カンテラテンカ

NEMESIS 1

 日が差す星数えの夜会の1階テーブル席で、不意にサナギがこう言った。
「俺からの依頼を受ける気はない?」
 タンジェだけでなく、パーティ一同がサナギを見た。
「どういうことだ」
 黒曜が尋ねると、サナギは「大したことではないんだよ」と前置きしてからこう続ける。
「俺がホムンクルスを造って、死ぬ前に意識や記憶を次代に継いでいってることは伝えたよね?」
 聞いた話だ。理解を遥かに越えてはいるので、あまり考えないようにしているが……。
「それで、何代か前まで俺はスーゼヒェッテという街にいたんだけど、そっちに家が残ってるんだよね」
 軽く相槌を打ち、黒曜が続きを促す。
「何かの役に立つかもしれないし、家を引き払うつもりはないんだけどさ。定期的に掃除しないと保つものも保たないでしょ。要するに、俺の古い家の掃除を手伝ってほしいのさ」
 家の掃除か。大した労働ではなさそうだ。タンジェ個人としては悪くないと思う。他の依頼も抱えていないし、宿でダラダラしているよりよほど建設的だ。
 サナギは、
「依頼料として、俺の個人的なお金をパーティ用の金庫に入れておくよ」
 と。移動カジノ・シャルマンのときも思ったが、サナギは意外と自由に使える金を持っているようだ。もっとも、何代分も生きているのだから、多少の貯金は当たり前なのかもしれないが。
 黒曜はしばし考えているようだったが、
「何日くらいかかる?」
「馬車を乗り継いで5日、向こうでの掃除は3日もあれば終わるかな。それから帰ってまた5日。まあ、多めに見て2週間あれば。旅費は俺が出すよ」
 観光ついでと思ってくれたらいいよ、とサナギは言った。頷く黒曜。
「分かった、受けよう」
 それで黒曜一行は、急ではあるが、スーゼヒェッテに向かうことになった。

★・・・・

 タンジェは国の地理や政治なんかには詳しくないのだが、スーゼヒェッテはエスパルタからそう離れてはいないのでまったく知らないわけでもない。ペケニヨ村の私塾でそういう街があることは教わった。ただ、行ったことはない。
 馬車に揺られながら街道をゆく。
 馬車の中で退屈しのぎに――というわけではないだろうが、サナギは先日のハンプティとの戦いについて話し出した。正確には、戦いのことというよりその後のことについてだ。
「精神操作の類について対策をしておくべきだと思うね」
 黒曜は静かに頷いたし、パーシィは苦い顔をした。アノニムは馬車の外を眺めている。緑玉は黙ってクッキーを食んでいた。
 ハンプティとの戦いはタンジェたちに結構な傷を残したけれども、致命傷というわけでもない。タンジェの腹には傷跡が残ってはいるが、もう痛みは引いている。動くのに支障もまったくない。元気そのものだ。
 タンジェは腹の傷を服の上から軽くさすったあと、サナギを見た。
「対策も何も。あれ以来、破魔のちからとやらについていろいろ調べてんだろ」
 タンジェのピアスが<魅了>を破ったのは、黒曜の故郷の<まじない>がかかっていたからだ。アノニムのほうも――これはのちに知れたことだが――パーシィによる<おまじない>とやらがかかっていたらしい。サナギによれば、こちらも目下研究中だそうだ。
「うん。それで思ったんだけど、もしかしたらスーゼヒェッテの家にも似たような研究資料がないかなあ、って」
 なるほど。長い研究生活の中で、そういうものがあってもおかしくねえか。
「そっちが本命ではないのか」
 黒曜は鉄面皮だから、その表情からは特別な感情は読み取れない。それでも責任を重く感じているらしく、サナギの調査に付き添って遅くまで起きていることが増えていた。健康のためにさっさと寝てほしいので、調査が進むのは大歓迎だ。
「正直、そういう研究はやった記憶がなくてさ。だから、あんまりアテにはできないんだ。本当にあったらいいな、程度で」
「はは、結局、本題は掃除か」
 苦い顔をしていたパーシィが顔を綻ばせる。
 そういえば――昏睡から目覚めたパーシィがいやに深刻な表情でタンジェを訪ねたので、何かと思えば謝罪だった。「俺がもう少ししっかり気配を探れていれば、きみにそんな怪我はさせなかった」だの「全部俺の神聖力の不足が招いた結果だ。本当にすまなかった」だの、らしくなくかなり落ち込んでいたので、タンジェは面食らった。「別に誰も悪くねえ」と黒曜に言ったのと同じことを言ったが、あまり心には響かなかったらしく、最終的には肩を落としたまま退室していった。まあ、翌日になったらすっかり元の調子に戻っていたが……。それはそれで切り替え早すぎるだろと思わないでもないが、ずっと落ち込まれていても鬱陶しい。
 馬の蹄が鳴る。馬車は進む。外を眺めているアノニムは会話に割り込んでこない。先日、急に現れたアノニムと怒鳴り合ったが、どちらかといえばそっちのほうが例外で、本来タンジェとアノニムはろくに会話もしない。最終的に喧嘩のようにはなったものの、感謝しているのは嘘ではない。アノニムのおかげでみんな助かったようなものだ。黒曜はタンジェを功労者だと言ったが、実際のところはアノニムのほうがそれに相応しいのかもしれない。
 しかし、黒曜とパーシィを見捨てて逃げようとしたことを忘れてはいない。結果としては助かったのだが、タンジェの中では釈然としない思いは未だにある。感情的になるアノニムは初めて見た。⁠何か考えや信念があったのだろうとは思うが、たぶんそれはタンジェと相容れるものではないのだろう。
「もうじきベルベルント領を抜けるね」
 緑玉がぽつりと言った。うん、とサナギが応じる。
「大丈夫だとは思うけど、妖魔と野盗には気を付けるとしようか」

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不退転の男 8

 タンジェリンが目覚めてしばらくは、彼の部屋に黒曜とサナギが出入りしていて、アノニムはその間、昏睡するパーシィを眺めていた。<ホーリーライト>の連発でエネルギーをほとんど使い切ったところに、タンジェリンへ治癒の奇跡を使ったことで完全に燃料が底を尽きたのだ。サナギが言うには「貧血みたいなもの」だそうだ。アノニムは貧血とやらになったことがないからよく分からないが、サナギは特に深刻そうな表情をしていなかったので、たぶん生死に関わるような問題ではないのだろう。
 パーシィの寝顔を見て、ぼんやりとパーシィの<おまじない>のことを思い出す。アノニムに<魅了>とやらが効かなかったのは、もしかすると――ハッキリしたことは分からない。分からないことを考えるより、パーシィに直接聞いてみたほうが建設的だ。
 そのパーシィはそのうち目覚めるだろうが、とはいえ、それまでずっとここでぼーっと顔面を眺めているのも不毛だし、無意味だ。だからというわけではないのだが、⁠黒曜とサナギが席を外したタイミングを見計らって、アノニムはタンジェリンに文句を言いに行った。

「ふざけるなよ」
 とりあえず開口一番タンジェリンにそう告げると、上体を起こして鉄アレイを上下していたタンジェリンは鬱陶しそうに顔を歪めた。
「なんだよ。何がだ?」
「勝手に納得して死ぬんじゃねぇ」
「死んでねえだろうが」
 死ぬところだった、ということに気付いていないのか、気付いていても気にしていないのか、どちらにしても腹が立つ。
「お前も、あの女も、………自分のことしか考えてねぇ、腹が立つ、死んだら終わりだ」
 思ってもいなかったが、自然と口からそう零れた。タンジェリンは訝しげに、
「はぁ?」
 と、正直な反応を返した。アノニムは吐き捨てる。
「勝ち筋があろうが、てめぇが死んだら終わりだっつってんだよ」
「勝ち筋……」
 タンジェリンはしばらくして、
「てめぇが腑抜けてたからだろうが!?」
 まったくもって心外、というような顔でデカい声を出した。だがまったくもって心外なのはアノニムのほうである。
「あの場で一番勝ち筋があったのは、一旦退いて応援を呼んでくることだった。なのにてめぇは退きもしねえ話を聞きもしねえ!」
「応援呼んでる間に黒曜とパーシィごとどっかに逃げられたらどうすんだよ!!」
「追う手段なんざいくらでもあるだろうが!! 死んだら終わりなんだぞ!!」
 タンジェリンはいよいよもってイライラしたという様子で、
「俺が死んでもてめぇが何とかしただろ!!」
「死んだら終わりだっつってんだろうが!!」
「てめぇがいるなら何も終わらねぇだろ!!」
「終わるんだよ!! てめぇが!!」
 ベッドサイドの小さなテーブルを叩いた。乗っていた水挿しがガチャンと音を立てる。
「……終わりなんだよ。この死にたがりがよ……!!」
 今まで山ほど見てきたから、知っている。身をもって知っているのだ。
 アノニムのすぐ隣にある死という終わり。それはきっとタンジェリンの横にも何食わぬ顔で佇んでいる。
「誰が死にたがりだよ! 勘違いすんじゃねえ。俺はあれが最善だと思ったからやったんだ」
 タンジェリンは隣に死があったとして、それを気に留めることはない。視界に入っても、恐れることも怯えることもない。
 "死"をアノニムが口にするたび、タンジェリンの瞳に情熱が宿る。何度見てもそれはやはり恐怖でも悲嘆でもない。きっと、ただひたすらにまっすぐ前を向く意地、執念、そして不屈。
 朱色の瞳がアノニムを見返す。口を開く。
「後悔だけはごめんだ。後悔しながら生きるくらいなら、俺は俺が思う最善で死ぬことなんざ怖くねえ」
 アノニムは隣にいる死がいつ自身に牙を剥くかを考える。答えは決まっていて、それはアノニムが負けたときだ。
 だがタンジェリンは、不意にその死が目の前に回り込んできたとて、怯むことはない。恐怖もない。
 本当にそれが嫌だった。腹が立つ。ムカついた。
 タンジェリンが死ぬことが怖いのではない。
 きっとアノニムは、自分が今まで守り抜いてきたこの命を否定されるのが嫌なのだ。
 あるいは何を犠牲にしてでも守り抜いてきたこの命は、アノニムにとっては誇りそのものだった。誰しも、生き抜くためにはそれ相応の戦いをして、それに勝ったから命はここにある。
 それをこいつは、大事なもののために捨てることは惜しくない、と言う。
 きっとタンジェリンは、今まで何を犠牲にして生を勝ち取ってきたのか、そんなことを考えもしないのだ。
 だからそんなふうに、死を前にしたとて退かずに前を向くのだ。
 
「アノニム」
 タンジェリンは言った。
「だがよ、結局てめぇが何とかしたんだろ。その……」
 そっぽを向く。
「た、助かったぜ。礼は言っとく……」
 こんな男に。
 仲間を助けるための最善を、そのためなら命を賭してでも、なんて馬鹿げたことを考えているこの男なんかに。
 そんなことを言われたところで、アノニムは嬉しくも何ともない。

 アノニムとタンジェリンは相容れない。同じ世界に生きていて、たまに交わる線の上にいて、交わった途端に喧嘩になる。
 タンジェリンに殴り合いで負けることはない。
 だがこのままだと、タンジェリンはいつか勝ち逃げをする。それはきっと摂理の歪んだ、死を伴う勝利だ。エリゼリカがそうだったように。
 
 アノニムがそうして負けたとき、命より先に誇りが死ぬ。
 この不退転の男に、アノニムの誇りは容易く脅かされる。

「言いたくもねえ礼をしたってのに無視かよ」
 タンジェリンが吐き捨てる。
 アノニムにとってだって、言われたくもない礼だ。

【不退転の男 了】
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不退転の男 7

 目が覚めると、見慣れたタンジェの自室だった。
 ぼーっと天井を眺める。鳥の鳴き声が聞こえる。朝?
 起き上がろうとすると、全身にびりびりと痛みが走った。
「いってぇ!!」
 思わず叫ぶと、横からバッと黒い影が手を伸ばしてきて、起きようとしていたタンジェの肩を押さえつけ、無理やり寝かせた。黒曜だ。
「……、……」
 言葉にならない、といった様子の黒曜が、何かを言おうとしては口を閉ざし、を何度か繰り返したのちに、水挿しから水を汲んで、タンジェに飲ませた。明らかにタンジェより黒曜のほうが動揺していて、水を飲んで落ち着くべきは黒曜であった。
 それから黒曜はらしくなく、立ったり椅子に座ったりしたあと、
「大丈夫か」
 と尋ねた。
「いや、てめぇが大丈夫か? やたら落ち着きがねえぞ」
 思わず聞き返すと、
「……記憶がないのか? パーシィに頭を思い切り殴られたようだからな……」
 ――それで、ハッとした。
 タンジェは今度こそ身体をがばりと起こした。また全身は痛んだが、大したことではない。
「生きて帰ったんだな!? ホックラー遺跡から……!!」
 黒曜は一瞬だけ目を見開き、それから静かに頷いた。それからタンジェの手を取って握りしめ、
「お前には……深い傷を負わせた。責任を取る」
「あ? 責任?」
 青龍刀に腹をぶち抜かれたのは事実で、それは確かに深い傷だが……タンジェにとっては別に大したことではなかった。禍根はない。黒曜の自由意思でぶち抜かれたわけではないし、痛みはするが傷は一応、塞がっているようだ。これはたぶんパーシィが何とかしてくれたのだろう。
 それに、タンジェが思うに、
「俺が黒曜より強けりゃ、こさえなかった傷だぜ。責任があるなら、俺の弱さにだろ」
 黒曜は無表情のままだったが、頭から生えた黒豹の耳が僅かにぺたりと寝た。
「責任を取らせてはくれないのか」
「だから、てめぇも操られてたんだ。責任はねえよ」
 生きてんだからそれでいいだろ、気にすんな、とタンジェが続ける。素直に頷かない黒曜に、なんだよ、と思ってその顔を見れば、前髪に隠れて見えない額にガーゼが貼ってあるのに気付いた。タンジェは突然、居心地が悪くなった。間違いなくタンジェが自身の石頭をぶちあてた位置である。これは……お互い様だ。これ以上、責任の所在をああだこうだ言うのは不毛だろう。
 タンジェは話を変えることにした。
「アノニムとパーシィはどうした? そうだ、ハンプティは? あのあとどうなったんだ?」
「俺も気絶していたからはっきりしたことは分からない。ただ、アノニムが……何とかしたようだ」
 そうか、とタンジェは言った。勝てないだの負けたら死ぬだの言っていたが、結局、戦ったらしい。
「ハンプティの行き先は分からない。アノニムは、深追いはしなかった、と言っていた」
「ま、そうなるか」
 ただでさえあの場から逃げようとしていたアノニムが、わざわざ深追いしてまでハンプティに追い縋るわけはないだろう。これは初めて知ったことだが、タンジェが思っているよりはるかにアノニムは慎重派で、なんと言おうか――"生存主義"なのだ。
「俺は途中から記憶がないのだが」
 黒曜はそう先に述べてから、どうやらタンジェが今回の功労者であったことと、それへの感謝を述べ、頭を下げた。
「すまなかった」
「いや、今回は誰も悪くねえだろ……」
 パーシィがハンプティを悪魔だと気付けなかった時点で、回避できない危機だっただろう。そのパーシィにだって責任はない。とにかく全員生きて帰ってこられたことを良しとすべきだ。
「しかし、なんで俺とアノニムはやつの<魅了>が効かなかったんだ?」
 純粋な疑問を口にする。黒曜に分かるわけがないと思ったが、黒曜はタンジェの顔をじっと見て、少し言い淀むような仕草をした。
 答えたのは黒曜ではなく、
「きみのピアスだよ」
 サナギだった。いつの間にか部屋の入り口で、救急箱を持って立っている。サナギは続けた。
「バレンタイン以来、きみがしているそのピアスは、<破魔>の力が込められたマジックアイテムだ」
「あ? ……ピアス? マジックアイテム?」
 確かにバレンタイン以来、穴を開けてずっとつけている。身につけ始めて間もないのだが、タンジェにとって、このピアスはつけてて当たり前くらいの存在になっていた。これは黒曜から贈られたもので――。タンジェは黒曜を見た。
 黒曜はごく無表情で、
「……確かにそのタンジェリンクオーツには、俺の故郷に伝わる破魔のまじないをかけてもらっている」
「なんだそりゃ、初耳だぞ」
「わざわざ言うものではない」
 タンジェが変な顔をする。サナギはからから笑った。
「野暮なことを言ったかな?」
「はあ?」
「いやいや。天使の意識すら奪う悪魔の<魅了>を跳ね飛ばすんだから、大したものだよ」
 そしてサナギは満面の笑みで、
「実に愛されているじゃないか」
 一瞬、ぽかんと口を開けたタンジェは、サナギの顔を見た。それから黒曜の顔を見て、タンジェはそこで、黒曜がまだタンジェの手を握っていることに気付いた。おわ、と大きな声を出して、思わず手を引っ込め、それから慌ててサナギを睨む。まったく効いていないらしく、サナギは実に微笑ましそうににこにこしている。
 タンジェから手を離されたタイミングで黒曜は椅子から立ち上がり、サナギにそれを譲った。サナギはタンジェの包帯の交換を始め、タンジェもサナギの指示にしぶしぶ従う。
「じゃあ、アノニムはどうなんだよ」
「実は……よく分からないんだよね。最低限のことしか聞いていないんだ」
「最低限のこと?」
 サナギはアノニムから伝え聞いたことを、タンジェに改めて話した。
 昨日の夕方にアノニムが意識のないタンジェと黒曜、そしてパーシィをたった一人で抱えて連れて帰ってきたこと。アノニムによれば、ハンプティは逃がしたが、それで正気を取り戻したパーシィがなんとかタンジェの傷を癒して命を繋ぎとめた。が、そのパーシィのほうも燃料切れだ。タンジェの傷を完治させることはできないままぶっ倒れ、今も昏睡しているということ……。
「だから俺がこんな医者の真似事をしているわけだ」
 サナギはタンジェに残る傷を丁寧に消毒しながら笑った。塞がり切っていない傷口にしみてびりびりと痛む。痛みなんか耐えられるが、それよりタンジェは病院とか医者の類が嫌いであるから、正直、よい心地ではなかった。しかし黒曜がずっと傍らで眺めているので、好き嫌いで駄々を捏ねるみたいな文句は到底言えない。仕方なく気を紛らわそうと、タンジェは口を開いた。
「俺が生きてるのはパーシィのおかげだろうな。パーシィは大丈夫なのか?」
「ぜんぜん問題ないよ。ただのエネルギー切れ。休めば自然に回復するよ。それより自分の心配をしたほうがいい」
 とはいえきみも元気そうだけれどね、とサナギは言った。
「本当にタフだね。こんなタフな盗賊役、他ではちょっとお目にかかれないな」
「ま、それが取り柄みてえなもんだからな」
 だから黒曜も、そんな心配そうな顔をするんじゃねえよ、と思う。別に怪我なんか治るのだ。
 それに今回のことはいい経験になった。子供相手にも油断しては駄目だ。パーシィにだって察知できない危険はある。悪魔はクソ。短距離と遠距離の波状攻撃はめちゃくちゃ強い。
 それから、諦めることはやっぱり最悪の選択だ。

 のちにサナギがこう言って笑う。「きみは不退転の男だね」、と。

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不退転の男 6

 タンジェは斧を握り直し、ハンプティへまっすぐ駆け込む。この距離なら、来るのは間違いなくパーシィによる<ホーリーライト>だ。
 パーシィが普段、これだけの光弾を連発することはまずない。パーシィの力の源は人々の<祈り>とやらで、やつはそれを身体にストックしているが、<祈り>は聖なる力を使うほど消費されていき、やがて枯渇するからだ。
 つまり、パーシィの<ホーリーライト>は、いつか必ず打ち止めのタイミングが来る!
 光弾が降り注ぐ。光の着弾した箇所がみるみるうちに焼け爛れていく。だが、使わせれば使わせるだけ、<祈り>は消費されていく。打ち止めは今じゃなくていい。タンジェが死んだあとだっていいのだ。少しでも<祈り>を消費させろ! それで少しでも勝ち筋を見出したなら、あの腑抜けも考え直すかもしれない。
 アノニムが立ち上がればそれでいい! そうしたらタンジェが死んでもこちらの勝ちだ!
「この程度で……くたばるかよ!!」
 光弾で焼けた身体に鞭打つ。タンジェは吼えてさらにハンプティに突っ込んでいった。黒曜が躍り出てタンジェの振り被った斧を受け止める。
 斧を引くのに合わせて黒曜も青龍刀を構え直す。距離を取ればパーシィの光弾が当たる。痛みはあるが怯まない。
 黒曜の青龍刀は容赦なく無慈悲だ。仲間――恋人だ!――のタンジェを相手にしても、意思がないのだから情けはない。元より殺意のない黒曜との戦闘訓練においてですら、彼に一撃でも食らわせた試しはない。黒曜と打ち合うたびに生傷が増える。
「がんばれ、がんばれー」
 ハンプティの気の抜けるような応援が聞こえてくる。タンジェは舌打ちした。
 体力には自信がある、まだしばらくは打ち合える。身体中が痺れるように痛み、生傷からは血が出ていたけれども、些細なことだった。
 だが、体力が続いたとて、技術に差があれば、いずれ負け筋を引くことは必然である。
 黒曜の青龍刀は器用に斧をすり抜けて、タンジェの脇腹を抉った。痛みに顔を歪めたその一瞬の隙で、青龍刀の返す刃がタンジェの腹を貫いた。貫通している。致命傷だ。
 この青龍刀が引き抜かれたならまず大量出血、たちまち動けなくなり、死ぬだろう。
「……くそ……!」
 諦めるな、脳裏によるぎのは、ただそれだけだった。……諦めるな!!
 タンジェは腹に突き刺さった青龍刀の先にある黒曜の手を掴んだ。
「こんなことで……諦めちゃいねえぞ‼」
 力を振り絞って、黒曜を思い切り引き寄せると、そのまま大きく頭を振りかぶった。そして自分の額を黒曜の額に思い切り打ちつける。タンジェが取り得た唯一の選択肢、シンプルな暴力。頭突きであった。
 普段の黒曜ならこんな攻撃を喰らうことはなかったはずだ。予備動作が大きく、痛みで動きは鈍い。きっとそれを甘んじて受けたのは、所詮は他人のコントロール下だったからなのだろう。黒曜に与えた最初の、そしてもしかしたら最後の一撃が、こんな単なる頭突きとは。
 タンジェの石頭が直撃した黒曜の手から青龍刀が離れ、黒曜はそのまま昏倒した。
 青龍刀に腹を貫かせたままで、⁠タンジェは黒曜の腕から手を離した。荒い息をつきながら何とかハンプティに近づく。とうのハンプティは、タンジェの頭突きがよほど予想外だったらしく、ぽかんと口を半開きにしている。
 ハンプティに近づいても、パーシィの光弾が来る気配はない。そちらを確認する余裕はないが、燃料切れだろうか? それならあとはハンプティをぶちのめせばいいだけだ。
 だがハンプティは、唖然としていた表情からくるりと楽しそうに笑い、別に逃げもせずタンジェを眺めている。気に留めず、タンジェはなんとか斧を振り上げた。
 が、その瞬間に後頭部に衝撃が走った。鈍い痛み。意識を失う前にかろうじて振り返れば、メイスを振り下ろしたパーシィの虚ろな目がタンジェを見下ろしていた。

☆・・・・

 タンジェリンの腹が青龍刀に貫かれたとき、アノニムは確信した。終わりだ、と。
 タンジェリンの負けだ。そして、これからやつは死ぬ。そしてやつが死ねば、標的はアノニム1人になる。その前に逃げる必要があった。
 なのに、逃げる算段を整えるアノニムの前で、それでもタンジェリンの渾身の頭突きは黒曜を昏倒させ、ハンプティの眼前まで、やつは食いついた。
 腹に青龍刀が突き刺さったままのタンジェリンはよろよろとハンプティに近づきなんとか斧を振り上げ――その背後に、パーシィが立ったのを、アノニムは見ていた。メイスを叩きつけられて、タンジェリンもまた倒れる。

 何故ぼんやりそれを見ていたのだろう? だが、それでアノニムは確かに、勝ち筋を掴んだ。
 あの距離からわざわざタンジェリンにメイスでトドメを刺しにいったのだ――エネルギー切れだ。
 <ホーリーライト>は打ち止め……!!

 きっと、今だった。
 アノニムの足はとっくに遺跡の出入り口に向いていた。けれど、その足をパーシィに向けて踏み込む。駆け込んでいく。勝てるなら逃げる理由はないのだ。
 パーシィはああ見えてメイスの腕も相当だが、それでも肉弾戦となればアノニムが負ける道理はない。
 突っ込んできたアノニムに気付いたパーシィが振り返る。最低限の動作でメイスを振り抜いたが、かわすのは難しくなかった。アノニムはパーシィの左手を取り、素早く手刀でメイスをたたき落とす。それからそのままパーシィを遺跡の壁に向かってぶん投げた。
 パーシィが壁に追突するのは見届けず、ハンプティに迫る。ハンプティは目を白黒させていたが、
「あのままなら、アノニムは逃げると思ったのにな」
 ぺろっと舌を出した。無視して棍棒を振り上げる。
「待って待って、降参、降参だってば!  ボクは搦め手とかに特化した悪魔で殴り合いは無理なんだって!!」
 ハンプティは両手を挙げて降参の意を示した。関係ない。負けたら死ぬのが道理である。棍棒を振り下ろした。
 かろうじて横転するようにしてそれをかわし、ハンプティは、
「容赦ないよね! 今も<魅了>をかけてるのに、なんで効かないんだろ……!?」
「知るか。死ね」
 もう一回、今度こそ脳天を潰そうとしたとき、後ろからパーシィがアノニムを羽交い締めにした。
「……ちっ! まだ効果切れてねえのか!」
「とはいえもう潮時かな! じゃあね~!」
 アノニムがパーシィを引き剥がしているうちに、ハンプティはあっという間に駆け出し、遺跡の出入り口でこちらを振り返った。
「まあまあ楽しめたよ!」
 それから駆けていく足音が遠ざかっていった。パーシィを振りほどくのは簡単だったし、追う気になれば追えたが、そうはしなかった。ハンプティの気配が消えたタイミングでパーシィの腕を取ると、パーシィと目が合った。
「あ、あれ……?」
 正気に戻ったらしい。
 さっそくで悪いが、とタンジェリンのことを指し示す。腹に黒曜の青龍刀が突き刺さったまま気を失っている。凄まじい光景だ。
「もうひと踏ん張りいけるか?」
「うわあ! なんか大変なことになってないか!? というかこれ生きてるのか……? 全力は尽くすが……」
 言っているパーシィも足元が覚束なくふらついている。<ホーリーライト>が打ち止めになったのだから、<祈り>のストックはほぼないはずである。それでもパーシィはタンジェリンの横に跪いた。
「アノニム、青龍刀を抜いてくれないか。一気に抜くと出血するから、なるべく緩やかに。抜きながら治癒をかけてくよ」
 アノニムへの指示は明瞭だ。黙って従い、青龍刀を慎重に抜いていった。パーシィが治癒の奇跡で傷を癒していく。出血はほどほどあったが、何もせずに抜いたときよりははるかにマシだっただろう。血まみれの青龍刀が抜けきり、出血が止まる。傷跡は残っていたが、きっと今のパーシィにはこれが限界なのだろう。
 大きな傷はこれと脇腹のものだ。パーシィは脇腹のほうにも手を翳した。パーシィの顔色は治癒の術をかける時間に比例して悪くなっていき、治癒の光もなんだかまばらに見える。それでもかろうじてタンジェリンの傷の出血を止めると、パーシィもまた昏倒した。

 アノニムは背にタンジェリンを乗せて、両脇に黒曜とパーシィを抱えると、そのまま星数えの夜会への帰路についた。重くはない。なんてことはない。
 早足に街道を進みながら、考える。自分はどこまで正しかったかを。

 ――いや、俺は、最初から最後まで正しかったはずだ。

 そうでなければ、何かが少しでも間違っていれば、アノニムとタンジェリンは死んでいた。

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不退転の男 5

「……おい!?」
 アノニムからの反応がないので、思わず振り向いた。これでアノニムまで<魅了>にかかったら打つ手がない。タンジェはこの遺跡から帰れないだろう。
 だがアノニムの顔を見れば目が合い、明確な意思を持って沈黙していると知れた。
「……」
「何とか言いやがれ!」
 アノニムはタンジェから静かに目を逸らす。動いた視線は、この遺跡の出入り口のほうを向いていた。
「……逃げる気かよ!?」
 タンジェは驚愕した。アノニムはまた視線を動かし、再度タンジェの顔を見る。
「勝てねえ」
「あ……!?」
「黒曜とパーシィが本気でかかってきたら、勝てねえ。見りゃ分かるだろ」
 だからって、と喉から声が出た。
「だからって置いて逃げんのか!?」
「……」
⁠ タンジェの形相が怒りに染まる。こんな腑抜けだとは思わなかった。
 確かにただでさえ力押しのタンジェが、それを超える力押しのアノニムと組んだところで、技巧派の黒曜と遠距離攻撃のパーシィに勝てはしないかもしれない。
 だが、それがなんだというのか!?
 タンジェの剣幕は凄まじく、そこら辺の一般人なら竦み上がってもおかしくない。だがアノニムがそれにちょっとでも怯むことはない。
「負けたら終わりだ」
 タンジェの睥睨から逃れようともせず、アノニムはただ淡々と事実を述べるように言った。
「死ぬぞ」
「……!」
 カッとなる。負けたら終わり、死ぬ、だから逃げるだと!?
「てめぇは大事なもののためなら命を賭けられるんだろうが! ふざけてんじゃねえぞ……!! 俺たちが逃げたら黒曜とパーシィがどうなるか分かんねえんだぞ!?」
 アノニムは眉根を寄せてタンジェを見た。その顔は――どんな感情なのかは、読み取れない。だが、応答したのはアノニムではなく、
「とりあえずボクの従者にしよっかなー」
 のんきな声のハンプティだった。
「2人ともかっこいいしね! やっぱ侍らせるならイケメンだよね~!」
「言ってろ……! ぶっ潰してやる!」
 黒曜とパーシィをふざけた悪魔の従者になんかさせてたまるか。

☆・・・・

 死、という言葉を向けられて、タンジェリンの瞳に浮かぶのは恐怖や悲嘆なんかじゃなかった。遺跡を照らす燭台の明かりの下で、やつの朱色の目が確かに何らかの情熱にギラつくのを見た。それが何なのかは知れない。怒り、あるいはアノニムへの失望か?
 "てめぇは大事なもののためなら命を賭けられるんだろうが!"――何言ってんだこいつ、という感情を覚えた。呆れ、いや――たぶん、人が言うところの「戸惑い」というのが一番近いと思う。
 確かにアノニムは、家族のためなら命を懸けられる。だがそれは大事なもののために命を投げ出す、という意味ではない。
 大事なものを守るために武器を取り、守り抜く。最後まで守り抜くのなら、自分も生き延びるのは大前提だ。それで初めて、命を懸けたと胸を張れるのだ。それが"大事なもののために命を懸ける"ということだ。

 ――なんでタンジェリンはそれを、"大事なもののために命を賭す"なんて勘違いをしてやがるんだ?

 死は終わりだ。死んだら何もかもおしまいだ。
 ふざけてんじゃねえぞ、とタンジェリンは言った。アノニムからすれば、ふざけているのはタンジェリンのほうだ。
 戦うどころの話ではない。ここでアノニムたちが死ぬわけにはいかないのだ。死んだら黒曜とパーシィの現状をサナギと緑玉に伝える方法がなくなる。どう考えても、いったん退いて、サナギと緑玉と4人で戦闘に備えるべきだ。それが一番、勝ちに近い。
 アノニムは間違っていない。逃げるべきだ。
 だが、止める間も、アノニムの考えを伝える隙もなかった。タンジェリンはもう斧を構えて走り出している。

 タンジェリンはアノニムより弱い。負けるだろう。それでもタンジェリンは負けることが――死ぬことが、何も怖くないみたいだ。
 斧を構えて走る、タンジェリンの背中が遠ざかる。決して大柄ではないタンジェリンの背中を、初めて見るような気がする。この遺跡に入ったとき、タンジェリンは先頭を歩いた。彼の背中を、そのときだって見たはずなのに。
 戦士役を巡って決闘をして以来、たまにタンジェリンと勝負をすることがある。興味はないが、挑まれたなら断らない。何故か? アノニムがタンジェリンに負けることはないからだ。
 勝てる勝負しかしない。それがアノニムにとって生きる方法だった。あるいは、負けるかもしれない勝負に際して、何をしてでも負けないことがアノニムの処世術だった。負ければ死ぬ、それが当然の世界にいて、アノニムの処世術は何よりも「正しい」。
 誰かのために戦うならなおさらだ。アノニムが死んでしまったら何も残らない。何の意味もない。

 なのにタンジェリンは、どうしてこうも容易く、あの豪雨のような光弾に飛び込み、ひどく冷えた刃に肉薄することができるのだ?

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