カンテラテンカ

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鏡裡を砕く 6

 日はとっくに落ちていてずいぶん暗い。街灯の少ない裏路地だからなおさらだ。しかし月があるから真っ暗闇を手探りで進むというほどでもない。問題なく帰れるだろう。
 戦闘訓練をサボってしまった形になる。黒曜はああ言っていたが、あるいは戦闘訓練に現れないタンジェを探しに来たのだろうか?
 ……聞くのはやめた。黒曜は「偶然だ」と言ったのだ。だったらそれが真実だ。
 二人で並んで、黙って夜道を歩く。
 タンジェもおしゃべりではない、沈黙に耐えられなかった、というわけではないのだが、
「……てめぇが壊したあの鏡は……」
 なんとなく、さっきの状況を説明したほうがいいのかもしれないと思って口を開いた。
「<罪の鏡>とやらで……罪が、映るらしいぜ」
 黒曜は黙って聞いている。言っているうちに、説明するならば見えたもののことも白状しなければならないことに気付いた。脳裏にちらつく、砕けたタンジェの鏡像。
「見えたか? 俺の罪が、あれだってこった」
 その事実は、普段ならばタンジェを奮起させたかもしれない。生来の負けず嫌いは、自分の未熟さを痛感するたびに鎌首をもたげて、タンジェを立ち上がらせてきた。
 けれども今回の件は、自覚しているよりずっと、タンジェをヘコませたらしい。
 弱音を吐く気はなかった。しかし黙っているのもいたたまれず、場を紛らわすように、タンジェの口から出たのは、
「……情けねえ」
 だった。
「弱い俺をぶっ殺したかったが……、できなかった。あれを殺したのはてめぇだ」
「……」
「悔しくてたまらねえッ……俺が殺せねえ弱い俺を、てめぇはこんなに簡単に殺してみせやがる」
 黒曜の石のような瞳が、つい、と、タンジェを向いて、
「強くなることだ。自分が弱いと思う暇もないくらいに、……お前ならそれができるだろう?」

 どくりと胸を打つ。

 黒曜の言葉は別に、期待でもないし、希望でもない。タンジェを鼓舞する意図もない。ただ、弱音を吐くくらいならそうしろ、というだけだ。分かっている。
 けれどもその言葉は、タンジェの心の深いところに、静かに沈んでいった。
 タンジェの負けず嫌いをもってすら抵抗がかなわない絶望が訪れたとしたなら、最後にタンジェを奮い立たせるのは、黒曜のこの言葉に違いない、と思った。
 黒曜の言葉に依存するわけではない。それだけを支えにするつもりもない。そればかりに執着するのも、違うだろう。
 けれども強くなるための道は黒曜が示してくれる。それは戦闘訓練で、あるいは依頼の実戦で。思えば黒曜は、タンジェが盗賊役だとて、戦闘の際にタンジェを後方支援へ下がらせたことは一度だってなかった。
 心臓が熱くなる。
 黒曜の言動が、タンジェの心の深いところからタンジェの心の臓を燃やして、たちまちタンジェの全身に血を、活力を巡らせる。
「……はっ、そいつは、分かりやすくていい」
 タンジェはたまらず、笑った。
 黒曜はこんなにも容易く、タンジェの胸裡を砕く。
 だが礼は言わない。素直にありがとうが言えるような性分ではないのである。
 タンジェが強くなることが、今日言えなかった礼の代わりになるだろう。

 タンジェが怒りをくべて燃やす復讐の炎。その火元にある、「強くなりたい」という、ただひたすらに抱く、強さへの渇望。

 弱いことは罪だろうか? ペケニヨ村の人々が蹂躙されたのは、弱者という罪人であったためだろうか?
 違う。
 弱いことは罪ではない。弱さを嘆き、身の丈に合わない強さを求めたとき、人は弱さの罪を負う。

 過去のタンジェの弱さは、タンジェのことをいつでも罪人にし得る。
 だが、罪を逃れたいのではない。贖いたいのでもない。謝罪などいっとう無意味だ。
 ただ復讐のために、弱い自分を殺すために、あの言葉と黒曜に報いるために、タンジェは、強くなる。それしかない。がむしゃらに、強くなるしか。

 やがて立ち向かえる。
 タンジェは、弱い自分を、今度こそきっと、自分自身で打ち砕くのだ。

【鏡裡を砕く 了】
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鏡裡を砕く 5

 窓がないから風もない。なのに灯ったランプの火が揺らめき、落ちた影が歪む。
 視線が、離せない。タンジェの目の前で、ぼんやり霞んで映っていたおぼろげなタンジェの像がゆらりと動く。
 タンジェは椅子に縛られたまま動いていない。なのに鏡の像が、摂理に反してゆっくりと立ち上がった。ゆらゆらと揺れるそれは、立ち上がってもやはりタンジェの姿に違いない。
「……!」
 息を呑む。タンジェの視線の先で、あいまいな輪郭が明瞭になっていく。まるで鏡から靄を消し去ったかのように、突然それはタンジェの視界に飛び込んできた。

 ――血まみれのタンジェだった。

 タンジェは、それだけで、すべて理解した。
 顔、髪、服についた夥しい量の血、そのほとんどは、他人の血だ。父の血で、母の血で、村の人々の血だ。

 タンジェの罪は、ペケニヨ村の人々がオーガに蹂躙されるのを、ただ見ているしかできなかったことだ。

 そしてこの<罪の鏡>で、初めて分かったこともある――血まみれのタンジェは、顔を歪め、本当に、無様で、情けない顔をしていた。
 タンジェの罪は何より「弱かったこと」に他ならないのだ。

「……、ち、……くしょおッ……!」
 こんな八つ当たりみたいなわけのわからない逆恨みで、自分の弱さが暴かれたことが、悔しい。
 目の前で顔をくしゃくしゃにして、今にも泣きそうな、弱っちい自分をぶん殴れないことが、悔しい。
 何より今すぐロープをぶち破ってめちゃくちゃに暴れることすらできない今の自分が、この頃の自分と何が違うのかと突き付けられたことが、悔しかった。

 これが本当に<罪の鏡>とやらだとして、それが映すものはコンシットではないだろうことを、タンジェは最初から知っていた。
 なのにこうして直面したとき、タンジェは何の抵抗もできない。でも、ただ屈して負けたくはない。
 どうすればいい。今の俺に、何ができる? ……。

 ――混迷するタンジェの目の前で、血まみれの、弱いタンジェが粉々に砕け散った。

「――」
 砕けた鏡裡が、床に落ちる。ランプに揺られてちらちらと光るそれを、じゃり、と踏む黒衣。

 弱いタンジェの代わりに、気配の一つもさせずにそこに立っていたのは、黒曜だった。

 タンジェの鏡映ごと<罪の鏡>を叩き割った黒曜は、タンジェのほうをちらと見て、一歩でタンジェに歩み寄り青龍刀を閃かせた。
 椅子とタンジェを縛り付けていたロープが切り落とされて、タンジェはようやく自由になる。
「――っは、」
 力が入らないなりに立とうとするが、うまくいかない。黒曜はタンジェの腕を掴んでぐいと引き寄せた。それでなんとか立ち上がり、2、3歩よろけて、タンジェは黒曜の胸に飛び込むはめになった。
「おわ!」
 思わず飛びのき、またよろめく。黒曜がいったん椅子に座るよう促したので、タンジェは仕方なく座り込んだ。
「……身体の自由を奪う魔術だろう」
「……」
「じきに治る」
 そういえば、路地でトリカと対面したときに彼女が叫んだ言葉は、魔術師が使う呪文のような感じだった。あの手に持っていたのがその呪文を放つためのいわゆる「スクロール」ってやつだったのかもしれない。おそらくこの状況に持ち込むためにあらかじめ用意していたのだ。
 でも、そんな答え合わせに大して意味はない。タンジェは尋ねた。
「……なんでここに?」
「偶然だ」
「そうか……」
 確かに黒曜が言ったとおり、話している側からだんだん身体が動くようになってきた気がする。タンジェは顔を上げた。
「トリカ……女がいなかったか?」
「見なかった」
 即答する黒曜。タンジェはちょっと眉を寄せた。あの女がタンジェの謝罪を聞かずして遠くに行くようなタマとは思えない。しかし黒曜が嘘をつく理由もないだろう。……タンジェはトリカの行方を訝しく思いつつも、
「……どこに行ったか知らねえが、……戻ってくるまでに、出てったほうがよさそうだな……」
 なんとか動けそうだ。タンジェは立ち上がる。黒曜の先導についていき、部屋から出た。
 タンジェが監禁されたのは路地裏の廃屋の地下だったらしい。ほどなく外にも出られた。確かにトリカはいない。もっとも、探す必要も理由もない。もう関わり合いになりたくなかった。

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鏡裡を砕く 4

 おぼろげな視界が、ゆっくりと輪郭を取り戻していく。
 ぼんやりした頭も同時に少しずつ覚醒し、タンジェはようやく目覚めた。
「……っ、なんだ、何が起きた……!?」
 声は思ったより掠れていて、ほとんど呻き声だった。周囲を確認しようとすれば、自分が身体の自由を奪われていることに気付く。タンジェは椅子に座らされ、椅子の背もたれごと後ろ手に拘束され、ご丁寧に足も椅子の脚にロープで括られていた。
「……、……!?」
 肝は据わっているほうだ、恐怖はなかったが、何が起きたのかという動揺はさすがに抱く。落ち着け、とタンジェは自分に言い聞かせた。
 おそらくタンジェはあの女に騙されたのだ。ニセの悲鳴は、周囲のひと気のなさやタイミングを見るに、明らかにタンジェをおびき寄せるために発されたものだ。ノコノコ現れたタンジェに、あの女は……何をした? 本のようなものを開いて、何かを叫んでいた。
 タンジェは周囲を見回す。室内だ。窓はないが、明かりはふんだんに用意されていて暗くはない。
 椅子に縛り付けられたタンジェの目の前には、布のかかった大きな何かがある。縦はタンジェが立ったときの身長より大きく、横幅はタンジェの3倍はありそうだ。

 ――ちっ、何だってんだよ。

 何をされたのか、何をされるのか、そもそも誰が何の目的でこんなことをしているのかは知らないが、タンジェは単純にイライラした。
 普段の怪力さえ発揮できればこんなロープをぶち破ることなど容易い。が、昏倒したときのあの痺れた感覚がまだ全身に残っていて、力が入らなかった。
「起きたみたいね」
 声が聞こえた。タンジェは人の声を一度で覚えられるほど他人に興味はないが、状況から考えれば間違いなくタンジェを謀ったあの女だろう。
 声は背後からで、そちらに出入り口もあるのかもしれない。視界をほとんど制限されているタンジェには与り知れないことだ。
 足音が背後から回って、タンジェの前に来た。バンダナにエプロン姿の、ごく一般的な市民といういでたちの女だった。確かに倒れる前の一瞬、タンジェが見たあの女である。
「なんなんだよ……、てめぇは」
 掠れた声で尋ね、思いきり睨む。女は、
「名前? 名前はね、トリカ。骨董屋を最近継いだばかり。歳は24よ」
「んなことは聞いてねぇ……!」
 トリカは腕を組んで、首を傾げた。
「何をされたのか。これから何をされるのか。なぜ、こんなことになっているのか。それが知りたいってわけ?」
「分かってんなら、……とっとと言いやがれ……クソ女ッ」
 この状況下でも、タンジェの口はすこぶる悪い。トリカは顔を歪めてタンジェを見下す。
「コンシットの名を聞けば、思うところはあるわね?」
「……あ……?」
 思いも寄らないやつの名前が出てきて、タンジェは眉を寄せた。
「私の恋人よ」
「……」
 さすがのタンジェも、先は察せられた。同時にこれがこの女による明確な"逆恨み"であることも察した。要するにトリカは、
「あなたがコンシットの誘いを断らなければ、コンシットが依頼先で死ぬことはなかった。そうね?」
 タンジェがコンシットのパーティに参加しなかったために、コンシットのパーティの戦力が足りず、それがコンシットを死に追いやったと思い込んでいるのだ。
「知らねえよ……」
 タンジェは呆れ半分で吐き捨てた。もう話すのもかったるい。いざというときのために体力を温存しておくべきか、だとすれば無理に話す必要もないのかもしれない。
 トリカはまったく意にも介していないらしく、
「コンシットは、立派な冒険者になったら私を迎えに来てくれるって約束してくれたの。あんな小汚い骨董屋、継ぐ必要ないんだって。私、嬉しかった……。コンシットが立派になるのをいつまでも待つつもりだった」
 1ミリも興味がない。もう少し身体が、あるいは口が自由に動けば、暴れるなり文句を言うなりできるのだが。
「それをあなたが台無しにしたのは、ちゃんと自覚をもって?」
 早く話終わらねえかな、と思いながら、タンジェは虚空を眺めている。
「あのね、私はあなたを殺そうとか、そういうつもりはないの。ただ反省してほしいだけ。分かる?」
「反省だと……?」
 トリカは、タンジェの目の前にあった大きなものから布を取り去った。
 布の下にあったのは豪奢な鏡である。巨大な姿見は、かつては美しかったであろう細かな細工のくすんだゴールドに縁どられていて、とうの鏡面もまるでモヤでもかかったかのように曇っていた。目の前に座っているタンジェの姿が、かろうじてぼんやりと映る。
「この鏡はね、うちの骨董屋にあったものなの。<罪の鏡>というらしいわ」
「……」
「名前のとおりよ。この鏡には、その人の<罪>が映るの」
「俺の、罪……」
「この鏡にはきっとコンシットが映るはずよ」
 トリカは言った。
「彼の姿を見て、深く反省して、謝罪してほしいの。私が望んでるのはそれだけ」
「……」
 そして、ゆっくりとタンジェと距離を取り、
「私は外にいるわね。コンシットの姿を見るのはつらいし……私がいたら、コンシットに謝りづらいものね? 男の子って、人のいるところで自分の間違いを認めるのが苦手だし……。私は、終わったら改めてあなたから謝罪を聞くわね」
 勝手なことをまるで真実かのように言って、トリカは入ってきたのと同じ、タンジェの背後にあるらしい扉で、出ていった。
 静寂が、部屋を満たす。

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鏡裡を砕く 3

 夕方まで時間があるので、短期バイトを探すことにした。星数えの夜会に来る依頼は数が多くないし、残念ながら今日は即日終わる簡単なお使いのような依頼もない。冒険者大国のベルベルントでは、冒険者が所属宿以外の依頼を受けることはマナー違反とされている。もし宿の外で小遣い稼ぎをしたいなら、常連の店の手伝いなどの、宿を通さない方法を探すしかない。
 行きつけの道具屋はあるものの、常連というほどではない。あの道具屋にはタンジェより懇意にしているような冒険者もたくさんいるはずだ。仕事をもらえる見込みはまずないだろう。
 ただ、タンジェにはひとつ、"盗賊役"だからこそのツテがある。すなわち、"盗賊ギルド"だ。
 盗賊役――あるいは本職の盗賊――などの裏社会に生きる者が集まり、情報を交換したり売り買いしている場だ。実際はもっと後ろ暗いこともやっていると思うが、まだタンジェがそれを目の当たりにしたことはないし、わざわざ首を突っ込むことでもないと思っている。
 本来ならタンジェなど縁もゆかりもない場所なのだが、どの冒険者パーティであれ、盗賊役はほとんどが盗賊ギルドに出入りする。ここでのコネは冒険者パーティの情報収集に寄与するので、タンジェも盗賊役になることを決めてすぐ盗賊ギルドへ向かった。タンジェの盗賊役としての師匠もここで見つけた。この師がごくたまにタンジェに簡単な仕事をよこしてくれるのだ。

 盗賊ギルドは普通の宿に比べれば酔っ払いや団体がいない分、静かな場所だ。タンジェはいつも師がいる奥のテーブル席へ顔を出した。
 酒瓶から酒を注いで飲み干した男が、タンジェに気付いてグラスを置く。
「タンジェか」
 名をブルースという。本名なのか偽名なのかは知らないし興味もない。こいつが、ズブの素人のタンジェに、金と引き換えに盗賊技術を叩き込んでくれている男である。
 青い髪に無精ヒゲ、いつもぼろ切れを着た痩せ型の男で、ギャンブル好きがたたっていつもスカンピンだ。そのくせ酒好きでいつも飲んだくれている。おまけに冒険に出る勇気のない根性なしだが、技術だけは確かである。
「模擬錠か? この前買ってったばっかだろ」
 無精ヒゲををさすったブルースが首を傾げた。模擬錠は、初心者の盗賊役が解錠の訓練に使う鍵の模型だ。一般的な家鍵から複雑なトラップ錠までありとあらゆる鍵種が網羅されている。タンジェはようやく「特によく見かける」といわれる鍵種を半分くらい攻略したところで、まだまだ先は長い。もっとも、まずもって黒曜はタンジェの手に余る鍵が出てくるような依頼は受けないので、今のところは問題ない。もちろん、盗賊役としてパーティにいる以上は、いずれはマスターするつもりである――やらされている盗賊役だとしても、タンジェは負けず嫌いのたちなのだ。
 ともあれ、ブルースの言うとおりタンジェは模擬錠は買ったばかりであった。要件はそれではない。
「いや。なんか仕事ねえか? 一日で終わる簡単なやつ」
「ああ? ……お前に任せられるような仕事ねえ……」
 だいたいブルースがタンジェに寄越すのは、盗賊ギルドの備蓄の食料を買ってくるとか、ギルド内の掃除とかだ。タンジェは盗賊役としても冒険者としても限りなく素人に近い初心者という段階である。ブルースはタンジェの仕事の遂行能力をまったく信用していなかった。まあ、タンジェからしても、過剰な期待をかけられて手に余る仕事を渡されるよりよほどいい。とはいえ、
「酒も食料も足りてるし、掃除もしたばっか。毒薬の調合はお前にはまだ早いし……今はねえなあ……」
 聞けば聞くほど自分の盗賊役としての未熟を痛感し、タンジェは顔を歪めた。「そんな顔されたってしょうがねえだろお」とブルースは唇を尖らせる。おっさんのそんな仕草を見ても気持ち悪いだけだ。仕方なく帰ろうとしたそのとき、
「なんだ、お前、仕事を探しているのか?」
 急に声をかけられた。見れば、金髪をなでつけ、同じ色のヒゲをしっかり整えた、恰幅のいい男がいる。初めて見る顔だ。宝石がついたテカテカ光る上等そうな衣服に、金ピカの柄に入った剣を携えている。
「あ? ……誰だ?」
「口の利き方を知らんガキだな。フレンチェカ領には私を知らん者はおらんのだがね。やはりこんな汚い底辺の集まりはいかん」
 タンジェは面倒に思い、ブルースを見た。ブルースは肩を竦めている。
「私はナリン伯爵家の嫡子、ピエールである。"宝石眼"を、探しているのだよ」
「宝石眼?」
「だからぁ……ピエールさんとやら。宝石眼はとっくの昔に狩り尽くされて、生き残りはおらんって話ですぜ。ちょっと調べれば分かることでしょう」
 ブルースもまた面倒そうに、手元のグラスを撫でながら言った。
「なんだよ、その宝石眼ってのは」
「東の町にごく少数いた民族がもつ、稀少な魔眼だよ。宝石眼の目玉は魔術的価値もあれば金銭的価値も高い」
「その眼はこの世のものとは思えぬほど美しくまばゆく輝く、名の通りの"珠玉"なのだ!」
 ピエールはブルースの言葉に鼻息荒く割り込んだ。
「世のコレクターなら、喉から手が出るほど欲しい代物よ。私はその宝石眼をもつ者を、このベルベルントで見たという情報を入手したのだ」
「じゃあその情報提供者に聞けよ」
「聞ければこんな薄汚いところには来ない。その情報提供者は死におったのだ。せめてもっと具体的な情報をよこしてから死ねばいいものを!」
「はあ」
「だから仕方なく、こうして高貴な私が、卑しいやつらに頭を下げて情報収集しているのではないか」
「頭のてっぺん見えてねえけどな」
 タンジェ、とブルースに窘められた。「一応、貴族なのはマジっぽいから、下手に出とけって」と、小声で。タンジェは舌打ちする。
 幸い、ピエールはタンジェの言葉の意味は分からなかったらしく、
「とにかく、お前、仕事が欲しいなら私を手伝え。宝石眼を探し出すのだ。仕留めるのはもちろん、私がやる。狩りの一番楽しいところだからな」
「断る。よそを当たれ」
 間髪入れずタンジェは答えた。ブルースが額を抑える。ピエールはたちまち不機嫌になり、
「なんだ、盗賊ギルドだかなんだか知らんが、情報もなければ肉体労働もせん、とんだ役立たずの集まりではないか」
 手が出そうになったところを、慌てて立ち上がったブルースにほとんど羽交い締めにされ止められた。本気で暴れればブルースを振りほどくくらい何てことないが、それをしたら一応円満な師弟関係にヒビが入りかねない。タンジェはおとなしくピエールをぶん殴ることを諦める。
 ピエールはしばらくぶつくさ文句を言っていたが、やがて盗賊ギルドを出て行った。
「なんだったんだ」
 タンジェがぼやくと、
「お前、あんまヒヤヒヤさせんなよ。ここで揉めたら出禁だぞ」
「……それは困る」
「だろ? ほら、仕事はねえから、今日はもう行け」
 言われなくても、今はもう盗賊ギルドに用はない。タンジェは素直に盗賊ギルドを出た。

 どうしたものか、夜会に戻って皿洗いでも手伝うか、いやガキじゃあるまいし、などと考えながら通りを行く。盗賊ギルドは路地裏の片隅にひっそりあって、表通りに戻るには複雑な路地を歩かなくてはならない。まだ日も高いのに路地裏は薄暗く、湿っぽい。
 路地裏には無法者やトラブルがつきもので、タンジェも初めてここに訪れた際にはチンピラに絡まれたものだ。怪力に任せてぶん投げて以来、囲まれることはなくなったが、相変わらず治安は表よりずっと悪い。
 ひと気のない路地の角で、
「だ、誰か助けて……!」
 と、女の声が聞こえた。
「……」
 日常茶飯事である。無視しようかと思ったが、……仕方ない。タンジェは女子供が嫌いであるから、正義感で助けようというのではない。ただ、放っておいて、事件にでもなったら寝覚めが悪い。
 タンジェは声の聞こえた角に向かって足早に近づく。角を曲がった瞬間、視界に女が入った。
 だが予想に反して女は一人。暴漢に襲われている様子もなければ、トラブルで怪我をしているということもなさそうだ。女はタンジェの目の前で何か本のようなものを開いていて、
「<万物を戒めよ。闇に沈め。地に伏せよ>!」
「……!?」
 瞬間、タンジェの身体がぎしりと軋み、痺れたように力が抜ける。足が立たない。続けて強烈なめまいがきた。たちまちタンジェの身体は崩れ落ち、冷たい石畳の上に転がる。
 目も開けていられなくなり、「や……やった……!?」女の声が聞こえたのが最後、タンジェの意識はそこで途切れた。

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鏡裡を砕く 2

 日は差していたが、空気は冷えていた。まもなく11月が終わろうとしている。
 ベルベルントにも雪は降る。タンジェの故郷のペケニヨ村でも、年によっては降雪があった。だが不思議と、同時期のベルベルントのほうが寒く感じる。
 辺りは早くも聖ミゼリカ教の聖誕祭のムードで、家々や店は軒並み飾り付けられて銀の星飾りが日の光を反射してぴかぴかと光っていた。
 重ね着をした人々が白い息を吐いて大通りを往来する。風はまるきり、もう冬の冷たさだ。
 中央の広場に、これまた気が早い、巨大なツリーが立てられている。何人もの体格のいい男たちがツリーに登って飾りを付けたり、ツリーの剪定をしたりしていた。
 タンジェはそれを横目に見ながら、はたと気付く。このメモに書かれたものは、どこで買えばいいものだろうか? 雑貨屋? しかし見たことのない単語ばかりだ。草とか書いてあるから、ハーブ屋だろうか……。いったん、サナギに聞きに戻るべきか。しかしここまで来て戻るのも面倒だ……。
 道の端でメモとにらめっこしていると、不意にとんとん、と肩を叩かれた。
「何かお困りですか?」
 タンジェは思いきり眉を寄せて振り返った。背の高い、片眼鏡の男が柔和な笑みを浮かべて首を傾げている。
「……ああ?」
「そのメモを見てずいぶん難しい顔をしていたもので。何かお困りだったら、お手伝いできるかもと」
「……」
 無視しようかと思ったが、肩まで叩かれているので、気付いていないふりはさすがに無理があった。それに、実際に困ってはいる。
 しかしこの男がただ単に親切な人間なのか、あるいはタンジェから金品でも騙し取ろうとしている不審者なのか、迂闊に判断はできない。タンジェは相手の出方を伺うように、ジトリと男を睨む。と、男は、
「あなたは冒険者ではないですか?」
 意図を測りかね「だったらどうした」と答えると、
「冒険者宿を探していたんです。依頼を引き受けてもらえるのは大前提として、何日か宿泊したい。それで、話しかけるきっかけに」
「ああ……」
 まだ胡散臭くはあるものの、目的が知れれば多少ましである。
「言っとくが、俺の紹介なんかじゃ値引きや特典はねえぞ?」
 男は「そんなつもりで言ったわけではないですよ」と言った。客が来ること自体は親父さんにとってはいいことだろう。断る理由も特に思いつかなかった。
「紹介してもいいが……使いを終えてからだ。てめぇ、これがどこで買えるか分かるか」
 タンジェはサナギからのお使いメモを見せた。男はメモをさっと見てすぐに、
「いずれもマジックハーブですね。魔法雑貨屋で揃うでしょう」
「魔法雑貨屋……」
 まったく心当たりがない。だが、男が、
「この街に来てすぐ、ざっと通りを回りましたが……一本向こうの通りにあるのを見かけましたよ」
「そうか。案内できるか」
「ええ、構いませんよ。ですが、そのお使いが終わったあと……」
「分かった、俺の常宿に案内する」
 男はにこりと微笑んで頷いた。
 それから男はタンジェを魔法雑貨屋に案内し、メモを見せればすぐマジックハーブは揃った。サナギから受け取っていた金で代金を払い、おつりを受け取る。タンジェは男を伴い、約束どおり星数えの夜会へと向かった。

 星数えの夜会に戻り、すぐ、タンジェは親父さんに声をかけて片眼鏡の男を任せた。それからサナギの研究室に向かう。サナギはうずたかく積まれた本の横に座り込み、熱心に何かを読んでいた。
「戻ったぞ、サナギ」
 声をかけると、サナギは顔を上げた。
「おかえりタンジェ。ありがとう」
 サナギは立ち上がり、入り口に立っていたタンジェのほうへと器用に歩いてくる。さっきまでは動いていなかったいくつかの機器がコポコポと音を立てたり、クルクルと回ったりしていた。
 マジックハーブとおつりを渡すと、サナギはマジックハーブだけ受け取り、おつりをタンジェに返した。
「あ?」
「お礼!」
 にこりと笑うので、そういうことならばと受け取る。金額にして15Gldほどだったが、あの程度のお使いなら充分すぎるくらいだろう。
 サナギはマジックハーブを検品しながら言った。
「ありがとう。助かったよ、タンジェ。結構急ぎだったんだ」
「急ぎ?」
 サナギはタンジェの前から離れ、実験器具らしきものの前に行く。検品を終えたものを投入しながら、
「うん。実は、俺がずいぶん昔に作った術が、いくつか盗まれたらしいんだよね」
「……?」
 タンジェは首を傾げた。
「ずいぶん昔? 作った術? 盗まれた『らしい』?」
 ああ、とサナギは言った。
「最初から説明するね。今の俺のひとつ前の代だから……だいたい60年くらい前のことかな? そのときの俺は……」
「待て、それ本当に最初からになってるか? 前提がよく分からねえんだが……。なんで60年前にお前がいることになってる?」
「そうか、そこからだよね」
 実験器具がぐつぐつと煮えたつ。
「俺はホムンクルスなんだよ。俺とそっくり同じ身体がいくつかあって、俺は死の危機に瀕すると次の俺の身体に記憶や意識を移し替えているのさ」
 何を言ってるのかよく分からない。
「何を言ってるのかよく分からないって顔だね。まあ、そういうわけだから、今の俺の身体の前の身体……前の代があるんだよ。その身体は結構長生きしたんだけどね、その身体がまだ若い頃の話」
 言いたいことはいろいろあったが、割り込んだっていいことはなさそうだ。サナギは相変わらず手元を忙しなく動かしながら、
「その頃の俺はいろいろな術を作るのにハマっていて、たくさん術を作ったんだ。術を作るってのは、要するに……こういう手順でこういうことをすればこういう結果の術になる、っていう設計図を作るみたいなこと。分かる?」
「そりゃまあ、何となく」
 頷くと、サナギはニコリと笑った。続ける。
「でも俺も作るだけ作って満足しちゃうタイプでさ。別に作った術のスクロールも要らないし、錬金術連盟に寄贈したんだよね。それが今になって錬金術連盟から盗まれたって報告があったというわけ」
「……なるほどな」
 だから、盗まれた『らしい』、か。
「理由も犯人も不明だけど……盗まれたなら悪用されるだろうと思って、今、過去の日記を漁って、当時の記録を確認しながら解除の術式を作ってたんだよ。きみたちにお使いを頼んだのは、それの術式回路の発火に使う材料なんだ」
 だいたいの話は分かった。分かったうえで、タンジェは頭を抱えたい思いだったが、
「……まあ、まだ悪用されてるわけじゃねえんだろ? 先に手を打てるならまだマシか」
「その通り! まあ盗まれた術は人を殺せるようなものじゃないけれどね」
「たとえば?」
「<眠りへのいざない>とか。広範囲に催眠を誘発する霧を発生させて生物を眠らせる術だよ」
 タンジェは目を瞬いて、首を傾げた。
「普通に冒険にも役立ちそうじゃねえか? なんで寄贈なんかしたんだよ、勿体ねえ」
「うん、味方も自分も寝るからだね」
 使えなさすぎる。
「だからこそ、今になって解除術式なんか組み立ててるわけで」
「当時から作っとけよ、そんなもん」
 それはもっともだね、とサナギは笑った。
「でも当時の俺はそういうの投げっぱなしでさ。解除術式より新しい別の術式を作るのに時間を使いたかったんだね。だからこうして過去の俺の投げっぱなしを今の俺が引き受けているというわけ」
「……なんつーか、不毛だが……まあ、自分のケツを自分で拭くのは当たり前のことだな」
「手厳しいねえ」
 サナギは言葉ほど凹んだ様子はなかった。
 会話が終わったらしいと判断し、タンジェがサナギの研究室を辞す。タンジェの背中に、「本当にありがとうね!」と、サナギから改めて礼がかかった。タンジェは片手を軽く挙げるだけで応じ、扉を閉めた。

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プロフィール

管理人:やまかし

一次創作小説、
「おやすみヴェルヴェルント」
の投稿用ブログです。
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