カンテラテンカ

NEMESIS 3

 いっぱいになったゴミ袋を捨てる役に名乗り出た。そろそろ外の空気を吸いたかったからだ。
 両手いっぱいのゴミを抱えながら指定のゴミ捨て場を探して少しさまよう。程なくゴミ捨て場は見つかり、身軽になった。そのまま帰ろうかと思ったが、不意に空を見上げると高い建物がすぐそこにあることに気付いた。例の図書館だ。
 それで、何とはなしに横道を行くと、図書館前の広場に出た。
「……」
 やはりでかい建物だ。案の定特別な感情は沸いてこなかったが、見上げるほどのこの建物いっぱいに本が詰まっていることを考えると少しだけめまいがした。俺は本なんかは読まないたちだ。
 広場には掲示板が立っていて、そこにいろいろな掲示物が貼ってあった。眺める。作家が来て講演会をするだとか、子供向けに絵本の読み聞かせをするだとかって内容のものばかりだったが、その中にこんなチラシがあった。

――配架・書架整理アルバイト募集!
  日給80G。誰でもできる簡単なお仕事です。
  半日のみでもOK!

「ハイカ……ショカセイリ?」
 聞いたことのない単語だが、整理、ということは、何かしらを整える作業なんだろうか。
「図書館に戻ってきた本を棚に戻す作業が配架、乱れた書架……要するに本棚を整理するのが書架整理だ」
 突然横から声がして、けれど別にこんな街中で敵ということもなし、俺は顔だけそちらに向けた。
 銀髪を肩で切り揃えた眼鏡の女がこちらを見ている。
「見たところ冒険者のようだが……冒険者ふぜいが図書館に興味なんかあるのかね?」
 言い方にはカチンときたが、言ってることはもっともだ。
「図書館に興味はねえが……」
 俺は言った。
「予定が早く終わって、時間を持て余しそうでな。日給80Gはでけえな。半日なら40Gか」
 図書館内の整理整頓、つまり命の危険がないところでの作業で1日80G。悪くないどころか、かなりいい条件に見える。
「お前が思っているより体力の要る仕事だぞ?」
 女は人を小馬鹿にしたように言った。負けじと、
「はっ、あいにくその体力を売る商売だ」
 鼻で笑ってやると、女は口端を釣り上げた。
「なるほど。なら明日、1日やってみるか?」
「あ? てめぇ、図書館の関係者か?」
 女は眼鏡をクイと上げた。
「図書館司書のシルファニだ。多少の人事に融通はきく」
 なるほど、と俺は頷いた。
「俺はタンジェリン・タンゴだ。明日は何時から?」
「8時に来てくれ。お前は図書館を何も知らなさそうだ。一から説明してやろう」
 それは少しめんどくさい気もしたが、今後の冒険者生活で図書館を利活用することもあるかもしれない。勉強になる上、80Gももらえるのは得だ。
 俺は頷いた。

★・・・・

 サナギの家に帰ると、サナギが茶とクッキーを用意して待っていた。黒曜とアノニムが不在で、二人は食材の買い出しに行ったとのことだった。
「なんだよ、言ってくれたら買い出しもゴミ捨てついでに行ってきたのによ」
「頼もうと思ったらもう出てっちゃってたからさ。追ってまで頼むことはないって黒曜が」
 黒曜のことだ。俺の負担を考えたのかもしれない。別に買い出しくらいなんてことはないんだがな。
「まあ、ゆっくりしなよ」
 パーシィが茶を飲んでいる。それを用意したのは確実にてめぇじゃねえだろ、と思ったが、まあどこでも我が物顔なのはいつものパーシィだ。
「それはいいけどよ……その茶葉とクッキーはどっから出した?」
「ああ、心配しなくていいよ。これは俺がベルベルントから持ってきたものだから」
 そういえば馬車で緑玉がクッキーを食っていたっけか。あれとまとめて持ってきていたらしい。
「食器も念入りに洗ったし」
「そうか。それならいただくとすっか」
 サナギが手渡してくれたタオルで手を拭き、クッキーをつまんでひとくち食べた。バターの香りがする。美味いな。飲み込んでから、
「そうだ、ゴミ捨てついでに図書館を見てきたぜ」
「へえ! 興味があるとは思わなかったな」
 俺が紹介したとき生返事だったじゃないか、とサナギはからから笑った。
「ついでだ、っつったろ。そんでバイトを募集してたから受けてきた」
「何のバイト?」
「本棚の整理だ。日給80Gもらえるとよ」
「いいじゃないか。こっちの掃除はもう終わるし、思ったより早く済んだんでみんなには本格的に観光でもしてもらうつもりだったんだ」
 別に予定より早く帰ってもいいんだけど、せっかく五日もかけて来たしね、とサナギは続けた。俺は頷く。
「宿代もタダだしな」
「そうそう、自分の家だと思ってくつろいでよ」
「ん……そういや結局、<魅了>に対抗できそうな研究はあったのか?」
 もしかして掃除の合間に研究成果を見つけてやしないかと聞いてみると、
「全部見られたわけじゃないけど、今のところは空振りだね」
「そうか」
 言っている間に、黒曜とアノニムが帰ってきた。その量、いるか? というぐらいの食材を抱えている。
 しかし適当に分担して――パーシィには使った調理器具を洗わせた――料理を作ったら、あっという間に食材を使い切ってしまった。
 その分料理を大量に作ったということなのだが、それも全部ぺろりと平らげた。
 普段は親父さんや娘さんが作る料理や旅先で限りある食材を使った料理を食べているから、いざ腰を据えて自分たちで作って食べるとなったとき加減が効かないのだった。
 だがまあ、量は満足だし味も良かった。これはパーシィを料理から外した采配が功を奏した。パーシィだけは料理に参加させてはならない。野菜を洗うことすらさせていいか疑問だ。
 それから俺たちは順番に湯を浴びて、綺麗にした部屋に横になって寝た。
 さすがに布団は使い物にならなかったので処分したが、天井があって床があるだけで冒険者はぐっすり眠れる。

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NEMESIS 2

 結局道中で俺たちが気を揉んだのは雨が降ったことくらいで、妖魔も野盗も現れはしなかった。
 おおむね予定通りの行程で、俺たちは五日目にはスーゼヒェッテに辿り着いていた。
 門でベルベルントから来た冒険者であることを告げ、荷物検査やらを受ける。厳重なほうの街だと思う。時間こそかかったが、俺たちはつつがなく中に入ることができた。

 門を出ると直接目抜き通りに繋がっている。
 パッと見たところ、スーゼヒェッテの建物の造りなんかは、ベルベルントと大差ない。
 違うところと言えば、行き交う人々の中に獣人が見当たらないことくらいだろうか。かといって黒曜たちに突っかかってくる者もいない。視線は浴びる羽目になったが……。

 さて、俺たちはすぐにサナギの案内で彼の家だという場所に向かう。
 目抜き通りを歩いている途中で、背の高い建物が見えた。
「教会か?」
 俺が思わず呟くと、
「ああ、あれは図書館だよ」
 視線を追ったサナギが教えてくれた。
「スーゼヒェッテ大図書館は、世間ではちょっと有名さ」
「ああ」
 そういえば、私塾でスーゼヒェッテについて習ったときに、そんなようなことを聞いたかもしれない。あまり関心がなかったのですっかり忘れていた。
「あとで行ってみるといい。建物自体も素敵だよ」
 そうだな、と生返事をした。建物に対して素敵だとかいう感情は沸いたことがない。そもそもあまり美的センスもないほうだ。
「さあ、この石段を上った先だよ」
 目抜き通りを少し外れて歩き、石段のある路地でサナギが言う。体力がないこいつがよくもまあ石段の先なんかに家を建てたもんだ。
 往復すればいいトレーニングになるかもしれないな、と思いながら石段を上りきれば、古そうな家が並ぶ一角についた。
 その中に蔦が這うレンガ造りの建物がひっそりとある。
 円形に突き出た大きな部屋があって、それは全面ガラス張りだったが、曇っていて中は見えない。
 俺が覗き込んでいると、
「そこはコンサバトリーだよ。サンルームの一種だね」
 サナギが言いながら、レンガの家の扉に古びた鍵を差し込んだ。ということは、ここがサナギの家か。
 がちゃりと大きな音を立てて鍵が開く。サナギが俺たちを招き入れる。
「さ、どうぞ」
 言われるがまま入ったはいいが、何年使われていないのやら、ずいぶんホコリっぽかった。思わず眉を寄せていると、
「うーん、最後に掃除したのが50年くらい前だからなあ」
 サナギがのんきなことを言っている。そんだけ放置されてもなお家としての形を保っているのが驚きだ。
 とりあえず一通り家を案内してもらい、間取りを把握する。どうせ混沌とした散らかりようだろうと思っていたが、俺の想像したより遥かに室内は整えられていて、ちょっとホコリやカビなど汚れを落とせば見違えるだろうことが分かる。
 ただ例外はあって、サナギが研究室として使っていたらしい部屋はとんでもない荒れ方をしていて、俺は額を押さえた。
「ここは俺が片付けるよ」
 サナギが言うが、こいつは星数えの夜会の自室だってまともに片付いちゃいない。やらせるだけ無駄だ。とはいえ、サナギの一番プライベートな部分だろう、ずかずかと乗り込むようなこともしたくはない。
 思いのほか広い家だったので、俺たちは大まかに担当を決めて、さっさと掃除を始めることにした。まだ日は高い。夕方までに飯を食う場所と寝る場所くらいは確保したい。
「さっさとやっちまうか」
 俺の言葉に、メンバーから「おう」「ああ」「ん」みたいな、特に気合いもない雑な応答がある。だが、さっさとやっつけてしまいたい気持ちは同じらしく、各々がすぐに掃除に取りかかった。

★・・・・

 サナギは掃除に三日かかると見積もっていたが、それはたぶんサナギ自身の掃除や整理整頓に関する能力の低さを基準に算出したものだ。
 俺だって掃除は好きでも得意でもないが、黙々とやれば担当の場所は数時間で終わった。ほかのメンバーを手伝って回っても夕方までにはほとんど掃除は済んで、結局サナギが名乗りを上げた研究室だけが、いつまでも混沌の中にあった。
「え? もう終わったの? 早くない?」
「……サナギが遅すぎる。掃除下手すぎ」
 ため息をついた緑玉が真実を告げる。
「掃除に上手いとか下手とかあるんだ……」
「あるよ……だからこうなってるんでしょ」
 やれやれといった様子で、緑玉が研究室に踏み入ろうとして、立ち止まった。
「……入っていい?」
「いいよ。よかったら手伝ってほしいな」
「……大事な部屋じゃないの?」
「みんなに見られる分には何も問題ないよ」
 それを聞いて、緑玉は躊躇いがちに入室した。
「つい、積まれた研究内容を読んじゃうんだよね」
「掃除が進まねえやつの典型だな」
 言いながら、俺も研究室に踏み入る。
 山のような紙束と本、空になったインク壺の横に、封の切られていないものもある。ペン先の潰れた羽ペン、それからフラスコやら試験管やら、何らかの実験器具。それもうずたかく積まれている。
「……」
 手伝ってほしい、と言われて入ったはいいが。どこから手を付けたもんかな……。
「とにかく。この空のインク壺は不要だな?」
 黒曜が言って、不燃物のゴミ袋にインク壺を放り込む。
「何かに使えない?」
「使えない。捨てるよ」
 サナギの言葉に緑玉が即答した。
 部屋の隅では大量の植物が干からびている。よく見れば、植物だけじゃない。得体の知れない干物が大量にある。見なかったことにしたいが、目的は掃除だ。
「こっちの干からびてんのはどうすんだよ」
「それは実験に使えるかもしれないから」
「50年放置してたのに今さら実験には使わない。捨てる」
 緑玉によって干物はぽいぽいと可燃物のゴミ袋に捨てられていく。
「本やら紙束は実験に関する資料なんだよな? それ以外の消耗品は劣化が激しいから捨ててしまっていいかい?」
 パーシィは口こそサナギに伺いを立てているが、手は問答無用でそこら辺のものをゴミ袋に入れまくっている。
「はわ……」
 一同のあまりに無慈悲な動きについていけていないらしく、サナギは妙な声を上げて目を白黒させていた。

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NEMESIS 1

 日が差す星数えの夜会の一階テーブル席で、不意にサナギがこう言った。
「俺からの依頼を受ける気はない?」
 俺――タンジェリン・タンゴ――だけでなく、パーティ一同がサナギを見た。
「どういうことだ?」
 黒曜が尋ねると、サナギは「大したことではないんだよ」と前置きしてからこう続ける。
「俺がホムンクルスを造って、死ぬ前に意識や記憶を次代に継いでいってることは伝えたよね?」
 聞いた話だ。理解を遥かに越えてはいるので、あまり考えないようにしているが……。
「それで、何代か前まで俺はスーゼヒェッテという街にいたんだけど、そっちに家が残ってるんだよね」
 軽く相槌を打ち、黒曜が続きを促す。
「何かの役に立つかもしれないし、家を引き払うつもりはないんだけどさ。定期的に掃除しないと保つものも保たないでしょ。要するに、俺の古い家の掃除を手伝ってほしいのさ」
 家の掃除か。大した労働じゃなさそうだ。俺個人としては悪くないと思う。他の依頼も抱えていないし、宿でダラダラしているよりよほど建設的だ。
 サナギは、
「依頼料として、俺の個人的なお金をパーティ用の金庫に入れておくよ」
 と。移動カジノ・シャルマンのときも思ったが、こいつ、意外と自由に使える金を持っているよな。もっとも、何代分も生きてりゃ金も貯まるか……。
 黒曜はしばし考えているようだったが、
「何日くらいかかる?」
「馬車を乗り継いで五日、向こうでの掃除は三日もあれば終わるかな。それから帰ってまた五日。まあ、多めに見て二週間あれば。旅費は俺が出すよ」
 観光ついでと思ってくれたらいいよ、とサナギは言った。頷く黒曜。
「分かった、受けよう」
 それで俺たちは、急ではあるが、スーゼヒェッテに向かうことになった。

★・・・・

 俺は国の地理や政治なんかには詳しくないのだが、スーゼヒェッテはエスパルタからそう離れてはいないのでまったく知らないってわけでもない。ペケニヨ村の私塾でそういう街があることは教わった。ただ、行ったことはない。
 馬車に揺られながら街道をゆく。
 馬車の中で退屈しのぎに――というわけではないだろうが、サナギは先日のハンプティとの戦いについて話し出した。正確には、戦いのことというよりその後のことについてだ。
「精神操作の類について対策をしておくべきだと思うね」
 黒曜は静かに頷いたし、パーシィは苦い顔をした。アノニムは馬車の外を眺めている。緑玉は黙ってクッキーを食んでいた。
 ハンプティとの戦いは俺たちに結構な傷を残したけれども、致命傷ってわけじゃない。
 俺の腹には傷跡が残ってはいるが、もう痛みは引いている。動くのに支障もまったくない。元気そのものだ。
 俺は腹の傷を服の上から軽くさすったあと、サナギを見た。
「対策も何も。あれ以来、破魔のちからとやらについていろいろ調べてんだろ」
 俺のピアスが<魅了>を破ったのは、黒曜の故郷の「まじない」がかかっていたからだ。アノニムのほうも――これはのちに知れたことだが――パーシィによる「おまじない」とやらがかかっていたらしい。サナギによれば、こちらも目下研究中だそうだ。
「うん。それで思ったんだけど、もしかしたらスーゼヒェッテの家にも似たような研究資料がないかなあ、って」
 なるほど。長い研究生活の中で、そういうものがあってもおかしくねえか。
「そっちが本命ではないのか」
 黒曜は鉄面皮だから、その表情からは特別な感情は読み取れない。それでも責任を重く感じているらしく、サナギの調査に付き添って遅くまで起きていることが増えていた。健康のためにさっさと寝てほしいので、調査が進むのは大歓迎だ。
「正直、そういう研究はやった記憶がなくてさ。だから、あんまりアテにはできないんだ。本当にあったらいいな、程度で」
「はは、結局、本題は掃除か」
 苦い顔をしていたパーシィが顔を綻ばせる。
 そうそう、昏睡から目覚めたパーシィがいやに深刻な表情で俺を訪ねたので、何かと思えば謝罪だった。「俺がもう少ししっかり気配を探れていれば、きみにそんな怪我はさせなかった」だの「全部俺の神聖力の不足が招いた結果だ。本当にすまなかった」だの、らしくなくかなり落ち込んでいたっけな。
 俺は「別に誰も悪くねえ」と黒曜に言ったのと同じことを言ったが、あまり効いてはいないみたいだった。まあ、翌日になったらすっかり元の調子に戻っていたが……。
 切り替え早すぎるだろとは思わないでもないが、ずっと落ち込まれてたんじゃたまったもんじゃない。一晩で何があったかは知らないが、それはよかった。
 馬車が鳴る。外を眺めているアノニムは会話に割り込んでこない。先日怒鳴り合ったけれど、どちらかといえばそっちのほうが例外で、本来俺たちの間に会話はさほどない。
 最終的に喧嘩のようにはなったが、感謝はしている。あいつのおかげでみんな助かったようなもんだ。
 黒曜は俺を功労者だと言ったが、実際のところはアノニムのほうがそれに相応しいのかもしれない。しかし、黒曜とパーシィを見捨てて逃げようとしたことは忘れちゃいない。
 結果としては助かったが、俺の中ではうまく折り合いが付けられていなかった。あんなに感情的に怒鳴るアノニムも初めて見たし、何か考えがあったのかもしれねえが、たぶんそれは俺と相容れることじゃないだろうとも思う。
「もうじきベルベルント領を抜けるね」
 緑玉がぽつりと言った。うん、とサナギが応じる。
「大丈夫だとは思うけど、妖魔と野盗には気を付けるとしようか」

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不退転の男(Side:アノニム) 5

 翌日にはタンジェリンが目覚めた。
 しばらくは黒曜とサナギが出入りしていて、俺はその間昏睡するパーシィを眺めていた。
 <ホーリーライト>の連発でエネルギーをほとんど使い切ったところに、タンジェリンへ治癒の奇跡を使ったことで完全に燃料切れになったらしい。サナギが言うには「貧血みたいなもの」だそうだ。俺は貧血とやらになったことがないからよく分からねえが、サナギは特に深刻そうな表情をしていなかったので、たぶん問題はないんだろう。

――黒曜とサナギが席を外したタイミングを見計らって、俺はタンジェリンに文句を言いに行った。

「ふざけるなよ」
 とりあえず開口一番タンジェリンにそう告げると、上体を起こして鉄アレイを上下していたタンジェリンは鬱陶しそうに顔を歪めた。
「なんだよ。何がだ?」
「勝手に納得して死ぬんじゃねぇ」
「死んでねえだろうが」
 死ぬところだった、ということに気付いていないのか、気付いていても気にしていないのか、どちらにしても腹が立つ。
「お前も、あの女も、………自分のことしか考えてねぇ、腹が立つ、死んだら終わりだ」
 思ってもいなかったが、自然と口からそう零れた。タンジェリンは訝しげに、
「はぁ?」
 と、正直な反応を返した。俺は吐き捨てた。
「勝ち筋があろうが、てめぇが死んだら終わりだっつってんだよ」
「勝ち筋……」
 タンジェリンはしばらくして、
「てめぇが腑抜けてたからだろうが!?」
 まったくもって心外、というような顔でデカい声を出した。まったくもって心外なのは俺のほうだ。
「あの場で一番勝ち筋があったのは、一旦退いて応援を呼んでくることだった。なのにてめぇは退きもしねえ話を聞きもしねえ!」
「応援呼んでる間に黒曜とパーシィごとどっかに逃げられたらどうすんだよ!!」
「追う手段なんざいくらでもあるだろうが!! 死んだら終わりなんだぞ!!」
 俺が怒鳴り返す。タンジェリンはいよいよもってイライラしたという様子で、
「俺が死んでもてめぇが何とかしただろ!!」
「死んだら終わりだっつってんだろうが!!」
「てめぇがいるなら何も終わらねぇだろ!!」
「終わるんだよ!! てめぇが!!」
 ベッドサイドの小さなテーブルを叩いた。乗っていた水挿しがガチャンと音を立てる。
「……終わりなんだよ。この死にたがりがよ……!!」
 今まで山ほど見てきたから、知っている。
 身をもって知っているのだ。
 俺のすぐ隣にある死という終わり。
 それはきっと、タンジェリンの横にも何食わぬ顔で佇んでいる。
「誰が死にたがりだよ! 勘違いしてほしくねえな。俺はあれが最善だと思ったからやったんだ」
 タンジェリンは隣に死があっても、何も気にせず話すのだ。視界に入っても、恐れることも怯えることもない。
 死と俺が口にするたび、タンジェリンの瞳に情熱が宿る。それはやはり恐怖でも悲嘆でもなく、きっと、ただひたすらにまっすぐ前を向く意地、執念、そして不屈だった。
「後悔だけはごめんだ。後悔しながら生きるくらいなら、俺は俺が思う最善で死ぬことなんざ怖くねえ」
 俺は隣にいる死がいつ俺に牙を剥くかを考える。答えは決まっていて、それは俺が負けたときだ。
 だがタンジェリンは、不意にその死が目の前に回り込んできたとて、怯むことはない。
 本当にそれが嫌だった。腹が立つ。ムカついた。
 タンジェリンが死ぬことが怖いんじゃない。
 きっと俺は、俺が今まで守り抜いてきたこの命を否定されるのが嫌なのだ。
 あるいは何を犠牲にしてでも守り抜いてきたこの命は、俺にとっては誇りそのものだった。
 誰だってそうだ。生き抜くためにはそれ相応の戦いがあり、それに勝ったから命はここにある。
 それをこいつは、大事なもののために捨てることは惜しくない、と言う。
 きっとタンジェリンは、今まで何を犠牲にして生を勝ち取ってきたのか、そんなことを考えもしないのだ。
 だからそんなフウに、死を前にしたとて退かずに前を向くのだ。

「アノニム」
 タンジェリンは言った。
「でも、結局てめぇが何とかしたんだろ。その……」
 そっぽを向く。
「た、助かったぜ。ありがとうよ……」
 てめぇなんかに。
 仲間を助けるための最善を、そのためなら命を賭してでも、なんて馬鹿げたことを考えているてめぇなんかに。
 そんなことを言われたところで、俺は嬉しくも何ともない。

 俺とタンジェリンは相容れない。同じ世界に生きていて、たまに交わる線の上にいて、交わった途端に喧嘩になる。
 こいつに殴り合いで負けることはない。
 だがこのままだと、タンジェリンはいつか勝ち逃げをする。それはきっと摂理の歪んだ、死を伴う勝利だ。エリゼリカがそうだったように。

 俺がそうして負けたとき、命より先に誇りが死ぬ。
 この不退転の男に、俺の誇りは容易く脅かされる。

「言いたくもねえ礼をしたってのに無視かよ」
 タンジェリンが吐き捨てる。
 俺だって、言われたくもねえ礼だ。

【不退転の男(Side:アノニム) 了】

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不退転の男(Side:アノニム) 4

  きっと、今だった。
 俺は遺跡の出入り口に向けていた足をパーシィに向けた。駆け込んでいく。
 勝てるなら逃げる理由もない。
 パーシィはああ見えてメイスの腕も相当だが、それでも肉弾戦となれば俺のほうがはるかに有利だった。 
 俺に気付いてパーシィが振り返る。メイスを振り下ろしたところを躱し、俺はパーシィの左手を取る。素早く手刀でメイスをたたき落とし、そのままパーシィを遺跡の壁に向かってぶん投げた。
 パーシィが壁に追突するのは見届けず、ハンプティに迫った。ハンプティは目を白黒させていたが、
「あのままなら、アノニムは逃げると思ったのにな」
 ぺろっと舌を出した。
 無視して棍棒を振り上げる。
「待って待って、降参、降参だってば!  ボクは搦め手とかに特化した悪魔で殴り合いは無理なんだって!!」
 ハンプティは両手を挙げて降参の意を示した。関係ない。負けたら死ぬのが道理だ。棍棒を振り下ろした。
 ハンプティはかろうじてそれをかわしたが、
「容赦ないよね……! 今も<魅了>をかけてるのに、なんで効かないんだろ……!?」
「知らねえよ。死ね」
 もう一回、今度こそ脳天を潰そうとしたとき、後ろからパーシィが俺を羽交い締めにした。
「……っち! まだ効果切れてねえのか!」
「とはいえもう潮時かな! じゃあね~!」
 俺がパーシィを引き剥がしているうちに、ハンプティはあっという間に駆け出し、遺跡の出入り口で俺のことを振り返った。
「まあまあ楽しめたよ!」
 それからしばらく駆けていく音がして、俺は――パーシィを振りほどくのは簡単だったし、追う気になれば追えたが、そうはしなかった。ハンプティの気配が消えたタイミングでパーシィの腕を取ると、パーシィと目が合った。
「あ、あれ……?」
 正気に戻ったらしい。
 さっそくで悪いが、とタンジェリンのことを指し示す。腹に黒曜の青龍刀が突き刺さったまま気を失っている。凄まじい光景だ。
「もうひと踏ん張りいけるか?」
「うわ、タンジェ……! す、すぐに治癒をするよ」
 言っているパーシィも足元が覚束なくふらついている。ほぼ崩れ落ちるようにしてタンジェリンの横に跪く。
「アノニム、青龍刀を抜いてくれないか。一気に抜くと出血するから、なるべく緩やかに。抜きながら治癒をかけてくよ」
 それでも俺への指示は明瞭だった。俺は黙って従った。青龍刀を慎重に抜く。パーシィが治癒の奇跡で傷を癒していく。出血はほどほどあったが、何もせずに抜いたときよりははるかにマシだっただろう。血まみれの青龍刀が抜けきり、出血が止まる。傷跡は残っていたが、きっと今のパーシィにはこれが限界なのだろう。
 大きな傷はこれと脇腹のものだ。パーシィは脇腹のほうにも手を翳した。パーシィの顔色は治癒の術をかける時間に比例して悪くなっていき、治癒の光もなんだかまばらに見える。それでもかろうじてタンジェリンの傷の出血を止めると、パーシィもまた昏倒した。

 俺は背にタンジェリンを乗せて、両脇に黒曜とパーシィを抱えると、そのまま星数えの夜会への帰路についた。重くはない。なんてことはない。
 早足で進みながら、俺は考える。
 俺はどこまで正しかったのか?
 いや、俺は――最初から最後まで正しかったはずだ。
 そうでなければ、何かが少しでも間違っていれば、俺とタンジェリンは死んでいた。

★・・・・

 宿に帰る頃には夕方になっていたが、タンジェリンの傷も塞がってはおり、死の危険がないと分かればそこまで急ぎはしなかった。
 夜会に辿り着くまでに奇異の目で見られたがそれも関係ない。
 パーシィと黒曜をいったん下ろして夜会の扉を開ける。夕食時が近く賑わう夜会の食事処で、俺たちを待っていたらしいサナギが目を丸くして駆け寄ってきた。
「ど、どうしたの!? 何があった!?」
「いいから手ェ貸せ。部屋に担ぎ込むからよ」
 サナギの後ろから来た緑玉もサッと顔を青くする。黒曜の横に膝をつき、
「こ、黒曜……!? 黒曜!!」
 ゆさゆさ揺すってるが、
「そいつは頭突きで昏倒しただけだ」
「ど、どういうこと……!?」
 とにかく、事情はあとで話すから今はこいつらを部屋に運んでくれ、と言った。よく考えたらサナギはそういうのの役には立たねえ。サナギが翠玉を呼んできて、俺たちは手分けしてパーシィたちを部屋のベッドへと運んだ。
 俺はふと、今朝方この場所でしたやりとりを思い出した。パーシィの「おまじない」。俺に<魅了>とやらが効かなかったのは、もしかすると――だが当のパーシィには効いてるしな――ハッキリしたことは分からない。

 サナギと緑玉に、あったことを話す。
 それは大変だったね、とサナギは俺を労い、緑玉は難しい顔をして黙り込んだ。何を思っていたかは知らない、興味もない。

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プロフィール

管理人:やまかし

一次創作小説、
「おやすみヴェルヴェルント」
の投稿用ブログです。
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