- 2024.04.04
神降ろしの里<後編> 9
- 2024.04.04
神降ろしの里<後編> 8
- 2024.04.04
神降ろしの里<後編> 7
- 2024.04.04
神降ろしの里<後編> 6
- 2024.04.04
神降ろしの里<後編> 5
神降ろしの里<後編> 9
カンバラの里の神降ろしも、今日で最終日だ。
昨日と同様に屋台が出て、外は賑わっているようだった。
身支度を整えていると、らけるが宝刀を抱えて窓辺にいることに気付いた。タンジェに気付いていないようだったので、別にその必要もなかったのだが、声をかけた。
「らける」
「わあ! あ、タンジェ、おはよ!」
「……おはよう」
昨日はとうとう寝る直前までラケルタだったので、真実を――帰れないと知ったあとのらけると対面するのは初めてだ。
タンジェはらけるの横に座って、
「帰りの護衛もしっかりやるぜ」
言った後に、少し考えて、こう付け足した。
「依頼だからな」
「うん……」
らけるは気のない返事をした。
会話は終わったと判断し、タンジェはすぐに立ち上がろうとした。
「タンジェさ……」
声がかかる。タンジェは中腰の状態でらけるを見た。
「ご両親亡くなってるんだって?」
「……」
「もしかしてさ……タンジェが会った仏……シェイプシフターって、ご両親だった?」
「ああ」
タンジェの両親のことは――親父さんにでも聞いたのかもしれない。そこから推察すれば、確かにあのときタンジェが追いかけた2人の仏が両親であっただろうことは分かるだろう。タンジェは頷いた。
「その……これからずっと家族に会えないってさ……」
らけるの声が震える。
「結構きついよね……」
「……」
突然家族と引き離され、もう二度と会えない。その辛苦をタンジェも知っている。
らけるは、途中で不安に押し潰されても、絶望に挫けてもおかしくはなかった。それでも彼が折れずにここまで来られたのは、本人のポジティブさと希望があったからに他ならないのではないか。なら、それがなくなったなら?
「父ちゃんにも母ちゃんにも姉ちゃんにも、もう会えないんだ……」
らけるの目が潤んだ。
「急すぎるじゃん……お別れも言えてないし……。きっとみんな俺のこと探すよね……ずっと、探すんだ……」
ニッポンにいもしない俺を、と、らけるは言った。
「……」
親を殺された立場からなら、どうとでも言えるかもしれなかった。だが何を言って慰めても、今のらけるの深い悲しみの前では浅く、陳腐だ。
タンジェは素っ気なく言った。
「50年、待てばいいじゃねえか」
「え?」
「50年で30%、結構じゃねえか。サナギを使い倒してやれよ」
「……」
らけるは目をぱちぱち、と瞬かせてタンジェを見つめたあと、くしゃくしゃの笑顔になった。
「タンジェ、あの話聞いてたのかよ!? てかそれ、俺、爺さんになってんじゃん!」
「25年で15%まではいくかもしれねえぞ」
「そんな単純な話じゃないと思うなー! でも、ワンチャンある!?」
らけるはげらげらと、涙が出るほど笑っていた。
帰りの14日の航海はやはり長く、退屈は人を殺すかもしれない、とタンジェはまた思う。
けれど、本当に人を殺すのは、剣だし、鈍器だし、銃だし、きっと悲しみだし、絶望だ。
らけるがそれに殺されないように、タンジェたちが、そしてあるいはラケルタが、きっと守ってやらなければならないのだろう。
石竜子らけるは弱く、ちっぽけで、でも――『いいヤツ』だからだ。
久しぶりのベルベルントはとても寒い。
暖炉で爆ぜる火を見ていると、数日経ったというのにまだカンバラの里のことを思い出す。
「タンジェ!」
「あ?」
らけるがホットチョコレートを持ってきた。ご丁寧にタンジェの分まである。甘いものはそこまで好きというわけではない。だが、らけるの好意だと思ったので、受け取ってやることにした。
さっそく口をつけようとしたが、思ったより熱い。ふうふうと冷ましていると、
「なあタンジェ、俺、冒険者になろうと思う!」
「……あ?」
らけるは目を輝かせて身を乗り出し、ご機嫌で続けた。
「ラケルタがいれば俺でもいけるんじゃないかと思うんだよね、冒険者! 結構船旅も楽しかったしさあ! 怖い目にも遭ったけど……でも冒険者になって、強い男になって、翠玉さんとお近づきになる……めっちゃいい作戦じゃね!?」
なるほど――タンジェは察した。こいつ、大人しくしてる気、全然ねえ!
「なあタンジェ、もっちろん、応援してくれるよな!」
ラケルタや俺の気も知らねえで、という思いが、なくはない。けれども、
「チッ……仕方ねえな。まあ、応援してやってもいいぜ。協力はしねえがな」
「やったー! ありがと! タンジェ、大好きー!!」
「抱き着くんじゃねえ! 気持ち悪ぃんだよ!」
タンジェはらけるをひっぱたいた。それから素っ気ない態度で、さっさとホットチョコレートを飲み干して席を立とうする。が、まだまだ熱い。飲み干すどころか一口さえ飲み下すのに苦労する始末だ。
らけるが不意に「マシュマロ入れたら美味そうじゃね!? 親父さんにマシュマロないか聞いてくる! タンジェもいるだろ?」と言い出し、返事を待たずに暖炉から離れていく。
その背中を見て、思う。
絶望は人を殺す。だが、それを超えるポジティブは、絶望を殺すらしい、と。
タンジェに守られるまでもなく、らけるは強い男だ。絶望に勝てる人間なんてそうはいない。誰も恨まず、誰にも怒らず、らけるは笑ってタンジェと肩を組む。まあ……それは鬱陶しいので払うが。
タンジェは、まるで反対だ。恨み、怒り、復讐を動力に動いてきた。誰と肩を組むこともない。もちろん今は、それでなくても動けることは知っている。それでもタンジェは、きっとらけるのようにはなれない。他人にもホットチョコレートを淹れてきて、マシュマロがあればもっと美味しいはずだと立ち上がるようには。
けれど、それでいいのだろう。憧れる意味はないし、そのつもりもない。そんなふうになる必要もない。
ただ、らけるのような友人が、一人くらいいてもいい。
絶対にそんなことを、本人に言ってはやらないが。
神降ろしの里<後編> 8
息をつく。何度か地面に転がったタンジェは全身泥まみれで、殴打された箇所がじんじんと痛んだ。だが、シェイプシフターは殺すことができたようだ。死んだシェイプシフターはどろどろに溶けて、地面へと溶けるように消えていった。
見れば黒曜たちも多かれ少なかれ消耗しているようだ。だが、深刻な怪我はない。足をやられた者もおらず、移動に差支えはないだろう。カンバラの里に戻ったら光蓮に報告し、それで依頼は完了だ。食われた人々は戻ってこない。
「らける……ラケルタ」
タンジェがラケルタを呼ぶと、剣を鞘に戻していたラケルタがこちらを見た。
「なんで来た? 俺はらけるに、光蓮の家に行ってろと言ったはずだぜ」
ラケルタは肩を竦めた。
「だが、らけるの目的は死者に会うことだ。死者に会った様相の貴殿らを無視して自分だけは大人しく待機、あとは報告を聞いてそれを信じるしかない――というのは、酷だろう。らけるだって、自分の目と耳で真実を知りたい」
「てめえが唆したのか」
「いや、らけるの判断だ。私は手伝ったまで」
ラケルタはそう言って剣に視線を下ろした。
「きちんと光蓮には話をしたし、光蓮はらけると私にこれを託した。光蓮の家にあった聖憐教の宝刀だそうだ」
「宝刀か……よくよそ者に渡したなぁ」
パーシィがいつの間にか立ち上がって横にいるので、タンジェは驚いて彼を見た。
「てめぇ、大丈夫なのかよ? 様子がおかしかったぞ」
「ああ……すまない、心配かけたな」
オールバックは崩れていて、髪の房がいくつか額に落ちていたが、パーシィはいつものように気の抜けた笑顔を浮かべた。月の下での判断になるが、顔色ももう悪くはない。
「古い友人を侮辱されたようで、頭に血が上ってしまったんだ」
「……まあ、そんな感じだったな」
パーシィの言葉と、尋常ならざる様子は矛盾しない。古い友人とやらに興味があるわけでも、パーシィの過去を追及したいわけでもない。タンジェはすぐに納得して話を切り上げた。
「戻ろう。もうカンバラの里は安全だろう」
黒曜の判断に一同は頷く。夜の山は本当に恐ろしい。この人数だし、月も高いから心強いが、タンジェたちは慎重にカンバラの里へと戻った。
カンバラの里は、マイリ踊りも終わったらしく、人はまばらだった。それでも広場の中央では変わらず火が焚かれている。丸太でできたベンチに腰かけて酒を飲んでいる数人がタンジェたちに気付いたが、特に何も言ってはこなかった。
家の前で光蓮が黒曜一行を待っていた。
胸の前で手を組んで祈る様子だった光蓮は、タンジェたちに気付くと明るい顔になり、労いながら家へと上げてくれた。
「ずいぶん心配いたしました」
戦いのあとに天井がある場所に来ると安心するものだ。光蓮に感謝の意を伝えながら、タンジェたちは各々、板間でリラックスさせてもらった。
「それで、……どうなったのですか?」
麦茶を出しながらの質問に、サナギと黒曜が応じている。
「シェイプシフターという変身能力を持つ妖魔の仕業だったよ」
「しぇいぷしふたぁ、ですか」
「悪魔が裏についていた。その悪魔に、人心を読む能力を与えられて、シェイプシフターはカンバラの人々を山へと連れ去った」
「連れ去られた人は……?」
「殺されていた」
光蓮がはっと息をのむ。変に濁すよりも親切だろう。最大限の配慮として、食されていたことは、さすがに誰も言い添えなかった。
光蓮はまた胸の前で手を組み「神よ」と呟いた。
「慰めになるかは分からないが、シェイプシフターは退治したよ。もうマイリ踊りで本当に仏が現れることはないだろう」
サナギが伝えると、光蓮は頷き、
「ありがとうございました」
と、深々と頭を下げた。
差し出されたペンダント――約束の報酬品だ――と引き換えるようにして、ラケルタが宝刀を光蓮に渡そうとした。
「光蓮。これを返す」
「ああ……」
黒曜がペンダントを受け取り、荷物袋に入れている間たっぷり沈黙した光蓮は、やがてにこりと笑って言った。
「あなたに差し上げます」
「え!?」
声を上げたのはパーシィだ。
「聖憐教の宝刀だと聞いたよ。らけるもラケルタも教徒じゃない、それを譲るのは――」
「ですが、私には不要ですもの」
光蓮は平気な顔で言った。
「あっても文字通り、宝の持ち腐れですわ」
ラケルタはまじまじと光蓮の顔を見たあと、宝刀を握り、
「……いい刀だとは思っていた。もらえるなら、幸甚だ」
「喜んでいただけるなら、お譲りする甲斐があるというものですわ」
パーシィはしばらく、いやそれはさすがに、とか、ちょっと考えたほうが、とかごちゃごちゃ言っていたが、
「信仰のことは分からねえが、別にその武器があるから信仰が強いとか弱いとか、そういう話じゃねえんだろ」
とアノニムが言うのに、目をまんまるにして彼を見た。
「じゃあ誰のところにあったって同じじゃねえのか」
「……その通りだ」
パーシィは呻くように呟いて、頷いた。
「若干釈然としないけど……アノニムの言葉は正しい。うん……」
納得はしたようだ。
「今日はぜひここに泊まっていってください。狭いですが……。この村には宿はありませんし、今から山を下りるのは不可能です」
ありがたいことだ。一同は光蓮の言葉に甘えて、一泊することにした。
光蓮は湯とタオルを準備してくれた。順番に湯を浴びてさっぱりして、光蓮の家で横になり、目を閉じれば、セミの鳴く声が鳴り響く。
うるさくはあるが、懐かしい気もする。タンジェは山の中が好きだ。虫の声、焚かれる火の爆ぜる音、木の匂いのする床――。
神降ろしの里<後編> 7
ラヒズが頬についた傷から一筋、血の粒が流れるのをぬぐい、くつくつと笑った。
「いい不意打ちでした」
「チッ……」
タンジェのナイフは投擲を意図して用意されたものではない。あれは冒険に使う、ごく平凡なサバイバルキットの内容物の一つだ。複数は持っていない。
「ではさようなら、ご一行。また会う日まで」
ラヒズは背を向けて木から飛び降り、山の奥へと立ち去ろうとする。
「待ちやがれ!」
タンジェはラヒズを追って走り出そうとしたが、シェイプシフターがそれを阻止した。
とはいえ、シェイプシフターは3体だ。先ほどタンジェが両断したやつは、ほかの2体より体が小さくなっているし、こちらのほうが圧倒的に数が多い。手分けすればラヒズを追うことはできるはずだ。
「ここは任せたぜ!」
シェイプシフターをアノニムたちに押し付けて、ラヒズを追おうとすると、
「だめだタンジェ、さすがに遭難する!」
サナギが引き留めた。
「……くそ!」
サナギの言っていることは正しい。山の怖さはよく知っている。知らない山で、おまけに夜だ。山歩きに慣れているタンジェだろうが関係なしに、山はたちまち呑み込むだろう。
「ここはこのシェイプシフターを仕留めて、満足とするべきだよ」
ぐにゃぐにゃと踊るようにくねるシェイプシフター。仕方なく、タンジェは手近なシェイプシフターの一体に斧を叩きつけた。
弾力。船で戦ったクラーケンといい、斬撃が通りづらい相手は戦いづらい。
シェイプシフターはぐにぐに動いていたかと思うと、タンジェの前でたちまち巨大に伸びあがった。また何かに変身するのか? タンジェの記憶を読み取る、ということは――。
――オーガだった。それも、たぶん、シェイプシフターが読んだタンジェの記憶は、叔父とのそれだった。
「……舐めやがって!!」
一度殺せていないことを知って叔父の姿を取ったのかもしれないが、状況が違いすぎる。偽物だと分かっていれば両親だって斬れるのだ、ましてやオーガ、迷わず殺せる。
「清々するくらいだってんだよッ!」
斧を振り下ろす。斧の刃がシェイプシフターの腕を容易く両断した。吹き飛んだ腕が地面に転がる。血は出ない。シェイプシフターはまったく意に介した様子もなく、残った腕をぶんと大きく振った。斧で受け止めようとするが、思ったよりはるかに強い馬鹿力で横殴りにされて防御に回した斧ごと吹き飛ばされた。
「ぐ……!」
シェイプシフターにあの馬鹿力があるのか? それともオーガに変身したことでその能力まで真似ることができるのか?
吹き飛ばされた先でかろうじて態勢を整えたが、シェイプシフターは追ってくる。咄嗟に斧を持ち上げて二撃目も防いだ。シェイプシフターの腕とタンジェの斧が膠着状態になる。
だが不意にタンジェの視界に何かが滑りこんで、直後、横っ腹に衝撃が走った。次いでそれが痛みだと感じてすぐ、バランスを崩したタンジェをオーガが殴りつけた。
「ぐっ……!」
斧ごと地面に叩きつけられたが、追撃は地面を転がって回避する。横っ腹に攻撃してきたものが何だったのか、視線だけで確認した。シェイプシフターの腕だ、さっきタンジェが斬り落とした。びょんびょんと跳ね回っている。分断した部分も独自に動くのか。気味の悪い妖魔だ……! もしかして、斬っても斬っても増えるだけかと、タンジェは舌打ちする。
何度か咳き込みながら立ち上がる。正面のシェイプシフターを警戒しながら、こういうときの弱点看破はサナギの仕事だと周囲に視線を走らせた。シェイプシフターは黒曜と緑玉、それからアノニム、残りの1体はラケルタと相対している。3体とも姿がぐにゃぐにゃしたものではなく人型になっていて、たぶん黒曜たちの記憶を読み取って変身していた。4体いるってことは、俺が両断した半分が動いているんだろう。
「サナギ……!」
腹に一撃食らったばかりなので、思いのほか呻くような声になってしまった。銃を構えてラケルタをフォローしていたらしいサナギが振り返る。
「なんかこいつら、弱点ねえのかよ……!」
「切ると分裂するけど、小さい欠片には生命力は宿らないはずだ! 細切れにするのが一番いいかも……! それより大丈夫……!?」
タンジェは「大したことはねえ」と言って立ち上がった。
オーガと化したシェイプシフターはタンジェに向かって駆け込む気だったらしい、前屈みに構えていため、その頭に斧の刃が届いた。振り下ろして頭を割る。オーガの顔がひしゃげるが、飛び散るような脳や頭蓋はない。断面は黒く、グロテスクさはないがそれはそれで奇妙だった。
シェイプシフターは気にせず突っ込んでくる。引き抜いた斧を胴体に叩きつけた。痛みや恐怖はないのかもしれないが、衝撃は感じるらしく、シェイプシフターが怯んだ。
また斬り落とした腕が迫ってきたが、今度は反応できた。回避し、サナギの言った通りなるべく細かくなるよう何度も斧を叩きつける。
シェイプシフターが体勢を立て直した。形を保ちづらいのか、オーガの姿がどろどろと溶け始めている。
この巨体を細切れにするのは大変だろうし、そこまで残虐な殺し方をしたいわけでもなかったが、そうしなければ殺せないなら仕方ない。襲い掛かってきたそいつを斬り倒し、また斧を振り下ろす。体力なら自信がある。抵抗さえ許さなければ、相手が死ぬまで斬り続けるのは容易い。
神降ろしの里<後編> 6
「てめぇ、ラヒズ――」
「汚らしい悪魔がァーッ!!」
タンジェが怒鳴り込む前にパーシィが叫んで突進していったので、さすがにタンジェのほうが出遅れた。
一瞬の迷いもなくメイスを振り被ったパーシィがラヒズにそれを叩き込む――すんでのところで、黒いぐにゃぐにゃしたものがそれを阻んでいた。
「落ち着いてくださいパーシィくん。久しぶりのご挨拶もまだじゃあないですか」
「<ホーリーライト>ッ!!」
パーシィの指先に光が灯り、瞬時に弾ける。さすがに受け流せなかったのか、ラヒズは明確に回避動作をした。パーシィからたっぷり距離をとると、
「怖い怖い」
ラヒズが軽く手首を回す。金属の擦れる音がして、中空に広がる闇から鎖が飛び出し、それがパーシィを地面に叩き付けた。
「パーシィ!」
アノニムは鎖が着弾する数秒前には反応して駆け寄っていたが、間に合わない。鎖で地面に縫いつけられたパーシィにタンジェたち全員が駆けつけ、武器を構える。
「困りましたねえ……ここでは戦う気はなかったんですが」
やれやれ、といった様相で首を横に振るラヒズ。タンジェとアノニムが同時に踏み出して、ラヒズとの間合いを詰めようと駆けた。
大きな音を立てて鎖が張り巡らされ、かわす間にラヒズとの距離が開く。タンジェは舌打ちした。
「鎖が邪魔だな……!」
「てめえが化け物になりゃあぶち破れるだろ」
アノニムがこちらを見ずに言い放った。確かに前回ラヒズに拘束された際、オーガに変じたタンジェは鎖をぶち破った。それを覚えていたらしい。アノニムは他人への関心が非常に薄いので、少し意外には思ったが、
「あれ以降なってねえからな……! なれるか分からねえよ……!」
「チッ、使えねえ」
「んだと!?」
アノニムに嚙み付こうとしたが、アノニムはタンジェを見てもいない。そうだ、アノニムとやり合ってる場合ではない。
鎖を器用に搔い潜った黒曜と緑玉が左右に展開して各々の武器を振るった。ラヒズはそれらは回避しなかったが、黒いぐにゃぐにゃしたものがラヒズを庇って攻撃を受け流す。
縦横無尽に駆け回る鎖をなんとか回避するために、タンジェたちはかなりラヒズから距離を取らなければならなかった。攻めあぐねる。その様子をラヒズはにこにこと見守っていた。
そのラヒズが不意に顔を上げたかと思うと、ばらばらに張り巡らされた鎖が解け、一瞬でラヒズの元に集まった。その鎖の塊に、草陰から斬りかかる影がある。
しゃりんと涼しげな音が鳴り、鞘から剣が抜かれた。月下に閃く青白い刃が金色の瞳を照らしている――ラケルタだった。
「ラケルタ!?」
ラケルタは薄ら寒気すらするほどの白刃をもった剣を携え、ラヒズの動く鎖と何度か刃を打ち合った。ラケルタが鎖を引き受けているうちに自由になったアノニムが迷わずラヒズに駆け寄っていく。まっすぐ棍棒で殴りつけようとしたアノニムに、黒いぐにゃぐにゃしたものがまとわりつき、アノニムはそれをウザったそうに払った。
「参りましたね」
ラヒズが自在に操る鎖には、数に上限があるのかもしれない。そうでなければ、ラケルタの防御とこちらへの牽制を同時に行えるはずだ。
ラケルタへの防御に鎖を割いている今がチャンスである。斧を構えてアノニムとは別の方向からラヒズの懐へ駆け込んでいく。黒いぐにゃぐにゃしたものが躍り出てタンジェの視界を塞いだ。
「タンジェ、やめて」
黒いぐにゃぐにゃしたものから、両親の声がする。
「うるせぇ!」
タンジェは迷わず両断した。偽物だと分かっているのだから、躊躇う理由はない。
ぶっつりと二つに分かれた黒いものだったが、そもそも不定形の存在らしく、特にダメージもなさうに動き回っている。タンジェは舌打ちした。
ラヒズに視線を移すと、いつの間にかラケルタとの鍔迫り合いからは引いたようで、はるか上、木の太い枝に立っていた。
「やれやれ、野蛮な方々ですね」
「説明しろ、なんでてめぇがここにいる!」
タンジェが叫ぶと、
「説明する前に攻撃してきたのはあなた方じゃありませんか」
と肩を竦めた。
「そもそも、私が先にここにいて、あなた方が後から来たわけで。何故あなた方がここに、というのは、こちらのセリフです」
「神降ろしに来た」
ラケルタが剣を構えたまま言う。
「仏のふりをして村人を山へ連れ去っていたのは貴様だな?」
「あなたは初めましてですね。ラヒズと申します。お見知りおきを。質問の答えですが、はい、その通りです」
あっさり認めたラヒズは続ける。
「ここで戦う気はなかったと言ったじゃないですか。私はここでバカンスを楽しんでいたのですよ」
「バカンスだぁ……!?」
「要するにのんびり休憩していたんです」
「それが村人を山へ連れ去っていたのと何の関係があるんだよ!」
「タンジェくん、鈍いですねえ。ほら、パーシィくんはもう察してますよ」
その言葉にパーシィを見やると、もう身体を縫いとめる鎖はないというのに、パーシィは地面に臥していて、真っ青な顔でラヒズを見上げている。パーシィは図太いやつなので、顔色を変えるのも珍しい。訝しく思いながら、タンジェはまたラヒズを睨みつけた。
「どういうことだよ……? きちんとイチから説明しやがれ!」
「カンバラの里の神降ろし……死者に会えるという触れ込みの祭りですが、そんなことはありえないとあなた方だって知っていたはずです」
ラヒズは月明かりの下、木の枝の上、鬱蒼と茂る葉にその身を半分隠したまま、語り始めた。
「ですが、なかなか面白い話です。私はこの山に住むシェイプシフターたちに、ヒトの心を読む能力を与えました。シェイプシフターというのはこの子たちのことですよ。変身能力を持った妖魔です。これまではただこの山に暮らす、特に害のない存在でしたね」
黒いぐにゃぐにゃしたものが自己を主張するように伸び縮みする。
「ヒトの心を読み、死者の情報を得て、死者に変身し、ヒトを山へ連れ去ってくる。この5日間で山に消えた人々に関しては、全部私とシェイプシフターたちの仕業です」
「その連れ去った人たちをどうしたの?」
銃を構え、ラヒズに向けた状態でやつを睨むサナギ。
「食べました」
ラヒズは何てことのない声色で言った。
「う……おぇ……!」
呻き声を上げてパーシィが嘔吐した。確かに衝撃的な内容ではあったが、パーシィはデリカシーも倫理観も今一つ欠けているようなやつなので、むしろダメージなんか大したことなさそうなものだが……。もっとも、何が誰の地雷かなんてのは分かりようもない。少なくともパーシィにとっては相当、気持ちのよくない話だったようだ。
いつの間にかアノニムが、ラヒズとパーシィの間に立っていて、ラヒズのことを睨み上げている。ラヒズからの追撃はなさそうだが、警戒する気持ちは分かった。
「食い殺したのか」
「そうとしか言えません。そうなのですから。バカンスと言ったでしょう。ご馳走を食べてゆっくり休み、気分良くなっていただけです。人間だってそういう贅沢、するでしょう? おっと、人間は一人もいませんでしたね」
安い煽りのあと、今日と明日の二日間が過ぎれば移動する予定でしたよ、とラヒズは続けた。
「もっとも、人の味を覚えたシェイプシフターたちが今後もカンバラの里を襲わないとは限りませんが」
「責任もって連れてけよ!」
「シェイプシフターたちのふるさとはここですよ? ここから引き離すなんて気の毒なこと、私にはとてもとても……」
と、ラヒズは片手で顔を覆い、首を横に振った。泣いているわけはないだろう。芝居じみた同情に、タンジェは「くだらねえ」と吐き捨てた。
「タンジェ、このシェイプシフターたちをどこへ連れていったとしても、こいつらは人を食い殺すんだ」
サナギが背後から声をかけてくる。
「今ここで退治するしかない」
人の味を覚えたクマは殺すしかない。妖魔だろうと同じ。タンジェは納得し、浅く頷いた。ラヒズは人のいい笑みを浮かべたまま、軽く首を傾げる。
「では、私への用は終わりですね。お先に失礼します」
「ふざけんな! てめぇもここでぶっ飛ばす!」
吠えるが、ラヒズは木の上からくつくつと笑い、
「タンジェくんは元気がいいですねえ。たいへん良いことです」
……完全に小馬鹿にされている。
だが実際、木の上のラヒズに斧を振るうことはできない。不意打ちでナイフを投げるか――そう考えて、話をしながら自然な動作に見えるようにそっとナイフを提げた腰に手を添える。
それに気づいていたのかどうかは分からないが、真っ先に動いたのはサナギだった。すでにその手に持っていた拳銃をラヒズに向け、発砲する。目にも見えない速さの弾丸を、ラヒズはまるで平気な顔で、顔を傾けるだけでかわした。
間髪入れずに引き抜いたナイフをラヒズに投擲した。ナイフはラヒズが顔を傾けた先にまっすぐに飛んでいく。
「!」
それでもラヒズはそれを甘んじて受け入れはしなかった。顔面に突き立つはずだったナイフを身体ごと捻って回避する。それでもタンジェのナイフはラヒズの頬をかすって木々の奥へと消えていった。
神降ろしの里<後編> 5
マイリ踊りが始まる。
先ほどまで並んでいた屋台は広場の端に寄せられ、中央にはキャンプファイヤーのように火が焚かれていた。火に照らされる村人はみんな同じ仮面を被っている。白い妖魔のような面。らけるや光蓮は、こいつを狐と呼んでいた。
タンジェたちも光蓮に借りて、狐面を被っている。体格と服装でかろうじてお互いが分かった。
黒曜一行とらけるはそれぞれ広場に散り――と言っても、そう広い場所ではない。視線を向ければ仲間たちは目に入る――仏の接触を待つことにする。らけるはタンジェの横に置いた。
広場の奥にいる数人の男女が、太鼓や笛を奏で始める。
光蓮はこの踊りに特に振り付けはなく、適当に踊るのだと言っていた。確かに村人たちはそれぞれ思い思いに踊っているようだ。
「なんか踊る?」
らけるが尋ねてきたが、タンジェは「別に不要だろ」と答えた。踊っていたら仏の接触を見逃すかもしれない。
「でも、棒立ちじゃ浮かない?」
「……」
それはそうかもしれない。
タンジェは数人の狐面が踊りの輪の外で音楽に合わせて手拍子をしているのに気付いて、それに倣った。らけるもタンジェの横で手拍子をする。
ゆらりと揺らめく炎の周りで、何十人もの狐面がてんでばらばらに踊っている。奇妙だった。
「タンジェ」
不意に、声が聞こえた。らけるかと思い振り返るが、らけるは手拍子を続けている。
「呼んだか?」
「え? 呼んでないよ」
狐面の向こうでらけるが困惑したのが分かる。
「タンジェ」
また聞こえた。
タンジェは狐面の下で視線を動かす。炎の向こうに2人の狐面が立っている。踊ってもいないし、手拍子をしてもいない。寄り添うように、ただそこにいるだけだ。タンジェはらけるに、この場にいるように、何かあったら光蓮の家に行くようにと言い含め、謎の2人に駆け寄った。
「誰だ、てめぇら!」
狐面の向こうで、2人がくすくすと笑う。
「おいで、タンジェ、あなたの好物を焼いたのよ。おいしいおいしいオムレツよ。もちろんジャガイモも入っているわ」
「……!!」
あと5歩も歩けば2人の目の前に着く、手が届く、その直前に、2人は身を翻して山のほうへ走っていく。
そして、途中で立ち止まって振り返り、言うのだ。
「おいで、タンジェ。ペケニヨ村のために、今日も木を切ろう」
タンジェが追いかけようとすると、2人は笑って山のほうへと走り去る。これは……!
「出やがったな! 仏め……!!」
タンジェの両親を騙る何者かだ!
タンジェは目の前の出来事に、思ったより動揺しなかった。狙われるのは村人だと思っていたので、自分が標的になるとは思っていなかったが、あらかじめ『そういうものだ』と分かっていたのは大きい。
――だが、何故、俺の両親のことを知っている?
訝しく思っていると、焚き火のほうからさらに一人、小柄な狐面が山へと駆けていった。それを追いかけてきたパーシィがタンジェの横で立ち止まり、むしゃくしゃといった様子で狐面を投げ捨てる。
「タンジェ!!」
荒い息をついたパーシィが剣呑な表情で怒鳴る。
「奴はどっちに行った!?」
「山のほうだ!!」
タンジェとパーシィの声が聞こえたらしく、黒曜たちが駆け寄ってくる。
「無事か?」
「怪我はねえ! 話に聞く仏が出たぜ」
「そのようだな……」
「タンジェ、タンジェ」
山のほうからはまだタンジェを呼ぶ声が聞こえていた。
「はっ、ニセモノだって分かってりゃ、なんてことはねえ」
視界が悪かったので、パーシィと同様に狐面を脱ぎ捨てる。それではっきりパーシィの顔が見えたのだが、タンジェは少なからず驚いた。ごく落ち着いているタンジェと違って、パーシィのほうはかなり動揺した様子だったからだ。
「……の、はずが……」
パーシィは何かをぶつぶつ言っている。
「知ってるはずがない……! マリスのことを、俺は誰にも話していない……!」
「おい、パーシィ……」
タンジェが声をかけようとすると、山のほうからまた声が聞こえた。タンジェの両親のそれではない。
「可愛いパーシィ、こちらにおいでなさいな。パイを焼いてあげましょう。あなたの好きなニシンのパイを、あなたの好きな星の焼き色をつけて」
「……っ!!」
パーシィはそれを聞いて明確に怒りの形相になった。
「悪党め!! それ以上……マリスを穢すな!! この偽物がっ!!」
聞いたこともないような怒鳴り声を上げると、タンジェたちの制止を振り切り、山へ駆け出していってしまう。狐面をかなぐり捨てたアノニムが迷わずそれを追って走り出した。
笑う狐面は、パーシィよりはるか先に山に入り、駆けていった。タンジェの両親のふりをした何かも。
「追うぞ」
黒曜が走りながら狐面を捨てた。タンジェと緑玉、サナギも続く。走りながらサナギが叫ぶように尋ねた。
「仏の特徴は!?」
「俺を呼んだのは俺の両親……のふりをした何かだ!! だが俺の好きな食い物も、ペケニヨ村の名前も知ってやがった!」
タンジェも同じく走りながら、
「相当精巧な偽物だぜ!」
「……個人情報知られ……動揺しないほうも……」
ボソッと緑玉が何かを言ったが、走りながらのせいで半分くらいは聞こえなかった。たぶんタンジェに対する悪口だが、別にそれはどうでもいい。
パーシィが先を突き進み、アノニムが道なき道を強引に切り拓いてくれているおかげで、後続のタンジェたちは幾分か走りやすい。2人にはすぐ追いつくかと思ったが、10分以上は走り続けた。ヒトが全力疾走できる時間はそんなに長くない。最後尾を走るサナギはずいぶん離されていたし、全体のスピードもかなり落ちていた。
パーシィとアノニムに追いつけたのは、2人がすでに立ち止まっていたからだ。山の中に少しだけ開けた場所があって、そこに狐面が3人と、パーシィとアノニムが対峙していた。
「ケケケ……」
狐面は甲高い声で笑う。
「キタ、キタ、エサ、キタ」
狐面が突然、身体ごとぐにゃりとねじれて、タンジェたちの前で形をみるみる変えていった。真っ黒な身体のそれは、何度か跳ね回ったあと、まるで何かに報告するように伸び縮みした。
「おやおや」
木々の奥から声がする。月明かりの下に、悠然と歩いてくる影がある。
「見た顔じゃありませんか」
――ラヒズだった。