- 2024.05.10
Over Night - High Roller 6
- 2024.05.10
Over Night - High Roller 5
- 2024.05.10
Over Night - High Roller 4
- 2024.05.10
Over Night - High Roller 3
- 2024.05.10
Over Night - High Roller 2
Over Night - High Roller 6
シャルマンへの潜入に、タンジェたちは出来合いのスーツを買った。サナギはシャルマンには多少のドレスコードがあると言っていて、さすがに普段着では入れないとのことだったからだ。金はかかったが、オーダーメイドでないだけまだマシだと思うしかない。必要経費だ。それに、買ったスーツはタンジェとパーシィのものだけで、サナギは以前に同窓生の結婚式に着ていったスーツをそのまま使っている。
しきりにスーツの金額を気にするタンジェに、「これから大勝ちしに行くんだよ?」とサナギが笑った。
仕立て屋から戻り、夜会で着替えてみると、多少サイズが合わない部分はあったものの、
「見違えますね!」
と、娘さんは喜んだ。
「アノニムも着れたらよかったのに」
「さすがに獣人はお断りされそうだからね」
サナギは眉をハの字にした。今もまだ不在のようだし、とも付け加える。
「そもそもアノニムにイカサマは無理だろう」
パーシィがごく普通の表情で言う。それは結構アノニムをバカにしてねえか、とタンジェは思ったが、別に擁護するつもりはないので口には出さなかった。
「タンジェも大して変わらないが、今回はリカルドがいるからな。何とかなるだろう」
急にタンジェに飛び火してきた。顔を歪め、
「てめぇはどうなんだよ」
「きみよりはマシだと思う」
「……まあ、てめぇは存在がインチキみてえなもんだからな……」
別に悪意はなかったのだが、言ったあとに悪口に限りなく近い意見だと気付いた。パーシィは目を瞬かせたあと、特に反論もなく苦笑いした。言ってしまったからにはなかったことにはできないし、タンジェの意見として偽りはないから、謝るつもりはない。
「じゃあ行こうか」
サナギから声がかかった。タンジェが確認のため尋ねる。
「薬は?」
「飲んだよ。だから早めにやっつけたい」
空気に触れるだけで肌が痛いと言っていた。確かに、サナギが倒れる前に全部終わらせたいところだ。
「行ってらっしゃい!」
何をしに行くか分かっているのやら――明るい娘さんの声を背に、タンジェたちは移動カジノ・シャルマンへ向かう。
普通の客を装えば、シャルマンに入ること自体は難しくないという話だ。巨大でしっかりした造りのテントが広場に建っていて、そこがシャルマンだった。まるでサーカステントだが、中に入ればそうではないとすぐに知れる。中は広々としていて、煌々とついたランプが、ギャンブルに沸く客たちの横顔を照らしていた。
受付のテーブルがあって、そこでタンジェたちはGldをチップを交換してもらう。あらかじめ用意したこれらのGldは、サナギがポケットマネーから出したものだ。
サナギが出したGldをスタッフが数えている。ぼーっと眺めていると、パーシィが突然、タンジェの隣に立ち、耳元で囁いた。
「イヤな気配がする」
「あ……?」
「ちょっと探ってきたい。悪魔の気配だ」
タンジェの眉間がぎゅっと寄る。悪魔といえば――ラヒズの顔が脳裏をよぎる。悪魔なんてそうそういるものではないだろう。カンバラの里からベルベルントに戻ってきたラヒズが、このあたりをうろついている可能性はある。バカンスを楽しむやつだ、ギャンブルを嗜んでもおかしくはない、か。
パーシィは真剣な表情で、
「こっちは任せてもいいかい?」
「……分かった。行ってこい」
頷くと、パーシィは最低限のチップだけ受け取り、気配を探るようにきょろきょろと当たりを見渡して人混みに立ち去っていった。
さて、そうなるとリカルドと組むのはタンジェしかいなくなる。一応、イザベラとの特訓で一通りルールは覚えたが、あまり自信はない。サナギとチップを山分けして、
「うまくやりなよ、タンジェ」
ウインクしたサナギもまた、ゲームを探して立ち去っていく。
タンジェはたまにゲーム中のテーブルを覗き込みながら、リカルドの顔を探した。テントの中は広く、窓がないため明かりがあってもやや薄暗かったが、思いのほかすぐに見つかる。うまくディーラーとして潜り込めたようだ、リカルドはゲームの卓に立っていた。
すでに卓にいるプレイヤーたちに2枚ずつトランプを表に配っている。2枚のカードが同じ数字ないしは隣り合わない数字であることを確認し、レイズするかを決めている。これは先にルール確認した中にあったゲームの1つだ。確か名は――レッドドッグ。
タンジェは少なからず安心した。ポーカーなどに比べるとはるかに簡単なルールのゲームである。最初に配られた2枚のトランプの数字の間に、3枚目のトランプの数字が入れば勝ちだ。
ゲームの区切りのタイミングを見計らい、タンジェが卓につく。リカルドが一瞬だけタンジェを見た。が、まったく関心がないように淡々とカードをシャッフルしている。
「ベット」
リカルドが告げる。賭けろ、という意味だ。さて、いくら賭けるか? タンジェたちはとにかく大勝ちして目立つ必要がある。このシャルマンでのギャンブルは、あくまで通過点なのだ。ちまちま賭けている時間がもったいない。だいたいタンジェはせっかちな性質である。リカルドはタンジェを『勝たせる』だろう――タンジェは手持ち全部をベットした。全賭けだ。
「それ、手持ち全部じゃねえのか?」
隣の男が身を乗り出して声をかけてくる。
「お前、さっき受付したばっかだよな? いきなり溶かす気か?」
余計なことを口走らないよう、タンジェは沈黙を保った。もし口論になってヒートアップしようもんなら、まずタンジェは手が出る。そうなればまず一発退場からの出禁だろう。そうなってはおしまいだ。
幸い、男はそれ以上は突っかかってこず、鼻で笑って引き下がった。卓についていた数人がベットしたが、もちろん全賭けなんかしているのはタンジェだけだ。
リカルドは慣れた手つきでカードを配る。カードは表向きに2枚。タンジェの手元に滑り込んだカードはどちらも8だった。あまりにも自然に。
改めて、レッドドッグは配られた2枚のカードの数字を確認して、3枚目の数字がその2枚の間に挟まるかを判断するゲームである。
たとえば、最初に配られたトランプが5と6なら、この間に入る数字はないから引き分けだ。
1と9なら2から8の7枚が挟まるから「スプレッド7」となるが、このスプレッドは数字が大きいほど手元に来やすいので、配当は少なくなる。
たとえば5と7のスプレッドなら間に挟まるのは6の1枚だけ。スプレッド1の配当はだいたい6倍だ。
というのが、前提。タンジェの手元に来た2枚の8――これにも間に挟まれる数字はない。だが、最初の2枚が同じ数字のとき、これはペアと呼ばれて、3枚目がペアの数字と同じ数字であれば――すなわち、この場合3枚目が8であれば――『レッドドッグ』。配当は実に12倍。つまり、一番強い手である。
手持ちのチップを全賭けしたタンジェの手元にペアが揃う。"出来すぎ"だ。ほかの参加者が目を剥く。
「レイズ」
顔色を変えずにリカルドが告げる。
各々が判断してレイズするかを決める。タンジェは最初から全賭けしているのでレイズしようもない。それが終われば、すぐにリカルドは3枚目を配る。3枚目は裏向きに置かれている。テーブルについている一同全員、タンジェの手元の3枚目に注目している。
タンジェは迷わずカードを表に返した。8。
『レッドドッグ』――!
「イカサマだ!!」
隣の男が立ち上がり、大声を上げた。
「出来すぎてる!!」
同じ立場ならタンジェもそう言い出したかもしれない。男の感覚は正常だ。だが、タンジェは感情的にならないよう努めて淡々と言って返した。
「別にてめぇは損してねえだろ」
レッドドッグはディーラーとプレイヤーが勝負するゲームである。タンジェが勝とうが、ほかの参加者が損をするわけではない。
顔を真っ赤にした男は、リカルドに、
「ディーラーさんよ!! どうなんだ、このガキは!!」
声をかけた。リカルドは首を横に振る。
「怪しい動きはしていない」
それはそうだ。怪しい動きをしてるのはリカルドのほうなのだから。
「チッ……! ビギナーズラックか……! 素人がよ……!!」
負けが込んでいてイラついているのだろう、手元のチップが少ないのが分かった。だが、タンジェにそんなことは関係ない。
Over Night - High Roller 5
「裏」
リカルドとサナギが同時に言った。
「……賭けにならないな」
こちらも茶を飲みながらパーシィがぼやく。珍しく正しいことを言ったな、とタンジェは思う。
イザベラが手を離せば、確かに裏を向いたコインがあった。リカルドはテーブルからサナギのほうへ身を乗り出す。
「……分かっていたな?」
「なんのこと?」
サナギはすっとぼけた顔をした。なんだなんだとタンジェとパーシィが動向を見守る。リカルドはあくまで真剣な面持ちでサナギを問い詰めた。
「俺のは勘だ。だが、お前のは違う。お前はコインが裏だと分かっていた」
タンジェとパーシィは顔を見合わせて、それからサナギを見た。サナギはそうだね、と今度は首肯した。
「分かっていたよ」
「……」
リカルドは腕を組み、また椅子にもたれかかった。
「……」
しばらく黙ってサナギのことを見つめていたが、やがて、
「イカサマをした」
「うん」
サナギは笑っている。
状況が呑み込めないタンジェは、肘で隣のパーシィの脇をつついた。
「あんなシンプルな賭けにイカサマもクソもあるかよ?」
「さあ……俺には何も」
小声で言い合い、パーシィも首を横に振る。少なくともタンジェが見ている範囲ではサナギは本当に何もしていない。
リカルドはタンジェたちのほうに目こそ向けたが、会話も聞こえていたのだろう、すぐ無関係だと悟り、視線をサナギに戻した。
「……」
沈黙。たぶん、考えているのだろう。サナギのイカサマの正体を、だ。賭けが成立しなかったことより、サナギのイカサマを見抜けないことに納得がいかないらしい。しばらくまたサナギを観察していたが、
「お前はこの宿に入ってきてからいっさい不審な動きはしていない」
言った。
「となると、何か仕込むなら宿の外。ここに来る前からだ」
「やるねぇ。そこまで分かるもの?」
サナギが笑う。蚊帳の外ではあるが、タンジェもなんとなくサナギの言動を思い返す。宿に来る前のこと……。だが、何にも思い至らなかった。サナギは特別なことを何もしていない、と思う。
「……何をした?」
ようやく、絞り出すようにリカルドが尋ねた。事実上の降参である。サナギはそれをからかいも嘲りもせず、にこやかに、
「感覚過敏の薬を飲んでる。要するにドーピングだよ。コインもスローモーションに見える」
「ど……」
リカルドは一瞬目を見開いたあと、渋い顔になって顔を手で覆った
「ドーピング……!? こんな賭けに、ドーピングを仕込んできたのか!?」
「うん。正直、空気に触れるだけでも肌が痛い。けっこうやせ我慢しているよ」
「バカなヤツ!」
リカルドは小さく笑っているのかもしれない。顔は見えなかったが、肩と声が少しだけ震えている。
「薬なんざ……いつの間に?」
思わず俺が呟くと、サナギは「ほら、上着取りに行ったときだよ」と答えた。
「先に言っとけよ……!」
「きみたちの所作からバレちゃうじゃない?」
ぐうの音も出ない。
「なるほどな、お前がどんなことをしてでも俺に条件を呑ませる覚悟だったのは分かった」
顔を上げたリカルドがやれやれといったように肩を竦めた。
「だが、お前のドーピングがあれば俺の協力なんていらないんじゃないのか?」
「もちろん俺はこれでシャルマンに行くつもりだよ。でも、あんまり他人には飲ませたくないんだ」
「おい、危険な薬なのか?」
タンジェの質問にはサナギは愛想笑いをした。呆れる。
それからサナギはタンジェとパーシィを指し、
「リカルド、こちらのタンジェかパーシィどちらかと、あるいは両方と組んで、彼らを勝たせてほしいんだ」
「…….」
リカルドはサナギの指し示した先の2人を見ていたが、
「まあ、いいだろう。突っ立ってるだけで勝たせてやる」
余計なことはするな、の意味なのかもしれない。言い方にムッとしないではなかったが、ことギャンブルにおいては確かにタンジェはド素人だ。大人しくリカルドの言うことを聞いておいたほうがいいだろう。
「いいか、俺はディーラーとしてシャルマンに潜入する。だが、どの卓を――要するに、どのゲームを――担当することになるかは分からない。お前らのほうから俺のいる卓を探してそこにつけ。お前ら、ゲームのルールは?」
「簡単なものなら。ブラックジャック程度の……」
堪えたのはパーシィで、タンジェのほうは、
「ギャンブルなんざ興味ねえんだ。何も分からねえよ」
「……」
リカルドが黙ってしまった。
「まあまあ、初心者にゲームを教えるのも楽しいものですよ」
横でイザベラが笑う。
「それに、『突っ立ってるだけで勝たせてやる』のでしょう?」
「……」
苦い顔になるリカルドに、口元に手を当ててたおやかに微笑んだイザベラは、
「シャルマンに並んでいるゲームならだいたい分かります。私がルールを教えておきますよ。リカルドはシャルマンへ向かってください」
リカルドはため息をつき、「任せた」と言った。それから緩慢に立ち上がり、宿の奥へと引っ込んでいった。身支度を整えてからシャルマンに向かうのだろう。
イザベラの申し出はタンジェたちにとってもありがたかった。イカサマはリカルドに一任するとはいえ、さすがに何の知識もなしに挑める場所ではないはずだ。
少し疲れたから休むね、と言って、サナギはイザベラに許可を取り壁際のソファに横になった。ドーピングのせいだろう。サナギは虚弱ではないが、頑丈さは人並みだ。無茶をしたな、とタンジェは思う。ただ発話は明瞭だったし、顔色も悪くはなかったから、放っておくことにした。もともとタンジェは仲間たちへの干渉は必要最低限だ。
それより今は、イザベラにゲームルールをレクチャーしてもらうことだ。タンジェとパーシィはイザベラが促すままに席に着く。
Over Night - High Roller 4
『午前3時の娯楽亭』――close。
サナギの言う心当たりとやらは、どうやら宿らしい。ただ、どう見ても営業時間外だった。
「おい、閉まってるじゃねえか」
「名前のとおり、この宿のピークタイムは午前3時。開くのも夜からさ」
サナギは別に動揺した様子もなく、目の前の扉をノックする。迷惑だろうと思い、止めるか悩んでいるうちに扉が開き、シスター服の女が顔を出した。教会以外でシスター服を見たのは初めてなので、タンジェは面食らう。
シスター服の女はにこやかにタンジェたちを眺めて、後ろにいたパーシィに目を留めると、
「まあ、先日はどうも」
と頭を下げた。パーシィのほうも、
「シスター・イザベラじゃないか。ここが宿なのかい?」
わりと気軽な調子で応答した。サナギがにこりと笑い、
「知り合い?」
「教会であいさつする程度の」
パーシィは特に誇張も遠慮もなく、ごく率直に質問に答えた。イザベラと呼ばれたシスターのほうも朗らかに頷く。
「ええ。私の生活する『午前3時の娯楽亭』です。私に用というわけではなさそうですが、誰をお呼びします?」
話の早い女だ。サナギは「とびっきり腕のいいディーラーを頼める?」と言った。
「まあ、それならちょうど起きてきたところです。お茶を淹れますから中にどうぞ」
イザベラはそう言って、タンジェたちを宿の中に招き入れた。宿の内装を見渡して、少なからず驚く。『午前3時の娯楽亭』の中には、ビリヤード台、ダーツボード、ルーレットなどなど、さまざまな娯楽が所狭しと設置されていた。
「『娯楽亭』、か」
タンジェは宿の名を思い出して呟く。イザベラはまた「ええ」と頷き、
「賭け事を楽しむ宿なんです。賭けるものはビー玉1つからで構わない。誰でも気軽に楽しめる娯楽宿……それがここ」
言いながら、タンジェたちをテーブルに案内した。そのテーブルには先に男が1人座っていて、向かい合うように座るタンジェたちを見るや、露骨に面倒そうな顔をした。
「イザベラ、どういうことだ?」
飲んでいたコーヒーを置いた男が、テーブルから離れるイザベラの後ろ姿に声をかける。
「あなたの依頼人ですよ、リカルド。客人にお茶を持ってくるので先にお話を聞いておいてください」
リカルドと呼ばれた男は何か言いたげな顔をしていたが、結局何も言わず、ただ大きく溜め息をついた。
黒い服を着た、端整な顔立ちの男である。ただ、精悍な顔つきに似合わず気怠げで、向けてきた視線も言葉も、明らかにこちらを歓迎してはいなかった。
「何の用だ。手短に頼む。言っておくが、あまりやる気はないんでね」
タンジェの数少ないカジノ知識と照らし合わせて、リカルドは"ディーラーらしく"はない。もちろん詳しくはないので、タンジェのディーラー像が偏見にまみれている可能性は十二分にあるのだが、それにしても『とびっきり腕のいいディーラー』として紹介される人物像としては、若干、釈然としない。
だが元よりリカルドをアテにしているサナギは、そんなリカルドの態度だって織り込み済みなのだろう、まったく意に介した様子もなく口火を切った。
「じゃあ本題だけど。ディーラーとして移動カジノ・シャルマンに潜入してほしい」
「なんだと?」
リカルドはサナギのほうに視線を寄越して、腕を組んだ。
「移動カジノはもちろん知っているが。……何故俺がそんなところに潜入しなくちゃならない?」
「俺たちがあそこで大勝ちするためさ」
「……」
サナギの言葉でリカルドはおおよそのことを理解したらしかった。頭が痛そうに額を押さえ、
「勝ちたい理由があるんだろう、それは興味がないし聞かない。ただ、お前の要求は俺へのリスクが高すぎる」
正論だ。タンジェもそう思う。赤の他人から、依頼とはいえイカサマの片棒を担がされて、失敗したときの保障もないのだ。
「俺がその依頼を受けるに足る理由がないな」
拒否と見ていいだろう。タンジェはどうすんだよ、の意を込めてサナギを横目で睨んだ。サナギは焦らず、ごく冷静に、
「報酬は出すよ。きみだって冒険者だろう」
すました顔で言った。
「……」
リカルドはまた額を押さえる。
「ここは娯楽宿だと、さっきイザベラが言っていたじゃないか?」
首を傾げたパーシィが声をかけると、サナギは、
「兼業しているんだよ。ここは娯楽宿であるのと同時に、冒険者宿なんだ」
同業か、とタンジェが呟いた。ベルベルントに冒険者宿が星の数ほどあることは知識として知っているが、こうしてほかの冒険者宿に訪れる機会はそうはない。タンジェは思わず、改めて宿内を見回した。確かに依頼書を貼る掲示板もあり、言われてみれば冒険者宿の様相ではある。
「冒険者だから依頼は受けろと?」
リカルドは神経質にテーブルを数回、指で叩いた。
「悪いがこちらも受ける依頼は選べる」
「じゃあさ、賭けようよ」
リカルドの指が止まり、ゆっくりとテーブルの上を滑る。
「賭け?」
サナギは頷いた。
「俺が負けたら、そちらからの要望にひとつ応えるよ。俺が勝ったらそちらは俺たちからの要望にひとつ応えてもらう」
「そんなの、向こうに得はねえようなもんだろ」
タンジェが口を挟んだ。サナギの提案は、タンジェからすれば唐突で、しかも理屈が通っていない。リカルドが冒険者なら、わざわざ外部の同業者に頼む必要がある物事なんて多くはないだろう。こんな賭け、そもそも成立しない。タンジェにだって分かる道理をサナギが理解していないとは思えないのだが……と思っているうちに、
「勝負の内容は?」
リカルドが、椅子の背もたれに寄りかかりぎしりと音を立て、挑戦的に首を傾げた。
思わず小声で、
「受けるのかよ……!?」
「彼は冒険者である前にディーラー、そしてディーラーである前に、生粋のギャンブラーなのさ」
サナギも小声でそうタンジェに言った。そしてリカルドにこう提案する。
「簡単なのはコイントスだね。どう?」
「コイントスか。確かに手間もない。いいだろう」
そこで、茶を人数分淹れてやってきたイザベラに、
「イザベラ、コイントスだ。頼めるか?」
茶をタンジェたちに配ってから、イザベラは銀のコインを取り出した。
「もちろんいいですよ」
動じた様子もない。それにしても、シスターが娯楽宿にいるというのは違和感がある。聖職者の役職は貴重だからあくまで冒険者としての所属なのかと思ったが、様子を見ているとギャンブルに抵抗はないようだ。別に他人の事情など詮索するつもりはないが……。
タンジェが茶を啜りながら眺めていると、イザベラはきれいなコイントスをした。手の甲に落ちたコインは一瞬でもう片手に覆い隠され、タンジェには見えもしなかった。
Over Night - High Roller 3
「移動カジノと闇オークションか……」
サナギはタンジェの報告を聞いて一つ頷いた。
「そこに緑玉が捕まってるなら、助けに行かないとね」
「もう3日も前のことだぞ」
パーシィが口を挟む。
「とっくに売られてしまっているのでは?」
本当に余計なことしか言わねえなこいつ、とタンジェが思っている横で、サナギが一瞬、難しい顔をする。パーシィの言葉に対する不快感を露わにした、というわけではない。温厚なサナギのこと、今更パーシィに対して思うところもないだろう。サナギは単純に、緑玉の行方を考えているのだ。
「これは推測だけど……。もし緑玉がすでに誰かしらの手に売られてしまったなら、黒曜と翠玉にとってはそのほうが動きやすいはず。サクッと奪い返して戻ってきててもおかしくない。盗賊ギルドで分かる情報を2人がまだ手にしてないとは思えないし……まだ戻ってこないということは、攻めあぐねているのだと思うよ」
「……というと?」
「警備が固いとか、立地が悪いとか、それでも情報が足りないとか……いくつか考えられるけど、まぁ、タイミングを窺っているんじゃないのかな」
「俺たちにしてやれることはねえのか?」
サナギはタンジェのほうを見てぱちぱちと目を瞬いたが、やがてニコリと笑って、
「あるよ。あるに決まってる。よし……作戦会議といこうか」
元気よく言った。
アノニムは折り悪く不在にしていて、タンジェはサナギとパーシィと改めて向き合う。
「まず俺の知ってる情報だけど……移動カジノ・シャルマン自体は多少のドレスコードはあるけれども、どちらかといえばカジュアルめのカジノだ」
はじめにサナギがそう言うのを聞いて、
「もしかして、俺が調べるまでもなかったか?」
「いや、緑玉がそこに捕まってるのはさすがに予想外だったよ。そもそも俺が頼んだのだし。……続けるね。シャルマンは出入りのチェックは厳しくないし、潜入は簡単だ。ただ、シャルマンの主催する闇オークションのほうはそうはいかない」
「まあ、誰彼構わず入れるもんじゃないだろうからな」
紅茶を飲みながらまるで他人事のようなパーシィが合いの手を入れる。
「シャルマンの中でもとにかく『目立つ』客が闇オークションに招待されるのさ。シャルマンのほうから声がかかるって話さ。スリリングな第2部はいかがですか、とね」
「詳しいな」
「正直、噂程度の知識なんだけどね……」
と、サナギは肩を竦める。
「とにかく、俺たちはシンプルに闇オークションを目指そう」
そして、と続けた。
「闇オークションで、緑玉を競り落とす」
「競り……」
タンジェはぽかんと口を開けた。サナギの提案にしてはかなりの力技だ、という印象である。
「他の参加者どもと真っ向から勝負すんのか? そもそも闇オークションは『招待制』なんだろ? 招待されるためにはカジノで大金を稼がなくちゃならねえ。だが……ギャンブルなんて時の運だろ」
そんな都合よくいくのかよ、と続けて尋ねるタンジェ。
「とにかくカジノで大勝ちする..……となればやることは一つさ」
「というと?」
サナギは最高のイタズラを仕掛けるときの子供みたいな顔をした。
「イカサマだよ」
咄嗟にタンジェは、待てよ、と言った。
「イカサマなんざ、一朝一夕で身に付くもんじゃねえだろ。バレたらどうなるかも分からねえしよ。付け焼き刃でやったところで、むしろ逆効果なんじゃねえのか」
サナギは満面の笑みを浮かべたまま「うん」「その通りだね」などと相槌を打っていたが、
「だからさ……イカサマのプロを雇えばいいのさ」
「イカサマのプロだぁ!?」
そんなものには縁がなかったので、そういう人種がいることすらタンジェにとっては初耳だ。
「移動カジノ・シャルマンは、拠点を移動するその性質上、滞在する街で臨時のスタッフを雇う。その街の流行、市場規模、客層……さまざまな要素で成り立つ商売だから、詳しい現地住民を雇うのはおかしなことじゃない。そこで俺たちは、協力関係を結んだディーラーをシャルマンに送り込む」
「そのディーラーとグルになってイカサマをするわけだな」
パーシィはあっさりと受け入れたようだが、
「だがよ……そんなイカサマができて、俺たちの要望を聞き入れて、カジノで雇われるレベルのディーラーなんざ……アテはあるのかよ?」
まったく心当たりがないタンジェからすれば、そんな都合のいいヤツいねえだろ、と思う。だが予想に反してサナギは心配しないで、と言った。
「心当たりはあるんだ。あとは俺の交渉次第というところだね」
サナギはどちらかと言えばインドア派だが、社交的なので人脈は広い。アウトドア派のわりに気難しいタンジェとは正反対である。ともあれ、サナギは立ち上がった。
「さっそく声をかけに行ってみようか。2人も来てね」
「あ? ……要るのか? 俺たち?」
「一緒にイカサマをするんだよ。共に船に乗る相手の顔くらい、先に見ておいて損はないと思うね」
それはそうかもしれない。となれば、善は急げだ。上着を取りにいったん部屋に戻ったサナギを待ってから、その心当たりとやらに会いに行くことにした。
Over Night - High Roller 2
盗賊ギルドの中は普段より少しだけ賑わっていて、すれ違った何人かの盗賊役は、何やら賭け事の話をしているようだった。タンジェには関係も興味もない。タンジェはまっすぐ師ブルースのところへ行った。
「よう」
ブルースはタンジェの顔を見るや、片手を挙げてあいさつする。
盗賊ギルドの中で情報を扱う盗賊は多い。盗賊ごとに得意な情報分野があったり、質によって値段がピンキリだったりと、選択の余地はあるのだが、タンジェはもっぱらブルースに頼る。仕方ない、タンジェの持っているコネはこれだけなのだ。タンジェは盗賊役ではあるが、まだ未熟であることはここに出入りする盗賊たちにはとうに知れている。それはつまり、熟練の盗賊には舐められているということだ。情報を買う相手を選り好みするとぼったくられるだろう。
だから今回もタンジェは迷わずブルースに、
「ちょっと聞きたいことがある。うちのパーティの緑玉を、ベルベルントの街で見たヤツを知らねえか?」
率直にそう尋ねた。
ブルースの目がきらりと光る。
「なるほどな、やっぱ戻ってねえか」
「どういうことだ? 心当たりがあるのか!?」
話が早い。タンジェは思わず前のめりになった。
ブルースは酒瓶から酒をついで、
「あの綺麗な顔した孔雀の獣人だろ? 攫われるのを見たって情報が近隣の住人から入ってる」
「あぁ……!?」
ブルースの回答は端的だったが、予想外のそれだった。タンジェは難しい顔になり、今ブルースからもたらされた情報を整理しようとする。
緑玉が攫われる――ありえないか、と言われればまあ、可能性はゼロじゃねえだろうが、というのがまず、第一印象。
黒曜とアノニムが大きいせいであまりそうは見えないのだが、緑玉もかなり長身だ。体つきもがっしりしている。彼だってこのパーティでなければ戦士役をやれるくらいには――本人の性格から言ってやりたがりはしないだろうが――戦闘能力もある。
もし真っ向から緑玉を攫おうというなら……並大抵の労力じゃないはずだ。
黙ってしまったタンジェに、しかしブルースは気を留めず、
「緑玉を攫ったのは手練れの『黒服』さ」
次の情報を繰り出してきた。タンジェは顔を上げる。
「『黒服』?」
「カジノの裏方だよ」
「カジノなんざベルベルントにねえだろう」
大きい国なら珍しくない施設だろうが、ことベルベルントにおいては噂も聞いたことがない。
さすがのタンジェでもカジノというものの存在は知っている。エスパルタにもあった。ただ、エスパルタは闘牛のほうが有名かつ人気で、カジノはぜんぜん目立たなかった。タンジェの知識も、賭け事を楽しむ娯楽施設という程度だ。
もっとも、タンジェが賭け事に疎いために、ベルベルントのカジノを知らないだけの可能性もあったが……ブルースは頷いた。
「そうだな。ベルベルントにカジノはねえ」
タンジェの眉根がますます寄る。
「じゃあどっから『黒服』なんて出てきたんだよ」
「移動カジノさ」
「……移動……カジノ?」
「ああ、移動サーカスならぬ『移動カジノ・シャルマン』――数日前にベルベルントにやってきて、つい3日前に開場したばかりだ」
3日前といえば、緑玉が消えたタイミングである。だが緑玉が黒服に捕まる謂れはないだろう。思ったままを口に出す。
「緑玉が移動カジノに関わる理由なんざ、一つも思い浮かばねえんだが」
「だからよ……『緑玉のほうから黒服に関わった』ってわけじゃねえ。『黒服のほうが緑玉に用があった』んだろうぜ」
「まさか、揉め事でも起こしたってのか? あの緑玉が……?」
「……」
不意に黙ったあと、ブルースは「喉が渇いたな」と嘯いた。見れば傾けていた酒瓶がカラになっている。
タンジェは渋々、カウンターのバーテンに声をかけた。
「おい。こっちのテーブルに一番安い酒をくれ。一杯でいい」
バーテンが頷いたのを見届けてブルースに視線を戻すと「安く見られてんなぁ……」と項垂れている。これまで何度かブルースの情報を買ってきたタンジェは、ブルースがどうせ情報を小出しにすることを知っていた。こいつはこうやってちまちま酒を奢らせながらちょっとずつ情報を出していく。最初から高い酒なんか払ってたら財布がもたない。
届いた安酒をガッと呷ったブルースは、
「移動カジノ・シャルマンには裏の顔がある」
と言った。
「裏の顔?」
「あそこはな、闇オークションの主催を兼ねてるのさ」
「闇オークションだぁ……!?」
「俺たちのような裏稼業の奴らや好事家の間では有名な話だ」
それきりブルースは黙った。安酒一杯じゃこれっぽっちか。タンジェは仕方なく酒をもう一度注文する。先ほどよりひとまわり高い酒だ。
「へっへ、毎度あり」
意地汚い笑みのブルースに若干辟易しつつ、タンジェは「闇オークションの主催を、カジノが?」と尋ねた。
「正確には、最初にあったのは闇オークションのほうさ。それの隠れ蓑に移動カジノを使うようになった」
「隠れ蓑まで要るってことは、オークションにかけられるのもロクなもんじゃねえだろうな」
「盗品、いわく付き、珍獣、果ては奴隷までより取り見取りさ」
奴隷、の言葉に思わず指が動く。努めて冷静を装ったが、曲がりにも何もブルースは師だ。タンジェとの付き合いもそれなりに長くなってきた。きっと、わずかな動揺も悟られたに違いない。
が、ブルースはそれを追及はしてこなかった。
「分かるだろ? 見目のいい獣人が攫われた理由なんざ、それしかねえよ」
「……ちっ!」
タンジェは思い切り舌打ちした。ブルースが肩を竦める。
「他に質問は?」
いくつか頭に浮かんだ。たとえば、何故、狙われたのが緑玉なのか。ベルベルントには他にも獣人はたくさんいる。……もちろん、そいつらならいい、というわけではないが……。それから、緑玉は無事なのか。闇オークションに潜り込む方法はあるのか。
ただ、あまり先走るのもよくないだろう。これらの情報を統合して、頭を使うのはサナギの役目。タンジェはいったん情報を持ち帰ることにした。
「え、ほかに何も聞かねえのか?」
ブルースがカラになったジョッキを掲げて寂しそうな顔をする。タンジェは無視して立ち去った。