カンテラテンカ

暗中ディスカバー 3

 翌朝。降り続いた雨も朝早くにやみ、晴天が広がっている。
 遺跡発掘現場に到着して間もなく、追加の冒険者パーティが現れた。トキが依頼書を照合し間違いなく依頼を受けた者たちだと確認してから、一同は簡単に自己紹介した。別にそうであるようにという規定はないのだが、追加冒険者たちも6人組で、リーダー、参謀、盗賊、戦士、聖職者、遊撃手の構成らしい。
「『雨のち晴れ亭』のカーマインだ」
 と、まず名乗ったのは、追加冒険者のうち金髪の男で、彼がリーダーとのことだ。
 カーマイン一行とでも呼ぼうか、彼らのパーティは半数が女子である。
 男は金髪のリーダーであるカーマイン、アノニムよりも大きな身体の戦士レグホーン、前髪で片目の隠れた陰気な雰囲気の参謀ゼニスの3人。
 女は黒髪の盗賊役スズ、シスター服を着た聖職者――多少身軽に整えられてはいる――クロッカス、それからボブカットの遊撃手アイビーだ。
 人の名前を覚えることが苦手なタンジェが、彼らすべての名前と顔を覚え一致させられるわけがない。タンジェはひとまず、カーマインの名だけ覚えられるように尽力することにした。
 それからこちらも名乗る。とはいえ、黒曜一行で社交性が褒められるのはサナギとパーシィくらいだ。もっとも、パーシィの発言の無作法については褒めていい部分ではないだろうが……。タンジェは一言名乗るだけで済ませ、無口な黒曜やアノニム、明らかにカーマイン一行を歓迎していない緑玉に代わり、サナギとパーシィがほか全員分の紹介をした。
 その様子を見たカーマインは、
「そちらの獣人たちは、クールだねえ」
 と肩を竦めたものの、特に不快に思った様子はない。言葉にも差別的なニュアンスが含まれているわけではなさそうだ。
「いいじゃん。イケメンなんだから何しても許されんのよ」
 あんたと違って、と言ったのは黒髪の盗賊役スズだが、スズが言うほど、カーマインの容姿が悪いようには思われない。目に見えて秀麗の黒曜や緑玉に比べればそりゃあ見劣りするかもしれないが。もっとも、人の美醜にこだわりのないタンジェにとってはどうでもいいことだ。
 互いの名前を認識したところで、トキとともに遺跡発掘現場を確認する。やはりトレンチは多少、埋まってしまっていて、だがトキの言った通り濡れた土――というより、泥――は柔らかく、取り除くのは容易そうだった。
 トキはカーマイン一行に発掘手順を説明するので、先にトレンチの復元をしてほしいと黒曜一行に告げた。頷く一同。分かりやすくていい。
 タンジェたちは各々、大型あるいはハンディタイプのシャベルを手に取り、泥をトレンチから掻き出していく。服はたちまち泥まみれになったが、元よりタンジェは潔癖なほうではない。
「あれをやるわけ?」
「結構、汚れそうですね……」
 と、小声で聞こえてきた。カーマイン一行の女子たちだ。これだから女ってのは、と苛立つ気持ちがないでもなかったが、あくまで小声で言い合うだけならマシなのかもしれない。
 苛立ち半分にシャベルのフチに足をかけ、体重をかけて押し込み、泥を掬って放る。同じことを繰り返そうとして、タンジェは、泥の中にキラリと何かが光ったのを見つけた。屈みこんで泥をかき分け拾ってみると、小さな金色の粒であった。昨日以前にトレンチを掘っていた際にはまったく見かけなかったものである。
「トキ」
 泥だらけのままトレンチから上がり、カーマイン一行に指示を出す直前のトキに声をかけた。トキは振り返り、タンジェが何かを言うより先に指先の金の粒を見て、手を顎に当て、興味深そうな仕草をした。
「それは?」
「今、トレンチ掘ってたら、泥の中から出てきた」
「おいそれ、金じゃないのか?」
 と、横で見ていたカーマインが身を乗り出す。
 トキはすぐには答えず、タンジェの手から金の粒を受け取ると、しばらく観察した。懐から手帳を取り出ししばらく見比べるなどして、トキは難しい顔になった。
「確かに金だな。だが……」
「だが?」
 首を傾げたのは、前髪で片目の隠れた男ゼニス。カーマイン一行の参謀だ。
「状況から察するに、トレンチの下から浮いてきたわけではない。泥と一緒に、どこからか流れて来たんだ」
 指先ほどの小さな粒だ。トキもそれ以上、確実なことは言えないのか、うーん、と唸っていたが、
「すまん。せっかく復元してもらっていたが、トレンチはいったん、あとでいい。この金の粒がどこから来たのかを確認したい」
 黒曜たちは顔を上げた。文句は出なかった。元より、依頼主による方針の変更でぶつくさ言うようなやつらではない。黙ったままトレンチから上がり、その中で好奇心旺盛なサナギがしっぽ髪を揺らしながらやってきて、
「何を見つけたんだい、タンジェ?」
「知らねえよ。なんか、金の粒だ」
 サナギはトキの手にあるそれを見て、「目聡いねえ。さすが盗賊役」と言った。泥の中の金だ、誰だって気付くだろう。サナギは皮肉を言うような男ではないのだが、タンジェは彼をジトリと睨んだ。サナギは笑っている。
 トキはたっぷりの水が入った水瓶を指し示し、
「先に泥を落とすといい。そしたら周囲を探索しよう」
 2つある水瓶は、タンジェとアノニムで今朝方運び込んだものだ。一同は言葉に甘え、水で適当に泥を落とした。どうせこれからの探索で多少は汚れるだろうから、最低限だ。川は少し歩いた先にあり、水不足に困ることはないだろうが、大きな水瓶に水を汲んでくるのはそれなりの労働である。タンジェやアノニムの怪力にかかれば水瓶も重くはないのだが、単に時間がかかるので。
 11月だからして、もうかなり涼しい時期ではある。水も冷たい。ただ、気候ばかりは文句を言っても仕方がない。
 身ぎれいにした一同はトキの指示に従い、三人一組になり、あまり離れないようにしながら周囲の森を探索することにした。
 パーシィとアノニムと一緒に探索をしたタンジェは、注意深く草をかき分けていったものの、地面にはどんぐりなどのきのみが落ちているばかりだった。あれ以外の金の粒らしいものはない。
 だが、十数分もすれば、
「おーいトキさん、こっち。ほかのみんなも!」
 と、サナギの声がして、一同は再度集まることになった。

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暗中ディスカバー 2

 アントロッドの森北西部。アントロッド遺跡の周囲は大雨に見舞われていた。
 発掘調査拠点として猟師小屋を借りていた一同は、しばらくそこに縫い付けられてしまった。発掘作業開始から4日目。トレンチ――地中にある遺跡の性質を判断するために掘られる溝――をようやくある程度、掘り終えたところだった。
 大雨は朝から続き、昼になってもまったくやむ気配はない。
「そんなこともあるさ」
 と、件のトキ・ツーマッハはのんびりとコーヒーを飲んでいる。タンジェは普段コーヒーなんてものを飲まないのだが、トキに振る舞われたので仕方なく受け取った。味の良し悪しに敏感なほうではないものの、単純に悪くないと思えるコーヒーであった。
「でもトレンチ? だったか……あの溝、埋まっちまうんじゃねえのか」
 雨で周囲の土が軟らかくなるだろう。それがトレンチに流れ込むことを案じたタンジェが尋ねると、トキは、
「もともと発掘調査では、年代の違う土を取り除くもの。新たに入った軟らかい土くらい、なんてことないさ」
 言葉通り、なんてことはなさそうに笑った。
 そう言われてそういうもんかと頷けるのは、とうのトキが土にまみれながら率先してトレンチを掘っていたからだ。これで彼が指示をするだけの依頼主だったら、印象はかなり違うだろう。
 それにトレンチを掘ること自体、黙々とやれて嫌いではなかった。特に初期段階の今は、ざっくり広範囲を掘るのがメインで力仕事だったし、貢献できたと思う。以降は遺物とやらを見つけ出し次第、スコップやスプーンで周囲の土を削る地道な作業だそうだが……。もっとも、これができなければ盗賊役と胸を張れはしないだろう。
「本当に丁寧に仕事をしてくれて助かっているよ」
「冒険者として当然のことですが……痛み入ります」
 丁寧に恐縮しているサナギだがその笑顔が愛想笑いでなく本心からくるものであることはなんとなくわかる。「ファン」らしいので。
 そこからサナギとトキが雨が上がってからの予定を話し始めたので、会話から外れてタンジェは立ち上がった。コーヒーを飲み干しカラになったコーヒーマグを洗うためだ。キッチンに行くと、機嫌の悪そうな緑玉といつも通りの無表情の黒曜がいた。そういえばリビングで顔を見かけなかったか。
「何してんだ」
 タンジェが問うと、
「明日、追加で冒険者来るって話。本当に無理だって、黒曜に言った」
 緑玉の言葉に、そういやそうらしいな、とタンジェは適当に応じた。トキは天候に限らず、この頃合いで作業に遅れが出ることは見越していて、あらかじめ冒険者パーティをもう一組呼んでいると言っていたのだった。その冒険者が明日の朝に合流するらしい。
「依頼人がそうするっつってんだから、仕方ねえだろ」
「……分かってるよ」
 すんなり理解を示すので、緑玉の意図がよく分からず、タンジェは妙な顔になった。緑玉のことは理論派だと思うのだが、考えていることはぜんぜん分からない。タンジェが理論派でないからなのか、単に緑玉の思考が難解だからなのかは知れない。
「……明日から合流したら、あと9日間は一緒に寝泊まりというわけでしょ」
「この小屋は13人が生活するようにはできていない。どちらかのパーティがテントを張って外で寝泊まりする」
 淡々と言った黒曜に対し、緑玉はそっぽを向いて、
「……そう。だったら新参が外で寝ればいいけどね」
 もともと人間嫌いな緑玉のことだ。明日、どんなパーティが合流するのかは知らないが、知らないやつらが6人も追加で来るというのは確かに落ち着かないだろう。タンジェも残念ながら社交的なほうではないので、気持ちは多少、分かるつもりだ。分かったところでどうということもないが。
 タンジェはあらかじめ井戸から汲み上げていた水瓶から使う量だけの水を柄杓で掬い、コーヒーマグを洗って水切りカゴに置いた。
 リビングに戻ると、トキとサナギの話はいつの間にかお互いの来歴に変わっている。興味はなかったがすることもなかったので、タンジェはリビングの質素なテーブルに頬杖をついて話を聞き流す態勢になった。あまり真剣に聞くつもりはないものの、耳に入ってくる情報をによれば、トキはもともと各地の遺跡を発掘して回るはぐれ学者だった。はぐれ学者、要するにどこの団体にも所属していない、一人で活動する学者だ。それでいろいろあって、今の『墓穴の標亭』に腰を落ち着けた、と。
「あなたの宿にも、ほかに冒険者がいるんだろう?」
 ソファ――複数のクッションにより即席で作られたもの――でアノニムと一緒にだらだらしていたパーシィが顔を上げて会話に参加した。
 トキは頷き、
「ああ。頼りになる仲間たちがいる。ただ、私たちはきみたちとは違って固定メンバーでパーティを組んでいるというわけじゃない」
「どういうことだい? パーティというのは基本、固定メンバーでは?」
 というパーシィの疑問に答えたのはサナギで、
「そういうわけでもないよ。6人の役職が必ず揃っている必要も、本来ならないんだし。あくまで統計から算出された生存率から、6人パーティが推奨されるというだけで」
「私たち『墓標亭』のメンバーは、それぞれの役職担当が複数人いてな。その時々に都合がいいメンバーで臨機応変にパーティを組むんだよ。私はリーダーをやることが多いかな」
「ということは、今も冒険に行かず待機しているフリーの冒険者がいるわけだよな?」
 パーシィは首を傾げた。
「最初に聞きたかった質問に戻るのだが。この遺跡発掘の依頼は、あなたの宿の冒険者たちでは不足だったのか?」
 なるほどそれは気になる話だ。タンジェが黙って会話の行く先を見守っていると、トキは実に爽やかに笑って、
「彼らは、壊すので」
 単純明快な返答をした。もっとも、それに関してはタンジェが苦い顔をしたのと、パーシィがアノニムに視線を向けて首を傾げたくらいには、こちらも自信がない。今のところはトレンチを掘っただけで、不要な破壊はしていないはずだが……。
「ははは! 心配しなくても、まだしばらくは穴を掘るだけだ。遺物や遺構が発掘されれば、そこからもう少し繊細な作業になるが……苦手なことは言ってくれれば、無理にやらせたりしない」
 タンジェとパーシィの様子に気付いたトキがそう言うので、タンジェはひとまず安心した。
 雨はまだやみそうにない。今日は一日、降り続けるのかもしれない。トキは冒険者にとって手持ち無沙汰なこの空き時間を、この遺跡に伝わる伝説を語ることで埋めた。その伝説というのは、こういったものであった――。

 ――曰く。かつてこのアントロッドの地で、異端とされ十字架にかけられた聖ミゼリカ教の聖人アンセリオは、死の直前にこう予言した。「自分の死の直後、落雷があり、それによってこの十字架は黄金に変じる」。
 そして見守る信者たちに「その黄金を溶かしてロザリオにし、信仰のしるしとして貧しい人々に与えよ」と告げた。
 アンセリオ殉教ののち、予言のとおり激しい落雷があり、アンセリオが磔にされた十字架は黄金へと変じた。
 ところが時の権力者グリドリトスは、黄金を貧しい人々に分け与えることを良しとしなかった。グリドリトスは黄金を独占し、黄金の一部を一つのロザリオに、残り全てを装飾品に変え、自身を着飾った。
 しかしほどなく激しい落雷があり、雷に打たれたグリドリトスの姿は、黄金のロザリオを除いてすべて石に変わってしまった。
 天罰を恐れた人々はアントロッドに遺跡を建て、強欲を戒めた。
 『アントロッドの黄金の聖印』として伝わる話である。この伝説はもはやおとぎ話となり、人々に贅沢を控えるよう啓蒙するものとして残っている。

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暗中ディスカバー 1

 冒険者への依頼というのは多岐に渡る。
 メジャーなもので言えば妖魔退治だったり、商隊などの護衛だったり。タンジェたち黒曜一行が先日受けた大熊ノワケ退治においては、相手は妖魔ではなく獣であったが、害獣退治だって少なくない依頼だ。それから人・ペット探し、変わり種では殺人事件の解決への助力なんていう、調査がメインになる依頼もある。はたまた大掃除の手伝いや道具屋の店番など、人々の日常に根ざす些細な仕事だって持ち込まれることがある。
 依頼頻度の多寡でだけ見れば、今回の依頼はマイナー寄りだと言えるだろう。黒曜一行は、遺跡発掘の手伝いを引き受けていた。
 ことは5日前。星数えの夜会の掲示板に貼られた依頼書を二度見したサナギは、すぐさまそれをはぎ取り、黒曜の前に差し出した。黒曜は一行の実力に見合わない依頼は決して受けない男だったが、今回の依頼書には「丁寧な仕事をしてくれるなら素人でも可」との記載があり、戦闘などの危険は少なく、報酬も悪くない、と、条件が良かった。唯一の欠点は拘束時間が長いことで、実に二週間近くを依頼人と過ごすことになる。
「何言ってるの!」
 拘束時間が長い点を緑玉に指摘されたサナギは大声を出した。とはいえ咎めている様子ではなく、むしろはしゃいだ調子だった。サナギはその声量のまま続けた。
「依頼主はトキ・ツーマッハだよ!? 『墓穴の標亭』の!」
「誰だよ……」
 と、横でタンジェが呟くと、サナギがぐるりとこちらを向いたので、余計なことを言った、とタンジェは直感した。サナギはタンジェに詰め寄るように身を乗り出すと、
「ご存じない!?」
「ご、ご存じねえよ」
「『墓穴の標亭』といえば、お酒と冷製料理がおいしい宿だけど……あそこの真の名物は"怪談話"さ!」
 普段通りの饒舌さに興奮を乗せて語り始める。
「俺もたまに行くんだよ。墓穴の標亭――通称『墓標亭』は、俺たちの星数えの夜会と同様、冒険者宿なんだけれど。所属冒険者の中に『語り部』がいるんだ。要するに、ストーリーテリングをするテラーだね。『墓標』から『死』や『恐怖』を連想して、語り部が得意とする物語りもだいたいは怪談話さ。トキ・ツーマッハはその中でも抜群に話がうまい!」
 俺は彼のファンなんだよ、とサナギが目を輝かせるのを、一同はごく落ち着いた――ともすれば冷めた――態度で受け止めている。
「そのトキ・ツーマッハさんは、語り部で冒険者なのに、何故こんな依頼を?」
 と、まともなことを尋ねたのはパーシィで、サナギは今度はそちらに向くと、こう即答した。
「彼は本業は考古学・民俗学を専門にする学者なのさ。だから彼の怪談も実に文化的で、おもしろいんだよ」
「はあ。そういう冒険者もいるんだな」
 どうやらパーシィは考古学だの民俗学だのにピンとこないらしく――タンジェだって学術の内容はまったく知らない――雑な感想を返した。
 とにかくさ、とサナギは黒曜に、
「彼と話せる機会が2週間もなんて、素敵な話さ! ぜひ受けようよ。少なくとも、今の俺たちの手に負えないような依頼じゃないはずだ」
 改めてこの依頼を強く推した。

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鏡裡を砕く 6

 日はとっくに落ちていてずいぶん暗い。街灯の少ない裏路地だからなおさらだ。しかし月があるから真っ暗闇を手探りで進むというほどでもない。問題なく帰れるだろう。
 戦闘訓練をサボってしまった形になる。黒曜はああ言っていたが、あるいは戦闘訓練に現れないタンジェを探しに来たのだろうか?
 ……聞くのはやめた。黒曜は「偶然だ」と言ったのだ。だったらそれが真実だ。
 二人で並んで、黙って夜道を歩く。
 タンジェもおしゃべりではない、沈黙に耐えられなかった、というわけではないのだが、
「……てめぇが壊したあの鏡は……」
 なんとなく、さっきの状況を説明したほうがいいのかもしれないと思って口を開いた。
「<罪の鏡>とやらで……罪が、映るらしいぜ」
 黒曜は黙って聞いている。言っているうちに、説明するならば見えたもののことも白状しなければならないことに気付いた。脳裏にちらつく、砕けたタンジェの鏡像。
「見えたか? 俺の罪が、あれだってこった」
 その事実は、普段ならばタンジェを奮起させたかもしれない。生来の負けず嫌いは、自分の未熟さを痛感するたびに鎌首をもたげて、タンジェを立ち上がらせてきた。
 けれども今回の件は、自覚しているよりずっと、タンジェをヘコませたらしい。
 弱音を吐く気はなかった。しかし黙っているのもいたたまれず、場を紛らわすように、タンジェの口から出たのは、
「……情けねえ」
 だった。
「弱い俺をぶっ殺したかったが……、できなかった。あれを殺したのはてめぇだ」
「……」
「悔しいだろうが……! 俺が殺せねえ弱い俺を、てめぇはこんなに簡単に殺してみせやがる」
 黒曜の石のような瞳が、つい、と、タンジェを向いて、
「強くなることだ。自分が弱いと思う暇もないくらいに、……お前ならそれができるだろう?」

 どくりと胸を打つ。

 黒曜の言葉は別に、期待でもないし、希望でもない。タンジェを鼓舞する意図もない。ただ、弱音を吐くくらいならそうしろ、というだけだ。分かっている。
 けれどもその言葉は、タンジェの心の深いところに、静かに沈んでいった。
 タンジェの負けず嫌いをもってすら抵抗がかなわない絶望が訪れたとしたなら、最後にタンジェを奮い立たせるのは、黒曜のこの言葉に違いない、と思った。
 黒曜の言葉に依存するわけではない。それだけを支えにするつもりもない。そればかりに執着するのも、違うだろう。
 けれども強くなるための道は黒曜が示してくれる。それは戦闘訓練で、あるいは依頼の実戦で。思えば黒曜は、タンジェが盗賊役だとて、戦闘の際にタンジェを後方支援へ下がらせたことは一度だってなかった。
 心臓が熱くなる。
 黒曜の言動が、タンジェの心の深いところからタンジェの心の臓を燃やして、たちまちタンジェの全身に血を、活力を巡らせる。
「……はっ、そいつは、分かりやすくていい」
 タンジェはたまらず、笑った。
 黒曜はこんなにも容易く、タンジェの胸裡を砕く。
 だが礼は言わない。素直にありがとうが言えるような性分ではないのである。
 タンジェが強くなることが、今日言えなかった礼の代わりになるだろう。

 タンジェが怒りをくべて燃やす復讐の炎。その火元にある、「強くなりたい」という、ただひたすらに抱く、強さへの渇望。

 弱いことは罪だろうか? ペケニヨ村の人々が蹂躙されたのは、弱者という罪人であったためだろうか?
 違う。
 弱いことは罪ではない。弱さを嘆き、身の丈に合わない強さを求めたとき、人は弱さの罪を負う。

 過去のタンジェの弱さは、タンジェのことをいつでも罪人にし得る。
 だが、罪を逃れたいのではない。贖いたいのでもない。謝罪などいっとう無意味だ。
 ただ復讐のために、弱い自分を殺すために、あの言葉と黒曜に報いるために、タンジェは、強くなる。それしかない。がむしゃらに、強くなるしか。

 やがて立ち向かえる。
 タンジェは、弱い自分を、今度こそきっと、自分自身で打ち砕くのだ。

【鏡裡を砕く 了】
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鏡裡を砕く 5

 窓がないから風もない。なのに灯ったランプの火が揺らめき、落ちた影が歪む。
 視線が、離せない。タンジェの目の前で、ぼんやり霞んで映っていたおぼろげなタンジェの像がゆらりと動く。
 タンジェは椅子に縛られたまま動いていない。なのに鏡の像が、摂理に反してゆっくりと立ち上がった。ゆらゆらと揺れるそれは、立ち上がってもやはりタンジェの姿に違いない。
「……!」
 息を呑む。タンジェの視線の先で、あいまいな輪郭が明瞭になっていく。まるで鏡から靄を消し去ったかのように、突然それはタンジェの視界に飛び込んできた。

 ――血まみれのタンジェだった。

 タンジェは、それだけで、すべて理解した。
 顔、髪、服についた夥しい量の血、そのほとんどは、他人の血だ。父の血で、母の血で、村の人々の血だ。

 タンジェの罪は、ペケニヨ村の人々がオーガに蹂躙されるのを、ただ見ているしかできなかったことだ。

 そしてこの<罪の鏡>で、初めて分かったこともある――血まみれのタンジェは、顔を歪め、本当に、無様で、情けない顔をしていた。
 タンジェの罪は何より「弱かったこと」に他ならないのだ。

「……、ち、……くしょおッ……!」
 こんな八つ当たりみたいなわけのわからない逆恨みで、自分の弱さが暴かれたことが、悔しい。
 目の前で顔をくしゃくしゃにして、今にも泣きそうな、弱っちい自分をぶん殴れないことが、悔しい。
 何より今すぐロープをぶち破ってめちゃくちゃに暴れることすらできない今の自分が、この頃の自分と何が違うのかと突き付けられたことが、悔しかった。

 これが本当に<罪の鏡>とやらだとして、それが映すものはコンシットではないだろうことを、タンジェは最初から知っていた。
 なのにこうして直面したとき、タンジェは何の抵抗もできない。でも、ただ屈して負けたくはない。
 どうすればいい。今の俺に、何ができる? ……。

 ――混迷するタンジェの目の前で、血まみれの、弱いタンジェが粉々に砕け散った。

「――」
 砕けた鏡裡が、床に落ちる。ランプに揺られてちらちらと光るそれを、じゃり、と踏む黒衣。

 弱いタンジェの代わりに、気配の一つもさせずにそこに立っていたのは、黒曜だった。

 タンジェの鏡映ごと<罪の鏡>を叩き割った黒曜は、タンジェのほうをちらと見て、一歩でタンジェに歩み寄り青龍刀を閃かせた。
 椅子とタンジェを縛り付けていたロープが切り落とされて、タンジェはようやく自由になる。
「――っは、」
 力が入らないなりに立とうとするが、うまくいかない。黒曜はタンジェの腕を掴んでぐいと引き寄せた。それでなんとか立ち上がり、2、3歩よろけて、タンジェは黒曜の胸に飛び込むはめになった。
「おわ!」
 思わず飛びのき、またよろめく。黒曜がいったん椅子に座るよう促したので、タンジェは仕方なく座り込んだ。
「……身体の自由を奪う魔術だろう」
「……」
「じきに治る」
 そういえば、路地でトリカと対面したときに彼女が叫んだ言葉は、魔術師が使う呪文のような感じだった。あの手に持っていたのがその呪文を放つためのいわゆる「スクロール」ってやつだったのかもしれない。おそらくこの状況に持ち込むためにあらかじめ用意していたのだ。
 でも、そんな答え合わせに大して意味はない。タンジェは尋ねた。
「……なんでここに?」
「偶然だ」
「そうか……」
 確かに黒曜が言ったとおり、話している側からだんだん身体が動くようになってきた気がする。タンジェは顔を上げた。
「トリカ……女がいなかったか?」
「見なかった」
 即答する黒曜。タンジェはちょっと眉を寄せた。あの女がタンジェの謝罪を聞かずして遠くに行くようなタマとは思えない。しかし黒曜が嘘をつく理由もないだろう。……タンジェはトリカの行方を訝しく思いつつも、
「……どこに行ったか知らねえが、……戻ってくるまでに、出てったほうがよさそうだな……」
 なんとか動けそうだ。タンジェは立ち上がる。黒曜の先導についていき、部屋から出た。
 タンジェが監禁されたのは路地裏の廃屋の地下だったらしい。ほどなく外にも出られた。確かにトリカはいない。もっとも、探す必要も理由もない。もう関わり合いになりたくなかった。

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プロフィール

管理人:やまかし

一次創作小説、
「おやすみヴェルヴェルント」
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