ベルベルント復興祭 1
悪魔たちに壊された建物や道も修復され、ベルベルントはようやく日常を取り戻そうとしている。
だがすべてが元通りというわけにはいかない。
ベルベルントは交易都市である。市場を回すのは内外の商人たちで、それにより経済は回っている。その商人の入りが激減してなかなか戻らないのだ。
かつて不可侵で中立、どこと睨み合うこともないベルベルントは、絶対の"安全"を約束されていた。それは戦う手段のない商人にとって、ベルベルントに商品を卸す大きな理由のひとつでもあった。その安全性が悪魔の軍勢に脅かされたとなれば……今しばらくは素通りをしたくもなるだろう。
実際のところは、これから先もその危険性が続くような侵略ではない。ただ、それを知っているのはほとんどタンジェたちだけだ。サナギは騎士団に<天界墜とし>のことをきちんと説明したのだが、騎士団側はいまいちピンときていないようで、あまり大々的に公表されなかったためである。そこのところの説明がうまくなされていないので「一度あったことは、今後も起こりうる」と、世間一般では判断されているのだ。
もっとも公表されたらサナギにバッシングが向かうことは想像に難くない。犠牲は多かった。
とにかく、ベルベルントが完全に元通りになった、と言える姿になるには、あと一歩、「人」が足りない、というわけだ。
犠牲者の追悼、鎮魂を終え、街の復興も比較的進んだタイミングで、ベルベルントの役所はこんなイベントを計画した。
安全と安心、そして復興をアピールし外から人を呼ぶための祭り――<復興祭>だ。
「復興祭ねぇ」
チラシを見ながら思わず独りごちる。
役所はこのイベントには相当力を入れているらしく、立派なチラシやポスターが各所に配られ、掲示されていた。もちろん星数えの夜会の依頼用掲示板にもポスターが貼られていて、そのデカさで掲示板の1/4を占拠している。
娘さんが給仕の手を止め――もっとも、客がタンジェたちしかいないので手が止まるのも当然のことだ――話題にしているのも復興祭のことらしい。
「商人や業者だけでなく、宿や個人からの出店者も募集しているんですって!」
「宿も屋台出す側になれるってこと!?」
と、はしゃいだ様子で応答したのはらけるだ。
テーブル席で食後の小休憩をしていたタンジェは、横目でカウンター席を見る。らけるはカンバラの里でもマイリ祭りで浮かれていた。
「そうだな。宣伝にもなるし、何か出してもいいかもしれんな。賑やかしにもなるだろう」
洗った皿を拭きながら親父さんが言うので、らけるはうんうん頷く。出すならお料理かしらねぇ、と娘さんが応じた。
「でも、屋台で出すならあんまり手広くはできないか。確か鉄板があったし、簡単なパンケーキくらいなら出せるかしら?」
思案している様子の彼女に「鉄板があるの?」とらけるが身を乗り出した。続けて、
「パンケーキもいいけど、鉄板で焼くならやっぱ焼きそばでしょ!」
焼きそば。カンバラの里でタンジェも食べた。確かに美味かった。しかし、そんな気軽に作れるものなのだろうか?
「ヤキソバ、ですか?」
「うん! 焼きそばなら俺、作り方分かるよ!」
らける、親父さん、娘さんの3人が、材料を集めて試作をしてみてうまくいけば焼きそばでいこう……という話をしている間に、タンジェは手元にある復興祭のチラシに改めて視線を落とした。
3週間後の週末。朝から夜まで、丸1日使うようだ。臨時の馬車なども出すらしく、力の入れようも伝わってくる。確かに出店者を募集する旨が書かれていた。
何気なくチラシを裏返して、このチラシが両面であることに気付いた。裏にはベルベルントにある闘技場が描かれたイラストと、『求む! 挑戦者!』という煽り文句が載っていて、よく読めばこういうことらしかった――復興祭で、ベルベルント闘技場でトーナメント制のお祭り剣闘<復興杯>を行う、と。
「3位入賞したら賞品が出るそうだ」
突然前から声をかけられたので、タンジェは数cm飛び上がった。見れば黒曜が向かいに座っている。
「賞品?」
「優勝はベルベルントの商店街で使える商品券1000Gld分と、野菜や肉、乳製品といった食材の詰め合わせだとのことだ」
「野菜」
「グランファームという農場が提供したようだ。冒険者宿も兼ねる変わり種だな」
「へえ」
グランファームとやらのことは初耳だが、なるほど賞品の内容は悪くない。これを目当てに出る出場者も多そうだ。
「黒曜は……出るわけねえか」
「ああ。興味がない」
出場すればいいところまでいけると思うが、黒曜はその熟練の剣技をよそに見せびらかすような男ではないのだ。
「タンジェは出ないのか」
逆に尋ねられ、タンジェは少し難しい顔になった。闘技場という場所にそれほどいい印象がないのである。
ベルベルントにある闘技場は、エスパルタにあったそれとはかなり役割が違う。エスパルタのものは実際に剣闘や闘牛をするための舞台だったが、ベルベルントの闘技場は、戦闘技術を磨いたり戦闘を生業とする者同士で交流することを目的に一般開放されており、戦士たちの集会所という様相だ。
タンジェもベルベルントに来てすぐの頃は戦士役を志望していたから、戦闘訓練を受ける目的で赴いたことがある。しかし「冒険者以外は入れない」と言われて追い返された。まだ黒曜たちとパーティも組んでいない頃だ。確かに当時、タンジェは冒険者ではなかった。
が、今になれば分かるが、先に言ったとおり一般開放されているのだから、「冒険者以外は入れない」というのは嘘だ。
要するに、闘技場には勝手に我が物顔でその運用を自治しているコミュニティがあったのである。
当時のタンジェはそんなこと知らなかったから諦めたが、冒険者になってから再度訪れた際、今度は「ここは戦士役が来るところであって、盗賊役なんかお呼びじゃない」ときた。キレてそいつをぶん殴ってしまい、闘技場の正当な管理者に1ヶ月の出禁を食らった。剣闘や試合以外の戦闘を禁止しているそうだ。
それ以来、闘技場には一度も行っていない。
戦士役であるアノニムの闘技場への出入りも、そういえば聞いたことがない。アノニムがあの自治コミュニティのことを把握しているのかまでは分からないが、まあ、彼にとっても用のない場所なのだろう。
とはいえ、とタンジェは思う。復興杯の管理はさすがに役所や闘技場の管理者がやるはずだ。あのコミュニティのどうしようもない連中が運営に関わることはないだろう。出るとしたら参加者としてだろうし。
タンジェが考えているうちにいつの間にか通りがかっていたパーシィが、
「ああ、復興杯。アノニムは出るよ」
急にそう声をかけてきた。
「あ? ……あいつ、こんな催しに興味あんのかよ!?」
「親父さんと娘さんが賞品を欲しがるので、仕方なく引き受けたみたいだ」
なるほど、それなら納得ではある。
……ということは、もしトーナメントでかち合えれば、アノニムと決着をつけるチャンスだ!
急に気分が湧き立ち、タンジェは勢いよく言った。
「……よし、俺も出るぜ!」
目の前の黒曜が目を細めた。最近分かってきたことだが、今のこの表情はわりと好意的なものらしい。タンジェが復興杯に出ることが嬉しいのだろうか? 少しずつ表情が読み取れるようになってきても、意図の理解はまだ難しい。
タンジェの出場宣言を聞いたパーシィが、親切に、
「それなら出場申込みが必要だから、行ってくるといい」
「ああ、そうなのか。面倒くせえが仕方ねえな……」
タンジェはチラシで改めて申込みについて確認した。役所の「復興祭実行委員会復興杯係」とやらが受け付けていることを把握する。善は急げだ。
「申込みに行くが、黒曜も来るか?」
黒曜は立ち上がったタンジェを見上げて、数秒だけ黙り、それから立ち上がった。来るらしい。
パーシィは「いってらっしゃい」と2人に軽く手を振った。屋台の話で盛り上がる親父さんと娘さんとらけるに簡単に声をかけて、タンジェと黒曜は街へ繰り出した。
ニセパーシエル騒動 7
天使パーシエルが消えたことは、まだソレルの町では知られていない様子だった。これから結婚式の準備を進めるにつれ、行方をくらましたことが知れて、大騒ぎになるだろう。そのパニックに付き合う義理はない。黒曜一行は知らん顔のまま予定通り昼の馬車に乗った。
しばらく結婚詐欺師パーシエルの噂は流れるかもしれない。だが、その悪評は、天界から堕ちたパーシィを飢えさせうるものではない。
今ここにいる堕天使パーシィは、そういう意味では、何も変わらない。
「タンジェにお礼を言わなくちゃいけないな」
馬車の中でパーシィがぽつりと呟く。面倒に思い、「いらねえよ」と言ったが、無視してパーシィはタンジェに頭を下げた。
「ありがとう」
この調査は――アルフとの邂逅は、パーシィにとってどんな意味があったのだろうか。言ってしまえば罪を糾弾され、二度と許しが得られないと知れただけの出来事だ。
だがパーシィにナイフは突き立てられなかった。
パーシィはアルフの感情をどう受け止めたのだろう? 知りたくないわけではなかったが、聞くのはやめた。パーシィが自ら語らないのなら、タンジェに礼を言った、それがすべてだ。
タンジェは復讐に対して肯定も否定もしたくはない。善いとか悪いとかで判断したくも、されたくもない。
加害者を許せ、とも言わない。タンジェはオーガ共を許せたわけじゃないし、アルフだってパーシィを許すことはないはずだ。
ただ、すべての罪人がその罪に向き合うばかりではない。性根の腐った極悪人も、逃げ続ける臆病者もいる。
その中で、いろいろな感情や出来事にもみくちゃにされながら必死に前に進もうとするやつらくらい、互いに、法に、あるいは神に許されなくても、少しでも救われはしないかと、タンジェは思うのだ。
ニセパーシエル騒動 6
けれどもナイフがパーシィに辿り着く前に、アルフの腕はアノニムの片手で抑えつけられていた。アノニムからすればあんな突進など止まって見えただろう。一同にとって素人のアルフ1人の制圧は容易い。
「アノニム、彼の怒りは正当だ」
パーシィは言った。
「刺されてやろうと思う」
アルフの顔がみるみる真っ赤になった。
「お前は傲慢なんだよ!! 今も昔も……!! 『刺されてやろうと思う』!? ふざけるな!! 馬鹿にするなーっ!!」
アルフはアノニムの拘束から逃れようと暴れたが、一般人がアノニムに万に一つも敵うわけがない。
アノニムは掴んでいたアルフをそのまま組み伏せ、地面に叩きつける。それから倒れたアルフに馬乗りになり、その首に手をかけた。
「アノニム!!」
パーシィが名を呼ぶが、アノニムは無視した。アルフが震えた声で叫ぶ。
「ぼ、僕を殺すのか? パーシエルの仲間も所詮は邪悪だ!! 最低だ!! クズ共め!!」
「大事なもののために武器を取る。てめぇにその覚悟があるなら、こうされる覚悟もあったんだろうが?」
アノニムに怒りも憐憫もない。
「てめぇが復讐でパーシィを刺すのは構わねえ。だが、それならその復讐で俺はてめぇを殺す。だったら先にてめぇを殺しても同じだ」
アルフの表情が徐々に怯えに変わる。アノニムが本気なことが分かったのだろう。アルフの目算は正しい。アノニムは躊躇いなくそうする。
それでもタンジェにとって、口を挟まねば納得できない部分は、確かにあった。
「それはてめぇらの理屈だろうが。大事な人を食い殺されて、相手が天使だから、はいそうですかってわけにはいかねえだろ!」
「赤毛のお前は話が分かるか!!」
アノニムの下からアルフが叫んだ。
「この男を止めてくれ!! パーシエルには断罪が必要だ!!」
「うるせぇ! てめぇ、自分が詐欺師だってこと忘れんなよ!」
怒鳴り返すと、アルフは「お、お前、僕の味方じゃないのか!?」と驚愕した。
「ああ!? なんで俺がてめぇの味方なんざしなくちゃならねえんだよ!」
アルフは目を白黒させている。アルフの復讐心は真っ当だと思うし、境遇に同情できる部分はあるが、アルフのことを守ってやるつもりはタンジェにはいっさいない。ただ、タンジェはパーシィとアノニム、そしてアルフの双方の言い分を聞いた上で、とにかく納得ができないだけだ。
アルフは「で、でもだって詐欺は……パーシエルへの復讐には必要だったから……」とか何とか言い訳している。タンジェは無視し、パーシィに声をかけた。
「パーシィ、刺される覚悟はあるんだな?」
「あ、ああ……もちろんだ」
パーシィは頷いた。タンジェは殴られたきりずっと地面に倒れ込んでいたパーシィに手を貸し、立たせた。
「よし、アノニム、どきやがれ」
「ああ?」
「アルフに刺させようぜ」
「それをされたら俺はこいつを殺すが?」
「ああ。そうしたら殺しちまえ」
アノニムは眉を上げ、珍しく訝しそうにタンジェを見た。だがゆっくりアルフから退く。たぶん、今までだったらアノニムがタンジェの言うことに応じ、殺すべき目標からみすみす離れるなんてことはなかっただろう。アノニムからのある程度の信頼を得られるようにはなった、ということか。
それはともかく。タンジェはアルフも立たせて、ナイフを構えさせた。
「思う存分刺せ!」
アルフの背中を叩いて鼓舞する。アルフは戸惑った顔をしていたが、パーシィに向かい、そしていよいよナイフを腹に突き立てようとして、だがアルフは、そこで止まった。
「……」
「……」
数秒の沈黙。焦れたらしいパーシィがナイフの刃を掴み、
「刺すんだ」
パーシィの手袋越しにナイフが指を切っている。みるみるうちに白手袋が血で染まっていくのを見て、アルフは顔色を悪くした。
タンジェには分かっていた。
刺せないだろう、と。
アノニムやパーシィ、黒曜、緑玉、それにたぶんサナギが容易にそうできるようには、普通に育った普通の人間は、人を殺せない。
もちろん、カッとなって咄嗟に人を殺す人間はいくらでもいる。感情的にナイフを振り回し、容易に加害はできる。アルフがさっきパーシィに突っ込んでいったとき、あのときなら、アノニムに阻まれさえしなければ、アルフはたぶん、パーシィにナイフを突き立てることができた。
だがいざ冷静になって、さぁどうぞという相手にナイフを刺せるか、となったとき、そう簡単には刺せるものではないはずだ。だってアルフは、決して快楽殺人鬼ではない。
「……刺せねえよな」
タンジェは言った。
「さ、刺せるさ……!! 僕には覚悟があるんだ!!」
「だったらそもそもパーシエルの名前で結婚詐欺なんかしねえで、強盗殺人とかやってんだよ。パーシエルの名前に泥を塗るのも目的だったんだろ?」
「そ……それは……」
アルフに覚悟がないとは言わない。ただ、アルフの覚悟はきっと、アルフ自身の殺人を容易く許可しない。彼は結婚詐欺に躊躇いのないクソ野郎ではあるが、恋人を殺されて嘆き悲しみ、再び大事な人を失うことを恐れる、ごく臆病な"普通の人"なのだ。
だからこそアルフは結婚詐欺なんて方法で復讐をしようと――自分は復讐をしていると、思い込みたかったのだ。
「悔しいよな」
気付けば、声になっていた。
「自分はなんで殺せねえのか、正当性だって、覚悟だってあるつもりなのによ……」
タンジェを見たアルフの顔は、ほとんど泣きそうになっていた。タンジェはパーシィにナイフを放すように声をかけた。
「……」
パーシィはまっすぐにアルフを見ていたが、タンジェのほうを見ているアルフとは視線が合わない。やがて目を伏せて、ナイフをゆっくりと手放した。
自由になったナイフを持ったまま、アルフは2、3歩、よろけるように後退した。
「なんで刺せないんだ……! 僕の覚悟は、そんなに生半可なものだったのか……!?」
「別にてめぇの覚悟をどうこう言うつもりはねえよ。だがパーシィを刺せないなら、ああ、"その程度"だ」
タンジェは無慈悲に言い切り、
「だが、てめぇには救いがある。パーシィはすでに罰を受けてるってことだ。てめぇがその生半可な覚悟でもって、無理やり断罪なんざしなくてもな……とっくにこいつは、たぶん、後悔をしてる。こいつに後悔を気付かせた誰かがいて、その誰かはこいつが復讐されることは望んじゃいねえ」
もちろん、そんなことはタンジェの想像だ。続けた。
「そんなことでてめぇの婚約者が戻るわけじゃねえ。だから復讐をやめろと言うつもりもねえ。だが、パーシエルなんて天使はもうどこにもいやしねぇんだ。そもそもてめぇは復讐には向いてねえよ」
タンジェにはパーシィを許してやることはできない。昨晩、パーシィに甘えるなと言ったのは誰でもない、タンジェ自身だ。
だがタンジェたちは、パーシィに下されようとしている私刑を止めることくらいはしてもいいはずだった。仲間だから。
だとすれば、復讐に身をやつした"人間"の、対等な相手は自分だと、タンジェは思っている。
「お前は……」
黙ったままだったアルフが、ぽつりと言った。
「お前は、何なんだ? 急に場を仕切って、……分かったような顔をして……」
「てめぇと同じ根性なしだ。復讐を志して冒険者になったが、……俺も、斧を振り下ろせなかった」
アルフはタンジェを見た。アルフの顔が歪んでいき、
「怖いさ……ああ怖いさ!! 人を殺すのが怖くて、パーシエルの名誉を傷付けようと思ったときも、だから人を殺そうなんて思えなかった!!」
「ああ」
「なのにこいつは、こいつは平気でゼータを、僕の婚約者を殺させて、食ったんだ!! こいつは人を殺すのなんて何とも思ってない、卑怯じゃないか……! そんなの、ずるいじゃないか!! 一方的すぎるじゃないか!!」
「ああ」
「じゃあ僕の気持ちはどうすればいいんだよ!!」
アルフは崩れ落ちた。泣いていた。
「そんなことはてめぇが決めるんだよ!」
タンジェは怒鳴りつけた。アルフは喚き散らす。
「分かんないよ! だって僕は、復讐がしたかった!」
「……」
「どうすればいいんだよ、どこにこの気持ちを置けばいいんだよ!」
タンジェはその答えを知っている。
逡巡した。
だが、ここまできたら言わなきゃいけないだろう。覚悟を決める。
「愛だよ!!」
タンジェのデカい声が山に響き渡った。音量を間違えた。
「……へ?」
言われたアルフのほうは、唖然としている。
いや、分かっている。恥ずかしいことを言ったと。タンジェは咳払いをした。全身が真っ赤になっている。 羞恥に挫けそうにはなったものの、不屈のメンタルで気を取り直し、
「て、てめぇは言ったよな。婚約者とは別の女で……村に恋人がいると。お前はその女が急にいなくなるのが怖くて先に村から出たと言ってたが……好きだったことに間違いはねえんだろ」
アルフは困惑したまま、視線だけでタンジェの言葉を肯定した。
「なら、村に戻れよ。お前は詐欺師だしろくでもない野郎だが、誰も殺しちゃいねえ。まだ胸張って生きていける」
「……で、でも……彼女の前から急に消えた僕を、彼女はまだ……愛しているだろうか……?」
「知らねえよ! そんなことに責任を持つ気もねえ」
タンジェは吐き捨て、けれど続けて、思ったことを言った。
「だがその女にとっては、てめぇは急に消えたんだ。それはてめぇが味わったのと同じだろ」
「……!!」
アルフが息を呑む。
「だったら、相手の気持ちが逸れることくらい覚悟しろってんだ」
タンジェからすれば、余計なことを考えて、失うことを恐れて逃げ出したアルフが悪いのだ。……いや、もちろん、そもそもはアルフの最初の恋人を食ったパーシィが悪いのだが。それでも新しく惚れた相手ができたのなら、アルフはそいつのために全力になればよかった。
復讐心を愛で上書きできる、とか、そんなことを言うつもりはない。タンジェだってまだ自分の復讐に思うところはある。ただ、復讐にかける情熱を、アルフは、タンジェ自身も、きっともっと前向きな何かに変えていける。そうしてくれるだけの誰かが隣にいるのなら。
「……村に……」
アルフは言った。
「戻るよ……。ベナが……待っててくれてるかもしれないから……」
アルフはパーシィの血で汚れたナイフをそっと折りたたんだ。それを懐に入れ直し、ゆっくりと立ち上がる。アルフがパーシィに視線すら寄越すことは、もう二度となかった。
パーシィは黙ってアルフを見つめていた。背中が見えなくなるまで、長いこと、見送っていた。
ニセパーシエル騒動 5
かなり歩きやすい山だ。整備されているわけではないが、獣道があったし、狩猟の痕跡がところどころにある。それとは別に真新しい足跡があって、確かに誰かが――ニセパーシエルが、ということになるだろう――通ったのが分かった。
「足跡を追うぜ。といっても、素直に獣道を進んでるみてえだな」
山でのそういった痕跡なら、ペケニヨ村で木こりをやっていた頃に身につけた知識と経験で見つけられるし、追える。何なら得意分野だ。
視線を感じたので振り返るとみんながまじまじと俺を見つめているので、狼狽えた。
「な、なんだよ」
「タンジェは自分を盗賊役に向いてないと言うけど、なかなかどうして。様になってるよ」
「う、うるせぇ!」
素直な賞賛を正面から受け取れるほど素直な気質ではないのだ。タンジェはぶっきらぼうに、
「とにかく行くぞ!」
言って、足跡を追いながらみんなを先導する。
程なくして人影に追い付いた。長い金髪を結った後ろ姿を見てパーシエルだと知れる。タンジェたちの足音を聞いて振り返った彼は、ぎょっとした顔をしてこちらをまじまじと眺めた。
「な、なんだ!? もう追っ手が出たのか!?」
しかし、すぐに、
「い、いや……ソレルの町人じゃないな? 誰だ? 僕に何か用か?」
確かに綺麗な顔立ちの男だった。金髪に青い目、すらりとして背も高く、天使と言われればまあ、そうかもしれない、という感じだ。
「パーシエルだな?」
タンジェが尋ねると、
「あ、ああ。そうだが?」
こちらの目的を窺っている様子ではあったが、素直に答えた。
「目的を聞きに来たんだ」
パーシィが一歩、パーシエルに近付いた。
「何故、パーシエルの名を名乗っているのか、理由が知りたい。きみが何者で、何の目的があるのか……」
パーシエルはパーシィを凝視していた。それから「うそだろ」「そんなまさか」と何度か口の中で繰り返して、
「お前――パーシエル!? 豊穣の天使パーシエルか!?」
大きな声を上げた。
「あ、ああ……」
パーシィのほうが驚いたようで、目を丸くしながら応じた。パーシエルは、
「お前のその顔……忘れるはずない! そんな刺青をしたり、髪色や髪型を変えたりしたところで、分からないわけないだろ!!」
叫んで、突如パーシィに掴みかかった。思わず引き剥がそうとしたが、胸倉を掴まれているとうのパーシィが、手の仕草でタンジェを制止した。
「きみは、いったい……」
「ぼ、僕が分からないのか!? いったいどこまで人をコケにすれば……!!」
パーシエルの顔が歪む。軽蔑と怒り、といった様相だった。
「お前が生贄に捧げさせて食った女はな!! 僕の婚約者だったんだよ!!」
ヒュッとパーシィの喉が鳴った。
「お前はとっくに忘れてるかもしれないけどなあ!!」
止める間もない。パーシエルはパーシィを殴りつけた。避けられたと思うが、パーシィは甘んじてそれを受け入れ、地面に倒れた。緩慢に身体を起こし、
「そうか……」
パーシィは呟くように言った。
「そう、だったのか……」
パーシエルは怒鳴り散らす。
「お前が地上に来てるとは知らなかったよ!! 天界から追い出されたのか!? はは、その汚いナリを見れば分かるってもんだ!!」
「……」
何も口を挟めずにいると、不意にサナギが尋ねた。
「きみの……本当の名前は、なんというの?」
「……アルフだ」
パーシエル、いや、アルフは答えた。
「最初から説明してくれるかい? 何故、きみはパーシエルを名乗って結婚詐欺なんかしたの?」
アルフは地面に転がったままのパーシィから視線を外さなかったが、
「こいつに婚約者が食い殺されてから、僕は失意のドン底にいたよ。村の守護天使はいつの間にかこいつから別の天使に代わっちまって、復讐する機会すらなかった。それで、……村の別の女が優しくしてくれて、その女と恋人になった。でも……またいついなくなるかと思うと怖くて、僕はそいつを置いて村から出たんだ」
アルフは続けた。
「僕の手元にある旅費はほとんど、その女がくれた金品で……それで思ったんだよ。ここから先、外で生きていくときに……お金を稼ぐなら、これじゃないか? って。それも、それをパーシエルの名前を使って繰り返すんだ! 僕は儲かるし、パーシエルの名は地に落ちるだろ。いい作戦だと思った。……調べたんだぜ、天使ってのは人々の信仰心で生きてんだろ? パーシエルの評判を落とせば落とすほどお前は餓えて苦しむってわけだ!」
アルフは懐からナイフを取り出した。折りたたみ式のバタフライナイフ。パチンと音を立ててそれを開くと、
「お前がこっちに来てるなんて知らなかったから、そんな回りくどい方法でしか復讐できなかった!! 知ってたらとっくにこうしていたさ!!」
アルフが拙い構えでパーシィに突っ込んでいく。あんなもの容易に避けられるだろうが、パーシィは避けないであろうことを、タンジェたちはたぶん全員知っていた。
ニセパーシエル騒動 4
翌日になり簡単に朝食を済ませた黒曜一行は、給仕の娘に天使パーシエルの居場所を尋ねた。
「パーシエル様は、今は町外れのお屋敷に住んでおられるはずです」
娘はテーブルを拭きながら答えた。
「ローラさんとの結婚式後、そこで新婚生活を送られるんですって! 素敵ですよね!」
「結婚式はいつなの?」
「今日の夕方からです。昨日よりさらに町が盛り上がると思いますよ!」
一同は顔を見合わせた。早めにケリを付けたほうがよさそうだな。
「ああ、それと……奇跡で生き返ったという猟犬の……飼い主の猟師の家はどこかな?」
「山の近くです。パーシエル様のお屋敷とご近所ですよ」
地図を描きましょうか、と言うので、ありがたく受け取ることにした。
娘が描いてくれた地図はかなり簡略化されていたが、最低限の体裁は整っている。これならすぐに着けるだろう。
「ありがとう」
サナギが礼を言うと、娘は笑って「どういたしまして!」と答えた。
一同はパーシエルの屋敷に行ったが折り悪く不在だった。 まだ昼まで時間があるので、先に猟師のほうに話を聞いてまた来よう、ということになる。しかし、
「かなり早い時間だが、どこに行っているのだろうか」
「結婚式の打ち合わせとかかな?」
パーシィの疑問に、サナギが無難なことを言った。
それなら町長の家や結婚式場にいるかもしれない。この町では有名人だし目立つ男なのだろうから、聞き込みすれば居場所は掴めそうだ。
ともあれタンジェたちは猟師の家のほうに向かった。娘はご近所だと言っていたが、猟師の家は町外れのパーシエルの屋敷よりさらに山寄りで、10分ほどは歩かねばならなかった。
猟師の家はパーシエルの屋敷に比べれば遥かに小さい。が、しっかりした造りの丸太小屋にタンジェはなんとなく好感を持った。丸太小屋の前で猟犬が元気よく吠えている。こいつが例の、生き返ったとかいう……。
「どうした、ハイド。お客さん?」
吠える猟犬に応えるように、中から猟師が出てきた。思ったよりも若い。20代前半というところか。猟師はタンジェたちを見て怯んだ顔をした。
「だ、誰だい? あんたら……」
「急に大人数で押しかけてすまない。聞きたいことがあるんだ」
パーシィが一歩前に出て、尋ねる。
「天使パーシエルに蘇生させてもらったというのは、この猟犬かい?」
「あ……ああ! そうさ」
猟師は頷いた。
「そうか……」
パーシィは猟犬をちらと見た。吠えていた猟犬は不思議そうに首を傾げた。
サナギが後ろから、
「その蘇生の奇跡について調べているんだ。何、軽い好奇心さ」
猟師の顔がにわかに青くなる。
「そ、そ、蘇生の奇跡に、う、う、疑うところはないよ。間違いなくパーシエル様は、その……ハイドの蘇生をなさった」
ずいぶん動揺している。これではタンジェですら、彼の言葉がお粗末な嘘だと分かる。
「そうなんだ。ところでこちらのパーシィは本物の天使なんだけれど……」
サナギはパーシィを指して紹介した。猟師は目を剥いて「へえ!?」と変な声を出した。
「もし天使パーシエルさんの起こした奇跡に不正があったなら、大変なことだよ。パーシィが怒るかもだ」
「いや。そ、それ……は……」
説得としてはかなりの力押しだ。だが、根が気弱らしい猟師にはよく効いている。おろおろと視線を泳がせている猟師に、
「今話してくれれば、もしかしたらきみのことは見逃せるかも」
サナギがもう一押しすれば、
「す……すみませんでしたっ!!」
あっさり素直に、謝罪した。サナギはちょっと物足りないというような顔をしたが、
「自作自演? それとも、怪我を治したというだけ?」
「じ、自作自演ですらないです。嘘をつきました」
猟師は恐る恐るといった様子でパーシィの顔を窺っている。この調子でよく町人が信じたものだ。あるいは共犯であろうニセパーシエルのほうの口が上手いのかもしれない。
「なぜ?」
パーシィが尋ねると、
「ぱ、パーシエル様に頼まれました。金を山分けしてくれると言うので」
「……『山分け』?」
妙な言い方だ。まるで、これから何らかで大金が手に入るような。
サナギは早々に察したらしく、苦笑いした。なるほどね、と言ったあと、
「じゃあもう、パーシエルはあの屋敷には戻らないね」
「……はい。俺に約束通りの分、金をくれて、もう発ちました」
「おい待て、どういうことだ?」
タンジェのことを振り返ったサナギは、
「結婚詐欺だよ」
と、短く言った。
「はい、あの、察しの良いお嬢さんで……」
猟師が頷く。お嬢さん、と呼ばれたサナギは別段それには突っ込まず、
「きみはグルになってパーシエルを天使だとでっち上げたんだね?」
「……はい」
「それでローラ嬢とその家から金品を貢がせて、さも結婚するように振る舞い、そして……結婚式当日になったら、どこかへ消える。そういう手順だったわけだ」
「そうです……」
猟師はすっかり小さくなってしまった。
「わ、悪いことだとは思いました。しかし俺は……この性格だからあんまり……狩りにも向いてなくて。親父が遺した金も、もう少なくて……」
もういいよ、とパーシィが遮った。
「そこのところを責めるつもりはない。そもそも用があるのはきみじゃないし……」
へ、と猟師が顔を上げる。怒られるとばかり思っていたのだろう。
「そういうことらしいよ。で、パーシエルがどこに向かったか分かる?」
サナギが尋ねると、
「山へ……。今からなら追いつけるかも……」
山か。山歩きなら得意だ。サナギとパーシィは猟師に礼を言った。すぐに山に入ることにする。猟師は嵐のように去っていくタンジェたちに唖然とした顔を向けていた。