld。宿泊費等はかからなかったし食事も好意でまかなえたので、1,500Gldで満額のはずだったが、村長はそれに300Gldを上乗せした。感謝の気持ちだそうだが、あの寒村で1,800Gldを出すのは本当に苦労したと思う。
6人割りだから1人当たりの取り分は300Gldだ。もちろんこれだって命をかけた割には合わない。だがそれが冒険者というものだ。
下山してファスの町に着く。ここからはもう馬車でベルベルントに帰るだけだ。それでも一応、下山の疲れを癒すため、行きにも寄った食堂に入ることにした。
黒曜が食堂の扉に手を掛け、ふと止まり、扉から手を離して、一歩引く。妙な挙動を不思議に思っていると、扉が勢いよく内側から開いた。中から明らかに旅支度をした冒険者という出で立ちの大男が出てくる。黒曜は音か何かでこの男が扉を開けることを予測し、避けたらしかった。
「おっと、悪いな」
男はこちらに気付いて、改めて横に避けたタンジェたちに軽く謝罪した。そのまま立ち去るかと思ったら、
「おっ、同業か?」
片手を挙げて気さくな調子で続ける。なるほど、やはり冒険者らしい。
「うん。この町の冒険者?」
社交的でない黒曜に代わり、黒曜一行を代表してサナギが応じた。ロッグ村の依頼がベルベルントに届けられたということは、このファスの町に冒険者がいないことは明白だったが、これはサナギが相手から話を引き出すために意図的に作った"隙"である。
「いや、ベルベルントから来た」
「そうなんだ! 俺たちもそう。ロッグ村からの帰りさ」
「そうか、依頼はうまくいったか?」
「うん、滞りなく」
「お疲れ! 俺たちはこれからだ」
「どこまで行くの?」
サナギが尋ねると、冒険者の大男は、
「ヤイ村ってとこだ。ゴブリンの群れにやられたらしい。半月くらい前から森が荒らされて、ゴブリンが活発に暴れてたらしいな」
「ああ、ファス山の反対側だね。お疲れさま。……半月くらい前……もしかして、ノワケが急にロッグ村に現れたのは……」
「ん?」
「ああいや、なんでもないよ」
言い交わしている二人の会話を聞きながら、タンジェは首を傾げた。ヤイ村? ゴブリン退治? どこかで聞いたような……。
「なんでも一度、ベルベルントの冒険者パーティが引き受けて行ったらしいんだが。そいつらごと、村が全滅したってよ」
「え?」
「で、残ったゴブリンどもが外に出てくる前に掃討するのが、俺たちの仕事」
「ははあ。他パーティの尻ぬぐいか。それは、村には残念だったね」
「さてな。先に諜候に行ったうちの盗賊役によると、先んじて仕留めたゴブリンの首を村の入り口に掲げてたらしいからなあ。やられちまった側を悪く言うのもよくねえと思うが、あんましマトモな神経の村じゃなかったみたいだぜ」
じゃあな、気を付けて、とお互いの無事を祈る言葉を交わし、サナギと冒険者は別れた。
食堂で一同は案内されたテーブルにつき、各々軽食を頼んだ。注文が届く間、サナギは、先ほどの冒険者の証言と照らし合わせて、もともとヤイ村側で暮らしていたノワケが、ゴブリンたちに住処を追われて、反対側のロッグ村までやってきたのではないか、と検討をつけた。でも、もうあまり意味のない考察だけどね、と言い添えて。
そしてタンジェは、食堂でオムレツを食べる間に、突然思い至った。
「……ああ!」
「うわ、急に何?」
別に大して驚いた様子もなく、緑玉が眉を寄せた。ほかのみんなもタンジェを見ている。タンジェは「何でもねえ」と取り繕ったが、内心は穏やかでなかった。
――『湖の恋亭』のコンシットたちだ。
ヤイ村のゴブリン退治を引き受けて、つい昨日、たぶん依頼をしに行った。
失敗、したのだ。
詳しい経緯は分かるはずもないが、やつらはゴブリン退治に失敗し、そして、ヤイ村の村人たちとともに全滅した。
「……」
コンシットたちの依頼の成功を願うほど、彼らに興味はない。しかし、依頼をしくじれと考えるほどの悪意もなかった。
――俺たちのパーティなら、戦士役として置いてやるぜ? やることも獣相手なんかじゃなくて妖魔退治さ。
――明日さっそくヤイ村ってとこでゴブリン退治だ。そうだ! そこから俺たちのパーティに参加しろよ。なっ!
あのとき、コンシットの誘いのまま、タンジェがやつらのパーティに戦士役として異動し、ともにゴブリン退治に向かったのなら、何か変わっただろうか。
……いや。そんな「もしも」に意味はない。
それに、タンジェ1人の存在が戦局になにも影響を与えなかったとしたなら――タンジェもまた、ゴブリンどもに殺されただけだ。志半ばにして、意味もなく、無様に。
「……」
リーダーの黒曜は常にパーティの戦力を分析し、手に余る依頼は決して受けなかった。コンシットは身の丈に合わない依頼を受けたのだろうか? 分からない。ただ、きっとコンシットは、リーダーには、あるいはそもそも冒険者には、向いていなかったのだろう。それだけの話だった。
オムレツを割ったタンジェのフォークが皿に鳴る。
人生は選択の積み重ねでできている。
ただ、選択の余地がない、"一本しかない岐路"ともいうべき分水嶺があって、それは無慈悲だ。たとえばオーガどもに蹂躙されたタンジェの故郷。けれどもタンジェは、復讐の道だけは自分で選択したのだと信じている。
これから先、一度も選択を誤らないなんていうことは、きっとありえない。あのときコンシットの誘いを断ったことも、"結果的には正しかった"と言えるだけだ。選択の正誤を考えて断ったわけでもない。タンジェはコンシットの性根が嫌いなだけだった。
――復讐の道が正しかったか分かるのは、復讐を成し得たそのときだけだ。
タンジェは思う。
それでもせめて、黒曜に戦闘を師事したことは、それをきっかけにこのパーティに所属していることは、そして今、盗賊役という回り道をしてまでここにいることは、どうか間違いであってくれるなよ、と。
【分水嶺 了】
分水嶺 10
- 2023/09/19 (Tue)
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ラッシュと緑玉が現れ、それから数分ほど遅れてライゴとサナギが追いついた。サナギは何度か転んだらしく――運動音痴なのである――土と葉っぱまみれだったが、誰にも怪我はなさそうだ。
地に倒れ伏したノワケを見て、はっとした顔になったライゴは、しかして浅く何度か頷き、「たいしたもんだ」と呟くように言った。
改めて見たノワケの死体。巨大で、強く、自然に生きた、誇り高い命である。ただ、人に害を為すなら、人のために殺されなければならなかった。共存は、人にとって、あるいは野生動物たちにとっても、容易ではない。タンジェは短く黙祷した。
目を開けると、ライゴとサナギ、そして緑玉も同様に黙祷しているのが目に入る。数秒後には、目を開いた。
戦闘は……結果的には鮮やかな連携だったといえるだろう。
先陣切ったタンジェに気を取られたノワケの目をパーシィが眩まし、その隙にアノニムが強烈な一撃を叩き込んで動きを鈍らせ、黒曜が的確に急所をついた。
問題といえる問題は、強いて言うなら、自分が明らかに"囮役"であったことにあとで気付いたタンジェが、アノニムをジトリと睨んだくらいである。もっともそれは真っ先に飛び出したタンジェにどうしたってくっついてくる役割ではあったし、実際、戦いにはしっかり貢献している。悔いることも恥じることもない。
そのアノニムはといえば、ノワケを見下ろして、黙祷するでもなく、
「複数人がかりなら、なんてことはねえんだな」
言葉の意図をはかりかね、タンジェは訝しげにアノニムを見た。アノニムはそれ以上は何も言わなかったし、ライゴが持ってきたソリにノワケの死体を載せねばならず、その重労働に駆り出されていった。
タンジェもそれを追おうとしたところで、
「アノニムは剣闘奴隷だったそうだよ」
突然パーシィが言った。足が止まる。
「幼い頃、子グマと戦わされたこともあったと言っていた」
タンジェは返す言葉を失い、パーシィを見た。アノニムの背中を眺めていたパーシィはタンジェに視線だけ寄越すと、
「人に歴史あり、というやつだな」
にこりと笑って、小走りでアノニムのあとを追った。ノワケを囲む輪に入ると、ライゴに、
「これ、食べるのかい!?」
「そうだな、捌いたら村がしばらく食ってけらあな」
そしてタンジェも、ようやく足を動かして、近付いていった。
「ならさっさと血抜きだ! 黒曜の一撃でだいぶ抜けただろうが……胸からも出したほうがいいだろ」
分かっとるわい、うるさいガキだ、と、ライゴが言って返す。ノワケの巨体を村に運ぶのは、ずいぶん骨が折れそうだ。
★・・・・
何度も何度も腰を曲げて礼を言う村長に、いよいよもってタンジェが「もういい、聞き飽きた、鬱陶しい、そもそも最初の一回で足りてんだよ!」と畳みかける頃には、もうとっくに日は暮れていた。
今からの下山は難しい。ロッグ村には宿はなく、村を前にして野宿かと思われたが、村長は村の集会所を快く貸してくれた。布団はないが、今の時期は寒くはないので床と壁と天井があるだけで充分ありがたい。村長とライゴが湯を沸かしてくれたので身体も拭けた。至れり尽くせりである。
血抜きを終えたノワケは、運ぶ前に最低限、タンジェとライゴで捌いた。それから村に運ばれたのちに村人総出でさらに細かく捌かれて、大量の肉になった。到底、腐る前に食べきれる量ではないので、ほとんどは燻製肉などになるだろう。新鮮なうちに食べ切れるであろう部位は、村人が各々、深い感謝を述べながら家庭に持ち帰った。村長とライゴが受け取った分は熊鍋にして、今晩の夕食に振る舞ってくれるとのことである。
熊鍋ができるまでの間、タンジェは外でぼんやりと星を眺めた。星数えの夜会の親父さんとは違い、星見をする趣味はないのだが、夜の秋風は心地いい。依頼を成し遂げた達成感がじわじわと湧いてきて、言葉にならなかった。ただ、熊殺しの喜びを他人と共有するのも悪趣味だと思ったので、こうして外に出て、一人で反芻している。
「何してるの」
急に声がしたので驚いてそちらを向くと、緑玉がいた。足元にラッシュが寄り添っている。驚いたことは隠しつつ、
「てめぇこそ何やってんだ」
「ラッシュの手入れ。今日の狩りでかなり汚れてたから」
「そ、そうかよ」
緑玉は普段はかなりドライなほうで、依頼人に対しても心を開くようなことはまずなかった。それがラッシュに対してはこの調子である。ずいぶん面倒見がいいんだな、と言うと、
「ラッシュは依頼の達成に貢献した。俺たちと何も変わらない。なのにラッシュだけないがしろにされていいわけなくない?」
と、わりと強めの口調で返答があった。
その語気に反応して反射的に言い返しそうになったが、考えてみれば緑玉の言葉に反論したい部分は特になく、だから口から出す言葉も思いつかず、タンジェは身を乗り出しただけになった。
「……なに?」
「……いや……」
タンジェは姿勢を戻した。しばし沈黙。
「……じゃあ、俺はラッシュをライゴの家に送ってくるから」
緑玉が言って、踵を返す。
おそらくだが、動物が好きなのだろう。もしかしたら、人間が嫌いだからこそ。
獣人たる緑玉、あるいは黒曜が人間たちにどんな扱いを受け、どんな人生観をもってここにいるかなんてのは知らないし、聞くつもりもない。ただ、パーシィの言葉通りだ――人に歴史あり。
だとすれば、とタンジェは思った。
「熊鍋、無理して食うことねえぞ」
緑玉が立ち止まり、こちらを振り返った。
「なんで? 楽しみだけど、熊鍋」
「……」
気遣って損した。タンジェは舌打ちした。
やがて供された熊鍋はほんとうに美味かった。
たっぷりの野菜と煮込まれた熊肉は、臭みもなく柔らかい。この技術は長く獣肉を捌き、調理し、食してきた猟師であるライゴの手腕だろう。
冒険者というのは身体が資本であるから、だいたいよく食べるものだ。しかし、それでもなお特筆すべきほど、黒曜一行は食事量が多い。大柄で筋骨隆々な見た目通りのアノニムや背が高くがっしりめの緑玉だけでなく、しなやかな体つきの黒曜も、一見すらりとしているパーシィも、本当によく食べる。
タンジェも健康優良の17歳男子だからして食べ盛りだ。だが健康志向で食事量も腹八分が目安のタンジェは、相対的に周囲から「あまり食べない」と思われているレベルであった。断っておくが、これでも人よりは食べている。
「お野菜、おいしいね〜」
と、のんきなことを言って、熊肉より野菜ばかり拾って食べているのはサナギで、こいつだけは黒曜一行の中で……どころか、世間一般から見ても少食である。
「……残ったら村のもんに分けようと思ったが、こりゃ……残らんな」
ライゴが呟いたので、熊肉を咀嚼して飲み込んだタンジェは、
「冒険者に飯出して、残るわけねえよ」
「かっ、覚えておくわい!」
ライゴが笑った。骨をもらったラッシュがその足元で、珍しく、わん、と一度だけ吠えた。
分水嶺 9
- 2023/09/19 (Tue)
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「じゃあ、ライゴさんとラッシュに案内してもらって、まずはクマハギの位置の確認だ」
「ああ……しかし、あの場所はこの人数で格闘できん。少し逸れれば、多少開けた場所に出るわい。追い立てるのはラッシュの領分だ。お前がセコをやれ」
と、緑玉を見た。
「え?」
「ワシは単独猟しかやらん。体力こそ若いやつらには負けんが、走り回れんわい。ラッシュも懐いているようだし、お前がやれ」
「……そもそもセコって何?」
緑玉の疑問にはサナギが答えるだろうと思っていたが、何故かタンジェに説明を譲ろうとするので、しぶしぶ、
「よさげな場所を何人かのマチで囲んで、セコが獲物を追っかけ回して、そんで来たところを、近いマチが仕留めんだよ」
「……何も分からない。専門用語が増えてるし。説明向いてないね」
顔を歪めたタンジェが舌打ちする。自分の思考や知識の言語化はめっぽう苦手なのだった。タンジェには無理らしいと察したサナギが、
「獲物を仕留める係が何人か潜伏するでしょ。彼らがマチ。で、マチが待ち構えているところに獲物を追い立てる役割がセコ。このセコが猟犬も使役するよ」
「ああ、ラッシュに指示を出して、みんなが待ち構えてるところに、クマを追い立てればいいってこと」
タンジェが「俺の説明とそんなに違ってたか?」と文句を言うと、サナギは笑った。そもそもなんで俺に説明させたんだよ、と続けて尋ねると、
「俺が全部しゃべると、タンジェと緑玉のコミュニケーションの機会をひとつ奪うと思って」
タンジェと緑玉はお互いに変な顔になった。
「しかし大事な猟犬でしょう。いいんですか?」
2人の顔から視線をライゴに移し、サナギは尋ねた。ライゴは、
「お前らは猟銃は使わんのだろう。誤射はない。それにぎりぎりまでワシもついとくわい。走り出したら追いつけんから、そのときはノワケを優先して放っておけ」
「やり方は教えてくれるんだよね?」
「当たり前だ。しかしまあラッシュは賢い子だ。ノワケからの反撃を避けるだの、多少の判断は自分でする。それにラッシュは追い立てと呼び戻しの指示は間違いなく聞くわい。やってやれんことはないだろう」
サナギが頷き、
「クマハギの位置と追い立てる場所を確認して、緑玉はライゴさんとラッシュとクマハギの場所で待機。残りは、ノワケを追い立てる予定地付近で潜伏だ。ノワケが現れたら戦闘」
もっとも、たぶん俺は役には立たないなあ、とサナギがぼやく。
「クマと格闘なんかできるわけないからね。どうしたものか」
「だが、いざというときのために誰かしらの近くにはいろ」
淡々とした黒曜の言葉には、サナギも「了解」と素直に頷いた。
一同はすぐに森へと発った。道中、ノワケとの不意の遭遇を避けるため、鈴を鳴らし、定期的に空砲を撃つ。ライゴが緑玉にラッシュへの指示を教え、緑玉は何度か実際にラッシュを動かした。
間もなく予定地へつく。確かに樹皮の剥がれた木々が立ち並ぶ一角がある。やがてこれらの木は枯れて倒れ、土に還るだろう。
「ははぁ。なるほど、これはすごいな」
樹皮はぎを初めて見たというサナギは感心した様子で屈み込み、樹皮の剥がれた部分を観察している。
「おい、のんきなこと言ってる場合じゃねえぞ。いつノワケがここに来るか分からねえ。俺たちは縄張りに踏み込んでるんだからな」
わざわざ人間を襲いたい野生動物はまずもっていない。突然出会って驚き襲うもの、子どもを守るために戦おうとするもの、腹が減って凶暴化するもの、やむを得ない事情で人を害しはするけれども、基本的に野生動物は人間を恐れ、忌避する。だが、ライゴはノワケのクマハギを縄張りのアピールだと言い、今まさにタンジェたちはそこに踏み込んでいるのだ。いつ襲われてもおかしくはない。
「ああそうだね。よし、次はノワケを追い込む場所だ」
「こっちだ」
ライゴの案内で、十数分ほど西に進めば、確かに少し開けた場所がある。クマとの取っ組み合いに充分かは……、経験がないので確信をもって頷くことはできないが、先ほどのクマハギの地点よりははるかに動きやすそうだ。
「……ここにノワケを追い立てればいいんだね」
緑玉がラッシュを撫でた。
「できるか」
「分かんないけど、やらなきゃいけないんでしょ。じゃあやるよ」
ひねくれた言い方ではあったものの、実質、緑玉は頷いた。
タンジェとライゴでマチの潜伏場所を選択する。サナギが、
「俺は……セコ側にいようかな。ライゴさんにつくよ。どうせ俺も、ラッシュと緑玉には追いつけない」
と言うので、選んだのは4カ所。パーシィは本来後衛の聖職者だが、メイスで戦う技術はあるし、いざというときに素早く怪我の治療するためにもマチ側にいるべきだと判断された。
黒曜、アノニム、タンジェ、パーシィの位置取りを確認。
あとは、緑玉、ラッシュ、ライゴ、サナギが先ほどのクマハギの位置に戻り、ノワケを待つ。ノワケが現れたらこの場所に追い立て、4人で迎撃する。現れなければまた明日、同じことをするだけだ。
「4人がかりなら殴り殺せるものかい?」
潜伏前にパーシィが尋ねてきた。
「どうだろうな。タイマンよりは可能性があるんじゃねえか」
戦斧を担いだタンジェが素っ気なく答える。適当に肯定することもできたが、する意義はないとみた。パーシィは別に不安がってそれを尋ねたわけではなさそうだったし、タンジェは――本人の自覚は希薄だが――真面目な性分なのである。
「そうか。まあ、怪我は心配しなくていい。"祈り"にはまだ余裕があるし、怪我は俺が治すよ。即死でなければ」
嫌なことを言う。
「……"祈り"に余裕がある?」
嫌なことのインパクトが強すぎて聞き流しかけたが、意味不明な言葉があったので問い直した。
「俺の力の源は人々の祈りなんだよ。人の祈りがエネルギーになって、俺の身体にストックされる、とでも言えばいいかな。魔法使いがいうところの魔力、戦士がいうところの体力だ。これさえあれば、俺は癒やしの奇跡を何度でも使える」
「……聖職者ってのは、みんなそうなのか?」
祈りが力になるなんて、初めて聞く概念だった。
もともと聖職のことには疎いのだが、タンジェの故郷ペケニヨ村があったエスパルタ国は聖ミゼリカ教国家だったので、タンジェも村の私塾でほんの少し聖ミゼリカ教のことは習っていた。もっともペケニヨ村はそれほど聖ミゼリカ教に傾倒していたわけではなく、タンジェも両親も信者ではなかったし、それどころかタンジェは不心得者のほうである。 だからパーシィの言い出したトンデモな話も自分が知らないだけで一般的なものなのかと思ったが、パーシィは、
「いや、けっこう特殊体質だと思う。俺は元天使だから、それに由来するものだ」
「はあ?」
タンジェは驚きと怪訝をないまぜにした変な顔になった。パーシィは冗談を言っているふうでもなくごく普通の表情である。
「あれ? きみには言っていなかったか。ちょっといろいろあって地に堕とされた……要するに堕天使なんだよ、俺は」
またわけのわからないことを言い出しやがったな、とタンジェは思ったが、今はそんなことよりノワケを待ち潜伏するのが最重要だ。タンジェはパーシィを「そうかよ、さっさと潜伏場所へ行け」と雑にあしらった。パーシィは「本当なんだけどな」と言いつつも特に頓着の様子はなく予定場所につき、静かに腰を下ろした。
静寂が支配する。
元より黒曜やアノニムは口数が多くない。パーシィも真面目に静かに潜伏していた。
空気は蒼く、まだ日も高いというのに、山林に阻まれて陽は落ちず足元はわずかに暗い。
呼吸のわずかな音すら立てず、タンジェも”その時"を待っている。
何分、何十分、あるいは1時間は経っただろうか。
静謐を裂く。
けたたましく勇ましい、犬――ラッシュ――の吠声だ。
タンジェは顔を上げた。視線だけで木々の隙間を縫う。瞬間、地面を蹴って飛び出した。
吠え立てられて逃げ込んだ"獲物"と駆けこむタンジェとがぴったり交差し、遭遇する。
視界に飛び込む、3mはあろうかというグリズリー。対面かなった、やつがノワケ!
「――喰らいやがれッ!!」
タンジェはほとんど不意打ちの形で、迷わずその巨体に戦斧を叩きこんだ。
毛皮を裂いたが、狙いもつけずに振り下ろした戦斧の刃は骨で止まる。噂通りの頑強さだ。
吠えたノワケが腕を振り回し、タンジェを振り払おうとする。暴れるノワケの腕をかろうじてかわした。ノワケの横っ腹に突き刺さった戦斧を引き抜こうとしたが、体勢が悪い。骨まで達しているのだ、片手間に抜けるほど浅くはなかった。
「ちっ……!」
仕方なくタンジェはいったん戦斧を諦め、ノワケの身体を蹴って離れて間合いをとる。
ノワケは立ち上がりタンジェを見据えた。咆哮を上げる。3mものグリズリーとの相対は凄まじい迫力で、だが、タンジェは怯みはしなかった。
もっとも、精神的には負けていないのだが、戦斧を持っていかれているタンジェはほとんど丸腰だ。腰にサバイバルナイフはあるのだが、戦斧でかろうじて破れる毛皮をこれでどうにかできるはずはない。
ノワケは脇目も振らずタンジェに突進してきた。到底ヒトが逃げ切れる速度ではない。それでも横っ跳びして避けるか、あるいは自分の馬鹿力に賭けて取っ組み合うか、一瞬の間に思考する。
が、思考に決着がつく前のほんの刹那に、
「<ホーリーライト>!」
猛進してきたノワケの目の前に閃光が迸り、弾けた。たまらずノワケは仰け反り、その場に縫い付けられる。
「……!」
視線だけ横に向ければ、パーシィが構えた腕を下ろすところだった。聖ミゼリカ教徒の奇跡は、癒やしだけではなく、聖なる光の力をもたらすのである。
タンジェは悶えるノワケに素早く駆け寄った。今度は地面に足をつけて踏ん張れるので、容易く戦斧を引き抜くことができた。
もう一撃食らわせようとしたが、それより躍り出たアノニムの攻撃のほうが速い。棍棒を振りかぶったアノニムは、渾身の力でノワケの額にそれを打ち据えた。ノワケの巨体がぐらりと揺れてよろける。クマの頭蓋は分厚く、脳は奥まったところにあるものだが、そんなことは関係ないとばかりに無視した凄まじい一撃だった。
平衡感覚を失い、またまだ目も眩んでいて、ノワケはまるで無防備だ。
今、攻撃を重ねれば、頑強なノワケだろうが殺せる! 畳みかけようとしたタンジェだったが、その意気はほとんど空振ることになった。音もなくいつの間にかノワケの前にいた黒衣――黒曜の手元が凛とひらめき、そして、その青龍刀の一撃は、鮮やかに、ノワケの喉元を刺し貫いていた。
じきに大きな音を立ててノワケが倒れ伏す。
木々にとまっていた鳥が羽ばたき、樹海から飛び立っていった。
分水嶺 8
- 2023/09/19 (Tue)
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お互い簡単に名乗ってから、ライゴが口を開く。
「ノワケのやつはまったく、えらい化けグマだわ。猟銃程度じゃ頭蓋どころか毛皮も貫けんときた。ワシとてこの村で長く猟師をやっとる。ノワケを撃ちたい気持ちはあるが、だいたい、あんなのに一人と一匹で立ち向かうのは現実的じゃないわい」
ほとんど愚痴まがいの話から始まったので、せっかちなタンジェは面倒に思った。偏屈ジジイの愚痴を聞くために来たわけではない。半分くらい嫌味のつもりで、
「はっ。ジジイが無理するもんじゃねえ。てめえがノワケに掻っ捌かれたら、それから猟は誰がするんだって話だからな」
「口の悪いガキだ!」
ライゴは口元こそ歪めたが、それで不機嫌になったということはなさそうであった。
「だがまあ言ってることは間違っとらん。ワシがくたばったら、この村には後継者がおらなんだ。元よりジジババばかりの限界集落よ、時の流れに従って死ぬならばそれもよし、だがあんなよそもんのクマ一頭に踏み荒らされる謂れはないわい」
「ノワケに立ち向かったことがあるのですね?」
ああ、とライゴは頷いた。
「外に猟犬がおっただろう。名をラッシュという。あいつは数年来の相棒よ。あいつの親も、そのまた親も、ワシとずっと狩りをしてきた」
「ノワケにも、ともに?」
「ああ。到底敵わなんだ。猟銃を眉間にぶち込んでも貫けんのだから。だが威嚇にはなったらしい、ノワケのほうが引いたから生きていたようなものよ。ラッシュを無駄死にさせずに済んだ」
ノワケは、その体格に見合う規格外れの頑強さの持ち主らしい。
「罠はどうだ?」
尋ねたタンジェの顔をライゴがちらりと見る。
「ノワケは恐ろしく賢いやつだ。ワシの作る罠じゃ、避けて通るか、掘り起こすわい」
「ふむ……」
メモをつけるサナギの横で、黒曜が改めて、
「何か特徴的な行動パターンはあるか」
と、村長に尋ねたのと同じことを聞いた。
「行動パターンか。そういえば、やつはある一帯でようクマハギをしよる」
「クマハギ……ああ、樹皮はぎか」
タンジェが言うと、「そう呼ぶ地域もあるらしいな」とライゴ。タンジェとしては、クマハギと呼ぶほうがやや地域性が強いと思う。
「こんな時期にか? なんか春にやってるイメージがあるが」
「ほう……お前、口が悪いだけのガキかと思ったら、猟師かい」
ライゴの言葉には、首を横に振る。謙遜ではない。事実、タンジェが胸を張ってそう名乗れるような純然たる猟師であったことは一度もないのだ。
「元木こりだ。故郷の村で……猟師みてえなことも、まあ、してた。ただクマは狩ったことはねえ」
「そうかい。だがまあ、それなら少し安心したわい。山で生きたことがある人間がおるなら、ズブの素人に任せるよりは多少マシだわ」
そうかよ、とタンジェは言った。二人の会話がひと段落つくのを待ってから、サナギが、
「クマハギ、つまるところの樹皮はぎというのは、タンジェの言う通り、一般的には春先から初夏にかけて見られるクマの行動だね。俺は実物を見たことはないんだけれど……要するに、名前のまま、樹皮を剥ぐ行為だ。知識としては、木の内側の水分とか養分を摂取するために行っているというのが主説だったかと。ただ、諸説あるらしいね」
「ノワケの場合は、縄張りのアピールの可能性が高いかもしれん。クマハギの範囲は徐々に広がっておるわい」
ただ、そのあたりにいることはやはり多く、もしノワケを張るならそのあたりがよかろうとライゴは言った。
「場所の案内は……、厳しいか」
サナギの視線はライゴの足にある。
「ああ……ワシとて協力したいわい。しかしこの足じゃな……」
「なんだ、足を治せばいいのかい?」
持ってきていたドライフルーツを数粒ばかり食んでいたパーシィが不意に言って立ち上がった。
「ご老人、怪我をみせてくれ」
言いながらライゴの足元に跪いたパーシィは、さっさとライゴのズボンの裾をたくし上げて、包帯をあっという間に取り去った。なるほど生々しい傷跡がある。だが、クマ爪の仕業ほど深くはないとタンジェは見当をつけた。ノワケと相対したおり、木々にでも躓いたのかもしれない。
「なんでえ、お前は」
パーシィは答えず、さっさともう、その傷に手を翳して、目を閉じている。ぽつぽつと小さく光が灯り、それがふわふわと集まって、ライゴの足の傷を覆っていく。赤みの強かった足は乾いた皮膚の色に戻り、ライゴは何度も瞬きをして、パーシィと足を見比べた。
「なんじゃあ! 傷が……痛みも引きおったわい!」
「それはよかった」
何回見ても、本当に奇跡としか言いようがない御業である。祈りだけでこれをやってのけるのだから、本当に、聖ミゼリカ教徒というのはとんでもない。目を白黒させているライゴに、
「聖ミゼリカ教の癒しの奇跡です。彼は教徒なので」
と、サナギが言い添えた。
「聖職者か。そんな便利なもんがあるなら、最初からやれい!」
「すまない。老人の怪我を癒したところで、何の役にも立たないだろうと思って」
「おい、なんじゃこいつ。タンジェリンよりはるかに口が悪いぞ。本当に聖職者か」
説明は難しい。「こういうやつなので」としか言いようがなかった。
「ともあれ、これで案内はお願いできるな」
その言葉に、ライゴは一つ頷いた。
「やってもいい。ラッシュも呼ぼう。やつはワシにしか懐かん」
「そうなの?」
急に玄関のほうから声が聞こえて、見れば玄関扉を開けた緑玉が立っていた。今までずっと外の猟犬ラッシュと戯れていたらしい。ラッシュは緑玉を見上げ、遊んでくれてありがとうとばかりに尻尾を振りながら緑玉に甘える仕草をした。それからライゴの足元へとチャッチャカ爪を鳴らして歩み寄り、主人の横に伏せた。
「いい子だね」
「……たまげたわい。普段から人に吠えこそしないが、ほかのやつに尻尾を振るのを初めて見た」
緑玉はしばし黙り、それから、
「人間は嫌いだけど、ラッシュが主人と認めるなら、あんたは悪いやつじゃなさそう。この村も」
ぽつりと呟いた。黒曜の黒豹の耳は、その言葉が終わるまでずっと緑玉のほうを向いていた。サナギが話し出すと、今度はそちらに耳が向く。
分水嶺 7
- 2023/09/19 (Tue)
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ロッグ村の村長を訪ねると、ごく温和そうな村長はずいぶん安心した様子で黒曜たちを迎え入れた。
「あんな大都会への依頼を出したのは初めてなもので。本当に冒険者の方々が来てくれるとは……遠くからありがとうございます」
6人が座れるスペースはなかったので、リーダーの黒曜と息の上がっていたサナギだけ座らせ、残り4人はソファの後ろに立ち、あるいは適当な床に座った。村長は申し訳なさそうにしきりに謝罪をしていたが、椅子に座れないことを不快に思うようなやつはいない。慣れたものだ。
村長の奥方が茶を淹れてくれて、一同はひと心地ついた。
「獣害、ということだが……」
黒曜が率直に本題に入る。サナギが手帳とペンを取り出して、聞き取りの体勢になった。
「はい。我々はやつを……『ノワケ』と呼んでいます」
村長は細く節くれだった指を組み、深刻な表情で話を進めた。
「『ノワケ』はグリズリーです。恐ろしく巨大で狂暴な……。幸い、村人に死者は出ておりません。しかしいつそうなるかは誰にも分からないことです。木を切るにも狩りにも差し支え、畑と家畜は半分近くやられました……」
「それはお労しい」
と、サナギが気遣う。続けて、
「ノワケは、以前からこのあたりに出るのですか?」
「いえ……。つい半月前ほどのことでしょうか、急に現れたのです」
たったの半月で通り名をつけられるほどの大グマ――。その存在感は想像するに余りある。
「子グマは?」
タンジェが短く尋ねた。
「は……。はい。村にはノワケを目撃した者が何人かおるのですが、小グマを連れていたという話は聞きません。おそらく、いないものかと」
「ふむ。ということは、小グマを守るために狂暴化しているというわけではない。そういうことだね、タンジェ?」
サナギが会話を引き受け、そのままタンジェに振る。
「ああ……。単に腹が減って気が立ってるなら、確かに、さっさと殺っちまったほうがいい」
その言葉には黒曜が応じるようにして、浅く頷いた。村長は深く頭を下げる。
「よろしくお願いします……」
ここからは実際にノワケと戦うことを考えるわけだが、と、黒曜は言った。
「ノワケには何か特徴的な行動パターンはあるか」
「それなのですが……この村には猟師がおりまして、ノワケに関する情報は私よりそちらのほうが詳しい。案内しますので、ご足労いただけませんでしょうか?」
タンジェは目を瞬いた。
「なんだよ、猟師がいんのか?」
まあ、考えてみれば当たり前だ。山村に猟師が一人もいないなんてことはまずないだろう。しかし害獣の狩猟を外部に依頼するぐらいだから、猟師に類するものがいないか、役に立たないのだと勝手に思い込んでいた。
「はい。ベテランで、腕のいい男なのですが……怪我をしておりまして。頼ることができんのです」
「ははぁ……それはお気の毒に。だからわざわざベルベルントまで依頼を出したのですね?」
村長は力なく頷いた。
それから一同は村長宅を辞し、案内されるまま一軒の家にやってきた。外の犬小屋にいた大きな犬が立ち上がり、冒険者たちをじっと見つめている。ベルがついた首輪はしているが、鎖で繋がれてはいないようだ。
外部の者である黒曜たちにも無意味に吠え掛かるような真似はせず、かといって尻尾を振って腹を出すような真似もしない。利発な顔立ちの猟犬であった。
緑玉が屈みこみ、犬と見つめ合う。その横で村長が扉をノックし、家の中に声をかけた。
「ライゴ。私だ」
「ああ」
と中から、しわがれた、しかししっかりした応答があった。
「鍵は開いておる。入れ」
村長が扉を開き冒険者たちを室内へ案内した。緑玉は犬とまだ見つめ合っていて、黒曜はそれを一瞥したが、特段、緑玉を急かし促すことはせず、村長に招かれるまま猟師ライゴの家へと上がった。
「ふん。そいつらが都会の冒険者とやらか」
ライゴは高齢であったが、姿勢よく背筋はしゃんとしていて、鷹のような視線も鋭い。ただ、椅子に座ったまま立ち上がることはなく、村長と黒曜たちを出迎えた。足を庇うような仕草からすぐに足が悪いと知れた。村長の言っていた怪我だろう。
椅子はテーブルを挟んだライゴの向かいにもう一脚あるだけで、冒険者たちが座れる数は到底ない。村長も手狭を察し「狭くなるでしょうから、私は戻りましょう。何かあったらまた訪ねてください」と、丁寧にお辞儀をして立ち去った。
「お前ら、いつもはゴブリンどもなんぞを相手にしとるんだろう。クマなんかと思っていやせんか?」
ライゴが唐突に言い出した。第一印象は悪いほうだろう。だが田舎村に偏屈な爺さんがいることなど、珍しくもなんともない。
「ファス山にお詳しいのでしょう。急に現れた都会のよそ者を胡散臭く思うでしょうね。ですが仕事です、滞りなくできるよう、努力します」
と、サナギが下手に出る。ライゴは腕を組んで「そうかい」と言った。
「ノワケについて詳しく話を聞かせてほしい」
黒曜が本題に入ると、
「……適当に座れ。茶は出さんがな」
ライゴが会話の姿勢を見せた。さっき村長のお宅でお茶を飲んだから、喉は乾いていないが、とパーシィが心底不思議そうに言ったのには、誰も応答しなかったが。