カンテラテンカ

堕天使の望郷 1

 かつて俺――パーシィ――が豊穣を司る天使であったことに、名実、嘘はない。
 天使であった頃の俺の名はパーシエルといった。今でもそう名乗ることを禁じられているわけではないが、不要な名だと思っている。今の俺はパーシィだし、俺の愛する人びとはみんなそう呼ぶ。

 潮の香り、波の音、青い海、五感で海を感じると、俺のふるさとを思い出す。天界のことじゃない。俺がこの地に堕とされて、初めて訪れた小さな漁村のことだ。アイグリンズ領にあるへリーン村といった。
 その村で過ごした2年ほどの期間は、今でも明瞭に思い出せる。

★・・・・

 ――豊穣の天使である私、パーシエルは、民からの信仰心を一手に集めている。
 豊穣の天使たる私の加護があるからこそ、ヒトは作物を収穫し、魚や肉を狩り、日々飢えることなく過ごせるのだ。愚かなヒトでもみな知っている、当然の摂理である。
 天使という高位存在に、生命維持のための食事は必要ない。だが、私は人間が感謝の贈り物として捧げてくる食物を食すのがいっとう好きであった。
 味というものをわざわざ感じる天使というものはあまりいない。食事なんてそんな俗っぽいことをと口さがない天使もいるが、そんな奴らを歯牙にかける必要もない。豊穣の天使である私にのみ許された特権であるから、ほかの天使がこの喜びを知ろうはずもないのだ。
 ところが200年近くもこの村に豊穣をもたらしてやっていると、捧げられるもののレパートリーにも飽きてきた。私は思いついて、村長にこう命じた。

――この村でもっとも尊く、もっとも価値が高く、もっとも稀少なものを捧げよ。

 村長はたっぷり二カ月は長考した。永く生きる私には些細な時間だった。捧げられるものは何なのか、私は期待していた。

 捧げられたのは、ヒトの形をした肉であった。
 村でもっとも美しい娘です、朝に殺したばかりです、と、村長は言った。
 と殺までこなしておくとは、信仰心の賜物だと私は感心した。
 用意されたナイフとフォークでその肉を食せば、これがこの世でもっとも美味なものだとすぐに知れた。

 私の食人はすぐに天界に知れ渡った。
 聞けば食人は禁忌だと言うではないか。何故、天使が下等生物に配慮しなければならないのか、意味が分からなかった。
 天界にある審判所で、私は審判にかけられ、不当な処遇を言い渡されることとなる。
「出されたものを食しただけだ」
 私は言った。
「もしもそれが禁忌だと言うなら、出してきた人間が悪いではないか」
「よくも言えたものですね」
 審判官の天使が声を張り上げる。
「調べはついていますよ。この200年近く、貴方があの村から搾取していた事実。天使とは与えるもの。それが奪うとは何事ですか」
「どうやら審判官殿は人間の世界をよく分かっておられないようだ」
 と、私は応答した。
「いいか、人間というのは、等価交換で文明を成り立たせている。私は人間の目線に立ち、人間に寄り添い、私の与えた分、人間から返礼を受けたまで。それで何故、私が審判にかけられねばならない?」
「貴方は人間界には詳しいようですが、それが長く続いたため、天使としての役務を見失ったようですね」
 審判官は深くため息をつき、審判長に指示を仰いだ。

「豊穣の天使パーシエルを、追放刑に処する。
この判決をもってパーシエルは天界から堕天し、堕天使となる。罪状は――」

――"暴食"の罪である。

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