カーテンコール 2
あのときの気持ちは、ほとんど感動だったな、とタンジェはぽつりと言った。
エスパルタに向かう乗合馬車は、遅い時間なのもあって今はタンジェと黒曜しか乗客がいない。御者にも会話は聞こえていないだろう。
不意のタンジェの呟きに、黒曜の耳がピコリと揺れ、彼の視線だけがこちらをチラと向いた。
「初めて会ったときだよ。エスパルタから都市封鎖してるベルベルントに行くのに、薬の商隊に乗り合ったろ」
黒曜は静かに頷いた。
「あれが最初だった。初めて妖魔と冒険者の戦闘を見た。話には聞いたことがあったが……」
「……」
「それに感動したから、俺はてめぇに頭下げたんだぜ」
・・・
その襲撃で、黒曜はつつがなくすべてのゴブリンを斬り伏せたし、タンジェはまったく役には立たなかった。それでも商隊の3人と積み荷は無事だったので、体勢を整え、商隊はすぐに出発することができた。
馬車に揺られる中で一つ、決意したことがあった。タンジェは、
「おい、てめぇ……冒険者か?」
「……」
話しかけられた黒曜は相変わらずの無感情で視線をついと上げただけで、返事もしなかったが、タンジェは頓着せず、
「俺はタンジェリン。元木こりだ。……俺に、戦いを教えやがれッ!」
ほかに言い方はなかったのかと今になっては思うが、ほとんど藁にも縋る思いだった。
思い知ったのだ。自分がゴブリン相手に手も足も出ないこと。そしてこの目の前の冒険者がいかに熟達した使い手であるかということを。
黒曜は、本来なら初対面の、こんな言葉遣いもロクに知らないようなガキの願い一つで戦闘指南を引き受けることはないだろう。それでも不思議なことに、黒曜はしばしの沈黙のあと、ごく浅く頷き、
「いいだろう」
と、言った。
・・・
「今覚えばだが、よく引き受けたな」
タンジェが言えば、黙ってタンジェの昔話に耳を傾けていた黒曜は、
「借りがあった」
妙なことを言って返した。タンジェは、
「借りだ? 会った直後だし、んなもんねえだろ」
「……」
黒曜は視線を馬車の向かいの席、誰も座っていない虚空に向けて、
「お前が積み荷を――薬を守った」
「ああ……?」
少し考えたあと、タンジェがたった一回だけ手斧に手応えを感じた瞬間――つまり、はねられたゴブリンの腕が棍棒ごと積み荷に迫ったのを払った、あのときのことを言っているらしいと思い至った。
「守ったっつうか、単に咄嗟に払った……」
思わず言った後に、
「……いや、言わなくてよかったな今の。忘れてくれ」
せっかくタンジェを褒めてくれたのに、わざわざそれを貶めるようなことを言ってしまった。だが黒曜は、
「いい。お前の『咄嗟』は、だいたい好ましい」
「あ? ……よく分からねえこと言いやがる」
訝しげに思ったまま言えば、黒曜はごく淡白に、だが確かにほんの少し口端を上げた。タンジェは続けて、
「それに、薬を守ったことがなんでテメェへの借りになる?」
「あのときベルベルントは流行り病で都市封鎖していた。流行り病の猛威は凄まじく、死者も多数出た」
「ああ……」
「特効薬は争奪戦だった。俺はエスパルタの商隊の護衛を引き受けることで優先的に特効薬を回してもらうよう話をつけていた」
「……」
知らなかった。タンジェは腕を組んで背にもたれかかった。少しだけ首を傾けて、不思議に思ったことをそのまま口に出す。
「優先的に特効薬を回してもらう? 必要だったのか?」
「……当時、緑玉が流行り病に罹患して臥せっていた」
「あ? そうだったのか!?」
思わず背もたれから背を離し、身を乗り出して黒曜のほうを向いた。
黒曜から戦闘指南を受けることが決まり、商隊がベルベルントについてすぐ、タンジェは黒曜について星数えの夜会に行った。すぐさまそこを定宿にすべく手続きをしたのだが――確かに、緑玉の姿を見たのはその数日後だった気がする。
ベルベルントが近隣諸国から買い付けた特効薬が功を奏したのか、流行り病はほどなく収束したし、初めて会ったときの緑玉は、記憶にほぼ残っていないくらいだから、ごく平常の様子だったのだと思う。タンジェはあのとき緑玉が流行り病に侵されていたこともまた、今の今まで知らなかった。
緑玉は黒曜にとって弟みたいなものだ。流行り病で苦しむ姿を黙って見てはいられなかったのだろう。
そういうわけで、薬を守ったことが借りになったのだ。
別に黒曜のことや仲間たちのことを、何から何まで知りたいという気持ちはないのだが、今になって分かる過去の事実が、今だからこそ――たとえば当時、緑玉が流行り病に臥せっていたことを知ったとて、タンジェは関心を寄せなかっただろう――タンジェを納得させた。
ふと馬車の窓の外を見れば、闇の中に、家々や街灯から光の漏れるエスパルタが浮かび上がる。
あの日、背を向けたエスパルタが、今度はタンジェと黒曜を迎え入れようとそこにある。
2人でいるからだろうか? あれ以来、エスパルタに来るのが初めてだというわけでもないのに……。始まりの日を明瞭に思い出したタンジェは、感慨深く思った。
カーテンコール 1
タンジェは黒曜と二人、乗合馬車の中にいた。
普段は依頼――特に護衛の――を受けて乗ることがほとんどだが、今回に限ってはそうではない。2人は自身の意志でもって馬車に揺られていた。
馬車の目的地はエスパルタ。ラヒズの謀略で訪れて以来だ。もうあれから半年以上になる。
エスパルタまでの3日間の道のり、街道は快適で、乗合馬車は路線によって混んだりすいたりした。タンジェと黒曜はどちらもおしゃべりなたちではないので、その間あまり会話はなかったが、沈黙は別に気まずくはない。
ただ、中継地点の小さな町プロセコからエスパルタの間で、タンジェは不意にこんなことを思い出していた。
・・・
――オーガどもを殺す。そのためには強くならなくてはならない。
ペケニヨ村がオーガの襲撃に遭い、からくも生き延びたタンジェリン・タンゴは、ペケニヨ村から下山しエスパルタに来たときにはもう復讐を志していた。
戦闘の基礎を学び、妖魔相手の実戦を重ね、戦いを身体に叩きこむのだ。そのためにまず、冒険者になる。
稀にペケニヨ村に来た冒険者たちは、幼いタンジェたち村の子供に冒険譚を聞かせてくれることがあった。その中で何度も妖魔に打ち勝ってきた冒険者はタンジェにとっては強さの象徴で、短絡的なタンジェは「強くなる」ことを、すぐに冒険者と結びつけた。
冒険者になるならば、本気でやる。冒険者大国と聞くベルベルントに行くべきだ。
実はエスパルタにも冒険者宿はあるのだが、タンジェが出会ってきた冒険者はみんなベルベルントから来たという者たちばかりだったので、タンジェはこちらもまた単純に、冒険者はベルベルントにしかいないものだと思い込んでいた。
しかしながら、タンジェが乗合馬車でベルベルントへ向かうことはなかった。
路銀はぎりぎりだったがあったし、乗合馬車側に乗車を拒絶されたということもない。ただ、タイミングが悪かった。
当時のベルベルントは流行り病が猛威を振るい、都市封鎖をしていたのである。
だからそもそも、ベルベルントに向かう乗合馬車が運休していた。
「どうにかならねえのかよ」
と、タンジェは御者に頼み込んだが、タンジェ一人の要求が通って馬車が走るわけもない。もちろん、どうにもならなかった。
前述したとおり路銀はぎりぎりだったので、エスパルタで余計な宿泊をしたくない。とにかくタンジェはすぐにでもベルベルントに行きたかったし、行かなければならなかった。そこで困り顔の親切な御者から提案されたのが、商隊に乗り合わせることであった。
「商隊? 食料だのを運ぶ馬車隊か。それなら出んのか?」
「ベルベルント側で都市封鎖をされているので、今はほぼ出ません。ですが今日はたまたま例外があって……」
聞けば、ベルベルントは流行り病に効くという薬を周辺諸国から買い集めている。エスパルタからもその特効薬を買い付け、今まさに特効薬を積んだ商隊が発つところなのだという。
御者に簡単に礼を告げ、タンジェは急いで商隊のもとへ向かった。ちょうど特効薬を荷馬車に積んでいるところに居合わせることができて、タンジェが口下手ながらにどうしても今すぐにベルベルントに行きたいこと、商隊に乗せてほしいことを告げると、
「まあ、人手は足りてないから欲しいがね。ひとまず荷物、積んでくれるか」
商隊長にそう言われたので、タンジェは俄然はりきって大量の特効薬をあっという間に荷馬車に積んだ。特効薬の注がれたガラスの小瓶がぎっしり詰まった木製クレートは一箱一箱がかなり重かったはずだが、タンジェにとってはまったく大したものではなかった。
感心した商隊長は、
「おう、助かったよ。そんじゃあ連れてってやる」
と、タンジェが乗り合うことを承諾してくれた。
この商隊には、商隊長と2人の商隊員、それからタンジェともう一人、護衛だという黒衣の男がいた。この黒衣の男は獣人で、タンジェをごく無感情な瞳で一瞥しただけで、まったくこちらに関心を向けた様子はなかった。
タンジェはこの男の第一印象をあまり覚えていない。今からしてみれば、少し勿体ないことをしたと思う――これがタンジェと黒曜のファーストコンタクトだった。
ベルベルントに向けて出発した商隊。最短距離で行くから、宿場町には寄らない。途中で野営をする必要があるが、2日でベルベルントに行けるという。野営をするという都合上、護衛を雇っているとのことだった。
このとき黒曜と何か会話を交わしたか、というのは、第一印象を覚えていないタンジェでも思い出せる。"ない"。タンジェと黒曜はまったく言葉を交わさず、荷馬車の積み荷の間に乗り合い、ただただ無言で馬車に揺られていた。
もしこのまま荷馬車が何の滞りもなくベルベルントに着いたなら、商隊はベルベルントで解散して2人も二度と会うことはなかっただろう――だが、そうはならなかった。
2日目の朝、野営を片付けさあ出発、というところで一同はゴブリンの群れに襲われた。
数は多かったが、黒曜にとって大した相手ではない。だが当時のタンジェにとっては――オーガを除けば――初めての妖魔との相対だった。
もちろん恐怖はない。タンジェは肝は据わっている。ただ手持ちの武器といえば戦斧ではなく手斧で――ド素人のタンジェは、本気でこの手斧が武器になると思っていた――それをぶん回して、向かってくるゴブリンを遠ざけるくらいが精いっぱいだった。
それでも何とか、黒曜がゴブリンの首を次々はねる間、商隊員たちを守ってやっていたつもりだ。黒曜の青龍刀がはねたゴブリンの腕が、持っていた棍棒ごと勢いよく飛んできて、危うく積み荷に当たりかけたときも、タンジェは手斧で何とかそれを払った。
商隊員たちや積み荷を守ることは、タンジェにとってそれほど深い意図があってのことではない。彼らが害されればベルベルント行きが滞る。何より反射と咄嗟が先行し、タンジェは必死だった。
けれどもその最中、タンジェの目に、黒曜の見事な体捌きと、流れるような鮮やかな剣技が焼き付く。
生まれて初めて見る、「戦闘」だった。
・・・
ベルベルント復興祭 14
らけるたちの買ってきた屋台飯はとにかく多種多様で、みんな思い思い好きなものに手を伸ばしていた。量も多かったので、みんな満足しただろう。それでも足りなかった留守番勢の中には、入れ替わるようにして夜の屋台へと遊びに繰り出すものもいた。タンジェと黒曜が買ってきていた夕飯もいつの間にかなくなっている。どさくさに紛れて誰かの胃の中に入ったらしいが、別に気にはしなかった。タンジェは充分、黒曜といろいろなものを食べたのだ。
寝る準備にはまだまだ早いが、汗をかいた1日だったので、風呂に入ってさっぱりした。
部屋に戻り、くじ引きの景品交換で受け取ったサンキャッチャーをさっそく窓辺にかける。今は沈黙を保つそれは、明日の朝になればきっと陽光を吸い込んでこの部屋に光を落としてくれる。楽しみだ。
ノックされたので応答し、扉を開けると黒曜だった。黒曜は言った。
「花火が上がるそうだ。見える位置を確認してきたのだが、タンジェの部屋の窓からなら、恐らく見える」
「へぇ、そうなのか」
なるほど、人混みで見るよりは、タンジェの部屋で悠々2人で見たほうが、確かに落ち着ける。タンジェは黒曜を部屋に上げた。
2人で窓辺に座り、夜空を見つめる。
すぐに花火が始まる。パッと光が空に瞬いた。ほんの僅か遅れてドンと大きな音がして、ぱらぱらと光の粒が闇夜に消えていく。
「おお……」
思わず感嘆の息が漏れた。
色とりどり、夜空に何度も派手な光の粒が舞って、丸く、大きく広がると、そのたびに散っていった。綺麗だ。
ちらと黒曜の横顔を見れば、暗闇にある無表情が、花火が打ち上がるたびに照らされている。不意に黒曜がこちらを向いた。心臓が跳ねて、慌てて視線を逸らす。外に逸らせばいいのに、室内に目を泳がせたタンジェは、そこで、部屋の中まで花火の色に染まっているのに気付いた。
サンキャッチャーが花火の光を吸い込んで、部屋に虹のような影を落としているのだった。
タンジェはサンキャッチャーを見上げた。黒猫のあしらわれたサンキャッチャー。これを見るたび、タンジェはきっと今日のことを思い出す。本当に楽しかった。
悪魔に襲われ平和の脅かされたこのベルベルントに、<退屈>という名の日常は訪れた。今日1日限りの非日常は、これからの<退屈>を、色鮮やかに、鮮明に、克明に彩って、人々の生活を、生きる道を照らすだろう。
ベルベルントは復興した。悪魔なんかに、一過性の絶望なんかに、人々は負けたりはしないのだ。
「タンジェ」
「あ?」
呼ばれて黒曜に視線を戻すと、急に黒曜はタンジェに向かって身を乗り出し、顔と顔を近付けると、唇で唇に一瞬だけ触れて、そして何事もなかったかのように、元の位置に戻っていった。
「……」
たっぷり数秒、呆然としたタンジェは、遅れて事態を理解した。……やられた!
それでもやられっぱなしは性に合わない。タンジェは勢いが冷めないうちに、黒曜の顔面を強引にこちらに向かせて、同じことをし返した。顔を離せば、黒曜は目を瞬かせて、それから眩しそうに目を細めるのだった。
サンキャッチャーを見るたび、きっと今のも思い出すに違いない!
自分の顔が真っ赤なのは、ちょうどその色の花火が打ち上がって照らされたからだと、タンジェは誰にともなく言い訳した。
ベルベルント復興祭 13
屋台を回って、それからもいろいろなものを食べたり飲んだりした。遊戯屋台もいくつか楽しんだ。飲み物を買って休憩もとった。そんなこんなで夕方になれば、今まで店を開けていた人たちも仕事上がりに屋台に集まり始めて、いよいよ混雑が激しくなってきた。
タンジェと黒曜はタイミングを見て、夕飯を買って星数えの夜会に戻った。
夜会ではパーシィとアノニムがテーブル席で歓談――パーシィが一方的に何か話しているだけだ――していた。カウンターには野菜の入ったバスケットが置かれている。復興杯3位の賞品だ。封筒に入っているのは商品券だろう。
「おかえり」
タンジェと黒曜に気付いたパーシィが声をかけてきた。「おう」タンジェは応じた。「ただいま」
「屋台を見てきたのかい?」
「ああ。てめぇら、ずっとここにいたのか?」
「いや、午前中は復興杯を見て、それから屋台も回ったよ」
そしてだいたいのものは食べた、とパーシィは言った。食べ終わってからはここにいたのだろう。
「ズィーク、強かったか?」
不意に気になってアノニムに尋ねると、「戦ってねえ」と言った。トーナメントなので、ブロックが違えば決勝戦まで当たらない可能性は確かにある。つまり別ブロックだったのか、と思っていると、パーシィが茶を飲みながら、
「初手で降参したからな。アノニムは」
「え?」
「あんなのと戦うだけ時間の無駄だ」
アノニムが引き継いで答えた。
アノニムはこう見えて戦闘に関してはドライでクールで理性的だ。"生存主義"。ハンプティとの戦いで分かったが、彼はまず勝機のある戦いしかしない。つまり、そういうことなんだろう。
「ベルベルントにそんな化け物みてえなのがいるとはな……」
「すごかったよ。全試合一撃KOだった」
身内以外の人の見分けがろくについていないパーシィにさえ、ずいぶん強烈に印象に残ったようだ。
「そいつ、<天界墜とし>のときどこにいたんだろうな?」
「東門を守ってたらしい。1人で」
「……」
それは……いろいろと極まっている。
そこで「たっだいまー!」と勢いよく玄関を開いてらけるが戻ってきた。翠玉と緑玉、サナギも一緒だ。
「あ、タンジェも帰ってたんだ!」
「おう……おかえり」
タンジェは申し訳程度にあいさつを返す。らけるは両手いっぱいに食べ物を抱えていて、
「お夕飯は夜会で食べようってことになってさ」
「人の出も増えたしな」
「うん、材料がなくなっちゃってもう閉め始まってる屋台もあったけどね」
それでもあの数の屋台だ、まだまだ多くの人の腹を満たすだろう。
「な、みんなで食べようぜー!」
屋台の飯をテーブルに並べ始めるらけるを手伝い、にこにこ笑顔の翠玉も袋からどんどん小分けの容器を取り出していく。
こうして見る限りでは、らけるが翠玉に邪険にされている様子はない。だが脈ありかどうかはタンジェには分からないし、興味もなかった。ただ、そう、"応援する"と言ったのだった、カンバラの里から帰ったあとに。"協力はしない"とも言ったが。
緑玉はすでに人混みに揉まれてグロッキーらしく、テーブル席に腰掛けて青い顔をしている。サナギも疲労困憊といった様子だったがこちらは興奮気味で、
「いやぁ、俺も何だかんだ長く生きてるけど、本当に楽しいお祭りだったよ!」
緑玉に熱弁している。
「射的、面白かったねえ!」
射的……確か、タンジェも黒曜と興じた。おもちゃの銃で景品を狙い撃つ遊戯がそんな名前だったはずだ。
「普段から銃使ってる冒険者に本気出されたら屋台側も商売上がったりだろ」
「いやあ、やっぱり実銃とは違うよ。それに俺が使っているのは拳銃でしょ? 形が全然違くてけっこう苦戦しちゃった」
見ればサナギはまるまるとした緑色の鳥のぬいぐるみを抱えている。
「サナギ、それがほしいってずっと射的から離れないし、疲れた……」
緑玉がぼやく。サナギは、
「だって欲しかったんだよ! ほら、緑玉に似てない?」
緑玉は苦い顔をした。
「俺、そんなにまるまるしてない」
「冬毛なんだよ、きっと」
「この暑いのに?」
2人の会話は気心知れた者同士のそれで、なるほどこれならタンジェが見ても仲が良さそうだと思う。黒曜と翠玉が静かに、だが穏やかに2人を見つめていた。
屋台の飯のいい匂いが食堂中に広がる。留守番していた他のパーティの冒険者たちも匂いにつられてちらほら集まってきた。
「いっただっきまーす!」
昼から晩まで屋台飯漬けで、栄養バランスはめっちゃくちゃだ。でも、きっとこんなことは今日1度きりだ。たまにはいいだろう。
ベルベルント復興祭 12
どの屋台を見ても、閑古鳥が鳴いているようなところはない。みんながめいめい、好きなものを買い、食べ歩き、ゲームを楽しんでいた。まだ腹が満たされていないので、見る屋台はつい食べ物のものばかりになってしまう。その中でタンジェと黒曜が同時に足を止めたのは、ソースの香りのする屋台だった。だが焼いているのは焼きそばではない。
その屋台の店主は、鉄板の丸型の凹みに生地を流し入れ、小さく切られた具らしきものを放り込み、それをクルクルと錐で回している。なんだ? 何の屋台だ?
「お兄さんたち、たこ焼き初めて?」
売り子らしい女が声をかけてくる。若干、訛りがあり、聞き取りづらかったが、確かに「タコヤキ」と言った。
「タコ?」
「そう〜! ウチらの故郷の食べモンで、生地の中にタコを入れて焼く料理なんよ! あんまりこっちの人はタコ食べんらしいなあ。うんまいから食べてってよォ」
タンジェと黒曜は顔を見合わせた。それから鉄板に目を落とす。クルクルと回されていた生地はまん丸になっていて、店主はそれを小さな皿に2つ取り出した。それからソースとマヨネーズをかけてタンジェたちに差し出す。爪楊枝も渡された。
「食べてみてさァ、美味しかったら買ってって〜。あッついから気をつけて食べや」
なるほど、試食ということだ。興味はある。せっかくだからと爪楊枝で掬って食べてみた。
「あッッつ!!」
「あかんてお兄さん、熱い言うたやんか〜」
「ほフ……!!」
こんなに熱いとは思わねえじゃねえか、とかなんとか言おうとしたが言葉にならない。必死に口の中に空気を入れた。ようやく熱が収まってきて味わえるようになると、なるほど確かにこれは美味い。中はトロトロで、生地に包まれているのはタコなのだろう、そこだけ食感が違うのもいい。
「ん……! 美味えな」
「せやろ〜!?」
ほら黒いほうのお兄さんも、と女が黒曜にもたこ焼きを差し出すので、タンジェは待ったをかけた。
「待て! 猫舌の黒曜には無茶だぜ。待ってろ」
タンジェは差し出された皿の上でたこ焼きを割って、半分を爪楊枝で掬うとふーふーと息を吹きかけて中を冷ました。それから黒曜に差し出す。黒曜はそれにパクリと食いついた。
黒曜が真顔で咀嚼しているのを眺めながら、自分はもしかしてめちゃくちゃ恥ずかしいことをしたのではないか、という思考が湧いてきた。恐る恐る店員の女を見ると、女はニヤついた口元を隠そうともしていない。
「あらぁ、お兄さん方、そういう関係なん!?」
「な、なんだてめぇッ!?」
否定も肯定もできず威嚇してしまった。
「照れんでもええやんか!」
女は笑っている。その顔面を睨んでいると、黒曜がちょんちょんとタンジェの服を引っ張り、試食のたこ焼きのもう半分を指差した。それから自分の口を指し示す。
「……」
タンジェは観念して、爪楊枝でもう半分も掬い上げると、黒曜の口に持ってってやった。
「ふーふーはしてくれないのか」
「あァ!?」
また威嚇してしまった。だがタンジェの威嚇で黒曜が怯むわけもない。黒曜はタンジェを真っ直ぐ見て、
「ふーふーはしてくれないのか」
しっかり繰り返した。
タンジェは歯を食いしばり、ぐぬぬと呻いたが、やがて仕方なくもう半分も同じように息を吹きかけて冷まし、黒曜の口の中に突っ込んだ。
「はふ」
残り半分も催促したということは、黒曜も美味いと感じているんだろう。となれば、
「どお? どお? 買うてってよォ」
「くそっ……! 1つくれ!」
「まいどー! 4Gldよ!」
黒曜はたこ焼きを咀嚼したまますかさずタンジェと女の前に滑り込み、4Gldを支払うと6つ入りのたこ焼きを受け取った。こいつ! タンジェの不満の視線を気にも留めず、黒曜は涼しい顔だ。しぶしぶ半分ずつたこ焼きを食べる。不本意に奢られていてもたこ焼きは美味い。
黒曜は無表情だが機嫌はよさそうだ。耳としっぽの所作でなんとなく分かる。楽しんでくれているらしい。
「まだ足りないな」
2人でたこ焼きを平らげたが、確かにまだ満腹には遠い。屋台を眺めながら食欲をそそられるものがないか探していると、黒曜がふと足を止めた。
黒曜の視線を追うと、つやつやに赤く光る球体が串に刺さっている。よく見ると、飴でコーティングされたリンゴらしい。
「へぇ、なんだこれ、リンゴの飴包みだ」
見たままのことを言うと、
「りんご飴だ、見ろ、他の果物も……」
あんずやイチゴも飴に包まれて並べられている。鮮やかで綺麗だ。
「どんな味するんだろうな」
ほとんど独り言だったが、黒曜は応答しなかった。黒曜のほうを見れば、黒曜はじっとりんご飴を見つめている。
「買おうぜ。俺も気になる」
言うと、黒曜はタンジェに視線を移して、心なしか嬉しそうに頷いた。よし、ここは俺が奢る! と息巻いてタンジェは財布を取り出した。
「このリンゴの飴2つな!」
黒曜が割り込まないように片手で制しながら6Gldを取り出し支払った。黒曜を制する必要がなくなったので両手で1本ずつ受け取り、片方を黒曜に差し出した。黒曜は目に見えて不服そうな顔をしている。
「なんだよ、俺だって奢られっぱなしじゃカッコつかねえ」
「年下の恋人に食べたいだけ奢ってやれない甲斐性なしだと思われたくない」
タンジェはぽかっと口を開けて黒曜をまじまじと見た。黒曜にもそういう見栄みたいな感情があるのか。
「そ……そうか。そんなふうには思わねえけどな……」
タンジェは黒曜と対等の立場だと思っていたが、確かに黒曜は年齢も上だし、パーティでの依頼以外にもいつも個人で依頼を受けている――内容まではタンジェは知らない――から、金も持っているのだろう、少なくともタンジェよりは。この場合は、喜んで奢られておくのが正しい、のだろうか? そういう駆け引きはさっぱり分からない。
しかしタンジェだって男なのだ、タンジェなりの見栄はある。奢られっぱなしというのも……。
「俺はお前に奢る。お前は俺に思い出をくれる。対等だ」
黒曜はタンジェを覗き込んで言った。思い出ならタンジェも平等に貰っている。その理屈だとタンジェは貰いっぱなしでは?
うんうん唸っていると、黒曜はりんご飴を齧った。ぱき、と音がして、飴のコーティングが割れる。赤い飴をポリポリ噛みながら、ほんの僅かに口端を上げて笑った。
「あまい」
「好きなのか、これ」
黒曜は黙っていたが、やがて浅く頷いた。そういうことなら、タンジェだって黒曜がどんなものが好きなのか知りたい。とりあえずりんご飴を舐めてみると、確かに甘かった。
飴を齧り取って噛み砕く。飴のコーティングが剥がれてリンゴに届く。リンゴは酸味があって、こちらも美味い。リンゴと飴を一緒に味わうと甘酸っぱい。タンジェはそこまで甘味を好むわけじゃないが、フルーツは好きだし、飴とリンゴの味のバランスが絶妙だった。気に入った。
「美味えな。気に入ったぜ」
黒曜はタンジェを見て、また目を細めた。