- 2024.04.04
神降ろしの里<後編> 4
- 2024.04.04
神降ろしの里<後編> 3
- 2024.04.04
神降ろしの里<後編> 2
- 2024.04.04
神降ろしの里<後編> 1
神降ろしの里<後編> 4
「なぁーんで俺の依頼中なのに別の依頼重ねて受けちゃうわけー?」
言葉ほど不満そうには見えなかったが、らけるの言い分にも一理ある。とはいえ、文句があるならその場で言えばよかったのだ。
「てめぇも反対しなかったじゃねえか」
「反対できる空気じゃなかったもん」
夕日も山の向こうに落ち、辺りはすっかり暗い。けれども紙製のランプ――チョウチンという名だと光蓮が教えてくれた――が灯る広場は煌々と明るい。一同は光蓮の家から出て、広場までの道を歩いている。
「そもそも依頼は行きと帰りの道中の護衛じゃん」
ぼそ、と緑玉が口を挟んだ。
「今は行きでも帰りでもないんだから、依頼の隙間時間でしょ」
「そんなのあり!?」
「まあ帰りの護衛はしっかりやるからよ。それにマイリ踊りには参加できるんだ、文句はねえだろ」
マイリ踊りで現れる仏は、まずもって死者を名乗る赤の他人だ。召喚主に会えたとしても偽者だろう。つまり会えても会えなくてもどちらにせよ送還は無理だ。らけるは還れない。だが……ここまで来たなら、最善さえ尽くしたなら、らけるだって納得できるはずだ。
「……ま、確かにまだ最後のワンチャンがあるもんな! 仏さんが本物のパターン!」
残念ながら、らけるに最善の納得を求めるには時期早計らしい。パーティの全員、仏が本物であることはないとほとんど確信していたが、もはや誰も口にはしなかった。
「んなことより腹ごしらえだろ」
たぶん話を一番分かってないだろうアノニムがぶった切り、先頭を歩く。パーシィも小走りになってアノニムの横に並んだ。
「さっきからいい匂いがしてるもんな!」
マイリ踊りまでまだ時間があるというので、一同は屋台で飯を買って食っておくことにしたのだ。この土地の硬貨を、依頼料のたしにしてくれと光蓮が渡してくれていた。これで屋台でも買い物ができる。
屋台に並ぶ食べ物は見慣れないものばかりだが、匂いはとてもよく、食欲をそそられる。
らけるも食事自体には賛成らしい、はしゃいだ様子で、
「こっちの世界で食えるとは思ってなかったよ、焼きそば!」
と、すぐに機嫌を直した。
村人自体は多くはないし、屋台も一台一台はとても小さいのだが、小規模なりに賑わっていて、人々は食事と歓談を楽しんでいる。タンジェを始めとして、こちらはほとんど村人との会話が成り立たないので、村人と意思疎通のできるサナギと光蓮の先導する二つのグループに分かれ、手分けして飯を買った。
買った屋台飯は光蓮の家で食べさせてもらうことにする。
日が落ちたからか日中ほど暑くはなく、窓を開け、草で編まれたカーテンを下ろした光蓮の家は風も入って涼しい。
タンジェはらけるが言っていた焼きそばというものをさっそく口に入れた。
「ん、これ……うめえな」
太平倭国の食事を出す店はベルベルントにもいくつかある。それにかぶれて、たまに親父さんも白米や焼き魚なんぞを出す。美味いし嫌ではないのだが、当初は箸を使うのは本当に大変だった。箸使いはここ数ヶ月でようやくサマになってきたが、それでもらけるや黒曜、緑玉のきれいな箸使いには及ばない。焼き魚は串に刺してかぶりついたほうが早いと思う。
「んまいよね!」
らけるが焼きそばを頬張りながらニコニコ笑っている。
「この紅ショウガがまた最高に合うんだよな!」
「ああ……てめぇ、箸使うの上手いな」
「ニッポンでは箸もスプーンもナイフもフォークも使うんだぜ!」
タンジェはらけるからニッポンの話を聞くたびに、どんな場所なのかぼんやりイメージしようとしてみるのだが、もともと想像力豊かなほうではないので、毎回失敗しているのだった。屋内で靴は脱ぐのに、フォークやらを使う飯が出る……混沌としている、という印象だ。
「タンジェにもニッポンを紹介したいよ」
「無理だろ。てめぇですら帰れるかどうかって話なのによ」
「そうだよな……」
らけるがだんだんしょぼくれてくるので面倒に思っていると、黒曜が横にやってきた。
「タンジェ、これもうまい」
「なんだそれ?」
「オコノミヤキと言っていた」
「オコノ……ミヤキ……?」
見ると黒曜の持っている皿の上に円盤状に焼かれたホットケーキのようなものが載っている。
「口を開けろ」
言われるがまま口を開けると、黒曜が一口大に切ったオコノミヤキを放り込んだ。こちらもソースの味がする。歯ごたえのある食感は、味からしてキャベツだろう。なるほど、確かにこれもうまい。
「うまいな」
「ああ」
視線を感じて、咀嚼しながら振り返ると、タンジェと黒曜の様子を見ていたらけるが目をまんまるにしていた。
「え!? 今の何!?」
「何でもねえよ、飯を分けてもらっただけだろ」
言ったあとに恥ずかしくなってきた。いわゆる、「あーん」だ。確かに男同士でやる所作ではなかった。二口目を渡してこようとする黒曜に拒否の意を示すと、黒曜の耳が少しだけ動いた。しかし、見られて恥ずかしい、ということを伝えるのも恥ずかしい。タンジェは口籠った。
黙ってしまったタンジェを、黒曜は問い詰めなかったし、強引に「あーん」をしてくるようなこともなかった。しかし渋々といった様子でオコノミヤキの切れ端を自分の口に入れる黒曜を見ると、罪悪感と……ちょっと、損をした、という気持ちも湧いてくる。八つ当たり気味にらけるを睨んだ。
「なんで睨むの!?」
「うるせぇ!」
そんなこんなで買った屋台飯を食べ終える頃には、すっかり日は沈んでいた。
神降ろしの里<後編> 3
「そもそもヨミマイリ――カンバラの里においては、神降ろし――は、仏様……先祖の霊の供養のために行われるものです」
仏の話は、山を登る前にパーシィから聞いている。
「今は屋台が出て、お祭りの様相でしょう? 夜が更けると、屋台をどけて、皆で面を被ってマイリ踊りを踊るのです」
「マイリ踊り?」
「楽器に合わせて、皆でてんで好きなように踊るのものです。そうすると、その輪の中に面で顔を隠した仏様も参加し、ともに踊って楽しむとされております。面を被るのは、仏様と生者の見分けがつかないようにするためですわ」
「じゃあ、そのマイリ踊りで死者に会えるんですね!」
らけるが意気揚々と尋ねると、光蓮は静かに首を横に振った。
「死者は、会えるものではありません」
それはそうだ。タンジェにとっては分かり切っていた答えだった。だが、らけるは、
「でも、さっきは『会える』って!」
困惑に顔を歪めている。確かに、先ほど光蓮は「会える」と言った。なのに次は会えないと言う。どちらかが嘘なのだろうか? だが、そんな嘘をつく意味はないだろう。光蓮は頷いた。
「そうです。本来は、会えません。ですがややこしいことに、『今は会える』……ようなのです」
「今は、会える?」
「ヨミマイリは、毎年この時期に行われています。カンバラの里のヨミマイリ……『神降ろし』は、一週間続きます。今日は6日目で、明日が最終日なのですが……今日までの5日間で、連日、本当に仏様が現れているのです」
一同、沈黙。光蓮は続けた。
「例年ではありえなかったことです。皆一様に『参加者が増えた』『増えた者は仏様だった』と言うのです。そして……その仏様が、生者を山へと連れ去っているのです」
「なに……!?」
参加者、つまり『仏』に関しては……恐らく、何かトリックがある。だが、そうしてまで村人を山へ連れ去る目的、そしてトリックを仕掛けている犯人も謎だ。
「仏様とともに山に消えた生者は、この5日間で10人以上にのぼるのですが、誰も帰ってきておりません」
「誰か追いかけてって、山を探したりはしてねえのかよ?」
タンジェが尋ねると、
「村の人びとは聖憐教の信者で、また世慣れしておらず極めて純粋です。仏様が本当にいらしたと……信仰が届いたと思い込んで、誰も疑問に思わないのです」
パーシィが頭の痛そうな顔をして額を抑えた。
「皆、行方不明者については『仏様に会って連れられ、山に還った』と口を揃え、喜んでさえいるのです」
「……」
沈黙が降りる。
「わたくしは……」
光蓮が呟いた。
「わたくしは、聖憐教の尼です。仏様がいることは否定いたしません。けれど……」
顔を上げて、まっすぐに黒曜一行を見た。
「仏様が、生者を連れ去るなんてことはありえません。そんなことは、聖憐教の教典にもない! 何者かが仏様を騙っているに違いないのです。そんなことが許されていいはずはありません。これは……信仰に対する侮辱です!」
光蓮の茶色がかった黒い瞳が、窓から差し込んだ夕日に照らされてきらりと光った。
「聖職者、どう思う」
黒曜が淡々と尋ねる。パーシィはすぐに応答した。
「光蓮に全面的に同意する。仏を騙った悪意ある何者かが、村人を誘拐していると見たよ」
「パーシィ様、あなたは……?」
「聖ミゼリカ教徒だ」
「まあ……!」
同じ意見の聖職者がおられて心強いです、と光蓮は喜んだ。サナギが麦茶の中の氷を弄び、カランと音を立ててから言った。
「つまり、光蓮さんの依頼というのはこういうことだね。仏を騙り、村人を誘拐しているものがいる。それの真相を突き止め、消えた村人たちの行方を確かめる……」
「はい」
光蓮は頷いた。
「報酬は?」
いつも通りの淡白な声色で黒曜が尋ねた。野暮なことではあるが、タンジェたちは冒険者で、依頼を受けるのは仕事だ。光蓮もそのことは承知のようで、立ち上がり、棚へと向かった。
「ベルベルントのほうの通貨はGですよね……Gldは手持ちにないのです。ただ……報酬品でもよければ、こちらを差し上げますわ」
棚から取り出したのはペンダントのようだった。ペンダントトップに大きな青い石が嵌まっている。装飾はごく慎ましく、上品でシンプルな見た目だ。質は良さそうだし、売れば金になるだろう。この地方特有の硬貨を受け取ってもGに両替すると手数料がかかるので、物品でもらえるのはありがたいくらいだ。
「どうだ? タンジェ」
「あ?」
急に黒曜に話を振られて、タンジェは彼の顔を見た。
「盗賊役の見立てで、依頼を受けるに値する価値のあるものか?」
タンジェは難しい顔をした。タンジェは冒険者になるまで、盗賊役とは無縁の生活をしてきた。盗賊役のスキルは師ブルースに鍛えられながら特訓中で、それも主に探索・解錠がメインだ。鑑定については基礎は教えてもらっているものの、まだまだ勉強中である。
それでも、ここで分からないと黙っては、わざわざ盗賊役のタンジェに声をかけた黒曜に対しても、自分自身に対しても失礼だ。タンジェは思ったままのことを伝えた。
「たぶん、質は良さそうだ。具体的にいくらかまでは……分からねえが……依頼の報酬としては、問題ねえと思う」
黒曜は頷いた。
「ならば受けよう」
全面的に信用されているということだろう。ただ、タンジェとしては実力不足を感じて情けない気持ちが強い。ベルベルントに帰ったら鑑定眼を集中して磨く期間を作ってもいいかもしれない。
黒曜と光蓮の間で話が進んでいる。
「具体的にどうするか……」
「皆様もマイリ踊りに参加して、里から離れ山に向かう者がいたらそれを追うのはどうでしょうか?」
なるほど、分かりやすくていい。共通語が話せない村人たちとは意思疎通が難しいから、聞き込みなんかの手間を飛ばせるのもシンプルだ。
「そうだね、それがよさそう」
参謀のサナギが賛成したなら、あとはリーダーの黒曜の判断に委ねられる。
「分かった、それでいこう」
決まりだ。
神降ろしの里<後編> 2
3時間も山を登れば、山の中腹にあるカンバラの里にたどり着く。オンカンザキの港町からここまで特にトラブルはなく、道もある程度整っていて歩きやすいくらいだったが、サナギとらけるは汗だくになってずいぶんとバテていた。思えば、ファス山、エスパルタ、オンカンザキ山と、ここ数か月で山をずいぶん登った。それでもサナギはいつまで経っても体力は人並み程度で、今回同行するらけるは一般人だ。
とはいえ、暑さもある中、サナギもらけるも、文句や泣き言は言わないので、責め立てる必要はないだろう。
パーシィから夕方には着くとあらかじめ聞いてはいたが、山に慣れないサナギとらけるを抱えていたから、夕日がオンカンザキ山の向こうに沈む前にたどり着けたことは幸いだったと言える。
それほど広くない里の中央に広場があって、村人全員がいるんじゃないかってくらい賑わっていた。質素ではあるが屋台が建ち並んで、ソースの香ばしい香りが里の入り口まで伝わってきた。
「屋台出てるよ!」
疲れた顔をしていたらけるが、ぱっと明るくなる。
「焼きそばのいい匂い!」
「やきそば?」
「ベルベルントに焼きそば、ない?」
あまり聞かない言葉である。ただ、「焼き」と「そば」の言葉の組み合わせから、料理であることは想像がつく。ソバも馴染みがないほうではるが、ベルベルントに出す店がないわけじゃない。
「炒麺のようなものか」
黒曜がフォローするように言ったが、そっちのほうが聞き覚えがなかった。らけるも「よく分かんないけど、たぶんそう!」とあいまいな返事をした。続けて、
「麺をソースで焼くんだよ。お祭りとかだと絶対ある!」
「詳しいな」
「ニッポンにもあるから」
似た料理が異世界にもあるというのはなんだか変な感じだ。
少なくともらけるはこの世界とはずいぶん違うところから来たようだ。14日間の航海で、暇を潰すのに最適なのはやはり雑談で、らけるは本当にたくさん、タンジェたちにいろいろな話をした。らけるの世界に、妖魔はいない。魔法もない。代わりにあるのは、ぱそこんだの、すまほだのという『便利なもの』。らけるの説明は要領を得ず、タンジェはまるで理解できなかったし興味も沸かなかったが、サナギは熱心に楽しそうに聞いていた。
異世界というものは食事も文化もまるきり違うものだという思い込みと偏見がタンジェにはあって、だかららけるの語る言葉が理解できなかったことは当然だと思っている。ただ、ぱそこんやすまほを始めとした異文明以外の部分に、わりと似通っているところが散見されるらしい。たとえば貨幣、特に紙幣の文化なんかは、らけるのいた世界でも一般的だったようだ。
それはともかく、村人たちに、神降ろしに関してさらに詳しく話を聞く必要があるだろう。サナギが近くにいた男に声をかける。
「こんばんは」
男は驚いた顔をしていたが、すぐにこう応答した。
「うん――、ああ、――?」
まったく言葉が聞き取れない。一瞬、呆然としたあと、共通語じゃないことに思い至った。オンカンザキの港町とは違い、この里では共通語は使われていないということなのだろう。うん、とか、ああ、とか、意味のない言葉しか分からない。
「あー」
サナギは納得といった様子で、何度か頷いたあと、困るそぶりを見せず、
「――、――?」
すぐに言語を切り替えた。こちらも何を言っているのかは聞き取れなかったが、サナギと村人の間で意思疎通はできたらしく、話を切り上げたサナギが振り返る。
「カンバラの里で共通語が流暢なのは、ええと、訳が難しいな。たぶん、尼さん、と言ったのかな?」
タンジェたちの暮らすベルベルントのある地方は、ほぼ全員が共通語話者だ。それ以外の地元特有の言語を操れる者は多くない。それこそ言語学者か、地元の者か。サナギはどちらでもない。タンジェは感心する。ただ、分からない単語があったのでそこは素直に尋ねた。
「尼さん?」
「聖憐教の修道女だな」
パーシィがさらに言葉を訳す。
「そうか、それならそちらに話を聞こう」
黒曜の言葉に一同は頷く。サナギがさらに話を聞いて、尼さんの家を確かめ、すぐに向かった。
ずいぶんと質素な家だ。ほったて小屋とまでは言わないが、装飾の一つもない平屋である。聖職者が住んでいるなんて、言われなければ分からないくらいだった。
黒曜が木製の扉をノックする。扉が横に開き、女がひとり現れた。
顔だけ出した真っ白な頭巾を被り、黒い着物を着ている。首から十字架が下がっている。ベルベルントならまず聖ミゼリカ教徒だが、この国においては聖憐教徒の証なのだろう。尼さんはタンジェたちを見渡したあと、
「まあ、こんばんは!」
共通語であいさつした。
「神降ろしにいらしたのですか? どちらからいらしたの? あら……わたくしったらいけないわ、さあお上がりになって、お茶をお出しします」
清貧な外見から想像していたのとは少し違う印象である。社交性のある僧だ。
「お邪魔しまーす!」
らけるが元気よく言って遠慮なく上がった。らけるは自然な動作で靴を脱いだが、タンジェたちは面食らった。入り口を入ってすぐ板間があって、確かに尼さんも靴を履いてはいなかった。
「靴を脱ぐのか?」
タンジェが尋ねると、サナギが靴を脱ぎながら、
「太平倭国はそういうところが多いね」
平気な顔で答えた。文化の違いということだろう。一同は誘導されるまま靴を脱いで、平たいクッションに座った。
らけるがやけにスムーズに靴を脱いだことを不思議に思っていると、
「ニッポンも家では靴脱ぐんだぜ!」
タンジェの視線に気付いたらしくらけるが言った。
「にっぽん、ですか。知らない土地ですわ」
キッチンが奥にあるらしく、そちらから尼さんの声だけが聞こえた。
「異世界なん……です。で、ニッポンに戻るために、ヨミマイリに参加しようと思って来たんです!」
元気よく答えるらける。尼さんは「まあ、そうなのですか!」と言いながら、盆に茶の入ったコップを用意して現れた。
「皆さまにっぽんから?」
尼さんは一同に順々にコップを渡していく。砕かれた氷が入って、キンと冷えた茶だ。タンジェたちは礼を言った。質問には黒曜が回答する。
「俺たちはベルベルントから来た」
「ずいぶん遠くからいらしたのですね」
さっそく、渡された茶を飲む。何せ外は暑く、山を登ってきたから、喉はカラカラだった。茶は不思議な味がする。色は似てるが、紅茶ではない。穀物っぽい味だ。
「煎った麦を煮出したお茶ですわ。ここでは一般的なお茶で、麦茶という名ですの!」
タンジェの戸惑いを察したのか、尼さんが心配そうな顔になる。
「お口に合わなかったかしら」
「……不味くはねえ。不思議な味だが、嫌いじゃねえな」
すっかり飲み干すと、すぐおかわりをくれた。タンジェが言葉のわりにずっと麦茶を飲んでいることには、もちろん尼さんは気付いているようで、彼女は綻ぶような笑顔になった。それから、
「それで、にっぽんに帰るのに、なぜ神降ろしに来る必要があったんでしょう? いろいろお聞かせ願いたいわ」
話が早い。サナギが少し身を乗り出した。
「そうだね。自己紹介からしようか。俺はサナギ。こちらは黒曜、タンジェリン、アノニム、パーシィ、緑玉、らける。らける以外は冒険者さ。らけるの護衛をしてここまで来た」
「ご丁寧にありがとうございます。わたくしは光蓮と申しますわ」
「ええ、光蓮さん。さて、こちらのらけるだけど。召喚術でこちらの世界にトランスファーしてきたのだけど、召喚主が死んでしまって元のニッポンに還る手段がなくなってしまった」
「とらんすふぁー、ですか?」
サナギが簡単に召喚術の解説を交える。光蓮は頭のいい女らしく、早い段階でらけるの境遇を察すると、
「お亡くなりになった召喚主に会って、にっぽんへの送還を頼みたいということですのね」
と、らけるの目的を端的にまとめた。
「そう、そうなんです! それで、ヨミマイリで死者に会えるって!」
「……」
光蓮は神妙な顔になった。
「……もしかして、会えない?」
途端にらけるの顔がくしゃくしゃになる。だから言ったろ、とタンジェが言おうとする前に、
「いえ……『会える』のです」
光蓮がぽつりと呟いた。
「えっ!?」
俺たちが同時に光蓮を見る。らけるが目を見開き、逸って身を乗り出した。
「やっぱり、会えるんだ! あの、ヨミマイリで何をすれば会える、とか、なんか条件とかあるんですか!?」
「……」
また光蓮は少し黙り、
「……会える、のですが」
と言葉を濁した。それから少しの沈黙があって、
「皆さんは、らける様の護衛をしている冒険者様ということでしたね?」
「そうだが……」
それが何か、と黒曜が続ける前に、光蓮はまっすぐ顔を上げて言った。
「わたくしから依頼することは可能でしょうか?」
「依頼だと?」
タンジェが思わず聞き返す。
「待てよ。そいつはどういうことだ? ヨミマイリで死者に会えるって話と関係あんのか?」
「あります」
光蓮は迷わず頷いた。
「どういうことなのかは分からんが……」
腕組みした黒曜が、
「依頼を受けるかどうかは、話を聞いてから判断する」
冷静にそう伝える。光蓮は二、三度小さく首肯してから、
「分かりました。今、この里で起こっていることをお話しします」
そう語り始めた。
神降ろしの里<後編> 1
実に長い14日間だった。
退屈というのは人を殺すかもしれない。タンジェはようやく辿り着いた太平倭国の地を踏みしめながら、そんなことを思った。
14日ぶりに揺れない地面についた足は、ずしりとタンジェの体重を支えた。二、三度屈伸したら、たちまち陸に慣れる。壮健な肉体に宿る適応力の高さは、自慢の一つだ。
それにしても、暑い。
話には聞いていた。太平倭国はベルベルントとは季節がほぼ逆で、今は夏らしいということを。燦々と照りつける太陽が水夫たちの汗を照らしている。
アビゲイル号の積荷が次々と運び出されていく。それを手伝うことも、船旅の対価であり、タンジェたちの仕事だ。
タンジェは軽く肩を回してから、手近な積荷に手をかけては下ろしていった。酔うどころか体力が有り余っていたタンジェにとって、ようやく身体が動かせる機会だ。
だが、結論から言えば、この積荷下ろしを手伝ったのはタンジェだけだった。黒曜、アノニム、緑玉はようやくついた地面に転がり、珍しく使い物にならなかったし、サナギに力仕事は期待していない。パーシィとらけるは黒曜たちを船から引きずり出して面倒をみてやっていた。黒曜はそれでも「酔っていない」と主張して立ち上がろうとしていたが、立ち上がれない時点で駄目なのは明白であった。
途中でパーシィは港の人々に情報収集をしに行き、積荷が全部降りる頃にはそれも終わって戻ってきた。黒曜たちもようやく容態が落ち着いたようで、パーシィの報告を座りながらだが聞けるほどには回復していた。
「あの山はオンカンザキ山というらしくて、その山中にカンバラの里という村があるみたいだ」
港町はすぐ後ろに山を背負っていて、それがオンカンザキ山ということらしかった。
「今から出れば夕方には着くかな」
「そのカンバラの里で、ヨミマイリをやるの?」
「ヨミマイリ自体は太平倭国のどこでもやる風習みたいだけど、中でもカンバラの里の『神降ろし』が有名らしいね」
「『神降ろし』?」
パーシィが平気な顔で言うのを訝しく思う。パーシィは神の名がつく物事には敏感なやつだ。
「平気な顔してんな」
「え? ああ……ここでいう神は、仏のことだからね」
「どういうことだ?」
パーシィは「話が少しズレるけど、構わないか?」と黒曜たちに了解を得たあと、こう語り出した。
「ここは『聖憐教』の地なんだよ」
「セイレン教? 聖ミゼリカ教じゃねえのか? 異教徒なら、なおさら……」
「異教徒ではないんだよ。聖憐教は、聖ミゼリカ教がこの地に伝来した際に、ここに土着していた『仁道教』と混ざって定着したものなんだ」
「……どういうこった?」
宗教にはまったく明るくないので、パーシィの言葉もいまいち理解できない。パーシィは特に怒った様子も苛立った様子もなく続けた。
「異教の地で教えを広めるのは大変だ。反発も起こる。聖ミゼリカ教はこの地に根ざすために元々あった仁道教の教えを取り込み、合体させることで、異教の壁を小さくした。そのほうが改宗させやすいからだ。つまり、聖憐教は実質、仁道教要素が入った聖ミゼリカ教というわけさ。実際、聖憐教と聖ミゼリカ教の信仰する神は同一のものだし、教義もほとんど同じだ。違いは、聖憐教は仁道教の教えである仏も大事にするってくらいかな」
「ホトケってのは何なんだ?」
「死者のことだよ。仁道教では、人は死後に仏になると言われている。仁道教では元来、神と仏を同一視していたから、今でも『死者が還ってくる』というヨミマイリに『神降ろし』の名が残っているんだ」
なるほど、なんとなくだが納得はできた。それにしても、ずいぶん詳しい。
「詳しいねえ」
同じことを考えたのか、サナギが感心した声を上げた。
「やめてくれよ、サナギだって聖憐教の成り立ちくらいは知っているだろ」
「そうだね。太平倭国の実に7割が聖憐教徒であることも知っているよ。でも、敬虔な聖ミゼリカ教徒が聖憐教にどんな感情を持っているかなんてことは知りようがない。宗教のあれこれの解説はパーシィに譲るよ。余計なことを言いたくないからね」
「それはそれで、印象が偏るんじゃねえか」
思ったことを口に出すと、サナギが笑って頷いた。
「いい着眼点だ、タンジェ。確かに、パーシィに任せたらミゼリカ教に肩入れした意見ばかり蓄積する。でも、それが分かっているなら大丈夫さ」
「ミゼリカ教に肩入れって……」
パーシィが心底不思議そうな顔で、
「正しいものに肩入れして何が問題なんだ?」
これだもんな、とタンジェがぼやくように呟くと、サナギは肩を竦めた。
「ともかくさ、カンバラの里に行けば、死者に会えるんだよな?」
大人しく話を聞いていたらけるが身を乗り出す。
パーシィは「まあ、そういうことになるかな」と雑な返事をした。死者が還ってくること自体信じていない、というか、ありえないと思っているのが見て取れる態度である。しかしらけるは気付いていないのか、
「じゃあさっそく行こうぜ! 今から行けば、夕方には着けるんだろ!?」
「落ち着け、山を歩くのだから準備が先だ」
タンジェが言おうとしたのと同じセリフを黒曜が淡々と言った。
オンカンザキの港町、タンジェの知っているエスパルタの港やセイラとは雰囲気がかなり違う。だが規模はそれなりで、いくつか道具屋らしきものもあった。馴染みのない服装の店主は、それでも港町だからか共通語を使えたし、金もGldで取引ができた。
「あんたら、西の冒険者さんかい」
ロープなどの山歩きに必要なものを買い込むタンジェたちに、店主が声をかける。
「そうだ」
黒曜が応答した。
「この港には西からの冒険者がよく来るの?」
サナギが尋ねると、眩しそうに目を細めて瞬きをした店主は、「そうさねえ」と顎をさすった。
「数はそんなに多くないね。ここに着く船はだいたいはアビーさんとこみたいな貿易船か、商船だよ。でも、たまに来るやつの目的はだいたい、カンバラの里の神降ろしさ。あんたらもそうなんだろ?」
一同は顔を見合わせてから、頷いた。らけるが逸る気持ちを抑えながら、という様子で、店主に一歩近付く。
「おっちゃん! ぶっちゃけ、どうなんだ? 神降ろしでは、死者に会えんのか!?」
「うーん、会えたという人もいるけどねえ。本当のところは分からんよ」
らけるはぱっと顔を輝かせてタンジェたちを振り向いた。
「聞いた!? 会えた人、いるんだって!」
タンジェは呆れてため息をついた。
「本当のところは分からねえって言ってるじゃねえか」
「でも、嘘だって決まったわけじゃないんだ!」
らけるは飛び跳ねて喜ぶ。この14日間の航海中、らけるは何度もニッポンに戻るのが楽しみだと言っていて、タンジェはそのたびに期待しすぎるなと警告していた。だが毎回こんな調子なのである。
根がお気楽というか、ポジティブなのだろうとは思う。しかし、この旅の先で、期待が叶えばそれでいいのだが、そうでなかったときの反動は過剰に期待した分だけ大きいはずだ。……らけるが失望に凹むのはらけるの勝手だ、タンジェが配慮してやる必要はない。が、落ち込んだらけると帰路14日間の船旅をするのは……考えただけで面倒くさく、鬱陶しい。
だかららけるには「もしかしたら、帰れないかもしれない」という可能性を頭の片隅に置いておいてほしいのだが、残念ながら14日間でらけるにその意図が伝わることはなかった。
「今日の夕方には着くんだよな? 俺、頑張って歩くよ!」
逸る気持ちを抑えきれない、という様子でテンション高く言うらける。てめぇの目的のために行くんだから、てめぇが頑張って歩くのは当たり前だ、と言おうとしたが、やめた。それが分からない依頼人だって世の中にはいる。らけるは立派なほうだ。
それに、らけるにとっても慣れない船旅だっただろうし、らけるは冒険者ではないから、旅路に不安もあっただろう。大人数との寝泊まりにストレスを感じるタイプには見えないが、意外と気疲れなんかもしているかかもしれない。少しくらいは労ってやろうか、そう思ったとき、
「いざとなったらラケルタに代わってもらう!」
前言撤回だ。やはり案外、立派でもないらしい。