聖ミゼリカ教会の戦い 3
翼に絡んだ鎖が粉々に砕け散る。飛び方はよく知っている。この地上から飛び立つのは初めてだけれど、不安なんてものは一切なかった。
聖歌を背に受けて飛び立ち、空中を旋回する。突如現れた天使の姿に悪魔たちの動揺が広がるのが分かる。だが、俺の穢れた翼を見れば、俺が純粋な天使でないことはすぐに知れるだろう。
「堕天使か」
案の定、中級悪魔が嘲笑する。
「堕天使の誹りは甘んじて受け入れよう。事実なのだし」
「敢えて言う。市民を一カ所に集めるのは愚行だったな。まとめて我々に殺られるだけだ」
中級悪魔が闇色の衝撃弾を人々に放つ。光弾で相殺する。それを区切りに複数の悪魔が次々とミゼリカ教会とその広場にいる人々に攻撃を放つ。
「<プロテクション>!」
不可視の壁がミゼリカ教会とその周囲を一瞬包み込み、すべての攻撃を弾き飛ばす。ミゼリカ教会を中心に滑空しながら、すれ違う悪魔をメイスで殴り殺していった。複数の悪魔の攻撃が、羽根や身体を突き貫こうと迫る。何発か羽根に食らい、砂のような光が零れる。天使の攻撃が悪魔にとって致命傷になるように、悪魔の攻撃は天使にとって致命傷になる。じんじんとした痛みが広がるが、気にしない。あとで治せばいいだろう。
悪魔の表情が、狩る側の余裕のそれから少しずつ変わっていく。
「そっくりそのままお返ししよう」
俺は言って返した。
「集まった市民に群がるのは愚行だったな。まとめて消し炭にされるだけだ」
地上はアノニムがいるから心配していない。空中から見ても地上で悪魔の侵略を許している様子はなかった。血の赤は広がりつつあったが、それよりはるかに青のほうが多い。悪魔の血だ。クエンの護衛もいるし、他にも数人、救助基地と避難所の護りについた冒険者がいるようだ。地上からも空中からも悪魔はミゼリカ教会を攻め落とせはしない。
悪魔の槍をかわしてメイスで頭を割る。一匹、また一匹と悪魔は消滅していく。
「……ちっ!」
一匹ずつでは埒があかないと察した中級悪魔が数匹集まって合体し巨大になっていく。
聖歌が止みそうになる。怯えた人々が身体を寄せて震えている。それでも決して怯まずひときわ響く娘さんの歌声は、空中にいる俺にも届いていた。
人々は娘さんに勇気づけられ、必死に聖歌をうたう。
人々の祈りが、俺にちからを与えてくれる。
戦える。巨大化した悪魔など怖くはない。
もはや自分のエネルギー残量なんて気にする段階ですらなかった。祈りのちからひとつひとつは小さくともその数が膨大である。
俺が普段光弾や治癒の奇跡を使うときに口にする聖句は、少しでも俺のエネルギーの負担を軽くするためのものだ。今の俺には、聖句すら必要ない――
――そう思った瞬間、身体が傾いた。
一瞬、落ちるかと思った。慌てて体勢を立て直す。
人々の聖歌は続いている。何故バランスを崩したのか、何が起きたのか確認すれば、俺の羽根に一つだけ鎖が絡みついている。
外部からの攻撃というわけじゃない。
そうなったタイミングで自覚できた。この鎖は俺の『欲』かもしれないと自分で言ったじゃないか。
鎖が、聖句が必要ないなどという俺の傲慢を戒めたのだ。
この鎖は、罰だ。俺のすべての罪を、欲を、邪悪を戒めるための。反省する。こんなところで落ちたら天使の名折れだ。
俺の様子を見てくつくつと巨大な悪魔が嗤う。
「今さら天使ぶってみても、貴様はこちら側だよ」
悪魔が闇弾を何発か放つ。ご丁寧にそれぞれの闇弾に数秒の時間差を与えている。俺の<プロテクション>が長くは続かないことを知っているのだ。
それでも民衆を狙った一番大きなものを<プロテクション>で弾き、残りの弾は仕方ない、危険な軌道のものは身体で受けた。
「くっ……!」
全身が焼ける痛みはあるが、祈りの力は膨大だ。この程度では死にはしない。相殺したもの以外の闇弾が地上に着弾し、人々の大きな悲鳴が響き渡る。
「罪、欲、邪悪を身に持って天使を名乗るのは無理がある」
先ほどは小規模の闇弾を複数放ったが、今度は巨大なものを一発。俺は民衆と悪魔の間に入り、<プロテクション>と自身の身体で強引に守り切る。<プロテクション>で削り切れなかった悪魔の闇弾が俺の周囲で小さくはじけて、羽根を筆頭に、カソックを突き抜けて俺の肌を爛れさせた。
「……」
――悪魔の言うことは信じるな。
かつて俺がタンジェに伝えた言葉でもある。
悪魔の言葉は正しい。正しいからヒトは騙される。そして今も、俺はやつの言葉が間違っているとは思わない。
「だが、それでも、」
人々の祈りは俺のちからになる。
俺のちからは傷を癒す奇跡になり、
また、邪悪を滅する刃にもなる。
「今の俺は、昔の俺とは違うと、」
聖句を唱える。
「――信じている」
――<セイント・フレア>!
空から降り注ぐ数多の光弾が焼けるように閃いて、ベルベルント中を照らす。まだ日も高いというのに、眩い光は一瞬空を白ませた。
光弾が巨大な悪魔の身体に何十もの穴を開ける。すぐさま穴から焼け爛れ、灰になっていった。
聖歌が徐々に歓声に変わる。
まだ悪魔はたくさんいるけれど、巨大化した悪魔を葬り去ったことは、人々の不安を払拭する役に立ったようだ。
しかし気は抜けない。まだ戦える。俺は焼け爛れた翼で空中を羽ばたきながら、逃げる悪魔、あるいは新たに飛来する悪魔を一匹ずつ潰していく。
――胸を張れるか?
この戦いにおいて人々を守り切ったならば、俺は変われたのだと堂々と言えるか?
神は地にいる俺には応えない。
慈母はすでにこの世にはいない。
けどきっと、アノニムは、みんなは頷いてくれる。
……いや、頷いてはくれないかもしれないな……。
でも別にいいか。
黒曜はいつも通り無口で、タンジェは「そういうところが傲慢なんだよな」と俺を罵り、緑玉は呆れた顔をして、サナギは笑って肩を竦め、そしてアノニムは「昔のお前を知らないから知らん」とか言うんだ。
それを考えるだけで俺は楽しくて、嬉しくてしょうがない。
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