星数えの夜会の戦い 1
サナギが自分の研究室に籠って2時間が経とうとしている。俺――緑玉――は今は誰もいない星数えの夜会の食堂で、バーカウンターに寄りかかっていた。
もしかしたら、タンジェリン辺りはしっかり立って入り口と裏口を見張れ、とか、言うかもしれないけれど。入り口を見張れば裏口が疎かになるし、その逆も然り。結局、この位置がどっちも見張れてちょうどいい。
もちろん警戒は解いていない。トンファーは握っているし、襲撃があれば対応できる。
実際のところ、この2時間で何体悪魔が来たかというと、ゼロだった。扉を閉めているから、わざわざ開けてまで入ってこないのだろう。
たぶん大通りのほうでは今も誰かが戦っているんだと思うけど、夜会は通りから大きく離れているから、わざわざここまで来る悪魔がいないのは分かる――普通だったら。ラヒズだってサナギが送還術式を書けるかもしれないことは知っているはずだ。ラヒズがサナギを放っておくはずはない。下っ端の悪魔にはそういうことが伝わっていないのだろうか。だとしたら指示系統の見直しをお勧めする。
サナギの研究室は静かすぎて、たまに様子を見に行こうか、と思う。でも集中している邪魔になってはいけないし、その間に襲撃が来たら……やっぱりできない。結局、ここでヤキモキしているしかない。
こうしていると、俺はいつも何もできずに突っ立っているだけだな、とか、考える。
――余計なことを考えているね。でも、それはきみが生きているという証だね。
不意に思い浮かぶ、しわがれた声。奴隷だったころ、俺は日常的に結構痛い目に遭っていた。そこの主は、俺で長く"愉しむ"ために、俺の怪我を老医者に治療させていた。その老医者のことは、男女の別すら覚えていない。けれど、老医者との時間は俺にとっては唯一、安らぎの時間だった。
……どうでもいいことだな、とは思うけれど。未だにあの言葉を思い出すってことは、結構、印象に残っているのかな。
そんなことを考えていると、人の気配がした。俺は入り口のほうを見る。悪魔だったら扉を蹴破ったりするもの? 俺は悪魔なんてラヒズしか見たことがないから分からない。あいつは普通に扉を開けてきそうだけど。
ガチャリ、と扉を開けて、誰かが入ってくる。俺はトンファーを構えた。
ずいぶん背が高い。俺より、黒曜より、アノニムより高いと思う。ハイヒールを履いていて、さらに大きく見えた。
ハイヒールってことは女性なのかと思ったが、ガタイがどう考えても男だ。顔は……化粧が濃くてどっちだか判断できない。どっちにしろ、知らない顔だ。
「あらやだ」
急な訪問者は頬に手を当てて声を上げた。声は男だ。口調は女。どっちなのか正直混乱しているけども、そんなことは些細なことだ。もっと重要なことはつまり――敵か、味方か?
お互いに一拍、沈黙。それから訪問者は、
「イケメンじゃないの!」
「……」
で、敵なの? 味方なの?
ここまでの情報じゃ分からない。冒険者と言われればそうも見えるし、悪魔と言われれば……ラヒズが悪魔だっていうぐらいなんだから、こういうのもいるのかもな、って感じだ。
「ボウヤ。ここって『星数えの夜会』で合ってるかしら?」
「……」
星数えの夜会を探している。ということは……。俺の脳内の天秤は敵側に傾く。
「応援に来たのよ。アタシの相棒がやられたって聞いて……」
相棒がやられて、応援? ということは、冒険者? 俺の脳内の天秤は味方側に……は、傾かない。一度疑いが出れば当然だ。
「……あんたの相棒が誰だか知らないけど。ここには誰も来てない」
俺は真実をそのまま伝えた。あらまあ、と、それでも訪問者は焦る様子はない。
「あの子ったら。場所を間違えたのかしら。困った子ねェ」
まあいいわ、と。
「緑の髪の美形……アナタがサナギちゃん?」
「……」
サナギを探してるってことは、そういうことなんだろう。悪魔で、敵。でも、サナギを探すのに教えられた特徴としてはそれは雑すぎるよね。やっぱり悪魔の指示系統には問題がありそうだ。
とにかく、そうと決まれば戦うだけだ。一歩踏み込む。頭部を狙うには位置が高すぎる。ボディを狙ってトンファーを突き出した。
訪問者はバックステップで難なく回避する。
「あら人違い? ごめんなさいね」
カツンとハイヒールが鳴る。
「それにアタシったら、自己紹介もまだじゃない。アタシの名前はサブリナ。悪魔よ」
サブリナと名乗った悪魔は続けた。
「さ、名乗りなさいな。戦いの前には必要よ」
こんなナリして、武人みたいなことを言う。
戦う前に名乗りを上げる? 馬鹿馬鹿しい。そんな儀式的なことに何の意味があるのか。
だいたい、サナギのことを知っているなら、きっと夜会のメンバーは把握しているだろう。今更俺が名乗ったところで……いや、もしかして、サナギのことしか聞いてないのか?
俺は構えたまま一瞬躊躇ったけれど、
「……緑玉」
結局名乗った。
「緑玉ちゃんね。楽しみましょ!」
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